神魔戦記 第四章
「凄然の衝突（前編）」
この暗い地下迷宮で昼と夜との区別はつきにくい。
日の届かないこの迷宮に住み始めてもう十年近くになるのか、と祐一は感慨深げに薄暗い廊下を歩いていた。
隣には腰まで届く長い金髪を揺らせながら祐一の腕に絡んでいる真琴の姿がある。彼女はどうもご機嫌な様子で、弾むように歩く彼女の歩に、手首に巻かれた鈴のアクセサリーがちりんと揺れた。
「ねぇ、祐一？」
「ん？」
「次はなにして遊ぶのぉ？」
「もう今日は充分に遊んだだろう？今日はもうお終いだ」
「え〜、もう終わり〜？真琴もっと遊びたいよぅ」
数百の魔族を統べる主と、炎を手足のように操る俊足の獣人の会話とはとても思えない内容。
しかし、真琴はいくら強い獣人とはいえまだ子供。生まれて１６年が経っているとはいえ、人間族の三倍は生きる獣人族であれば、まだまだ真琴が遊び盛りであることにも納得ができよう。
祐一もそこら辺は理解している。それに、真琴は祐一の初めての使い魔でもあった。
契約を交わしたのはおよそ八年前。傷付き倒れていた真琴を発見した祐一だったが、治癒魔術も覚えていない祐一では助けられない。かといって放っておいては助かるような傷でもないのは幼い祐一でも明白だった。そこで祐一の取った方法こそが覚えたばかりの血の契約。使い魔にした相手なら魔力を分け与えることで傷の回復を早めることができることを祐一は父に教えてもらっていたのだ。
かくして契約は成功。真琴の傷はしっかり回復し、真琴はそれからの八年を祐一に育てられた。つまり、真琴にとって祐一は父親のような存在でもあるのだ。
いまでこそ真琴の魔力量が増えてきて血の契約は解除しているが、祐一が笑顔を見せる数少ない相手であることには間違いない。
祐一は小さく笑い真琴の頭に手を乗せると、「また今度な」と言い聞かせた。そうされると真琴も口を尖らせながらももうなにも言わなかった。
そしてしばらく歩いて訪れた先は作戦室。その中には隆之を始めあゆや浩一たち―――そして美咲と栞の姿もあった。
「もうみんな揃っていたか」
全員の顔を見渡し、祐一は静かに円卓に着席した。その隣に真琴も座る。
祐一の座った席は美咲の隣でもあり、その隣には栞が座っていた。
栞の表情はどこか複雑なようで・・・しかし嫌悪丸出しでないことに祐一は多少の驚きを感じていた。
とはいえ、いまはそんなことに構っている暇もない。祐一はすぐさま視線を隆之の方へと転じた。
「さて、久瀬。王都カノンの兵士一団がこちらに向かってきているとは本当か？」
「はい。偵察用の使い魔が向かってくるのを確認して御座います」
思ったより幾分も早い。
昨日村人を解放したことからいずれ来るとは思っていたが昨日の今日とは・・・。
「数は？」
「おおよそでしか御座いませんが、ざっと二百前後はいるかと」
予想を遥かに下回るその数字に、祐一は眉をひそめた。
「魔族の討伐隊にしては数が少ないな。村にいた兵士が全滅したことは既に知れ渡っているというのに、また同じような数で挑むか」
「聞くところに寄りますれば、王都カノンの人員不足は甚大であると」
「魔族相手でもそれだけの数しか出せないんだったら重症だな。それとも、魔族相手だから怖くて数が揃わないのか・・・」
横から苦笑交じりに呟いた浩一を横目で見やり、祐一は目線を戻す。
「なにはともあれここに来る以上歓迎の準備はしなくてはなるまい。予想より少ないとはいえ、敵の数はこちらを大きく上回る。全員、気を抜くなよ」
御意、と呟き隆之が出て行く。それに続いて浩一、鈴菜に水菜、あゆも作戦室を後にした。
残ったのは真琴と美咲、そして栞である。
「さて」
一拍前置き、祐一は美咲の横、栞に顔を向けた。
栞はそれに対し激昂するでなく臆するでなく、視線をそらさず悠然とこちらに向き直った。
その行動に、祐一は小さく口元が綻ぶのを自覚した。
「美坂栞。これから俺たちはまたカノンの兵士と戦いを始める」
「・・・はい」
「お前には魔術を覚えるように美咲に言付けてあったが・・・聞いているな？」
「はい」
「それがどういう意味か・・・わかるか？」
一息。栞は小さく間を取り、
「私にも戦場に出ろ、ということですね」
祐一の望むべく解答を口にした。
「賢い者は嫌いじゃない。そして・・・お前に拒否権がないこともわかるな？」
今度は口には出さず、しかししっかりと首肯をする。
そこまでを言い、しかし祐一はどこか意地悪な笑みを浮かべて「だが」、と続ける。
「お前もいまは俺に仕える身とはいえ、同じ種族と戦うのは気が引けるだろう。だから今回の戦いには加わらなくて良い」
「・・・・・・え？」
あまりに予想外な言葉だったのか、栞は目をぱちくりとさせて祐一を見た。
「だからお前は今回はここで待機だ。お前に戦場に出てもらうのは神族か魔族が相手のときだけとする。・・・異存はあるか？」
「え、あ、いえ・・・」
「なら次に戦場に出るときのために魔術の勉学にでも勤しんでおけ。・・・お前は魔術の才能があるからな、もう少しすれば美咲にも追いつくだろう」
そう言って祐一も席を立つと、じゃれ付くように真琴も後を追ってくる。と、
「あ、あの、待ってください！」
躊躇いがちに、しかし芯の通った声で静止の言葉がかけられた。
「なんだ？」
「あの、どうして・・・？」
それが暗に先程のことを聞いていることぐらい祐一にもわかる。
「下手に人間族相手の戦場に出撃させて足手まといになられても困るし、裏切られるかもしれないからな」
祐一は振り向くことなくそれだけ告げると、作戦室を後にしたのだった。
残された栞と美咲。栞は言葉を求めるように美咲の方へと振り向く。
そんな栞に美咲は小さな笑みを浮かべてただ一言。
「ご主人様はお仲間にはとても優しいお方ですから」
そう言った。
石橋源三郎率いる魔族討伐部隊はすでにアーフェンの目と鼻の先にまでやって来ていた。
現在森の中で討伐隊は陣を張っていた。
魔族の軍団がどの程度までテリトリーを張っているかわからない現状、ここからは少しずつ慎重に歩を進めていかなければならない。
それに、ここは敵陣。こちらから攻め込む以上は向こうが有利である。
その点も踏まえて源三郎は冷静だった。
息子を殺された怒りもある。それがなければ自分はここにはいないだろう。
が、一度戦場に出ればそんなことも言っていられない。まして自分は部隊長。・・・部隊を治める立場の者だ。その自分が感情に流されて動いては勝てる戦いも勝てなくなってしまう。
「石橋隊長」
不意にこちらを呼ぶ声が聞こえた。
振り向けば、そこにはつい数時間前にアーフェンの村に偵察に向かわせた兵士の一人だった。
「報告申し上げます。アーフェンの村には魔族の影は無し。どうやらまだ地下にいるようです」
「ふむ。地下か・・・」
厄介なことだ。
せっかく奪い取った地上の土地だ。我が物顔で地上を跋扈していると源三郎は踏んでいたのだが・・・。
地下となると足場が狭い分数の差はあまり通用しない。いくら数を引き連れて中に入ったとしても戦えるのは前衛にいる者のみとなるだろう。加えて地下は魔族が以前から根城にしていた場所。どんな罠が張り巡らされているかわかったものじゃない。
源三郎はそこまで考えると、号令を出した。
「しばらく現状で待機、魔族が出るのを待つ」
こうなったら根気比べといこう。
地上に出てきたその瞬間を―――討つ。
そしてその行動はすぐさま祐一の知るところになった。
「なかなか優秀な指揮官がいるようじゃないか」
戦の鉄則。できるかぎり敵の有利な場所で戦うことは避けること。
同じカノンの兵士を魔族なんぞに切り捨てられ、躍起になってきたのかと思えば目前になって待機と来た。
実に、面白い。
「久瀬、戦の準備はできているか？」
「は。すでに万全に御座います」
「よし。ならば出るぞ」
祐一の言葉に、隆之の顔が驚愕に染まる。
「お考え直しください祐一様。この戦は地下に敵をひきつけた方が断然有利。わざわざ地上に出ずともいずれ向こうの物資は底を尽き地下に突入せざるを得ない状況になります。それまで辛抱を・・・」
「そんな悠長なことを言っている暇もない。水瀬秋子などの魔族側もどう立ち回るか読めん以上、無駄に時間をとるわけにもいかん。それに、この程度で後れを取るようなら所詮王都カノンに攻め込むことなどできない。・・・違うか？」
隆之は一瞬難しそうな顔をし、しかし厳かに顔を垂らした。
「・・・・・・そこまでお考えならば、もはや私の申し上げることはなにも」
そう言って隆之は下がっていった。
それを見届け、祐一は机の横に立てかけておいた愛剣を手に持つ。
「さて、始めようか」
「魔族だー！魔族が現れたぞー！」
「来たか」
兵士の叫び声に源三郎は簡易椅子から腰を上げる。
予想よりも遥かに早い。向こうにはこちらがここまで来ていることにも、そしてここで出てくるのを待ち構えているのはわかっていただろうにも拘らず。
・・・この速さの意味は何か。
なにか時間をかけられない理由があるのか、それともこの程度の数に負けはしないとの自信の表れなのか。
鎧の重い音を携え、源三郎は腰から剣を抜き放った。
どちらにしろ戦いが始まることに変わりはない。いらぬ詮索は戦いの終わった後にすれば良いだけのこと。
源三郎はその剣を空高く掲げ、森に響き渡る声で叫んだ。
「これより魔族との戦闘を開始する！彼奴らに葬られた同胞の仇、いまこそ取る時である！」
一拍。そして剣を振り下げ―――、
「突撃ぃ！！」
怒号がアーフェンを包み込んだ。
あとがき
最近本編よりあとがきの方が悩んでる気がする。
書きたいときは書きたいことって結構あるんだけど、さすがにこれだけ短いとなぁ・・・。
さて、今回は真琴にちょっぴりスポットが当たったり。
次回はあゆの出番が多い・・・と思う。