使い古された校舎。大きくて広いグラウンド。陽に照らされて輝く雪の絨毯。

 

 目に映る何もかもが懐かしい。

 

 思い出すのはあの頃。

 

 いままでなんども夢に見た高校生活のあの一週間。

 

 たった一週間。

 

 けれど、私にとってその一週間が最も輝いていた瞬間。

 

 言えなかった言葉があった。

 

 出せなかった手紙もあった。

 

 ・・・そして伝えられなかった想いがあった。

 

 風に揺らめく髪を手で押さえ、私はゆっくりと歩を進めた。

 

 あの、懐かしい・・・。あの頃に想いを寄せて。

 

 

 

 

 

冬の思い出

the first days

 

 

 

 

 

 雪が降っている。

 

 この街に雪が降ることはそうはない。

 

 私はずっとこの街に住んでいたわけではないが、それでももう五年近く住んでいて雪を見たのは今日を含めて二回だけだ。

 

 だから、すごく珍しいこと。

 

 街灯の光に照らされてキラキラ輝きながら降ってくる様はどこまでも神秘的に見えて、私はそっと手をお皿のようにしてその小さな結晶を迎える。

 

「冷たい」

 

 当たり前のことを口にする。

 

 そんな当たり前のことがなぜか妙に嬉しくて、私は小さく微笑みながら帰路についていた。

 

 現在時刻午後五時半。とはいえ、もう季節は冬であるからには外はもう真っ暗だ。

 

 私こと桐生伊里那(いりな)はいま学校の帰り。

 

 とはいえ、いまは一月。冬休みの真っ最中である学校に授業なんてあるわけがない。

 

 私は自分がマネージャーを勤める部活の帰りである。

 

 ちなみに私がマネージャーを勤める部活というのは陸上部。これでもうちの学校は陸上部では名門と呼ばれる部類に入る。

 

 ・・・本当は私もちゃんと部員として入りたかった。

 

 けれど、できないことは仕方ない。私の足はもう、走ることはできないから・・・。

 

「ううん、駄目だよ。暗くなっちゃ」

 

 危うく沈みかけた思考を、口に出すことでなんとか防ぐ。

 

 そうだ。過ぎたことはくよくよしないってもう決めたんだ。しっかりしなきゃ。

 

 私はパンと軽く頬を叩き、前を向く。

 

「うん。早く帰って支度しなきゃ」

 

 今日もお母さんお父さんの帰りは遅い。いつもいつも私たちのために夜遅くまで働いてくれている両親にはもう頭が上がらない。

 

 だから家事だけでも、と私と妹の綾那(あやな)で分担作業をしている。

 

 そして今日の夕食当番は私。だから早く帰らないと綾那にまたお姉ちゃんはとろいなんて文句を言われてしまう。

 

 そうして歩き出そうとしたとき、不意に爪先に衝撃。

 

「え・・・?」

 

 不思議。こういうときって一瞬のはずなのに心の中では「あ、やっちゃった」なんて第三者然としてるから不思議だ。

 

 そんなことを考えている瞬間にも地面が近付き、私はボスッと倒れる。

 

 まぁ、地面は一面雪なわけだし、剥き出しの地面よりは全然痛くなかった。

 

 けれど・・・。

 

「あぁ、野菜が・・・」

 

 右手に持っていたスーパーの袋の中身がばら撒かれて散乱していた。うぅ、玉ねぎなんて丸いせいかあんなところにまで・・・。

 

 私はスカートやコートから雪を払って、せっせとぶちまけてしまった野菜を袋に戻す。

 

 どうにも要領が悪いのが私の悪いところだと思う。いや、この場合抜けている、の方が正しいだろうか。

 

「待って、玉ねぎっ」

 

 とか言っているいまもコロコロと転がっていく玉ねぎに四苦八苦。なんでよりにもよってこんな坂道で転んだんだろう、私。

 

 なんとか玉ねぎを拾って息を吐いた私に―――、

 

 

 

 突如強烈な明かりが身を包んだ。

 

 

 

「え―――?」

 

 あまりにも急なことと、その眩しさになにが起こったのかわからない。

 

 けれど、その雪を抉るような音から・・・それが車であることがわかった。しかも音からしてどうやらチェーンをしていないらしい。

 

「あ」

 

 よけなきゃ、と頭では思っていても足が動かない。

 

 どうして?

 

 駄目。どうしても車はあのときの恐怖を思い起こさせる。

 

 足が竦む。縛り付けられたように動いてくれない。

 

 そして耳を劈くブレーキの音。

 

 けれど遅い。この雪道でチェーン無しではこの距離で止まれるわけがない。

 

 怖いのに、なのに頭の中はどうしてこうも冷静なのか。いや、なにも考えられないだけかも。

 

 徐々に近付いてくるその車は、―――しかもトラックだった。

 

 乗用車ですらあれだけのことが起きたのに、トラックになんか撥ねられたらどうなってしまうのだろう。・・・やっぱり死んでしまうのだろうか。

 

 私は動かない足を抱えたまま、そのトラックに身を―――、

 

 

 

「危ない!!」

 

 

 

 ―――撥ねられなかった。

 

 まさに衝突する寸前、いきなり後ろからコートを引っ張られる感覚。

 

 そのまま倒れこむようにして姿勢を崩した私の正面を、そのトラックが勢いよく通過していった。

 

「あ・・・え・・・?」

 

 なにがどうなっているのか。

 

 すべてがあまりに唐突過ぎてわけがわからない。

 

 トラックは私がいた場所からスピンしながら十メートルほど越えたくらいの場所でやっと止まった。

 

 そんな状況の中、なぜか下から安堵の息が聞こえてきた。

 

「ふぅ。・・・大丈夫か、桐生?」

 

「え・・・?」

 

 下から声が聞こえてきたのも驚いたが、その声が私の苗字を呼んだことがさらに驚きだった。

 

 私が慌てたように後ろを向くと、私の下敷きになっているような感じで倒れている男性―――その顔は私のよく知る人物の顔だった。

 

「相沢・・・先輩?」

 

「どうやら無事みたいだな」

 

 そう言ってにこっと微笑んだのは相沢祐一先輩。私の勤める陸上部の人で、走り高跳びで県内でも有名な人。きっと走り高跳びの選手じゃなくても陸上の人なら県内で知らない人はいないだろう。それぐらいの人だ。

 

 ・・・あれ?なんで相沢先輩がここにいて、そして私は心の中で相沢先輩の説明なんかしているのだろう。

 

 あ、なんか頭が回ってないっぽい。展開が急でいっぱいいっぱいだ。

 

「あの、相沢先輩、どうして・・・」

 

「あぁ、とりあえずそれはともかくどいてほしいかなぁ、なんて・・・」

 

「え?」

 

 スッと、下に視線を向ける。

 

 私はちょうど相沢先輩のお腹の辺りに座り込むような形で・・・って!?

 

「うわわっ、ご、ごごご、ごめんなさい!」

 

 ようやく現状を把握し慌てて立ち上がる。そうだよね、さっき自分で下敷きになってるようにって認識してたはずなのに・・・。うぅ、私の馬鹿。

 

 弾かれるようにして立った私に続いて相沢先輩も「よっ」と言いながら立ち上がって、服に付いた雪を払い落とした。

 

 そしてその頃になってようやくトラックからおじさん―――おそらく運転手なのだろう―――が慌てたように降りてこっちに走ってきた。

 

「き、君たち、大丈夫だったかい!?」

 

「俺は大丈夫です。桐生は怪我、ないか?」

 

「え、あ、はい。おかげさまで・・・」

 

 あ、この状況でおかげさまと言うのもおかしいか、なんて思ってももう後の祭り。言ってしまったものはもう取り消せない。

 

 相沢先輩も私の変な日本語に一瞬キョトンとし、でもすぐに安堵の表情を浮かべると「だ、そうですよ」と運転手のおじさんに向き直った。

 

「でも、おじさん。さすがにこの雪でチェーン無しはまずいんじゃないですか?」

 

「うっ・・・。その通りだね。ごめんな、これからは気をつけるよ」

 

「本当に、次からは気をつけてくださいね」

 

 そしておじさんは頷くともう一度「ごめんよ」と謝ってその場を後にした。

 

 私はといえば、そんなおじさんをどこかブラウン管越しに見ているような錯覚に陥っている。

 

 まだ頭がボーっとしている。頭が元に戻ってきていない。

 

「ほら」

 

 相沢先輩の声。それと同時に目の前に差し出されたのは、スーパーの袋。

 

「・・・はい?」

 

「これ、桐生のだろ。野菜、これで全部だと思うけど・・・、まぁ、一応確かめといてくれ」

 

 ほら、と手渡された物の重みに、ようやく私の中でいままでのことが現実味を帯びだしていく。・・・というよりようやく頭が動き出してきたみたい。

 

 そしてそれと同時にふつふつと湧き上がってきた恐怖。そして私は膝が砕けてしまってへなへなと地べたにお尻をついてしまった。

 

「き、桐生!?どうした、どこか怪我してたのか!?」

 

「え、あ、いえ。なんか急に力が抜けちゃいまして・・・」

 

 なんとも情けない話だけど、どうにもあのときの恐怖を思い出してしまう。うぅ、いまさらになって膝ががくがくしてきたよ。

 

「そっか。ならよかった。・・・ほら」

 

「え?」

 

 相沢先輩が私の目の前で背を向けて跪く。えっと、これは・・・、

 

「あの・・・?」

 

「桐生の家は確かここから近かっただろ。おぶってってやるよ」

 

「え、え、えぇ?そんな、悪いですよ。しばらくしたら足も動くようになりますから・・・」

 

「いいって。第一、このまま桐生放って帰れないだろ、人として」

 

 そう言って笑顔を見せる相沢先輩は本当に気さくな感じで。

 

 あぁ、女子に人気があるっていうのもわかるなぁ、って思った。

 

「本当に良いんですか?私、それなりに重いですよ?」

 

 確認の言葉も、無言の笑顔に弾き返されてしまった。

 

 敵わないなぁ。そう思って。

 

 私はお言葉に甘えておぶってもらうことにした。

 

 あまつさえスーパーの袋まで持ってもらう始末。はぁ、私、かっこわるい。

 

「本当、すいません・・・」

 

「いいって、いいって。困ったときはお互い様さ」

 

 私の謝罪もどこ吹く風。相沢先輩はいっそ清々しい表情でただ笑うだけ。

 

 相沢祐一先輩。

 

 実は、私はこんな風にしっかりと先輩と話したのはこれが初めてだったりする。

 

 同じ部活とはいえ、名門と呼ばれるだけのことはあり部員数もマネージャーの数も半端じゃないうちの陸上部は、だからマネージャーも一競技に一人から二人といった風に分割されている。

 

 私は長距離がメインのマネージャー。相沢先輩は走り高跳び。だからろくに話をしたこともなかった。

 

 もちろん名前だけはちゃんと知っていた。

 

 陸上部のエースということもある。けれど、それ以上に先輩は女子に人気だったからだ。

 

 ルックス良し。運動はもちろんのこと、勉強もできる。性格も気さくで明るく、気付いてみれば人の中心にいるような人だ。人気が出ないわけがない。

 

 そんな遠い存在であるはずの相沢先輩がこんな近くに、しかも私を背負って歩いている。

 

 ・・・なんか現実味のない話だった。

 

 もしかしたらさっきのことも含めて全部夢なんじゃないだろうか。

 

 そう思って私は片方の手でギュッと頬をつねってみる。

 

「・・・痛い」

 

「桐生?」

 

「うわぁ、いえいえ、なんでもないですよっ」

 

 怪訝な様子でこちらを窺う先輩に私はわたわたと首を振る。そりゃあ、すっと無言だった子がいきなり自分の頬をつねりだしたら驚くよね。

 

 そうか、と呟いてまた歩を出す先輩。

 

 リズミカルに揺れる先輩の背中。男の人なんだなぁ、と思わせるその広さに、私はなにか温かいものを感じていた。

 

「・・・そういえば、相沢先輩はどうしてこんなとこに?」

 

 ふと、私はそんなことを口にしていた。

 

 というよりいままで疑問に思わなかった自分が不思議なくらい。きっとそれだけあっぷあっぷしてたんだろう。

 

「俺か?俺はちょっと買い物にな」

 

「こっちの方にお買い物ですか?相沢先輩のお家って駅の近くなんですからそっちの方がなにかと便利そうですけど・・・」

 

「ん、まぁ普通の買い物だったらそうだろうな。でもほら、ホームセンターでしか買えないものもあるだろ」

 

「そうですけど、でも先輩お買い物袋らしきもの持ってないですよね?」

 

 私の、おそらく当たり前であろう質問に先輩はどこか気まずそうな笑みを浮かべて、

 

「いやぁ、それがさ。欲しい物を見つけていざレジへ、ってときになってから財布がないことに気付いてさ。もう馬鹿だろう?買い物に出ておいて財布忘れるなんて笑い話にしかならない」

 

 ははは、と笑う先輩に私も曖昧な笑みで答える。

 

 ・・・その笑い話にしかならないことを何度かしたことのある私はなんなんだろう、なんて考えて。

 

 と、交差点で先輩の歩が止まる。

 

 浮かび上がるのは赤信号の明かり。それをボーっと眺めていて、不意に私はあることを疑問に思った。

 

「相沢先輩って私のこと知ってたんですか?っていうかお家の場所まで」

 

「あぁ。ほら、桐生って佐々倉と仲良いらしいじゃないか。佐々倉って走り高跳びのマネだからよく話をするんだよ。聞いてないか?」

 

「いえ、初耳です」

 

 夏燐(かりん)・・・。そんな話しをしてたんだ。

 

 でも、そんなことをいちいち覚えている先輩もすごいと思う。

 

「ここ渡って・・・、もう少し歩くんだっけ?」

 

「え、はい。あ、でももう大丈夫です。一人で歩けますよ」

 

「いいって。最後まで面倒見させてくれ。あぁ、迷惑だったら止めるけど」

 

「い、いいえ、そんな迷惑だなんてことは・・・」

 

 信号が赤から青へ。

 

 そうしてまた踏み出される足音。雪を踏みつける足音でさえ、女の人と男の人ではこうも違うとは、ちょっとした発見だった。

 

 時間がゆったりと流れている感じがする。それは明るく照らす街灯か、こんこん降る雪のせいか。

 

「あ、ここですから」

 

 一瞬か永遠か。そんな揺らめく感覚の中、私たちは私の家の前に着いていた。

 

「へぇ、ここが桐生の家か」

 

「あ、そうですけど・・・。なんかおかしいですか?」

 

「え、あぁ、いや。なんか暖かい感じがしてさ」

 

「暖かい・・・ですか?」

 

「うん。あぁ、知らないかもしれないけど、うちってどうも親と疎遠でさ。なんとなく家の中が寒々しいっていうか・・・」

 

「そうなん・・・ですか」

 

 家のことを話した先輩の顔は、いつもの太陽を彷彿とさせるような笑みを浮かべる先輩からは考えられないようなものだった。

 

 だから私はそれ以上聞かないことにした。

 

 話しすらあまりしたことのないような私が聞いて良い話ではない気がしたから。

 

 ―――そっと先輩が私を降ろしてくれる。

 

 私の足はもう動けるようで、しっかりと足元の雪を踏みしめていた。

 

「相沢先輩。いろいろとどうもありがとうございました」

 

「いや。でも良かったよ。今日たまたまでもあそこを通って」

 

 確かに。先輩が今日ホームセンターに行こうとしなかったら私は今頃・・・。

 

 また震えだしそうになる私の肩に、そっと温もりが落ちてきた。

 

「・・・先輩?」

 

 それは先輩の手。私の恐怖を看破したかのような微笑で、震えを押さえるように手を置いてくれていた。

 

 そんな心配りが嬉しくて、私はしばらく無言でいた。

 

 先輩も無言。なにも言わず、ただじっと肩に手を置いてくれていた。

 

 何秒か。それとも何分か。

 

 しばらくして、私はゆっくりと視線を先輩の高さまで上げた。

 

「ありがとうございます。先輩。もう、大丈夫です」

 

 そうか、と呟いた先輩の手が離れていく。

 

 なんでだろう。ほんの少しだけだけど、ちょっともったいないような気がして。

 

 でも、そんなことはおくびに出さず、私はお辞儀をした。今日の出来事の、大きな感謝を込めて。

 

「それじゃ、また明日」

 

 片手を上げて遠ざかっていく先輩の笑顔。視界から消えるまで私はずっとその後ろ姿を眺めていた。

 

 トクン、と。

 

 どこか懐かしい、それでいて温かい鼓動が私の胸を打つ。

 

 渡されたビニール袋を両手で抱くようにして、私は大きく白い息を吐いた。

 

 どうやら私こと桐生伊里那は・・・・・・、

 

 あろうことか学園のアイドルに恋をしてしまったらしい。

 

 

 

 

 

 あとがき

 冬と言えば・・・恋?

 なぜか疑問形で贈る、どうも神無月です。

 まぁ、唐突に思い至りプロットにペンを走らせること三十分。

 出来上がったのがこれでして・・・。どうなんだろうなぁ、これ。

 個人的にはオリキャラって敬遠してたんですよね。

 難しい、っていうのもあるけど、元来あるキャラにオリキャラを交じらせるのってなんか読んでて疲れる感じがして。

 しかしまぁ、これがきっかけでその考えを改められたらなぁ、とは思います。

 テーマは純愛。淡く、切ない恋物語。

 神無月お得意の(いや、決して得意ではないけれど)戦闘などは一切入りません。このままのノリで七日目まで行きます。

 あ、そうそう。冒頭にありましたが、これは一週間の物語なので七日間、つまり七話で終了します。

 とはいえ、一日が一話なので、一話分の分量が多くなりますが・・・。

 あとがきの最初に言ったとおり冬の恋を念頭にしていますので、春になる前までに全話書き上げる予定。・・・予定だよ?

 それではみなさん。しばらくの間、お付き合いくだされば嬉しいです。

 

 

 

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