神魔戦記 第九十八章

                     「引き継がれた想い」

 

 

 

 

 

 雨打つクラナド王国の街角で、爆発音が鳴り響いた。

「おおお!」

 古河秋生の裂帛の気合と同時、凄まじい精密射撃が兵士たちを次々と撃ち抜いていく。

 秋生の銃は威力こそ無いが貫通力に長ける。銃弾は貫通し、後ろの兵士にまで被害が及ぶ。

 しかもその全ての攻撃が計算済みだというから尋常ではない。

 その攻撃をどうにか掻い潜り秋生に近付く兵もいるが、

「『厄災の波濤(ノア)』!」

 早苗の作り出した凄まじい波がそれらを押し流していく。

 水の魔術師でも間違いなく上位に食い込む早苗の実力は半端ではない。

 杖の補助を受けているとはいえ、悉く無詠唱で、暴走もなしに放っているのが良い証拠だろう。

 二人は既に現役を引退しているとは思えないほどの強さを見せていた。見せてはいたが、

「はぁ!!」

「ちっ……!」

 波を跳躍して回避した智代の一撃を秋生が銃身で受け止める。

 攻撃の波が止み、一斉に兵が押し返す。

 ……そう。見せてはいたが、終始押されているのは秋生たちだった。

 とはいえ、無理もない。

「第三、第五小隊パターン二十二のA! 後に第一小隊パターン七のC! 回りこめ! 近付けば怖くない!」

 ここにいる兵は全て祐介の的確な指示の元に動かされ、

「く……! 『水の柱・十八裂(ウェイブウォール・エイティーン)』!」

「させないよ! 『竜巻の覇者(サイクロンオブサプレイム)』!」

 早苗の繰り出す魔術の半分ほどは、勝平の魔術により相殺される。

 加えて智代に秋生を抑えられれば、劣勢は火を見るより明らかだった。

 それでもこれまでなんとか持ってきたのは、秋生が悉く智代を振りきって兵を押し返したり、早苗が勝平より早くとほぼ全ての魔術を無詠唱て繰り出してきたからに他ならない。

 だが、そんな戦い方をしていればすぐに疲労は溜まる。ただでさえ現役を引退しているのだ、体力も魔力もすぐに消費されてしまう。

「まだ……!」

 智代の攻撃を回避して再び大きく距離を取った秋生が、魔術の間に合わせて早苗に群がろうとする兵を一掃する。

 磨耗していく体力からふらつきそうになる身体を意地で支え、銃を構えた。

「まだだ!」

「『厄災の波濤(ノア)』!」

 秋生の着地と同時に再度放たれた大波に、兵士たちとの距離が再び開く。

 だが一人。その波が来ることを予測して大きく迂回していた人物がいた。それは、

「僕だって、近衛騎士団の一人なんだよぉ!」

 叫ぶ陽平が一気に地を蹴って早苗に肉薄した。振り下ろされる剣を早苗は持っていた杖で受け止めるが、

「ぐ……!」

 早苗は生粋の魔術師である。いくら魔力で肉体強化をしているとはいえ、剣士に力で敵う筈がない。

「早苗!」

「させん!」

 それに気付いた秋生が援護に回ろうとするが、再び智代が秋生を捉えた。

雷神剣!」

 迸る雷撃。秋生はそれを強引に地面を蹴って回避し、転がり様に陽平を撃とうとする。だがそうはさせないと数人の兵士が割って入った。

「パターン十のD! 包囲しろ!!」

「っ!?」

 気付けば秋生の周囲を既に十名強の兵士が取り囲んでいた。突破しなければ早苗には近付けない。

「どけぇ!」

 銃を連射する。だが、どかない。彼らは攻撃しようとはせず、鎧と盾に全ての魔力を注ぎ込み、ただの壁としてそこにあった。

「!?」

 祐介の指示は的確だ。一気に両方を狙っても意味がないことはこれまでの動きでわかりきっている。

 ならばどちらか一方の動きを止めて、一人ずつ対処すれば良いだけのこと。

「春原! 柊!」

「「はい!」」

 陽平が剣に力を込めて早苗を吹き飛ばす。だがそれは早苗が自ら後ろに身を引いた結果だった。

 魔術師にとって距離が開けばそれだけ有利なのだ。だから早苗はすぐさま目の前の陽平に魔術を放とうとする。が、

「こう見えて、ボクにも意地ってものがあるんだよね!」

「!」

「『取り囲む風の檻(ウィネイト・ケージ)』!」

 瞬間、足元から立ち上った風の結界魔術により早苗は閉じ込められた。

「いまだよ、智代さん!」

 とん、と。軽い音が早苗の頭上から。見上げれば、智代が結界の上に着地した音であり、

「これまでです」

 結界に突き刺さる剣。剣先だけが結界を突破し、

雷神剣

「きゃあああ!?」

 剣先から放たれた雷撃が早苗に直撃した。電撃によるショックで身体を痙攣させながら、早苗は倒れた。

「早苗ぇぇぇ!?」

「大丈夫。死んではいません。絶対に殺さずに捕らえろという厳命ですから」

「な、に……?」

 智代の言葉に眉を顰めた瞬間、

「そういうわけなんで、どうかあなたもお願いします」

「!?」

 声は耳元から。

 一瞬の隙。その間に一足で間合いを詰めた祐介の剣の柄が、秋生の胸に抉りこんでいた。

「……小僧。任せた、ぞ」

 呻き声を残し、秋生の身体が崩れ落ちる。それを片手で支え、祐介は小さく嘆息した。

「任務完了……だな」

 

 

 

 ふと、朋也は嫌な予感がして足を止めた。

「オッサン……?」

「ちょっと、どうしたのよ朋也! 立ち止まっている余裕はないわよ!」

 秋生の気配が弱まった……ような気がした。

 が、ここから秋生たちのところは朋也の気配探知の範囲外でもある。不確かなものだから……杞憂であれば、良い。

「……あぁ、そうだな」

 それにいまはそんな秋生たちのためにも絶対に逃げ延びるのが先決だ。……しかし、

「でも、急ぐ余裕もなさそうだね」

 え、と河南子の言葉に振り返った先……。そこには数十人の兵士たちがいた。

 先頭には老人と少女が一人ずつ。感じる気配はなかなか強力なものだった。

 朋也はその二人を見て思わず動きが止まった。そんな朋也を杏が一瞥し、

「ラドスの部隊……じゃないわね。そうであれば、あんたがいるわけないものね?」

 舌打ち一つしながら大黒庵を構える。その視線の先には、髭を構う一人の老人。

「ねぇ? ……幸村先生?」

「ふぉっふぉっふぉっ」

 幸村俊夫。朋也や杏たちがまだ学園に通っていた頃にいた教師だ。

 実力は折り紙つき。格闘術なんかを教わったが、朋也も杏も結局卒業までに格闘戦で勝てた試しはない。

 だが河南子は、俊夫ではなくその隣の少女を凝視していた。その少女もまた、驚いたような表情で河南子を見ている。

「え? え? ……なんで河南子ちゃんがそこに……?」

「芽衣……」

「な……。河南子、芽衣ちゃんを知っているのか?」

 朋也が驚きと共に河南子を見る。

 俊夫の横に立っているのは、春原芽衣。あの春原陽平の妹だ。それを、何故河南子が知っているのか。

 すると河南子は苦慮の様相でやや俯き、

「あたしと芽衣は同い年だからね。学校に行ってた頃は一緒に遊んだりもしたよ」

「河南子ちゃん……。ねぇ、どうしてそこにいるの!?」

「あたしも事情があるのさ、芽衣。悪いけど約束でね。……ここは通してもらうよ」

 ビクリ、と芽衣の肩が揺れる。数年間一緒に過ごした仲だ。河南子がどれだけ本気か芽衣もわかっただろう。

 おずおずと、しかし構えを取る芽衣。その横で不動の俊夫。後ろの兵たちもそれぞれ剣を抜いた。

 始まる。それを察知した朋也が剣を抜き並ぼうとして、

「「あんたはそこでジッとしてなさい(してな)!」」

 声は同時。杏と河南子が遮るように朋也の前に並ぶ。

「な……」

「正直、いまのあんたじゃ」

「ただの足手纏いだし」

 容赦のない二人の言葉。まぁ事実ではあったが。

 いままで言葉を交わしたことも無い二人は一瞬キョトン互いを見やり、そして小さく口元を崩して、

「行くわよ。しっかりついてきなさい!」

「合点!」

 突っ込んだ。

 

 

 

 亜衣は、見た。

 エクレールが葉子の一撃を受けて、吹っ飛んでいく様を。

 一瞬呆然と、そしてすぐさま愕然とし、

「エクレールさんッ!!」

 叫んで、走った。彼女の元へ。

「エクレールさん! エクレールさんッ!!」

 慌てて駆け寄り、縋りつく。息はまだあった。

「ルミエ! 治療系の呪具はあるか!?」

「あるけど、でも、これは……!」

 祐一が亜衣の横に、ルミエが挟み込むように反対側に回る。しかし状況を見て呻くルミエと同様、祐一も顔を顰めるしかなかった。

 エクレールは、見た目それほどたいした怪我ではないように見える。……が、それは見た目だけ。

 エクレールの内臓はそれはもう酷くズタズタになっていた。

 ルミエが治療系の呪具をエクレールに掲げる。祐一も治療魔術を唱えるが……。

 祐一の治療魔術は下級。ルミエの呪具もそれほどたいした回復力はないようだ。

 これでは間に合わない。怪我が修復されるよりも早くエクレールの命は潰えるだろう。せいぜい、延命程度……。

「無駄ですよ。その人はどうあっても死にます」

 思ったことがそのまま声となって届く。弾かれるようにそちらを見やれば、こちらを見つめる女がいた。

「はじめまして、相沢祐一。私は鹿沼葉子と言います」

「鹿沼、葉子……?」

「別に名前は覚えてもらわなくても構いません。何故なら――あなたにもここで死んでもらうからです」

 が、その二人の間に割って入るように人影が立ち塞がった。神耶、美凪、リディアの三人だ。

 そのうち葉子は美凪に目を留め、やや驚いたように、

「……遠野美凪? そうですか、あなたはカノンに……。これは、少々予定が狂いましたか」

「……なんのことです?」

「いえ、こちらのことです。……まぁ、多少の誤差ということにしておきましょう。それより、どいてください」

 立ちはだかる三人を等分に見渡し、疲れたように一言。

「あなたたち程度では私を止められませんよ?」

「……そんなこと」

「やってみなきゃわかんねぇだろうが!」

 神耶が疾駆し、リディアが百花杖を構える。

「――輪は意のままに動く――」

 鐶から外れた輪が滞空、

「――――形状変化(デテリオレーション)!」

 その魔術により刃と化し、それらは弾かれるように葉子へ飛んでいく。

 その間に神耶が葉子に肉薄し、背中に担いでいた棺を葉子に叩きつける。だがそれを葉子は軽い動作で受け止めた。

「!」

 神耶の力は、単純な腕力だけで言えばカノン軍でも抜群だ。が、それをものともしない。

「力だけではどうにもなりませんね」

 手首の返しだけで吹っ飛ばされる。

 それと入れ替わるようにリディアの放った刃が縦横無尽に葉子へ殺到するが、これもわずかなステップだけで簡単に回避される。

「嘘だろ!?」

「動きが読みやすすぎます」

 だがその頃には美凪が動いていた。葉子の右側に身を投げて、目にも止まらぬ速度で居合い放つ。が、

 ガシィ! と、それはいとも容易く掴まれた。

「な!?」

 引き戻そうとしてもビクともしない。葉子はガチガチと震える聖剣『冥ノ剣』を無造作に見下ろし、

「さすがは聖剣ですね。これだけ力を入れても折れないとは。――なら」

 一歩踏み込んで美凪の懐に潜り込んだ。そして放たれる手。それを後ろに跳んで回避しようとするが、剣が掴まれていて距離が離れない。

「む……!」

 だがその間に割って入るように棺が放たれた。葉子の手が棺に直撃し、棺ごと美凪を吹き飛ばす。美凪に直接的なダメージはないだろう。

「私の一撃を受けても壊れない……? あの棺、一体……?」

「そんなこと考えている余裕はない」

 その隙に神耶が葉子の後ろに回りこんでいた。タイミングを合わせるようにリディアの刃が再び戻る。

「……ふっ!」

「いけぇ!」

 神耶が渾身の力を込めて拳を放ち、リディアが隙間のないように刃を降り落とす。

 だが葉子は刃の隙間を回転するように掻い潜り、神耶の拳を打ち払って、あまつさえその脇腹に一撃を叩き込んだ。

「ぐ……!?」

 吹き飛ぶ神耶。しかも進行方向にはリディアもいて、共に巻き込まれるようにして転がっていく。

 それを追撃しようとする葉子へ、

「させません!」

 紅赤朱になった美凪の『炎上』が行く手を遮るように迸った。だが、

「無駄です」

 水の魔術ですら消しえない『炎上』が、いとも簡単に叩き潰され消し飛ばされた。

「そんな……!?」

「なかなかの圧力ですが、この程度では私の力には対抗できませんね」

「!」

 瞬時に方向を変えた葉子が美凪に接近する。させまいと高速の居合いを繰り出すが、全て見えているのか葉子はそれをことごとく防いでいく。

 そして繰り出される一撃。美凪は聖剣を交差させてその一撃を受け止めるが、

「く……!?」

 大きく吹き飛び壁を貫通してその向こうまで転がっていった。

 ……強い。

 神耶、美凪、リディアが三人がかりでありながら押されているというこの事実。しかも葉子はまだ本気を出しているようには見えない。

 葉子の視線が祐一に移るが、そこへ再び腹を押さえながら苦悶の表情を浮かべている神耶が割って入った。

「神耶!」

「……大丈夫。これくらいなら、死ぬより先に傷が治る。それより」

 と、神耶は起き上がったリディアを一瞥して、

「リディア。援護だけしてくれれば良い。自己再生のないあなたじゃ、一撃で終わる」

「ち……了解!」

「任せた。……ルヴァウル!」

 リディアの刃が放たれると同時、神耶は自らの相棒の名を呼び疾駆した。葉子より後方に転がっていた棺が反応して神耶の手元に戻っていく。

「無駄なことを」

 刃を軽いステップでかわした葉子が再び手を掲げる。しかしそこへ横合いから地を奔る強烈な炎が襲い掛かってきた。

 それをかき消し、葉子は見る。美凪が既に体勢を立て直しているところを。

「……はぁ!」

「ふっ!」

 神耶の豪快な一撃と美凪の『炎上』が同時に迫る。それをどちらも防ぎ、しかし両腕を使ってしまっている葉子は反撃できない。

「……なるほど。時間稼ぎですか」

 美凪の居合いと『炎上』、神耶の強烈な一撃、リディアの飛び交う刃により葉子は攻撃の手段を失くした。

 そう、ここは時間稼ぎ。

 美汐が戻ってくるまで持ちこたえさえすれば良いのだから。

 その間、祐一とルミエはずっとエクレールの治療をしていた。

 しかし、状況は好転しない。既に穴の開いた風船に空気を入れているようなものなのだ。できることは、風船が萎むのを遅らせる程度。

 だがその甲斐あってか、エクレールが意識を取り戻した。

 やや焦点のずれた視線が、緩やかな動作で亜衣を捉える。

「……亜衣」

「エクレールさん! 良かった、目が覚めたんですね! 良かったぁ……」

 喜ぶ亜衣。だが祐一もルミエも、そしてエクレール自身もその顔に力はなかった。

 もう助けられない。祐一もルミエもわかっていた。

 もう助からない。エクレールもわかっていた。

 だからなのか。エクレールは緩慢な動作で手を自らの首まで持っていき、

「亜衣……これを……」

 そう言って差し出してきたのは、

「ペン、ダント……?」

「……死んだ、母の形見……ですの。これを、あなたに受け取って……欲しくて……。わたくしの、生きた証を……」

「いや、いやです! エクレールさんは死にません! 死にませんからぁ! だから……だからそんなこと言わないでぇ!!」

「お願い、ですわ……亜衣……ぐっ!?」

 咽てまた口から血がこぼれる。

「エクレールさん!? 祐一さん、お願いします! エクレールさんを助けてぇ……ッ!」

 縋りつくような声に、だが祐一は答えることができない。

 仮に祐一が上級クラスの治療魔術を持っていたとしても意味は無かっただろう。それほどまでに深い傷。

 もしこれを治せるのだとしたら……。そう、栞なら、それもできただろう。栞の覚えた『聖なる母の水陽』はどのような傷も治すことが出来た。

 だが、もう間に合わない。仮に美汐の空間跳躍を使ったところで、ここからカノンに戻るまで持たないだろう。

 そしてそんな現実をエクレールも悟っていた。血に塗れた口を笑みに変え、泣き叫ぶ亜衣を見やる。

「亜衣……。あなたに、会えて、本当に……わたくしは、救われた、ん、ですのよ……?」

 薄くなる意識の中で思い出す。

 亜衣と出会ったときは、敵同士だった。躊躇なく殺そうとした。けれど敗れ、捕まり、そして亜衣に触れた。

 亜衣と接し、亜衣と話した。無為とも思えたその日々の、そのほとんどに亜衣がいた。

 逃がしてもらい、教え、再会し、二人でここまで来て、共にいた。

 そして誰かのために戦い、いま、尽き果てようとしている。

 しかし、不思議と心地良かった。自らの意思で、誰かを守れたという事実。それが、嬉しかった。

 昔の自分からは到底考えられないことばかり。しかしそのどれもこれもが……亜衣のおかげだったのだ。

 そう、この少女に出会えたからこそ、いま自分はここまで清々しい。

「もっと早く出会えていれば……もう少し、違った未来が……あった、んでしょうかね……?」

「これからが、あります! ありますからぁ、だからぁぁぁ……」

 涙でボロボロになっている亜衣の頭を撫でてやりたかった。しかし、もう腕もろくに動かない。

 だから、というふうにエクレールは視線を祐一に向けた。

「……頼みが、ありますの」

「なんだ?」

「あの男……に、斉藤時谷に、伝言……を。……絶対に、死んででも、亜衣を守り通しなさい、と。……そうじゃなければ、呪いますわ、とね」

「わかった」

 そう祐一が頷くと、エクレールは安心したように、微笑んだ。

「……なら、大丈夫ですわね」

 それは心の底からの、本当の笑みだった。

「亜衣……」

「……はい」

「……亜衣」

「はい」

「亜衣」

「はい!」

 亜衣がエクレールの手を握る。

 その温かさを感じ取れないことをわずかに寂しく思い、けれど笑って、

「ありがとう」

 ゆっくりと、手が、落ちた。

 最後に、その頬に一滴の涙を零して。

 ……祐一が歯噛みし、ルミエが視線を外す中、亜衣はただ呆然とエクレールを見下ろしていた。

「エクレール……さん?」

 手を握っても、握り返してくれない。

「エクレールさん……」

 ゆすっても、反応してくれない。

「いや、いやぁ……。お願い、死なないでぇ……!」

 まだ、聞きたいことがあったのに。

 まだ、たくさん教わりたいことがあるのに。

 まだ、ずっと一緒に過ごしたいのに。

 まだ、共に歩みたい世界があるのに……!

『全てを救える、などとは思わないことですわ』

 あの言葉を、思い出す。

 わかっている。わかっていたつもりだ。

 けれど、だけど。

 それでも……もう、二度と大切な存在を失いたくないと、武器を手に取ったときに誓ったのに……!

「いや、いやぁぁぁ……エクレールさん……! エクレールさん! エクレールさんッ!!!」

 何をしても、何度声を掛けても。

 あの厳しくも優しい声は。

 聞こえない。

 もう、二度と。

「いや……いやぁぁぁ……、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 ドンッ! という凄まじい衝撃音が耳を打った。

 それは美凪と神耶が再び葉子に吹っ飛ばされた音。そしてその葉子が倒れ伏せたエクレールを一瞥し、

「やっと死にましたか。存外、長持ちしましたね。しかし相応しい末路でしょう。ホーリーフレイムとあろう者が魔族に屈したんですから」

 ピクリ、と。亜衣の身体が震えた。

「……なんて、言いましたか?」

「聞こえませんでしたか? なら何度でも。相応しい末路だったのですよ」

「――ッ!?」

 目を見開き、亜衣は瞬時にディトライクを呼び出し、

「うああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 純然たる殺気を撒き散らし、感情のままに駆け出した。

 祐一が止める暇すらないほどのスピードで亜衣が疾駆する。

「お前が、お前がぁぁぁぁぁぁ!!」

 相応しい末路?

 ――ふざけるな……。

 そんな言葉で片付けて良いことではない。

 ――ふざけるなッ!

 頭が一つの感情に支配される。それは――殺意。

「殺す、殺してやるッ!!!!」

 亜衣の怒りに呼応するようにディトライクは命令も無しに第二形態へ移行し、炎を纏う。

 そうして振り下ろされるディトライクの威力は神耶のそれをも超えていた。

 かわした葉子の足元、床をそれこそ爆砕し、なお亜衣の攻撃は止まらない。

 ……だが、当たらない。威力は上がっていたが、しかし所詮それだけ(、、、、、、)だった。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「怒りに身を任せた攻撃が、この私に当たるとでも?」

 一撃一撃が大振りになっている亜衣は隙だらけだった。そこを見逃すはずも無い葉子が手を振り被り、

「終わりです」

「ルミエ!!」

「――守る盾を生む――!」

 だが次の瞬間、亜衣の目の前に結界が出現し葉子の一撃を食い止めた。

「!」

 その間に脇から出てきた巨大な腕――ルヴァウルの腕が亜衣を掴み退いていく。

「!?」

「亜衣! そのままじゃ今度はあなたが死ぬ!」

「神耶さん! いや、離して!! 亜衣は、そいつを……!」

「そうして無駄死にしてその女の……エクレールの想いを踏みにじるの!?」

「!?」

「その女が……誰を守りたくて、ここまで戦ったと思ってる? ここであなたが死ねば……それこそその死は無駄死に」

 神耶はゆっくりと息を吐き、落ち着かせるようにして、言う。

「亜衣、落ち着いて。……いまは、耐えて」

「……ッ!!」

 暴れていた動きが、止まる。

 そうして神耶は辿り着く。そこには、いままでいなかったはずの一人の存在があった。

 天野美汐だ。

 エクレールの亡骸を抱えた祐一、ルミエ、リディア、美凪、神耶とそしてルヴァウルに掴まれた亜衣が既にそこに集っている。

「逃げる気ですか」

 そうはさせまいと葉子が駆ける。先頭にいる祐一。それ目掛け更に力を集約させた手を繰り出す。だが、

「『陰陽の剣(インシュレイト・ブレード)』!」

 聞き知れぬ魔術名。しかしどのような攻撃であろうと葉子の力には届かない。

 が。

 それを知っていながら、葉子は直感的に手の軌道を逸らせた。

 瞬間、祐一の剣が葉子の不可視の力を貫いてその腕に傷を負わせていた。

「!」

「勘が良いようだな。あのままなら、腕の一本くらいは取れただろうに」

 傷は浅い。が、もしあのまま手を出していたら祐一の言うとおりその腕は切り裂かれていただろう。

「く!?」

 追撃を恐れ、慌てて葉子が下がる。

 だが、それは祐一たちにとって好機である。

「美汐!」

「御意!」

 瞬間、祐一たちの姿が消えた。

 それを葉子はやや驚いた様子で、しかしすぐに落ち着きを取り戻し、

「逃げられましたか……」

 空間跳躍の使い手がいるとは計算外だった。いまから追いかけても間に合いはしないだろう。

「しかし……なるほど。これが光と闇の複合、ですか。彼女が欲しがり、また彼が邪魔に思うのも頷けますね」

 傷付いた自らの腕を押さえ、呟く。

「これは少し、厄介なことになりそうですね。……とはいえ、いまはこっちを優先しましょう」

 葉子は祐一の抹殺にさっさっと見切りをつけて、連絡水晶を取り出した。

「こちら鹿沼葉子です。そちらはどうでしたか? ……そうですか。わかりました」

 返事さえ聞ければ十分。葉子は連絡水晶への魔力を切った。

 第二優先目標の祐一抹殺は失敗。第三優先目標の朋也捕縛は不明。

 だが、良い。第一優先目標は完遂されたのだから。

 なによりも優先すべき事柄。それは、

「古河秋生、古河早苗。両名の捕縛……」

 葉子は僅かに口元を崩し、踵を返した。

 これで天秤は上手い具合に傾くだろう。あとは時間と……多少の運が回れば良い。

 そうして、葉子は音もなくその場を去っていった。

 

 

 

 あとがき

 ほい、どもども神無月です。

 うん、特に言うことはないですかねw

 ではまた次回に。

 次回はちょっとだけ面白いことがあります。ヒントは神殺し。

 お楽しみに。

 

 

 

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