神魔戦記 第四十四章
「来訪者」
暗い空間がある。
小さな部屋だ。質素、というよりほぼ物がないに近いその部屋に唯一あるものは机と椅子、そして机の上に置かれる諸所の書類、湯気を立てるコップ、そして青く小さく輝く水晶だった。
その水晶は呪具だ。連絡用の呪具として最もポピュラーなものである。が、これは二つワンセットであり、そのセットである水晶としか連絡が出来ない。
最近ではこれを全域、判別なしに連絡が取り合えるようなシステムも研究中との事だが、それを確立したと言う話は聞かない。
まぁ、当面はこれだけで十分だろう、と水晶を眺める祐一は思う。
『少々時間は掛かりましたが、オディロ、陥落しました』
「そうか。ご苦労だったな、美汐」
水晶の向こうで美汐が一礼を向ける。
美汐には先日、時谷や浩一と百人ほどの兵を引き連れてオディロの占領を任せていた。
先日の戦いによりオディロの兵士はほぼ壊滅状態になっていた。砦に残っていたのも百人に満たないほどの人数であることは使い魔によりわかっていたので、こうして美汐たちに先行させた。
「時間が掛かった理由は?」
『砦内の罠の除去に、思いの他手間取りました。我が軍には盗賊関係の者がおりませんので、こういった戦術を取られると少々・・・』
「そうか。そうだな・・・」
機会があればそういう人物を仲間にした方が良いか、と祐一は思案する。
『あと、降伏した兵は主様の言われたとおり殺さずに捕らえております。
さらにオディロの住宅地には人は一人もいませんでした。皆王都へ避難したものと思われます』
「そうか。・・・まぁ、その方が都合は良いな」
祐一は頷きを返し、
「では、引き続き俺たちが行くまで砦の防衛を任せる。まぁ、いまのカノンに攻めるだけの兵の余裕はないと思うがな」
『私もそう思います。ですが、万が一ということもありますので、気を引き締めて防衛に当たります』
「あぁ。俺たちはアーフェンの部隊がやってきたらそのままオディロへと北上する。そして・・・」
『決戦、ですね』
「あぁ」
やっとか、と思う反面・・・もうか、と思ってもいる。
オディロで陣を取り、戦の準備をすれば・・・もうカノンとの決戦はすぐだ。
もうその先の目標も据えた。思いもある。意気込みもある。力もある。そして、
―――仲間もいる。
負けない。それは過剰な自信ではない。それは、誓いだ。
祐一は一つ大きく息を吐き、向き直る。
「遅くとも明日の夜にはそっちに着くだろう。それまでは頼む」
『はい。お待ちしています』
その言葉と同時、水晶から輝きが消えた。
ふぅ、と息を吐く。そしてそのまま口を開く。
「さくら。人の私室に入るときはノックをしろ。昨日もそうだが。あと無闇に気配を消すな」
「テントにノックってどうしろって言うのさー。あと気配はちょっとしたお茶目。気付いてるから関係ないっしょ?」
「む・・・」
そうか。ここは残っていたカノン軍関係の施設を少し改装したものだが、昨日いた場所は陣の中だ。ノックはできない。
やれやれ、と息を吐く。そのまま椅子ごと反転させ、さくらの方を見やった。
「それで、今日はどうした?」
「ん、用件は二つ。まず一つ目・・・。観鈴さんだけど、まだ目覚めないって。シズクの傷は大したことじゃないみたいだけど、よほど精神的に張り詰めてたのかまだ疲労でぐっすり寝てるって栞ちゃん言ってたよ」
「・・・そうか」
観鈴が自分たちのもとへ来ていると知ったのはエアとの戦いが終わった後だったが、その頃にはもう観鈴は眠りについていた。
懐かしい顔、懐かしい匂い。全てがあの幼少時代に戻ったかのような、そんな気分に一瞬させられた。
だが、話をするのは・・・もう少し先らしい。
「それで、もう一つは?」
「亜衣ちゃんの件。祐一はどうしたいの? 彼女、戦闘要員になりたいみたいだけど・・・」
「・・・さて、どうしたもんか。確か武術なんて経験ないんだろう?」
「うん。格闘技の経験一切無し。そして魔力完全無効化の能力者は自分の魔力も発現できないから魔術も使用不可」
確かに魔力完全無効化の能力者は戦闘で役立つだろう。というか、戦闘するにあたってこれほど有効な能力もそうはない。
だが、格闘も駄目。魔術も駄目ではとても戦闘では使えない。
「で、まぁ提案なんだけど」
「ん?」
「もう一度亜衣ちゃんも連れて黎亜さんの図書空洞行ってみればどうかな、と思って。あそこには魔導書以外にもかなりの数の文献もあったし。
もしかしたらなにか有効なものが書いてあるかもしれないし、そうでなくても黎亜さんならなにか知ってるかもしれないから」
「そうか・・・。そうだな。でも、亜衣はどうする? 『選別者』があるんだぞ」
「あぁ、それなら心配いらないと思うよ。『選別者』と言えど所詮魔力で編みこまれた結界。魔力を無効化する亜衣ちゃんなら楽々素通りできるよ」
なるほど。どれだけ強力な結界と言えど所詮魔力は魔力。亜衣にとってはそれは全て無意味なものに成り下がる。
「でもさ、いまのみっしーとの話を聞くに、そろそろオディロ行くんでしょう? なら、その前に言っておいた方が良いと思うんだ。
ここからの方が図書空洞は近いし、アーフェンの人たちが来るまで時間もあるしね」
「そうだな。それじゃあ、いまから行くか。・・・亜衣は動けるのか?」
「うん。もう平気みたい。まぁ、亜衣ちゃんも観鈴ちゃんと一緒で精神的なものが大きいって言ってたし。昨日のことで吹っ切れたみたいだよ」
強い子だ、と祐一はつくづく思う。自分は両親が殺されたとき、果たしてそうやってすぐに起き上がれていただろうか。
答えは否、だ。だからこそ、亜衣は強いと思う。
そしてその強さを欲しいとも思う。
「そうだな。彼女の力を探しに行こうか。これから」
「うん。亜衣ちゃんのためにもね」
そうして祐一が腰を上げ―――それとほぼ同時、軽い音が二つ、部屋に響き渡った。
ノックだ。一瞬祐一とさくらは顔を見合わせ、祐一が扉の向こうの者に入るように促す。
恭しく頭を下げながら部屋へ入ってきたのは美咲だった。そして顔を上げ、
「お話中のところ申し訳ありません。ご主人様、お客様が見えています」
「客・・・?」
「はい。黒桐幹也様、と名乗る方とそのお連れ様が」
「幹也。そうか来たのか。・・・すまん、さくら。亜衣の件は後にしよう」
「うん。わかった」
「あと美咲。杏も呼んできてくれ」
「はい、わかりました」
一人先に部屋を出た祐一は、さて、と息を吐く。
「およそ七年・・・いや、六年振り、か」
はぁ、と彼女―――両儀式は盛大にため息を吐いた。
いま彼女がいるのはメイドのような格好をした魔術師に通された客間・・・とも呼べない客間だった。
確かに広い。が、所々埃が被っているし、なにより物がない。しかも壁や天井には亀裂が走っており、いまにも死にそうだ。
式や彼女の同行者―――というか同行しているのは自分だが―――の青年、黒桐幹也の座っているソファも申し訳程度に備え付けられた代物。
まぁ仕方ないか、と式は思う。
彼女たちがこの街に着いて見たものは、それはもうひどいものだった。
街の部分部分では大きなクレーターが生じており、設営された陣にはおびただしい数の怪我人が跋扈していた。
それはまさしく戦場跡。つい数日前にはここで戦闘があったことの証明だろう。
だが、式がため息を吐いたのはこんな場所に通された待遇の悪さでもなく、また戦闘の後の悲惨さではない。
むしろそういった物とは百八十度別世界の住人であるはずのこの隣に座る男、幹也がそんな戦いを巻き起こす張本人と会いたがっているという、その事実に・・・だ。
街の光景や、通り過ぎていく怪我人を見るたびに表情を顰めたり、悲痛そうな瞳を浮かべるのはいつもの幹也だ。
だが、ここに着くなり幹也の表情にそれ以外のものが浮かび始めた。それは・・・そう、『楽しみ』とでも表現すれば良いだろうか。
なんとなく、それが気に食わない。
「おい、幹也」
「ん? なんだい、式」
「・・・いや、なんでもない」
変な式、と小首を傾げる幹也に、式はフン、とそっぽを向く。
・・・その振り向いた表情がなんとなくにこやかで、無闇にムカついただけだ。
と、ガチャリという音が部屋に響き渡った。
釣られるようにして式と幹也の顔が音の方へと向かう。
扉を後ろ手に閉じ、黒い外套を靡かせて、男が立つ。目に掛かる程度の黒髪が緩やかに揺れ、研ぎ澄まされた視線がこちらに向けられた。
圧倒的な威圧感、そして存在感。殺気でも魔力の圧力でもないそれらを撒き散らし、その男はただゆっくりとこちらへ近付いてくる。
―――こいつ・・・。
思わず式はわずかに腰を上げてしまった。隣で幹也が怪訝な様子でこちらを見上げるが、気にしない。
一瞬見て、式は気付いたのだ。
―――こいつ、オレと同じ・・・いや、似ている。
「あんたが相沢祐一・・・って奴か」
「ああそうだが・・・。お前は?」
「幹也の・・・同伴者だ」
「俺は名前を聞いたつもりだったんだがな?」
「・・・両儀式だ」
「両儀・・・? まさかお前、あの退魔の一族の・・・?」
「あぁ。そうらしいな。オレの知ったことじゃないけど」
「そうか。で・・・両儀?」
「式で構わない。姓を呼ばれるのは好きじゃないんだ」
「そうか。では式・・・。そろそろその強烈な殺気をしまってはくれないか?」
「あぁ、すまん。ついな。・・・あんたのその気配にオレの衝動が疼いちまって」
そう言うと式はゆっくりとソファに腰を沈めこんだ。腕を組み、瞳を閉じ、まるで「あとは勝手にやれ」と言わんばかりだ。
そんな様に苦笑を浮かべた幹也が、祐一へ振り向く。
「ごめんね、祐一。式はいつもこんな感じだから」
「まぁ、別にお前の友人関係に俺が口を出すこともない。気にするな。俺は気にしてない」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
すると幹也は笑みを浮かべた。そして一度頷き、
「うん。でもまぁ、なにはともあれ・・・久しぶりだね、祐一」
「あぁ、そうだな。幹也」
互いに苦笑。そして、
「まぁ、あれだね」
「俺たちにはこういうのは似合わないな」
二人から見て対面の席に祐一が腰を下ろす。
「お前はあまり変わらないみたいだな。まぁ、なかなか特殊な人物には恵まれているようだが。・・・鮮花は元気か?」
「うーん、どうだろう。あれを元気と言うのかどうなのか・・・。まぁ、普通に育ってるよ。平和にね」
「平和・・・か。そうだな。ムーンプリンセスはフェイトと戦争中とはいえ、内陸までは戦火は来ないか。・・・奴がそんなことさせるわけもないな」
「まぁ・・・ね。でも、あれだよ。君のせいで鮮花、魔術に興味を持っちゃって・・・、いま橙子さんの下でなんか色々とやってる」
「へぇ、あの鮮花が・・・。だが、鮮花が魔術に興味を持ったのは俺のせいかもしれないが、それを習おうと思ったのはお前のせいだろう?」
「え、なんで僕のせいなのさ」
「・・・いや、言わないでいおこう。下手なことを言ったら鮮花に小言を言われそうだ。それに・・・お前も相変わらず鈍感なようだしな」
「むっ。それってどういうことだい、祐一?」
「そのままの意味だがな」
二人の間に和やかな雰囲気が流れる。それはまさに長い間会うことができなかった友人の懐かしむ語らいであった。
が、それもすぐに終わる。幹也の表情がどこか悲しげなものに変わったためだ。
「・・・ここに来るまでに、見てきたよ。街・・・だいぶ壊れてた」
「・・・あぁ。ここが戦場にもなったしな」
「戦争を、してるんだね」
「あぁ」
「まだ、祐一の心は復讐にあるのかい?」
「否定はしない」
「これは、復讐のための戦い?」
「そうだな。だが・・・」
「だが?」
「―――最近、その先を見つけた」
幹也が無言で先を促す。
「・・・カノンを倒したら、俺は国を造る。種族の垣根などない、・・・全ての種族が共存できるような、そんな国を・・・造ろうと思う」
「祐一・・・」
「いろんな者の助けと支えを得て、俺はここにいる。こうしていられる。そしてその目標も、その過程で見つかったものだ。
だが、その根源にはお前がいる。昔、お前が俺に言ってくれた言葉だ。覚えているか、幹也?」
「もちろん」
いまでも鮮明に思い出せる、あのときのこと。
自分とあゆがある者に引き取られ、そこで修行を積んでいるとき。一人の、同じ年くらいの少年に出会ったこと。
そしてその初めて会ったはずの少年は、やにわにこう言ったのだ。
『一人じゃ何も出来ないよ』
あゆという少女が共にいながら、師事する者もいながら、はぐれた仲間もいながら、それでもそれを見失い無我夢中で復讐のための力を磨いていた祐一に、その言葉はひどく響いた。
『困ったときは誰かに頼って良いんだよ。苦しいときは誰かに助けてもらって良いんだよ。
一人の強さは強さじゃない。一人じゃ出来ないことも、何人も集まればできるようになる。
だからさ、そんな目はしない方が良いよ』
少年は、とてもにこやかにそんなことを言ってのけたのだ。それが・・・おかしな人間族、黒桐幹也との付き合いの始まりだった。
「―――お前のその言葉が、いまの俺に繋がっている。こうして得た夢も、スタートはそれだ。
だから幹也。お前には感謝している。いろいろと助けてもらった」
「・・・祐一」
「お前は戦いを嫌うよな。殺しなんてもっての他だ。だけど・・・俺とお前は違う。お前はお前の道を望め。俺は俺の道を望む。
俺の道に戦いは必須なんだ。だから幹也俺は―――」
「それ以上言わなくても良いよ、祐一。わかってる。君が進むには戦いが必要なんだろ?」
頷く祐一に、幹也は力ない笑みを浮かべる。
「人が死ぬのは見たくないし、人が戦うのも良くないとは思うけど・・・。うん、でもそのために生きる人もいるし、生きようと望む人もいる。
わかってるさ、祐一。僕は君を信用してる。だから・・・君のすることに口を挟むようなことはしない」
「・・・ありがとう」
祐一の礼の言葉を聞き、幹也は思わず笑みを浮かべる。ちらりと横にいる式を見やり、そして視線を戻す。
「祐一はさっき、僕が昔から変わってないって言ってたけど・・・祐一は変わったね」
「・・・そうか?」
「うん」
―――とても素直に、そして柔らかくなったよ。
その言葉は喉の奥に封印した。言ったらきっと否定するだろうし、口に出す意味もないだろう、と。
それに、隣に座る少女が皮肉と受け取らないとも限らない。
自分の思考に思わず小さな笑みを作り、そして幹也は体勢を直す。背筋を伸ばし、そして少し表情を真剣なものへと変え、話をする姿勢とする。
「ま、とりあえず本題に入ろうか祐一。僕に探して欲しい人がいるんだろう?」
「あぁ。受けてくれるか?」
「もちろん。そうじゃなきゃこんなカノンくんだりまで来ないよ。・・・で、探す相手っていうのは?」
「それなんだが・・・少し待ってくれ。探して欲しい人物の関係者がじきに来る」
小首を傾げる幹也の横、いままで目を閉じていた式が片目だけを開け、
「もう来てるじゃないか」
同時、音が来た。ただ響かせるだけの無節操なノック音。そして扉が開けられ、入ってくるのは背中まで届く紫の髪を揺らせた少女だった。
「ごめん。少し遅れた・・・って―――」
そこで彼女、杏は祐一の向こう側に自分の知らない人物を見て思わず口の動きを止める。
それが見知らぬ者がいたことでの反応だといち早く気付いた幹也が、腰を上げて小さく会釈する。
「どうも、はじめまして。僕は黒桐幹也。こっちは両儀式。よろしく」
「え・・・えぇ。よろしく」
少々面食らったようにたじろぎ、杏は無言で祐一を見る。
説明を求めている、というのはわかる。だから祐一はただ自分の隣を指差した。「まぁ、座れ」という意味で。
杏はそれに従い祐一の隣へと腰を下ろす。そうして祐一は幹也に視線を向ける。
「こいつがお前に探して欲しい人物の関係者だ。で、杏。こいつがお前の妹を探してくれる人探しのエキスパートだ」
互いにどういう立ち位置の人間であるかを伝える。それで杏は納得の頷きを見せ改めて会釈を返した。
「挨拶が遅れてごめんなさい。あたしは藤林杏」
「よろしく。それで探して欲しい人って・・・妹さん?」
杏が頷きを返し、服の脇から写真を取り出しそれを幹也へと渡す。
「へぇ、写真なんて珍しい。それに、写ってるのは・・・」
「あたしとあたしの双子の妹の藤林椋。あたしたちはクラナド軍にいたんだけど、三週間くらい前に突然消えたのよ。
椋はクラナド軍魔術師団長だから誘拐の線はほとんどないと思うの。
それに、最初あたしも一人で探してたんだけど、最後に確認されたのがこのカノンで、そのときは一人だったって」
「ということは自分からいなくなった・・・か。なにか変わったことは?」
「いなくなる前に、妙なことを言って消えたわ」
「妙なこと・・・? もしかして『秩序が呼んでる』・・・とか?」
祐一と杏の表情が驚愕に変わる。
「知ってるの!?」
「いや、ここ最近世界中でこういう類の失踪事件が増えてるんだ。そうか、キー大陸でも起こってたのか・・・」
「世界中?」
祐一の問いに、幹也は頷く。
「言葉通り世界中。各国で数件確認されてるらしい」
祐一はその事実に思案する。
実際のところ『秩序』という永遠神剣を持っている者がどういった者か、まったくと言っていいほど知らない。
本当にその人物がこの一件に係っているかどうかは不明だが、もしそうだとすると・・・、
―――世界規模でなにかを企んでいる?
この戦いが一段落ついたら、その『秩序』という永遠神剣を持つ者に関してムーンプリンセスまで聞きに行くのも悪くないかと考える。
「でも・・・だとすれば少し難しいかもしれない。この捜索は」
「無理・・・?」
心配そうに見上げる杏に対し、幹也は優しい笑みを向ける。見る者を安心させるような、そんな笑みを。
「いや、やってみるよ。難しい、とは言ったけど無理だ、とは言ってないしね。それに、ちょうどこの件に関して別枠で頼まれてたことがあったから、それと同時にやってくよ。
・・・で、この写真は預かっても良いかな?」
「あ、うん」
「うん。じゃあ、借りるね」
いよっ、と声を出して幹也がソファから腰を上げる。合わせるようにして隣の式も立ち上がった。
「それじゃあ、祐一。あんまり長居するのもどうかと思うから、そろそろ行くね」
「あぁ。なにかと迷惑を掛けるが、頼む」
「あはは、大丈夫。なにかわかったらまた来るよ。連絡水晶、置いていくね」
コトン、と小さい水晶がテーブルの上に置かれる。
それは先程祐一が使っていた連絡水晶とは違い、声だけを届ける連絡水晶だ。小さく携帯しやすく、また安価なため使われやすい呪具である。
「それじゃ、また」
「あぁ、また」
簡素な言葉の交わしだ。が、二人においてはそれで十分だった。
だから躊躇なく幹也は部屋を後にする。それに続いて部屋を出ようとした式は一度だけこちらを振り向き・・・そして去っていった。
なにか、思われるところがあるのだろうか? ・・・いや、と祐一は首を振る。
あるに決まっている、という否定の振りを。
―――両儀。太極の対立、本来混じり得ない根源の証。それは・・・、
ある種、自分と似ている。
本来合致するわけがないものを一つとして存在する存在。
だからこそ、両儀式は相沢祐一に対して殺気を覚えた。
似ているが故の嫌悪、似ているがための摩擦。
「しかし・・・」
最近は自分と似ている人物に良く会うな、と思う。―――全て意味合いは違うが。
「ねぇ、祐一」
「ん?」
隣にいた杏が声をかけてくる。振り向いてみれば、杏はどこか・・・心配そうな表情だ。
「本当にあの人で平気なの? なんか全然魔力も感じないけど・・・」
「あぁ、あいつは戦えないからな」
「ちょっと! だってあんたは―――」
「『秩序』が危険だから残れと言った。けど、戦えない人間を送るというのはどういうことか・・・か?」
動きを止めた杏を肯定と取り、祐一は口を開く。
「そもそも前提が違う。あいつは日常の象徴。普通の人間だ。だが、普通だからこそ見えることもあるし、触れずにすむことだってある。
あいつはわかっているさ。自分に出来ないことはしない。かといってそこに答えがあるのなら無視もしない。
俺たちのようになまじ力がある者は力でどうにかしようと考えるが、ないあいつにはその選択肢が生じない。だからこそ、あいつは安全だ。
あいつは普通の人間だが、平凡な人間ではない。別のアプローチで必ず答えを持ち帰る。・・・そういう男だ」
杏はキョトンと、ついでぷっ、と吹き出し、力が抜けたようにソファに沈み込んだ。
「なんだ。信用してるのね、あの男のこと」
「当たり前だ」
腰を上げる。テーブルの上に置かれた水晶を手に取り、そして呟く。
「さて・・・、世界の動向よりもまずは目先のことが先決だな」
自分の力を過信はしない。多くのことを考えてもできること、やれることなど微々たるものだ。
だから自分のできることだけをとりあえずはやっていく。そうすれば、知らず知らずのうちに次のステージに進んでいるものだ、生とは。
「―――だろう、幹也?」
それもまた、彼から教わったことだから。
エフィランズを出た幹也と式。
先頭を行くのは幹也。それを二、三歩ほど後ろで式。
そうして前を行く幹也はしばらく写真を眺めながらこれからどうしようかと考え、
「まずは情報整理かな」
情報の足りない状況で動いても求めるべき答えに辿りつける可能性極めて低い。
まずが地盤固めを。それがなにより優先すべきことだ。
幹也はポケットから数種の連絡水晶を取り出すと、そのうち一つだけを残して他をしまいこんだ。
「―――声は伝わる―――」
読み上げられる呪(い。それに呼応するように水晶は淡く光彩を放つ。
そして水晶から声が響いてきた。
『黒桐か。そっちから連絡とは、また珍しいこともあるものだな』
「うん。ちょっとね。で、杉並。例の『秩序』の失踪事件の件だけど、本格的に情報を教えて欲しいんだ」
『おぉ、ついに一緒に動く気になったか』
「まぁ、ちょっとわけありでね。で、いまどこ?」
『俺はいまキー大陸のワン自治領にいる』
「あ、それは好都合。いま僕はカノン王国にいるんだ」
『ほう。それは都合が良い。これから合流できそうか?』
「するよ。それじゃあ―――」
『いや、こっちでの調査はほとんど終えている。俺がそっちへ行こう。カノンの領土内に入ったらもう一度連絡する』
「わかった」
すると水晶の輝きが消える。それは通話の終了を意味していた。
連絡水晶をポケットに戻し、幹也は振り返る。
「それじゃあ、行こうか、式?」
「本格的に人探しか?」
「うん。まぁね。面倒くさい?」
「正直言えばな。でもお前はやめないだろう。なら仕方ないさ」
そんな物言いに、幹也は口元が崩れるのを自覚した。
「・・・なに笑ってんだよ」
「ううん、なんでもないよ」
そう、なんでもない。いつものことだ。
だからこそ笑う。
「さて・・・行こうか、式?」
歩を進める。
久方ぶりの親友の出会いと、後ろを着いてくる大切な者の空気を持って、
幹也はただ歩を進める。
必要とされていることに満足を覚えて。
あとがき
あい、神無月です
今回、やけに長くなってしまいました。びっくりぶったまげ。
とりあえずいろいろなことがありました。それしか言わない(マテ
で、次回はさくらと亜衣と祐一が図書空洞へ向かいます。
では、お楽しみに。