人を好きなる、って、とっても不思議。

 

 それだけで世界が一変しちゃう。

 

 どうでも良いことでさえ、嬉しいとか楽しいと感じてしまう。

 

 暇さえあればその人のことを思い浮かべる。 

 

 初めての経験。

 

 だからこそ、わたしはただその嬉しさに埋没していた。

 

 それは最初から知っていた事のはずなのに・・・。大事な事実を忘れて。

 

 でも、このときのわたしはまだそれに気付いていない。

 

 あぁ・・・なんて、切ない。

 

 けれど、それも仕方ないのかもしれない。

 

 もともと、根本から間違っていたんだから。

 

 お姉ちゃんのような目をしていたから、気になったわけじゃない。

 

 わたしが国崎さんを好きになった理由。それは―――、

 

 

 

 

 

春の煌き

scene 4

〜既知〜

 

 

 

 

 

 またおよそ1時間半もかけて製作してしまった渾身のお弁当を抱えてわたしはあの丘へと向かっている。

 

 国崎さんが教えてくれたあの丘。街を一望できる、静かな丘。

 

 特に桜の咲き誇るこの時期に見下ろした街はピンク一色で、それはもう鮮やかと言うしかない。

 

 あそこで食べるお弁当というのは、そりゃもう格別だ。

 

 ・・・だけど、わたしはそれ以上に、楽しみなことがある。

 

 国崎さん。

 

 国崎さんに会いたい。

 

 なんでかよくわからないけれど・・・どうやらわたしこと綾那はあの国崎さんを好きになってしまったらしい。

 

 ちなみに初恋だ。

 

「―――むぅ」

 

 ・・・自分で考えておいてなんだけど、思わず少し赤面しちゃったよ。

 

 うーん。やっぱわたしに色恋なんて合わない気がするなぁ。

 

 とは言うものの、好きになってしまったものは仕方ない。それがどれだけ甲斐性無しで年下にたかるような人でも、だ。

 

「ふふっ」

 

 あぁ、楽しいなぁ。

 

 こんなことを考えているだけで思わず頬が緩んじゃう。これが恋? これが好き?

 

 ―――きっと、そうなんだろうなぁ。

 

「おっと、早く行かないと。もうお昼の時間だ」

 

 すいません。実は今日寝坊しちゃってます。

 

 それでも好きなった手前と言うかなんと言うか、お弁当の手抜きはしたくなかったわけで。

 

 まー、時間にルーズそうなので少しくらい待ってくれてもOKだろう。きっと気にしないに違いないし。

 

 教えられた道を少し早足で駆けていく。ちょっと疲れるけど、まぁお腹空かせてるだろうからここは我慢だ。

 

 と、視界が開ける。丘に出たのだ。視界には、たくさんのピンクが詰まっている。

 

「えっと・・・」

 

 視線を巡らせると、見つけた。昨日とは違う、もう少し離れた場所だった。

 

「国崎さ―――」

 

 名を呼ぼうとして―――けれどその言葉は途中で止まった。

 

 その横顔を見つめて、わたしはいままでの高揚感がすっかりと抜けた。

 

 国崎さんは、街を見下ろしていはいなかった。

 

 見ているのは、上。―――空だ。

 

 雄大な空。特に今日は快晴でもあるので、より拍車が掛かっている。見上げて野原に背を預ければ、気持ち良くてお昼寝でもできるだろう。

 

 ・・・けれど国崎さんは空を、どこか悲しそうに見つめている。

 

 初めて出会ったときのような、あの瞳。

 

 ―――あのときのお姉ちゃんに似た、儚い眼差し。

 

 ・・・なんで、忘れてたんだろう。

 

 わたしが国崎さんに声を掛けようと思ったのは、その瞳があったからなのに・・・。

 

 なのに、浮かれていたわたしはそんな事実すら忘れていたのか。

 

「・・・? お・・・」

 

「あ・・・」

 

 不意に、なにかに気付いたように国崎さんがこっちを見た。視線が合う。

 

 すると、さっきまでの雰囲気が消失した。国崎さんはただいつものような無愛想に、ちょっとした笑みを広げて、

 

「よう、綾那。人に待たせるな、とか言っておいて本人は随分と遅刻だな」

 

 昨日のままだ。昨日のままの笑みがそこにある。でも―――、

 

「綾那?」

 

「あ、ううん。なんでもないよ、なんでも」

 

 笑って誤魔化す。いまは多分それしか出来なかった。

 

「ごめんね、今日ちょっと寝坊しちゃってさぁ。でもしっかりお弁当は作ってきたから、遅刻も許してよねー」

 

「ふん。俺がそんなことで許すとでも・・・」

 

「じゃあ、お弁当あげなーい」

 

「許す。そりゃもう、どんなことだろうと許してやる」

 

「あはは、国崎さん意地ないよー」

 

 あはははは、と笑いながら・・・けど心は笑ってなかった。

 

 なんとなく残る、しこり。それは、俗に言えば・・・嫌な予感とか、そういった類のもの。

 

「まぁ、いいや。それじゃ、早速食べようか!」

 

 それを振り払うように、いつも以上に元気な声でお弁当を広げていく。

 

 ・・・一瞬、ちょっと泣きそうになった。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふぅ、食った食ったー。いやぁ、今日も美味かったぜ」

 

「あはは、うん。お粗末様〜」

 

「・・・なぁ?」

 

「うん?」

 

「なんか元気・・・なくないか?」

 

 その言葉に思わずびっくりする。

 

「そ、そんなことないよー」

 

「嘘だな」

 

「う、嘘じゃないよ」

 

「じゃあ、こっちの目を見て喋れ」

 

「う・・・」

 

「ほら」

 

 促され、おずおずと視線を国崎さんに合わせる。

 

 ・・・実は、昼食の最中もずっと目を合わせないようにしていたりしたのだ。

 

 目を合わせてしまったら、なんとなく・・・いまのこの空間が壊れてしまいそうで。だから・・・、

 

「ほら、視線外した」

 

「・・・だって」

 

「だって、なんだよ」

 

 言ってしまっても良いのだろうか。それで困らせたりしないだろうか。

 

 そうやって逡巡するわたしの雰囲気を察したのか、国崎さんは小さく苦笑するように、

 

「まぁ、あれだ。こうやって昨日今日と弁当食わせてもらったし。・・・なにか聞きたい事があるんなら、答えられる範囲で答えるぞ?」

 

 む。実は国崎さんって鋭いんだろうか。少しショック。・・・それともわたしがわかりやすいだけなのかな?

 

 まぁ、それはともかく。

 

「本当に?」

 

「俺はこう見えて借りは返す主義なんだ」

 

「・・・全然そんな風には見えないんだけど」

 

「いまはそういうことにしておけ」

 

 なんだかなー、と思う。でもそんな国崎さんらしさにちょっと笑えちゃう。

 

「うん。じゃあ、あのねー・・・」

 

 ほんの少し力が抜けた。そのままちょっと国崎さんの顔を見て、わたしは空を見上げる。

 

「たまにね、国崎さん見てて思うの。どうしてそんなに悲しそうな瞳でずっと遠くを見てるんだろう・・・って」

 

 ふと、国崎さんが息を呑むような気配がした。けど、それを敢えて無視して、続ける。

 

「さっきも空を眺めながらそんな目をしてた。なんでかな・・・って、聞いても良い?」

 

 難しい顔をしながら、言ってはくれないんだろうなー、と思って隣を見れば、予想外の表情。

 

 国崎さんは、無表情の中に小さな切なさを抱いて、こっちを見ていた。

 

「・・・あんまり楽しい話じゃないぞ? それでも良いのなら、な」

 

 それも予想外の言葉。

 

 予想外尽くしにわたしの方が慌ててしまう。

 

「え、ううん。別に・・・無理に話してくれなくても良いんだよ?」

 

「別に話しちゃいけないっつーわけじゃないんだ。ただ、話す意味がなかっただけで。でも、お前は聞きたいんだろう?」

 

「・・・うん」

 

「なら、良いよ。話してやる」

 

 そう言うと、国崎さんはわたしから視線を外すと、そのまま寝っ転がって、空を仰ぎ見た。

 

「前に、俺が人を探している・・・っていうのは言ったよな?」

 

「うん」

 

「そいつはな、普通の人間じゃないんだ。・・・翼を生やした少女なんだ」

 

「翼を生やした・・・少女?」

 

 あぁ、と国崎さんは頷く。

 

「もちろん会ったことはない。どこにいるかもわからない。翼を生やしてるんだから空にいるのかもしれない。でも、そいつを探して俺はこうして旅をしている」

 

「・・・どうして会ったこともない人を?」

 

「それしかできることがないから。・・・いや、違うな。探したいから、かな」

 

 探したい。その言い回しは、どことなく奇妙だ。

 

「俺の母親も同じだった。その親も、そのまた親も・・・。うちの家系は皆そうして旅をしながら、その翼を生やした少女を探してたんだ」

 

「なんか、スケールの大きい話だね?」

 

「だろう? まぁ、そういう流れがあるから止めたくない、っつーのも理由にはある」

 

「でも、どうして国崎さんの家系はそうまでしてその子を探すんだろう?」

 

「それは―――」

 

 まただ。国崎さんの瞳が悲しみに染まっていく。

 

「・・・それは、その子を救いたいからだ」

 

「救い・・・たい?」

 

「俺も子供のときに母親に聞いた話なんだけどな。どうにもそいつは、ずっと悲しい夢を見ているらしい」

 

 この広大な空の中で。

 

 ただただずっと、悲しい夢を見続けている。

 

 それは呪い、と言っても良い。

 

 そしてどうやってかそれを救おうと探しているのだ、と国崎さんは語った。

 

「だから、もし俺がなんか悲しい瞳をしているんだとすればそれは―――そいつのことを考えちまうからだろうなぁ」

 

 なにもできない悔しさやもどかしさが表情に出るんだろう、と国崎さんは続けた。

 

「・・・それは、なんとなくわかるなぁ」

 

「綾那?」 

 

「わたしのお姉ちゃんもね、ずっと悲しい顔をしているの」

 

 去年の冬。あの人が姿を消してから。

 

 泣いているのを見たことがある。悲しそうに、苦しそうに噛み殺した嗚咽を聞いたこととて一度や二度ではない。

 

「なんとかしてあげたいんだけどね、わたしじゃなにもできなくて・・・。本当はそれだってお姉ちゃんの自業自得なところもあるんだけど・・・やっぱりお姉ちゃんだし、元気でいて欲しい」

 

「そうか」

 

「うん。だからね、国崎さんの気持ちも、なんとなくわかるんだ。・・・もちろん、規模は全然違うんだけどさー」

 

 あはは、と笑う。でも国崎さんは首を横に振った。

 

「確かに程度は違うかも知れないが、結局は同じことだ」

 

「そうかな」

 

「そうだ。俺の気持ちとお前の気持ち。そこに違いはほとんどないだろ? いや、むしろ近くにいるだけ歯がゆさは俺以上かもな」

 

 その言葉に、あぁ、と気付くことがあった。

 

 最初、国崎さんの目を見た時、わたしは『放っておけない』という感情だった気がする。

 

 けれど、本当は違った。確かにお姉ちゃんの目と似ている。でも、似ているだけで、違う。それはむしろ―――、

 

『俺の気持ちとお前の気持ち。そこに違いはほとんどないだろ?』

 

 むしろ、鏡の前で見た自分とこそ同じ。

 

 だから、惹かれた。

 

 そうして誰かを想い、だからこそ自らの無力さに打ちひしがれた、その瞳。

 

 ・・・つまりは、同類。同じ感情を共有できる、そんな相手。

 

 わたしは、縋ったのだろうか。無意識に、この人となら判り合えると、そんな夢想を描いたのか。

 

 ―――だとすれば、好きになっちゃいけなかった。

 

 最初から、結果の決まっていたことだ。だって、それは最初から“矛盾”してる。

 

 心は遠くを見ている。それを、他ならぬわたしだからわかる。

 

 だからこそ・・・これは、叶わぬ恋だった。

 

 ・・・好きになっては、いけなかったのに。

 

「とりあえず、こういう話だ。わかったか?」

 

「・・・うん、わかった。国崎さんは、その翼を生やした女の子を助けるために必死なんだね」

 

「別に必死ってわけじゃない。第一、本当にいるのかどうかも怪しいもんだしな」

 

「国崎さん、心にもないこと言っちゃ駄目だよ」

 

 国崎さんがわずかに驚いてこちらを振り向く。

 

「・・・なんでそう言いきれる?」

 

「だって、もしそうなら国崎さんはきっとこんな旅をしてない。その子を探したりなんかしない」

 

「・・・他にすることがないだけかもしれないぞ?」

 

「違うよ。だって、それならさっきのあの目に説明がつかないもん」

 

 すると国崎さんは微笑みながら嘆息して、

 

「なるほど。やっぱ、同じ境遇の奴にはわかっちまうもんだな」

 

 ―――ズキン。

 

 あぁ、胸が痛い。数分も前なら舞い上がるくらいに嬉しい言葉が、いまではただチクチクと胸を痛めつける。

 

 不思議。言葉って、受け取り方次第でこんなにも変わるんだ。

 

 ・・・いや、違う。

 

 受け取る側の心境で、こうまで変わるんだ。

 

「ねぇ、国崎さん」

 

「ん?」

 

「旅、続けるよね、もちろん」

 

「そりゃあ、そうだろうな。まだ見つけてないわけだし」

 

 そうだね、と頷く。

 

「いつ頃ここを離れる?」

 

「そうだなぁ。・・・ここも長いしな。そろそろ出て行くか」

 

 ―――ズキン。

 

 なにを今更。

 

 わかりきったことを聞いただけなのに、どうして・・・こんなに痛いのかな?

 

「そろそろって?」

 

「さぁなー。気分次第かな」

 

「それは困るなー。せっかくこうして出会えたんだもん。お見送りもしたいし。日にち決めてくれない?」

 

「そうか? うーん・・・」

 

 唸る国崎さんに、わたしから提案を出す。

 

「じゃあ、三日。どう?」

 

「どうして三日なんだ?」

 

「あんまり急だとちょっと寂しい。かと言ってだらだら長いのもどうかと思うわけですよ。だから三日。丁度良くない?」

 

 ふむ、と思案顔。でも、それもすぐに笑みに変わり、

 

「良いな。そうしよう」

 

「うん。それじゃあさ、国崎さん」

 

「ん?」

 

「その三日間をわたしにくれないかな?」

 

「は?」

 

「だからさ。こうして同じ心境を共有できる者同士出会えたわけだし。お互い別れた後も頑張れるように、その三日間だけははめを外してパーッと遊ぼうよ。ね?」

 

 ことさら元気に喋ってみる。

 

 そんなわたしがどう映っただろうか。国崎さんはしばらく考えると、

 

「ま、たまにはそういうのも悪くないかも・・・な」

 

 頷いてくれた。

 

 嬉しくて、悲しい。

 

 思わずこぼれてしまいそうな涙を笑顔の裏に隠して、わたしはやっぱり元気に頷いた。

 

「うん! さっすが国崎さん。わかってるー。さて、それじゃあ―――」

 

 いそいそとお弁当を片付け始める。

 

「それじゃあ、今日はもう帰るね」

 

「もうか? 早いな」

 

「明日から三日間、どうやって遊び倒すかプランを組み立てるのー。どうせ国崎さんこの辺の地理詳しくないでしょ?」

 

「む、ま、まぁ・・・な」

 

「だからわたしが組み立てておいてあげる。そのためにも今日はここまで。わかった?」

 

「はいはい。仰せのままに」

 

「ふふっ。素直でよろしい!」

 

 この間、ずっと目を合わせていない。声だけは誤魔化せても、表情を見られれば一発だ。だから、それはできない。

 

 全部仕舞って、立ち上がる。

 

「それじゃあ・・・明日はいつもの駅前で待ち合わせしようか。午前10時くらい」

 

「了解。のんびり待つよ」

 

「うん。お昼はまた作ってきてあげるから、期待してて良いよ?」

 

「そいつは、ありがたい」

 

「うん。それじゃ、また明日―――」

 

 手を振り、元気な振りをして駆け出す。

 

「おう、またなー」

 

 わたしに聞こえるようにと少しボリュームの上がった声に、わたしはほんの少しだけ振り向いて、

 

「チャオ!」

 

 いつものわたしの挨拶。そうして勢い良く振り返れば、キラキラと光るものが舞ったように見えた。

 

 気のせいだ。

 

 だから、走る。

 

 うーん、わたしって不意打ちに弱いみたいだ。とはいえ、それはタダ単に自分が抜けてただけなんだけど・・・。

 

 あぁ、お姉ちゃんを間抜けだなんて言えないなー。わたしの方がよっぽど間抜けだ。

 

 あー、泣きそう。

 

 でも泣いてない。

 

 ・・・泣いてなんかないんだから。

 

 

 

 

 

 

 あとがき

 はい、どうも神無月です。

 やっとこんな展開ですよ? 春とか言っておいてリアルな季節は既に冬。

 ・・・ふ、これが神無月クオリティ(マテ

 さて、一応エピローグ抜きにすれば次回でラストですよ。

 最初から五話構成だったから。珍しくプロット通りにこと進んでますしw

 ・・・ならもっと早く書けただろとかいう言葉はノーサンキューですよ?(ぉ

 

 

 

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