夢を見た。

 

 それは怖くて、でもどこか暖かい夢。

 

 最初に見たのはトラックのヘッドライト。目を焼きつくすかと言わんばかりの白い明かり。

 

 次に見たのはそこから救ってくれたヒーローである相沢先輩の笑顔。

 

 背中の温かさ。

 

 そんな夢を第三者のように見ながら、思う。

 

 あぁ、こんな夢を見るなんて、私も案外乙女みたいな一面持ってたんだなぁ、なんて。

 

 そして耳元から聞こえてくる一定リズムを刻む電子音。

 

 あ、目覚まし時計が鳴ってる。

 

 ほら、桐生伊里那。早く起きなきゃ・・・・・・。

 

 

 

 

 

冬の思い出

the second days

 

 

 

 

 

「ふむぅ・・・」

 

 起床一番、変な言葉を出す私の口。

 

 ちなみに私は決して朝が強いタイプではない。というより明らかに弱い部類に入る。

 

 そして私は起きて一発目に奇声をあげることでも有名・・・らしい。というのも綾那や修学旅行のお友達にそう聞いた。

 

 そんなわけで私が自分の奇声を認識できることは珍しい。

 

 ・・・なんて、私はいったいなにを朝から考えているんだろう。

 

 まだ頭が上手く動いてないみたい。顔でも洗ってさっぱりしよう。

 

 私愛用の猫柄のお布団から、名残惜しいけれど体を出す。

 

「寒い・・・」

 

 今日もやっぱり寒い。

 

 半纏を着込み、私は一階の洗面所に向かって―――、

 

 ゴン。

 

「あいたっ!」

 

 ・・・ドア近くのタンスに足の小指をぶつけたぁ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 どうにも不名誉な覚醒にどことなくむっつりする顔を鏡で見ながら、私はブラシで髪を梳かしていた。

 

「はぁ。なおらないなぁ、寝癖」

 

 肩よりほんの少し長い程度の亜麻色の髪。どうにも私の髪はくせっけが強いらしく、毛先がみょいんとあらぬ方向へと曲がってしまっている。

 

 寝癖直しもドライヤーも効力を発揮しない。私はどうにか真っ直ぐにしようと格闘しているのだけど、すでにもう始めてから三十分が経過している。

 

 時刻は午前八時半を回ろうかとしているとこ。

 

「そろそろ出ないとまずいよね・・・」

 

 今日も陸上部の練習がある。

 

 集合はいつもよりほんのちょっと早い九時半。それは除雪作業を考えてのことだった。

 

 息を吐き、ブラシを化粧台に置いた。もう諦めよう・・・。

 

『お姉ちゃーん?まだ行かなくていいのー?』

 

 階下から綾那の声が聞こえてきた。

 

「うーん。もう行くよー!」

 

 答えながら腕時計を手首にはめ、私は鞄を手に取った。

 

 窓を全開にして、空気の入れ替えを。揺らめく純白のカーテンが、なんとなく今日良いことが起こるような気にさせる。

 

「忘れ物は・・・ないよね」

 

 ハンカチは持った。ジャージもある。お弁当は下だし・・・、うん、大丈夫。

 

 玄関に向かうべく部屋を出ようとして、

 

 ゴン。

 

「はうっ!」

 

 ・・・またドア近くのタンスに指ぶつけたよぅ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「お姉ちゃんはいっつもいっつもドジだなぁ」

 

 朝・・・というにはほんの少し遅い登校風景。

 

 隣を歩くのは私の妹である桐生綾那。私と同じく高校一年生。同じ高校の、しかも同じ陸上部のマネージャー。

 

 同じ学年と言っても別に双子というわけではない。私が四月生まれで、綾那が次の年の三月生まれ。

 

 そう、私たちは学校で一年とされる最初と最後の月にそれぞれ生まれたのだ。

 

「あは、雪道を歩くのって何年ぶりだろう」

 

 隣ではしゃぐ綾那はいつも通り元気一杯だ。

 

 つられるようにして揺れる亜麻色の腰まで届く長い髪。同じ姉妹なのかと本当に疑いたくなるその髪の艶は、いつ見てもちょっと嫉妬してしまう。綾那は「お姉ちゃんの髪の方が綺麗だよ」と言うけれど、そんなことは断じてないと思う。

 

 いまだに幼さが少し残っているけど、顔も整っているのですごく可愛い。明るくいつも笑顔を絶やさない綾那はクラスでも中心的な存在のようで(そう夏燐に聞いた)、陸上部でもなかなかに目立っている。

 

 どちらかと言えば静かな部類に入る私からすれば、綾那はとても輝いた存在で、・・・ほんの少し遠い存在でもある。

 

「・・・? なぁに、お姉ちゃん。わたしの顔になにか付ついてる?」

 

「え、あ、ううん。なんでもないの」

 

「そぉ?変なお姉ちゃん」

 

 くすっと笑うその表情は私から見てもとても眩しくて、やっぱり姉妹っていっても似ないものなんだなぁ、なんて考えた。

 

「あっ!」

 

 と、唐突に歩を止める綾那。

 

「どうしたの?」

 

「あっちゃー・・・。わたし、家にお弁当置いてきちゃったよ・・・」

 

 そう言って「あはは」と笑って額をぺしっと叩く。

 

「だからさっき『持ったの?』って確認したのに」

 

「いやぁ、お姉ちゃんにお弁当渡すので頭一杯で・・・。ごめん、お姉ちゃん。先行ってて」

 

「いいよ。私も待ってるよ」

 

「いやいやこれはわたしの落ち度ですから。お姉ちゃんに迷惑をかけるわけにはいかないでしょう? ほ〜ら、わたしもすぐに行くからさ。・・・もし遅れそうだったら先生になんとか言っといてほしいしさ」

 

 お願い、と手を合わせてこちらを窺う綾那。

 

 もう、仕方ないなぁ。

 

「わかった。遅れそうになったらなんとか言っとくよ」

 

「さっすがわたしのお姉ちゃん、恩に着るよ。それじゃお姉ちゃん、また後で学校でね。チャオ♪」

 

 手を軽く振って走り去っていく綾那。ちなみに、「チャオ」というのは綾那が小さい頃から別れるときに使っていた口癖だ。

 

「さて・・・、行くかな」

 

 綾那を見送り、私は自分の通う高校までやって来ていた。

 

 少々早かったので、回りには数える程度の生徒しかいない。

 

 そして部のメインとなる活動場所、グラウンドは綺麗なくらいに真っ白だった。

 

 そして私は誰も踏んだ跡のない中央付近まで歩くと、ふもふもと辺りを踏んでみた。

 

「なーにやってんの、伊里那」

 

「わひゃぁ!」

 

 唐突に背後から声。

 

 私はあまりの驚きに雪の中にダイブしてしまった。

 

 あぁ、まだジャージに着替えてないのに・・・。

 

「ありゃりゃ。伊里那、大丈夫?」

 

「ひどいよ、夏燐」

 

「あはは、ごめんごめん。そこまで驚くなんて夢にも思わなくてさ」

 

 顔を上げた先、舌をちろっと出して謝っているのは佐々倉夏燐。

 

 いつも明るく元気よく、をモットーに学生生活を過ごす夏燐には活発そうなイメージのショートヘアがよく似合っていると思う。

 

 背も高く、体付きは健康美の一言。マネージャーなんかじゃなくて普通に部活動をすれば良いのに、とはよく思う。事実、運動系の部活から勧誘されたことも一度や二度ではないようなのだけど、夏燐はそれらに首を縦に振ることはなかった。

 

 夏燐曰く、「あたしは影で動く方が良いの。日向に出て活躍するなんてあたしの性に合わないわ」とのことらしい。

 

 そんな私と正反対のような彼女が今では親友と呼べる仲なんだから、世の中というのはなかなか面白いと思う。

 

 知り合ったきっかけは単純。入学したときに同じクラスで隣の席だった。ただそれだけ。

 

 でもれから席替えを何回しても不思議と夏燐と席が離れることもなく、ずっと親友をやっている。

 

 とはいえ、やっぱり姉御肌の夏燐にはなにかと頼ってしまうことも多く、どうにも釣り合いが取れてないような気もするけど・・・。

 

「ほら、いつまでも寝てたら制服びしょびしょになっちゃうぞ?」

 

「もう、誰のせいよ・・・」

 

 差し出された手を受け取り、私は立ち上がる。

 

 ・・・やっぱり少し濡れちゃった。クリーニングに出したばっかりなのに・・・。

 

 むぅ、とジト目で夏燐を睨むと、夏燐は気まずそうに視線を漂わせて、

 

「え〜と、・・・ごめん」

 

 最後にはしょんぼりと俯いてしまった。

 

 そんな夏燐に、私は思わず微笑んだ。

 

「良いよ、大丈夫。またクリーニング出せば良いから」

 

「そのクリーニング代はあたしが出すよ」

 

 いいよ、と言いそうになった言葉を呑み込む。

 

 夏燐はこういう場合どんなにこちらが断っても下がろうとしない。意地っ張りなのだ。あとは延々と押し問答が続くことになる。

 

「わかった。もらっとくね」

 

 だから私はそう答える。これが彼女の誠意の表れだから。

 

「うん♪」

 

 太陽のような笑みを浮かべる夏燐。どことなくその笑みは綾那に似ている気がした。

 

「それで、伊里那はなにをしてたの?」

 

「あ、雪ってさ、誰も踏んでないところ見るとつい踏んでみたくならない?」

 

「あ〜、まぁ・・・。そう思うこともあるようなないような・・・」

 

「あっ。なんか曖昧な返事」

 

「いや、確かに感じたことはあるよ。その・・・ずっと小さいときに、ね」

 

「・・・それ、遠まわしに私が子供っぽいって言ってる?」

 

「い、いやいや、違う違う!」

 

 ぶんぶんと首を振って否定する夏燐の様が面白くて、私はつい噴出してしまった。

 

「むっ。いまの笑うところじゃないでしょ伊里那」

 

「あ、うん。そうだね、でも面白くて。ふふふ」

 

「なに楽しそうに喋ってるんだ?」

 

 不意に男の人の声。

 

 その、あまりに突然なこととその声が昨夜聞いたばかりのものであることに私の心臓は思わず大きく跳ねた。

 

「あ、祐一先輩。おはようございまーす!」

 

 そう。

 

 夏燐が少し首を曲げた先に立っていたのは、スポーツバッグを肩に提げた相沢先輩。

 

 あぁ、どうしよう。いきなりで心臓がバクバク波打ってる。ほんのり顔も赤くなってる気がするし・・・。

 

 おかしいな、昨夜はこんなじゃなかったのに。うぅ、止まってよ私の心臓!あ、でも止まったら死んじゃうよね・・・。

 

「相変わらず佐々倉は元気そうだな」

 

「『いつも明るく元気よく』が、あたしのモットーですから」

 

「ハハッ、そうだな。鬱になってる佐々倉なんて想像できないもんな」

 

「うあっ、先輩。花も恥らう乙女にそんなこと言うなんて男性失格ですよ」

 

「・・・えーと、誰が花も恥らう乙女だって?」

 

「あ・た・し♪」

 

「へー」

 

「うわっ、すっごい気の抜けた返事!先輩サイテーです!」

 

 明るく談笑に花を咲かせる二人に、私はどうにも入り込めない。

 

 ・・・こう見ると、夏燐と相沢先輩って大分仲が良いみたいだ。

 

 なんかほんのちょっとだけ・・・、胸が痛い感じ。

 

「ん? どしたの伊里那。ボーっとしちゃって」

 

「え、あ、ううん、なんでもないのなんでも」

 

「そぉ? 変な伊里那」

 

 なんか似たような台詞をさっき綾那から聞いたような気がする。

 

 ・・・どうにも今日の私はいつにも増しておかしいみたい。はふぅ。

 

「大丈夫か、桐生」

 

「え・・・?」

 

 パッと顔を上げた先、心配そうにこちらを窺う相沢先輩の顔。

 

 しかもけっこう近くて、心臓がさっきよりバクバクしちゃってる・・・。

 

「ほら、昨日の夜あんなことがあったからさ。怪我があったとか眠れなかったとか、そんなことあったんじゃないか?」

 

「あ、え、ええと、だ、大丈夫です。全然、これっぽっちも、ぴんぴんしてますから、眠ってますし!」

 

 あぁ、言動が支離滅裂すぎるよぉ。夏燐なんかポカンと口を広げてこっち見てるし・・・。

 

 でも、そんな私なのに相沢先輩は安心したように笑みを浮かべて、

 

「どうやら本当に大丈夫みたいだな。安心したよ」

 

 その仕草に、思わず胸が高鳴った。

 

 同時、トラックの方から呼び声がかかった。振り向いてみれば、そこには集まりだした部員とマネージャー。呼んだのは部長みたいだ。

 

「さて、それじゃそろそろ除雪作業始めるかな」

 

 そう言って背中を見せる相沢先輩。

 

「あ、あの」

 

「ん?」

 

 意識せず呼び止めてしまった私。首だけ振り向かせてこっちを見る相沢先輩の瞳に顔が赤くなる。

 

 それでも言わなきゃ。

 

 一回深呼吸して、私は口を開いた。

 

「き、昨日は本当にありがとうございました」

 

 その言葉に、相沢先輩はただ笑みを浮かべて一言。

 

「おう」

 

 部長の元へ走り去る相沢先輩を見て、私は砕けそうになる腰をなんとか踏ん張らせた。

 

「はぁ・・・」

 

 思わず出る白いため息の向こう、それまで傍観していた夏燐がそっと近付いてきて、すごいことを言ってきた。

 

「ねぇ、伊里那。あんたさ、もしかして祐一先輩に惚れた?」

 

「!!?」

 

 ボン、という効果音が聞こえてくるかのように熱を持つ私の顔。もう、こんなんじゃ肯定してるようなもんじゃない・・・!

 

 案の定夏燐は「はは〜ん」とか言いながらどこか意地悪な笑顔浮かべてるし。

 

「な、なに?」

 

「いや〜、そっか、伊里那がねぇ」

 

 妙に嫌らしい笑みを顔に浮かべポンポンと私の肩を叩く。

 

「伊里那にも春が来たか〜」

 

「そ、そういう言い方はやめてよぉ」

 

「いやいや。かれこれ伊里那と親友やってきて早一年になろうかといういままで。あたしは伊里那から好きだとかそんな言葉はおろかカッコいいの一言も聞いたことなかったらね。それに綾那に聞いた話じゃいままでに付き合った男の子とかいないらしいじゃない? だからあたしはとっても嬉しいよ」

 

 綾那・・・。いつの間にそんなことを夏燐に言ったのよ〜。

 

 今日の夕飯、綾那の嫌いなアサリのお味噌汁にしてやる。

 

「それにしても祐一先輩か〜・・・。またライバル多いの選んじゃって」

 

「だ、だって仕方ないじゃない。好きになっちゃったものは・・・」

 

 改めて「好き」と言葉にすると恥ずかしい・・・。また顔が赤くなった気がする。

 

「初々しいね、伊里那。女のあたしから見ても可愛らしいぞ?」

 

「からかわないでよ、もう・・・」

 

「まぁ、昨日なにがあったか聞くほどあたしは野暮じゃないけどさ。でも頑張んなさいよ。あ、部活中にあたしが伊里那のことどう思ってるか祐一先輩に聞いてあげようか?」

 

「や、やめてよそんなの」

 

「アハッ、冗談よ、冗談。そんな野暮なことこの夏燐ちゃんがするわけないじゃない。しばらくは傍観しますよ」

 

「・・・その、しばらくっていうのが気になるんだけど?」

 

「伊里那は奥手っぽいからさ、なにも進展しなさそうじゃない。いつまで経っても変化がないようならあたしも動かさせてもらうわよ」

 

「いいよ、そんなの」

 

「だ〜め。それが嫌なら早く行動を起こすこと。それならあたしの介入を阻止できるじゃない?」

 

「なによ、それ。無茶苦茶すぎ」

 

 とはいえ、親友の思いが詰まっていることはわかっているので不快感はない。

 

 だから私は会話の間ずっと笑みを浮かべていた。

 

 夏燐もあんなこと言ってるけど、きっと自分から動こうとはしないだろう。

 

 彼女は姉御肌だけど、自分から無闇に人様のごたごたに突っ込む人じゃない。

 

 夏燐が動くのは本当に頼られたときだけ。夏燐はお節介と親切の境を良く知ってる人だから。

 

「そこのマネージャー!なにやってるんだ、さっさとこっち来て除雪手伝え!」

 

「はーい!」

 

 呼ばれる声に夏燐が答える。

 

 どうやらもう大半の部員は集まったようで、除雪作業を始めようとしていた。

 

「さて、では行きますか?」

 

「うん」

 

 差し出された手を握り、私たちはトラックまで走っていった。

 

 ザクッ、ザクッと。

 

 真っ白な絨毯を踏みしめて。

 

 これからの毎日に、淡い期待を抱きながら・・・。

 

 

 

 

 

 あとがき

 どうにも女性一人称は上手くいかない、どうも神無月です。

 難しいっす。一人称ってだけでも難しいのに、それが女性ともなるとこれがまた・・・。

 まぁ、大まかな話の流れはもう完成してるのであとは細かい部分ですね。

 ・・・他のSSに比べて執筆ペースが遅い気もしますが、そこは許してもらう方向で。

 それではまた次回に。

 

 

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