神魔戦記 番外章
「それは迷宮の如く」
荒廃した丘がある。
周囲を見渡しても草木すら発見できないような荒野。だが、砂漠・・・というわけではなく、岩面が地面より突き出ているような、そんな場所。
そこを、いまおよそ二千という数の人間が進軍している。
向かう先は王国エターナル・アセリア。
「各中隊長に通達。このセルデン荒野を抜けたらすぐ王国エターナル・アセリアとの国境だよ。部下を今一度掌握しといて」
先頭の方を歩く一人の少女が後ろに振り向いてそう言い放った。
その言葉によって数人・・・否、数十人という人間が動きを見せる。
それを確認し満足気に頷きを見せた少女は腰まで伸びる艶やかな黒髪と、その身に巻く妙な布を揺らして再び前方へと顔を向ける。
「星崎」
それと同時に届く声。それが自分の名であることから少女―――星崎希望はその方向へと視線を向ける。
そこには男がいた。白亜の鎧を身に纏い、どこか禍々しい気配を放つ剣を携えた、顔立ちの整った男。
鎧の肩口にあるエンブレムは、希望と同じチェリーブロッサム王国のものだ。
「なに、さくっち?」
そんな彼に、希望は笑みを携えて問いかける。
希望がさくっちと呼ぶ青年・・・この二千人の部隊の総隊長である桜井舞人は、・・・しかしそのような風格を一切感じさせない。
のらりくらりとした雰囲気と、どこか散漫な足取りは、これから大きな戦いに赴く兵士にすら見えない。
「星崎。腹減った。というわけで貴様の食事をこのミスターイケメンたるこの俺に分けるという偉大な任務を授けよう」
「あはは、さくっち。さっきご飯食べたばっかりでしょ?」
「馬鹿者。こうも同じ風景ばっかり見せられたら暇で暇で減らない腹も減るっつーの。というわけでギブミー食事」
「あはは、さくっち。あんまり無茶なこと言うと首絞めちゃうよ?」
「ぐぉぉぉ・・・ぉお、ぉおぉお・・・、ほ、星崎様、締まってます、締まってます! 既に貴方様の神殺しが勝手に私目の首を絞めております・・・げふっ」
「あらあら、駄目だよドゥーアローン。仮にもこの人私たちの総隊長だから。首絞めたいと思っても締めちゃ。・・・せめて刺すに留めないと」
「・・・げふ、ごふ、ごふぅ。・・・ほ、星崎さん? 最近貴方様の言動を怖く感じるときがあるのですが・・・気のせいでございましょうか?」
「えー、私が怖い? うん、あり得ないよ、あり得ない」
「・・・・・・まぁ、俺は寛大だからそういうことにしておいてやろう」
こんなやり取りもいつものことだ。だから周囲の兵もそれを注意しようとかそういう意識はない。
というより、いつもはもっと賑やか・・・というよりうるさい。いつもはここに八重樫つばさや相良山彦、雪村小町といったメンバーがいるのだが、いまはいない。彼女たちは他の部隊を率いて別のルートを行っている。
まぁ、軍事的なことになると自分以外の友人たちが舞人とともに行動することは極めて少ないのだが。
それは彼の持つ永遠神剣のせいであった。
永遠神剣『第四位・忘却』。莫大な能力を所持者に与えるのと引き換えに、『忘却』はあるものを奪っていく。
それは・・・記憶。所持者が大切に思っている者の記憶、あるいは所持者を大切に思っている者の記憶を奪う。
故に『忘却』。
これまでの戦いの中で、舞人は希望や小町たちのことを何度も忘れたし、小町たちもまた舞人のことを何度も忘れてしまった。
けれど、希望は舞人の記憶を奪われたことはない。
研究者から言わせれば、それはこの希望の持つ、神殺し・・・第十四番・『ドゥーアローン』のおかげだろうとということだ。
神殺しと永遠神剣は似て非なる物。
どういう関係性があるかわからないが、だからこの大切な想いを、希望はずっと胸に抱いたままでいられる。
―――だけど、また忘れられちゃうかも。
いままで自分のことを忘れられたことは五度。その度にまだ覚えている他の友人たちの説得として自分の存在を再び覚えてもらい、また関係が最初からスタートするのだ。
それは舞人に限らず、舞人のことを忘れてしまった者も同じだが。
でもそうやって何度忘れても、皆また仲良しになる。そして再び関係が戻ったと思ったら・・・再び振り出しに戻る。
その繰り返し。
希望は自分だけが覚えていられることを幸運だと思っている。
もちろん何度も何度も『お前誰だ?』と好きな者に言われる痛みは慣れないし、何度か自分もこの想いを忘れられたら楽になるんじゃないか、と考えたこともある。
けど、この想いを忘れてしまったら・・・これまでのことが全て無駄になるような気がするのだ。
だから、せめて自分だけは全て覚えていようと思う。
自分がいまこうして戦場に立つのは・・・全てこの桜井舞人のためなのだから。
希望だけではない。八重樫つばさ、相良山彦、雪村小町、森青葉、里美こだま、結城ひかり・・・皆そうだ。
そして舞人もまた、そんな友人たちのために戦っている。
・・・チェリーブロッサムに生まれた者は皆王家に逆らえない。
それは生まれてすぐにある呪具を身体に埋め込まれているからだ。
呪(いは・・・単純。
命令に逆らえば破裂する。
王の言葉に逆らうと、埋め込まれた呪具が体内で爆発を起こし・・・その者は絶命する。
一つの生命体を命令どおりに動かす、といった呪(いは理論上不可能だ。だから、命令どおりに動かなければいけない状況に追い込む呪具を埋め込む。
ちなみに、この呪具。舞人と希望にはない。
否、もちろん生まれたときは埋め込まれていた。が、永遠神剣を持った瞬間、また神殺しを持った瞬間、呪具は体内から消去された。
どういう理屈かは不明だが、とにかくそういうわけで舞人と希望にはその呪具がないので王に逆らうこともできる。
だが、二人はそれをしない。
なぜなら小町やつばさといった面々にはまだ呪具が埋め込まれているからだ。
だから自分たちは逆らえない。友人を見捨てることなど、二人にはできなかった。
舞人はその友人たちのことを忘れる。けれど、一回の力の使用につき、忘れるのは一人。同時に皆を忘れない以上ここから離れようという気にはならない。他の者も同じだ。
―――果てしないな。
心中で呟く。
大義のない戦い。希望は国としての方針はむしろ敵である王国エターナル・アセリアを支持する。
種族という壁を越えた共存。それは素直に素晴らしいと思う。
けれどそれを自分は手助けするどころか、壊す立場にある。
なんて皮肉だ。なんて・・・嫌な連鎖が生む戦いだろうか。
―――いつになったら、戦いは終わるんだろう。
そして、
―――いつになったら、・・・舞人君は誰も忘れず、また忘れられないようになるんだろう。
思う。
それを望むのなら・・・戦いを終わらせなくては。
そして戦いを終わらせたいのなら・・・敵を倒さなくては。
敵を倒したいのなら・・・心を殺さなくては。
それもまた嫌な連鎖。
戦いたくない相手との戦い。
戦わせたくない想い人を戦場へ送る気持ち。
・・・全て、全てが闇へと沈んでいく。
「どうした、星崎?」
彼が・・・桜井舞人がどことなく心配そうな表情でこちらを伺っている。
心配してくれているんだ、と言えば彼はきっと「ぷ、ぷじゃけるなよ! 誰が貴様なんぞの心配など!」と少し照れながら言い張るだろう。
そんな情景を思い浮かべて、思わず笑う。力ない笑いだと自覚しながらも、
―――笑えるってだけで、救えるよね。
だから、無理やりにでも笑みを浮かべ、希望は勢いよく舞人を振り返った。
「なにが? 私は全然元気だけど?」
「ふむ・・・。そうだよな。お前が落ち込むなどと、そんなことがあればそれはまさしく天変地異と同義。
ということで星崎。そんな天変地異を起こす前にこの俺に飯を・・・ぐぇあ」
「あ、ごめん。また勝手にドゥーアローンが」
あはは、と笑う。
・・・戦うしかないのなら、戦うしかない。
自分の全力を持って、敵として前に立つ者を屠るだけだ。
この彼との時間を・・・彼と皆との時間を不変のものにするために。
いつかこの無理に作った笑みが、本物になると信じて。
そんな行軍を、一人小高い丘から眺めている者がいる。
さらりと風に流れる短い銀髪から除く瞳はとても無邪気で・・・そして恐ろしい。
なにを考えているのかまるで見当もつかないような細い視線を眼下に向け、彼は小さく笑みを作った。
「ははっ。彼もなかなか大変だねぇ。戦うたびに大切な人の記憶が消える・・・あるいは大切な人から自分の記憶が消えるなんて。
昔は『記憶』を操る側だったのに・・・いまでは操作される側か。ここまで堕ちるといっそ笑いしか出てこない」
くくく、と喉を鳴らして笑い、
「ねぇ? そうは思わないかい? ―――桜香?」
青年は―――いつの間にか後ろでこちらに槍の穂先を向けている幼い少女の名を呼んだ。
桜香、と呼ばれた見た目十歳前後の少女は・・・しかし無言のままそこに佇む。
「おやおや、桜香。久しぶりの再会なのに挨拶もなしかい? それは少し寂しいね」
青年は槍の穂先が背中にあてがわれていることを気にもしないのか、歌を歌うように言葉を紡ぐ。
「ざっと・・・そうだね。十五周期・・・いや、それ以上振りかな? 感動の再会とは言わずとも、少しくらいあっても良いんじゃないの?」
「・・・あなたは」
「ん?」
「あなたは、なにも変わりませんね。朝陽」
彼―――朝陽はその言葉に口元を崩した。
「変わる? 僕が? はっ、まさか。僕の心はいつだって君と一緒だよ、桜香」
「私とあなたは違います」
「違わないね。どこが違う? なにが違う?
目指す先、目指すべきものは一緒だろう? ただそこに至るまでの道を違えてしまっただけさ。僕たちは」
「・・・朝陽。あなたの取った道は間違っています。そのせいで・・・あの人はあんな風になってしまった」
「あの人? あぁ、彼ね。いまは・・・えーと、そうそう桜井舞人って名前だったっけ?
でも、なかなか皮肉だよね。桜の名を冠するなんて・・・。『記憶』も洒落たことをすると思わないかい?」
「・・・・・・あなたは」
そこで、突如地震が起こった。
朝陽の眼下、進軍するチェリーブロッサムの部隊が足を止めているのが見える。
それを見て、おやおや、と朝陽が苦笑を浮かべた。
「桜香。なにを怒っているんだ? 君ほどの者がこんな通常世界で力の一端を発露するなんて・・・。それ以上怒ったら地震じゃすまないよ?」
「・・・朝陽。あなたどうしてそうまで軽くいられるのです。あの人が、あんな状態になってしまったというのに・・・」
「それこそ知ったことじゃないさ。彼は僕から離れていこうとした。君を追いかけようとしてね。でも、それじゃあ僕は一人だ。
だからそれを阻止しようとしただけで、ああしたかったわけじゃない。あれは事故さ。僕のせいじゃない」
「―――朝陽」
地震が、さらに大きさを増す。
桜香の周辺に至っては地割れすら起き始め、空には暗雲が立ち込め始めた。
しかし、なによりも恐ろしいのは桜香から放たれるその怒気・・・否、殺気と魔力の圧力だった。
その殺気、おそらく通常の人間が触れればそれだけでショック死する程に研ぎ澄まされ。
その魔力の圧力、下手な魔術師ならその荒ぶるマナに飲み込まれて絶命するほど。
実際地震も暗雲も、桜香から放たれる強烈なマナに世界が耐え切れないために起きる現象だ。
もしもいま誰か普通の人間が桜香を見たならば、誰もが口を揃えてこう言っただろう。
化け物、と。
だが・・・その中にありながらも朝陽は笑顔を崩さない。涼しそうな表情のまま桜香へと振り返る。
「桜香。君、やっぱり少し変わったよ。ちょっと怒りやすくなったね」
「・・・私も同感です。あなたも少し変わりました。昔よりも・・・更にあなたは冷たくなりました」
すると朝陽はハン、と鼻で笑う。
「冷たい? 僕が? ・・・馬鹿を言っちゃいけない、桜香。僕にはそもそも人を想うような感情を持ち合わせちゃいないのさ。
それは君も、彼も、変わらない。・・・はずだったんだけどね。彼が変わって・・・そして君も変わってしまったみたいだね」
朝陽の表情が、そこではじめて笑み以外の形を持った。
それは・・・悲しみだ。
「まったく・・・ホント、昔の君はどこに行ったんだい? あの抜き身の刃のような鋭さと、氷のような冷たさと、雪のような儚さは。
僕の大好きだった・・・あの桜香はどこへ?」
それに対し、桜香は首を振った。横に。
「ならば、もうあなたの望む桜香という少女はいません。
私は桜香。香る桜と書いて桜香。儚くとも、共にいる人に安らぎと喜びを与えられるような・・・そんな存在でありたいと願う。・・・桜香です。
あの人がそう言ってくれた・・・それが私です」
「・・・そうか」
冷えた、低い声が響いた。
「そうか、そうかよ。・・・君も、時深も、彩も、鳳仙も、黎亜もみんなみんな彼ばっかだ。あんな醜い存在に堕ちた後でさえ君たちは・・・彼を取るのか」
「その・・・純粋なまでに利己的な心を捨てきれないあなたには・・・わからないでしょうね」
「わかりきったことを聞くなよ、桜香。あまりそういう無為な問いをされると・・・殺したくなるじゃないか」
「殺せますか? あなたに私が」
「実際に殺したさ。過去に。九回ほどね。でも君はこうしてここにいる。・・・まったく、君の永遠神剣は厄介だよ。『第二位・不滅』・・・むかつくほどに。
永遠神剣が破壊されない限り持ち主は肉体が滅びようと魂が消え去ろうと、死なない。そう、不滅だ。
けど、僕の永遠神剣は第三位。位の高い君の永遠神剣を僕では壊せない。だから・・・実質僕が君を真の意味で殺すことは出来ない」
けどね、とそこで朝陽にアルカイックスマイルが戻る。
それはとても愉快そうに。
「よく聞くといい、桜香。この世界はとても面白いんだ」
「・・・?」
なにを唐突に、と桜香は眉を傾げる。だが、朝陽はれをそ気にせずに揚々とした調子で続ける。
「この世界は他の世界とは違う。存在概念がそもそも違うのさ。
いま君が力を発露してこの世界は悲鳴をあげたけど・・・でもそれはまだ未完成だから。
完成を遂げればここで僕たちは思う存分力を行使できる」
「完成? それは・・・どういう?」
「わからないのかい? 考えればすぐにわかることだと思うけど・・・そうだね、ヒントはあげよう。
なぜ、君の大好きな大好きな彼はあんな風に堕ちたとして・・・この世界だ?
そして鳳仙の兄の白桜・・・彼の転生もこの世界に現れたそうじゃないか?
それだけじゃない。この世界には僕たちと同等の魔力を持つ者がいたり・・・さらに将来そうなりえる者たちがいる。
さらに、この世界では永遠神剣に匹敵する武器がある。一般に神殺しと呼ばれる代物が、ね。
これら全て・・・まさか偶然の一言で片付ける気じゃないだろうね?」
確かに・・・それは偶然では出来すぎなことばかりだ。一つ一つでは小さなことではあるが、それが全て合わさったなら・・・?
と、桜香はハッとする。一瞬の隙の間に・・・目の前から朝陽が消えていた。
しまった、と思うも遅い。既に気配は周囲数百キロの間にない。空間を捻じ曲げられたようだ。
『完成にはまだ遠い。それまで桜香、君にはちょっかいは出さないさ。怖いしね?』
再び喉を鳴らすような笑い声。それは空間だけをいじって声だけをこちらに送っているのだろう。
『でもね、桜香。おまけにもう一つ教えてあげよう。この世界を完成へと向けようとしているのは僕だけじゃない。
この世界の魔族と呼ばれる種族の一握り、そして魔法使いと呼ばれる者たち、果てにはあの『ロウ』側も狙っているよ』
「なっ―――!?」
『更におまけだ。世界を完成へと向けるスタートのテープはそろそろ切られる。聖杯戦争という、一つの行事によってね』
「聖杯戦争・・・? なんですか、それは」
『それは自分で調べなよ。君には時深も彩も鳳仙も黎亜もいるだろう? ・・・さてお話もそろそろ終わりだ。僕には僕でやらなければいけないことがある』
「朝陽!」
『せいぜい彼を見守っていてあげるといい。・・・なにもできないとは思うけどね?
全てはこれかだらだよ桜香。いずれ君は・・・僕が殺す』
声がフェードアウトする。空間の歪曲も完全に消え去った。
「・・・・・・」
桜香は自らの永遠神剣『第二位・不滅』をゆっくりと下ろす。いつの間にか地震も収まり、空も再び陽が射していた。
―――この世界は・・・普通の世界ではない?
その意味が、よくわからない。確かにいままで渡ってきた世界とはどことなく違うが・・・。
朝陽は何かを知っているようだった。そして知っていながら・・・こうして彼を眺めていた。
ということは、
―――あの人もまた、世界を完成させるという過程の中で重要な立ち位置にある?
わからない。朝陽は計算高い人間だが、時々まるで関係のない行動も取ることがある。今回もそれなのかもしれない。
桜香は先程まで朝陽が立っていた場所まで歩を進め、そこから眼下を見下ろす。
地震が収まったことで再び進軍を始めたチェリーブロッサムの部隊の先頭。そこに・・・彼がいる。
「あなたは・・・戻ってからもそうして戦いに身を投じるのですね」
わかっている。それは別に彼が望んだことではないということを。
けれど、戦いに駆り立てているのは彼の国ではなく・・・あの永遠神剣なのかもしれない。
「『第四位・忘却』・・・。遥か昔、『第三位・記憶』と呼ばれていた劣化永遠神剣・・・」
朝陽のこともある。彼のことを見守っていよう。
朝陽の言うとおり、何もできないけれど・・・でも、
「あのときに助けられなかった私だから・・・」
それがまるで罪滅ぼしだと言うように・・・少女はただ彼を見つめていた。
あとがき
はいはーい、ども神無月です。
今回の番外は「それは舞い散る桜のように」のメンバーがじゃんじゃか出てきました。
あと、チェリーブロッサム王国の在り方や、少し謎めいた伏線も出しました。
伏線の方が解かれるのはまだまだずーっと先でしょうが、まぁ、気長にお待ちくださいな。
とりあえず、『カノン王国編』の番外はこれにて終了です。
次の番外は『キー大陸編』からですね。お楽しみに。