神魔戦記 第六十一章

                  「動き出した未来へ」

 

 

 

 

 

 青空が広がっている。

 雲もゆったりと流れ、陽は暖かく大地を照らしている。

「良い天気、ですね・・・」

 それを見上げ、呟くのは栞だ。

 カノン王国の城下街。その中で、いつもの水色の修道女を纏いながら栞は笑みのまま歩を進めていた。

 視線を下ろし、周囲を見やる。

 街は今、復旧作業でてんやわんやだ。

 ・・・ジャンヌを倒し、ホーリーフレイムを退けてから早五日が経った。

 祐一がジャンヌを倒してすぐ、ホーリーフレイムは撤退を始めた。誰かしら気配に敏感な者がジャンヌが倒された事に気付いたからだろう。

 その後祐一は例の如く倒れ、二日間寝込んだ。

 だが、その間にも祐一の部下を始め、カノン王国の兵士たちが街の復旧作業を始めたのだ。

 無論、カノン王国の兵士や、街の者はそれに最初難色を示していた。

 が、佐祐理や舞の助力、また、駆けつけてきてくれたエフィランズの街の人たちの助けも相俟って、いまではこうして共に作業を行っている。

 それでも中には・・・否、半数以上はまだ姿勢を変えようとはしていない。

 だが、それは仕方のないことだと栞は思う。栞だって最初はそうだったのだから。

 しかし、まだたった五日だ。

 これから日々を過ごしていけば、きっとわかってくれるだろう。・・・自分のように。

 どんな種族も共に在れる国を造る。

 そんな祐一の願いが、叶えば良い。

「ううん」

 栞は首を横に振る。

 違う。叶えよう。自分たちの力で。

「栞様!」

 掛けられた声に振り返る。向こう側から駆けてくるのは、ホーリーフレイム強襲の折に助けた、アーフェンで共にいた青年だ。

 その青年は栞の目の前にまで掛けてくると、少し荒くなった息を吐き、

「向こうで怪我した子供がいるんですよ。治療してやってくれますか?」

 そうして・・・以前のように頼られることに嬉しさを感じ、

「もちろんですよ」

 歩いていく。こうやって、少しずつでも良くなっていけばいいな、と思いながら・・・。

 

 

 

 王都カノン。その北東に位置する人気の少ない区画。

 そこには見渡す限り、長方形の石が整然と並べられている。その石には名が刻まれ、花などが供えられている。

 墓である。

 その最奥。他の物よりわずかばかり大きい形をした墓の前、二人の少女がいる。

 一人は瞼を閉じしゃがみ込んで手を添えており、もう一人は一歩分ほど下がって傘を手に立っている。

 前者は美坂香里、後者は里村茜である。

「・・・・・・」

 瞳を開けて、香里はその墓石を憂いを帯びた視線で見上げる。

 そこに刻まれた姓は『北川』。

 ・・・そう、ここは旧カノン王家の北川家の墓なのだ。

「惜しい人を、亡くしましたね」

 背後に立つ茜が小さく呟く。

「実情を憂い、自らの落ち度を認められる、立派な王子でした。死ぬべき人ではないと思っていましたが・・・」

 それに対し香里は苦笑を浮かべ、

「・・・まぁ、自ら進んで動いた結果がこれなら、彼もきっと満足でしょう」

 宮沢有紀寧と神尾観鈴を庇い、相沢祐一を助けた潤。

 どうしてそんなことをしたのかもわからないが・・・潤は自分がこうだと決めた行動に後悔は絶対にしない人間だということだけは言いきれる。

 だから潤はきっと・・・満足だったはずだ。

 立つ。振り向き、

「ワン自治領国外交官、里村茜さん。・・・あなたはどうして相沢祐一たちと共にいたの?」

「・・・彼なら、いえ・・彼らならカノンを変えられると思いました。また・・・相沢さんの目的にも共感を抱きましたから」

「そう」

 頷き、香里は再び墓石を肩越しに見やる。

「北川くんも・・・そういう思いがあったのかしらね」

 戦った中で、きっとなにかを潤も感じ取ったのだろう。

 まったく男っていうのは、と心中で呟きながら、香里は踵を返し・・・茜の横を通り過ぎていく。そのすれ違いざま、

「聖騎士、美坂香里さん。あなたはこれからどうするのです?」

 静かな茜の口調。それに対し香里は歩を止め、しかし振り返らずに、

「・・・そうね。北川くんが思いを託した相手が新国王であり王妃なら・・・カノンで生まれた聖騎士として・・・それに仕えるだけだわ」

「そうですか。それは良かったです」

「あたしにも―――」

「はい?」

「・・・・・ううん。そういうあなたはどうするのか、と思って」

「私は正式に今回の件を本国に知らせてきます」

「そ。まぁ・・・またいずれ会うことになるでしょう。・・・それじゃ」

 軽く手を振り、香里はしっかりとした足取りで霊園を去っていく。

 その背を横目で見やり、茜は穏やかな笑みを持ち、

「あなたもいずれわかりますよ。きっと。・・・北川王子と同じく」

 声は香里に届かない。だが、それで良い。

 香里が結局口にしなかった問いだ。答えを返す必要もない。

 だが、茜にとってそれは確信に近い予感であった。

 

 

 

「あー・・・。疲れた・・・」

 カノンの王城内。テラスに置かれた『杏専用ソファ』と書かれているソファで杏がうつ伏せにぶっ倒れている。

 なぜこうなったかと言えば、復旧作業にて杏が大活躍だったからだ。

 資材の持ち運びをやりやすくするために物を小さくしたり、一時的な支えにするために物を大きくしたりと、大黒庵での作業は事を欠かない。

 そういうわけでほぼ毎日ぶっ続けでの呪具の行使により、魔力はすっからかん。現在は休憩中というわけだ。

「お疲れみたいだな」

「んー・・・?」

 声に、埋めていた顔をわずかばかり横にずらして、

「あぁ、浩一か。なに、あんたも休憩?」

「ま、そんなとこだ」

 答えた浩一は手にコップを持ったままテラスにもともと備え付けられた椅子に座り込んだ。

「しかし・・・杏。テラスにソファとはどういうセンスだ」

「センス云々じゃないの。青空の下で、ふかふかのソファに身を沈めるのが気持ち良いんじゃないの」

「・・・そういうもんか?」

「そういうもんなのよ」

 なるほど、と苦笑のまま頷き浩一はコップを口へ運ぶ。そうして一拍を置き、

「で? お前、これからどうするんだ」

「・・・・・・」

 黙る杏。それを横目に、浩一はもう一口を喉に流す。

「お前の妹、いるかもしれない場所はあの黒桐とかいう男の情報でわかったんだろ?

 で、そいつらはもっとそのことについて探るために王国ダ・カーポへ向かったと・・・。

 なら、行くのか? お前もそっちへ」

 もぞもぞ、と杏がソファで体勢を変えた。こちらに背中を見せるような形で横になり、

「・・・・・・あたしさ、いろいろ考えちゃうわけよ」

「ん?」

「『秩序』がどうの、って話。なんか世界規模らしいじゃない?

 それに、その『秩序』っていうのは死徒二十七祖ですら気を付けろって言うほどの相手かもしれない・・・。

 そう考えるとね、足が動かないわけ。行っても無駄なんじゃないか、死ぬんじゃないか、・・って。

 あたしはほら、弱いから・・・」

「弱いわけじゃないだろ。現にお前はあの聖騎士の美坂香里に勝ったんだ」

 だが、杏は首を横に振る。

「あれは偶然よ。個人的な能力で言えばあっちの方が遥かに上だもの。もう一度戦えば戦略も見抜かれてるし、負けるわ」

「少し自分を卑下しすぎじゃないか?」

「そうでもないわよ。実際、あたしは怖いもの。

 ・・・なにがあるかわからくても姉のために突き走った鈴菜が、あたしはすごいと思う」

 あの盗賊に水菜がさらわれたときの一件。あのときの鈴菜を、杏は羨ましい、と感じていた。

 自分もあんな風にひたむきに妹を追うことができるなら、とも思った。

 だが浩一は苦笑し、

「あいつは馬鹿なだけさ。なにも考えず、その場の勢いで『どうにかなる』と決め付けている節がある」

「馬鹿って・・・。そんな率直に」

「良いんだよ、馬鹿で。まぁ、その馬鹿さと言うか・・・無闇な素直さがあいつの長所でもあるがな」

「ふーん」

「けど、お前はお前だ」

「・・・?」

「お前はそうやって妹のことを考えながらでも慎重でいられる。自分ができる事できない事を冷静に把握して、その通りに動ける心の強さを持つ。

 それだって、十分にすごいことじゃないのか?」

「・・・違うわよ。あたしは怖い事、厄介な事から逃げているだけだわ」

「こういう考え方もある。長所というのは裏を返せば欠点にもなる。そのまた逆も然りだ。

 ・・・鈴菜もお前を羨ましがっていたさ。大切な人がいなくなっても冷静でいられるのがすごいな、って」

「そう、・・・なんだ」

 初耳だ。

 そんな杏の驚いた気配が伝わったのか、浩一の小さく笑う声が響く。

「人は皆自分の持っていない物を持つ者を羨ましく思うものさ。その当人はちっともそんな自覚はないのにな。

 ・・・他人はよく見えても、自分は見にくいからなんだろうが」

「・・・そうかもしれないわね。でも、結局あたしのしていることが逃げだということに変わりは―――」

「逃げ、おおいに結構じゃないか」

「え?」

 杏は思わず振り向いた。その先、浩一は小さく笑みを浮かべながらこちらを見つめ、

「俺だって、祐一だって逃げた事はある。当然さ。死にたくない・・・生き延びたいからな。

 だが、それで終わりにはしない。俺たちはその悔しさを胸に、己を磨くのさ。そうしてそのときの自分に勝つために努力をする。

 ・・・お前は死ぬべきじゃないだろう? 守るべき大切な妹がいるのなら、死なないように物事から逃げるのは得策さ。

 ただ、それを忘れなきゃいい。その歯がゆさ、悔しさを糧にして強くなれば良いだけさ」

 それは、浩一や祐一の生き様が少しばかり垣間見える物言いだった。

 そうして逃げる事を選択した二人を、攻める事はできただろうか。いや、できまい。

 必死だったのだろう、生きるために。しかしその後には逃げた分だけの悔しさが自らを襲う。だから強くなる。

「・・・強いね、あんたたちは」

「強くなるしかなかったんだよ、俺たちは」

「・・・あたしもそんな風になれるのかしら?」

「さぁな。それは俺がわかることじゃない。

 だが、お前は頭が良いんだ。精一杯考えると良いさ。そうすれば、俺たちには見つからなかった別の道が見えるかもしれない」

 浩一が飲み干したコップをテーブルに置き、テラスの向こう側、城下街を見る。

「ま、それでも駄目だったら誰かに頼れば良いさ。・・・お前はもう俺たちの仲間なんだからな」

「浩一・・・」

 フッと、杏は思わず笑みが浮かぶ事を自覚した。

 ―――良いな、こういう場所。

 よ、っと声を上げ、杏はソファから勢いよく起き上がり、そのまま立ち上がる。

「そうね。それじゃあ、あたしはまだまだいろいろと考えなくちゃ。

 だからもうしばらくは・・・ここに厄介になろうかな?」

「そうか。ま、それも良いんじゃないか?」

「・・・うん」

 んー、と背中を伸ばし、息を一つ吐き、

「さーてと、それじゃあ、もう一仕事してきますかぁ!」

 踵を返す。だがその前に歩を止め肩越しに振り返り、

「浩一」

「ん?」

「ありがと」

 微笑みを浮かべた杏は、いつもより少しばかり輝いていた。

 

 

 

 カノン王城内のとある一室。

 そこには白の布に包まれたベッドが中央に置かれている。そこには一人の男が寝ており、脇には少女が座っていた。

「調子はどうですか?」

 座っている少女―――亜衣はりんごの皮を剥いていた。たどたどしいナイフ捌きにより、りんごは球状ではなくなっているが。

 それを寝ている男、時谷が半目で眺めながら、

「・・・その言葉、ここ数日で何度聞いたことだか」

「でも、聞かないとわからないことですから」

「そうだな。そうだろうよ。だがとりあえず手元を見ろ。また切るぞ」

「大丈夫です。亜衣は二度も同じことは―――いたっ」

「・・・言わんこっちゃない」

 やれやれ、と嘆息し、時谷は薬を出そうと身を起こそうとするが・・・、

「駄目です! 時谷さんは寝ていてください!」

 しかし亜衣によってそれは阻止される。

 その動きに半ば辟易とした表情を浮かべながら、時谷は再びベッドに身を沈める。そして横目で亜衣を見やり、

「あのな。もう傷なんかとっくの昔に治ってるんだ。動くくらいどうってことないんだよ」

「でも、まだ毒が抜け切ってないって栞さん言ってました。だからまだ駄目です」

「毒つったって・・・。もう立ちくらみ程度のものだ。別に動くくらい問題ねぇよ」

「駄目ですっ。万が一ということもありますから。治りかけの油断が後で後悔を生むんです」

 毒の効果に万が一もへったくれもないだろう、と思いつつ時谷は嘆息一つ。

 そう、実はエクレールの剣には毒が塗られていたのだ。

 治療魔術では毒は治療できない(特殊属性によって治療できる者もいるらしいが、普通は無理)。

 なので傷の治療はともかく毒の治療は薬と、あとは時谷本人の自己再生能力を頼るしかないわけだ。

 とはいえ、時谷とて仮にも魔族。猛毒といえど薬と自己再生の併用なら三日も安静にしていればその効果はほぼ消失する。

 だが、目の前の亜衣はそれを断固として認めなかった。全てが消え去るまでは無駄は良くないと、ときには泣きそうな顔で訴えかけてきたのだ。

 というわけで、ここ五日間はそれこそずっと亜衣が時谷の看病をしていたわけだが・・・、

「なぁ」

「はい?」

「お前、まさか自分のせいで俺が傷付いた、とか思ってねぇだろうか?」

 亜衣の動きが止まる。そして少し顔を俯かせると、

「・・・でも、実際その通りじゃないですか」

「やれやれ。・・・あれは俺が勝手にしでかしたことだ。別にお前のせいじゃないし、ましてやお前が罪に思うことでもないだろう?」

「・・・じゃあ」

「ん?」

「時谷さんは・・・その、どうして亜衣を庇うようなことをしたんですか?」

「む―――」

 時谷は思わぬ反撃に眉を傾ける。

 あー、とかんー、とか繰り返すと、ばつの悪そうな表情で、

「まぁ、その、なんだ・・・。実は俺自身よくわかんねぇんだ。あの時にも言っただろ。体が勝手に動いてた、ってな」

「・・・クス」

 そんな時谷を見て、亜衣は表情を一転して笑みを浮かべた。

「なんだよ、その表情は」

「いえ、なんでもないですよ・・・。なんでも」

「・・・ちっ」

 時谷はなんとなくその空気が嫌で、なんとか別の話題を探そうとする。

 そしてふと思いついたのは、

「そういえばあの女・・・エクレール、だったか? 捕まったんだよな? どうなってる?」

 亜衣は剥き終わった・・・というかむしろ皮を削いだと言ったほうが正しいりんごをパワフルな包丁捌きで切りながら、

「はい。地下牢で捕らえてあるらしいです。

 そしてシオンさんが・・・なんかよくわからないんですけど、ホーリーフレイムの情報を聞き出した挙句、決して自殺をしないようにしたそうです。

 暗示とか・・・催眠の類ですかね?」

 時谷は苦笑する。それはきっとエーテライトでの所業だろう。

 時谷も一度経験しているからわかるが、シオンの前において情報の秘匿など不可能だ。

 エーテライト。あれによる侵入は、捕らえられていたりして身動きを取れない以上、決して阻止する事などできないだろう。

 また、自殺の抑制もなにかしら脳に仕掛けを施したのだろう。・・・あいつならしかねない。

「はい、りんごです。どうぞ?」

「あ・・・あぁ、サンキュ。しかしこれまた・・・」

 皿に乗せられた・・・正方形のりんごに時谷は思わず苦笑。亜衣はちょっと肩を狭め、

「・・・うぅ。やっぱ変ですか?」

「お前、今度料理上手い奴が調理しているとこじっと見てろ。そうすりゃすぐにできるようになるぞ」

 すると亜衣は上目遣いで時谷を見つめ、

「・・・そうして料理上手くなったら、食べてくれますか?」

「ん?」

「あぁ、いえいえ! なんでもないですなんでもないですお気になさらずに!?」

 わたわたと手を振りながら亜衣は顔を少し赤くしている。だが、首を傾げる時谷には聞こえなかったようだ。

 それに安堵の息を吐き、亜衣は、

「・・・・・・」

 少し表情を変える。

 時谷が訝しげな表情を浮かべる先、亜衣はギュッと自らの手を握り締めて、

「・・・あの、時谷さん。時谷さんは・・・これから、どうするんですか?」

「・・・・・・」

「一度は出てった時谷さんは・・・また出て行ってしまいますか?」

 押し黙る時谷。しかし亜衣はわずかに身を乗り出して、

「亜衣は・・・亜衣はまだ未熟です。それをこの前の戦いで思い知らされました。

 だから、だからあの・・・まだ、教えてほしいです。斧も、戦い方も。その、だから・・・・・・」

 いまにも泣きそうな亜衣。しかし、その頭に乗せられるものがあった。

 時谷の手だ。

「・・・ったく、なに泣きそうな顔してんだよ」

「だ、だって〜・・・」

 クシャクシャと荒く頭を撫でられる。そのまま時谷はそっぽを向きながら、

「・・・まぁ、その、なんだ。実は祐一にもな、言われてんだ。お前をもう少し教えてやってくれないか、ってな」

「え・・・?」

「で、まぁ・・・この前の自分自身の意味不明な行動の意味も知りてぇし、・・・祐一の進む先っていうのもまぁ、見てみたいしな」

「それじゃあ・・・」

「ん。ま・・・もうしばらくはいてやるさ」

 パッと亜衣の表情が綻ぶ。そしてがたっと椅子から腰を上げ、

「これからも・・・よろしくお願いしますっ!」

 ものすごい勢いで頭を下げる亜衣に、時谷も思わず驚いて振り向き、そして、

「・・・あぁ」

 小さく笑ったのだった。

 

 

 

 広い空間がある。

 カノン王城内中央。玉座だ。

 どこもかしこも壊れてはいるが、少しずつ修理はされており、だいぶ玉座らしい空間となってきている。

「・・・とはいえ、まだ青空が眺めるがな」

 その中央に立つ祐一は苦笑気味に上を仰ぎ見ている。

 破壊された天井越しに、広がる青空が見える。いっそこのまま空が見える玉座というものも良いかもしれないな、なんて考える。

「このまま青空が見える玉座っていうのも良いよねぇ」

 と、祐一の思考と同じ事を言い出したのは、右にいる観鈴だ。

「それも良いかもしれませんね。でも、雨が降ったときが大変ですよ?」

「あ、そか」

 観鈴に言葉を返すのは、左にいる有紀寧。

 いま三人はこうして玉座の間に集まっていた。

 誰が何かを言ったわけではない。ただ、なぜか三人の歩がここへ向けられていたのだ。

「祐くん。身体はもう本当に平気なの・・・?」

 と、観鈴がいまだに心配なのかそんなことを聞いてくる。それに対し苦笑を浮かべ、

「昨日も一昨日も普通に動いていただろう? 今更だな」

「でも・・・」

 まだ心配そうな表情を消さない観鈴に、祐一は小さく笑みを浮かべながらその頭に軽く手を落とした。

 心配するな、という意味を持って。

 すると観鈴も一瞬の後、笑みをもってこちらを見上げた。

「しかし・・・」

 確かに、一日に覚醒を二度も使った割には反動が少なすぎると思う。

 以前は一日寝込んだ後、三日ほどはろくに動けなかったのだ。

 が、今回は三日も寝込んでいたが、その後は特に身体が動かないということも無く、すんなりと起き上がることができた。

 覚醒の、なにかが変わりつつあるようだ。自分が限界だと思っていた殻を破ったからだろうか?

「いや」

 祐一は首を振る。

 そうなると、あのリリスと戦ったあと、二日寝込んだことに説明が付かない。とするならば、

 ―――あのときから前兆があった?

 そう考えるのが妥当だろう。

 それがどういった前兆で、この経過が良いものか悪いものかは定かではないが・・・。

 ―――まぁ、いまは良いか。

 それを考えるのは後でも良いだろう。

 祐一は意識を戻し、再び玉座を見渡す。

 いまだ激しい戦いの残滓を残す空間。それでも多少は直っているが、いまは復旧作業をしている人の姿はない。休憩中であるようだ。

「でも、こうして見ていると・・・とりあえずは終わったんだな、って・・・思いますよね」

 周囲を見渡していた有紀寧の言葉に、祐一は少し感慨深い気持ちになる。

 復讐を誓ったあの頃。あの頃の自分はこんな未来を思い描いていはいなかった。

 ・・・半魔半神として生まれ、全ての種族から蔑まれ、母を殺され、父を殺された自分が、いまこんなところに立っている。

 全ての種族を憎み、復讐を願って始まった戦いが・・・いつの間にか全ての種族の共存へと目標が変わり、そして、

 ―――俺も変わったんだろうか。

 自分のことは自分ではよくわからない。ただ、目標が変わったのならば、きっと何かしら別のものも変わっているだろう。

 それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが・・・自分を信じて進むだけだ。

 ―――それが、きっと北川潤や、北川宗采に対して俺ができる唯一のことだ。

 だから、祐一は有紀寧の言葉に首を振る。

「なにも終わってなんかいないさ。俺たちはあくまで・・・スタートラインに立っただけだ。始まるのは・・・これからだ」

 有紀寧と観鈴がその言葉に笑みを持って頷く。

 そう、全てはここから始まるのだ。

 託された思いを胸に、未来を作り上げるために・・・。

「で、祐一さん。そろそろあのときのお返事を聞かせてもらえますか?」

「ん?」

 なんのことだ、と有紀寧を振り返れば、少し困った顔をして、

「忘れてしまいました? カノンへ攻める前に話した・・・婚儀のお話ですよ」

「あ・・・」

 そうだった。そんな話があったのだ。

 正直、ここ最近はそれどころではなかったのですっかり失念していた。

 それを祐一の表情から読み取ったのか有紀寧は苦笑し、

「ま、忘れても仕方ないですよね。ここ最近は・・・いろいろと大変でしたし」

「すまない」

「いえ、別に」

 微笑み、しかし次いで有紀寧は姿勢を正す。表情を真剣なものへと変え、

「では、いま答えをお聞かせください。相沢祐一王。

 あなた個人、相沢祐一として・・・。また、この国の新しき王として・・・」

 雰囲気すら豹変する。

 その態度は、先程までの『宮沢有紀寧』という少女のものではない。

 クラナド王国第一王女、宮沢有紀寧王女のものだ。

「―――」

 安易な返答はできない。いや、してはいけない。

 できれば、肩書きを利用するような事などしたくは無い。

 ・・・いや、その肩書きを利用しようとして拉致したのだ。今更そんなことを言うのもおかしい話だが、しかしいまは本当にそう思っている。

 だが有紀寧はいまこう言った。

『あなた個人、相沢祐一として・・・。また、この国の新しき王として・・・』

 ―――国王として、か。

 それならば返答は決まっている。イエス、だ。

 いまこの国は最も不安定な状態にある。いくらシズクの動きが活発でエアやクラナドが動けない状態だとしても、そんなものがいつまで続くとも限らない。

 ならば牽制、そして国をしっかりと建て直す時間稼ぎのためにも有紀寧や観鈴との結婚は最適だ。

 しかし―――、

「祐一さん」

 そうして悩む祐一に、有紀寧は微笑を向ける。

「わたしは、祐一さんのことが好きですよ」

「!」

「だから、それほど悩まないでください。わたしは決して、国のためだけにあなたに結婚を申し出ているわけではありません。

 辛い過去を経て、それでもこうして進んで先を目指す祐一さんは、わたしの憧れであり希望です。

 だから、そんなあなたをわたしは支えたいのです。一国の王女として、そして・・・一人の女として。

 祐一さんには、きっと好きだという感情はまだないでしょうけど・・・。それでもわたしは構いません」

 見上げ、

「そんなものは、これから育んでいけばいいんです」

 言い切った。

 思わずたじろぐ祐一だが、その腕を後ろから引っ張られる感触に振り返る。

 観鈴だ。

「わたしも・・・わたしも祐くんのこと好きだよ。昔から、ずっと・・・いままで。

 だからわたしも、有紀寧ちゃんと同じだよ? 悩んだりしなくて良いんだよ?」

 こちらも笑みだ。

 さて、と祐一は考える。どうしたものか、と。しかし、

 ―――ここまで言わせておいて、それでも考えなければいけないというのも・・・なんとも情けない話だな。

 こういう面に関してはどうにも踏ん切りが付かない。

 ・・・だが、二人はこうしてまっすぐこちらを見て、これだけのことを言ったのだ。ならば本当に、なにも悩む必要など無いのかもしれない。

 祐一は大きく息を吐いた。嫌味のない嘆息の後、祐一は参った、というように手を掲げ、

「あぁ、そうだな。それじゃあ―――悩むのは止そう」

 前に数歩を刻み、踵を返す。

 目の前、立ち並ぶ二人の少女に向き合い、祐一は言葉を紡ぐ。

「俺と・・・結婚してくれるか?」

 その言葉に、二人は微笑を持って強く頷いた。

「「もちろん」」

 祐一も頷き、空を仰ぎ見る。

 輝かしい青空の下、祐一は目を細め、

「それじゃあ、・・・ここから始めよう。新しい俺たちの国のスタートを」

「国の名前はどうするんですか?」

 有紀寧の問いに、祐一は即答する。

「カノン王国」

 少し驚いたような気配が伝わってくる。祐一は煌々と光を落とす陽に手を掲げ影を作りながら、

「新しい名前を付けるのが普通なんだろうが・・・。それは過去を塗り潰し全てを新しい物へと変える行為だ。

 だが、ここにある過去は俺にとっても、この国に住む者にとっても、そしてこれから生きていく者にとっても重要なものだ。

 だから消さない。過去は消さず、それを忘れることのないように、そして未来へ繋ぎ行くためにも、この国はカノンであるべきだ。

 それが、この国のために命を懸けてまで戦い抜いた者たちのためにもなる・・・・・・。違うか?」

 下ろした視線の先、二人の表情が答えを持っていた。 

 笑みだ。

 だからこそ祐一も力強く頷き、

「行こう。ここから。・・・始まりへ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い空間がある。

 闇だけが支配するような、暗黒の空間だ。

 そこを歩くのは一人の男だ。長い銀髪・・・いや、白髪と言った方が正しいだろうか、それを揺らせて男はただ歩く。

 片手には金色の剣を持ち、闇の奥を見据えるような隻眼を持った男は、しばらく歩いて動きを止めた。

「・・・俺に何か用か」

「あら、わかりました?」

 問いを投げかけた闇の向こう、笑いを含んだ少女の声が響き渡る。

 その声に男は眉を傾け、吐き捨てるように呟く。

「俺は俺で忙しいんだ。・・・用件があるならとっとと言ったらどうだ?」

「あら、これは失礼を。ですが・・・わたくしがここへ来た理由、もうわかっているでしょう?」

「・・・・・・」

 男は無言を返す。

 すると声はあらあら、と嘆息し、

「別に攻めているわけではありませんわ。あなたの目的とやり方は違っても・・・今回の件は結局我々の望む結果になりましたから。

 ・・・まぁ、あなたからすれば失敗、と言うべきでしょうけど?」

「なるほど。確かに今回の件はそちらの良いように事が運んだだろう。ならば、・・・それこそ俺に何の用だ」

「ええ、ですからそのお礼と―――神威、あなたを正式に誘いに来ましたの」

「―――」

 言葉に男―――神威は言葉を呑んだ。

 そして・・・失笑する。

「・・・さっきお前は言ったな。俺とお前たちの目的は違うと。そう、その通りだ。だから俺とお前たちが共にあることなどない。

 以前にも言った通りだ。俺はお前たちに関与しない。だから、お前たちも俺に関与するな、と」

「ええ、覚えていますわ」

「なら、無駄だと知れ。

 ・・・しかし、それを覚えていてなお来たということは・・・なにかあったのか?」

 すると初めて少女の声が途切れた。

 数秒という間を置き、再び声が響く。

「えぇ。カオス側の動きがなかなか・・・。あと朝陽の動きもよくわからずに厄介でしてね。

 それにそろそろ聖杯戦争もサーヴァントが召喚され始めていて、開始も間近です。・・・あまり手が回せませんの」

「なるほどな。奴らの動きを止める意味でも力が必要か」

「えぇ」

「しかし、お前たちはお前たちで力を集めているだろう?」

「あれらが使い道になるのはまだまだ先ですわ」

「・・・だろうな。まぁ、俺には関係ない。とりあえず奴らが俺の邪魔をするなら、容赦はしないがな」

「勇ましい事で。・・・ところであなたの駒はどうなりました?」

「ホーリーフレイムのジャンヌか? あれなら一応生きているよ。消滅する直前に空間から引きずり出した。

 あれにはまだ使い道がある」

「相沢祐一を殺すことに失敗したのに、まだ使い道があるのですか?」

「あるさ。いや、ホーリーフレイムの総帥としてのジャンヌに、・・・だがな」

 神威の表情が、笑みを象る。ククッ、と喉を鳴らし、わずかに視線を上に上げる。

「だが、そっちだってあれは手違いだろう? せっかくあの魔導生命体に手を加えたのに、相沢祐一の元に下ってしまったのだから」

「気付きました?」

「当たり前だ。あれだけのもの、カノン程度の技術力で作れるわけないだろう?」

「ですがまぁ、我々の目的―――相沢祐一を強くする事としては成功しました。・・・それ以降のことは関係ありませんわ。

 そして今回のジャンヌとの一件で更に・・・」

 ちっ、と神威は舌打ちする。

 神威の計画にとって、相沢祐一は障害以外の何者でもない。

 だが、自ら出向いて殺すことはまだできない。いまはまだ・・・姿を見せるわけにはいかないのだから。

「聖杯戦争は始まり、二つの鍵の一つである相沢祐一も成長している。後もう一つの鍵と、戦力を整えれば・・・土台は完璧ですわ」

「復活の儀、か。・・・それほどにミューギィを滅ぼしたいのか、お前は」

「当然ですわ。あれほどの力・・・あの方の復活無くしては対処などできませんから」

 ふん、と神威は鼻で笑う。

 瞼を閉じ、わずかに口元を歪ませながら、

「まぁ、せいぜい動き回ることだな。お前はお前の、俺は俺のする事をするだけだ。・・・だろう、テムオリン?」

 暗闇の中、向けた視線の先には白の影がある。

 全てを白で統一した服に、白髪。見た目十歳前後かというその少女は、しかし歳不相応な妖艶な笑みを浮かべ、

「そうですわね・・・。我々は、我々のすべきことをしていくだけですわ。・・・『秩序』の名の下に」

 少女―――永遠神剣『第二位・秩序』の使い手、法皇テムオリンは優雅にその闇から姿を消していった。

 神威もそれを見届け、再び歩を進めだし・・・消える。

 この世界を脅かす存在になる二人は・・・、

 だが、まだ表舞台には出てこない。

 

 

 

 あとがき

 はいはいー、神無月でございます〜。

 祝、カノン王国編終了っ!

 最後は最終決戦あたりの伏線消化でした。まぁ、この二人はそれこそラスボスクラスの実力の持ち主なので、しっかりとした出番は相当後でしょう。

 ってなわけで、いよいよ次は「キー大陸編」ですね。

 一国内ではなく、今度は国との間でのお話となります。

 では、おたのしみに。

 

 

 

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