神魔戦記 第三十五章

                   「事はまみれて」

 

 

 

 

 

 曇りの空。雲が覆いつくし、日の光を遮断している。

 そんないまにも雨が降りそうな空の下、祐一たちはエフィランズの街並みを歩いていた。

「・・・悲惨なものだな」

 ポツリと、祐一が呟く。

 歩く街並みは・・・とてもあの栄えていたエフィランズとは思えない。

 放たれた怒号砲は全部で七発。うち、街に直撃したのは全部で三発。それだけだが、

「死者五十三名、重傷者九十三名、軽傷者百三十三名。・・・かなりの被害になってしまいましたね」

 隣で書類を見ながら呟くのは、美咲だ。

「重傷の人を最優先でいま栞ちゃんが寝る間も惜しんで治療してるよ」

 続くのはさらに横を歩くさくら。

「そうか」

 頷き、祐一は周囲を見やる。

 まさに消滅だ。怒号砲が直撃したと思われるポイントは、まるで隕石でも落ちたかのようにクレーター状に窪んでおり、そこにあったであろうものはもはや見る影もない。

 そしてそんな壊れた街並みには、人の姿はあまり見えない。皆、中央広場にある栞の治療テントにいるのだろう。治療か、見舞いかの違いはあれど。

「あ」

 と、不意に何かを思いついたように手を打つさくら。そして祐一に向き直り、

「そうだ。祐一に会わせたい子がいるんだった」

「俺に?」

「うん。中央広場にいるから、行こう」

 なんのことだがわからないが・・・、さくらのことだ。意味のないことではないだろう。それに、栞の様子を見に最初から中央広場には行こうと思っていたのだ。

 最後に爆心地へ視線を一瞥し、祐一は中央広場へと足を向けた。

 

 

 

 仮設テントの周囲には、おびただしい数の怪我人が転がっていた。皆、栞の治療を待っているのだろう。

 祐一軍の中で治療魔術を使えるのは祐一と栞だけだ。この街にも治療を専門とする魔術師はいただろうが、怒号砲が直撃した地点の一つがこの街唯一の医療施設であったのが災いした。

 治療できる魔術師は、その医療施設にいたはずの多くの病人や怪我人と共にこの世から消えてしまったのだ。

 少しばかり昔なら、これだけの規模の街なら医療施設なんて二、三はあって普通だったが、最近は何事にも効率化を進めるようになり、全ての医療施設は掌握され、一つの大型医療施設とすることが多い。

 今回はそれがネックになった。今回のようにそれが消えてしまえば、もう街のどこにも治療できる場所がなくなってしまう。

 だからこんな仮説テントなんかを張らなくてはいけなくなってしまうのだ。

 ・・・とはいえ、いまはそんなことを考えている状況でもない。一通りの調査を終えたら、祐一も栞と共に治療へかかるつもりでいるからだ。

 しかしまずはさくらが会わせたいという人物に会うのが先だ。

 祐一はさくらが歩く方向についていき、一つの場所にたどり着いた。

 そこはいくつか組み立てた仮設テントの一個だ。それは怒号砲により住む場所を失くしたものへと設置されたもの。

「ここだよ。・・・入るよ?」

 さくらは中にいるであろう人物に断りを入れると、扉を潜っていく。それに続いて祐一も中へと入っていった。

「おはよう。調子はどう?」

「あ、はい。・・・大丈夫、です」

 さくらの言葉に反応したのは、ベッドに座る一人の少女だった。

 大分幼い。歳は・・・十歳前後だろうか。透き通るような白い髪を一本で纏めた、顔立ちも整った可愛い少女だ。

 明るい笑顔の似合いそうな彼女だが・・・しかし、その表情はいまは暗く俯いている。

「彼女の名前は雨宮亜衣。歳は十二歳。怒号砲の直撃で両親を亡くしたようです」

 祐一に続いて入ってきた美咲が、小さく耳打ちをしてきた。それに対し、祐一は「そうか」と小さく頷いた。

 さくらと話す、その亜衣の顔には覇気がない。それはそうだろう。彼女は昨日まで当たり前のようにいたはずの両親を、いきなり、しかも両方とも失ったのだから。

 ―――マリーシアと一緒・・・か。

 そして自分にも似た境遇であることに、祐一は少しばかりの同情を感じなくもない。

 しかし、そうして彼女を眺めていて、ふとあるおかしなことに気付いた。

 ―――気配が・・・しない?

 そう。まるで気配がないのだ。黎亜のように感じ取れないほどに小さいのではない、どれだけ注意深く探っても微塵も気配を感じ取れないのだ。

 気配遮断能力・・・でも持っているのだろうか。いや、と自分の思考に首を横に振る。

 あれは確かに生まれ持ったものだが、意識的に調整できるはず。そういう能力を持っているかどうかもわからないだろう一般人が、意識的に気配を消すことなどないだろうし、仮にできたとしてもここでする意味がない。

 しかし、ならば・・・?

「それじゃ、また来るね」

 さくらは亜衣の頭をそっと撫でて、こちらを促し外に出る。

 外に出た祐一はさくらの横に立つと、

「・・・で、あの子は何者なんだ。まるで気配がしない」

 さくらは頷き、

「最初は気配遮断能力の持ち主かとも思ったんだけど・・・。でも違った。ちょっとした試験をしてみたんだけど、あの子は・・・特異体質者だったよ」

 その言葉に祐一と美咲の表情が驚きに揺れる。

 特異体質者。

 名のとおり、生まれつき特異な体質を持って生まれた者たちのことを指す。

 広い定義では魔眼もこれに属し、特異体質者は特例(ノウブルカラー)と呼ばれるのだ。

「しかも特異体質者の中でもすごくレアな能力。・・・魔力完全無効化だよ」

 さらに驚愕が祐一と美咲を走る。

「本当・・・なのか?」

「・・・彼女が見つかったのは爆心地の中央だった。いい、爆心地の中央だよ?

 結界を張った様子もない。周囲の物は全て消し飛んでいて、でも彼女だけが無傷でそこに立っていた。

 だから栞ちゃんに手伝って簡単な実験を行ったんだ。それは―――」

「治癒魔術を使ってみた、・・・か?」

 さくらは頷く。

 魔力完全無効化。

 それは一聞、かなり優れた能力のように聞こえるがそうではない。なぜなら、攻撃魔術だけでなく、補助魔術や治癒魔術ですら無効化してしまうからだ。

「ボクの知る限り、魔力完全無効化能力を持つ人物は世界広しと言えど、ウインド王国の近衛騎士団副長、丘野真だけだったんだけど・・・。

 まさかこんな街に、しかもあんな女の子がそんな能力を持ってるなんてね・・・。

 おかげで助かったわけだけど、でも・・・一人生き残ったあの子は、はたして本当に幸運、なのかな・・・?」

 自分一人だけ助かった亜衣。

 その境遇は、やはり祐一には痛いほどわかる。マリーシアにもわかるだろう。

 そのような痛みは、結局同じ思いをしたものでなければ真の意味で理解はできない。

 祐一はもう少し彼女が落ち着いたらそのときは、少し話をしようと心に決めた。

 そして本陣へ戻ろうと踵を返した、その瞬間、

「主様!」

 空間の歪みとその声と共に一人の少女が目の前に現れた。―――美汐だ。

 しかもどこか・・・慌てている様子の。

 それの意味する状況を祐一はすぐさま感じ取り、表情を引き締めた。

「何事だ」

「少々厄介な状況になりました。・・・これを」

 そうして美汐が差し出したのは一枚の半分に折られた紙だ。祐一はそれを受け取り、読み上げて、

「―――」

 ただ無表情に、その紙を握りつぶした。

「美咲」

「は、はい」

「いますぐ本陣に治療に当たっている栞以外の主要メンバーを集めろ」

「はっ」

 恭しく頷き、美咲が早足に去っていく。その背を見つめながら近付いてきたさくらが祐一を見上げる。

 その瞳は、どうしたの、と疑問を投げかけていた。

 喋る気にもなれない。祐一はくしゃくしゃにした紙をそのままさくらへと渡した。

 そしてそれを読んださくらは、驚愕に目を見開き、呆然と、

「・・・水菜ちゃんが、誘拐された・・・?」

 

 

 

 本陣。

 そこに集まった祐一軍の主要メンバーの表情は、重い。

 中央には、さきほど祐一が握りつぶした紙が、ぐしゃぐしゃになりながらもそこに置かれている。

 書かれてあったのはたった三行の簡潔な文と小さなエンブレムだ。

『倉木水菜は預かった。

 返して欲しければ、魔族軍大将の相沢祐一が一人で来い。ルグリナの村の外れにある廃墟で待つ。

 三日以内に来ない、また仲間を連れてきた場合は容赦なく殺す』

 そして右下に記されたエンブレムは・・・カノンとクラナドの国境付近を根城にする有名な盗賊団のものだ。

 バン、と備え付けのテーブルを強く叩き立ち上がったのは・・・怒りの収まらない様子の浩一だ。

「人間どもが・・・。どこまで腐ってやがる!」

「落ち着け、浩一」

「落ち着いてられるか! あいつはな、過去にも人間族に口では言えないようなひどいことされてんだぞ! それを・・・!」

「わかってる。落ち着け」

「・・・っ!」

 浩一にもわかった。口調は抑えているものの、祐一だって怒っている。その目が全てを物語っていた。

 渋々と、浩一は席に座る。それにタイミングを合わせたかのように、次は美汐が腰を上げた。

「主様。水菜さんが誘拐された。これはその事実よりも、危惧しなければいけない状況が起こっていることを示唆しています」

 美汐の言葉に、祐一は頷く。

「わかってる。・・・仲間の中に、裏切り者がいるな」

 皆の顔に緊張が走る。

「魔族を必要以上に恐怖する人間族がどうして魔族である水菜を誘拐しようとしたのか。

 ・・・答えは簡単だ。水菜が恐れるほどの相手じゃないとわかっていたからだ」

 水菜の強みはなんと言ってもその精神感応能力による魔物とのコミニケーションにある。それにより彼女は幾多もの魔物を使い魔として使役できるのだから。

 しかしいまの水菜にはその使い魔がいない。個体としての能力は通常の人間族にすら劣る水菜を誘拐するのはたとえ誰であろうと容易いだろう。

「・・・だが、いまはそれを追求してる場合ではない。それよりもまずは・・・水菜を助け出さなくてはな」

 言って、祐一は立ち上がる。

「俺が行ってくる」

「主様!? これは罠です!」

「しかし主導権はあちらにある。実際、水菜相手なら簡単に殺せるだろう。それだけは避けなくていけない。

 とすれば・・・、要求のとおりに行動するしかないだろう?」

「それは・・・そうですが・・・」

「美汐。お前には悪いが引き続きこのままここに残って俺が戻るまでの間、指揮を執ってほしい」

「ですが」

「地下迷宮には名雪とあゆ、それにシオンがいるんだろう? 小手先の連中相手なら、あいつらは負けない。大丈夫だ」

 美汐はそういうことを言っているわけではない。もちろん祐一もわかっててはぐらかしている。

 これは戦い。いずれ・・・もしかしたら仲間がやられてしまうかもしれないことはいつも心に置いてある。決心もしているし。覚悟もある。

 だが、それは切り捨てるという意味ではない。できることならそんなことにしたくないし、助けられるなら助けたい。

 それが祐一の思いだ。

「俺も行く」

 それは浩一だった。

「・・・良いのか?」

 祐一が浩一に訊くのはそれだけ。

 それは・・・共に行くことで水菜が危険な目にあっても良いのか、という意味だ。だが、

「そんなことは絶対にさせない。俺は・・・俺は水菜と約束したんだ。必ず、必ず次こそは守ってやると」

 グッと、血が出るほどに拳を握り締める。

 その様を見て、祐一は苦笑した。仕方ない、といった風に。

「わ、私も行く!」

「お前は残れ」

 浩一に続くように立ち上がったのは鈴菜だが、それを浩一はあっさり却下した。

「な・・・! なんで浩一は行くのに私は駄目なのよ!」

「足手まといになるからだ」

「そんなことないわよ! 私だって・・・!」

「俺には大蛇の力がある。解放すれば、それこそ人間族じゃ視認できないように動くことだってできる。でも、お前は違う。こういう状況じゃ、お前はただ邪魔なだけだ」

「言わせておけば! 私だってねぇ、お姉ちゃんと約束したのよ! もう一人にしないって、絶対に守るって!」

「それはわかってる。だから―――」

「わかってない! 浩一はわかってないよ! だったらどうして私を連れてってくれないの!?」

「っ・・・! 何度言えばわかる! 俺たちは水菜を助けに行くんだぞ!」

「わかってるわよ! だから一緒に行くって言ってるんじゃない!」

「馬鹿か! だからお前が行くと助けられるもんも助けられなくなるって言ってんだよ!」

「そんなことない!」

「そんなことある!」

 二人の言い争いを眺め、祐一は疲れたようにため息を吐いた。

 ―――久しぶりだな、二人の言い争いを見るのは。

 いまでこそ二人は普通だが、実は昔はとても衝突が多かったのだ。祐一の父親の根城に共に住んでいたころは、それはもう顔を合わすたびに互いに罵声を浴びせあっていたほどだ。

 まぁ、しかしそれは仲が悪い、というわけではない。ただお互いに素直ではないだけだ。

 実際二人は互いを同じくらい想っているし、信頼もしている。

「そこまでにしておけ、二人とも」

 祐一の言葉に口論はピタリと止む。しかし二人の視線は半目で祐一を見ていた。

 それは暗に・・・どっちが正しいと思うかを無言で訊ねているのだ。

 これも昔と変わらない光景。

 それに対し祐一は少しばかりの懐かしい思いに心中で苦笑し、

「いいだろう。鈴菜も来い」

「「祐一!」」

 息ぴったりにユニゾンする二人の言葉。

 だがイントネーションは全然違い、鈴菜が喜びの言葉であるのに対して浩一は怒りの言葉だ。

「ここで言い合ってても仕方ない。まぁ、相手は盗賊だ。近付けば気配でどういう布陣かもわかる。鈴菜をどうするかはそのとき決めれば良い」

 祐一の言い分に文句はありそうなものの、浩一は黙って従った。

「よし、俺と浩一、鈴菜で水菜を助けに行く。

 残ったメンバーは美汐に従って行動してくれ」

 祐一は浩一と鈴菜を従えて本陣を出て行こうとする。

 その途中、美汐の横を通り過ぎた祐一は、美汐にだけ聞こえるようにそっと呟いた。

「気をつけろ。敵はそう遠くないうちにきっとくる」

「!」

 どういうことか、と美汐は聞き返そうとしたが、もう祐一たちは本陣を出て行った後だった。

 追いかければ間に合うだろうが・・・しかし美汐はそれをしなかった。

 祐一は必要なことはちゃんと話す人だ。それを言わなかったということは・・・、言う必要がなかったということ。

 それを信頼と受け止め、美汐は誰にともなく頷いた。

 そして美汐が各自に解散を言い渡そうとしたとき、その声が響いた。

「あの!」

 声を辿れば、そこにいたのは栞だ。しかも、肩にぐったりとした少女を抱えているのだが―――、

「!」

 その少女を視界に納めた直後、美汐を含め時谷や美咲といった面々が即座に構えを取った。

 なぜならその少女の背中からは目にも綺麗な純白の翼が生やされていて・・・しかも身に付けている衣服にはエア王国の紋章が刻み込まれているからだ。

「ま、待っ―――」

「ちょっと待って!」

 いきなり攻撃態勢に入った美汐たちに制止の声を掛けようとした栞だったが、それよりも強く声を張るものがいた。

 杏だ。

 杏は弾けるようにして席を立つと、栞に抱えられた少女に駆け寄っていく。そしてその顔を確認し、

「やっぱり、観鈴!?」

 驚愕に身を震わせた。

 

 

 

 あとがき

 どうも、神無月です。

 さて、今回はおおまかに三つの事柄が同時に発生するという、傍目に慌しい話でした。

 まず一つ目は、雨宮亜衣の登場。もちろんオリキャラです。

 まぁ、話の展開からわかるように彼女の出番はこれから多くなります。どのように話にかかわっていくかは・・・お楽しみに。

 二つ目、水菜誘拐事件。そして三つ目の観鈴到着。

 しかし、次回は彼女たちの到着でさらに混迷していきます。

 では、また次回に。

 

 

 

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