神魔戦記 第九十七章

                     「崩れ落ちる稲妻」

 

 

 

 

 

 圧倒的な一撃が、大地をかち割った。

 あまりに非常。あまりに極悪。

■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

 バーサーカーが吼える。

 その雄叫びはまさしく地獄へと叩き落す魔神の咆哮。

「こんな――」

 理絵はただ絶句するしかない。

 戦闘になんてなりはしない。それは一方的な虐殺に近い。

 果敢に挑む兵たちの攻撃もその身に傷一つ付けることかなわず、叩き潰されていく。

 攻撃は効かず、しかし向こうの攻撃は一撃食らえばその場で終了。

 なんていうワンサイドゲーム。

「こんなのって……」

「理絵!!」

「!」

 そうして呆然としているところに、数十人の兵を引き連れた葵がやって来た。

「状況はどうなって――って、なによこれ……!?」

 理絵の視線を追った葵もまた、愕然とした。

 百近くいた兵が、壊滅していた。累々と連なる屍の先、この世のものとは思えない化け物がいる。

 ヒッ、と喉を鳴らしたのは葵の後ろの兵士だった。

 それほどの圧力。この場からすぐに逃げ出さなければ殺されると本能が告げるほどの。

「もう来ないの? あっけなさすぎるのもここまで来るともう犯罪よね?」

 そう言って肩をすくめるのは、バーサーカーのマスターイリヤ。そうしてクルッと後ろを振り返り、

「キョウ、ユキミ。ごめんなさいね。あなたたちの出番、なさそうよ」

「まぁ、別にこうなることは予想済みというか……」

「……すごいわね」

 以前の一件を直に見ていた杏は苦笑で。初めて見た雪見は心底唖然とそう呟いた。

 味方ですらそうなのだ。攻撃対象である敵からすれば一たまりもない。

 逃げ出す兵も出始める。それも無理なきことだろう。ただの人間が、立ち向かうべきモノではない。

 ……が、こんな状況に笑い出す馬鹿もいた。

「あはは……。ホント、こんな化け物も世界にはいるのねぇ」

「あ、葵……?」

 それは、杉坂葵。

 彼女はポリポリと頬を掻き、

「まぁ、さ。あたしたちは雇われの身だからあいつらみたいに逃げ出しても良いと思うけどさ」

 でも、と続け、

「なんでだろう。『負ける』っていう気がしないのよね〜」

「葵……」

 葵は本当に恐怖を感じていないようだった。すかすように微笑み、理絵を見て、

「大丈夫。理絵と二人なら、どんなことだって怖くないわ」

 叩かれる肩。それだけで、あれだけ身を縛っていた恐怖は抜けて。

「……そうですね」

「行くわよ、理絵。あの化け物に一泡ふかせてやりましょう!」

「はい!」

 二人が構える。それを見たイリヤが面白そうに口元を崩し、

「へぇ、まだやる気? なら――遠慮しなくていいわ。一気にやっちゃいなさい、バーサーカー!」

■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

 バーサーカーが突っ込む。

 その巨体からは考えられない速力で駆けるバーサーカーに対して、

「行くわよ、化け物!」

 葵もまた突っ込んだ。

「正気!?」

 杏の驚きの声を耳に、葵は自らの武器、槍型の永遠神剣『第五位・氷結』を構える。

 互いが突っ込むことにより肉薄は刹那。そこにバーサーカーの一撃が振り下ろされる。

 しかし葵は防御の構えを取らない。そのまま大剣に胴体を真っ二つにされるかという、その瞬間、

「二重防御結界“水の盾”!」

 後ろからの理絵の声と同時に高圧力の結界が二枚、葵を守るよう出現し、バーサーカーの一撃を防いだ。次いで、破砕音。

「「!?」」

 驚きはイリヤと葵双方から。

 イリヤは、まさかバーサーカーの攻撃に耐えられるほどの結界を張れる者がいようとは、という驚き。

 葵は、まさか理絵の二重結界がただの物質攻撃に、しかも一撃で破壊されるとは、という驚き。

 だが、先に動いたのは葵。『氷結』を引き絞り、

『氷結』の主が命ずる。マナよ、集いて敵を凍らせる吹雪と化せ!」

 バーサーカーの腹底に振り打つ!

エンチェントフリーズ!」

 神剣が発光し、零距離で神剣魔術が放たれた。

 物理的なダメージが通らないのは承知済み。魔術も迎撃される恐れはある。ならば、

「この距離なら――どうよ!」

 本来この神剣魔術は強烈な吹雪で前方の集団を一気に凍らせる対少数殲滅魔術だ。

 それを一点。零距離で食らえばいかな化け物といえどダメージはあるはずだ。

 ……だが、甘い。

 確かにさすがのバーサーカーもこれにはダメージを受けた。

 が、それだけ(、、、、)だ。

 バーサーカーの動きを止めるには――足りないにも程がある。

■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

「葵ちゃん!」

「っ!? フローズンアーマー!」

 咄嗟に葵が氷の盾を張るが、バーサーカーの一撃はそんなものを安々と突き破っていく。

 が、その盾がわずかなタイムラグを生んだ。その間に、

「四重防御結界“水の壁”!」

 理絵の結界が割って入る。今度こそバーサーカーの一撃はそれで止まった。しかも今度は結界が軋んではいるものの、破壊されていない。

「一旦下がって葵ちゃん! その結界じゃ二発は持たない!」

 その言葉を証明するように、バックステップで距離を取った葵の目の前でその結界は二度目の攻撃で破砕した。

「ホントに化け物ね! あの防御力どうにかならないのかしら……!」

 理絵の隣にまで下がった葵が毒吐く。

 エンチェントフリーズは葵の神剣魔術では最も上位のスキルだ。あれが通用しないのであれば、正直葵に打つ手は無い。

「大丈夫。手段はあります」

 しかし、理絵は何かを思いついたらしい。

「しばらく観察していてわかったんですが、あれはどうやらあそこの少女の使い魔、のような分類のようです」

「使い魔? あんなのが? ……嘘でしょ」

 聖杯戦争のことを知らない二人からすれば無理もない。あんなものをどうやって使い魔にするのかなんて、わかるはずもない。

 だが、理絵は冷静だった。

「大事なのは、現実あの少女があれを『使役している』という事実一点です。そしてここから一つの、簡単な攻略法が見出せます」

「つまり――」

「『主』の撃破」

 すぅ、と息を吸い、理絵は構えた。

「あの化け物は私がどうにかします。葵ちゃんは真っ直ぐあの少女へ」

「了解。……信じてるわよ」

 言って、葵は駆けた。

「!」

 バーサーカーを度外視し、向かう先は一点。――イリヤへ。

 それをイリヤは嘲るような笑みで迎え、

「だいたい皆そう考えるのよね。でも――バーサーカーがそれを許すと思う?」

 主の言葉に答えるように、その巨体が進路上に割り込んできた。が、それでも葵は直進を止めない。

 馬鹿な人、とイリヤは思う。確かに理絵の結界は強力だ。バーサーカーでも二、三発は防がれるかもしれない。

 だが、イリヤに手を出すことなど不可能だ。バーサーカーがいる以上、イリヤに手を加えることなどできやしない。

 しかし、そんなイリヤを見て――葵は笑った。イリヤと同種の、嘲るような、そんな笑みを。

「わかってないわね。あんたは理絵の強さを」

「?」

「あたしがこの化け物相手に真っ直ぐ向かっていける理由を教えてあげる」

 絶対の自信を持って、葵は言った。

「理絵なら、たとえこの化け物相手でもなんとかしてくれると信じてるからよ」

 刹那、バーサーカーの大剣が振り下ろされた。

 強烈な加速。神剣による防御はおろか防御結界すら張ろうとしない葵に、わずかにイリヤが眉を顰めた――瞬間、

「二十重束縛結界――」

 その声が、

「――“水の処刑台”ッ!!!」

 全てを狂わせた。

「なっ!?」

 突如バーサーカーの足元に出現した巨大な魔法陣。

 そこから出現するは練り上げられ超硬度に圧縮された水の結界。

 それが一つ二つと瞬時に折り重なり、絡み合い、締め付け、複雑な術式の元に数倍の圧力を生み出し合体する。

 一枚一枚がバーサーカーの一撃すら受け止める結界が二十。しかも全てが内側にのみ方向性を向け、相乗効果で硬度は数倍。

 二十重束縛結界“水の処刑台”。

 竜種ですら身動きを封じられる、絶対束縛結界がバーサーカーの身体を捕らえた。

「……っ!? なにをやってるのバーサーカー! 早くそこから出てわたしを守りなさい!」

■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

 バーサーカーが吼えながらその結界からの脱出を試みる。

 だが、いくら暴れても大剣で斬りつけても結界は皹一つ入らない。

「無駄です! 古代魔術ですら三発は受け止められる絶対強固の束縛結界! あなたの力でも都合、百回程は防げますよ!」

 なにやら複雑な魔法陣を足元に展開させ、腕で特殊な印を組んだまま、理絵は自信たっぷりの笑みで言った。

 仁科理絵。

 稀代の天才結界師。

 結界師の中では知らない者はいないという程の、類稀なる才能に恵まれた少女。

 そもそも、十重以上の結界を張れる結界師など世界に五人といまい。

 だがこれはそれの二倍。しかもそれを長時間維持させるだけの力も理絵にはある。

■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

 大気が戦慄くほどの怒声をあげ、バーサーカーが結界から脱出しようともがく。が、崩れない。

「バーサーカー!!」

「いくら呼んでも無駄よ! そして――」

 その間に葵はイリヤに肉薄する。目を見開くイリヤ。

「これで終わりよ!」

 そこへ決定打となる槍の一撃を繰り出して――、

「忘れてるようだけど」

 しかし、

「こっちはイリヤ一人じゃないのよ?」

「!?」

 その穂先は、横合いから割って入ってきた双剣に防がれていた。それは、

「ユキミ!」

「ちょうど暇だったのよ。相手、してくれない」

 ガキィ! と穂先を跳ね上げ、雪見が迫る。

「ちぃ!」

「あら、逃がすと思ってるの?」

 慌てて距離を取ろうとする葵に、雪見は『エネルゲイア』を振り被り、

「『氷の柱・二十裂(フリーズウォール・トゥエンティ)』」

 その進路を阻むように氷の柱があちこちにそり立つ。

「『撃ち穿つ氷散弾(フリーズ・ガトリング)』」

 周囲に出現した氷の柱によって動きの止まった葵に、すぐさま追い打ちの氷の中級魔術が放たれた。

 指先ほどの大きさの氷の塊が高速で連続発射される魔術。威力はそれほどではないが、閉塞的な空間では抜群の命中率を誇る魔術だ。

フローズンアーマー!」

 それを神剣魔術で防ぐ。この程度の威力の魔術ならこれでも十分防げる。が、

「どういうこと!? 上級から中級魔術で、詠唱をすっ飛ばすなんて……!」

 呪文の詠唱を遮断し、魔術の完成を防ぐ神剣魔術なら葵も持っている。が、詠唱が無いのであればその魔術はまったく意味を成さない。

 そうして舌打ちする葵に雪見は笑って、

「相手に自らの手の内を見せるほど、あたしは優しくはないわ」

 もう片方の剣、『デュナミス』を掲げた。

 魔力が、踊る。

「なっ……!? 一つの魔術を行使中に、他の魔術を!?」

 それはある意味で二種同時詠唱と同じ技術だ。詠唱が無い分楽とはいえ、剣士風情ができる芸当ではない。

 けれど、雪見はたいしたことでもないと言わんばかりの表情で剣先を向け、

「『乱れ狂う雷の槍(ボルティス・ランサー)』」

「!」

 今度は上空から数多の雷の槍が葵を襲撃した。

「葵ちゃん!?」

 それを見て声をあげることしかできない理絵。

 結界というのは維持するもの。魔術のように何かをしながら他の何かをするということはおろか、動くことすら決してできない。

 即ち、葵に防御結界を張りたければバーサーカーの束縛結界を解かなければいけない。

 どうする、と焦る中、不意に影が差した。

「知ってるわよ? 結界師の使う結界っていうのは精巧で、中でも強力な結界はちょっとでも体勢を崩したら壊れちゃうんでしょ?」

 上空からの声にハッとしたときには、既に目の前に巨大な槌が迫っていた。

「二重防御結界“水の盾”!」

 咄嗟の防衛本能で、理絵は防御結界を展開しその一撃を防ぐ。が、それは、

■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

 破砕音と同時、バーサーカーの拘束が解けたことを意味していた。

「しまった……!?」

「敵戦力の計算が甘い。そんなんだから、破られるのよ」

「!? 四重防御結界“水の――」

「――守る物に意味はない――」

 瞬間、聞こえてきた(まじな)いにより構築されかけていた結界を容易く突き破られ、衝撃が理絵を襲った。

「あ、ぐ……!?」

 吹っ飛び、ろくに受身も取れないまま理絵は地面を転がった。

 当然だ。彼女は結界師。そもそも『物理攻撃を直接受ける』ことなど滅多にないのだ。こと理絵に関してだけならば初めてである。

 ガクガクと力の入らない身体でどうにか起き上がる。同時、閃光と共に近くに葵も吹っ飛ばされてきた。

「あ、葵ちゃん……!」

「っ……。あたしは、大丈夫よ。……そういう理絵こそ、きつそーね」

 そうして二人同時に立ち上がる。その先には、イリヤ、バーサーカー、雪見、そして杏の姿がある。

 強い。バーサーカーだけでも十分脅威だというのに、他の二人も冗談のような強さを持っていた。

 いままでまったく戦闘に介入してこなかったので気にも留めていなかったが……。

 これが、カノン。その国の実力。

 二人は互いを見やった。ここはこのまま退く方が良いのではないか。そう考えているところに――それは来た。

「な、なんだ? どうなってんだこれ」

 声に反応したのは理絵と杏。そうして振り向いた先には、

「岡崎さん!?」

「朋也!」

「な、え……? 杏!?」

 驚いた様子でこちらを見る朋也と、その腕に抱かれた渚、そしてその隣には河南子がいた。

 理絵も杏も河南子のことは知らない。が、『岡崎朋也がここに来た』という事実がここでは重要なポイントだった。

「杏、行きなさい。ここはわたしとイリヤに任せて」

「――わかったわ」

 当初、イリヤ一人が残り雪見と杏で渚を連れて行く予定だったが、理絵の束縛結界を見てしまってはイリヤ一人を残すわけにはいかない。

 それに渚には朋也たちがついている。一人くらいこっちについても大丈夫だろう、と杏も雪見も考えたのだ。

 ――ま、朋也も来るとは思ってたけどね。

 そう苦笑し、杏は朋也に手を振った。

「朋也! こっちよ! 早く!」

「ちょ、待ってくれ! どうして杏がここに!? お前いつの間にかクラナドからいなくなってたのに。……っていうかお前たちは一体!?」

「あたしはいまはカノン軍のメンバーでここにいる皆はカノンの仲間よ! 良いから早く!」

「カノン……!?」

 朋也がその単語に驚愕する。

 朋也の中ではカノンは有紀寧の一件以来いまだ『敵』なのだ。

 どうしてそんなところに杏がいるのか、とかそんなやつらとどうして一緒に行かなくてはならないのか、と思考が渦巻き、

「何を躊躇してるの朋也!? あんたは渚を助けたいんでしょう!? そのためにここを抜け出そうとしてんでしょ!?

 なら早く来なさい! カノンは『全種族共存国』! 渚だって迫害されたりしないわ!」

「!」

「秋生さんに頼まれて、祐一が動いた! それだけのことよ! さっさとしなさい! あなたたちのために戦っている者たちのためにも!」

 秋生が言っていた助けとはカノンのことだったのか。

 歯噛みする。カノン。有紀寧を攫って行った国。無力感を叩きつけられた国。

 ……だが、

「……くっそ!」

 悩むのは後だ。いまは渚のことが最優先。自分の感情なんて後回しで良い。

「行くぞ、河南子!」

「良いの?」

「……あぁ、いまはそうするしかない!」

 そうして朋也たちは杏のところにまで駆けていく。それを見た杏がイリヤと雪見を一瞥して、

「任せたわよ」

 朋也たちと共に門を後にしようと走っていく。そうはさせないと葵が踏み出そうとするが、それを理絵は手で制した。

「ここは行かせましょう」

「理絵!?」

「どの道これだけの戦力差。私たち二人でどうなるものでもありません。が、あの人たちがいなくなれば残るのは敵戦力は二人分……」

 イリヤとそのサーヴァント、バーサーカー。そして雪見。それらを見渡し、

「この程度なら、時間稼ぎくらいはできるでしょう」

「あっちはどうするの?」

「ラドスの美佐枝さんたち。あるいはあちら(、、、)に任せるしかないでしょうね」

 言って、理絵はゆっくりと立ち上がった。そうしてわずかに手を掲げて、

「治療結界“水の歌”」

 理絵と葵を水色の結界が覆う。そしてその中で傷が徐々に消えていった。

「この敵をここに留めておくだけでも、いまは十分でしょう。……いけますよね、葵ちゃん?」

「わかった。理絵がそう言うのなら、そうする」

 治療結界が消える。その頃には再び万全に戻り、

「では――」

「行くわよ!」

 再び二人は駆け出した。それをバーサーカーと雪見が迎え撃つ。

 高レベルの戦いが、再度開始された。

 

 

 

 亜衣は走った。

 時谷に肩を貸しながらなのでそれほど速度は出なかったが出来る限り速く走った。

 外での騒動のせいか、やはり途中兵士に出くわすことはなかった。

「時谷さん、もう少しで外ですよ!」

 エクレールも頑張ってくれているのだ。だから自分も頑張らなくてはいけない。

 そう考えつつ角を曲がったところで、初めてクラナドの兵士に遭遇した。

「!?」

「おい、貴様! 何をして――って、魔族!?」

 時谷を見てすぐさま臨戦態勢を取る兵士たち。それを見て亜衣もディトライクを出現させ、

「ぐあ!」

「うぉ!?」

 しかし亜衣が何かをするより先にその兵士たちは昏倒していった。

 唖然とするその先、いきなり現れた者たちを見て、亜衣の表情はみるみる明るいものへと変わっていった。

「ゆ、祐一さん……!」

「亜衣。やはり時谷と一緒にいたか」

 それは祐一たち。何人か知らない者たちもいたが、それは間違いなくカノン軍の面々だった。

「救出に来てくれたんですか!?」

「あぁ。ちょっと他にも用事があって、だがな。それより時谷、無事か?」

「はっ。俺がこの程度でくたばるかよ」

「それだけ言えれば平気そうだな。しかし、ここで出会えて何よりだ。予想より早く戻れる」

 が、そこで慌てて亜衣が祐一の袖を掴む。

「あ、ま、待ってください! エクレールさんが、亜衣たちのために戦ってくれてるんです!」

「エクレールが?」

「助けに行きたいんです! だから、あの――」

 祐一が時谷を見て、そして時谷が頷いた。すると祐一は亜衣を安心させるようにその頭に手を乗せて、

「わかった。俺たちも行こう」

「あ――あ、ありがとうございます!」

「礼は救い出した後で良い。美汐」

「はっ」

「お前は時谷を連れて一旦イリヤたちのところまで戻れ。その後、もう一度俺たちを迎えに来い」

「御意」

 美汐が時谷に近付き、肩を貸す。日頃犬猿の仲である二人も、ここでは文句を言わず従った。

「残りのメンバーでエクレールを救いに向かう。亜衣、案内してくれ」

「わかりました!」

 そうして亜衣を先頭に祐一たちは再び奥へと走っていった。

 それを見送って、時谷が小さく嘆息する。そんな時谷を横目で見て、美汐はどこか逡巡し、しかしゆっくり口を開いた。

「すいません。私のせいで」

「あん? なんだよ藪から棒に」

「……あなたがこんな目にあったのも元はと言えばあのとき私が指揮を失敗したからで……」

 そう俯き呟く美汐に対し、時谷は大仰に溜め息を吐いて、言い捨てた。

「アホ」

「なっ……」

「魔族だろうが人間族だろうが、完璧な存在なんていやしねぇよ。失敗だってあるに決まってんだろ。んなもん当然のことなんだ。

 それをなんだお前は。良いか? 俺もお前も、完全なんかじゃありゃしねぇ。祐一だって、皆そうだ。だから俺たちは一緒に戦ってんだろうがよ。

 そして一緒に戦うってことは、互いを補うってことだ。誰かが失敗すれば他の誰かがその穴埋めをすりゃ良い」

 一緒に戦うっつーのはこういうことじゃねえのか? それともお前は周りを信頼できねぇか?」

「……」

「もし信頼できねぇんなら、指揮官なんか辞めろ。部下を信頼できねぇ奴が上になんか立つんじゃねぇ」

 ガシガシと時谷は頭を掻き、

「俺ぁお前が嫌いだ。なんでもかんでも綺麗に纏め上げようとして、実際上手く行かせる奴だからな。

 だが、そんなお前だって誰かの助け無しじゃやってけねぇだろ?」

「誰かの……助け……」

「お前、なんでも一人背負い込み過ぎなんだよ。もっと回りに頼ったらどうだ?」

 もし、あの時。杏の言うことを素直に聞いていれば。信用できていれば。

 ……そう考えて、美汐はゆっくりと頷いた。

「そう、ですね。私はもっと、皆を信用すべきなのでしょうね。そしてそれが、あなたにはわかっていたんですね……」

「俺ぁ落ちこぼれだからな。昔から誰かの助け無しでは生きてこれなかったよ」

 ぶっきらぼうに言い放つ時谷に、美汐は微笑を浮かべた。

「もう、謝罪はしません。そしてこれからはもっと、皆に肩を預けることにします」

「ああ、そうしろ」

 はい、と頷き、美汐は言った。

「私もあなたのことは好きではないですが、これだけは言わせてください。……ありがとう」

 

 

 

 風が唸った。

 そうとしか感じ取れないほどの高速の青い影が、いま葉子へと突撃する。

「はぁ!」

 エクレールの高速の一撃。だが葉子はなんでもないことのように手でそれを受け止めた。

 それは、不思議な光景だった。

 もっと詳しく表現するのなら、剣は葉子の手にすら触れていない。手から僅か離れたところで、停止していた。

 が、エクレールの手に返ってくるは、鉄を斬りつけたような感触。実際そのまま力で押し切ろうとしてもその手との差は埋まらない。

「ちぃ!」

 剣を下げ高速で移動、別の角度から再度攻撃するが、それもやはり手で受け止められた。

 ――なにか、ありますわね。

 それが葉子の力なのだろう、とエクレールは推測する。

 手の周囲。そこには目に見えない何かがある。そして攻撃はそれによって防がれているのだ。

 目に見えない、というのは厄介だが、それでもわかることはある。

 それは、おそらくこの力は手以外には使用できない、ということ。そうでなければ全てを手で受け止める理由が無い。ただそこで直立不動していれば良いだけだ。

 だからこそエクレールは自慢のスピードで翻弄し一撃を見舞おうと考えているのだが、これが全て防がれる。

 葉子は動いていない。ただエクレールの軌道を見て、予測し、確実に攻撃を手で防いでいっているだけだ。

 が、もちろん動き回っている者と動きの少ない者では疲労の蓄積は全然違う。

「はー……はー……!」

「息が切れていますよ、エクレールさん。これで終わりですか?」

「っ!」

 いくらスピードに自信があるとはいえ、エクレールは人間。休みなしに全力で動き回っていれば疲れるのも道理。

 そんなエクレールを見やり、一つ小さく葉子が頷いて、

「――では、そろそろこちらから参るとしましょう」

「!?」

 言った瞬間、既に葉子の身体はエクレールの目の前にあった。

「――ッ!?」

「反応が鈍いですよ」

 葉子の手が伸びる。それを身体を捻って強引にかわし、エクレールは床を転がった。

 その向こうで、ゴガァァァ!! と岩盤が崩れ落ちるような破砕音が耳を打った。

「!?」

 見れば、目標を見失った葉子の手が廊下の壁に触れていた。

 そう、触れていた。触れただけなのに。

 どうしてその周辺が(、、、)根こそぎ(、、、、)吹き飛んで(、、、、、)いるのか。

「……どうやら久々にこの力を使用したせいで強弱の微調整が上手くいかないみたいですね。人一人殺すのにこんな出力はいらないでしょう」

 にも関わらず、ただ無表情に葉子は自らの手を見やる。そうしてエクレールを横目で見やり、

「半分ほど力は削ぎました。が、その分範囲を広げてあります。……さて、あなたはどれだけ避けられますかね?」

「ッ!?」

 床を蹴った葉子が凄まじい速度でエクレールに迫る。その速度はおよそエクレールと互角。

「く!?」

 葉子の腕が振り抜かれる。

 一撃、二撃、三撃。それらを大きく回避していくエクレール。その度に床や壁が打ち砕かれていく。

 そうして四撃目。これもかわしたとエクレール本人は思ったが、

「浅いですよ」

 微かに、葉子の不可視の力の範囲に胸が掠めた。その瞬間、

「な……!?」

 まるで風の上級魔術にでも直撃したかのような衝撃と共にエクレールの身体は廊下の壁をぶち抜いて中庭にまで吹っ飛ばされた。

「が、ぐぅぅぅ!?」

 だがそこでのんびりしている余裕は無い。既に葉子が追い打ちをかけるべくこちらに跳んできている。

 それをエクレールは身体を転がしてかわすが、地面に着弾した葉子の手が地面を抉り飛ばし、その反動でエクレールの身体も弾き飛ばされた。

「ぐ、かは……!」

 壁に背を打ちつけようやく止まり、エクレールはそのまま立ち上がり……血を吐いた。

 ――少し掠っただけで、このダメージですの……!?

 胸を掠めたあの一撃。あれだけで、肋の骨が折れた。その破片で内臓器官に傷付いたのだろう。血を吐いたのが良い証拠だ。

 なんという出鱈目な威力。最初の一撃を受けていたら人体など木っ端微塵だっただろう。

 近付いたら危険だ、とエクレールは判断した。接近戦をする相手ではない。

 故にエクレールは剣を大地に突き刺し、自らの持つ最高の遠距離技を発動する。

「――鎌首を上げなさい、青龍!」

 水が溢れ出し、それが龍を象って葉子へと直進していく。しかし葉子は無言のままに手を小さく引いて、

「この程度の攻撃が」

 まるで何かに触れるように軽く差し出した。

「私に通用するとでも?」

 その手が青龍に触れた瞬間、青龍はまるで体内に爆発物でも仕込まれたかのように一気に破砕した。

 青龍の名残とも言える水の雨にその身を濡らしながら、エクレールはただ愕然と葉子を見た。

 エクレールは理解してしまった。彼我の力の差を。

 勝てない。このままではどうやったところでエクレールでは葉子には勝てない。

「ようやく気付きましたか。力の差を」

 葉子がゆっくりと歩いてくる。余裕だと言わんばかりの、速度で。

「さて、どうしますか? 命乞いをするなら助けてあげても構いませんが?」

「はっ。誰がそんなことを。わたくしは誰に従ったりもしませんわ」

「強がりも程ほどに。それに、あなたはカノンの味方なのでしょう?」

「別にカノンの仲間になった覚えもありませんわね」

「なら何故あの魔族を助ける、なんて真似を? まさか気紛れだとか苦しい言い訳でもする気ですか?」

 気紛れ。確かにそういったところがあったかもしれない。

 いや、最初は間違いなくそうだった。けれど、それは徐々にそうではなくなった。

 ……あの少女と触れていく過程で。

「わたくしは……もうあの頃のわたくしとは違いますわ」

 あぁ、認めよう。自分は、思ってしまったのだ。

「わたくしは――亜衣(、、)の味方です」

 この少女――亜衣を、守ってやりたい、と。救ってやりたい、と。助けてやりたい、と。

 そう、思ってしまったのだ。

 誰かに指し示された道ではなく、自らの意思(、、、、、)で、そう思えたのだ。

 だから、ここで引き下がるわけにはいかない。

 エクレールは亜衣に「先に行け」と言ったのだ。

 ならば追いつかねばならない。どれだけ勝率が低くとも、それを成し遂げて追いかけねば。

 そうでなければあの泣き虫がきっとまたボロボロと泣き出すだろう。

 その光景を想像し、僅かに笑みを浮かべて――エクレールは言った。

「次が全力ですわ。わたくしの全身全霊を持って、あなたを倒します!」

「やれるものなら、どうぞ」

 エクレールは己が魔力を全て使いきるつもりで、剣に集約した。

 次が無くても構わない。だから、ここを乗り越えられるだけの力を、いま、……ここに!

「鎌首を上げなさい……! 青龍ぅぅぅぅぅぅッ!!!」

 瞬間、都合二十匹もの青龍がエクレールの周囲から湧き上がった。

 

 

 

「こっちです! この先、に――!?」

 亜衣たちが駆けつけたとき、そこはもう凄まじい参上だった。

 どのような戦い方をすればここまでできるのか、というほどの荒れ様。

 そして崩れた壁の先。中庭でいまエクレールと葉子が対峙していた。

 エクレールの周囲には、とんでもない魔力を内包した水の龍がうねっていて、そしてエクレールの号令と同時に葉子へと襲い掛かるところだった。

 その後の状況を、亜衣はただ見ていることしかできなかった。

 そして、叫んだ。

「エクレールさんッ!!!」

 

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」

 エクレールの剣が指揮棒のように勢い良く振り下ろされる。

 それを合図に周囲で猛っていた青龍が一斉に葉子へと殺到していった。

 目の前の光景が全て青龍で埋まるほどの規模。葉子もさすがにしっかりと構えを取る。

「やりますね。ですが……」

 広がり、迫る青龍の牙。右も左も上も正面も、どこもかしこも青龍のアギトで世界が埋まる。

 だが、殺到するそれらを、葉子は次々と破砕していく。

 その不可視の力で青龍を寄せ付けない。一匹一匹とまた消し飛ばされていく。

「やはり私には届きませんよ」

 そうして青龍を駆逐する。残りが五匹を下回り終わりが見えてきた……というところで、

「――?」

 葉子は違和感を覚えた。その違和感が何であるかわからないままもう一匹の青龍を破砕させ、

 ……刹那、後ろから踏み出すような音を感じ取った。

「!?」

 ハッとして振り返った後ろ、そこには超高速で剣を振り被っているエクレールがいた。

「まさか……自らの最大の技を囮にしたというのですか!?」

「いまさら気付いても、遅いですわッ!!」

 そう、遅い。既に距離は必殺の間合い。エクレールの「ラトゥール・セイオ」なら葉子の腕よりも早くその首を跳ねることができる。

「取ったッ!」

 エクレールはそう確信し、最後の力を振り絞ってその剣を振るう。

 ――が、

「!?」

 その一撃は、葉子の首の手前で見えない壁にぶつかったかのように止まった。

 それは……葉子の不可視の力。

「まさか――それは手以外の場所にも展開できましたの!?」

「いまの一撃。不意を突いた大変見事な一撃でした。ですが――惜しかったですね。もう少し早ければ私の首を落とせたでしょうが」

 手にしか力を使えない、わけではない。

 手が最も素早く力を構築できる。ただそれだけのことだった。

 愕然とするエクレールに対し、しかし葉子はただ平然と事実を告げて、残りの青龍も消し飛ばされた。

 もう、手は無い。

「あなた程の人を殺すのは勿体無い気もしますが――仕方ありませんね」

 まずい、と思うが身体はもう動かない。エクレールはそれこそ全ての力をいまの一撃に込めてしまったのだから……!

 葉子の目がエクレールに向き、

「さようなら、強き剣士」

 葉子の魔手が伸びる。

「エクレールさんッ!!!」

 亜衣の悲鳴が耳を穿った。だが――、

「――その五臓六腑、破裂してお逝きなさい」

 無情にも、その一撃はエクレールの腹部に直撃した。

 

 

 

 あとがき

 はい、ども神無月です。

 うん、嫌なところで切ったかしら?w

 多くは語りますまい。次回明らかになります。

 ちなみに稲妻とはエクレールの直訳です、はい。

 ではまた。

 

 

 

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