いつも通りに起きて、

 

 いつも通りに家を出て、

 

 いつも通りに学校に着いて、

 

 全てがいつも通りのはずだった。

 

 だけど・・・、

 

「どう・・・したんだろうね、お姉ちゃん」

 

「うん・・・」

 

 私と綾那がグラウンドに着いたとき、陸上部の面々はなぜかひどくざわついていた。

 

 困惑、焦燥、悲哀。

 

 そんなみんなの顔を見ていて、なぜか明確に嫌な予感を私は感じていた。

 

 

 

 

 

冬の思い出

the fourth days

 

 

 

 

 

 よく見てみれば、周囲には陸上部ではない人たちまで数人だけどやって来ていた。

 

 それはとても異常な光景。

 

 そして、・・・なんだろう。この胸がざわつく感じは・・・。

 

「あ、伊里那!」

 

 その中から私を呼ぶ声。

 

 走ってくるのはもちろん夏燐。けれど、その表情はどこか困惑に彩られていて。

 

「どうしたの、夏燐。なんかみんな・・・」

 

「あ、うん。それがね・・・」

 

 一瞬逡巡するような素振りを見せ、でもこっちにしっかり顔を向けると、一息。

 

「・・・祐一先輩が転校するんだって」

 

「・・・・・・え?」

 

 ・・・・・・あれ?

 

 いま、なにかとんでもないことを聞いたような気がしたんだけど・・・。

 

「ご、ごめん。も一回言ってくれる?」

 

 そんな私をどこか痛々しい表情で見て、でも今度ははっきりと夏燐はそれを言葉にした。

 

「祐一先輩が転校するらしいって」

 

 がつーんと。

 

 大きなハンマーで叩かれたかのような衝撃が私の中を駆け巡った。

 

 そんな、どうしてそんな急に・・・?

 

「それって・・・」

 

「あたしも人伝に聞いたから真偽は定かじゃないんだけど、なんか昨日の夜にいきなり決まったらしくて」

 

 そう言って夏燐は自分の走ってきた先に視線をスライドさせる。

 

 焦ったような表情の部長。いまにも涙を流しそうな女性マネージャー。

 

 そんなみんなの様子が、その噂が真実味のあることだと証明していた。

 

 隣の綾那が夏燐の方を向いて訊ねるように口を開く。

 

「転校って・・・・・・いつなんだろう?」

 

「それが・・・・・・、明後日だって」

 

「明後日!?」

 

 自分でもびっくりするくらいの声。実際夏燐も綾那も驚いた表情でこっちを見ている。

 

 だってそれだけの衝撃があった。

 

 あまりにも急な転校の話。それに加えて、転校自体が明後日だなんて、あんまりだ・・・。

 

「あ、相沢!」

 

 部長の呼び声に周囲が揺れる。

 

 そこに目を向けてみれば、確かに相沢先輩が立っていた。

 

「相沢、お前転校なんて嘘だよな!」

 

「そうだ、お前がいなくなったら陸上部は・・・」

 

「いなくなるなんて嘘よね、相沢くん!」

 

 問い詰めるようにいっぱいの人が相沢先輩の周囲に駆けつける。

 

 その中心の相沢先輩は困ったような表情で頬を掻いて、

 

「いや、・・・本当だよ」

 

 その言葉を、口にした。

 

 瞬間、私の目の前は真っ暗になって・・・、そのまま膝が崩れそうになる。

 

「ちょ、伊里那!?」

 

「お姉ちゃん!」

 

 隣で二人の驚いたような声が聞こえてくる。

 

「・・・大丈夫。なんともないよ」

 

 その言葉にも二人の心配げな瞳は消えない。

 

 もちろん大丈夫なんてことはない。ただただショックが大きくて、私の頭はさっきから上手く回ってない。

 

「・・・ごめん。ちょっと一人になって良いかな?」

 

「でもお姉ちゃん、顔色が・・・」

 

「わかった。先生には適当に言っておくわ」

 

「ちょ、夏燐さん!?」

 

「ほら綾那、行くわよ」

 

 綾那の腕を引っ張っていまだ騒がしい群れの中に向かう夏燐。

 

 ・・・ごめんね、ありがとう。

 

 私はただなにかを考えたくて、どこに行くとも考えつかない頭のままただ歩き始めた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 思えば私はこんな風になにかをサボったことはなかったんじゃないだろうか。

 

 学校近くの小さな公園にあるブランコに座りながら、不意にそんなことを考えた。

 

 サボる勇気がなかっただけか。それともサボるほどに熱中していたものがなかったのか。

 

 ・・・両方なんだろうな、と思う。

 

 そしていまサボっている私は、それほどにあの人のことを好きになっていたんだなぁ、なんてまるで人事のように思っている。

 

 きーこ、きーこ。

 

 揺れるブランコから聞こえる音。

 

 ―――これから。そう、全てはこれからだった。

 

 まだ私は一年生で、相沢先輩は二年生。時間はたっぷりあったはずで、ゆっくり進んでいけるはずだったのに・・・。

 

 それがなんの予告もなしにあと三日。ううん、今日を除けば二日しかない。

 

 自然、ため息が口からこぼれていく。

 

 全てがあまりに急で、上手く思考が回ってくれない。

 

 もっと見ていたい。

 

 もっと話していたい。

 

 もっと会っていたい。

 

 当然にできるはずだったものが、いまではこんなにも遠くて儚い。

 

 明日はもっと話せると良い、なんて考えていたことがまるでずっと昔の出来事みたいだ。

 

「なんで、こんなときに転校なんだろう・・・」

 

 そんなもの、家庭の事情。それ一言で全ては足りる。

 

 わかっていても口に出したのは、あまりにも現実は理不尽なように感じるから。

 

 でもその理不尽な事だって世界中を見渡せばそれこそいくつだってあるに違いない。

 

 それが現実で、世界だから。

 

 ・・・それでも、自分勝手で、自己中心的だと言われても、私はその直面した現実に文句を言ってなければいけなかった。

 

 私はとても弱いから。

 

 なにかのせいにしなければ私が壊れてしまうから。

 

「こんなことって、・・・おかしいよ」

 

 ただただ私は現実というものに文句を吐き続けた。

 

 心の片隅で、そんな自分を滑稽に感じながら。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 学校に戻ったとき、すでに辺りは暗くなっていた。

 

 時間はよくわからない。私は腕時計をつけていなかったし、携帯も持って来るのを忘れた。あの公園にも時計はなかった。

 

 ・・・でも、そんなことはどうでも良いことだ。

 

 そもそも私はどうして学校になんて来たんだろう。

 

 ・・・なにを期待して、ここに立っているんだろう。

 

 誰かを待ってるんだろうか?

 

 ・・・わからない。

 

 自分のことのはずなのに、なぜか全然わからなかった。

 

「なに、してるんだろ、私・・・」

 

 独白し、私はそっと自分を抱くように腕を回す。

 

 ちょっと寒いな。

 

 無理もないよね。あれだけ長い間ずっと公園に座ったまんまだったんだし・・・。

 

「あれ、桐生?」

 

「え・・・・・・?」

 

 不意に声。それもその声はここ最近で聞き慣れたもので・・・、

 

 急いでその方向に目線をやってみたら、予想通りの人がそこには立っていて・・・。

 

「相沢・・・先輩?」

 

 幻や幻聴じゃない。正真正銘の相沢先輩が確かにそこに立っていた。

 

 歩いてくる先輩。手が届くくらいの距離まで近付いた先輩を見上げ、私は思ったことをそのまま言った。

 

「相沢先輩、どうして・・・。もう部活はとっくに終わって・・・」

 

「ん、あぁ」

 

 言いにくそうに口篭らせて、でもそれも一瞬。

 

 相沢先輩はちょっとだけ歪な笑顔で向き直った。

 

「今日桐生は休んでたから知らないかもしれないけど、俺、急に明後日転校することになってさ。その手続きでいろいろと遅くなってな・・・」

 

「・・・・・・そう、ですか」

 

 それは違うんですよ、先輩。

 

 私は一度学校に行っていて、そのことを聞いてサボったんです。

 

 ・・・わかっていたことだけど、でもこうやって直面して相沢先輩の口から言われるとことさら現実をぶつけられたようでやっぱりショックは大きかった。

 

「・・・でも、どうして急に」

 

「親父が転勤になって、それでそこが少し遠い場所だから家族全員で引っ越すことになったんだ。まぁ、その転勤がすぐってわけじゃないんだが、俺の学校のこととかあるしってことで、俺だけ一足先にそっちへ向かうことになってな。つっても一人暮らしじゃなくて親戚の家に厄介になるんだけど・・・」

 

 どうやらいろいろな事情があるみたい。でも私が気になったのはそんなことじゃなくて、相沢先輩がどこか遠い目をしていること・・・。

 

「・・・先輩、もしかして行きたくないんですか?」

 

 なぜだろう。私はその表情を見てそんなことを口にしていた。

 

「ん・・・。引っ越し自体は慣れてるから苦っていうほどのもんじゃないだが・・・、どうしてもあの街だけはな・・・」

 

「どんな街なんです?」

 

 あまりに突っ込んだことだろうか。

 

 でも私は口を開いている。会話をしようとしてる。

 

 怖いんだ。

 

 こんな、話をすることさえ数日後にはできないのかと考えると、たとえ内容がそのことであっても話をしていたい。

 

 ・・・少しでも一緒にいたい。近くにいたい。

 

 相沢先輩は私の質問に対して小さく苦笑すると、ふと腕時計を一瞥した。

 

「・・・もういい時間だ。桐生もこれから帰りだろ?なら途中まで一緒に帰ろう。その道中に話すよ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 冬の夜は静かだ。

 

 喧騒も、風も、虫の音も、全ては隔絶されたかのよう。時折耳に届くのは、車の走る音くらい。

 

 そんな街灯に照らされた冬の夜道を、私は相沢先輩と並んで歩く。

 

 ・・・本当ならもっと喜べることなのに、ちっともそんな感じはしない。

 

 それでも安心感はあった。

 

 まだ隣にいるんだという、その現実に。

 

 ―――いくらか歩いてからだろうか、相沢先輩は「俺の行く街のことだったか」と言ってこっちに顔を向けた。

 

「ずっと昔に行ったっきりだからあんまり明確に覚えてないんだけど、そうだな・・・。一言で表すなら雪の街、かな」

 

「雪、ですか?」

 

 頷く相沢先輩。

 

「それ以外はどうしてかあんまり覚えてない。あと覚えてることといえばそこに住んでるいとことよく遊んだことと、雪が好きだったことくらいか。でも・・・」

 

「でも?」

 

「・・・なんでか、俺はあの街に行きたくないんだ。理由は自分でもよくわからない。そうだな・・・・・・どこか、怖い、のか」

 

 また遠い目をする先輩。

 

「・・・なら、行かなきゃ良いんじゃないですか?」

 

 なにを血迷ったのか、私の口からはそんな言葉が吐き出されていた。

 

 そんな私に、先輩は苦笑い。

 

「それは無理だろう、やっぱ。俺は子供で、親は大人だ。決定権は親にあるし、それに逆らうともできないだろ」

 

 それは、そう。そんなことはわかってる。わかってるはずなのに、私は口に出していた。

 

 まるで駄々をこねる子供みたい。

 

 ・・・ううん、きっとその通りなんだろう。

 

 あまりに無常な現実を受け入れたくないから、私は駄々をこねてるんだ。聞き分けのない、子供のように。

 

 そこから会話は途切れてしまった。

 

 気まずい雰囲気じゃない。かといってほんわかする暖かい沈黙とも違う。

 

 どこかがずれてしまった、そんな感じ。

 

 そのまま黙々と歩き続けて、ついに私と相沢先輩の家の分岐点にやってきてしまった。

 

 どうしてだろう。

 

 こんなにも苦しくて、でもホッとしてるのは。

 

 ・・・・・・それはもうこれ以上一緒にいられない苦しさと、それを痛感するこの沈黙から解放される安心感だろうか。

 

「それじゃ、先輩。私はここで・・・」

 

「あぁ。気を付けて帰れよ」

 

 いつものように片手を上げ去っていく背中。

 

 行きかう車のライトに照らされて遠のいていくその背中を見つめ、

 

「相沢先輩!」

 

 気付けば、私は知らず大声でその名を呼んでいた。

 

「ん?」

 

 振り返る優しい笑顔。

 

 でも、ううん、だからこそ私の胸はそれこそ万力で握られたようにギュッとなって。

 

 口を開くけど、・・・そこからはなにも紡がれない。紡ぐべき言葉が見つからない。

 

 なにを言えば正しくて、なにを言えば間違いなのか。

 

 私には、なにもわからない。

 

「・・・なんでも、ない、です」

 

 そんな自分が嫌で、いまにも泣きそうになるけど、でもそんなことしたら優しい相沢先輩に気遣いをさせてしまうし、心配させてしまうから。だから私は笑顔で、本当になんでもないことのようにそう言った。

 

 相沢先輩は一瞬怪訝そうにしたけれど、「そうか」と再び背中を向けた。

 

 遠のいていく背中。

 

 それを見送りながら、私は一人このぐちゃぐちゃになった心を持て余す。

 

 私はこれからどうすれば良いのかな・・・?

 

 自問は、出口のない迷宮の中・・・。

 

 

 

 

 

 あとがき

 こんにちは、神無月です。

 本当にもう最近は執筆時間が減少していて進みが遅いです。

 できれば「冬の思い出」12月中に終わらせたいんだけど、無理かな・・・?

 まぁ、目標を置くだけなら大丈夫か・・・とか自己完結してみたり。

 それでは、また。

 

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