風が、舞う。
そよそよ、そよそよ。
あのときよりもわずかに冷たい、白い風。
「もう春なのに・・・雪なんて」
見上げる空は、ただ厚く。その灰色の雲は、どこまでも広く。
この雲の色は、いまのわたしの心だろうか。
・・・そうじゃないと、信じたいけど。
あれからもう二年が経った。まだ引きずっているとは思いたくない。
でも、
―――暗いとさ、心も暗くなっちゃうわけで。
だけど、全部が全部暗いことではないと信じたい。
あの日の事を、わたしはいまでもはっきりと覚えている。
人が行き交う駅前の広場で出会った事を・・・。
公園で、わたしだけにあれを見せてくれた事を・・・。
わたしの料理を美味しいと言ってくれた事を・・・。
旅の話を聞かせくれた事を・・・。
・・・暖かな風そよぐこの場所で「さよなら」を言われた事を。
そして、約束を。
「―――行こう」
今日から大学生。新しいわたしの始まる日。
なら、後ろを見るのはここまでにしよう。
踵を返す。
雪を乗せ、吹き上げる風が丘を通り抜けた。
春の煌き
epilogue
〜誓い〜
電車を使って大学に着いたころには雪は止み、空は嘘のように青く澄み渡っていた。
新しい自分。それを祝ってくれている、とそんな風に感じちゃうのは自意識過剰かな。
わたしと姉ちゃんと夏燐さんは同じ大学に受かった。だから今日この入学式にもいつもの三人で講堂に向かっている。
「今日でもう大学生か・・・。早いものね」
隣を歩く夏燐さんがため息混じりに呟く。
夏燐さんだけは昔から変わらないな、と思う。お姉ちゃんもわたしもあの三年間でいろいろとあったけど、夏燐さんだけはなにもなかった。
・・・ううん、違う。夏燐さんはなにもしようとしていない。特に異性相手だと。
あの日から、きっと夏燐さんは恐れてる。
外見では、ことさら平気な風を装ってはいるけど・・・。
―――でも、そんなのわたしもおんなじか。
「とりあえずは暇な入学式をこなして、サークルを見て回ろうよ」
わたしもお姉ちゃんや夏燐さんにことさらに笑みを浮かべる。
人のことは、言えない。
「綾那ったら・・・。気が早いんだから」
お姉ちゃんも笑ってた。笑えるようになってた。
それでも皆、どこか歪で。無理しているような笑みで。
それをお互いわかってる。わかってはいるけど、気付かない振りをしている。
それは、とても助かる。とても嬉しい。
こんな、ちょっと不器用だけど優しい空間が大好き。
「まぁ、でも綾那の言うとおり入学式なんて暇だろうしね」
「もう、夏燐までぇ」
嘘の笑いが響く。
でも、それでも良いと思うんだ。
嘆くより、泣くことより、嘘でも笑えていた方が良いと思うんだ。
笑う門には福来る、じゃないけど・・・。でも泣いてるだけじゃ不幸しか来ないと思うから。
だから笑いたい。笑っていようと思う。
・・・ほんのちょっぴり、虚しい気もするけどね。
☆ ☆ ☆
「・・・うーん、どうしよう」
入学式が終わりました。
さて、これからサークルを見て回ろうかと思えば、目に飛び込む人、人、人。
そりゃそうだ。サークルの勧誘となれば在学生もいるんだし、入学生と合わせればこれだけの人数がいたっておかしくない。
で、どうしてわたしがこんな講堂の前でポツンと一人突っ立っているかと言うと、
「・・・はぐれちゃったよ」
いくら周囲を見渡してもお姉ちゃんも夏燐ちゃんも見つからない。
・・・完璧にはぐれてしまった。
わたしが迷子なのか向こうが迷子なのか。・・・両方というのが一番有力なんだけどね。
「ま、電話が一番無難かな・・・とは思うけど」
でもあの二人携帯持ってないんだよねー。
お姉ちゃんは機械が大の苦手で触れようともしないし、夏燐さんは拘束されるのが嫌だ、ということで嫌悪してるし。
「となれば・・・電話待ちだよねぇ」
二人ともわたしの番号は知っているはず。とすると、わたしはその連絡を待ったほ方が良いだろう。
「でもー」
・・・お姉ちゃんは思いつかないでうろうろ、夏燐さんは気付いても一人でのんびりと散歩。そんな情景がありありと頭に浮かぶ。
「・・・ま、信じるっきゃないか」
さて、どうしようか、と腕を組みながら考える。
というか、考えることもない。こうして目の前でサークル勧誘してるなら、見ていれば良い。暇つぶしにはなるはず。
だけど・・・、
「なんか・・・」
そんな気分じゃない。
お祭り騒ぎから視線を外す。
キャンパスは広い。賑やかなところがあれば静かなところもある。
誘われるように、そっちへ足を運んでみることにした。
そこは、小さな公園のような場所だった。円を描くような敷地に、それに沿うように置かれたベンチ。真ん中には小さな噴水。
暖かくなれば、ここでお弁当を食べる人もいるんだろうな、と思う。・・・いまも春だけど、うっすら雪の積もった状況では少し肌寒い。
でも、なんとなく気に入った。目に留まったベンチの雪をどけてハンカチを置き、そこに腰を下ろすことにする。
「つめたっ」
でも、それがなんとなく気持ち良かったり。
ふぅ、と息を吐き空を見上げる。
足元の雪なんて知ったこっちゃないと言わんばかりの、快晴。あの厚い雲はどこ行ったんだか。
良い天気。この調子ならこの雪も夕方を迎えるころには無くなってるに違いない。
―――と、不意に何かが太陽の光を過ぎった。
「え・・・?」
鳥かな?
するとヒラリと落ちてくるなにか。
手を掲げれば、そこにフワリと落ちてくる―――黒い羽。
「・・・カラス?」
肯定するようにカー、と空で鳴いた。
滑空し、足元に着陸する。するとそのまま短い脚を使ってトコトコとこっちに寄ってくる。
白の世界に黒い鳥。ミスマッチなのに、どこか似合うのはなぜだろう?
「へぇ。人懐っこいカラスだね、君」
思わず手を伸ばすが、カラスは逃げようとしない。ホントに人懐っこいなぁ、と抱えてみるが、やはり暴れる素振りもなかった。
それに気を良くして、そのカラスを膝の上に乗せてみる。カラスはただ静かにそこに座った。
おぉ、と呻いてしまう。
思わずその様に笑みが浮かんでしまった。
「君はいままで空の散歩だったのかな?」
いまは暖かいし、雲も少ない。きっと空を飛べる者にとってはこれほどの散歩日和はないんだろうなー、と思う。
「空を飛べる・・・か」
良いなぁ、と脈絡もなく感じる。
「空が飛べたなら、きっと・・・」
きっとあのとき、一面の桜を見下ろせる丘で、わたしは―――、
「あ、れ・・・?」
視界が歪む。
「あは、なんだろう。どうしたのかな?」
同時に頬を伝うなにか。
・・・ううん、なにか、なんていう言い回しの必要はない。それは紛れもなく涙だ。
カラスが心配そうに小首を傾げてこっちを見る。
「ううん。なんでもないよ、なんでも・・・」
涙を拭い、誤魔化すように空を見た。
そこで、思う。
「ねぇ、あなたは会ったことがあるかな? この空にはね、翼を生やした女の子がいるの。
で、その女の子はいまもずっとそこで苦しんでて、それを助けるために必死に探している男の人がいたんだ」
カラスが身を捩った。その様に小さく苦笑しながら、空を見上げる。
青い空。その向こうなんて、遠い。遠すぎる。
・・・翼でもないと。
「でもね、わたしじゃ届かないんだ。でもさ、君にはその翼がある。だから、君も良ければ手伝ってくれないかな?」
カー、とカラスは鳴いた。これは・・・了承の返事、と受け取って良いのかな?
と、カラスがわたしの膝から降りて、翼を広げた。
「あ・・・」
舞う。その力強い翼をはためかせ、カラスは空へと舞い上がる。
力強い翼の動き。視線の向かう先はただ空へ。
最後にカラスはもう一度カー、と鳴いた。それに対しわたしは、笑顔で告げた。
「うん。いってらっしゃい」
飛ぶ。
ただ強く。ただ上へ。
雄大で、雄々しく、その翼はどこまでも果てしなく。
―――あぁ、綺麗。
遠のく姿。それをわたしは、ただ眺めている。
そうして見ていれば、なんとなく・・・
「うん」
頑張ろう、と思えてくる。
まるでこちらを励ますように、鼓舞するように律動する翼。美しいくらいの漆黒が、雪の白と空の青に栄えた。
だから、わたしは―――、
「ありがとう。さようなら」
ひらり、ひらり。
舞う、一枚の羽。
空から落ちてくるそれは、だけど黒じゃなくて・・・、
それはもう、見ているだけで泣いてしまいそうな、
純白の、羽。
だけどその涙は悲しみじゃなくて、
嬉しいと、そう感じさせてくれる―――暖かみを帯びていた。
あとがき
はい、どーもー神無月です。
春の煌き、これにて完結です。
綾那はどうでしたでしょうか? 伊里那に負けていないでしょうか?
ま、物語自体は特に起伏のないものに仕上がってますが、『綾那』というキャラをしっかりと出せたのではないか、とは思えています。
では、これを読んでくださっていた皆様、ありがとうございました。