神魔戦記 第三十一章
「“魔族”という存在」
蝋燭が瞬いた。
揺らめく灯りの下、映る人影の姿はかなりの数だ。
ここは祐一軍の作戦室。
主要なメンバー全員がテーブルに座る中、中央にはこの大陸の地図が置かれている。
「軍勢もようやく整いました。よってこれから我らは進軍を開始します。」
一人立ち上がっているのは久瀬隆之だ。
「我らの最終目的地は王都カノンですが・・・、ここから直接向かうのは不可能です」
彼は指示棒を手に取り、地図の一点を指す。
「いま我らがいるのはここ、アーフェンです。ここから王都カノンまではかなりの距離があります。よって我等は王都カノンに近い場所にて軍勢を整える必要が出てきます。逆を言えば―――」
「カノンに近い場所を取れれば、後ろの心配も無くなる・・・か」
留美の言葉に頷き、隆之は指示棒をスッと北側にずらす。
「そういうわけでカノン攻略に当たってその南方に存在する城塞都市オディロの占領は必要不可欠となるでしょう」
「でも、ここからオディロでもまだ遠いよ?」
「そこは心配ないでしょう、あゆ。だから私たちはエフィランズを占領する。街の警備兵などさほどの問題もなく、またエフィランズほどの大きな街なら補給にも申し分ない」
「あぁ、なるほど。さっすがシオン」
隆之はシオンの言った街、エフィランズに棒を向ける。
「よって今回の狙いはここ、エフィランズです。ここを占領し、拠点としてオディロ、そしてカノンへと順に進軍していきます」
確認の意味を込めて隆之が面々を見やる。誰も口を挟む者はいなかった。
「ここからエフィランズまでおよそ歩きで半日。今から出れば夕方には着くでしょう。
奇襲を仕掛ければエフィランズの民など一時間もあれば―――」
「いや、まずは無血降伏を促す。それで向こうがなにもしないようなら、街の住民には手を出さない」
声は祐一のものだ。それに対し隆之の眉が跳ね上がる。
「祐一様? ・・・まさか人間族に情でもお掛けになられるのですか?」
「そうじゃない。態勢が整ったとはいえ、俺たちは次に城塞都市と王都カノンが控えてるんだ。無駄な戦いをして戦力を減らす必要は無いだろう?」
「・・・・・・そういうお考えなら、私からは何も言うことはございません」
恭しく頭を下げ腰を下ろす隆之に代わり、祐一が立ち上がる。
「カノンが動くとも限らない。数人はここに残していく。
そうだな・・・。残るのは美汐、あゆ、水菜、シオン、名雪、栞。あとはマリーシア」
「それはいくらなんでも戦力比がありすぎるように思えるのですが?」
異議を立てたのは居残りを命じられた美汐だ。祐一は美汐に振り向き、
「下手に大軍で攻めて街の者を刺激してはあらぬ戦いを強いられる可能性が高い。それに、こちらの戦力が情報より少ないとなればカノンもそうそう動けないだろう? なにを企んでいるのか・・・とな」
それでも美汐はまだ納得していないようだ。
そんな美汐に祐一は苦笑交じりに吐息をし、、
「緊急時のここの指揮は美汐に任せる。大軍の指揮など、この中では美汐にしか務まらないだろう?」
その言葉に、美汐の動きが止まる。
しかしそれは美汐が大軍の指揮という大役に納得した・・・というわけではない。表情は嬉しそう、というよりどこかしかめっ面である。
それで有頂天になるほどそこまで美汐は愚かではないし、むしろそんなことは言われずともわかっていた。
慢心ではない。客観的事実を見て、この中で多くの人数を一度に掌握し指揮できるのは祐一か美汐だけなのだ。
美汐は誇り高き天野の魔族。
その誇り高き魔族が、忠誠を誓った祐一にそういう大役を言いつけられた以上、ここから離れることは即ち主人に対する反抗・・・天野の姓に傷をつけることとなるだろう。
こうなっては美汐は下がるほかに無い。それを祐一もわかっていて言ったのだ。
だから美汐は口を閉ざしながらも無言で非難の視線を向ける。卑怯者、と。
そんな美汐に祐一は苦笑を広げ、しかしすぐに正すと皆を見た。
「さて、それじゃエフィランズに行こう」
頷き、それぞれに動き出す皆を見て祐一は小さく腰を下ろした。
瞼を閉じてこれからの自分たちの動きを頭の中で組み立てる。・・・と、人の気配が二つ、ゆっくりと近付いてくるのがわかった。
「栞に・・・マリーシアか」
「目を閉じててもわかるものなんですか?」
「この程度でわからないようじゃ戦いはできない。背中には目がないからな。・・・で、そんなことより用件はナンだ?」
瞳を開ける。映る風景の中央には栞がいて、その後ろ、わずかに隠れるようにしてマリーシアがいる。
栞はどこか強い瞳で一歩を近付き、
「どうか今回、私も連れて行ってもらえないでしょうか?」
「正気か?」
「はい」
「・・・もしかしてマリーシアもか」
いきなり自分に話を振られて驚いた様子だが、それでもゆっくりと、
「え、えと・・・はい。私も、あの・・・行かせて欲しいです・・・」
やれやれ、と祐一はわざと口に出して呟く。
なにがしたいのかはわからない。そしてここで、何が起こるかわからないのだから、とそれを却下するのも容易だ。
だがこの少女たちはそんなことをがわからないほど愚かでもないし、その瞳は強い思いを備えている。
「・・・まぁ、いいだろう。だが、勝手な行動は取るなよ」
言った瞬間、二人の表情は喜びと変わり、
「「はい」」
その返事に、祐一は再び苦笑交じりに息を吐いた。
エフィランズはカノン王国の中で王都カノンに次ぐ大都市である。
三国を結ぶアストラス街道沿いにあるということでこの街はいつも活気に満ちていた。
だが、そんなエフィランズはいま静寂に包まれている。
魔族の襲来。
その報がすぐさま街を回り、逃げ出す暇も場所もないと悟った住民は街と共に沈黙を取ったのだ。
そんなエフィランズの前に、祐一は立っている。
祐一だけではない。その他の面々も街には入らず、そこでただ一報を待っていた。
と、人の気配がこちらに近付いてくる。
それは唯一先に街に入った二人・・・美咲とさくらだ。
人間族である二人を行かせたのは、必要以上に街の者に危機感を与えないようにとの祐一なりの配慮だった。
「ご主人様。いま町長から無血降伏に従う、という旨を聞いてきました。ここに文章もあります」
美咲から差し出された文章には、確かに無血降伏を認める旨が書かれてある。
それを確認し、祐一は頷いた。
「これよりオディロを攻めるための陣を立てる。全軍、くれぐれも街の者には手を出すなよ」
祐一の言葉より皆が動き出す。エフィランズを戦闘無しで落とせたのだから、次に用意するのはオディロでの戦いに備えた陣の形成だ。
城塞都市オディロ。おそらく防衛力なら王都カノンよりも上だろう。
王都カノンに来させないためには・・・是が非でもここで抑えなければならない。となれば、必然それなりの兵力を用意しているはずだ。
―――正念場だな。
カノンとの戦いももうそう長くはないだろう。・・・勝つにしろ負けるにしろ。
「・・・だが、俺は勝つ」
思いを胸に、祐一も街へと足を踏み入れる。
「――――――」
街に入った瞬間、身体中に感じる視線。
振り向くと同時、次々と閉じていく扉や窓。
恐怖と憎しみ。
二つの入れ混じった視線に、祐一は苦笑を禁じえなかった。
「・・・ま、もう慣れたがな」
「祐一・・・様?」
「・・・なんでもない。ただの独り言だ」
たった一つ。背中から感じられる・・・心配そうな視線に祐一は言葉を返す。
だがその視線を向ける者―――栞はゆっくりと祐一に近付くと、躊躇いがちにその外套をギュッと握った。
「そんなことをすると誤解を招くぞ。魔力の乏しい人間には、魔族と人間族の区別もつかないのだから」
「・・・あまり、悲しいことは言わないでください」
「栞・・・?」
「無礼を承知で訊ねます。祐一様・・・あなたはどうしていつもそんなに寂しそうなのですか?」
「!?」
―――寂しそう?
その物言いに、なぜかドキリとする自分がいて・・・しかし誤魔化すように表情は嘲笑を象る。
「お前の目は節穴か? 俺は別に寂しくなど―――」
「いえ、私にはわかります。私は・・・職業柄いままで色々な方のもとを訪れ、その顔を見てきました。だから私にはわかるのです」
「人間族と魔族は違う。しかも俺は半魔半神だぞ」
栞はゆっくりと首を横に振る。外套を握る手に更に力がこもり、
「私は・・・しばらく祐一さんの傍にいて気付いたんです。魔族も、神族も、人間族も・・・。さして違いなど無いのだと。
私はここで色々なことを知りました。私は・・・無知でした。いえ、私だけではなく、人間族皆が無知なんです。
想像と偏見で魔族は怖い者だと思い込んで・・・」
自分のことのように辛そうに顔を歪める栞。
―――なぜ?
浮かぶ単語は疑問詞ばかり。
この少女は人質として強引に置かれた者。こちらを憎んで当然で、それがこんな顔をするなどとどうして思えようか。
「だからわかるんです。祐一さんは、とても寂しい目をしています」
「そんなこと―――」
「自分を受け入れてもらえないのはとても寂しいことです。しかもただ魔族と神族の間に生まれた、というだけで阻害されてきた祐一さんの寂しさは、わたしには到底わからないほどに深いのでしょう・・・」
「やめろ・・・」
「きっと、・・・祐一さんは自分の居場所を探しているんです。自分を受け入れてくれる、そんな場所を」
「やめろ」
「だから祐一さんは―――」
「やめろっ!」
パァン、と甲高い音がこだました。
それは振り返った祐一が、栞の頬を打った音だ。
「っ!?」
ハッとする祐一。ほぼ無意識のように動いた自分の腕を、驚きの眼差しで眺める。
「・・・す、すまない」
後ろめたそうに下げようとする腕は、しかし温もりに留められた。
「大丈夫です」
「・・・栞?」
両手でギュッと握られた祐一の手。
栞はそれに額を当て、諭すようにゆっくりと呟く。
「私は最初に言いました。『私は、あなたを信じます』と」
それはアーフェンの村を襲った直後。
村人の解放を直訴してきた栞が、祐一の問いに対して放った言葉だ。
「あの言葉に嘘偽りは無く・・・、そしてその思いはいまでも変わりません。いいえ、いまの方が強いです」
顔を上げ、視線が合う。
赤くなってしまった痛々しい頬。しかし栞は優しく微笑む。
「私はあなたを信じます。ですから・・・あなたも私を信じてください」
その手を離さないと言わんばかりに強く、しかし優しく握り、栞は瞼を閉じながら、
「大丈夫。あなたの思いが届く日が・・・きっといつか訪れます。
でもその日までは・・・美咲さんやあゆさん、さくら様や他の方々があなたの居場所になってくれます。もちろん、私もあなたの居場所になりましょう」
一拍。
「あのときは仕方が無かったというのもあります。でもいまは・・・私は自分の意思でここにいます。
信じて、・・・信じてください。私を。
私は・・・そんなあなたのためには協力を惜しみませんから」
「・・・・・・俺は」
なにかを言いかけ、しかし喉はそれを拒否する。
それは恐らく言ってはならない言葉。踏み出してはいけない一種の境界線。
だから口を噤み、祐一は栞から視線を外す。
けれど腕にあるその温かさは本物で、不意に・・・、
『祐一』
・・・母の姿が浮かんで、消えた。
くっ、と意味不明な呻きが勝手に喉から出た。
わからない。なにを自分はこんなに動揺しているのだろうか。
「俺は・・・復讐を果たすんだ」
口に出た言葉は、なぜか今更なもの。
そんなことをいまになってこの少女に言ってどうなるのか、自分でもわからない。しかし、
「・・・どうして、自分に言い聞かせるように言うんです? まるでそうしなければならないように」
・・・衝撃を受けた。
そう、そうなのだ。その言葉はまるで、・・・自分に言い聞かせているように聞こえる。
あぁ、参ったな、と祐一は頭を振る。
どうやら自分は―――自分が思っている以上に弱いらしい。
「・・・俺は、まだわからない」
「祐一さん?」
「いまはまだ・・・復讐を果たしたいとしか、自分の先が見えない。その後どうするかとか、どうしたいのかとか。見えるようで見えてこない。
復讐をしたって父や母が戻ってこないのもわかる。だが、これが無意味な戦いではないのは確かだ」
小さく、呟くようにポツポツと語る祐一は普段の彼とは比べ物にならないほど弱々しい。
けど、と栞は思う。
―――それはきっと、強くなくちゃ生きていけない環境にいたから。
他を跳ね除ける強さが無ければ、きっと生きてこれなかった。肉体的にも、精神的にも。
だから祐一が弱さを見せ付ける・・・見せて良い相手がいなかったのだろう。
栞の心に去来する不思議な感覚。
―――私が、その相手になれればいいのに。
その思いは、各地を回りながら人々に触れているときにも思ったこと。しかし同じはずなのに・・・違うのだ。
程度というか重みというか・・・、とにかく違う。
放っておけない。この人を支えたい。
そんな思いが栞の口を突き動かす。
「祐一さん。私はあなたを助けたいんです」
伸ばした腕は、祐一の頬を撫でる。
「・・・栞」
「迷うなら、考えてください。悩んで、考え抜いてください。
大丈夫。祐一さんのことです。きっと間違った決断はしません。だから、強く自分の思いを受け止めてください。本当はどうしたいのか・・・。
私は、祐一さんの決断に従います。
祐一さんの助けになれるように、強くもなります。なってみせます。
だから・・・、信じてください」
「・・・お前は、人間族だ。俺と一緒にいて、人間族から省かれるのは嫌だろう?」
「さっき言いました。悲しいことは言わないでください、と」
強く微笑み、栞は手を離す。
とん、と小さく離れるように後ろへ下がり、腕を組んで身体を回す。
「私はそろそろ陣へ戻ります。いまの私でも、手伝えることがありますから・・・」
振り返り笑顔で言う栞に釣られ、スカートがふわりと靡いた。
最後に会釈を寄越し、栞はそのまま小走りに去って行く。
そんな栞の背中を眺めて、呟く。
「・・・いつのまにか、呼び方が変わっていたな」
祐一様、から祐一さん、へ。
だが、・・・それも良いかと思っている自分がそこにはいた。
あとがき
ども、神無月です。
・・・あれ、なんでだろ? なんか栞フラグ立ったような感じになってる・・・(汗)
いや、でも違うのですよ? うん、きっと・・・。
ま、まぁそんなことより次回はエフィランズの中での住民との熱き触れあいです。嘘です。
次回は祐一軍の占領下になったエフィランズにカノン軍がやってきます。
腐ったカノンがいったいどんなデンジャーなことをしてくれるか、ご期待ください。
・・・深夜に書いているのでやたら無闇にハイテンションな神無月でした。