神魔戦記 間章  (十六〜十七)

                  「潤」

 

 

 

 

 

 その日、王都カノンのカノン城正門に一人の少女が現れた。

 真紅の地面に着くのではないかというほどに長いスカート、そして雨も降っていないというのに差された水色の傘。・・・それは一目に奇妙ないでたちだった。

「おい、そこの女。現在それ以上の城への接近は禁じられている。とっとと立ち去れ」

 いまは時期が時期だ。カノン城の者は皆ピリピリしている。本来なら二人であるはずの門番も魔族対策に六人に増やされていた。

 だが、その六人の門番が武器を向けていることなど気付かないように女の歩は止まらない。

「おい、止まれ!これ以上進めば容赦はしないぞ!」

「・・・?」

 そこで初めて門番たちに気付いたかのように、その少女の歩が止まった。

 それと同時、いままで傘で隠れていた顔も露になる。

 その姿に、門番の男たちは思わず唾を飲み込んだ。

 二つに編まれ下げられた髪、儚げな瞳。そして整いすぎるほどに端正な顔立ち。それはそう、まさに美少女と名を打ってなんらおかしくあるまい。

 その美少女はそんな男たちの感情などお構いなしにといった風に再び歩き始めた。

 差し向けられた武器の中を平然と進んでくる少女に、門番たちは驚きつつもなんとか少女を取り囲んだ。

「止まれ!これ以上進めば実力で排除することも辞さんぞ!」

「カノン王と謁見のお約束をしております。通してください」

 唐突に何を、と思えば虚言も甚だしい。

 ここ数ヶ月は隣国クラナドの王女との婚儀の用意やら魔族の出現、シズクの対策やらで王に対する謁見は全てキャンセルされている。そんなことはありえなかった。

「貴様・・・どうやら賊のようだな」

「なにを根拠にそんなことを」

「そんなこと・・・自分の胸に聞くことだな!」

 その男の言葉と同時、門番たちは一斉に少女に襲い掛かった。

「・・・・・・」

 攻撃が届くまでの一瞬。その少女はため息だけを残し―――、

 

 

 

 その頃北川潤王子はカノン王国の緊急首脳会議に参加していた。

 円形のテーブルに座る十数の人物。しかし潤以外はほとんどが老人で、潤と一番歳が近い者でも三十を超えている。

 潤はここが好きではなかった。

 自分は王子という立場でここにいるが、まだ二十歳にも満たない自分がこの中では疎まれていることは気付いている。向こうは口にしてないのでこっちが気付いていないように思っているらしいが、そんなものは向けられる視線でわかるというものだ。

 しかも、この老人たちの決定はそのほとんどが潤の納得できないことばかり。

 そして今回も変わりなく愚かな討論を繰り広げていた。

「これは由々しき事態ですぞ!」

「ハッカーム卿。少しは落ち着かれよ。そのような精神状況では収まるものも収まるまいて」

「なにを暢気なことを仰られるか!五百もいた傭兵集団が全滅ですぞ!それだけの数をして倒せなかった魔族どもが、いまにもこのカノンを攻め入ろうとしてるかも知れぬのに、そのような悠長な姿勢では国を滅ぼしますぞ!」

「事を急いては逆に足元をすくわれる。いまは終わってしまったことよりもこれからの対処が重要でしょう?」

「それは誰もがわかっていることだよ。問題はその内容だ。・・・なにか案はないのか、倉田卿」

「そうですな・・・。やはり聖騎士である美坂香里殿を呼び戻して、我が全軍を持って討伐した方が良いのではないかと」

「間抜けな事を!そのようなことをして背後からシズクに狙われたらどうする!?それでは意味がなかろうに!」

「そもそもリーフ連合国はなぜあの国に攻め入らない?我々の状況とて知っているだろうに」

「彼奴らは海を挟んでいる故に大軍を一気に派遣できないので攻め負ける可能性がある、などとほざいているがはたして本当のところはどうなのだか・・・。ただ単にエア王国が邪魔なだけで、状況を利用しているのかもしれん」

「ふん。それともリーフ連合国とて一筋縄ではいかんのかも知れんぞ?」

「そのようなことはいま話すことではありますまい。問題は魔族とシズク、この二点のみだ」

「そうだ、その二点だ!」

「・・・双方に同時に当てられるほどの戦力は我々にはない。となれば、やはり攻めに入らず受けに徹するしかないのではないか・・・?」

「消極的だな、それは」

「しかしそれが一番安全だろう?」

 ・・・この調子ですでに一時間強。潤はほとんど傍観者に徹していた。

 ここは王国。本来王の一言で決まることだが、現在はその王が病に倒れているためこのような体勢で行政を行っている。本当ならその息子である潤が執り行うのだろうが、まだ若い自分が国を背負うなどこの目の前の老人たちが許すはずもなかった。

 ・・・まるで全てが良くない方向に進んでいっているようだ。

 それが見えているにもかかわらずなにもできない自分も歯がゆい。こういうときに何も出来なくて何が王子か、―――と。

「た、大変です!」

 潤の思考は突如会議室に入ってきた兵士によってかき消された。

「何事だね騒々しい。いまは大切な会議中なのだぞ?」

「す、すいません!しかしいま何者かによって門番が倒されたらしく・・・」

「なに!?」

 門番がやられた、その言葉に元首たちはざわつき始めた。もう魔族が来たのか、シズクかも知れんぞ、などなど・・・。

 しかし潤はどちらもありえないだろう、と考える。

 魔族はいまのいままで傭兵集団と戦っていたのだ。空間跳躍でもしない限り、距離を考えればまずあり得ない。それにシズクもこの前エアとクラナドの合同軍に大きな痛手を食らいいまは動きを潜めている。

 ・・・ならば、いったい誰だろうか。

「・・・私が行きましょう」

 双剣を携えて、潤は席から立ち上がりそう告げた。

「潤王子が行かれることはない。いま衛兵を呼んで対処させよう」

「そうです。いまあなたに死なれたら国は崩壊してしまう」

 潤は心の中で失笑した。

 この中で自分の身を案じているものは一人もいない。いや、逆に死んでほしいと願っている者がほとんどだろう。

 いま王子たる自分が死ねば、公然と元首たちによる会議で行政を行う事が出来る。円滑に。いちいち王である父やこちらの機嫌や顔色を伺わなくて良いというわけだ。

 実際、衛兵を呼ぶなどといっておいてその男は微塵も動く気配を見せない。

「一人で行きます。ご心配なさらぬように」

 建前の台詞に建前の言葉で返し、潤は会議室を後にした。

 

 

 

 門は開いていた。

 しかし状況を見るに、賊が開けたのではなく城からの迎撃部隊が開けたものなのだろう。外からでは鍵もなしに無傷では開けられまい。

 その門橋の上には累々と兵士たちが倒れた。

 ・・・しかし、どうやら全員死んではいないようだ。いや、生かされたと言ったほうが正しいか。

 その中央で、まったくの無傷で立つ少女がいる。

 見たことのない少女だ。しかも少々奇天烈な格好をしている。

「お前・・・なにをしにきた?」

 双剣を構え、とりあえずは訊ねてみた。

 本来訊ねることではないかもしれない。しかし、潤は腑に落ちなかったのだ。

 城を襲うのが目的なら、なぜこの門の前から動かないのか。兵士を片付けたのならもうそこに立っている必要はなく、入ってくればいいのだ。それをしない・・・。それは即ちこの少女の目的が城を攻めることではない・・・という事になる。

「やっと、まともな人が現れましたか」

 少女は辟易とした、といった風に大きく息を付くと潤に向かって小さく会釈した。

「はじめまして。私は里村茜。ワン自治領の外交官をしています」

「ワンの・・・外交官?」

「はい。ここ最近カノンとの連絡が途絶えていましたので先日書簡にて訪問を伝えておいたはずなのですが、なぜかこういうことになってしまいまして。・・・言っておきますが正当防衛ですよ?」

「・・・みたいだな」

 なるほど。よく見れば服の肩の部分にワン自治領のマークが刺繍されている。

 潤はやれやれとこぼし、ゆっくりと双剣をしまった。

「それにしてもうちの衛兵を無傷でこんな・・・。ワンは外交官も強くなくちゃ駄目なのか?」

「私たちは国家ではなくあくまで自治領。交渉先で暴力などによる理不尽な要求などが無いとは言えませんから」

「なるほどな。・・・あ〜、こんなところで話をするのもなんだな。応接室に案内しよう」

「はい。―――あの、ところで」

「ん?」

「あなたは誰ですか?」

 訊ねられ、そう言えば名乗っていなかったな、と潤は苦笑した。

「北川潤。カノン王国継承位第一位の、これでも王子だよ」

 それを聞いたときの目の前の少女の驚き振りに、潤はまたも笑いを上げた。

 

 

 

「・・・なるほど。クラナドの王女との婚儀に加え、魔族の出現ですか」

「ああ。そんなこんなでいろいろ忙しかったから、その書簡も届きはしても読まれなかったんだろう」

 場所を変え、応接室にやって来た二人(・・・ちなみに、衛兵たちは潤が他の兵士に連絡して救護室に送らせた)。

 カノンの近況を語った潤の前で、茜は得心がいったように二度三度と頷いた。

「それで、カノン王は?」

「あれ、知らなかったのか?父―――国王はいま病に倒れて・・・ほとんど表には出て来れない」

「・・・知りませんでしたね」

 ため息を吐き、非難がましい視線で潤を見る。

「所詮我らは自治領。なににしろ優先順位は低いですから・・・。その情報もエア王国に知らせることだけで頭がいっぱいだったのでしょう」

 潤は苦笑いをするしかなかった。

 事実カノン・・・そしてクラナドはどんなことをするにしてもエアの顔色を伺わなくてはいけない。それは昔から繰り返されてきた・・・暗黙の了解のようなものだった。

 それだけエア王国は恐ろしい。・・・敵に回したくはない。

 そのことだけで国王も元首たちも頭がいっぱいで、所詮自治領でしかないワンのことなどすっぽ抜けてしまうらしい。

 自分はあくまで王子。そこまでの政経を行う権限はないのだ。

「・・・すまないな」

 だから潤としては素直に謝るほかになかった。

 そんな潤に、しかし茜は厳しい視線を解かない。

「・・・・・・最近、我らの領土内の国境沿いにあるニニアランの街でカノン兵による傷害事件が起きたのですが、王子はその件をご存知ですか?」

「なっ・・・!?」

「・・・その様子では、やはり知らなかったようですね」

 そんな話は誰からも聞いた事がない。驚愕に打ち震える潤の目前で、茜は続ける。

「・・・死者はなし。ですが重傷者五名、軽傷者二十余名。・・・・・・さらに暴行された女性が四名。捕らえたカノン兵十一名は自治領である我々には裁けませんのでそちらに委任したのですが・・・どうやら無罪だったようでして。次の週にはまた砦に戻っていました」

「そんな・・・」

「それだけではありません。カノンからは『無罪である兵を捕らえた事は、我が国に対する冒涜である』という書簡も届き、六十億ゼニーもの大金を要求されました」

「ろっ・・・!?」

 六十億ゼニーといったら国家予算の三分の一にもなる大金だ。

 そんな馬鹿げた話が・・・と口を開きかけたが、目前の少女がそんな嘘を吐いているとも思えなかった。

「・・・これは、明らかな脅迫行為です。シズクの襲来で厳しいこの状況下で、カノンは我々と戦争をしようとでも思っているのですか?」

「い、いや、違う!そんなことは・・・!」

「あなたはそうでも、他の元首たちはどう思っているのでしょう。・・・国王が病に倒れられたのならば、いまの行政は元首による会議などで進行されているのでしょう?」

 それは確かにそうだが、・・・そこでもいまのような話は耳にした事がない。

「カノンに限らず大陸の王国は我々を軽視しているようですが、ワンとて戦力ではカノンやクラナドに引けを取らないつもりです。・・・今回の訪問は、そういう点でのカノンの真意を確かめに来ました」

 茜の視線が潤を射抜く。

 その眼光は「どうなのですか?」と問うている。そして中途半端な言葉など一蹴する圧力も込められていた。

 ・・・そんな茜に、潤はかける言葉が見つからない。

 ―――だって、仕方ないだろう?

 全ては潤の知らないうちに進められていたことだ。かといってここで無責任な事を言えば、この少女―――いや、ワンは間違いなくカノンに攻めてくるに違いない。

 答えあぐねる潤。それが数分経ったとき、茜は心底からのため息を吐いた。

「・・・・・・まぁ、王子に聞いてどうなることでもないのは、いままでの会話でわかっていたことですけど」

 その言葉は潤の心に深く突き刺さった。

 自分はこの国の王子なのに・・・なに一つとしてできてないしできない。茜の言う通りだ。

 自分の無力さを痛感する潤を見て、茜は音もなく立ち上がった。

「・・・無駄な忠告かもしれませんが、このままではカノンは元首たち・・・そしてエアに食われますよ」

「・・・・・・わかってる」

「そうですか。なら、・・・あなたはあなたのすべきことをするべきなのではないですか?ここで燻っていてもなにも事は動きません。・・・あなたは現状のカノンをあまりよろしく思っていないのでしょう?」

 見下ろす二つの瞳孔。そこに灯る心遣いに、潤の口元が小さく崩れた。

「いらない・・・心配をかけたな」

「・・・一国の王子にこのような口振り、重ねてお詫び申し上げます」

「いや、気にしないでくれ。むしろ、こっちが謝りたいくらいだ」

 頭を下げる茜に片手を振って答える。

 姿勢を戻した茜は、

「王子もいろいろと大変なのでしょうが・・・、頑張ってください。せめて、最悪な展開にはならないように」

 そうとだけ告げるともう一度頭を下げ、傘を持って応接室から出て行った。

 閉まる扉の音を背後に、潤は椅子に大きく寄りかかった。

「・・・・・・一国の王子として、俺が出来ること。・・・やらなきゃいけないこと、か」

 一人だけになったその部屋で、潤は窓から覗く光が茜色に染まるまで考え込んだ。

 

 

 

 あとがき

 どうも、神無月です。

 今回は潤の・・・というよりカノンの状態が見えました。

 カノンにもいろいろある、ということです。

 そしてこれから先茜がどういう活躍をしていくのかも、楽しみにしていてくださると嬉しいです。

 それでは、今回はこの辺で。

 

 

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