神魔戦記 第二十八章

                    「動く者」

 

 

 

 

 

 そこはなかなかに寂れた建物だった。

 傍から見たら廃墟と勘違いしてもおかしくはないほどにくたびれた外観。

 だが、それは中にも言えることだった。・・・否、中のほうがさらにごちゃごちゃとしている。

 しかしそのごちゃごちゃさは、見る者が見れば人が住んでいる証拠とわかっただろう。

 その四階。そこには一人の女性がデスクに煙草を咥えて座っていた。

 眼鏡をかけた、どことなく凛々しい・・・というよりさばさばした感じの女性だ。服装に特徴といった特徴もなく、着るものがそれしかないから着ているといった風だ。

 そのデスクには灰皿といくつかの書類が乱雑に散らばっており、・・・そして中央には一つの封筒が置かれていた。

 ふぅー、と煙を吐く。

「・・・まったく。面倒な仕事を押し付けてからに」

 封筒の宛名には、自分の名である『蒼崎橙子』と書かれてある。

 届けてきたのは、窓の枠にとまっている鳥。差出人の使い魔なのだろう。

 さらに煙を吹かす。それとほぼ同時、このフロア唯一の扉がぎぎー、とやかましい音をたてて開いた。

「・・・橙子さん。そろそろこの扉も付け替え時だと思いますよ?」

「まぁ、時間のあるときにも変えるさ」

「そんなこと言って絶対やりませんよね」

「だろうな、橙子はそんなことで自ら動こうとするタイプじゃない」

「失礼な奴らだな君たちは。私をいったいなんだと思ってるんだ」

「仕事はともかく生活空間なんてどうでも良い所長」

「だらしない奴」

 入ってきた一組の男女の物言いに、橙子は少しばかりむっとした表情を浮かべる。

 その二人は橙子とは違い、かなり違和感のある服装をしていた。

 まず眼鏡をかけた男の方は、上下とも黒一辺倒。その他の色など入り込む余地無しと言わんばかりの黒さだ。

 対して女は誰もが目を見張るような秀麗さでありながら、珍しい服装・・・一般に着物と呼ばれるものに革ジャンという突飛な風体だ。

 そんな二人は素知らぬ振りでそれぞれに歩き出す。男は橙子の近くのデスクに、女は来客用のソファにそれぞれ座った。

 そしてデスクにある書類を片付けようとする青年に、橙子は手を振った。

「あぁ、黒桐。それはいい。君には他の仕事がある」

「他の仕事、ですか?」

 首を傾げる青年―――黒桐幹也に対して橙子は先程の封筒の中身を無言で差し出す。

 それを幹也はやはり困惑した表情で受け取るが、その内容を読むにつれ疑問は氷解していった。

「・・・へぇ、祐一からの頼み事なんて珍しい」

「うちの事務所としては人探しなど範疇外のことだが、相沢の頼みともなれば断るにも断れんだろう? だから君には特別出張を言い渡す」

 そんな橙子に、しかし幹也は半目を向ける。

「・・・なんだその目は」

「いくら貰ったんです?」

 げほ、と橙子はむせた。

「やぶからぼうに失敬だな黒桐。私が金でしか動かないと思ったら大間違いだぞ」

「それはそうですが、出張ともなると話は別です。たとえ相手が知り合いだとはいえ、橙子さんが無償で動くわけがないでしょう。

 ・・・で、いくら貰ったんですか?」

 なるほど。伊達に何年も同じ職場で働いているだけのことはある。橙子の性格を幹也は完璧に熟知していた。

 橙子は煙草を灰皿に押し付けながら渋々、

「・・・とりあえず君を五ヶ月貸してもなんら損失ない金額を」

 盛大にため息を吐く幹也。

 その仕草に、なんとなく腹が立った。

「なんだそのため息は。黒桐、言いたいことがあるならはっきりと言え」

「・・・いえ。いまさら橙子さんに何を言ったって仕方ないことは十分わかっています。わかっていますから、とりあえず必要経費をください。

 さすがにカノン王国までとなると手持ちの金額じゃ片道すら足りませんよ」

 確かにそれはそうだろう。できれば全額欲しかったが、止むを得まい。仕事ができなくなればそれこそこの金を返さなくてはいけなくなる。

 そう思考し、橙子がいくらかを別の封筒に詰め替えるのと、その声は同時だった。

「ちょっと待て」

「ん? なんだ、式?」

 それはいままでソファに座りながら傍観を決め込んでいた少女―――両儀式だった。

「幹也。いまお前、どこに行くって言った?」

「え、カノン王国・・・だけど?」

「馬鹿か。あそこはいま魔族と人間族でろくでもない戦いを繰り広げてる国だろ。そんなとこにお前言ったら、十回は死ぬぞ」

「あはは、いくら戦いを繰り広げてるって言ったって国同士の戦争じゃないんだ。そこまで大規模じゃないよ」

「お前は普通の人間の三倍はぽけぽけしてるからな。気付かないうちに死んでることだってあり得るぞ」

 いやさすがにそれはないだろう、と橙子は思ったが口にはしない。

 痴話喧嘩に好き好んで巻き込まれようなどと誰も思うまい。

「さすがに三倍はないと思うけどなぁ。それに、人を探すだけだよ」

「やめとけやめとけ、お前変なことに巻き込まれやすいだろ。行ったら最後、お前またろくでもないことになるぞ」

「うーん、でもね―――」

「金なら返せば良いじゃないか。そこにいるの、そいつの使い魔なんだろ? そのまま送り返せよ」

 またもうーん、と唸り出す幹也を見て、橙子が少し焦った風に、

「待て式。それはまずい。いろいろな意味で」

「なんだよ橙子。金なんてお前の人形でいくらでも稼げるだろ」

「いや、それはそうだが・・・」

 もう半分ほど使い込んでしまった。その言葉は飲み込む。

 それを言ってしまえばまた幹也に小言を言われるに決まっている。別にそのくらい構わないのだが、最近どうにも上司としての威厳が落ち気味なのでここはなんとかしたい。

 さてどうしたもんか、と考えていると助けは思わぬ方向から来た。

「でも、僕はやっぱり行くよ」

 その声はもちろん幹也のものだ。

「多分橙子さんのことだからもうお金使い込んじゃってるっていうのもあるけど」

 うっ、と思わず息が詰まった。

 甘く見ていた。やはり幹也は自分の性格を熟知していた。

 そんな橙子の思いを知る由もなく、幹也は微笑を浮かべたまま式に、

「なにより祐一が頼んできた、っていうのが一番の行動理由だよ。あいつが頼み事なんて珍しいからね」

「・・・その祐一って誰だよ。オレは聞いたことないぞ」

「そりゃ、祐一と知り合ったのは式と知り合うよりも前だからね」

「・・・そこまでするほどの相手なのか?」

「うん。親友だよ」

 呆気に取られたような顔をし、次いで少し怒ったような表情になる式。

 しかし、橙子はそんな式よりも幹也の方に視線が向いてしまう。

 ―――親友、か。

 いまにして思えば祐一と式はどこかしら似ている部分があった。

 ・・・その、どこか危うく感じさせる雰囲気とか、常に一人であろうとするところとか。

 そして祐一を親友と呼び、式を大切な人だと言う。

 まぁ、ようするに。

 黒桐幹也という人間は、そんな人物を放っておけないお人好しだということだ。

 橙子は誰にも気付かれないように息を吐き、新しい煙草に火を付けつつ金を入れた封筒を幹也に渡す。

「旅料金に足りる程度は入れておいた。それで足りなかったらまた相沢から貰えば良い」

「おい、橙子―――」

「そんなに黒桐が心配ならお前も一緒に行けば良い、式。お前の分の交通費も一緒に入れてある」

「と、橙子さん!?」

「――――――」

 驚く幹也をよそに、式はどこかふてくされた顔をしながらも矛先をしまい再びソファに腰を下ろした。

 そんな式を、やれやれといった風に見つめる。

 ―――素直じゃないね、あいつも。

 心配なら、素直にそう言えば良いのに。

 とはいえ、彼女がそういった行動を取れない理由も少なからずわかっているので強くは言えないのだが―――、

「むっ」

「どうしました、橙子さん?」

「あぁ、いやなんでもない。こっちのことだ」

 首を傾げる幹也に、橙子は一人ため息を吐いた。

 ・・・いつから自分はこんなに他人のことを考えるようになったのだろうか。

 考え、しかしすぐやめた。

 そんなのは馬鹿らしい思考だ。無駄な思考などしない方が良いに決まっている。

「ほら、晴れて行くことに決まったんだ。さっさと支度してとっとと行け」

 ひらひらとどうでも良さそうに手を振る。

 そんな仕草に苦笑を返す幹也と、振り向きすらしない式。

 その、どこまでも対照的な二人を一瞥し、橙子は大きく煙草を吹かした。

 

 

 

 あとがき

 はい、神無月です。

 いやー、ハイペースハイペース。なかなか滑り出しは順調ですね?

 それはさておき今回は「空の境界」のメンバー登場のお話でした。

 幹也と式がこれからカノン王国でどういった行動を取るのか、ご期待ください。

 では、また〜。

 

 

 

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