時間は、進む。
留まる事などありえない。それは必然の世界の理だ。
それを知っていながらも、それを望んでしまうことは罪だろうか?
でもやっぱり―――たとえそれが不可能なことであろうと願うのは、人なんだろうと思う。
最初の三日。最後の三日。
国崎さんと過ごした三日間。
ウインドウショッピングに付き合ってもらったり、商店街を食べ歩きしたり、また公園でお人形劇を見せてもらったり、いつものようにお弁当を食べてももらったり・・・。
とても、とても楽しかった。
・・・切なくなるぐらい、楽しかった。
あぁ、このまま時が止まれば良いのに。そんなことを考えてしまう。
でも、それはいけないことだっていうこともわかっている。
国崎さんは誰かのところに行かなくちゃいけない。そしてその先では必ず誰かが国崎さんを待っている。
そんな確信がある。
だから・・・、
―――そろそろお別れだ。
春の煌き
scene 5
〜別れ〜
快晴。
手を翳さないと見上げられないほどに晴れた空。ただ青く、雲は見渡してもほとんど見当たらなかった。
「・・・うん」
良い天気だ。
そろそろ春を抜けてやって来るだろう夏を予感させる、そんな天気だった。
季節は変わっていく。それもまた、時が進んで行く証だ。
なら―――、
きっと、今日この日は、お別れに相応しい日ではないだろうか。
「さーてと」
楽しい日々はもうおしまい。玄関からのこの一歩を踏み出せばシンデレラの魔法は解ける。
「綾那?」
不意に正面から声。見上げていた視線を降ろせば、お買い物から帰ってきたとわかる格好でお姉ちゃんがそこにいた。
「お姉ちゃん。お買い物の帰り?」
「え、うん。そうだけど・・・?」
首を傾げるお姉ちゃん。
まぁ、無理もない。そんなことは腕から下がっているお買い物袋を見ればわかること。聞くまでのことじゃないし、いつものわたしならそんなこと聞かない。
・・・まぁ結局の所、こんなのはただ間を埋めるためだけの会話なわけで。
―――なーんとなく、いまはお姉ちゃんに見つかりたくはなかったなぁ。
そんな思いから出ちゃった言葉なんだろう。反省。
「・・・綾那はこれからおでかけみたいだね?」
「うん」
「またいつものお友達のところ? 最近はほとんど毎日だけど」
「そうそう。お弁当もあるよ。ほら」
後ろ手に持っていたバスケットを見せる。それを見てお姉ちゃんは小さく笑って・・・でも少し表情を翳らせて、
「ねぇ綾那。・・・なにか、あった?」
その言葉に思わず身体が止まった。
―――ほら、だからお姉ちゃんにいまは会いたくなかったんだ。
「なんで、そう思うの?」
「うん。綾那・・・なんとなく元気ないから。それに・・・その表情は―――」
お姉ちゃんは、わたしの自慢のお姉ちゃん。
優しくて、とっても女の子っぽくて、そして人の心の変化を敏感に感じ取れて、それを気遣うことのできる人。
わたしの理想、わたしの憧れ。
だから・・・いまここで会ってしまえばきっとわかっちゃうだろうという予感があった。
だって、いまわたしはあのときのお姉ちゃんに近い想いを胸に秘めているはずだから・・・。
でも―――、
「ね、お姉ちゃん。その先は言わないで」
「・・・綾那?」
「大丈夫。わたしは、わたしの力でなんとかするよ。わたしが、一番正しいと思うことをするよ。だから、ごめん。お姉ちゃんはいま何も言わないで」
「・・・綾那」
「・・・もしかしたら全部が終わったあと泣いちゃうかもだけど、そのときになったら・・・甘えさせて欲しいな」
あはは、と笑ってみせる。ちょっと力ないかもしれないけど、もう今更だし空元気を演じる必要もない。
お姉ちゃんはしばらく黙り込んでいた。でも、そうして顔を上げると笑って、
「綾那は、強いね」
「・・・ううん、それは違うよお姉ちゃん。わたしは決して強くなんかない」
だってお姉ちゃんは全てが唐突だった。
でも、わたしには少なからず時間があった。
きっとその差が、いまのこの差だろう。
わたしだって、もしも全てが唐突だったら・・・今頃ベッドで泣き崩れてるんじゃないだろうか。
でも、実際こうして時間はあって、考える時間もあって、その中で出した結論がいまここにあるのなら。
―――わたしは、わたしの選択を信じたいよ。
「でも、強くないなりに頑張った結果を今日、これから出してくる」
お姉ちゃんはどう思ったのか、それはさすがにわからない。
でも、お姉ちゃんはただ・・・今にも泣いてしまいそうな儚い笑みを浮かべて、
「・・・そっか。それじゃあ、頑張って来てね。いってらっしゃい」
「まぁ、頑張るようなことでもないんだけどね。・・・うん、でもまぁ、わたしなりにやって来る。いってきます」
手を降るお姉ちゃんに手を振り返しながら、わたしはその一歩を踏み出して―――走り出した。
別に待ち合わせに遅れるとか、そういうものではないはずなのに・・・無性に走りたくなった。
なぜだろう? 逃げたいのかな?
―――かもしれないなぁ。
きっとわたしの『頑張る』は、お姉ちゃんの思い浮かべた『頑張る』ときっと違うから・・・。
☆ ☆ ☆
今日も待ち合わせは街を一望できるあの丘で。
息切れのままに辿り着いたその先で、
「よぉ。随分と早いな」
いつものような気軽さで、でもいつもよりも随分と大きい荷物を抱えた国崎さんを見つけた。
「―――」
頭ではしっかりと理解していたはずなのに、こうしてその証拠を見せられると・・・やっぱり衝撃は大きいみたい。
「どうした?」
「え? あ、ううん。別に」
ことさら笑顔を浮かべてわたしは国崎さんの横に腰を下ろした。
「今日は良い天気だねー」
「昨日も一昨日もその前も晴れだったがな」
「でもやっぱり今日が一番綺麗だよ」
「綺麗? その単語は天気にしてはちょっと行きすぎじゃないか?」
「そうかな。思ったままを口にしただけだけど」
「そうか。ま、そういうのがお前らしいけどな」
そうやって微笑んでくれる国崎さんは、最初会った頃よりだいぶ柔らかくなってくれたと思う。
・・・これも餌付けと言うのだろうか?
そんなことを考えて、思わず苦笑する。
「さて、お弁当持ってきたんだ。食べよう?」
「今日も作ってくれたのか? 悪いな、最後まで」
「ううん。最後だから・・・だよ」
そう、最後。
その単語に・・・思わず胸が締め付けられちゃう。
「・・・綾那?」
「うん、なに?」
「・・・・・・いや、なんでもない」
「変な国崎さん。ほら、食べてよ。今日はお見送りだからっていつも以上に腕によりをかけたんだからねっ!」
ほら、とバスケットを差し出せば、国崎さんはやや躊躇いながらもそれを受け取って、
「お、良い匂いだな」
そう言っていつもどおりに食べ始めた。
そのいつもどおりが―――ことさらに、嬉しかった。
☆ ☆ ☆
「ごっそーさん」
「はい、お粗末さまでした」
空になったバスケット。それを見て思わず笑みがこぼれる。
「はぁ・・・」
国崎さんはお腹を片手でポンポンと叩きながらゆっくりと仰向けに寝っ転がった。
「もう、国崎さん? ご飯食べてすぐ横になると太るんだよ?」
「気にしねーよ、そんなこと」
「うわ、いま全世界の女の子を敵に回したよ国崎さん」
「そうかそうか。そりゃあ大変だ」
そよそよと風が流れる。
小高い丘に吹く風は、街のそれよりも穏やかで心地良い。いっそこのまま寝ちゃうのもありかと思うくらいに。
緩やかな時間。ここだけ世界か隔絶された・・・まるで常世の国のような感じ。
―――なんて。そんなのはわたしの願望が作り上げた虚しい空想だけど。
でも、そんなものに浸れるだけの空気がここにはあった。
「良い風だね」
「そうだな」
「この風も・・・空の向こうに届いているのかな?」
国崎さんの視線がこっちに向けられるのがわかる。でもそれに気付かない振りをしながら、
「こんな風が空に届けば・・・少しは悲しい夢も紛らわせそうな気がするから」
「信じてるんだな、その話」
「もちろん信じてるよ。だって―――」
だってこれは、
「国崎さんの言ったことだもの」
「―――」
国崎さん、思わず絶句。その顔に、おかしさが込み上げてきて。
笑いながら、わたしは話題を変えることにした。
「ね、国崎さん。国崎さんはいままでもいろんな街を回ってきたんだよね」
「・・・あ、あぁ」
いきなり変わった話に驚きながらも相槌を打つ国崎さん。
「ならさ、この街はどうだった?」
「・・・どういうことだ?」
「他の街に比べて、どんな印象を受ける? ・・・ってこと。ほら、住んでいるわたしたちからすればそういうことってよくわかんないから」
国崎さんは一瞬悩んで、
「そうだな・・・。暖かい・・・かな?」
「暖かい? そりゃそうでしょ。春だし」
「いや、それもあるんだろうが・・・。それにしたっていままで何度も春を向かえたんだ。春の街も味わってる。でも、その中でもこの街は暖かい気がする」
「へー」
「もしかしたら・・・それは全部お前のおかげかもしれないな」
・・・うわ。
今度は思わずこっちが絶句する番。
そんな台詞を、そんな笑って言われたら恥ずかしくって仕方ない。きっと少し顔赤くなってると思う。
―――でも、嬉しい。
だけど、
「国崎さんにとって、この街は通過点だよね」
いきなりだっただろうか。怪訝そうな国崎さんの顔。
でも、その顔を真っ直ぐ見て、
「でもね、通過点でしかないこの街を・・・そう思ってくれるのなら、ずっと覚えていてくれると嬉しいな」
心の底からそう願う。
色褪せても構わない。ただ、こんな街があったことを・・・そして、わたしがいたことを、
―――覚えていて欲しい。
「さて、国崎さん。そろそろじゃない?」
何を言う暇も与えず、そんなことを言うわたし。
「あんまり遅くなっちゃうと、下手なところで暗くなっちゃうよ?」
「・・・綾那、お前―――」
「お別れはここでしようよ。ホントは駅まで見送っても良いんだけど、わたしたちならここが一番だと思わない?」
言葉を切るように言葉を紡ぐ。
もっと一緒にいたい、と思う。
けれど、できるだけ早く、とも思う。
相容れない想い。その矛盾。
でも、どっちも本心だ。
もっと一緒にいたい。願望。だって、国崎さんはわたしの初恋の人だから。
できるだけ早く。渇望。だって、早くしてくれなければ、わたしはきっともたないから。
―――こうしてなんでもないことのように笑っていることが、もたないから・・・。
「・・・そうだな。ここが、一番なのかもしれないな」
国崎さんは怪訝に思いながらも何も問うてはこなかった。もしかしたら何か気付いているのかもしれないけど・・・、でもそれを聞いたりはしない。
それが嬉しくて、悲しい。
国崎さんは身体を起こし、荷物を持って立ち上がる。そしてもう一度風をその身で感じるように伸びを入れて、
「サンキュな、綾那。お前にはいろいろと世話になった」
「困ったときはお互い様ってね。それに似たもの同士なんだし、放っておけないじゃん?」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ。だって国崎さん、放っておくと野たれ死にそうだし」
「おいおい・・・」
「あはは」
笑う。心は泣きそうなのに、笑えるわたしは・・・どこか壊れてしまっているのかもしれない。
―――いや、いっそ壊れてくれたほうが楽なのかもしれない。
それだけ心が不安定に揺れている。
こんなことをお姉ちゃんや、夏燐さんも感じていたのだろうか。感じてきたのだろうか。
・・・あぁ、痛い。
「国崎さんはこれからどこへ向かうの?」
「さて、どうかな・・・。とりあえず北から来てるからこのまま南に下ってくよ」
「電車やバスを使うお金はないよねー。・・・まさか歩きで?」
「そうだな。いまは暖かいし、無理に乗り物を使うこともないだろう。・・・言っておくが、金はあるんだからな?」
「あはは、取って付けたみたいで言い訳くさいよー?」
「むっ・・・」
笑うわたしにため息を吐きながら、国崎さんは荷物を肩に掛ける。
・・・あぁ、いよいよだ。
「それじゃ、綾那。元気で」
「うん、国崎さんも。・・・翼の女の子、見つかると良いね」
あぁ、と頷き国崎さんは踵を返してゆっくりと歩き出す。
その背中を見ていたら、不意に視界が歪んだ。
あ、駄目。泣かないって決めたんだ。涙なら、昨日いっぱい流したのに・・・。
自分で決めた。国崎さんには『好き』と言わず、ただ笑顔のまま見送ろう・・・と。
国崎さんには理由がある。目的があって、そのために生きている。それを、わたしはこの丘で聞いたんだ。
どれだけ切実か、わかる。あの瞳を見れば・・・そんなことは嫌というほどに理解できた。
だからこそ、進んで欲しい。・・・ううん、国崎さんは進まなくちゃいけない。
それをわたしなんかが止めちゃいけない。好きです、なんてそんな言葉で国崎さんを困らせちゃいけない。
・・・国崎さんは、いま必死に探してる。助けるべき少女を、砂の海から一欠けらの宝石を見つけ出すような、そんな気の遠くなる時間の中で。
無力感に苛まれながらも、それでもその歩は動いているんだから。
そんな国崎さんの心が伝わるから。見えるから。わかるから。
・・・だから、言えない。言えば、国崎さんをもっと苦しめることになる。
ぶっきらぼうで、がさつで、せこい人だけど、優しくて、信念を曲げないで、そしてなにより諦めの悪い人だから、そんなことになればきっと苦しむ。
負担になっちゃいけない。苦しめたくない。
だって、
だってわたしは・・・、
「・・・国崎さんが、好きだから」
思わずポツリと漏れた言葉。けれど、風吹くこの丘でそんな小さな声が届くにはあまりに遠すぎる。
国崎さんの背中は遠ざかるだけ。
そう、それで良い。それで・・・良い、はずなのに・・・。
なのに―――!
「国崎さん!!」
気付けば、その名を力一杯呼んでいた。
ただ大声で、がむしゃらに・・・いままでの自らの努力を消し飛ばすような、そんな悲鳴じみた声で・・・。
「・・・綾那?」
振り返る、驚きの表情。その顔に、わたしは思わず身動き取れなくなる。
なにを言うの?
困らせないと決めたのに、今更なにを言おうというの?
「どうした、綾那」
「ごめんなさい・・・! でも、そこにいて! こっちには来ないで!」
国崎さんがこっちへ戻ろうとする。でも、それは駄目。そんなことをされたたら、わたしは・・・もう・・・!
「・・・綾那」
動きが止まる。そのことに安堵し、わたしは俯いた。
正視なんか出来ない。いまのわたしは・・・きっとひどい顔をしているから。
「ねぇ、・・・国崎さん」
名を、呼ぶ。それだけで身体に痺れが走るようで、わたしは浅く身体を抱いた。
好き、とは言えない。これは何度も考えた末に決めたこと。これだけは、しちゃいけないことなんだ。
でも、お別れは嫌だ。そんな思いも、捨てきれない。
―――優柔不断なわたし。自分で自分のガキっぽさに嫌気がさしちゃう。
でも、なら・・・、
「・・・・・・一つ、お願いがあるんだ」
「お願い?」
「うん。あのね・・・」
涙を拭い、空を見上げた。
青い、青い空。この向こうで、ただ泣いているというその少女を思いながら、
「もし、もしも、国崎さんの探している娘が見つかって、そして国崎さんにとっての旅が終わりを迎えたら・・・」
どうか、
「どうか―――またこの街に来て、結果を報告して欲しいんだ」
精一杯の自らへの譲歩。
そんなことがまずあり得ないであろうことはわかってる。国崎さんの家系が何代も繰り返しやって来たこと。そんなものがおいそれと終わるはずがない。
わかってはいる。わかってはいるけれど・・・でも、それくらいないと、わたしは―――、
「あぁ、わかった」
と、国崎さんの声が降りかかる。思わず下ろした視線の先で国崎さんはただ微笑みながら、
「見つけたら、絶対にここにまた来る。ついでに、いままで世話になった礼を返すためにも、な」
「・・・約束、してくれる?」
国崎さんは頷き、
「あぁ、約束だ」
・・・小さな、途方もない約束。
それをわたしは、この丘で国崎さんと結んだ。
なら、大丈夫。
たとえどれだけ無謀な約束でも、これがあればわたしはわたしでいられる。
だから、言おう。
この言葉を。
「またね、国崎さん」
風が舞った。
一面のピンクが宙を舞う。
いたわるように優しく、そして悲しいほどに鮮やか。
その人の姿はもう、その向こうにない。
けれど、この約束があれば泣くこともないだろう。
この想いと共に、約束を、胸に作った宝箱の中に閉じ込めよう。
大事に、大事に・・・。
あの人が本当の意味で笑いながら、旅の話を聞かせてくれる日を夢見ながら・・・。
だから、
だからせめていまだけは―――、
「う・・・う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん・・・!!」
泣いたって、良いよね・・・?
あとがき
ども、神無月です。
中編、というかむしろ連載短編と言っても過言ではない「春の煌き」もやっと終わりです。
いやはや長かった。誰のせいだ私のせいだスマン(ぇ
さて、まぁとりあえずあとエピローグがありますが、そう長くもありません。他の作品を妨げることもないでしょう。
では、次で幕です。