今日は相沢先輩がこの学校にいる最後の日。
だから今日がラストチャンス。
・・・言わなくちゃ。
きっと後悔するから、だから言わなくちゃ。
決心を胸に。
私は浅い眠りから目を覚ます。
冬の思い出
〜the
sixth days〜
カーテンを勢いよく開けてみる。
外はお世辞にも明るい陽気、とは言えない雲模様だった。
まぁ、仕方ないかな。午後から明日にかけて雪が降るみたいだし。
「・・・うん」
時計を見てみる。
現在時刻は午前六時を少し回ったところ。
ものすごい早起きだ。朝の弱い自分からすれば偉業といっても過言ではない領域だろう。・・・とはいえ、結局よく眠れなかっただけなんだけど。
今日は部活はない。
けれど、有志で開かれた相沢先輩のお別れ会がある。
そう、それで終わり。相沢先輩はそれでここを離れることになる。
―――冬の朝は寒い。
半纏を着こんで、化粧台の前に座る。
「・・・ふふ」
今日も今日とて私の髪はあらぬ方向にひん曲がっている。
今日は特別な日。それでもいつものように進む日常が、なぜか妙に笑えてしまった。
「まだ時間あるし、お風呂にでも入ろうかな・・・?」
実は朝風呂がほんの少し夢だったりする。
・・・丁度いい機会だし、いいかな。
なんて言っても今日は私にとって特別な日。新鮮なことをやってみるのも悪くはないはずだ。
☆ ☆ ☆
「ふぅ。さっぱりした」
タオルで髪を拭きながら、化粧台の前に座りドライヤーをコンセントに挿す。
ブラシを持ち、ドライヤーをゆっくりかけながらしっかりと髪を整える。
お風呂上りの身体に冬の朝の気温は心地良い。
「なんか・・・不思議な気分だな」
なんてことはない日常の風景が、どうしてか新鮮に感じられる。
なにごとも心の持ちようっていうことなんだな、って改めて実感。
「うん。これで良し、っと」
髪をしっかりと梳いてブラシを置く。
それでも時間はまだ七時半。先輩のお別れ会は九時から。まだまだ時間はある。
けど私は支度を始めた。
ゆっくりゆっくり。
パジャマを脱いで、制服に腕を通し、スカーフを絞めていく。
その一つ一つを丁寧に、大切な瞬間であるようにしっかりと、あがる気持ちを落ち着けながら・・・。
「後悔しないための、一歩を」
自分に言い聞かせるように言い放ち、私は自分の部屋を出た。
☆ ☆ ☆
綾那を伴って歩くいつもの通学路。
ゆるやかな下り坂も、
いつも犬のお散歩してるおばあちゃんを見る十字路も、
小さな子供で賑わう公園も、
そのどれもがみんな新鮮に見える。
なんだろう、この気持ち。どこかで感じたことあるような弾むような、でも緊張する気持ち。
「・・・あ、そっか」
そうだ。
きっと、入学を迎える新入生の気持ちに似てるんだ。
「・・・ん?」
横から視線を感じて振り向いていれば、どこか不思議そうな表情をした綾那。
「なに、綾那?」
「・・・お姉ちゃん。なんか今日はいつもと違うね」
「え、そう?」
「うん。なんか・・・綺麗」
その言葉に、ボッと顔が赤くなる。
「な、ななな、なに、急に?」
「え、うん。なんでだろね。・・・なんか活き活きしてるからかな」
目を見るに冗談を言っている・・・というわけではなさそう。
うぅ、恥ずかしいよ・・・。
「なんかあったの?それともこれからなにかあるのかなぁ?」
表情一転、ニタリと意地悪な笑みを浮かべて詰め寄ってくる。
「も、もう。なにもないわよ」
「ほんとーにぃ?」
「ほ、本当だよ」
「ふーん」
綾那は不意に軽やかなステップで数歩前を進む。そして少し距離を開けてくるっと向き直ると、
「でも、良かったよ。元気になったみたいで」
その表情は、笑顔だった。
「一昨日から元気なかったみたいだから、お姉ちゃん」
「綾那・・・」
その笑顔は本当に安心したような顔。
・・・そっか。私、綾那に心配を掛けちゃってたんだね。
「ほらほら、お姉ちゃん。顔上げて?」
罪の意識に俯いた私に綾那の声が届く。
見上げた先には、いつもの眩しいくらいの笑顔を浮かべた綾那の姿がある。
「やっぱりお姉ちゃんにはいつも笑っててほしいよ。なにがあるのか知らないけど、なにかあるんでしょ?きっと。・・・うん、いろいろあると思うけどさ、頑張って。わたしは応援してるからさ」
グッと、拳を握って両手を掲げ、
「ファイト、お姉ちゃん!」
「・・・綾那」
少し熱くなった目頭を押さえる。
夏燐といい、私にはこんなにも私を想ってくれている人達がいるんだ。
だったら、私は私のすることを一生懸命にするだけ。
それがきっと、正しいことだと思うから・・・。
☆ ☆ ☆
この日、学校はにわかに活気だっていた。
相沢先輩のお別れ会。借り切った教室の中には部活の面々を筆頭に、仲の良いお友達や何人かの教師まで揃っていて、それはとっても大きなものだった。
これもひとえに相沢先輩の人望のなせる業だと思う。
「・・・本当、すごいよね」
普通、たかだか一生徒が転校するくらいでここまでのことにはならないと思う。
「伊里那」
「あ、夏燐」
すでに来ていたらしい夏燐がこっちにやって来る。表情は、・・・緩やかだった。
「良かった。昨日言い過ぎたかな、とか思ってたから・・・」
「そんなことないよ。夏燐のおかげで私、なんか吹っ切れたから」
私も精一杯の笑顔で答える。
「・・・そっか。良かったよ」
「うん。ありがとうね」
夏燐はぽんと私の肩を叩いて、
「頑張ってね。・・・健闘を祈ってるから」
そのまま離れていった。
・・・これもきっと夏燐の気遣い。
いつも夏燐には助けられてばっかりだな。
いつか・・・私が夏燐の手助けをできるときがきたなら、私はきっとなんでもするだろう。
だから、そのときのためにも私はいまを一生懸命に。
「・・・よし」
ギュッと手を握って気合を入れる。
そして探すあの人の姿。
・・・・・・あれ、いない。遅刻でもしてるのかな?
ううん、それはない。机の上に鞄は置いてあるから、一回教室には来てるんだ。どうしたんだろう、そろそろお別れ会始まるのに・・・。
なんとなく気になって、私は教室を出るととりあえず下駄箱の方へ向かおうとして―――、
「・・・あれ?」
階段の手前の踊り場、そこからかすかに話し声が聞こえてきた。片方は女の子の。そしてもう片方は・・・、
「相沢先輩・・・?」
私は壁際に隠れて様子を見ることにした。悪いかな、とも思ったけど・・・、なんか近寄りがたい雰囲気があったから。耳を澄ましてみると・・・、
「あの・・・あたし、前から相沢くんのことが好きだったの」
(え!?)
そんな言葉が聞こえてきた。
先輩が・・・告白されてる?
・・・冷静に考えれば、すごくありえる話だ。
相沢先輩は陸上部のエース。学園のアイドルだ。転校するっていう今日に告白しようと考える人が私以外にいたってなんにもおかしくはない。けど・・・、
相沢先輩は一瞬だけ俯き、でもすぐに顔を上げると、
「ごめん」
簡潔に、ただそれだけを相手に告げた。
すると、その女の人は涙ぐみながらも笑って去っていった。
相沢先輩もそこから離れ、そこには私一人になる。
「・・・・・・はぁ」
・・・・・・衝撃だった。
なにが衝撃って、相沢先輩が告白されたこともそうだけど、それよりも断られた女の人のことが、だ。
もちろんOKされてないんだから嬉しく思うのが普通なんだろうし、私だって少なからず思ってる。
でも、あの人は遠目から見ても私なんかよりずっと綺麗だった。
そんな人が断られてるのに、それじゃあ私は・・・・・・?
そう考えると、心の奥に仕舞い込んだはずの迷いや恐怖がふつふつとまたこみ上げてくる。
脳内で、重なる。
あそこに立っている女の人が私で、そして答えは―――。
「・・・駄目。それ以上考えちゃ駄目」
それ以上考えちゃったら私はきっと動けなくなる。
忘れるように思いっきり頭を振って、私はそそくさとその場を離れることにした。
☆ ☆ ☆
それからお別れ会はそつなく進んでいった。
ちょっとした休憩時間や談話の時間なんかにも一生懸命声を掛けようとした。
けれど、その度先輩は別の女の人に呼ばれていなくなる。
・・・それが五回を数え始めたときから、私の中の勇気はみるみる萎んでいった。
帰ってきた女の子たちの顔、みんな笑ってるけどどこか悲しそう。・・・その表情が全てを物語ってた。
あの子も、その子も、みんな私なんかより綺麗で、優しそうな人たちばかりだ。
・・・怖いよ。
拒絶される事が、その後の心の痛みが、私の足を束縛し始める。
お別れ会もそろそろ終末を迎えようとしてる。
・・・残された時間は少ない。
☆ ☆ ☆
「それじゃ、ここらへんでお別れ会を終わりにしようかと思いまーす!」
司会のもと、拍手の中にお別れ会は終わりを告げた。
涙しながら握手したり抱き合ったりして別れを惜しむ人たちを遠めに見つめて、私は一人ただ立っている。
・・・結局、言い出せなかったな。
相沢先輩もいろいろと忙しそうだったし。・・・って、これは言い訳か。
ただ弱いだけの私が、自分を正当化させるためだけの言い訳。
・・・わかってる。わかってるんだよ、そんなことは。でも足が動かないんだよ。口が開かないんだよ。
もう、ここにはいたくなかった。いられなかった。
誰にも見つからないようにそっと、私は和やかムードの教室を後にした。
☆ ☆ ☆
グラウンドは真っ赤な夕焼けに包まれている。
そんな見慣れた光景をただボーっと眺めながら、私は校舎の淵に座っていた。
・・・お別れの言葉も言えなかったな。
今日でもうお別れ。二度と会うこともなくなるだろう。あの笑顔は、きっともう想像の中でしか見れない。
・・・結局私は弱いままなんだ。
なんとか奮い立たせて舞台に登ったけど、それだけ。いざ本番になって幕が上がれば、私は右往左往してるばかりの駄目役者。・・・最低だ。
夏燐にも、綾那にも申し訳が立たない。
あれだけ後押ししてくれたのに、その私はこうして逃げてなにもせずに座っているだけ・・・。
「はぁ・・・」
思わず出た重く白いため息。
・・・寒い。そういえば今日は雪が降るんだっけ。
これ以上寒くなる前にこの場を離れようと腰を上げて―――、
「あれ、そこにいるの桐生じゃないか?」
「え・・・?」
不意に耳に届いたのはここ最近で聞き慣れた、あの声。
優しい声。長い手足。整った顔立ち。そしてあの笑顔・・・。
見間違えるはずがない。見上げた私の視界に映ったのは間違いなくあの人の姿で・・・。
「ど、どうして、相沢先輩・・・」
「ああ。今日でこの学校とお別れかと思うと妙に全部が懐かしく感じてな・・・」
そう言って相沢先輩は膝を着くと、グラウンドを撫でる。慈しむように、優しく。
「桐生はどうしてここに?もう帰ったんじゃなかったのか?」
「え・・・」
地面を見つめながらの質問に、私の心臓が大きく跳ねる。
そ、そうだ。言わなきゃ。いまがチャンスなんだ。
「あ、あの・・・相沢先輩」
「ん?」
「あ・・・」
言わなきゃ。言わなきゃ後悔する。
・・・でも私の口は一向に開こうとしない。
怖い。
土壇場で湧き上がる恐怖に足が竦んで、口が開かない。喉が動かない。
「・・・・・・っ」
言葉が出ない。
いろんななにかが渦巻いて、なにがなんだかわからなくなってしまう。
「桐生・・・?」
先輩が怪訝な表情でこっちを見上げてきた。
なんだろう、と思った瞬間落ちて地面を濡らす雫。
私・・・泣いてる?
「どうした、桐生?」
心配そうな顔でこっちを伺う先輩の表情が、歪んで見える。
どうして私は泣いてるの?
どうして私は言葉が出ないの?
わからない。
もう、なにもかもわからなかった。
ただ、怖くて。
「・・・っ!」
「桐生!?」
だから私は逃げてしまった。
差し出された腕から逃れるように背を向けて、私は走り出していた。
意気地なしな私。
臆病な私。
根付いた私の恐怖心は、やっぱり払拭出来ていなかった。
また目の前のことから逃げて・・・、私はいったいどこへ行くのだろう。
私はあのころから変わらず弱くて。
この言葉を言ってしまったら、なにかが壊れてしまうようで、
だから、そう。壊れてしまうならいっそなにも言わないで夢のまま終わらせたほうが良いように感じられて・・・。
「あ・・・れ・・・?」
・・・どこをどう走ったのか、私は数日前に相沢先輩に助けられたあの場所にいた。
そう。ここで相沢先輩に会ったのはほんの数日前。なのにそれは随分昔のように感じられる。
・・・もしもここであんなことがなければ、そうすれば・・・、
「好きになったり、しなかったのかなぁ・・・?」
誰にともなく言った言葉は、そのまま私の心を強く突き刺した。
「・・・あ」
頬に当たる冷たい感触。
なにか、と空を仰ぎ見れば、灰色の雲から舞い落ちる白亜の結晶。
日も落ちた雑踏。そこに降り注ぐ、小さな雪。
―――まるであの日の巻き戻しのようで。
でも、あのときと違うのは・・・、
「相沢先輩が、いない・・・」
ただ呆然と空を見上げる。
その冷たさは、まるで私の弱さを攻めるように、
・・・痛かった。
あとがき
ども、神無月です。
さぁ、いよいよ次回でラストです。
とはいえ、文量は一番少ないですが。
・・・おそらくすぐに書きあがるでしょう。
それでは。