神魔戦記 間章 (三十〜三十一)
「有紀寧」
瞼を開けると、最初に目に入ったのは石造りの壁だった。
―――また、座りながら寝てしまったんですね。
壁に背を預け、膝を抱える形で有紀寧は寝起きにそんなことを考えた。
ここは祐一軍の地下迷宮。その一室。
小さい部屋とはいえ、簡素であるがベッドもある。しかしどうしても有紀寧ではそこで寝る気分にはなれなかった。
『俺は・・・もう誰にも死んで欲しくない!』
あのときの言葉を思い出す。もうこれで何度目だろうか。
有紀寧の頭には、あのときの光景がグルグルと何度も回っている。
こちらの物言いに嘲笑を浮かべた祐一。
冷めた表情で淡々と事実を述べる祐一。
激情をあらわにして怒りを向けてきた祐一。
「ふぅ・・・」
頭を壁に乗せて、有紀寧は上を向く。
揺らめく照明。映り出る影を、有紀寧はただ眺めていた。
と、不意に小さな木を叩くような音。
それがノック音だと気付き、はい、と返事を返すと一人の少女が食事の盆を持って入ってきた。
その少女はこちらの姿勢に気付くと、
「あ。またベッドで寝られてないのですか?」
「え、えっと、すいません栞さん」
「駄目ですよ。寝るにしてもベッドとそうでないのでは取れる疲れの量が全然違うんですから」
まったく怒っていない素振りで注意を促す少女―――美坂栞。
有紀寧がここで生活を過ごすようになってから二、三日。面倒を見てくれているのが彼女だ。
栞は取り付けてある小さなテーブルに盆を乗せ、椅子を引くと有紀寧に笑みを向けた。
「さ、冷めないうちにどうぞ?」
その笑みに促されるように有紀寧は立ち上がり、その椅子に腰を下ろす。
盆の上にはパンが二つとスープ、そしてサラダがついていた。
「王宮暮らしではこんな料理些末に見えるかもしれませんが、なにか食べないと体力も付きません。我慢していただけると嬉しいです」
ジッと料理を眺めていたことを間違えて解釈させてしまったようで、有紀寧は慌てて首を振る。
「いえ、そういう意味ではなくて。ただ・・・」
「ただ?」
「・・・捕虜のような立場は、もっと衰残としたものかと」
栞は有紀寧の対面に座ると、笑みを浮かべる。
「まぁ、確かに最初はそう思いますよね。 私もそうでしたし」
「え?」
「有紀寧王女と同じで、私も最初は捕まった身でしたから」
・・・え? と再び思う。
疑問はそのまま喉を通って声と化す。
「あの、それはいったいどういう・・・」
「私、修行中の修道女で各地を回っていたんですけど、ちょうどこの上にあるアーフェンの村にいたんですよ。
で、祐一様たちが最初に攻撃したのがアーフェンの村で・・・」
「そんな・・・」
「でも、それはある意味仕方の無いことだったんです」
どこか苦笑気味に、栞。
しかし有紀寧には理解できない。自分の村が襲われて仕方が無いとは、いったいどういう了見なのだろうか、と。
そんな有紀寧の視線に気付き、栞はテーブルの上に肘をついて腕を組みながら、
「最初に手を出したのは人間族のほうでした。地下に・・・即ちここに魔族が住んでいるようだ。このままじゃ住めない。だから討伐してくれ、と。
村人からそう頼まれたカノン兵がここに攻め込んだのです。・・・祐一様たちは、まだなにもしてなかったのに」
「あ・・・」
「私は・・・それを聞いてもあのときは疑問にも思いませんでした。それをまるで当然のことであるように思っていましたから。
そして、祐一様たちが攻めてきたときも、どうして、と思いました。私たちは平和に暮らしたい、ただそれだけなのに、と。
・・・でも、それはあくまで人間族の傲慢な、独り善がりな考えだったんです。だって、平和に暮らしたいからってまだなにもしてない他の生き物を駆逐するなんて間違ってる。・・・そんなこと、考えればすぐにわかりそうだったのに」
「栞さん・・・」
「そうして村人は捕まって、私も一緒に捕まりました。そのときは、必死だったんですよ。せめて村人だけは助けたい、修道女として、それだけはしなくちゃいけないって。
だから祐一様に直訴しました。村人を解放してください、自分が代わりに残るから、人質になるから、と。
そして村人は解放されて・・・私はここに残りました」
「・・・そう、なんですか」
それは大変でしたね、と言おうとして・・・しかし有紀寧の口は動きを止めた。
なぜなら、栞の表情がまるでつらそうではなかったから。いやむしろ―――、
「でも・・・私は、いまは自分の意思でここにいます」
「・・・どうして」
聞いて良いのかどうなのか。・・・そして聞いてどうするべきなのか。
わからない。わからないけど、どうしても聞いておきたかった。
「どうしてここにいようと思ったんです?」
考え込むように栞は俯き、しかししばらくして顔を上げると、
「・・・見届けたかったんですよ、ここで」
「見届ける・・・?」
「はい。祐一様の行く末を、見届けたい。・・・いえ、見守りたい、と言った方が正しいでしょうか」
栞は組んだ腕の上に顎を乗せて、微笑んだ。
「聞きましたか? 祐一様が戦う理由を」
「え、あ、はい。・・・復讐、ですよね?」
栞は小さく頷く。しかし、でも、と呟き、
「・・・本当に祐一様は復讐がしたいのでしょうか」
「え?」
「確かに・・・祐一様は憎んでいます。人間族を、神族を、そして魔族すらも。
・・・けれど、ならどうしてここにはその人間族も、神族も、魔族もいるんでしょうか。本当に全ての種族が憎いのならどうして。
それに、祐一様は無益な殺生は決してしない。もちろん剣を向けてきた相手には容赦しませんが、戦う気のない人たちには決して手を出したりしません。本当に憎いのなら、それこそ虐殺でもするでしょうに・・・」
「・・・・・・」
「祐一様は、言いました。『弱い者に手を出すのは趣味じゃない』と。でもそれは・・・きっと自分の昔のことなんですよね。
自分は昔弱かった。だから大切な者を守れなかった。その怒りと、恐怖と、憎しみと、絶望と、無力さを祐一様は知っているから・・・、だから殺さない。
祐一様は・・・そんな、優しい人です」
「優しい・・・?」
にこりと、栞は笑う。はい、と。
「祐一様はとても優しくて、不器用で、・・・そしてとても儚くて寂しい方」
有紀寧は思い出す。
『俺は・・・もう誰にも死んで欲しくない!』
そう言ったときの祐一の激情と、その後の横顔を。
―――つらそう、でしたね。
魔族とは、非道で、下劣で、戦闘狂で、人間族や神族を根絶やしにして世界を征服しようとする悪の権化だと。・・・そう、国では小さい頃から教えられた。
だから、国の者はまるで刷り込みのように魔族を嫌悪する。・・・否、世界のほぼ全ての人間族がそうなのだろう。
けれど、有紀寧は見た。
相手には同じく感情がある。嫌なことをされれば憎むし、怒るし・・・悲しむということを知った。
栞も言っていたが、そんなものは冷静に考えれば当然のことなのに。
「私は・・・修道女です。人を助けるのが、役目。ですが・・・」
その瞳に、有紀寧は震えた。
なぜならその眼は、とても、とても強い眼をしていて―――、
「ですが、私がいま一番助けたいのは・・・祐一様なんです」
「・・・栞さん」
「美咲さんが、以前に言っていました。祐一様には幸せになって欲しいと。あのときはわからなかったけれど・・・、いまは、同じ気持ちです」
あの人こそ幸せであるべきだと、栞はゆっくりと呟いた。
そんな栞を見て、有紀寧は思う。
―――この人は、強い人ですね。
半魔半神・・・いや、周囲から見れば魔族である祐一を助けたいと願うということは・・・人間族の敵になる、ということだ。
そんなことは栞にだってわかっているに違いない。けれど、少女は笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ」
「え?」
「きっと・・・。いつか、わかりあえる日が来ます。どちらにいるからどっちが敵かとか、そういう楔もいずれ断ち切れます。そう・・・信じています」
ただ・・・笑みを浮かべる。
陽射しのような、柔らかい笑顔を。
そんな栞に、有紀寧もつられるようにして笑みを浮かべた。
「良いですね、そんなのも」
「ですよね?」
クスクス、と二人は笑う。
すると栞はなにかに気付いたように、あ、と呟いて慌てたように席を立つ。
「お食事前に長々と失礼しました。よければもう一度温めなおしてきますけど・・・」
「いえ、十分です。あ、あと栞さん・・・」
「はい?」
振り向く栞に、有紀寧はややおずおずとした様子で、
「・・・わたしも、なにか手伝えることはありませんか?」
一瞬驚きの表情を、しかしすぐに笑みに変えて、
「そうですね。では・・・食事が終わった後にでも」
「はい!」
王女だからどうだとか、どうしてそういうことを言い出したのかなど、栞はなにも聞いてこない。
それも栞なりの優しさなのだろう。
有紀寧は笑みを持ってパンを手に取り、口に運んだ。
そのまま、思う。
ここにいれば、なにか別の視野が広がるかもしれないと。
そして―――、
祐一のことももっとわかるだろうか、と。
あとがき
はい、神無月です。
えー、間章。今回は有紀寧とか言いつつ・・・栞寄りでしょうか?
でもこれで有紀寧の心境にも徐々に変化が生じました。
美咲から栞へ、栞から有紀寧へ・・・。そんな感じになってますね〜。
では、今回はこの辺で。
ここで次回予告〜。次の間章はあゆです。お楽しみに〜。