不意に、懐かしい夢を見た。

 

 子供の頃の夢だ。

 

 どこまでも広がる草原。そこに自分と、自分を挟むようにして影が二つある。

 

 それは純白の翼を携えた母であり、漆黒の髪から隻眼を覗かせる父だった。

 

 だが、そこで気付く。

 

 いや、これは夢ではない・・・幻想(ユメ)なのだと。

 

 なぜなら自分は両親と一緒にこんなところに来た記憶がない。

 

 だからこれは幻想。自らが思い描いた都合の良い空想に過ぎない。

 

 だが、そこにいる子供の自分はとてもうれしそうに笑っていた。

 

 後ろを振り返れば、あいつも笑っている。

 

 だから、家族四人、皆が皆幸せそうに笑っていた。

 

 あぁ、なんという幻想だろう。

 

 こんな、ありもしなかった空想を夢に見るなんて、自分は今相当に参っているようだ。

 

 それとも、力が抜けたのだろうか。

 

 過去の清算を終えたことで。未来へ進める自分を祝ってくれているのだろうか。

 

 ならば、・・・それは良いことなのだと享受することにした。

 

 たまにはそんな空想も悪くない。

 

 だが、その幻想の最後。父親が厳かな顔でこう言ったのだ。

 

「過去の清算は、まだ終わっていない」

 

 それだけでわかった。

 

 そうか。まだ・・・残っていることがあったな。

 

 なら、こんな幻想に浸ってはいられない。

 

 さぁ、起きろ。未来を進むための・・・これが最後の戦いだ。

 

 

 

 

 

 神魔戦記 第五十六章

                  「相対のとき、来たれり」

 

 

 

 

 

 目が覚めたとき、視界には見たこともないような豪華な天井が映し出されていた。

「・・・どこだ?」

 しかも自分が寝ているこのベッドも、いままで使ったことのないような豪華なものだ。

「・・・なんだ?」

 記憶が追いつかない。自分はなにがどうなってこういう状況になったのか。

 思考にたっぷり十秒強。それで思い出したことは、

 ―――そうだ。北川潤と戦い、そして北川宗采王を討ち、リリスと戦って・・・。

 覚醒したのだ。だからこうして倒れたのだろう。とするならばここは・・・、

「カノンの王城の一室、か」

 と、納得した瞬間、

「あ」

 そんな声が響いた。

「あ?」

 誰かいたのか、と首を回す暇もない。その小さな影は凄まじいスピードで疾駆し跳躍すると・・・祐一の上に乗りかかった。

「かはっ・・・! な、なんだ・・・!? 敵か!?」

「やっと起きた。パパ」

「な・・・あ・・・?」

 目を瞬く。あまりに唐突なことに一瞬呆けてしまう。

 視線の先には、水色の短髪を靡かせてこちらに跨る少女がこちらをその黒い瞳で覗き込んでいた。

「・・・リリス・・・?」

「うん。リリス」

 少女―――リリスは頷きながら、小さく微笑んだ。

 その笑みに一瞬見惚れた。あのときはまるで表情というものがなさそうだったが、リリスは確かに笑っているのだ。

 が、

 祐一はすぐさま聞き捨てならない言葉を思い出した。

「待て。その・・・『パパ』、というのはなんだ?」

 ん、とリリスは小さく首を傾げ、

「栞に教えてもらった。リリスを守ってくれたり、リリスと一緒にいてくれると言ってくれたり、味方だと言ったり、いろいろ教えてくれたり。

 そういうのはまるでリリスのパパみたいだね、って。栞が。

 だからパパはリリスのパパ。そう呼ぶことにしたの」

 ―――栞・・・。余計なことを・・・。

 最初に心中で出た言葉はそれだったが、はたと気付く。

「・・・なんで栞と?」

「パパが寝ている間に仲良くなった。栞もリリスの味方。神耶も、杏も、佐祐理も、亜衣も、他の皆もリリスの味方。だから好き」

 どうやら自分が寝ている間に随分と話が進んでいるらしい。

 と、またリリスの言葉の中に気になる単語があるではないか。

「佐祐理・・・? それは倉田佐祐理のことか?」

「佐祐理は佐祐理だよ」

「なぜ倉田佐祐理が?」

「? 佐祐理は佐祐理だからリリスの味方」

 会話が噛み合わない。

 まぁ、それも仕方のないことだろう。リリスはまだ生まれたばかりであり、会話などもそう上手くできないに違いない。

 そう思うことにした。

 そして祐一にとっての救いの神が来た。

「リリスちゃーん? リリスちゃんどこー?」

「あ、亜衣。リリスはこっち」

「あ、良かった。リリスちゃん勝手にいなくなって―――」

 止まった。なぜか開きっぱなしになっていた扉からこっちに入ってきた亜衣は視線が合うと同時、一時停止のように完全に止まった。

 再起動までたっぷり五秒。そしていきなり高速であとずさり、

「―――って、うわわわぁ、あ、え、っと、もしかしなくてもここはゆ、祐一さんの部屋!?

 あ―――、こ、こういうときはなにを言えば・・・。ま、まずはやっぱりおはようございます!?」

「落ち着け亜衣。そして疑問形のあいさつはどうかと思うぞ」

「あ、・・・あはは、そうですよね。えっと・・・えーと、す、すいません。寝ているときに騒がしくしてしまって」

「いや、気にするな。起きたところにリリスが来たんだ。そのせいで起きたわけじゃない」

「そ、そうですか・・・。良かった」

「気にするな」

「リリスちゃんは少しは気にしてー!」

「?」

 小首を傾げるリリスと、うぅ、と項垂れる亜衣。

 そんな二人のやり取りに思わず笑みが浮かぶ。そのままいつまでも見ていたい気がするが、そうも言ってられないだろう。

「リリス。悪いがちょっと降りてくれ」

「うん」

 リリスがこちらからベッド脇にゆっくりと下りていく。それに合わせて祐一はなんとか上体を起こすことだけはできた。

 ―――さすがに起きたては、きついな。

 身体の節々が覚醒の反動で悲鳴をあげる。動かすだけで激痛が走るが・・・まぁ、それはいつものことだ。仕方ない。

「あ、寝てた方が良いんじゃ―――」

「いや、大丈夫だ。とりあえず、いろいろと聞きたいこともあるからな」

 少し痛みが引くのを待つ。そうしてふぅ、と小さく息を吐き、亜衣にもっと近付くように言う。

 さすがにベッドと扉の向こうでは距離がありすぎる。

「まず・・・俺はどれだけ寝ていた?」

「えと、そうですね。およそ二日でしょうか」

「二日?」

「はい」

 それは予想外の言葉だった。

 いままで覚醒を使った場合、その後丸一日寝込み、その後意識を取り戻してから約三日くらいは身体が言うことを聞かなかった。

 が、目覚めるのに二日も掛かったというのは生まれて初めてだ。

 ―――まぁ、今回はいろいろとあったからな。

 精神的な疲れから長く眠ってしまったのかもしれない。そう考えることにした。

「で、俺が眠っていた間いったいどうなっていた?」

「あ、はい。ええとですね―――」

 亜衣が語ったことは、それこそ目まぐるしいものだった。

 まずカノンの兵士たちは王が敗れたことによって戦意を喪失した。だが祐一軍は美汐やさくらの指揮の下、彼らを無駄に殺すことはしなかった。

 とりあえずいまはカノンの王城地下にある巨大訓練場で軟禁状態にしてあるらしい。

 そしてそこには美坂香里、倉田佐祐理、川澄舞、倉田一弥も含まれているという。

 一応祐一が起きるまでは、という美汐の処置であるらしい。カノン側もこれを承諾したと言う。

 王都の方もだいぶ混乱はあったようだが、こちらは下手に手を出せば暴動になりかねないということで放置されているとのこと。

 国を出る者も止めはしていないらしい。が、街を出て行った者はそれほど多くないという。

 おそらくいまはエア、クラナド、ワンのどれもが対シズクで必死になっていることを知っていたのだろう。

 で、リリスは神耶の計らいで他の仲間たちに紹介され、栞や亜衣などによって打ち解けていったという。

 リリスが倉田佐祐理と出会ったのは地下訓練場へ栞や茜と共に食事を運んだときのことだったそうだ。

 そのときリリスを人質にしようとした兵士を佐祐理が倒したことがきっかけのようだ。

 そこで佐祐理はリリスにとっての『味方』になったのだろう。

 北川潤は栞の治療魔術によって一命は取り留めたらしい。

 が、左腕はさすがに直らなかったようだ。どたばたで切断部分を忘れていった名雪のミスか、指示しなかった自分のミスか。

 ともかく潤は大量の出血をしたせいか、まだ目を覚ましていないとのこと。

 で、ついでに栞とさくら、美咲はオディロに搬送された真琴の治療のためにオディロへ向かっているようだ。

 封印解除に美咲が、治療に栞が行くのは良いとしてなぜさくらがと訊ねれば、

「なんでも、万が一のための補佐だそうですよ」

 だということだ。

 茜は祐一が起きるのを待っていたようだが、つい数分前にワンへと向かったらしい。

「祐一さんが起きたら、『おめでとうとお伝えください』と言われました」

 北川宗采が討たれ、祐一が王に変わったことを報告に戻ったのだろう。

「で、・・・時谷さんも祐一さんが起きるのを待ってたんですけど、こちらも数分前に出て行ってしまいました」

 どことなく寂しそうな笑みを浮かべて言う亜衣に、祐一はそうか、と小さく頷くに留めた。

 あまりここは触れないほうがよさそうだ、という判断からだ。

「あ、あと昨日の遅くにお客さんがお見えでしたよ」

「客?」

「はい。えっと・・・黒桐さん、という方が。あとお連れが二人」

「連れが二人?」

 一人増えている。まさか・・・藤林椋、ということはないだろう。

 ―――いや、幹也のことだからもしかしたらありえるか。

 まぁまず違うだろうが、と思いながらも言葉を続ける。

「で、その三人はいま?」

「昨日はお城に泊まっていただきました。いまは・・・きっと探せばどこかにいます」

 随分とアバウトな返答だが、亜衣もすべてを把握しているわけではないのだ。仕方ないだろう。

「あ、じゃあ目覚めたこと有紀寧さんや観鈴さんにご報告がてら探してきますよ」

「あの二人もこっちに?」

「そうじゃなきゃ亜衣もここにいませんよ?」

 それはそうだ。・・・覚醒の影響で頭の回転が遅くなっているのかもしれない。

「そうだな。それじゃあ、頼む」

「はい。行こ、リリスちゃん」

「リリスはパパといる」

「・・・リリスちゃん?」

 にこりと。笑いながら怒りの雰囲気を醸し出すという器用な真似をする亜衣。

 するとリリスは立ち尽くすこと数秒、ととと、と亜衣に近寄りその手をとった。

「・・・リリス、亜衣と行く」

「うん。リリスちゃんは良い子だねー」

 そのリリスの表情には、ほんの少しの怯えが見えた。

 だが、そんなやり取りは、

 ―――姉妹のようだな。

 もう上下関係はしっかりとしているようだが、まぁ、それはそれでオーケーだろう。・・・多分。

「では、行ってきますね」

 元気に言う亜衣と、それについて行くリリスの背を見て、自分が笑みを浮かべていることに気付いた。

 微笑ましい、とはこのことだろう。

「さて・・・」

 有紀寧と観鈴が来るのが先か。幹也たちが来るのが先か。

 どちらにしろもうしばらく時間は掛かるだろう。

 それまではもう少し寝ていようかと身をベッドに預け―――、

「あれ、寝るのかい?」

 ようとしたらそんな声が部屋に響いた。

「・・・幹也、か」

「うん」

 いつもの無邪気な笑みを携えて入ってきたのは黒桐幹也だ、後ろにはやはりそっぽを向いた両儀式がおり、さらには見知らぬ男がいた。

「すぐそこの廊下で亜衣ちゃんから祐一が起きたって聞いたから」

「そうか・・・」

「? あぁ、そっか。紹介してなかったね」

 幹也は祐一の視線に気付き、苦笑する。そして片手を上向けにして男の方へと向け、

「彼は杉並拓也。サーカス大陸では情報通で有名な人なんだよ。いま、例の件で手伝ってもらってる」

「杉並だ。あまり名前で呼ばれるのは好きではないので姓で呼んで欲しい」

「あぁ、わかった。では杉並と。

 ・・・で、お前たちがどうしてここに? なにかわかったのか」

 見上げる視線に、しかし幹也は力ない笑みで頬を掻く。

「わかったといえばわかった・・・のかな。とりあえず藤林椋さんを見つけられたわけじゃないんだけどね」

「どういうことだ?」

「うん。この件を調べていて、ちょっとおかしいことがわかったんだ」

「おかしいこと?」

 幹也は頷き、隣の杉並を見る。

 杉並はそれに伴い一歩を近付いて、

「俺が持っていた情報と黒桐の情報。その他の者たちの情報とを合致させて気付いたことなんだが―――」

 一拍。

「・・・『秩序が呼んでる』と言って消えた全ての者たちが、最後にはサーカス大陸で確認されている、ということだ」

「なに・・・?」

「目撃証言を目撃時刻順として並べると、動きに変則的なものは見られるが基本的に最終的にはサーカス大陸へ向かっているのだ」

「藤林椋さんも目撃情報順で並べるとクラナド王国の王都クラナドから国境都市ラドス。

 アストラス街道からカノンへ入ってエフィランズ。その後しばらく空いてアデニス神殿近く。そこからまた大分空いて再びクラナドの港町ウィゾンで目撃されてる。

 その後サーカス大陸のダ・カーポ王国内の交易都市ベイチャーで確認されたのが最後だよ」

「そして行方不明者の過半数以上の最終目撃場所はやはり交易都市ベイチャーだ。それ以後の目撃情報は誰もない」

 祐一は顎に手をやり思考する。

 ―――妙な話だ。

 幹也の情報収集能力は祐一も知るところだし、その幹也の仲間というだけでこの杉並という人物も信頼はできる。

 つまり、その合わせられた情報に嘘はない。

 問題は、その情報の中身だ。

 まず、なぜ藤林椋は王都クラナドから一気に港町ウィゾンへ行かず、一度カノンへ寄ったのか。

 もちろん寄ったからにはなにか目的があるのだろうが、それがさっぱり見えてこない。

 そしてもう一つ。『秩序』関連の行方不明者が皆サーカス大陸へ向かったらしいこと。

 なぜサーカス大陸なのか。それは簡単だ。行方不明になった者たちは『呼ばれた』わけだから、そこに呼んだ者がいるのだろう。

 だが、それがなぜサーカス大陸なのか。偶然にサーカス大陸なのか、それともなにかサーカス大陸でなければいけない理由でもあったのか。

「・・・駄目だな。情報が少なすぎる。推測や推察はいくらでもできるが、結局その域を超えられない」

 幹也と杉並が共に頷く。そして幹也が肩を下げ、

「まぁ、とりあえず今回はこれだけを言いに来たんだ。詳しいことはこれから調べるよ。サーカス大陸にも行くつもりだ」

「これだけ? これくらいなら水晶での連絡でも十分だっただろう?」

「ついでに祐一の様子も見ておきたかったんだよ。ほら、祐一って結構強情だからさ。

 声だけだと大丈夫じゃなくても大丈夫、って言っちゃうでしょ? だから直に見た方が良いだろうな、って思って」

 そう言って笑う幹也に、祐一は大きく息を吐く。降参、というように軽く両手を上げ、

「なんでもお見通しだな。幹也には」

「はは。伊達に祐一の親友やってないよ」

 うん、と幹也は頷き一歩分下がる。

「ま、とりあえず平気そうだから一安心。だから僕たちもそろそろ行くよ」

「あぁ、そうか。だが、何があるかわからない。・・・気を付けろよ?」

 幹也はその言葉に対し、ははっ、と笑うと、

「大丈夫だよ。僕は祐一と違って危なくなったらすぐ逃げるタイプだから」

 そうして手を振って幹也を筆頭に三人は部屋を後にしていった。杉並は出て行く前に会釈をしたが、式は終始こちらには無関心だった。

「ま、あまり視界には入れたくないだろうな。衝動も疼くだろうし」

 おそらくそれ以外にも彼女の人間性も多分に含まれているだろうが。まぁ、それはこの際置いておく。

 ふぅ、と一息吐けば―――急速にこちらに向かってくる気配がある。

 神族の気配だ。そして翼のはためく音も聞こえる。これは―――

「祐くーん!」

 観鈴だ。豪快に扉を開け放った観鈴は文字通り飛んできた。

 そしてそのままこちらへ滑空、ダイブしてくる。

「うわーん、祐くーん!」

「うお、ちょ、ちょっと待て観鈴! いきなり抱きつくな!」

「だって、だって、すっごく心配したんだよ? うん、心配」

「わかった。わかったから離れてくれ。・・・苦しい」

「が、がお・・・」

 しゅん、とした顔で観鈴は身体を離していく。その表情はいまだ心配そうにこちらを見下ろしていた。

 ―――そういえば、観鈴は俺の覚醒を知らないんだったな。

 だからこその不安であり、心配なのだろう。だからまぁ、

「あ・・・」

 その頭を小さく撫でた。

「すまん。心配掛けて」

「・・・にはは。うん。心配した」

 そして視線を巡らせれば、扉の手前に有紀寧も立っている。こちらの表情は笑みだ。が・・・それは安堵の笑み。

 だからか、祐一は少し意地悪な表情で言葉を放つ。

「お前も心配してたのか?」

「もちろんですよ」

 が、笑顔で返されてしまった。思わず苦笑。

 有紀寧はゆっくりとベッド脇にまで歩いて、眉尻を下げてこちらを見る。

「でも、栞さんのお話では起きてすぐに全快・・・というわけにもいかないそうですね?」

「あぁ。まぁ、これは仕方のないことだ」

 いままでもそうだったしな、と続けると二人の表情が少し落ちた。

 だから笑みを持って答える。

「大丈夫だ。副作用も後遺症もない。数日安静にしていればすぐに良くなる」

「数日・・・ですか。なら、こうして戦いも勝ったわけですから、大丈夫そうですね」

 笑顔での有紀寧の言葉に祐一は頷こうとして、

「――――――」

 しかし首は縦に動かなかった。

 不意に、思い出したのだ。・・・先程まで見ていた夢での言葉を。

『過去の清算は、まだ終わっていない』

 そして自分はそれに対して納得したのだ。

「・・・いや、まだ戦いは終わっていない」

「「え?」」

 首を傾げる観鈴と有紀寧。

 だが、確かに感じる。まだ微弱だが・・・こちらに向かってきている敵の気配を。

「すまんが二人とも。久瀬と美汐を呼んできてくれ」

 二人は一瞬互いを見合った。だがすぐにこちらに向き直り、

「わかった」

「わかりました」

 答えを返し急ぎ足で部屋を後にしていった。

 二人とも何が起こるのかまったく理解していなかったが、祐一の表情からなにかがあるのは確かだと判断した。

 そしてそうした動きを見せる二人を頼もしく思いながら―――祐一は遥か前方へと意識を向ける。

 扉を越え、壁を越え、街を越え、門を越え・・・・・その向こう。

 いる。

 気配を感じる。

 それは―――父親の仇の気配。

 

 

 

 王都カノン。その南側の門からさらに南に数千メートルの公道。

 そこに黒い壁が存在していた。

 ・・・否、それは壁ではない。人の群れだ。

 しかも人は皆、鋼に輝く鎧を着込んでいた。片手に剣を、片手に盾を持ち、顔全体を覆う兜には十字形の覗き穴がある。

 統率された人の群れ。隊列はびっしりと揃えられ、狂いはない。

 そしてその隊列のいたるところから旗が掲げられている。

 十字架のエンブレムだ。そしてこのエンブレムを知らぬ者など世界にそうはいないだろう。

 ホーリーフレイム。

 それがこのエンブレムの意味する軍団であり―――そしてこの群れの正体であった。

「感じる。・・・感じるぞ。魔の気配を」

 正面。部隊の一番前に立つ女性が呟いた。

 ウェーブの掛かった綺麗な黄金色の髪を風に靡かせ、鋼の鎧を着こなす女性はまさに神々しい雰囲気を放っていた。

 その女性こそ、このホーリーフレイムに創設者にして総指揮官、ジャンヌ。

 人は彼女を畏怖と尊敬を抱いて、こう呼ぶ。

 神の代行者、と。

 そして彼女こそ―――魔族七大名家と呼ばれていた相沢を葬った張本人である。

 ジャンヌは見る。遥か前方、いまや魔の街となった王都カノンを。そしてその先、その王城を。

 そこに、感じた。数年前に自分が殺した相沢と同じ血を引く者の気配を。

 思わず小さな笑みが浮かぶ。

「まさか・・・以前取り逃がした敵をこうして葬ることができるとは・・・これも我が神のお導きか。バイラル」

「はっ」

 バイラル、と呼ばれた男がジャンヌの傍に駆け寄った。

 ホーリーフレイムの幹部、バイラル。

 大柄な男だ。歳は三十台といったところだろうが、それでも漲る魔力はそんじょそこらの若者など超越している。

「あの情報、間違いはなかったようだな」

「そのようで。しかし・・・魔族同士でも争いはあるのですな」

「ふっ。魔族という野蛮な種族だからこそ、だろう。それに、我らはただ魔を滅ぼすだけだ」

「ジャンヌ様の言うとおりさ。アタイらはただ魔を滅ぼすだけ。なぁ、エクレール」

「そのとおりですわ。この世界から魔を駆逐する。それがわたくしたちのすべきこと」

 ジャンヌに続くように声を放った女は、同じくホーリーフレイム幹部のアイレーン。

 優に二メートルはありそうな身長だ。巨大な剣を肩で担ぎ、隣の少女を見下ろしている。

 その青い短髪の少女もホーリーフレイム幹部であり、名をエクレールという。

 年の頃は十六、七というところか。だがその表情には自らの力に対する絶対の自信が伺える。

 そんな三幹部に頷きを返し、ジャンヌは肩越しに後ろを振り返った。

 ホーリーフレイムの兵士が並ぶその手前、明らかに周囲から浮く存在がいる。

 皆のような鎧ではなく、着物を着崩した少女だ。エクレールとほぼ同い年くらいだろうか。だがエクレールとは違ってまるで表情というものを感じさせない。

「伊織」

 ジャンヌに呼ばれ、少女―――伊織がゆっくりと視線を合わせる。

「・・・・・・・・・なんでしょう?」

「良いか? お前の動き如何であの深雪とかいう女の処遇は決まる。心しておけ」

「・・・・・・わかっています」

 伊織はただ頷くだけだ。その間にも表情に動きはない。

 だが、そんなことはジャンヌにとってどうでも良いことだ。要は動いてさえくれれば良いのだから。

「さて、行こう」

 進軍する。

 倒すべき敵の下へ。

 相対の時は・・・近い。

 

 

 

 あとがき

 はい。神無月です。

 今回はカノンとの決戦のその後・・・であり、カノン王国編ラストのホーリーフレイム戦の序章であります。

 次回からいよいよホーリーフレイムとの戦いが始まります。

 カノン王国編最後でもあるので、豪華にいきます♪

 お楽しみに。

 

 

 

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