朝。
陽射しもいまだ弱く、小鳥の囀りだけが耳を打つような早朝。
わたしはどういったわけかこうして台所でエプロンなんかをしちゃっていたりする。
「〜♪」
鼻歌なんかを交えつつ、さっさとフライパンを振り、お鍋の吹きこぼしにも気を張る。
軽快に野菜を刻み、りんごには飾りまで入れる。
そんな、いつもしていることが今日はやけに楽しい。しかも妙に張り切っている。
なぜだろう? なぜだろう?
よくわかんない。でも、楽しいから良いんだ。
「うん・・・。良い感じ」
煮物の味付けも十分。うん。我ながら良い出来だ。
さて、あとはタッパーに閉じて、アルミカップを用意して・・・。
そんな一つ一つの工程を進めていくうち、わたしはふと腕を止めた。
「・・・喜んで、くれるかな」
そんな言葉が、わたしの口を突いて出た。
春の煌き
scene 3
〜思い〜
「出来たー」
ふぅ、と小さく息を吐き、出来立てのそれをテーブルに置く。
それは、お弁当箱。しかも、わたしやお姉ちゃんが使うようなものより一回り大きいもの。
そう、これは国崎さんへ渡すために作ったものだ。
昨日約束した、良い物・・・それは、食事難に陥っている国崎さんに、お弁当をプレゼントすることだった。
「さて・・・と」
時計を見やる。時刻はいまだ8時に挿しかかろうかというところ。
「うわ・・・。お弁当作るのに2時間も台所に篭っちゃったよ」
いままで何度もお弁当は作ってきたが、こんなに時間を使ったのは初めてだ。
なんでだろう?
やっぱりよくわからない。
まぁ、なにかと考えるのはわたしの性分ではないので、お弁当を冷ましているうちに洗い物でもしちゃいますか。
「あれ・・・、綾那?」
「え・・・あ、お姉ちゃん。おはようっ」
「え、あ、うん。・・・お、おはよう?」
台所に戻ろうと背を向けたところで、お姉ちゃんの声。だからこうして朝の挨拶を交わしたわけだけど・・・なぜかお姉ちゃんはひどくキョトンとしている。
「お姉ちゃん? わたしの顔に・・・なにか着いてる?」
「え、ううん。そういうわけじゃないけど・・・」
「ないけど?」
「・・・綾那、なんか良いことあった?」
「うん?」
良いこと? 良いこと・・・・・・はて、なんかあったかな?
「とりあえず思い当たることなんてないけど・・・、なんで?」
「あ、うん。なんか綾那、とっても楽しそうだから」
「楽しそう?」
あー、それはなんとなくわかるかも。実際お弁当を作っているときは無闇に楽しかったし。どうしてかは・・・わからないけど。
「綾那? このお弁当・・・」
「あぁ、それ? うん、ちょっと知り合いと一緒に食べようと思ってね。作ったの」
「へぇ・・・。なんか、すごい張り切りようだね」
「あ、わかる?」
受け答えしつつ、わたしは台所に向かいスポンジを取る。口を動かしながらでも手は動くのだ。
水を流しながら・・・の方が楽だけど、無駄な水の消費は避ける。電気、ガス、水道全部外国にいるお父さんお母さんが払ってくれてるけど、だからと言って甘えてばかりもいられない。切り詰められるものは切り詰めなきゃ。
そうして時折水を出したり、スポンジに洗剤をつけたりしながら洗い物をしていると、お姉ちゃんがやってきて冷蔵庫から牛乳を取り出した。
「あ、お姉ちゃんごめん。少し牛乳借りた」
「あのアルミカップに入ってる小さなグラタン?」
「そそ。今度また買ってくるから、許してね?」
「別に良いけど・・・」
と、お姉ちゃんは一瞬躊躇うように、しかし結局口を開いてこんな一言。
「その知り合いって・・・男の人?」
「うん? そうだけど・・・それがどうしたの?」
「その人もしかして・・・綾那の彼氏さん? それとも好きな人?」
「・・・・・・・・・は?」
つるん、と思わず手から鍋の蓋が床へと墜落した。次いで、やかましい音。
「あ、うわわ! 蓋落としちゃったー!」
「あ、あれ? 私のせい・・・?」
「そうだよ! お姉ちゃんがいきなり変なこと言うからぁ!」
あぁ、床が泡まみれに・・・。床、傷付いてないかなぁ・・・?
「いや、でも思ったまま言っただけだし」
「だ、だからどうしていきなりそ、そんな・・・えと、その・・・か、か、彼氏とか・・・す、好きな人になるわけー?」
「いやだって、あんな張り切ったお弁当見るの初めてだし。それに・・・」
そこで、ふとお姉ちゃんの表情が翳る。
「あのときの私の顔に・・・似てた気がするから」
「お姉ちゃん・・・?」
「・・・ううん、なんでもないよ。なんでも」
その声はあまりに小さく聞きづらかったけれど、なんとかわたしの耳に届いていた。
けれど、わたしは敢えて聞こえてない振りをして聞き返した。その方が、良い気がしたからだ。
お姉ちゃんの沈んだ表情は、しかし一瞬。すぐに笑顔を飾り、居間から雑巾を取ってきて泡に塗れた床を拭いていく。
「あ、いいよ。わたしがするよ」
「ううん。まぁ、急に変なこと言った私の責任でもあるし・・・。だから綾那はそのまま洗い物、やっちゃって」
「あ・・・、うん」
少し尾が引かれるような感覚がありながらも、わたしは再び洗い物へと戻った。
一つのものに集中することで、空いた頭が思考を生み出す。
―――わたしが、国崎さんを好き?
そんな馬鹿な、と思う。だって会って間もないし、というか二回しか会っていないのだ。
しかも、国崎さんは人形劇とも言えない人形劇で生計を立てている人だし・・・というか旅人だ。そんな人と一緒になったりしたら苦労も一杯で・・・。
って、待て待て! なんで結婚が前提になっているかわたし!?
そうだよ、だって年下の女の子には平気でたかるし、食べ物食べるときなんてもうこれでもかー、というくらいに一杯食べるし・・・。
・・・・・・って、別にそれは関係ないか。
「んー・・・」
結局、洗い物をしている間、わたしの頭ではそんな不毛な思考がぐるぐると回っていた。
☆ ☆ ☆
時刻は11時。長針はいまから上へと戻ろうかという頃合。
わたしは少し大きめのバスケットを持ち、駅までの道程を歩いていた。
選んだコースは春ならではの並木道。そよぐ風は肌に心地よく、時折舞う桜はとても優しい。
そんな中を歩いて、しかし考えることといったら、やはり先程お姉ちゃんに言われたとんでも発言に関してだった。
というか、今更考えてみれば、わたしはいまだかつて人を好きになったことがない。
・・・ちょっと言うのが悔しいというか恥ずかしいというかだけど、わたしは『初恋』というものすら経験したことがなかった。
あと数ヶ月もしないうちに高校二年生になるというのに初恋もまだ、というのは正直遅すぎるにも程があるだろう。
でも、そういうものは、そうやって焦って探すものではない気がする。だからわたしはいままで特にそこに触れることなくこうして生きてきた。
だからだろうか。わたしにはよく異性に対する『好き』という感情がわからない。
・・・もしかしたら、お姉ちゃんの言うとおりいまのこの楽しかったりする気持ちが『好き』なのかもしれないし・・・そうではないのかもしれない。
わからない。もう、チンプンカンプンだ。
・・・あー、やめやめ。
考えれば考えるほど拗れちゃう。こういうこと考えるのはわたしに合わない気がする。
というか、こういうものって考えるものでもないような気がする。こういうのってなんというか・・・直感? そんなものな気がする。
うん、余計なことを考えるのはよそう。なるようになるよ。
そうして思考を解決させるとちょうど並木道が開けて目の前に駅前の賑やかなロータリーが目に映る。
視線を数度動かすと・・・いた。今日もいつもと同じ黒いTシャツとジーパンの国崎さんが。
そしてやはり・・・いつもどおりその周囲に人の姿はない。ただ虚しく人形が動き回っているだけだった。
そんな光景に思わず苦笑が込み上げ、そしてゆっくりと近付いていく。
「今日もあんまり繁盛していないようですね、国崎さん?」
「うるせ。今日がたまたま調子が悪かっただけだよ、綾那」
呼ばれる名前。けれど昨日のような激しい熱を感じはせず、ただどこかこそばゆいような・・・でも温かい感覚だけが胸に去来する。
その感覚にちょっと戸惑うけど、まぁ、いまは気にしない。
「今日はお腹、空いてる?」
「あぁ、ばっちり空いてるぞ。また奢ってくれるのか?」
「もう奢ってあげませーん。わたしのお財布も無限じゃないんだよ?」
「マジか!?」
「マジです」
当てにしていたのに・・・と意気消沈する国崎さん。そんな姿がまた微笑ましくて、思わず笑みがこぼれる。
「で、国崎さん。昨日、お土産を持ってきてあげる、って言ったこと覚えてる?」
「あぁ、そんなこと言ってたな」
「というわけで・・・じゃーん!」
いままで後ろに隠していたバスケットを、目の前に突き出す。
「もう奢ってはあげないけど、こうしてお弁当を作ってきてあげたよ。感謝・・・してよね?」
すると国崎さんは一瞬ぼけっと、しかしすぐに目の色を変えるとバスケットを凝視し、
「・・・マジか」
「マジだよ」
「弁当か」
「お弁当だよ」
「いま食べていいのか?」
「え、まだ12時にもなってないよ? 早くない?」
「・・・まぁ、確かに。いま食ったら後が持たないか」
と、人形の動きが唐突に止まり、ポテッと力尽きたように倒れる。
それをやにわに掴み取り無造作にポケットに突っ込んだと思ったら、いきなり立ち上がってしかも歩き出した。
「えっと・・・国崎さん? どこ行くの?」
「昼休みだ。・・・弁当を食うのに打ってつけの場所がある。着いて来い」
「あ、ちょ、ちょっと待ってよ」
歩き出す、その背を追ってわたしは小走りに駆ける。
まだ会って三度目だけど、この人はかなりのマイペースなんだと実感した。
・・・ま、いいけどね。
それに、どこに連れて行ってくれるのか、少し楽しみだ。
☆ ☆ ☆
駅を離れ、耳に響く喧騒から遠ざかることおよそ二十分。
歩きついたところはなんと・・・小さな山だった。いや、低いから丘かな? よく境がわかんないけど。
で・・・。
「ここ、昇るの?」
「あぁ」
「なんで、ここ?」
「弁当を食うには持って来いの場所があると言ったぞ」
「いや、そうなんだけどね・・・」
はぁ、と吐息一つ。
・・・ま、ここはとりあえず信じましょうか。
歩き出す国崎さんの背を追うようにしてわたしも歩を進める。
国崎さんが歩く道は、もう道とも言えない道だった。おそらく昔はちゃんとした道だったんだろうけど、いまでは周囲の木の枝やら根やらが蔓延ってて歩きにくいことこの上ない。
こんなことならスカートじゃなくてジーパンにしとけば良かったかなぁ・・・。
「おい、大丈夫か?」
「え、あ、うん。平気」
気付けば、国崎さんの背中はだいぶ向こうにまで行ってしまっている。慌ててわたしはその背に追いついた。
「こんな道、やっぱ女には無理だったか?」
「あ、なめないでよね。これでもわたし陸上部なんだから」
「ほぉ。体力には自信があると?」
「いや、マネージャーだけどね。でも、ときどき一緒に走ってるから運動不足じゃないよ」
実際まだ疲れているわけじゃない。単純に考え事をしていてついていけなかっただけだし。
「そうか。ま、それならいいが」
そして国崎さんは再び歩き出す。
注意して歩いていれば、なんてこともない。けれど、やっぱり少しずつだけど、距離が開いてしまう。
・・・そっか。歩幅が違うもんね。
そんなひょんなことで、やっぱり男の人なんだなぁ、とか妙に実感する。当たり前の話なんだけど。
「あと少しだ」
およそこの道を歩き出して十分くらいだろうか? なかなかに奥に入り込んでいると思う。そして、
「着いたぞ」
視界が―――開けた。
「・・・うわぁ」
第一声は、それしか出なかった。
それはもう・・・とても雄大な光景だった。
広がる草原。優しく頬を撫でていく風。そして眼下にはわたしの住む街並みが見える。
そんな空間。
「この街に来てすぐのとき、色々と散策してたら偶然見つけたんだ。弁当を食うには、最適じゃないか?」
「うん、・・・うん。すごいね、ここ」
ただただ、そんな言葉しか口に出来ない。
それだけわたしはこ光景に感動していた。
なんとなく・・・あぁ、わたしの住んでいる街ってこんなに小さいんだなぁ、などと変な感覚。
でもまぁ、そうだね。こういうのを見ながらのお昼というのも・・・、
「なかなかに乙だね」
笑みが浮かぶ。そしてくるっとまわって、国崎さんを正面に。
「それじゃ、お昼にしようか」
☆ ☆ ☆
レジャーシートというものはないので、のっぱらに直に座り込む。
今日は気分で少し長めのスカートにしてあったけど、良かった。短めのスカートだったら座ったときにちくちくするし・・・。
そして、わたしと国崎さんが挟む形でお弁当箱が開かれている。
そして国崎さんはと言えば、さっきから無言で口に料理をぶち込んでいる。よっぽどお腹空いていたのかもしれない。
「美味しいかな? そこそこ料理には自信あるんだけど・・・」
国崎さんは口に物を詰めすぎて喋れないのか、ただ親指をグッと立てて返答してきた。
「もう・・・。そんなにかっ込むと喉詰まらせるよ?」
「ふぐっ!」
「ほら、言わんこっちゃない」
胃と喉の辺りを抑え込む国崎さんに思わず苦笑しつつ、一応持ってきておいた水筒からコップにお茶を注いで渡す。
国崎さんはそれを慌てて受けとり、飲み下す。一息ついて、
「いや、しかしお前本当に料理上手いな。思わず腕が止まらなかった」
「あはは。うん、ありがと」
美味しい、と言われるときが料理を作った一番の醍醐味だ。
でも、この嬉しさは・・・なんかそれとは少し違うような・・・なんかくすぐったいような、変な感じ。
けど、全然悪くない。むしろあったかい。
変な気分。これは何? これが好き?
・・・そうなのかな?
「ん? どうした、ボーっとして」
「え、あ、ううん。なんでもない」
少し怪訝そうながらも、そうか、とだけ呟いて国崎さんは再びお弁当にかぶり付いた。
見ているこっちが気持ち良いくらいの食べっぷりだ。
・・・そうして、あれだけ作った料理は全て綺麗になくなり、昼食も終わりを告げた。
☆ ☆ ☆
丘を下る頃、携帯で確認した時刻は午後1時を少し回ったところだった。
太陽は真上。一日で一番気温の高い時間帯。
とはいえ、道は長いものの緩やかなのでそう疲れはしなかった。
「んー・・・」
無事に下りきった。鬱蒼とした木々を抜けた住宅街で、わたしは思わず背伸びをする。
でも別に嫌な気分じゃない。それだけあの丘は良い場所だった。これなら十分程度、あのボコボコな道を歩くのもやぶさかじゃないね、うん。
「今日はありがとね、国崎さん。良いもの見せてもらって」
「ん? いや、礼を言うのはこっちだろ。サンキュな。ごっそーさん」
「あはは。いえいえお粗末さまでした」
緩やかな時間。穏やかな空気。温かな気持ち。
「ね、国崎さん。明日のお昼はどうするの?」
「うーん・・・。まだ決めてねぇ」
この気持ち・・・。それは春だから? 春の、気持ちいい風がそうさせるの?
「それじゃあさ、明日も今日みたいにあそこで食べない?」
「なんだ、また弁当作ってくれるのか?」
「良いよ。わたし、あそこ好きになっちゃったし、良い場所を教えてくれたお礼も兼ねて」
「俺はむしろ嬉しいんだが・・・良いのか?」
「国崎さん貧乏なんだから、人の好意は素直に受け取っておいた方が良いよ?」
「むっ・・・」
相手の一挙動一挙動が、こっちの心を揺り動かす。
楽しい。嬉しい。
これは何?
「・・・そうだな。それじゃあ、また明日も作ってくれ」
「ういっす。合点承知!」
これが・・・好き?
これが・・・恋?
「それじゃあ・・・明日は直にあそこ集合で良いかな?」
「わかった。時間も今日と同じくらいで良いな?」
「うん。・・・女の子待たせるようなことしないでね?」
「・・・努力はしよう」
「努力だけじゃ駄目ー。わかった?」
「はいはい」
「うん。それじゃあ・・・また明日」
「おう、またな」
手を振り、振り替えされる。
歩き出す。
この思いを胸に抱えて。
この・・・温かい気持ちを抱えて。
振り返る。その人に向かって、一際大きく手を振った。
「チャオ!」
この気持ちは・・・『好き』なんだ。きっと。
あとがき
はいはい、神無月です。
なんとかここまでこれましたね。
次回からいよいよ話はあれな展開になっていきます。こんな和やかムードのまま終わらせないぜ(マテ
というわけで、また次回に。