神魔戦記 番外章
「いまはまだ平和の中で」
明るい空間がある。
小さな、しかし狭すぎない部屋だ。中央横にはベッドがあり、それ以外の物もさほど散らかっているわけでもなく整然と配置されている。
なかなかに掃除の行き届いた部屋だ。おそらくこの部屋の主を知る人物が入ったならば、目を丸くすることだろう。
「・・・・・・ん」
その部屋の主はベッドの中で、入る朝の陽射しに眩しそうに身を捻る。
それを二度、三度と繰り返し、しかしもう寝れないと諦めたのか渋々と身体を起こし、背伸び一つ。そしてそのままの流れで時計を見やり、
「うお、もう昼過ぎてんじゃん」
あまり驚いていないような口調で言う。
良い天気だ。とはいえここ、ダ・カーポ王国では雨が降ること自体珍しいのだか。
そのままベッドを降りると、適当に着替えを済まし部屋を出る。
階下に降り居間を抜けて台所にやってくると、冷蔵の呪具―――通称、冷蔵庫と呼ばれるもの―――を開けて中を覗き込む。
「んー・・・、サンドイッチくらいならできるか?」
そうして手を中に入れようとするが、しかし寸前に動きを止めた。しばらくそのまま静止し、そして吐息。
「やっぱかったりいな」
再び冷蔵庫を閉じて居間に戻る。
そのまま椅子に座り込み、なにをするでもなくボーっとする。
「・・・・・・あー、平和だ」
昼だというのに聞こえてくるのは鳥の囀りのみで、人の声は遠い。
ここは王都からだいぶはなれたルドアの街。王都からは田舎とも呼ばれる街である。
「なにが平和なんです、兄さん?」
不意な声は後ろから。
だが青年は振り返らずに、
「あー、もう帰ってきたのか、音夢」
「・・・その言い方はまるで帰ってきちゃいけないような口振りですね?」
「そんな穿った言い方をするなよ。コーヒー淹れてやるから、まぁ座れ」
「・・・なんか上手く流された気がしますが・・・まぁ、いいです」
そう言って青年の正面に座る少女。
整った顔立ちをした少女だ。なにより目を引くのは首にある鈴のチョーカーだが、青年にとっては見慣れたものだった。
朝倉音夢。それが彼女の名だ。
そして音夢に兄さんと呼ばれる青年は、名を朝倉純一という。
二人は兄妹だが、血は繋がっていない。幼い頃に両親を亡くした音夢を、純一の両親が引き取ったのだ。
―――ま、その両親ももう死んじまったわけだが。
王国ウォーターサマーの小競り合いの際、軍人であった二人は共に命を落としている。
そんなことを心中で考え小さく苦笑。よっ、と呟きながら純一は腰を上げるて、そのまま台所に向かいコーヒーの支度をする。
「それより兄さん。もしかしていま起きたばっかりなの?」
「そんなことより今日は本当に早いな。パトロールはこんなもんで良いのか?」
むっ、と音夢の目が半目になる。誤魔化したな、と。
しかし音夢はため息を吐くだけでそれを言及したりはしない。無駄だとわかっているからだ。
だから音夢はテーブルに肘を着き、純一の方を向く。
「今日は夜も出るの。だから午前はこれくらいにして、あとは他の人にとりあえず任せてきた」
「へぇ、夜もね。そりゃまたご苦労様」
「・・・他人事ですね」
「そんなことはないぞ?」
言いつつ淹れたコーヒーを二つ持ってテーブルまで移動。そのまま片方を音夢の前に置き、自分も座りそのまま一口。
「ただ頑張るなぁ、と思っただけだ」
「仕事だから仕方ないでしょ。そういうこと言うんなら兄さんも入ってよ自警団に。兄さんくらいの実力があれば一発で合格なのに」
「誰がそんなかったるい仕事するかたわけ。俺にも仕事があるからな」
「・・・和菓子屋、ですか?」
「そうそう。あれだって立派な仕事だろ?」
音夢はコーヒーを一口飲み下し、
「そりゃあ、気分で開店遅らせたり、閉店早めたり、休んだりしなければ立派なお仕事ですけど?」
「嫌味たっぷりだな」
「事実を述べただけです」
それはそうか、と純一は苦笑。
しかし次の瞬間には少し真面目な表情になり、コーヒーカップをゆっくりと置く。
「でもホント、これだけパトロール頻繁にするってことは・・・、物騒なのか?」
対し音夢もそれまでの表情から少し色を落とし、
「・・・うん。最近王国ウォーターサマーの方の動きが活発で。特に魔族の襲撃事件が後を絶たないの」
「ウォーターサマーの魔族、か・・・。水瀬か? それとも柾木?」
「わからない。ウォーターサマーは関係ないって言ってるけど、本当のところはどうなのか・・・」
ウォーターサマーは世界で唯一の魔族と人間族二つの種族が共存している国家だ。
しかし神族はいない。なぜならウォーターサマーは神族を嫌う魔族と人間族が建国した国家だからだ。
故にウォーターサマーはキー大陸のエア王国、アザーズ大陸のスノウ王国を敵視している。最近ではシャッフル王国も。
だが、いまだ表立った行動は取っていない。敵視しているだけで戦争を仕掛ける気はないのか、それとも準備段階なのかは定かではないが・・・。
いや、いまの論点はそこではない。
ウォーターサマーの魔族といえばまずは水瀬か柾木の姓が頭に浮かぶ。
ウォーターサマーは形式こそ王国だが、実際は四人の首領によって動いている。
そのうち二人が人間族、さらに二人が魔族。その四人で決定したことを王に提言し、王がそれを許可する・・・。ウォーターサマーの王がお飾りでしかないのはもはや公然の秘密なのだ。
その魔族の二人というのが水瀬伊月という少女と柾木良和という青年だ。
ウォーターサマーの魔族となればどちらか、あるいは両方の息がかかっているとしか考えられない。
はぁ、と盛大に吐息一つ。椅子に背を反らせ天井を眺めながら、
「物騒な世の中になったなー」
「・・・そこはかとなく他人事に聞こえます。・・・それに数週間前の萌先輩の失踪事件も気になるし」
「あれか・・・。『秩序が呼んでいる』、とか言ってたってやつだろ?」
これも数週間前。偶然だとは思うが、先程の魔族前当主が亡くなったのと同時期に、純一と音夢の共通の知り合いである水越萌が突如として失踪したのだ。
妹の眞子が言うには、いなくなるまえに『秩序が呼んでいる』という謎の言葉を残しているとか。
王国軍、各街の自警団が懸命に捜索するも、いまだその姿は発見されていない。
「しかも・・・どうやら一人ではないらしくて」
「なに?」
「これはまだ未確認の情報だけど、他の大陸の他の国でも同じような失踪事件が起きてるみたい」
「・・・その話、本当なのか?」
「美春が言ってたから、多分」
なるほど、と純一は頷く。美春の情報であるなら、確かに真実性は高い。とするならば、
「・・・こりゃ、ただの失踪事件じゃないな」
音夢も頷く。
同じ言葉を残し失踪する人間たち。なにかが裏で、しかも世界レベルで動いているとでも言うのだろうか?
―――ま、俺が考えても仕方のないことか。
純一は空になった自分と音夢のカップを持ち立ち上がると、
「ま、いろいろあるだろうが頑張れ」
「また他人事? 兄さんも手伝ってよ」
「ば〜か。俺は一介の市民だっつーの。そんな男に協力求めるもんじゃないだろ」
「むぅ。そんなこと言って、ただ面倒くさいだけなんでしょう?」
「ははっ、違いない」
言いつつ台所に消える純一。その背中を見つめ、
「もう」
音夢は頬を膨らますのだった。
夕方になり音夢が再びパトロールに出た後、純一も外に出て・・・しかし和菓子屋へ向かずにぶらぶらと公園を歩いていた。
朝倉和菓子店。本日も休業。
そんなことしているにもかかわらず客がいなくならないのは味のおかげなのか純一の人間性なのか・・・。
それはともかく純一は公園の奥へ奥へと進んでいく。
散歩、ではないだろう。歩く方向には意思がある。
緑に栄える木々を抜け、一つ小さな開けた場所に出た。
その中央、明らかに周囲から浮いた存在がある。
「ここに来るのも・・・久しぶりだな」
巨大な木だ。だが、もっとも目を見張るのは、その神々しいまでのピンクの輝きだろう。
それは、そう。季節はずれなまでに咲き誇る桜の木。
純一はそれにゆっくりと近付いていき、その幹をそっと撫でる。
「・・・ばあちゃん」
思い浮かぶのは祖母―――ウィルデム=アーブナー=芳野のことだ。
この桜はウィルデム=アーブナー=芳野が植えた、桜の木なのだ。
魔法使いが植えた木。一年中花が散らない桜の木。
それは幾多の魔術師の興味を呼び起こし、何度もこの木は調査されたのだが・・・、結局どういったものかなのかはわからず終い。
わかったことはこの木の中には大量の魔力が納められていること、少しずつではあるが周囲からマナを吸収していることくらいだろう。
魔術師の間からはなにかの魔術装置のギミックの一つだとか、魔力の貯蔵庫だとか色々な説が出ているが、まず純一が疑問に思うことは、
「どうしてこんな田舎町に?」
ウィルデム=アーブナー=芳野は桜の木を二本植えた。
一つはここダ・カーポに。そしてもう一つはチェリーブロッサム王国に。だがこちらも比較的田舎、と呼ばれる街にあるらしい。
なぜ人の少ないところに植えたのだろう。
―――人に見られたくなかった?
いや、ならもっと別の場所に植えるだろう。向こうは魔法使い。人の寄り付かない場所に植えるなんて造作もないに違いない。
そこまで考え、しかし純一は頭を振った。
「・・・いくら考えてもわかることじゃないか」
吐息一つ。純一は身体を回転し、背を幹に預けそのまま座り込む。
「やれやれ。ばあちゃんなら世界中の混乱も治められそうなもんだけどな」
いまどこにいるかもわからないウィルデム=アーブナー=芳野に向かってぼやきが漏れる。
世界はいま徐々に悪い方向に向かっている気がする。
キー大陸のカノン、アリス大陸の王国ビックバン・エイジでは内紛が起きているようだし、ダ・カーポとウォーターサマーは小競り合いが絶えない。
リーフ大陸のシズク王国はかなり不穏な動きを取っているようだし、アザーズ大陸の王国エターナル・アセリアとチェリーブロッサム、タイプムーン大陸の王国ムーンプリンセスとフェイト王国にいたっては国家抗争が徐々に激化してきている。
こんなときに魔法使いが一人でもいれば簡単に治まりそうなものだが・・・、とは思うものの魔法使いは皆自由奔放主義で、世界の情事に関わることはまずあり得ない。
ようは自分たちで何とかしろ、と言う事なのだろう。
そこまで考え、純一は頭の後ろで腕を組み、
「・・・かったりぃな」
思考を消去。自分が考えても仕方のないことだ。結局、なるようにしかならないのだから。
見上げれば桜のカーテン。風に揺れる花弁を見つめていると、浮かんでくるはささやかな眠気。
「ふあぁ〜あ。・・・寝るか」
もう夕方だが、気温は程よい感じだ。風邪を引くこともないだろう。
問題はこの時間に寝てしまうと音夢が怒ることだが・・・。
「ま、いいや」
なるようになる。
それだけを思い、純一はゆっくりと瞼を閉じて・・・意識を落としていった。
同時、純一の周囲を薄いマナが踊る。
・・・彼の魔眼が力を発揮する。
彼は自分の魔眼を制御できない。いつも魔眼は彼の意識の範囲外で行動を開始する。
夢現の魔眼。
彼が祖母、ウィルデム=アーブナー=芳野から受け継いだ夢を操る魔眼。
それを使うのではなく、使われる純一は、いま果たして“誰の”夢の世界へと旅立っているのだろうか。
それは・・・純一のみが知ること。
風が吹く。
揺られる髪の隙間から伺える寝顔は、穏やかなものだ。
朝倉純一。
彼が歴史の表舞台に立つのは、もう少し先の話―――。
あとがき
はいはい、どうも神無月です。
これで番外も三話目ですね。今回はダ・カーポの・・・というより純一のお話でした。
あとカノン王国編の間に番外一本は出す予定です。
おそらくチェリーブロッサム王国の話となるでしょう。お楽しみに。
では、これにて。