神魔戦記 第十五章

                 「前方に大波、後方に断崖([)」

 

 

 

 

 

 地下迷宮を疾走する三つの影がある。

 それは先頭から順にあゆ、美咲、栞の三人だ。

 そんななか、あゆは翼をはためかせながら唐突に口を開いた。

「・・・おかしい」

「どうしたんですか、あゆ様?」

 道を行きながらしきりに首を傾げるあゆに、美咲が言葉を掛ける。

「なんか・・・嫌な予感がする」

「嫌な予感・・・ですか?」

 頷く。それに、と続け、

「おかしいとは思わない?あれだけいた敵がここには全然いない」

「それは・・・確かに」

 栞と合流してからというもの、ここに至るまで遭遇した敵は片手で足りるほど。

 もし真琴や浩一が蹴散らしたのなら、死体があっていいはずだ。しかしそれもないということは・・・。

「初めから敵がいなかった、ということですか?」

「そういうこと・・・なんだと思うよ」

 どういうことか、と美咲が思案していると後ろから栞が答えた。

「きっとここにいる必要性がないんですよ」

「栞さん?」

「初めから敵がいないということは、そこに配置する意味がないということです。それはつまりここが落とす価値のない場所であるか、もしくは・・・数を必要としない誰かがいるか」

「栞ちゃんの言うこと、正しいと思うよ」

 あゆはツイッと視線を前に向ける。その向こうには白い、開けた空間がある。

「この先から、すごく強い気配を感じる」

 しかもあゆにとってそれは昔感じたことのある気配だ。

 これは・・・と思案しながら足を入れた空間の先、・・・そこには二つの影があった。

 一つは左腕のない男。

 そしてもう一つは・・・、

「真琴ちゃん!?」

 あゆの悲鳴の先には、地面を血に濡らして倒れ伏す真琴の姿があった。しかも手足が石化している。

 その姿を見て、駆け寄るあゆと美咲と栞。

「これは・・・!」

 声を上げる栞。それは誰が見ても致命傷だとわかるものだった。

 穴の開いた腹部。そこからは流々と血が流れ出ていて、真琴の身体はすでに温度を感じさせなかった。

「真琴ちゃん!」

「真琴様!」

「・・・大丈夫です。まだ死んではいません」

 その言葉にハッとするあゆと美咲。栞の言う通り真琴にはまだ息が合った。

 人間族なら間違いなく即死であっただろう。が、生命力の高い獣人族だからこそ真琴はまだ命の灯火を消してはいなかった。

 とはいえ、このまま放置していれば獣人と言えど五分と持つまい。

 栞はすぐさま真琴の横に膝をつくと、治療魔術の詠唱を開始した。

「この人の治療は私がやります。お二人はあの人をここに近づけさせないでください!」

 その言葉にあゆと美咲は視線を下から前に向けた。

 その先に左腕を失った一人の男が立っている。

 美咲は知らない。だがあゆはその男を知っていた。

「斉藤、時谷・・・!」

「月宮あゆ、か。あぁ、懐かしいねぇ、あんたのその・・・目が壊れるくらいに白い翼がよぉ?」

「・・・そっか。キミが真琴ちゃんを」

「当たり前だろ。これは戦争だぜ?」

「そうだね。そうだけど・・・」

 翼がはためき、

「それだけじゃ許せないのが感情なんだよ!」

 あゆが疾駆する。

「あゆ様、真琴様は石化しています!相手がどのような能力を持っているかわからない以上不用意に近付いては・・・!」

「大丈夫。あの人の石化の魔眼は不完全なんだ、一日に一回、しかも数秒しか使用できないんだよ!」

「石化の魔眼!?」

 それは数多くある魔眼でAランクに該当する特例(ノウブルカラー)だ。

 不完全とはいえ、それを持ちえる魔族がいるとは・・・。

 だが、そんなことに呆けている余裕はない。

「美咲さん、援護お願い!」

「あ、はい!」

 返事を聞くや、あゆはグランヴェールを掲げて、叫んだ。

「グランヴェール、第二形態!」

Ok. Granvale standby

 瞬間、赤い水晶体が煌き、刀身から光の刃を放ち始める。

「へぇ。そいつは神殺しか。月宮、いつの間にそんな良いもの持ち始めたんだ?」

「キミたちが祐一くんを捨ててからのことだよ!」

 大きく振りかぶられた光の一撃。

 だがそれは余裕の動作で回避される。

「『氷の柱・四裂(フリーズウォール・フォース)』!」

 その魔術も当たらず無駄に終わる。

 決して時谷の動きが素早いわけじゃない。単にスピードならあゆの方が上だろう。

 時谷が卓越しているのは戦闘経験だ。

 いつどのような状況でどのような攻撃がどのタイミングでどの場所に来るのか。

 それを頭で思考するのは錬金術師だが、時谷はそれを身体で理解していた。

 生涯を戦いに捧げた一人の戦士の、それは最高の能力だった。 

「どうしたよお二人さん?そんな攻撃じゃ俺には当たらねぇぜ?」

「こ・・・のぉ!」

Speed up

 グランヴェールの魔力付与によってあゆのスピードが更に加速する。だが、

「そういう問題じゃないんだがな・・・」

 やれやれと息を吐いた時谷にその攻撃をあっさりかわされた。

「速度だけならそこの獣人の方がだんとつで早かったぜ?」

 ようはそういうことだ。

 単純な速度だけなら真琴の方が明らかに速い。

 真琴の音をも越えた速度で始めて時谷に傷を付けられた。

 だが、それ以下のスピードならいくら速かろうが関係ない。ただ回避するタイミングが早くなるだけ。

 ここまで来てあゆと美咲は悟った。

 ―――自分たちではどうやってもこの男に勝てないということに。

「そろそろこっちから・・・いくぜ?」

「!?」

 一拍で間合いを詰めた時谷の鋭い手刀があゆを串刺しにしようとした・・・その刹那、

「『炎の柱・十二裂(フレイムウォール・トゥエルブ)』!」

「なに!?」

 突如あゆと時谷の間を遮るようにして炎が湧き上がった。

 美咲ではない。美咲は炎の魔術は使えない。

 ならば・・・?

 そこにいる全員が視線を向けた先には、一組の男女が立っていた。

 少女は誰もが知らない人物だが、隣の青年は全員が知る者だった。

「相沢・・・祐一」

 黒髪が小さく揺れた。その隙間から覗く眼球は畏怖を携えている。

「久しぶりだな。・・・斉藤時谷」

 その男―――相沢祐一は時谷を睨み、そして横で倒れ伏す真琴を見た。

「・・・さくら。見てやってくれないか?」

「仲間、なの?」

「ああ。大事な、・・・俺の仲間だ」

「・・・わかった」

 さくら、と呼ばれた少女が真琴の方へ小走りに去ると同時、祐一と時谷の視線は互いを突き刺した。

「随分と早いご到着だなぁ。地上の傭兵集団はどうしたよ?」

「お前が気にするようなことじゃない。まだ片付いてはいないが、いずれけりもつくだろう」

「はっ、そうかよ。やっぱ使えないな、人間っていうのは」

「そんなことを気にしている余裕はないだろ?」

「なんでだよ」

 苦笑。祐一は剣を抜き放つと、ただ一言。

「いまから倒される相手を前にしては、な」

 

「この傷じゃ・・・!」

 真琴のもとにやってきて傷を見たさくらは悟る。

 この傷はそんじょそこらの治療魔術では修復できない。

 さくらは栞の横に座ると、その顔を見やった。

「“水の神(アーティマ)の修道女だね。覚えている治療魔術は?」

 突然のさくらの登場と質問に驚きつつも、その真剣な眼差しに答えを紡ぐ。

「い、癒しの水と抱擁の水くらいしか・・・」

「それじゃ傷を治療するどころか進行を止めることも出来ないね。せいぜい傷の進みを遅らせるくらいしか・・・。聖なる母の水陽くらいの術じゃないとこの傷は癒せない」

 その魔術の名に栞は驚愕の色を浮かべる。

 聖なる母の水陽。

 あの“水の神(アーティマ)の神官位ですら修得できないと言われている最難度の水の超魔術。治療魔術では最高の属性である水の中でもトップの治療魔術だ。ある種軽い蘇生すら可能にすると言われるその魔術を修得している者が果たしてこの世界に片手ほどもいるだろうか。そういう次元の魔術である。

 さくらはすぐに栞に見切りをつけると、時谷との戦闘から少し離れたあゆに視線を向ける。

「そこの神族の子!キミ、抱ける流慧の光覚えてない?」

「えぇ!?そんな古代魔術ボク覚えてないよ!」

「だよね・・・」

 抱ける流慧の光は神族の王族、しかもかなり高い位の者にしか伝授されないという古代魔術だ。

 それもない、となると現状でこの傷を回復させることはできないということだ。

 ならば・・・残された手段はただ一つ。

「仕方ない。そこの“氷の神(ザイファ)の修道女さん、断絶の六水晶は覚えてる?」

 それが自分に向けられた言葉だと理解した美咲は、しかし首を傾げて、

「え、はい。修得していますけれど・・・。でもあれは封印魔術ですよ?」

「仕様がない。ここで治療できないなら封印しよう。封印してれば死ぬことはないからね。誰かが治療魔術を修得するか、既に修得している人を仲間に出来たときに封印を解除すればいいんだから」

 さくらはそう言うと、祐一の顔を見た。

 良いよね、という確認のニュアンスを込めたその視線に、祐一は頷く。

「いまはそうするしかないだろうな」

 さくらは頷き、

「キミ、早く来て!このままじゃ封印の術完成前にこの子の生命力が持たない!」

「は、はい!」

 急ぎ近寄ってくる美咲に、さくらは確認するように呟く。

「いい?マナを形成して詠唱を一から唱えている時間はない。だから第四小節から開始して」

「え、でもそんなことをしたら・・・」

「大丈夫。ボクが援護して負荷をキャンセルさせるから」

「でも・・・」

「ボクを信じて。早くしないとこの子死んじゃうよ!」

「―――っ!」

 いまは判断を迷っている状況じゃない。なにかできることがあるならば、それを実行すべきがいまなのだ。

「わかりました!いきます!」

 美咲は瞳を閉じ、マナを集約し始める。

 その背中にそっと手を沿え、さくらも魔力を集束し始めた。

そしてその名を真に呼びし者はここにあり。其の力は絶対

 突如として第四小節から始められた詠唱に、工程を飛ばされたマナが荒れ狂い、美咲を傷付けようと魔力が暴走を開始する。

「っ・・・!」

「大丈夫。怖がらないで」

 諭すようなさくらの声。

 その言葉と同じように、優しいなにかが美咲を包んだ。

(なに・・・?)

 それはどのような理屈で行われているものなのか。

 美咲の体内を蝕むはずの魔力、体外を傷付けるはずのマナが根こそぎさくらの魔力によって打ち消されていた。

 にわかには信じられないことだった。

 信仰している神の名の下、魔力を紡ぐのは容易い。それは過去に何人もの魔術師が研究を重ねて確立された最も魔力の形成しやすい魔術式だからだ。

 だが、魔術式なしの魔力放出は操作が難しい。

 故に世界広しと言えどオリジナル魔術を行使できる者は少なく、その者たちは魔術師の中でもトップクラスと言えるだろう。

 それを考えれば、さくらの行っている芸当はすでにそのレベルに到達していると言える。

 美咲に付与した魔力が多すぎればさくらの魔力が、少なすぎれば唸る美咲のマナと魔力が美咲を傷付ける。キャンセルするには常に同等の魔力量でなければいけない。

 それをさくらはやってのけている。口で言うのは容易いが、これは相当な妙技である。

 莫大な魔力量、卓越された魔力コントロール、美咲の魔力を精密に計り取る把握力、そしてそれを行使できる度胸に自信。

 全てにおいて、美咲の知る中でも最高位の魔術師の姿がそこにはあった。

 ―――大丈夫。この人なら・・・。

 付与される魔力に背中を押されるようにして美咲は両手を広げ、

いまこそここに、ザイファに契り願うは断絶の水晶・・・!」

 魔術式を完成させる!

「『断絶の六水晶(エグズィスト・クリスタル)』!」

 火属性が破壊魔術、水属性が治療魔術を長とするならば、氷属性の長は封印魔術にある。

 それを体現すると言わんばかりに氷の魔力が吹き荒び、真琴の身体を宙に浮かせて、身体が氷の冷たさに反応して機能を停止するよりも早く瞬時に凍りつかせる。

 一本の氷柱が形成された。その中心で眠る真琴。

 ―――ここに封印は完成された。

「は・・・あぁ・・・」

 緊張のせいか、へたり込む美咲。

 そこまではないものの、やはり疲れた表情でため息を吐いたさくらは、ちらりと祐一を一瞥する。

「手伝う?」

「いや、いい。お前も休んでろ」

 どうやら祐一も気付いているらしい。こちらの状態を。

 ・・・正直休みたかった。なんせ魔力が残り少ない。さすがに知りもしない相手の魔力に同調して流し込むなんていうのは無理があったらしい。

 足手まといになるのも良くない。

 さくらは祐一に言われた通り一歩下がって休む事にした。

「死んじゃ駄目だよ。約束は守ってもらうんだから」

「当たり前だ。俺は約束は守る」

 微笑と共に黒い外套が翻る。

 なんとなく、安心できるような笑みだった。

 

 祐一の周囲に魔力が凝縮する。

 祐一を越えて向こうの景色が歪んで見えるほどに具現化された魔力の渦。

 周囲にいた面々が息を飲み込む。

 ・・・美咲や栞、さくらはまだ知らない。祐一の本気を。

 だが、あゆは知っている。そして確信していた。

 この世界に祐一に勝てる者などいない、と。

「あゆ。下がっていろ。こいつの相手は俺がやる」

 あゆは無言でその言葉に従った。

 対峙する祐一と時谷。

 その時谷ですら、表情に余裕が消えていた。

 あの真琴と戦ったときですら最後まで消えなかったあの笑みもない。

 それだけの威圧と圧力があった。

「・・・いくぞ」

 祐一が剣を構え、―――地を蹴った。

 

 

 

 あとがき

 やっとこの話も終わりが見えてきた・・・。

 さて、次回時谷と決着。そして・・・。

 では、次回もお楽しみに〜。

 

 

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