神魔戦記 第四十八章

                   「ワンの使者」

 

 

 

 

 

 トントン、と小さな音が鼓膜を振るわせた。

 その小さな音に、祐一は閉じていた瞼を開ける。

 窓から覗く空は赤い。どうやらいまは夕方で・・・少しの間眠ってしまっていたようだ。

 明日がカノンとの決戦だというのに・・・。いや、だからこそ寝てしまったのだろうか。最近は確かに少し寝不足気味だった。

 と、再びトントンと、二度。それがノックであると気付き、祐一は入れ、と声を掛けた。

 そして入ってきたのは美咲だった。が、浮かべる表情にどことない緊張感があるのがわかる。

 なんだ、と疑問に思いつつ言葉を待つと、

「あの・・・ご主人様にお会いしたいという方が来ているのですが・・・」

「ほぉ。誰だ?」

「それが―――」

 次に放たれた言葉を聞き、祐一も思わず目を見開いた。

 確認のために、確認する。

「・・・ワンの者、だと?」

 が、美咲はやはり頷くのだった。

 

 

 

 夕焼けの赤が砦の中に差し込んでいる。

 その一室。客間なのだろう。そこそこの広さの部屋に一人の少女がいた。

 少女は 中央に並ぶソファにではなく、窓の傍に立ち、ただ夕焼けを眺めていた。

 儚げな視線。黄昏を感じさせるその風体は、ある意味神秘的にも見えた。

「・・・どうしました?」

「いや。ワンの者が来ているというから来たんだが・・・なにをしているんだ?」

「夕焼けを見ているんです。カノンはワンより空が綺麗ですから、夕焼けも綺麗だと思ったので」

「そうか。まぁ、カノンは雪が多い国だからそう晴天な日もないが、雲のない日は夕焼けや星も綺麗に見えるだろうな」

「そうですか。ここ最近は雲が多かったですから、そういったものは見れなかったもので。では、今日の夜はさぞ星空が綺麗なんでしょうね」

 そこまで言って少女は振り返る。

 扉側。腕を組み壁に背を預けてこちらを見ている一人の青年がいる。

 オディロを占領した軍の長、相沢祐一だ。

 そこにいるだけなのに感じる存在感、威圧感というものを少女は祐一から感じた。風格、とでも言おうか。

 祐一は背を壁から離すと、中央のソファへと近付いていく。

「まぁ、座れ。俺に話しがあるんだろう? 立ったまま話すわけにもいかないしな」

「はい」

 促され、少女は祐一の対面に座り込む。いまは畳んである傘を横に立て、少女はゆっくりと一礼をした。

「紹介が遅れました。私は里村茜。ワン自治領で外交官をしています」

「ワンの外交官・・・ね。で、その外交官が俺に何の用だ?」

 少女―――茜は一度頷き、

「遠まわしなのは好きではないので、率直に。あなた方はもしカノンを討った場合・・・その後どうするつもりですか?」

 その言い回しに、祐一は小さく眉を傾ける。

「・・・待て。その言い回しだと・・・ワンはカノンが潰れることに関してはどうとも思っていないのか?」

「はい。ワンは別段カノンと・・・またクラナドやエアと同盟を組んでいるわけではないので、国内でのいざこざに首を突っ込む気はありません。

 それに少々加えれば、昨今のカノンのワンに対する態度は許容範囲を越えています。こちらとしても助けようという気も起きません」

「ほう。カノンはまた、ワンにいったい何をしたんだ?」

「・・・それはいまは関係のない話です。良ければ返答をお聞かせ願えないでしょうか?」

 祐一は腕を組み、背をソファに沈み込ませる。一拍の後、視線を茜に向けて、

「一つ聞かせて欲しい」

「なんでしょうか?」

「俺たちがそれをお前に―――いや、ワンに言わなければいけない理由はなんだ? どこにある?」

 茜は頷いた。当然の質問でしょう、と。

「カノンを討つまでは、カノンの中だけの話ですので、我々の関与するところではありません。

 ・・・が、あなたたちがカノンを落とした後は別問題です。その後の行動如何によっては我々にも火の粉が降りかかるかもしれないですから」

「それはわかる。だが、それを言う必要が俺には見えてこない」

「そうですね。そこに強制力はありません。

 ですが、考えてみてください。あなた方が何を目指すのか知りませんが、もしそれにワンが賛同するのなら・・・」

 ピクリ、と祐一の表情が揺れる。

「・・・同盟を結ぶ、というわけか」

「あくまでそういう可能性もある、という話です」

 ―――なるほど。それならこちらにも利はあるかもしれない。だが・・・、

「俺たちは魔族だぞ? それと同盟を組もうとするのか、ワンは?」

「私たちは種族による明確な区別をしていません。エアやクラナドと荒波を立てないよう宣言こそしていませんが、ワンにははぐれの魔族も神族も住んでいます。国王もそれを承知しています」

 ―――国王・・・折原浩平か。

 かなり奔放な性格をしていると聞く。そしてとても一国の王とは思えない者、とも。

 だが、国民からは慕われているようだ。そういう話を留美から聞いたことがある。

「だからワンはあなたたちを種族どうこうで批判するつもりはありません。が、答えを聞いてない以上肯定もしません」

 祐一は頷く。正しい判断だ、と。

 種族がどうだから正しい、悪いという決め付けのない国。善い奴は善い、悪い奴は悪い。そう判断できる国に、祐一は少しばかりの好感を抱いた。

 ならば答えても良いかもしれない。同盟・・・を組むとまではいかずとも、それ以降の行動にワンが手を出してこないだけでも助かる。

 だから祐一は口を開いた。

「俺たちはカノンを討ったら・・・新しい国を造ろうと思っている」

「新しい国?」

「あぁ。・・・神族、魔族、人間族、獣人族、エルフ、スピリット・・・。差別や偏見のない、全ての種族が共存できるような国を、な」

 一瞬の間の後、茜は驚くことなくなるほど、と頷きを見せた。

 その反応に逆に祐一が面食らってしまうくらいで。

「・・・驚かないのか?」

「驚いて欲しかったのですか?」

「いや、そういうわけじゃないが・・・」

 クスリ、と笑みの音が聞こえた。

 見れば、いままでわずかでも表情を崩さなかった茜が笑みを浮かべている。微笑という笑みを。

「私は外交官。これでも人を見る目は確かだと自負しています。あなたが先程語ったときの瞳は、とても真摯なものでした。

 だから私はあなたが本当にそんな世界を望んでいるのだと信じます」

「・・・おかしな奴だな、お前は。いや、それともワンは皆お前みたいな感じなのか?」

「さて、どうでしょう。少なくとも王と一緒にされては困りますね。悪い意味で」

「・・・ははっ」

 思わず笑みがこぼれた。ワンとは、なかなかに面白い国であるようだ。

 ふと思う。

 もしも自分の生まれた国がエアでなくワンで・・・。あるいはエアから逃げ出した先がカノンではなくワンだったら・・・もしかしたら現在は変わっていただろうか、と。

 だが、すぐに首を横に振る。もしもの話など、考えることではないのだと。

「まぁ、真偽はそれで良いとしても・・・どうして全種族共存を目指すかは聞かないのか?」

「それは・・・まぁ、なんとなくわかりますから」

「わかる?」

「はい。・・・失礼ながら、こちらで少しあなたのことを調べさせていただきました。

 詳しく、とまではいきませんが大まかにはあなたの生い立ちを理解しています。

 そして、それを知った上で言わせてもらえれば・・・、復讐を望むのも、共存を望むのも、ある意味で正しいでしょう。

 そして別の言い方をすれば、望むべき場所はそのどちらかしかないでしょう。

 言うなれば、私はあなたがどちらを取るかを聞きにきたようなものですから」

 でも、と茜は続け、

「あなたが共存を取ってくれて良かったです。復讐を取っていたら、きっとカノンを下した後我々とも戦うことになっていたでしょうから」

 だろうな、と祐一も思う。

 特にその場合エアやクラナドとの衝突はひどかっただろうな、と推察する。

 ―――ま、いまのままでも戦うことに変わりはないだろうが、な。

 それでも多少は違うだろうか、と考えるも、

 ―――それがわかるのは目の前に迫った戦いに勝ってからだな。

「それで? 結果を聞いたお前はどうするんだ?」

「まぁ、どちらにせよいまどうこうする気はこちらにありません。ですが―――」

 茜はそう言うと、すくっと立ち上がり、

「しばらくこちらに置いてもらっても良いでしょうか?」

 なんてことを言い出した。

 なぜ、という問いを祐一が放つ前に茜が再び言葉を紡いだ。

「見届けさせてもらいます。あなたの―――いえ、あなたたちの戦いを。

 ですが誤解なさらないでください。これは―――」

「仲間になるわけじゃない、だろ?」

 茜が頷く。

「カノンと戦うまでは国内の話だからな。お前たちは関与しない。そうだな?」

「それもありますし、まだあなたたちが勝つと決まったわけでもありませんから」

「だな」

 祐一も頷きを返す。

 別にその判断を卑怯とは思わない。ワンは大陸内の他の三国に比べて立場が弱いのだ。

 仮に他の国と同等の戦力を持っていたとしても、束で掛かられたらたちまちに潰されるだろう。・・・昔のムーン王国のように。

 そうしてすぐ納得の色を見せた祐一に、茜が小首を傾げる。

「驚かれないんですね」

「驚いてほしかったか?」

 少し皮肉っぽく祐一が問いかける。

 すると茜は一瞬キョトンとして、しかしすぐに微笑し、

「いいえ」

 首を横に振った。

「あと、これだけは言っておきます。この話は外交官である私個人の話であり、ワンの決定ではありません。

 ですが、あなたが誠意を見せてくれた以上、あなた方がこの戦いに勝利した暁には、私も全力でワンと掛け合いましょう。

 ・・・まぁ、王のことですから答えなど見えていますが、ね」

 最後もまた微笑で飾られた。よほど自国の王を信頼しているようだ。

 そんな茜のために部屋を用意させようと連絡用の水晶を袖から出して・・・しかし動きを止めた。

 その前に、祐一は茜に言いたことがあった。だから見上げ、口を開き―――、

「一つ頼みがある」

「一つ頼みごとがあります」

 ・・・台詞が重なった。

 一瞬の沈黙の後、茜が先に動きを見せた。

「・・・お先にどうぞ」

 押し問答をする気はない。ならば先に言わせて貰おう。

「頼みがある。カノンに戦いを挑む軍の長としてではなく、個人的な頼みだ」

 そこで一度区切る。そして、

「この砦には俺の仲間が大勢いる。なかには非戦闘員もいる。もちろんそいつらは明日の決戦には連れて行けない。だから残していく。

 ・・・が、もしもここへ誰かが襲撃なんかをしてきたら、お前が助けてやって欲しい」

 この茜という少女にかなりの戦闘能力があるのはわかっている。

 なぜなら終始、隙が見当たらない。仮にいまこの場で強引に襲いかかったとしても、殺せはしないだろう。そう思わせるほどの。

 だから、そんな茜に言う。

「明日は決戦。戦える者は皆カノンへ向かう。だからどうしてもここは手薄になる。そこを狙われないとも限らない。・・・頼めるか?」

 確認に、しかし茜は頷かない。

 祐一とてわかっている。

 先程茜は言ったばかりなのだ。他国のいざこざに首を突っ込むつもりはない、と。

 これもまた、ワンとはまるで関係のない話だ。彼女が守る意味もない。

 そして茜は逡巡し。

「・・・では、先にこちらの頼みごとを聞いてもらいましょう。答えはそれからで」

 答えより先に来たその台詞に、祐一はなんとなくこの頼みごとがどういった類のものか納得できた。

 すなわち・・・これも安易に頷けない頼みなのだろうということを。

「北川潤王子を、殺さないでいただきたいのです」

 ―――やっぱり、そういう類か。

「なぜ? 普通国を潰すということはその王家を潰すということと同義だぞ?」

「わかっています。わかっていて、敢えて頼んでいます。

 最近のカノンは確かに腐敗してきています。が、それは王が病に倒れたことで元老院が幅を利かせているに過ぎません。

 一度お会いしただけですが、北川王子はとてもまともなお方であり、現状を憂いていました。・・・彼は死すべき人ではないと考えています」

 ですが、と前置きし、

「もちろんこれは私個人の頼みであり、ワンの外交官としてのものではありません。

 また、これを受けないからといって先程の話がなくなるわけでもありません。そこは前以て言っておきます」

 停まる声に、祐一は目線だけを寄越す。

 ―――あくまで公私混同はしない、か。

 尊敬に値する。簡単なようで、それを実際に出来る者は少ない。自分の地位を利用してなにかを得ようとするものは、五万といるのだから。

「ならば俺は自らの頼みを言い、そしてお前の頼みを聞いたうえでこう答えよう。―――考えておく、と」

 茜は頷いた。

「妥当でしょう。そして私が答えるべき言葉も・・・あなたと同じです」

 だろうな、と祐一も思う。

 自分の立場とすべきことを考慮すれば、ここは少なくとも互いに首を横に振るべき場面だ。

 が、同じような条件の提示を互いに頼まれたいま、それを断るわけにもいかない。

 だから、考えておく。この答えが出るのだ。

 それの意味するところは―――そういう状況になってから判断する、ということだ。

 互いに卑怯とは思わないし、情けないとも思わない。これは仕方のない返答だ。

 だが・・・、と思う気持ちがある。

 だから祐一は腰を上げ、茜を見やった。

「しかと見届けろ。ワンの外交官として、そして里村茜として。明日の戦いを」

「そうさせていただきましょう。あなたの戦い様、そして想いを」

 互いに表情には微笑が浮かんでいる。

 そして・・・夜が来る。

 戦いは―――もう目の前だ。

 

 

 

 あとがき

 うい、神無月です。

 間章より先にこちらができあがってしまいました。なんだかなぁ。

 というわけで、決戦より前に間章入ります。ちなみに時谷です。よろしく。

 では、次回にー。

 

 

 

 戻る