神魔戦記 間章  (二十一〜二十二)

                「マリーシア」

 

 

 

 

 

 マリーシア=ノルアーディはいたって普通の少女であった。

 ごく平凡な家に生まれ、特にこれといった不自由もなく育ってきた。

 運動も勉学も人並み程度。

 もちろん武術や魔術なんてもってのほか。そもそもマリーシアは戦いを嫌っていた。

 いや、大きく戦いと言わずとも、争い、もしくは競い合いでも良い。マリーシアはとにかく勝負事が嫌いだった。

 皆同じ人間族。なのにどうして優劣を決めなくてはいけないのか。

 その考えからか、マリーシアはよく教会に赴いていた。

 魔術的な神を祀る正教会ではなく、この世界の創造主にして万物の神『創造主』を祀った大聖堂だ。

 そこでマリーシアは聖歌隊に所属し、『神の歌声』とまで呼ばれるようになる。

 ―――そんな、普通の少女だったのだ。つい、最近までは。

 

 

 

 パチッと目が覚めた。

「あれ・・・。あ、そっか」

 一瞬見慣れない石造りの天井にここはどこかと思考したが、それはすぐに氷解した。

 ここはキー大陸、カノン王国南方にある・・・祐一軍の根城である地下迷宮の一室。

 マリーシアはとある経緯でここに住まわせてもらっていたのだった。

「・・・よいしょ」

 簡易ながらも肌触りの良いベッドから半身を起こすと同時、毛布から開放された背中の翼が戦慄く。

「・・・・・・」

 背中から生える一対の漆黒の翼。

 いまでは扱い方もわかり、少しくらいの動きなら意識してできるようになっている。最初はこれが邪魔で寝るに寝れなかったのだ。

 それを手で小さく梳き、苦笑する。

「さて、と・・・」

 マリーシアのここでの一日の始まりは一つの仕事から始まる。

 起き上がり着替え、部屋を見渡せば、こちらのベッドに対になるようにさらに一つベッドがある。

 そこには透き通るように青い長い髪をベッドに散らして眠る少女がいる。

 水瀬名雪。彼女の命の恩人であり、またここでの生活をアシストしてくれる友人でもある。

 そちらのベッドに近寄り、マリーシアは名雪を揺さぶった。

「名雪さん、起きてください。・・・名雪さん」

「うにゅ〜。まだまだだよ・・・」

「名雪さん、また留美さんに怒られますよ? 訓練があるんですよね?」

「うぅ〜・・・」

「な、名雪さぁん・・・」

 そう。マリーシアの最初の仕事はこの極端に寝起きの悪い名雪を起こすことから始まるのだ。

 ゆさゆさと一生懸命揺するのだが、それでも名雪は涼しい顔で睡眠を続けている。 

 マリーシアは小さく嘆息一つ。こうなったらいつもの最終手段しかない。

 こほん、と声を正す。手を組み合わせ、瞼を閉じ、思考は一つのものに集中する。

 口を開き、

「――――――Aa」

 紡がれるは、優しき歌だ。

雲は流れ、風は髪を撫でる。

 いつか見たあなたの横顔を、私はいまでも忘れない。

 いつかあなたが願う想いを、

 私はいつも、こうして祈りましょう。

 花は揺れ、鳥は平和を謡う。

 いつか見たあなたの微笑みを、私は大切に守ろう。

 たとえあなたを誰が忘れようと、

 私はいまも、こうしてあなたを見ているから。

 だから信じてほしい。

 あなたは決して一人じゃないということを。いつも、私が傍にいるから。

 その距離がどれほど離れていようと、あなたは私の大事な人。

 いつも、いつでも見守りましょう。あなたの想い、その記憶を。

 だから絶望しないで。世界は、こんなにも愛にあふれているのだから―――」

 歌い終え、余韻を引きずるようにして瞼を開ければ、そこには拍手でもって迎えてくれる一人の観客がいた。

「おはようございます。名雪さん」

「おはよう、マリーシア」

 にこりと微笑む名雪。もうその表情に眠気は微塵もなかった。

 よっ、と呟き勢い良くベッドから降り立った名雪は背伸びをしながら、

「やっぱりマリーシアは歌が上手いねぇ。すぐに目が覚めるし、なんか疲れも取れる気がするよ〜」

「そ、それは言い過ぎですよ・・・」

「ううん、そんなことないよ。少なくともわたしこうして起きれてるんだし、ね?」

 そう喋りながらも器用に服を着替えていく名雪。そしてベッドの脇にかけてあった剣を腰に下げ、不意に、

「そういえばさ。あの歌ってなんの歌なの? 聞いたことないけど」

「え、っと・・・。それが実は私もよく知らなくて・・・。恋人に当てた歌としか・・・」

「そうなの?」

「はい。昔ママがよく子守唄代わりに歌ってくれた歌なので・・・」

 と、急にマリーシアの表情が落ちた。

 思い出してしまったのだ。母、という名を口にしたことで・・・あのときの惨劇を。

 自分のことを穢れた存在と、そして両親を穢れし者を生み出した重罪人として剣を向けてきたホーリーフレイムのことを。

 震えだす身体に、しかし温かいものが覆い被さってきた。

「あ、え・・・。な、名雪・・・さん?」

「なにか怖いことでも思い出した?」

「あ・・・・・・、えと・・・」

 名雪の身体に包まれる。その温かさに、マリーシアは視界が潤むのを自覚した。

「・・・はい。ママや、パパが・・・、こ、殺されたときのことを・・・。お、思い出し、おもい・・・・・・」

「うん。わかった。わかったよ。・・・大丈夫。大丈夫だから。ここにはわたしも、祐一もみんながいてくれるから。だから、大丈夫。・・・ね?」

 ポンポンとあやす様に背中を優しく叩かれる度、マリーシアから嗚咽が零れた。

「一人で泣くのは悲しいことだから、泣きたくなったらわたしに言ってよ。わたしで良ければ、こうして支えてあげるから。・・・ね?」

「・・・・・・はい。はい」

 そのままマリーシアは少し泣いた。

 人の腕の中で泣くことは、こんなにも心を慰めてくれるものなのだと、感じながら。

「・・・ありがとうございます。もう、大丈夫です」

「ホントに? 無理はしてない?」

「はい。ご心配、おかけしました」

 スッと身体を離し、精一杯の笑顔で言う。

 すると名雪は納得したのか、小さく頷いて、

「それじゃ、今日も一日頑張ろうか」

「はい」

 二人で微笑みあった。

 

 

 

 マリーシアはここでは諸々の手伝いを担当している。

 人伝ではあるが、祐一からどれでもいいから自分のできることを探して働けと言われた。住まわせてもらっている者の礼儀としてなにかがしたいと思っていたのでちょうど良かった。

 いまは食事出しの手伝いをしている。一見簡単そうに聞こえるが、しかしこれが予想以上にハードな仕事なのだ。

 ここに住んでいる者の数はおよそ三百人ほど。それらすべての者の準備となれば一時間では足りない。

 まぁ、戦闘要員以外は自分で支度せよという決まりがあるので実質マリーシアが準備するのはせいぜい百程度なのだが。

「・・・ふぅ」

 それでも今日はいつもより大変だ。

 いつもなら美咲や栞も支度を手伝ってくれるのだが、今日は魔術の修行が長引いているようでまだ来ない。

「マリーシアちゃん、皆様を呼んできてくれるかい?」

「あ、はい」

 食事係の魔族のおばさんに返事を返し、マリーシアは手に持っていた皿を並べた後で食堂を出た。

「よぅ、マリーシア」

「あ、こんにちは」

 通りですれ違っていく魔族兵にも会釈を返す。

 ・・・慣れたものだ、と思う。

 最初は街で過ごしていた名残で、魔族は悪い者だという凝り固まったイメージがあったので、正直ここにいるのが怖かった。

 けれどそれは単なる人間族の幻想でしかないことをここに来て知った。

 確かに、中には悪い魔族もいるのだろう。けれど、ここにいる魔族の者はそんなことはない。人間族である自分にも分け隔てなく接してくれる。

 しかもここには自分以外にも人間族が暮らしているし、神族だっている。

「魔力の編み込みが甘いよ。最初はもう少し魔力を使っても良いからしっかりと紡いで」

「は、はい!」

「栞ちゃんは第三小節以降の集中力が浅いよ。大きい魔力で疲労感を感じるのは仕方ないけど、もっと気を張り詰めて。最後まで気を抜かないように」

「はい!」

 声は訓練場から響き渡ってきた。

 顔を出していれば、案の定そこには魔術の修行をしている美咲と栞の姿があった。指南しているのはさくらだ。

 声をかけようと口を開いたと同時、そのさくらがこちらに気付いた。

「お、やっほー、マリーシアちゃん。ひょっとしてお昼?」

「あ、はい」

「よーし。それじゃ午前中の修行はここまでにしてお昼にしようかー?」

 さくらの言葉に美咲と栞も頷く。共に疲れたように吐息をつき、訓練場に渦のように溢れていたマナが霧散していった。

「他の人は揃ってるの〜?」

「あ、いえ。まだです」

「そっか。それじゃ、ボクはみっしーを呼んでこよっかな〜♪」

 みっしー、とは天野美汐のことだろうか、とマリーシアは考える。

 そういえば以前に一度さくらと美汐が激論を繰り広げていたがまさかあれは呼び名に関することだったのだろうか?

「では、私は羽山様方を呼んで参りましょう。栞さんはあゆ様をお願いできますか?」

「はい」

「それじゃ、また後でね〜!」

 手を振り元気に走っていくさくら。それに笑みを浮かべる美咲に栞。

「それじゃ、マリーシア。あとで」

「あ、はい。栞さん」

 そうして二人も他の面々を呼ぶために去っていく。

 改めて思うことは、ここにいる者同士の仲の良さだ。

 皆が皆に優しい。魔族、神族、人間族。関係なしに。

 ・・・これなら、ただ魔族だとかいう理由だけで虐殺を繰り返すホーリーフレイムのような人間族の方がよっぽど悪だ。

 でも人はそれに気付かない。なぜならホーリーフレイムは穢れし魔族を討つ勇者なのだから。

 つい最近までは自分も疑わなかった考えだ。こういう状況になってはじめてわかったこと。それを普通の人にわからせるのはきっと難しい。

「・・・悲しいな」

 種族という壁。見た目の壁。嫌悪。憎悪。

 それがないのがこの空間だ。

 ならば、ここはどれほど平和なのだろうか。

 ―――どこも、ここのようなら良いのに。

 そうすれば、戦いだってなくても良いのに・・・。

「あれ・・・?」

 瞼に刺さる生の日の光。

 気付けば地下迷宮を抜け外に出ていた。

 空に広がるのは綺麗な青。そして浮かぶように漂う雲の群れ。

 眩しさに目を細めれば、その先を数羽の鳥が戯れながら飛んでいく。

 ―――のどかだな。

 この空の下で、種族同士がいがみ合いいくつもの血が流れているなど・・・嘘のように。

 スッと、息を吸い込んだ。

 身体の力を抜き、歌を紡いだ。

 なんとなく、歌いたい気分だった。

雲は流れ、風は髪を撫でる。

 いつか見たあなたの横顔を、私はいまでも忘れない。

 いつかあなたが願う想いを、

 私はいつも、こうして祈りましょう。

 花は揺れ、鳥は平和を謡う。

 いつか見たあなたの微笑みを、私は大切に守ろう。

 たとえあなたを誰が忘れようと、

 私はいまも、こうしてあなたを見ているから。

 だから信じてほしい。

 あなたは決して一人じゃないということを。いつも、私が傍にいるから。

 その距離がどれほど離れていようと、あなたは私の大事な人。

 いつも、いつでも見守りましょう。あなたの想い、その記憶を。

 だから絶望しないで。世界は、こんなにも愛にあふれているのだから―――」

 ・・・パチパチパチ。

 歌い終わった途端、拍手。弾かれるようにして振り向けば、そこには―――、

「ゆ、祐一さん・・・!?」

「名雪から歌が上手いとは聞いていたが、、まさかこれほどとはな・・・。正直驚いた」

 そこには皆を統括する半魔半神の青年、相沢祐一が立っていた。

 思いもしなかった人物の登場に頭はグルグルと空回りし、思考は全然まとまらない。

 そんなマリーシアをよそに祐一は隣に並ぶと、芝生の上にゆっくりと腰を下ろした。

「いまの歌は・・・なんの歌だ?」

「え、えと・・・よくは知らないんですけど、ママが昔子守唄に歌ってくれた歌なので、く、詳しくは知らないんです。でも、こ、恋人の歌だと思います」

「そうか。子守唄か・・・」

 話題が歌のことであったことと、その質問が今朝名雪に訊ねられたことと同じことだったのもあり、なんとか落ち着いてきた。

 ・・・相手が座ってるのに自分だけ立ってるのも変・・・だよね?

 自問自答し、マリーシアはおずおずといった風に祐一の隣に腰を下ろす。

「あ、あの、身体はもう良いんですか・・・?」

「名雪に聞いたのか?」

「えと、・・・はい」

 すると祐一は小さな笑みを浮かべ、

「ああ、心配ない。いつものことだ」

「そ、そうですか・・・」

 多少落ち着いたとはいえ、緊張は解けない。

 なぜなら、会ったことこそ今まであれ、こうして直に話すこと―――しかもこんな近くで―――は初めてなのだ。

 けれど逃げたりはしない。マリーシアは一度祐一と真剣に話してみたかったのだ。

「・・・わ、私、祐一さんとお話をしてみたかったんです」

「そうか。俺もだ」

「そ、それじゃ・・・お先にどうぞ」

 すると祐一は一度頷き、空を見た。

「名雪に聞いたんだが・・・。お前はホーリーフレイムに追われていたんだよな?」

「え、あ、はい・・・」

「そうか。・・・しかし、どうやらホーリーフレイムは昔からなにも変わっていないようだな・・・」

「ホーリーフレイムを・・・知っているんですか?」

 瞬間、息が詰まった。

 祐一から放たれる、怒気と殺気が空間を覆い込んだからだ。

 なにが、と思い身を震わせると同時、

「・・・ああ、知っているとも。奴らは、俺の父親の仇だ」

「え・・・?」

 ホーリーフレイムが父親の仇?

 ならば自分と祐一は―――、

「俺とお前は境遇が似ている」

 そう、似ている。

 ならば、マリーシアの聞きたかった答え。どうして戦うのか、という答えは―――、

「・・・戦う理由は、復讐、なんですか?」

「ああ」

 あっさりと頷く祐一。それに対しマリーシアは無意識に半ば身体を乗り出し、

「・・・・・・た、戦いは、良くないと思います」

「お前は憎くはないのか? 親を殺したホーリーフレイム、そして自分や親を異端として扱った人間族が」

 マリーシアは顔を俯かせる。しばらく経って、ややあってから、

「・・・憎くないと言えば、それは嘘です。・・・けど、復讐したいとは、思いません」

 振り向く。

「このまま・・・このままでいいじゃないですか。ここにいる皆さんは、すごく親切で・・・。

 人間族の人も、魔族の人も、神族の人も、皆種族なんて関係なしに仲が良くて、差別もない。

 ならこのままでいいじゃないですか。復讐なんてしなくても・・・・・・居場所は、ここにあるんですから」

 祐一の顔を見て、どこか懇願に近いような言葉でマリーシアは告げる。

 だが祐一は首を横に振った。

「・・・意味がないな」

「ど、どうしてですか!?」

「わからないのか? マリーシアの言う通り俺たちは全ての種族が共存している。

 だが、それは逆に言えば周囲の全ての種族全てが敵であるということだ。

 このままここに、戦いなしで平和に暮らすなんていうのは夢物語以外のなにものでもない。・・・周囲は敵だらけだ。その中にいる俺たちが、戦いなしに暮らしていけるのか?」

「そ、それは・・・」

 それは、そうなのかもしれない。

 こちらが戦うのを止めたところで、向こうも戦わなくなるわけじゃない。いや、むしろいまこそ好機とばかりに攻めてくるかもしれない。

「そして攻めてきた相手にも戦わないと、争いを放棄すると言うなら・・・それは命を投げ出すのと同義だぞ?」

「・・・・・・・・・」

 マリーシアの口が閉じる。

 反論が・・・できない。言っている意味はわかるし、間違っているとも思えない。

「俺は復讐を果たす。それだけだ」

 祐一が立ち上がろうとする。だがマリーシアは袖を引っ張りそれを制した。

「マリーシア?」

「最後に一つ、・・・良いですか?」

「なんだ?」

 祐一が戦う理由はわかった。そしてそれはもしかしたら仕方のないことなのかもしれないことも。

 けれど、まだ一つ。大事な問いがあった。

「もし仮に、復讐を果たし終えたとして・・・・・・。祐一さんはその後なにをするんですか?」

 祐一の表情が驚きに揺れた。

 予想もしなかった言葉だったのだろう。祐一は逡巡し、そして、

「・・・わからん。そのときに考えるさ」

 そっと手を外された。そしてそのまま背を向けて歩き出す。

 その背中を寂しげに見つめるマリーシア。

 と、不意にその足踏みが止まった。

 なに、と思うマリーシアの前で祐一は顔だけを振り向かせ、

「さっきの歌だが」

「は、はい?」

「お前は恋人に対する歌だと言ったが・・・。俺には母親から子に対する歌にも聞こえたがな」

「―――あ」

 それだけだ、と呟き去っていく祐一。

『祐一は優しい人だよ』

 そう言っていた名雪の気持ちが、・・・少し、わかった気がした。

 

 

 

 あとがき

 ども、神無月です。

 今回は間章をお届け。そういえば間章でカノンキャラ以外って初めてか? まさかマリーシアになるとは誰も思わなかっただろうと思います。

 しかも何気に長い。

 これからの祐一、そしてマリーシアの行動にも注目してやってください。

 では、また。

 

 

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