朝目が覚めて、カーテンを開けたら覗く太陽の輝き。

 

 開けた窓からそよそよと流れる少し肌寒い風と、遠く聞こえる鳥の囀り。

 

「うん。今日も良い天気」

 

 寒いのは冬だから仕方ない。半纏三枚重ねで我慢だ。

 

「さて、今日のお弁当当番は私だね」

 

 むん、と気合を入れて台所に向かおうと・・・、

 

 でも、もう一度窓の外を眺めて。

 

「あ、小鳥」

 

 窓のふちに止まった小鳥を見て、なんとなく今日も良いことがあるような気がした。

 

 

 

 

 

冬の思い出

the third days

 

 

 

 

 

 今日のお弁当はほんの少し気合を入れた。

 

 別段なにがあるわけでもないけれど、なんとなくそんな気分だった。

 

「およ、お姉ちゃん。今日はなかなかに気合が入ってますな」

 

 ぴょこん、と私の肩越しにお弁当を覗き見るのはもちろん綾那。今日はその長い亜麻色の髪を後ろで一本に結っている。

 

 髪が長いといろいろとできて良いだろうな。私もこれから伸ばそうかな・・・?

 

「つまみ食いして良い?」

 

「だーめ。ちゃんとお昼まで待ちなさい」

 

「ぶー。けちんぼ」

 

 そんな会話に笑いあう私たち。

 

 ふと、時計を見やれば、時間ももう良い頃合だった。

 

「ほら綾那。早く朝食とってそろそろ学校行くよ」

 

「うーい。これ出して良いの?」

 

「うん。あ、ついでにこれもテーブル持っていける?」

 

「任せてよ」

 

 今日もお父さんとお母さんは朝早くに仕事に向かった。しばらくは忙しいと言っていたから当分はこんな調子なんだろう。

 

 でも綾那もいるし。学校に行けば夏燐もいる。

 

 それに・・・、

 

「相沢、先輩」

 

 声に出してみて、なにかこそばゆいような感じが胸を駆け巡った。

 

 私はけっこうこれで参ってるようだ。

 

「今日はも少しお話できると良いなぁ」

 

 なんて、ちょっとした淡い期待に心膨らませて、私は残りのお皿をテーブルに持っていった。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 昨夜は雪が降らなかったので除雪作業はなし。

 

 グラウンドがまだ乾ききってはいないものの、それでも部活は春の大会に向けてしゃかりきに張り切っていた。

 

 相沢先輩も同様、他の部員たちと話し合いながら高飛びのバーを調節している。

 

 その瞳はすごく真剣な感じで、いつもの優しい笑顔とギャップ。

 

 どことなくひょうきんで余裕を振りまく相沢先輩が真剣な表情を見せるのは、おそらく走り高跳びをするときくらいだろうと思う。

 

 ・・・といっても、それほど相沢先輩を知っているわけではないけれど。

 

 そんな相沢先輩の反対側で一緒にバーの調節をしている夏燐。ときにまじめに、そしてときに笑顔を浮かべながら相沢先輩と会話をしている。

 

 もちろん、会話の内容まではここまで届かない。けど、それに笑みで返す相沢先輩を見てほんの少しの嫉妬を感じた。

 

「良いな、夏燐は・・・」

 

 そしてそんなグラウンドを尻目に、私は校門付近で突っ立っていた。

 

 私がマネージャーしているのは主に長距離。私はもともと短距離をしてたから本当はそっちの方が良いんだけど。

 

 長距離の練習は基本的にグラウンドではなく学校の外周を使って行われる。

 

 自然、グラウンドから離れる私と相沢先輩が話をする機会は減る。・・・っていうか、それだからいままでまともに話をしたことがなかったのに。

 

 それを忘れて舞い上がっていた私・・・。

 

「はぁ。バカな娘だなぁ、私」

 

 小さく吐息一つ。

 

 とはいえ、仕事はきっちりとしなくては。

 

 私の前を通過していく部員たちにタイムを教え、そして見送っていく。

 

 長距離全員が前を通過していったのを確認し、私はもう一度グラウンドを見やった。

 

「あ・・・」

 

 タイミングドンピシャ。

 

 それはまさに相沢先輩が跳ぼうとしていた瞬間だった。

 

 力強く刻まれる足取り。

 

 しっかりとしたフォーム。

 

 舞う砂埃。

 

 真剣な眼差し。

 

 トン、と。

 

 軽く、しかししっかりと地を蹴った足は確実に地面から離れていく。

 

 高い。

 

 そしてすごく綺麗だった。

 

 それはまるで翼を生やしているのでは、と思えるくらいで。

 

 バーを跳び越えていく。

 

 一連の動作があまりに綺麗で、流曲的。私の視線はその姿に釘付けになっていた。

 

 着地を決め立ち上がる相沢先輩に駆け寄っていく他の部員たち。

 

 どうやらまた記録を出したようだ。

 

「ほんと、すごいな・・・。相沢先輩」

 

 まるで別格。手の届かない雲の上の人のようだ。

 

 ・・・ううん、きっとそうなんだろう。

 

 もし仮に私の足がまだ走れていたとしても、きっとあそこまでの高みには到底届かなかったに違いない。

 

 なにもかもが違う、高すぎる人。

 

 そう。なにも場所が離れていたという理由だけで話ができなかったわけじゃない。恐れ多くて話すらできなかったというのに・・・。

 

 ・・・ただ一度。偶然にも近くに来てくれただけでときめいていた私はなんて馬鹿なんだろう。

 

「ホント、馬鹿だよね」

 

 だって、ほら。

 

 私と相沢先輩じゃこんなにも差があるのに―――。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふぅ」

 

 何度目かもわからないため息が出る。

 

 現在、お昼休み中。

 

 部員はみんな各々の場所で昼食を取るなり、談笑に花を咲かせていた。

 

 そんな中、私は一人で校舎近くのベンチに座って昼食を取っている。

 

 綾那は他のお友達とお弁当タイム。姉妹だからっていつも一緒なわけじゃない。

 

 夏燐は近くのコンビニまで昼食を買いに行った。冬休み中のいま、購買も学食も開いていないからだ。

 

 戻ってきたら一緒に食べる頃約束だけど、夏燐が「伊里那は食べるの遅いんだから先に食べ始めてろ」とうるさいので先に食べ始めている。

 

 ・・・けど、私から言わせれば夏燐が食べるのが早いのだ。あのスピードは女性としてどうかといつも思う。

 

 ひょいっと自家製ミートボールを口に入れる。

 

 ・・・けど頭に浮かぶのは感想ではなく、相沢先輩のこと。

 

 そして考えるのはあまりにも遠い存在だということ。

 

 そうだよね。相沢先輩は誰にでも好かれる学校の憧れの的だもの。私なんかが好意を抱くなんて恐れ多いこと・・・、

 

「あれ、桐生一人なのか?」

 

「は、はい?」

 

 突如後ろのほうから掛けられた声に思考を切り捨て、私は振り返った。

 

「あの、すいません。ボーっとしてて聞いてなかった・・・んです・・・け、ど?」

 

 その、なんというか、あまりにいきなりかつ急な出来事に言葉の後半が区切れ、あげくなぜか疑問系になる始末。

 

 でも仕方ないと思う。

 

 だってそこにいたのはいま考えていたばっかりの相沢先輩だったんだから。

 

「いや、桐生が一人で飯食ってるからさ。確か佐々倉も一緒だと思ってたけど? いつも一緒に食べてたよな?」

 

「う、え、あ、はい。夏燐は、その、お弁当忘れて、こ、コンビニに行きまして・・・ですね・・・」

 

 パニック寸前の頭をどうにか働かせて、質問に答える。

 

「へぇ? 佐々倉っていつも弁当なのか」

 

「あ、はい。夏燐は・・・料理上手ですから」

 

「え!? あいつ料理できたのか?」

 

「知らなかったんですか?」

 

「まぁな。ぜんぜんそんな風には見えないし・・・」

 

「それは夏燐に失礼ですよ?」

 

 そうかなぁ、と呟く相沢先輩。

 

 どうにか私は言葉も落ち着きを取り戻し始め、普通の会話くらいはできるようになっていた。

 

 ・・・けど心なしか顔は赤くなっている気がするし、心臓もバクバクいってる。

 

 と、急に相沢先輩は何を思ったのかベンチの後ろから私の肩越しにお弁当を覗き見てきて。

 

(・・・・・・っ!)

 

 瞬間、顔がこれでもかーってな感じに赤くなるのが自覚できた。

 

 だって相沢先輩の顔がすぐ、本当にすぐそこにあって・・・、その、匂いとかも感じ取れるくらいに。

 

「桐生も弁当なのか。これもお手製か?」

 

「あ、ああ、は、はい。お手製ですっ」

 

「へぇ、上手そうだな」

 

「よ、良かったら、・・・なにか、た、食べてみますか・・・?」

 

 って、しどろもどろになった頭のまま私はなにをとんちんかんなことを言っているのか?

 

 けれど、そんな狂乱に陥っている私をよそに相沢先輩は笑みを浮かべて、

 

「え、良いのか? そんなこと言われたらマジで食うぞ」

 

 なんてことを言ってきた。

 

 思わぬハプニングに、もうなにがなんだかわからなくなる。

 

 だけど相沢先輩に私の作った料理を食べてもらいたい気持ちもすごくあって・・・、

 

「ど、どうぞどうぞ。お好きなもの手で取っちゃってください」

 

「え、本当に良いのか?」

 

「も、もちろんです」

 

「それじゃ・・・これで」

 

 そうして手に取ったのは本日自信作の厚焼き玉子。

 

 口に入れて咀嚼する相沢先輩の顔を緊張一杯に見上げ、私は言葉を待った。

 

 味薄くないかな?大丈夫かな?

 

 不安一杯の私に、でも相沢先輩は笑顔で、

 

「うん、すごく美味しいぞ、これ」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「ああ。味の濃さといい柔らかさといい、最高。桐生って料理上手いんだな」

 

 嬉しい・・・。

 

 相沢先輩が私の料理を褒めてくれた。

 

 本当に嬉しくて、私は知らず笑みを浮かべていた。っていうか下手したら涙が出そうなくらいに嬉しい。

 

「あっと、俺そろそろ行かなくちゃ」

 

 相沢先輩が振り向く先に視線を向ければ、向こうには他の男性部員が相沢先輩を待っているようだった。

 

 ・・・名残惜しいけど、でも、今日はこれで十分だよね。

 

「はい、それじゃ相沢先輩」

 

「ああ。厚焼き玉子、ホントにサンキュな。マジで美味しかった」

 

 片手をあげて、いつもと同じように去っていくその後姿。

 

 それをボーっと眺めていると、

 

「ふふふ。伊里那もなかなかにやりますなぁ」

 

「わひゃぁ! か、夏燐!?」

 

 どこからやってきたのか、いきなりベンチの横から夏燐が現れた。もう、いまので寿命三年は縮まったよ・・・。

 

「み、見てたの、夏燐」

 

「もち」

 

「・・・どこから?」

 

「あたしの料理が上手いとか似合わないとかいうとこから」

 

 ・・・それってほとんど最初からだと思うけど。

 

「いたんなら声掛ければ良かったのに・・・」

 

「いやいや。邪魔するのもなんかなぁ、と思ったからね」

 

 にやにやと、嫌な笑顔で夏燐。

 

「でも、楽しかったでしょう?」

 

「・・・そりゃあ、まぁ」

 

「ほら、なら良かったじゃない」

 

 でもその後に会心の笑顔。

 

 ・・・憎めないなぁ、もう。

 

「祐一先輩はただでさえ人気あるんだからこういうときにポイント稼がないと先に誰かに取られちゃうよ?」

 

 にこやかに言う夏燐に、私は一つの疑問が浮かんだ。

 

「・・・夏燐は相沢先輩のこと好きじゃないの?」

 

「あ、心配?でも大丈夫よ。あたしは祐一先輩のこと異性としては見れないから」

 

「見れないって?」

 

 すると夏燐は困ったように頬を掻きながら、

 

「・・・あの人、兄貴に似すぎてんだよ。だから好きになると、兄貴を好きになっちゃったみたいでどうにもね・・・」

 

 まぁそんなことはどうでも良いのよ、と夏燐は話を区切る私の隣に座り込んだ。

 

「だからあたしは伊里那を応援するよ。頑張れ、女の子♪」

 

 そう言ってグッと親指を立てる。

 

 それが心からの応援であることがわかるくらいには私は夏燐の親友で。

 

 いろいろと思うこともあったけど、上手く言葉にできそうにないから私はただ頷いた。

 

 下手な言葉なんてなくても、きっと夏燐なら私の気持ちを理解してくれるだろう。そう信じて。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 お風呂上り。

 

 乾かすときだけは髪が長くなくて良かったなと思う。・・・やっぱり髪長くするの止めようかな。

 

「これでよし、と」

 

 化粧台から離れ、ベッドに腰をかける。

 

 結局あの後相沢先輩と話す機会はなかった。

 

 でもまぁ、現実はそんなものだろうと思う。好意を持った次の日からいきなりポコポコ話す回数が増えるなんてドラマや小説の中だけだろうし。

 

 ゆっくりといこう。

 

 私はもともとおっとりさんだし、これくらいのスピードでちょうど良いはずだ。

 

 だからゆっくりと。日にちをかけて話す機会を増やしていこう。いまはそれで満足だし。

 

 ベッドに潜り込む。

 

「明日はもっとしっかりと話せると良いなぁ」

 

 今日もいつも通りの日常が幕を閉じる。

 

 まだ来ない明日に望みを馳せ、私は電気を消すとそのまま眠りに付いた。

 

 

 

 ・・・人は、無条件に明日もいつも通りだと思う生き物で。

 

 だからこのときは思いもしなかった。

 

 明日、私にとって重要な事件が起きようとは。

 

 

 

 

 

 あとがき

 こんにちは、神無月です。

 次回で「冬の思い出」が残り半分をきります。

 もちろん、次回から事は動いていきます。

 それではみなさま、あと四話。お付き合いくださいませ〜。

 

 

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