神魔戦記 間章 (九十四〜九十五)
「秋生」
「あー。暇だなこんちくしょう」
時は昼時。
食材を扱う店なら掻き入れ時であるこの時間でも、しかし古河パンの店主たる古河秋生は暇を持て余していた。
とはいえ、古河パンが盛況なことなんて滅多になかったりする。
秋生の作るパンは美味いと評判なのだが、同じくらい早苗の作るパンが不味いと評判なせいだろう。
そのため彼は店番を放棄し、外でのんびり空なんかを眺めつつ煙草を噴かしているわけだ。
「……嫌な空だなぁ」
天気は曇り。いつ雨が降り出してもおかしくないだろう。
やはり気分としては雨よりも晴れの方が良い。自分もそうだが……窓からの世界しかない渚にとっては、特に。
「そういえばあの小僧、最近来やがらねぇな……」
渚のことを考えてそれが思いつくのは極めて癪なのだが、しかし渚のあの寂しそうな表情を見ているとそれはそれでむかつくのだ。
確か朋也は騎士団が戻ってくるまでの王都警備の任務だけだったはず。既に騎士団は戻ってきているのでそろそろ来ても良いはずだが……。
そこで、ふと嫌な予感が頭を過ぎった。
「……まさか何かあったのか?」
朋也も渚を大切にしているのは見て取れる(というかそうじゃなかったら近付かせやしない)。
彼の性格上、任務が終わればそれこそすぐさま渚の所に来そうなものだ。
が、それがない、ということはつまり――『それができない状況にある』、ということなのかもしれない。
「……チッ!」
考えれば考えるほどその可能性の方が高いように感じてしまう。
秋生はすぐさまポケットから連絡水晶を取り出した。
朋也と渚関連のことでもしも(があった場合に連絡を取り合うためにと朋也と持ち合わせたものだ。
未だ一度も使ったことはなかったが……その水晶に魔力を通す。
「おい、小僧。俺だ。聞こえるか?」
『オッサンか。なんだよ』
すぐに答えが返ってくる。つまり幽閉されていたり……そういった最悪の状況にはなっていないようだ。
安堵も一瞬。しかし、だからこそ余計に腹が立つ。
「おい、てめぇもうとっくに任務終わってるんだろう。そろそろ顔見せたらどうだ? むかつくがあいつも寂しそうなんだよ」
渚、という名前は出さない。どこで誰が聞いているかわからないからだ。……が、
『……』
返ってきたのは、無言だった。
「おい、小僧……?」
『なぁ、オッサン。そっちにも(なにか変化はないか?』
「あん?」
変化? それはどういうことだ。いや、それよりも……、
「ちょっと待て。『も』ってどういうことだ」
『……』
朋也は一拍間を置いて、
『……ここ最近、尾行されてる』
尾行。
それは……不吉な言葉。
「……間違いないのか?」
『間違いない。オッサンだって俺の気配感知の鋭さは知ってるだろ?』
それは知っている。朋也の気配感知はクラナドでも一、二を争うほど鋭い。魔力を封じられているいまでもそれは変わらないだろう。
だが、とすれば尾行はほぼ間違いないということになる。
とすれば問題は『何故』というその一点。
そして朋也がこちらに異常を聞いたことからすれば、
「……もしかして、ばれたのか?」
『わからねぇ。だけど、勘付かれてはいるかもしれない』
「根拠は?」
『尾行しているのは軍の人間。そして俺が軍にいる時よりこうして帰路についているときの方が監視、尾行の人数が多い。
……とすると、相手が知りたいのは俺が『帰った後の行動』、あるいは『帰る先』……』
秋生は舌打ちする。
確かにそういうことなら勘付かれている可能性の方が高い。それもかなり詳しく。
『とりあえずそういうことだからしばらくはそっちに行けそうにない。渚には……上手く誤魔化しといてくれ。
あいつのことだ、このこと知ればまた迷惑掛けただのなんだのと言い出すだろう』
「ちっ。確かにあいつは優しいからな、そうなっちまうだろう。……わかった、そっちは俺に任せろ。小僧、お前はせいぜいへまするなよ」
『わかってる。切るぞ。あまり長い連絡は魔力ラインを読まれる可能性がある』
「あぁ、じゃあな」
魔力を遮断し、通話を切る。
「……やべぇな、こいつは」
朋也の言う限り、どういう経緯でかはわからないが軍が渚の情報をキャッチしたことは間違いなさそうだ。
いまはその信憑性を確認している段階、といったところだろうか。
秋生は極力不自然にならないように周囲を見渡し、気配を探ってみた。
「……ふぅん、なるほどな」
極々小さいものだが、確かに動きのない(気配がちらほらと点在している。
戦闘もできないような監視員、といったところか。下手に強い者を配置しては気配でばれるので、こういった非戦闘員を使うことは珍しくない。
「こりゃあ、時間の問題かもしれねぇなー」
正直、強制突入とかされないだけマシな方だ。あの状態の渚をそうそう動かすわけにもいかないため、そんなことをすれば一発でばれる。
なんせ渚はこうしているいまも魔力が巨大化している状態。魔力抑制の文字魔術が刻まれたあの部屋を出れば、それだけで加速度的に魔力は上昇してしまう。
とはいえ、この状況は静観できるものではない。どうにか対策を取らなければあの時の二の舞になる。
「秋生さん。あまり休憩ばかりも駄目ですよ? そろそろ新しいパンも焼き始めませんと」
と、店からニコニコと笑顔でやってきた女性がいる。
何を隠そう、この女性こそ渚の母親にして秋生の妻である古河早苗である。
「早苗、今日も猛烈に綺麗だぜ!」
「あらあら、ありがとうございます。秋生さんも格好良いですよ?」
「あっはっはっはっは、ま、当然だな」
ビッと親指を突き立てて言う秋生に、早苗は照れた様子もなく平然と返す。
こんなやり取りはこの二人にとっては日常茶飯事のことだ。行き交う人々もそれがわかっているのだろう、温かい笑みを浮かべる者ばかりだ。
「よし、早苗。早速パンを焼きに行くか」
「あ、はい。今日はわたしも焼いて良いんですか?」
「あぁ、もちろんだ」
そうしていつも通りの会話をすませ店の中に戻り扉を閉めて――秋生はゆっくりと早苗に向き直る。
すると早苗もさっきとはまるで違う真剣な表情でこちらを見ていた。
さすがは早苗だ、と思う。さっきの会話の中で異常を感知したらしい。さっきはこっちに合わせてくれたのだろう。
監視の目がある以上外では普通に振舞うしかない。秋生は小さく息を吸い、店の中にある灰皿に煙草を押し付けて、
「ちょっとやべぇ話がある」、
早苗は、まるで覚悟するようにしっかりと頷いた。
「そう、ですか……」
全てを聞き終わった後、最初に早苗から出たのはそんな言葉だった。
「……まぁ、いつまでも隠し通せるとは思っちゃいなかったがな」
早苗も同じ気持ちだったはずだ。だからこそ、出たのがその言葉なのだろうと思う。
早苗はかぶりを振り、
「どうしますか? 渚には?」
「……渚にはギリギリまで言わないほうが良いと思うが……早苗はどう思う?」
「そう、ですね。その方が良いかもしれません。とりあえず朋也さんが来てくれるまでは」
「かも、な」
二人が話すのは店の奥、居間だ。
とはいえ、この二人が店にいないことなど、それこそ日常茶飯事なので怪しまれたりもしない。
日頃の不真面目っぷりがこんなところで役に立とうとは、と内心苦笑。
「ま、とりあえず考えるべきはこれからの行動だな」
「ですね」
といってもできることなど一つくらいしかない。
渚をここから遠ざける。――逃がす、ということだ。
問題は、どこに逃がすか、という一点に限る。
まずクラナド国内は不可能。そもそもクラナドは魔族批判が激しい。中にはそれほど魔族を毛嫌いしていない者もいるが、それでも自分から面倒を背負い込んだりはしないだろう。
とすると国外。渚の体力を考えれば大陸を渡るのは不可能だから、キー大陸内のみとなる。
エアは論外。とすれば、残るはカノン、あるいはワン。
とはいえ、ワンまで渚の体力が持つかは激しく疑問だ。
全ての点を踏まえれば、隣国であるカノンがベストということになる。
しかし、カノンに知り合いなど無論いない。受け入れてくれる先がなければ、全て無意味だ。
……だが、秋生には一つ手があった。
とはいえ、あまり使いたくない奥の手であり、かつ成功確率は限りなく低いとは思うのだが、
――でも、これしかねぇな。
「早苗。一つ案がある」
「はい」
「渚を、カノンに託す」
早苗は、驚かなかった。おそらく早苗も消去法でそこに行き着いていたのだろう。
しかし、その表情は芳しくない。やはり問題は誰に、どうやって託すか、というところになるのだが……秋生は決心していた。
「俺は、カノン王――相沢祐一に託したいと思ってる」
「秋生さん!?」
これにはさすがの早苗も驚いたようだ。ま、そうだよな、と思いつつ、
「成功すりゃここほど安全なポジションはねぇ。エアとクラナドに喧嘩売ってまだ生き残ってる国だからな。力は確かだろ。
それに相沢祐一は全種族共存を謳ってる。実際噂じゃカノンの治安は安定してるようだし、この点でも渚を託すにはちょうど良い」
「それはそうかもしれませんが……でもどうやって渚の件を? 国王もこれ以上の負担は背負いたくないと思われるかもしれませんよ?」
その懸念はある。渚なんて赤の他人のために労力を割く余裕はないかもしれない。他にもクラナドのスパイとか罠だと取られる可能性だってある。
だが、それらを全て覆す一手が存在した。それは、
「……渚が、『古川』の先祖還りだってことを教えてやれば良い」
「秋生さん、それは……!」
「魔族七大名家の血を継ぐ者だと知れば、保護はしてくれるだろうよ」
魔族七大名家のネームバリューはそれだけ大きい。名前が連なるだけでも相手国の牽制に使えるほどの。
「それは確かにそう、かもしれませんが……」
「……いまはそれだけで十分だと思うしかねぇ」
このまま待ってても待ち構えているのは……今度こそ確実な『死』だけだ。
それだけは親として――どうしても避けなければならない。
「早苗、いけるか?」
「……そう、ですね。使い魔に魔術を掛けて気付かれないように送ることはできますよ」
「そうか、ならいますぐ頼む。早いに越したことはないしな」
「はい。わかりました」
文章を書くのは早苗の方が良いだろう。自分は目上の人間に対する言葉遣いなんてわからない。
ご機嫌を伺うようで癪ではあるが、ここで相手に嫌悪感を抱かせてしまっては意味が無いのだ。
その点、早苗はそういうことは得意だ。なんてたって俺の妻だしな、と秋生は心中で意味不明に褒め称える。
早苗ならきっと上手いこと書いてくれるだろう。
そう信じつつ、秋生はゆっくり立ち上がり二階へと足を進めた。
ノックをするが返事がないので、わずかに扉を開けてみる。その部屋の主、渚は既に眠っていた。
「ふっ」
思わず笑みがこぼれ、秋生は起こさないように入室する。そうして渚の眠る布団の横に座り、ゆっくりとその髪を撫で付けた。
「うん……」
くすぐったいのか、小さく声を洩らして渚は身体を揺らした。
そんなちょっとした行動も、いとおしい。
なんと言っても、この渚は自分と早苗の愛の結晶なのだから。
「……なのによぉ、お前にはいつもいつも辛い思いばっかりさせちまってるな」
渚はただ生まれただけなのに。
先祖還りなんていう持ちたくもない特殊能力を背負わされ、それにより湧き上がる魔力に身を苦しめられて。
人間族なのに魔族扱いされて殺されそうになり、それを助けた渚の大好きな人間の道を閉ざさせてしまった。
全て、全て、渚を苦しめる。
どうしてこの子が、と。この子が何か悪いことしたのか、と。神に対して恨みを抱いたこともある。
それでもいじらしくも微笑みを浮かべる渚に、何度この言葉を言いかけただろう。
ごめん、と。
でも渚はきっとそんな言葉はいらないと言うはずだ。この子はとても優しくて、そして強いから。
だから秋生も絶対に言わない。
そんな自分のエゴによる言葉を押し付けて、渚の存在を否定してはいけない。
ごめん、と言ってしまったら。それは『生んでしまってごめん』ということと同義で――それはつまり渚の存在を否定することになってしまうから。
だから、言いたくても言わない。それは親として、絶対に言ってはならない言葉のはずだ。
だからこそ秋生は、別の言葉を言い続けていた。
渚が表面上微笑んでいて、しかし夜な夜な悲しみに、苦しみに、涙を流していることを知っていても。
それでも、意地のようにこう言ってきたのだ。本心から、万感の想いを込めて。
「生まれてきてくれて、ありがとう。渚」
誰が渚を迫害しようとも、自分たちが渚を守る。
誰が渚をいらないと蔑んでも、自分たちには渚が必要で。
誰が渚を恐怖の目で見ても、自分たちはその笑顔に救われた。
なんてことはない。
渚は、娘だから。
血を分けた、我が子なのだから。
だから、何でもしようと思える。……戦える。
「……」
秋生はもう一度渚の頭を撫でて、部屋を後にした。
そのときの秋生の表情は……どこまでも無敵な、絶対幸せの笑みだった。
曇り空からわずかにポツポツと雨が落ちてきた頃。
いつかと同じ屋根の上。やはりあのときと同じく二人の人影がそこにはあった。
「葉子さま。使い魔の気配を感知しました」
「見えませんが、何か特殊な細工を?」
「そのようです。どういった術かはわかりませんが、気配も微細、姿も見えない。……さすがは古河早苗さん。元宮廷魔術師ですね」
「感謝します。やはりあなたの広域結界は使えますね、理絵」
「いえ……」
人影の一つ、鹿沼葉子に言われ、その隣に跪く少女――仁科理絵が小さく首を振った。そして葉子を見上げ、
「それで、どうしますか? 撃退しますか?」
「いえ、見逃します」
その言葉に理絵が軽く驚く。そんな理絵に葉子は視線すら向けず、
「今回の目的はあくまで確認ですから。……方角は、やはりカノンですか?」
「え、あ、はい。そのようです」
「でしょうね、頼れるところはそれしかないでしょう……。が、逆にそれこそ好機」
どういうことなのか、と疑問に思う理絵に葉子は一瞥をくれ、
「とある筋の情報で、あの王はこの手の騒ぎになると必ず自ら動くのだそうです」
「!? つまり……」
「ええ。相沢祐一王は必ずここに来る。そして――」
普段、あまり笑わない葉子が僅かに……しかしハッキリと不敵な笑みを浮かべて、言った。
「一網打尽です」
あとがき
どもども、神無月です。
と、いうわけでクラナド編。秋生です秋生。
今回はちょっとこれをやらないと次の話に繋がらないので先に間章という形になっております。はい。
で、次回の間章はおそらく美咲です。
ではでは〜。