神魔戦記 第九十四章

                   「人形遣いと弟子二人」

 

 

 

 

 

 その室内は、もう見事なまでに荒れ果てていた。

 この場を一見して「人が住んでいる」と考えられる者はまずいないだろう。

 そう感じられるほどにいろいろなものが散乱したフロアの中央やや奥には、しかし人がいた。

 ゴミなのか書類なのか判断できない紙の山に埋もれたデスクに肘を置き、ボーっと外を眺めている女性。

「やれやれ、まさかこうまで鈍るとはな……」

 暗鬱な嘆息と同時に手に持っていた紙を放り出したその女性は、蒼崎橙子。

 王国ムーンプリンセスの某所にて建設業で生計を立てているという一風変わった魔術師である。……のだが。

 足元やデスクに散らばった紙。実はこれ全てゴミではなく仕事の書類であったりする。

 それら書類を整理、どの仕事を優先すべきか抜粋し順序立てていくのはここの従業員である黒桐幹也の仕事であった。が、その幹也はいまカノンの相沢祐一――いまでは国王だが――の依頼でここにはいない。

 とはいえ、橙子はもともと一人でこの仕事をやってきた。幹也がいなくなろうとなんら問題はないと思っていたのだが……。

「……任せすぎた、ということかな」

 幹也が幹也なりに整理してしまったツケか。

 いざ橙子が手を出そうとしても既に書類がどこにどのように置かれているかわからず、そしてどう整理すべきか忘れている始末。

 挙句その間にも依頼は増え、現状にっちもさっちも行かない状況になってしまっている。

 橙子としてはもういっそ全てを投げ捨てたい気分になっていた。しかしそんなことをすれば生活できない。この事務所はいつでも資金難だ。

 さてどうしたものか、とどこか現実逃避気味に窓から外を眺めていると、

「ん?」

 不意に鳥が窓の淵に止まった。

 ただの鳥……ではない。魔力のラインがうっすらと感じ取れる。何者かの使い魔だ。

 そしてその胸には首から吊り下がるようにして書簡があった。

「ふむ。以前にも似たようなことがあった気がするな」

 とはいえ役目を終えなければこの鳥も帰れまい。窓へと近付き、鳥の首から紐で括られたその書簡を外した。

 が、鳥は帰る素振りを見せない。まだ役目がある、ということだろうか。

 ともかくこの書簡を見ないことには始まらないか、と橙子は再び椅子に座って書簡を広げた。

 封にはカノン王国の紋章。どうやら勘は当たったらしい。カノンにいる知り合いなんて二人しかいないのだから。

「……ほう」

 差出人は、相沢祐一。

 その内容は――、

「同盟国エターナル・アセリアの新技術のための建設家、か。ふむ、魔術的建造物というのはなかなかに興味深いな」

 魔術的な概念を施した建築物というのはなかなか珍しい。

 というのも、規模が大きいので魔術師だけではどうにもならないためだ。魔術を知らない建築家との相談はどちらにとっても効率が悪い。

 そんなこんなで、それらの技術に着手している国は、技術大国のトゥ・ハート王国くらいだろうか。

 ……どこまで本当か知らないが、空を飛ぶ巨大な船を建造中だとか。まぁ根も葉もない噂かもしれないが。

 ともあれ、エターナル・アセリアとなれば大賢者ヨーティアのいる国。そしてこの建築物は彼女が着手したものであるという。

 だというのなら、なおさら興味が湧く。魔術師にして建築家である蒼崎橙子からすれば両方の意味で。

 かてて加えて、この礼金もなかなかにそそられるものがある。さすがは王、太っ腹というところか。

 いま抱えている仕事を全てやり遂げてもこの額には届くまい。

 一石二鳥どころか三鳥、現状から考えればかなり美味しい話であった。

「なら……迷う必要もないな」

 どこになにがあるかわからない仕事より俄然やる気が出る。

 ここからカノンまではそれなりに時間が掛かるが、ともすれば早いに越したことはないだろう、と橙子はすぐに遠出の用意を始めた。

 

 

 

 と言っても、用意するものなんて代えの服程度しかない。

 とりあえずあちらは戦地。何があるかわかったものではないので護身用のトランクに一緒に服を突っ込んだ。

 なんだか嫌そうな顔をしていたが、そんなこと知ったことではない。

 というわけで準備は完了。あの鳥はカノンに向かう旨を記した手紙を足に括りつけた途端飛び去っていった。

「さて……行くか」

 祐一の手紙を手に持ちつつ、既に放置する気満々の仕事の書類を気付かぬうちに踏みつけながらドアへと近付き、

「おや」

 こちらが手を掛けるよりわずかに早く、一人でに扉が開いた。

 無論何か特別な要因があったわけではない。ただ単に反対側にいた者が扉を開けただけのこと。

 そしてここに来る人間などそうはいないわけで、かつ幹也と式がいないことを考慮すれば残るのは二人しかいなかった。

「あ、橙子さん?」

 扉を開け、こちらを見上げる顔はやはりその一人だった。

 背中まで届く艶やかな黒髪と、そこから覗く鋭い視線。キリッとした様相を見せるこの少女の名は黒桐鮮花。

 黒桐、という苗字からわかるようにあの黒桐幹也の妹でもある。

「そうか。来ていたのだな」

 彼女がこの建物に入ってきていたのは気付いていた。

 ここは職場かつ橙子の工房でもある。一種の結界を張り巡らせているため、人が入り込めばすぐにわかる。

 が、それでも存在を忘れていたのは建物に入ってからこの部屋に来るまでに随分と時間が掛かっていたからだ。それに、

「鮮花。今日は来る日ではなかったはずだが?」

 鮮花はとある人物を見て魔術に興味を持った。それ以来橙子を師と仰ぎ、魔術を習っている。

 とはいえ橙子も仕事がある。毎日見てやることもできないので、隔日にしていたはずだが……。

「いえ、藤乃の様子を見に来たんです。さっきまでは藤乃の訓練に付き合っていました」

「はい。鮮花に付き合ってもらいました」

 声は鮮花の後ろから。

 そこにはさらりと絹のような髪を靡かせ、鮮花とは正反対のほんわかとした笑顔を貼り付けた少女が小さく一礼した。

 浅上藤乃。鮮花の親友であり、とある事件以来橙子のもとで自らの力の制御に勤めるようになった少女。

 今日も藤乃は下の階で能力の制御訓練をしていたはずだ。鮮花と合流したことで休憩でも取りに来たのだろう。

「なるほど。そういうことならおかしくもないな」

「ええ。というわけで休憩がてら上がってきたわけですが――それより、どこかにお出かけですか橙子さん?」

 橙子が後ろで転がしていたトランクを見て、鮮花。

「あぁ。少し遠出だな。だからしばらく事務所は休む。自習するなら来ても良いが、私はしばらく留守にするからそのつもりでいてくれ」

「はい。それは構いませんが……どこへ?」

 さて、ここでカノンと答えて良いものだろうか、と一瞬悩んだ。

 以前幹也がカノンに向かったとき、どうも幹也が鮮花にあっちへ向かうことを伝え忘れたらしく、しばらくは不機嫌な日々が続いていた。

 なので幹也がカノンに向かっていることは知らないはずだが……下手に何か言う必要はないか、と決断。ここまでおよそ一秒。

「ちょっとした野暮用だよ。昔の知り合いに仕事を頼まれてね」

 嘘ではない。人間下手な嘘をつくとボロが出るので、真実を告げて明確な部分のみ隠す方がばれにくいのだ。

 案の定藤乃はそうなんですかー、と疑いもなく頷いた。

 ……だが、

「……橙子さん。何か隠していますね?」

 鮮花はそれに気付いたようだった。

 さすがに鮮花は鋭い、と思う。幹也の妹なだけはある。

 そして鮮花は気付くだけでなく、橙子の言葉から推察を繰り広げていく。

「橙子さんのことですから、嘘は言わないでしょう。はぐらかすことなんてしょっちゅうですが。

 ですけど、私たちに無関係の話題で中核となる部分をはぐらかすのはおかしいですね。ということは、私たちにも少なからず関係あること……」

 考え込んでいた鮮花がゆっくりと橙子を見上げ、

「……もしかしてその仕事、兄さんが絡んでいるのではないですか?」

 そこまで行き着くか、とむしろ驚きより感心してしまった。

 確認しているが、既に鮮花の中では確信しているのだろう。目には怒気がありありと込められている。

 誤魔化す……ことはもう無理か、とも思うがここで「そうだ」と頷いた場合鮮花はどうするだろうか。

 ……考えるまでもない。自分もついていくと言うに決まっている。

 それはなかなかに面倒なことだ。故にこのまま知らんぷりで通り過ぎてしまおうとして、

「む」

 不意に、持ったままだった手紙の端の部分だけが破れた。

 自然現象での破れ方ではない。明らかに人為的な破れ方。この距離でこのような芸当ができるのは一人――藤乃しかいない。

 そして一瞬で橙子との間合いを詰めた鮮花がその紙をしっかりとキャッチしていた。

「ほう、チームプレーというやつか」

 鮮花は手紙に気付いていたようだが、藤乃はそんな素振りはなかった。

 会話をしているようでもなかったが、二人はアイコンタクトで意思疎通をしたらしい。伊達に親友と言い合ってはいないようだ。

「やれやれ」

 知り合いだからと油断していたことを差し引いても、してやられた気分だ。

 そうして鮮花は奪取した手紙に目を通し、――そして目の色が変わった。

「……ちょっと待ってください。これ、あの祐一兄さんの手紙ですか!?」

「あぁ、そうだよ」

「そうだよ、って!? それに、ここ! ここ、幹也も頑張ってくれてる、ってまさか幹也はカノンにいるんですか!?」

 よっぽど驚いているのか慌てているのか。文面に指さす鮮花の、幹也の呼び方が兄さんではなく呼び捨てになっている。

 心の中や一人でいるときはそう呼んでいるようだが、それが口に出てしまうほど鮮花にすれば予想外のことだったのだろう。

「今回の一件は祐一の頼みということもあって幹也が自分で行くことを決めたことだ」

 金を使い込んでしまっていたので橙子もかなりプッシュした、という事実はこの際隠しておくことにする。

 すると鮮花はうっ、と呻き、

「……そうですね。祐一兄さんの頼みなら、兄さんも聞き遂げるでしょう。あの二人、仲は良かったですし……」

 鮮花は橙子同様祐一と面識があるし、なにより幹也と祐一の仲も知っている。

 祐一の頼みを幹也が断るわけが無い、というのは鮮花としてもわかることだったのだろう。

「あ、あのー」

 と、そこで一人置いてけぼりだった藤乃がおずおずと手を上げた。

「どうした浅上?」

「い、いえ。その祐一さん、というのはいったいどなたかと……」

「あぁ、そうか。浅上は祐一と会ったことはなかったな」

「はい」

「そうだな。簡潔に言えば……半魔半神でカノンの現国王であり黒桐の親友だ」

「……え!?」

 驚くのも無理はないのかもしれない。いま言った三つの単語それ全てが驚くに足る用語ではあった。

「とにかく、だ。私は祐一に頼まれた仕事があるからカノンに向かう。君たちはここで留守番でもしていてくれ」

「嫌です」

 が、やはりというかなんというか、鮮花からすぐさま拒否の言葉が放たれた。

 次に飛び出す言葉も容易に想像できるが、それでも橙子はとりあえず聞いてみた。

「何故かな?」

「決まってます。私も行くからです」

「おいおい、学園はどうするつもりだ?」

「ご心配なく。それはこちらでどうにかします」

 やはりそうくるか、と橙子は隠す素振りもなく大仰に嘆息した。

「祐一兄さんのことは信頼していますし、橙子さんのお仕事だけというのならそれでも構いませんが、兄さんがそっちにいるというなら話は別です。

 カノンはいま戦時中なのでしょう? そんなところに兄さんを置いてはおけません」

「なら連れ戻すとでも言うのかい?」

「いえ、祐一兄さんと兄さんの間のことに口出しするつもりはありません」

「なら?」

「だから私も行くのです。私の目に入る範囲にいてくれれば、私も安心できますから」

 毅然な態度で言い放つ鮮花に、橙子は軽く頷く。が、その口元に不敵な笑みを浮かべ、

「なるほど。……しかし、目に見える範囲にいれば安心する、というのは何もそれだけではあるまい?」

「っ」

「鮮花。君は黒桐が式と一緒にいるのが気に喰わないんだろう?」

「なっ――!?」

 ボッ、と。まるで顔に火が着いたように赤くなる鮮花。普段の毅然な態度など消し飛んだかのような仕草に橙子はニヤニヤと、

「そうならそうと言えば良いだろう? 正論を翳すのも大いに結構だが、ときには自らの我侭を相手にぶつけるのも悪いことではないぞ?

 特に私はそういう人間味たっぷりな理由の方が頷ける」

 真っ赤になって動かない鮮花に橙子はご満悦な様子で口元を意地悪く吊り上げた。

 やられっぱなしは趣味じゃない、とでも言いたげな橙子を鮮花は恨みがましく睨みつけ、

「――先輩と式さんが一緒にいるんですか?」

 突如底冷えするような声音が二人の間に割り込んだ。

 あまりの声に恐々と振り向く視線の先にいる者は無論、

「あ、浅上?」

「藤……乃?」

 そこにはいつも楚々としている藤乃の姿はなかった。

 ただクスクスと、不敵かつ妖艶な笑みを浮かべる魔性という言葉がぴったりの少女がいて、

「そうなんですか。先輩が式さんと二人で遠い異国の地で……。ふふふ、あらやだ、わたしったらはしたない笑いを……。

 えぇ、そうですね。それはいくら式さんでも許せませんね。もしかしたら先輩の貞操の危機かもしれませんし。えぇ、ホントに」

 正直、橙子も鮮花も心の底から怖いと思った。

 この浅上藤乃という少女。普段は優しくも楚々とした可憐で麗しく、どこか抜けた魅力溢れる少女なのだが。

 ……こと幹也のこととなると――特に女性関係となるとこうして時々豹変するのだ。

「それじゃあ、鮮花。早速身支度をしましょう? 橙子さん、それまで待っていてくださいね?」

「ちょ、ちょっと藤乃、待って!」

「……あぁ、そうだな。待たせてもらおう」

 さっさと部屋を出て行く藤乃を慌てて追いかける鮮花と反論せず従う橙子。

 こうなってしまった藤乃は親友の鮮花であっても止まらない。……しばらく時間が経って藤乃の頭が冷えるまで続くのだ。

 ……橙子としてはこの状態の藤乃と戦っても勝つ自信はあるが、正直苦戦は強いられるだろう。

 それだけあの状態の藤乃は脅威なのだ。幹也関連であるなら、下手に口出し手出しはしないほうが無難だ。

 馬に蹴られてなんとやら、である。……それ以上の脅威だが。

「やれやれ。結局こうなったか」

 壁にトランクをかけて、その上に腰を下ろし煙草に火をつける。

 鮮花も藤乃も。幹也が絡むとどうにも積極的になりすぎるきらいがある。まぁ十代の恋なんてそんなものか、とも思うわけだが。

「――ふぅ」

 煙を吐き、カノン王国がある方向を見やり、

「これで面倒なことにならなければ良いんだがな」

 ま、そこは祐一にどうにかしてもらおう、と他人任せに自己完結した。

 

 

 

 あとがき

 はい、ども神無月です。

 というわけで今回は橙子さんがカノンに向かうというお話でした。ついでに弟子二人も。

 で、黒桐鮮花&浅上藤乃、出場です。いやぁ、ようやく出せましたよこの二人。

 でですね、えーと藤乃。彼女の無痛覚は既に完治している、ということになっております。

 その上であの能力の制御訓練を橙子の下で行っている、という設定になっています。はい。

 とういうわけで橙子一向カノンへ。まぁ距離の関係上到着までまたしばらく掛かりますが……。

 さて、次回。場面はクラナドへ飛びます。

 いよいよ「キー大陸編」も中盤ラストです。ではまた。

 

 

 

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