神魔戦記 第九十二章

                     「遠野と相沢」

 

 

 

 

 

 カノンにもようやく落ち着きが戻ってきた。

 エア、クラナドともにそれらしい動きを見せていない。なのでカノンとしても国内に関する事象を片付ける絶好の機会だった。

 ……というわけなのだが、城や街の被害報告やらその精算、出費、兵の被害やその対応、それだけではなくそれまでに溜まったその他雑務と山のようにやることがあった。

 それを体現するかの如く、祐一の机の上には文字の通り書類が山となって連なっていた。

「……さすがに、これは――」

 きついな、と言おうとしてその横にさらにどさっと書類の山が積まれた。

 新たに増えた書類を疲れた目で見るその先に、甲冑を着た凛々しい少女の姿が映る。

「エフィランズの民の避難に関しての費用やその他雑費の報告書です。目を通しておいてください」

「敬語は良い。しかし……なぁ、香里。もう少しどうにかならないものなのか?」

 しかし香里はしれっと、

「……ならないわね。計算関係は全てシオンの管轄だったんだから」

 言外に、そのシオンを使者として出したのはあなたでしょう、という皮肉が込められていた。

 香里としては財務や経済関連を一人で掌握していたシオンが抜けたのは、統括する身としては痛かったのだろう。

 なのでそのちょっとした報復とでも言おうか、そんな感じでそれらに関する事項はほぼスルーで祐一に通していたりした。

 その他の案件を全て任せている香里にはさすがに文句も言えないのか、仕方なしというように祐一が書面に目を通していく。

 とはいえ、香里が計算系をスルーして祐一に渡しているのはなにも報復だけではない。

 祐一はもともと計算が早いのだ。香里がやるよりも祐一がやった方がそれこそ早く終わる。……まぁシオンには遠く及ばないわけだが。

「シオンは今頃エターナル・アセリアで上手くやっているだろうな」

「彼女はどこででも上手くやるわ。きっと」

 数字を目で追いながら頭の中で暗算しつつも会話を続けられる祐一に香里は心中で舌を巻きつつ答える。

 おそらくそんな芸当自分はできないだろう……と考えて、一つ重要なことを思い出した。

「あぁ、そうそう。エターナル・アセリアで思い出したけど、ついさっきこれが届いたわ」

 そう言って香里は懐からある物を取り出して祐一に差し出した。

 書類から頭を上げ、受け取ったそれは、

「書簡?」

「ええ。王国エターナル・アセリアから送られてきたものよ」

 裏を返せば確かに王国エターナル・アセリアの紋章が刻み込まれている。

 祐一は一旦計算を止めて、その書簡を読むことにした。封を開けてその内容を読み進めていくと、

「……ほぉ」

「なんて?」

「以前レスティーナが言っていた新技術が完成したらしい。近々それをカノン、シャッフルに設置したい、とのことだ」

 三国同盟の会議の際、去り際にレスティーナが言っていた言葉を思い出す。

 あの女王が絶対の自信を持っていたような技術だ。一体なんだろうか、というある種の楽しみもある。

「だが……」

「どうしたの?」

「いや。そのために優秀な建設家を数名用意していて欲しい、とのことだ」

「建設家……。それはなかなか難しいわね。カノンにそうと言えるほどの建設家はいないし……」

 香里の言うと通り、カノンにはそれほど優秀な建設家はいない。

 祐一たちが攻め込んだのが原因、というわけではないようだ。香里曰く、もともとそういう人材に欠けていたらしい。

 しかし国内にいないとなると国外から招かなければならないわけだが……。

 と、そこで思いついたことがあった。

「――いや、その件に関してはちょっとした当てがある。そこは俺に任せてくれ」

「そうなの?」

「あぁ。国外に一人、建設関係に聡い知り合いがいる。そいつに頼んでみることにする」

 まぁあの人間はなかなか出不精だがどうにかしよう、と祐一は手近な紙を取り筆を走らせる。

 出来るだけ言いくるめられるような言葉を選び、それを書き連ねていく。

 そうして封筒に入れ、カノンの印を押し、使い魔の鳥を召喚しその足に括りつけて窓から放った。

「使い魔……。ってことは連絡水晶じゃ届かないほど遠い場所なのね」

「まぁ、そうなるな」

 とりあえずこの件はこれで終わりだ。あとは向こうの連絡待ち、ということになる。

 さて、と一つ息を吐き改めて計算に戻ろうとして、コンコン、とノックが聞こえてきた。

「入れ」

「失礼するわよ」

 促して入って来たのは、眼鏡をかけて紫がかった外套を羽織ったルミエだった。

「ルミエ? どうかしたのか?」

「ちょっと……。私、あなたに呼ばれてきたんだけど」

 お? と祐一は首を傾げる。そんな祐一をルミエは半目で睨みつけ、

「栞に言伝しておいたんでしょう? 暇なときに来て欲しい、ちょっと知恵を貸して欲しいことがある、って」

「あぁ、そうか。そうだったな」

 そう言えば昨日、診療所に向かってもルミエたちがいなかったので栞に言伝を頼んでおいたのだ。

 昨日から今日にかけての公務に忙殺されていてすっかり飛んでしまっていたらしい。

「すまんすまん。呪具改造のエキスパートであるお前に聞きたいことがあってな」

「で、何なの?」

「あぁ、それなんだが――」

 と祐一はそこで言葉を切り、手元の書類、そして次いで香里に視線を向け、

「……すまん、香里。しばらく頼まれてくれるか?」

「えぇ。そんなことになるだろうと思っていたわ。良いわ、行ってきて。彼女のことでしょう?」

 頷く祐一に香里は嘆息しつつ書類を纏め上げていく。

 とりあえず途中までの計算を書き記しつつ、祐一は香里と交代して立ち上がった。

「さて、ルミエ。ちょっと着いてきてくれるか」

 

 

 

 ルミエに頼みたいこととは他でもない、芳野さくらのことだ。

 現在彼女は霧島聖の呪具、『ブラッディセイバー』をその身に宿したまま美咲の魔術によって封印されている。

 その呪具を解除する方法は三つしかない。

 呪具所持者による解除、あるいは霊的医術による摘出、または呪具エキスパートによる強制機能停止。

 そして呪具改造のエキスパートであるルミエにならどうにかなるのではないか、という旨を地下牢に向かうまでに当人に話した。

 だがそれを黙って聞いていたルミエはやや難しそうな顔をする。

「……とにかく、見てみないことにはなんともならないわ」

 というわけで地下牢までやって来た。

 地下牢の一画に置かれた氷柱。その中では右腕を失ったまま眠るようにして浮かぶさくらの姿がある。

 そのさくらをルミエは凝視し、氷柱に近付いて何かを探るようにゆっくりと手を添える。

 その間ずっと黙っていた祐一は、ルミエが氷柱から離れるのを見計らって声を掛けた。

「どうだ?」

「正直、私じゃどうにもならないと思うわ」

 ルミエはその氷柱を見上げながら、

「そもそも呪具の強制解除っていうのは呪具にかけられた(まじな)いを封印、あるいは遮断することを指すの。

 けど、これってつまりゼロから呪具を作り出す工程を逆にやっていくことだから、製作者、しかもそうとうの実力者じゃないとできないこと。

 しかもこの呪具はかの『乃亜』が創り出した原初の呪具。これを強制解除できるとなれば……そうね、トゥ・ハート王国の小牧姉妹くらいかしら。

 私はあくまで改造メイン。私は既に作られたものを改良、合成、強化、そういった方法で踏みにじるのが主流だからね。

 創造や破壊、っていうのは……ごめん、専門外だわ」

 ルミエ自身歯痒いのか、わずかに顰めた表情で嘆息する。

「そうか。いや、お前が悔やむべきことじゃない。気にするな」

「べ、別に私は気にしてなんか……!」

 そこで声を荒げるルミエに首を傾げる。

 他者を想うことを弱み、とでも思っているのだろうか。

 ……いや、元盗賊家業からするとそういうものなのかもしれないな、と祐一は敢えて突っ込みはしなかった。

 そんな祐一の視線に何を感じたのか、怯むようにルミエは身体を揺らし、あぁもう、と視線を逸らしながら髪を掻き上げ、

「……でも、そうね。まだ諦めるには早いかも」

「なに?」

「シャルがね、原初の呪具に詳しいの。彼女ならもしかしたら何か解決の糸口を見つけられるかもしれない」

「そうなのか?」

「ええ。まぁどうして詳しいのかは本人もわかってないみたいだけど……」

 ――本人もわかっていない?

 それは一体どういうことだろうか。

 その疑問がわかったのだろう。ルミエは眼鏡を正しながら口を開く。

「シャルはね。ルリエンダ様に引き取られる前の記憶が無いのよ」

「記憶が、無い?」

「そう。まぁ戦争孤児だから。そのときの影響で記憶を失っている、ってパターンは決して珍しいことじゃないけどね。

 でも、何故かシャルは原初の呪具について詳しかった。どうしてかは、わからないけどね」

 ルミエはやや悲しそうな目で床を見つめ、

「……この前シャルは盗賊業を始めたのは金を手に入れるためだ、って言ってたでしょ。確かにその通りなんだけど、彼女にとっては違うのよ。

 シャルが私たちと一緒に盗賊業をしていたのは、呪具なんかに触れる回数が多くなるから。国の宝物庫に呪具があるのなんて珍しくないしね。

 ……そうして呪具を追っていけば、いつしか記憶が戻るかもしれない、と。そう思ってるのよ」

 呪具はただ一つ、彼女の生まれに関係していそうな手がかりだから、とルミエは呟いた。

「――」

 人には人の数だけ、想いがあるし、過去がある。

 特に戦いに加わろうとする人間はそれぞれ大なり小なり理由を胸に秘めて戦場に立つだろう。

 祐一が全種族共存を目指し戦うように。ルミエが育ての親であるルリエンダのために戦うように。シャルにもまた、別の理由があった。

 あの笑顔の裏には、いったいどれだけの想いが秘められていたのだろう。

 まだあまり長い付き合いではない祐一には真の意味ではわからない。だが、この少女は別だ。

「……だが、シャルも救われただろう」

「どうしてそんなことが言えるの? 想像しかできないけど、記憶が無いことってとても辛いことだわ。それなのに――」

「そうわかってくれる仲間がいることが、救いだろう?」

 キョトン、とするルミエ。そんな彼女の表情にわずかに笑みを浮かべ、

「俺もそうだったがな。自分のことを理解し、そして協力してくれる仲間がいることの力強さは相当のものだ。

 一人では潰れてしまいそうなことも、仲間がいれば乗り越えられる。……だからあいつは笑っていられるんだろうさ。

 お前や、リディアみたいな、掛け替えのない仲間がいてくれるから」

 その言葉を吟味するようにルミエは黙り込み、そしてわずかに表情を赤くして、

「……よくもそんな恥ずかしい台詞を堂々と言えるわね」

「そうか?」

「そうよ」

 でも、とルミエもやはり小さな笑みを浮かべ、

「……そんな存在で在れたら良いと、思うわ」

 

 

 

 地下牢で分かれたルミエは、

「シャルにも後で聞いてみるわ。だからあなたは自分の仕事に戻りなさい。聖騎士さんが大変そうだしね」

 と皮肉めいた言葉を残して診療所へと戻っていった。今日もまたルリエンダか栞の手伝いをするのだろう。

 とはいえ言っていることはもっともである。香里には負担を掛けっぱなしだ。

 こういう戦いの合間にこそ少しでもその負担を補えるようにしなければ、と廊下の角を曲がり、

「お?」

「あ……」

 バッタリと。

 遠野美凪と出会った。

「遠野美凪? お前、目が覚めたのか」

「………………えと、どうも、おはようございます?」

 ここで会うとは思っていなかったのか。美凪の性格からすれば珍しいほどうろたえ、挙句混乱の極みとでもいうような台詞が疑問系で飛び出した。

「……とにかく落ち着け。とりあえず、目は覚めたんだな」

「あ、はい。……ついさっき」

 美凪も自覚したのか、やや恥ずかしそうに頬を赤く染め答えた。

 ふむ、と祐一は美凪の様子を見る。確かに一見もう大丈夫そうだ。

「魔力が回復した、ということか。しかしさすがだな。固有結界と紅赤朱を同時展開しても一日程度で回復するとは」

「……おかげさまで。……ありがとうございます」

 ぺこり、と腰を折って頭を下げる美凪に祐一はいい、と手を振る。

「というかお前はどこに行こうとしていたんだ?」

「あ、はい。その……相沢さんにお話がありまして。この前は気絶してしまって……何のお話もできませんでしたから」

 確かに美凪とは話さなければならないことが多少ある。それに祐一個人としても聞きたいことがあった。

「なら、外に出よう」

「外……ですか?」

「あぁ。お前も一応病み上がりだしな。外の空気の方がすっきりするだろう?」

「……お気遣いなく。それに……病気ではないですし」

「まぁ細かいことは気にするな。俺もちょうど散歩に行きたかったところなんだ」

 こう言えば観鈴から聞いている美凪の性格上、断りはしないだろう。

 案の定美凪は数秒考え込むと頷き、

「……わかりました。そういうことなら、お付き合いします」

「それじゃ、行こう」

 まぁ一つ気になるのは香里のことなわけだが……。

 心中で謝りを入れつつ、美凪を引き連れて外へと向かった。

 

 

 

「ん?」

 そうして城を出て城門に差し掛かったとき、門番が困ったように唸っているのが見えた。

 どうしたのか、と見ていたところで仕方ない。美凪に視線を向ければ、どうぞ、という類の目礼が返ってきた。

 それを受け、祐一は門番に近付いていく。

 その途中に気付いた。こちら側からでは見えなかったが、門番の前には小さな少女がいた。

 年の頃はざっと十歳前後だろうか。亜衣よりわずかに小さい背をした元気そうな少女が、花束を抱えて立っていた。

 門番が困っているのはその少女に対する対応だろうか、と軽くあたりをつけ声を掛けることにする。

「どうした。何かあったのか?」

「え……とぉッ!? へ、陛下!?」

 いまのいままで祐一に気付かなかった門番たちが慌てて振り向き敬礼をしてくる。

 祐一は決して気配の小さい方ではないのだが、ここまで接近されて気付かないというのはどうなのだろうか、と心中で嘆息しつつ視線を少女に向ける。

「その子がどうかしたのか?」

「はっ! 実はこの少女は学園の生徒らしくて。教師である芳野さくら様のお見舞いをしたい、と」

 なるほど、と祐一は少女をしっかりと見下ろした。

 着ている制服は確かに学園のものだし、持っている花もそういうことなら頷ける。

 だがいまさくらは現在封印中だ。それを兵も知っている。だがその事実を述べて良いのかどうか、それを迷っていたのだろう。

「あの、王様ですか?」

 少女の視線がこちらに向く。見上げてくる瞳を見て、祐一は視線を合わせるように腰を折り、

「あぁ、そうだ。さくらの見舞いに来てくれたそうだな」

「はい。その……さくら先生、怪我をしたって他の先生が言ってたからお見舞いに来たんです、けど……」

「すまないが、いまは会わせてやれない事情があるんだ。見舞いはできない」

「……そう、なんですか」

「だがその花は受け取っておこう。ちゃんとさくらに渡しておくよ」

「本当ですか!?」

「あぁ」

 見舞いに来た、というその少女の純粋な気持ちは何事にも変えがたいものだ。

 いまはその花を見ることは叶わなくとも、さくらならその話をしてやっただけでも嬉しがるに違いない。

「それじゃあ、王様。お願いします」

「わかった。確かに渡しておこう」

 そうして花束を受け取り、そこで重要なことを聞いてなかったことを思い出した。

「あぁ、そういえば名前を聞いてなかったな。名前は?」

「あ、はい。わたしは高町なのは、って言います」

「ん? 高町なのは……?」

 その名前、確かどこかで……。と、考えて思い出した。

「あぁ、そうか。以前食事時にさくらが言っていた……」

 さくらが意気揚々と話していた『才能のある子』の名が確か高町なのは、だったはずだ。

「え、えと……?」

「いや、なんでもない。ただお前のことをさくらから聞いたことがあっただけだ」

「先生からですか?」

「あぁ。才能がある、ってな」

 すると少女――なのはは照れるように小さくはにかんだ。

 確か人間族でありながら光属性を持ち、魔力操作、魔術コントロールもずば抜けている、とさくらが興奮気味に話していた気がする。

「魔術の勉強は楽しいか?」

「はい、とっても」

 一点の曇りない笑顔に、祐一まで感化されてしまう。そうか、となのはの頭を軽く撫でて、

「頑張れ。自分がしたいと思う事を一生懸命すると良い」

 このような子供たちが、そうやって自分たちのしたいことを笑顔でやっていけるような国を。

 そうであれるように、と。その『頑張れ』は自己に向けたものでもあった。

 するとなのはは満面の笑みを浮かべ、

「はい! 王様も無理をしないで頑張ってください!」

 お、と思わず固まってしまう。

 そんな祐一を知ってか知らずかなのはは軽やかに街へと駆け、最後に一度振り返り大きく手を振って去っていった。

「……素直な良い子、ですね。……とっても純粋で、そして強い」

 そんな祐一の隣に、いつの間にか美凪が立っていた。その表情に微笑を乗せて、

「――本当に、ここは素晴らしい国ですね」

「そうか? そうでありたいとは望むが、な」

 よっと、と立ち上がり門番たちに花束を預け、戻るように目配せする。そうしてもう一度だけなのはが去っていった街を一瞥し、

「さて、道草を食ってしまったな。行こう」

 再び歩き出した。

 

 

 

 王都を出てそのまま東に歩くと林がある。森というほど木が鬱蒼と生えていないここは、適度に陽光が零れ落ちてきて心地良い。

 基本的に寒い気候のカノンであるが、ここはほのかな温かさに満ちていた。

「……なるほど。散歩には……絶好の場所ですね」

「だろう? 王になって早々にな、舞と佐祐理に教えてもらった場所だ。それ以来俺も気に入っている」

 木漏れ日に目を細めつつ、祐一はゆっくりと美凪に向き直った。

「さて、それじゃあ話を聞こうか。俺の話はそのあとで良い」

「……はい。まずは、ありがとうございます」

 そう言って美凪は大きく頭を下げた。そしてそのまま、

「……美坂、栞さんから聞きました。私の部下を、受け入れてくれた、と……。それにミチルや他のみんなの治療まで……」

「頭を上げてくれ。俺は『全種族共存』を目指す王として、当然のことをしただけにすぎない」

「ですが、それでも……ありがとう、ございました」

 そうしてゆっくりと顔を上げ、言いにくそうにしつつ、

「そして……図々しいことではありますが、お願いがあります」

「なんだ?」

「……彼らを、もう戦場には立たせないで欲しいんです」

 美凪はわずかに顔を伏せ、

「……そもそも彼らが兵をやっていたのは、そうでもしなければエアで生きていけなかったからです。

 戦で役に立つから、だからどうにか生かされていた存在でしたから……」

 それも神奈がいなければどうなっていたことか、と後付する。

 美凪は顔を上げる。その瞳に強い意志を宿し、まっすぐに祐一を見る。

「もう、彼らが戦場に立つ理由はないんです。……立たせたくないんです。だから……お願いします」

 美凪は、思う。

 祐一としても第四部隊を戦力として数えていたかもしれない。だからこそ受け入れてくれたのかもしれない。

 だが、それでもここばかりは譲れなかった。だからこそ、言う。

「……もちろん、ただでとは言いません。……私の命を、預けます」

 拳を握り、手を自分の胸へと押し当て、誓うように告げる。

「……私はこれよりあなたの剣ともなり盾ともなりましょう。ですからどうか、彼らだけは、平和に過ごさせてあげてください」

 自分の手は既に血で汚れているから。

 だからこれ以上何があったところで構わない。

 むしろ『全種族共存』なんていう巨大な目標を掲げている者の下で戦えるなら、それはとても素晴らしいことだとも思える。

 だが、それは自分一人だ。

 いままで強要されて戦ってきた者たちまで再び剣を取る必要は無い。

 だが、だからといってただ住まわせてくれ、ではあまりに虫が良すぎる。

 だから美凪は自分だけが戦うと告げた。自分一人で皆の分まで戦いきると、そうはっきりと宣言した。

 その上で、美凪は祐一を敬うように跪き、

「……そう誓ってくださるのでしたら、私の命はどのように扱っていただいても構いません。それが……私の唯一の望みですから」

 そう、それだけが自分の望み。

 ミチルや他の皆が――したくもない戦いに身を投じなくても良いように。

 それが許されるなら、それこそ自分の命すら差し出す覚悟で美凪は頭を垂らした。

 ……だが祐一はなんてこともないように小さく嘆息し、

「命をどう扱っても良い、なんて軽はずみな発言は止めろ。そんなことを言ったら、お前を慕う部下に申し訳が立たないぞ?」

 それに、と続け、

「お前が勝手に決めるな、美凪。お前の部下は、一言でもお前に戦いたくないと言ったのか?」

「いえ、それは……」

 確かに言ったことはない。だが言葉に出さずとも態度が全てを語っていた。戦いたくなんかないのだ、と。

 それに皆は優しいから、自分を気遣っていただけだ、とも思う。

 だが、

「俺としてはお前の要望に答えてやっても構わない。……が、果たしてそれを本当にあいつらが望むかな?」

「……え?」

「お前のために命からがら走ってきて、斬り殺されるかもしれないリスクを負いながらもお前を助けてくれ、と叫んだお前の部下が。

 ――自分たちが戦わずにすむためにと、お前を一人戦場に向かわせると本気で思っているのか?」

「――」

「もし本当にそう思っているなら、お前はまだ部下たちのことをわかってない。

 ……お前が誰よりも彼らを大切に想うように、彼らもまたお前のことを大切に想っているということを忘れるな」

 美凪は目を見開き、……そしてフッと息を抜くように笑みを浮かべた。

「……相沢さんは、すごいですね」

「そうでもない。俺だって、いろいろとあってこういうことがわかるようになったんだ」

 水瀬秋子との戦いやカノン攻略戦。それらの戦いを乗り越えたからこそ、仲間の重みを知った。仲間たちの思いを知った。

 決して自分一人が戦っているわけじゃないことを、しっかりと自覚した。

 だからこそ言える。美凪の部下たちは、きっと戦わないことを望んでいないと。

 だからこそわかる。美凪の部下たちは、きっと美凪と共に在りたいと望んでいることを。

「一人で決め付けるな。皆で話し合え。そうして出た結論なら……しっかりと聞き届けてやる」 

 美凪はその言葉を心の中で反芻するように瞼を閉じ、そして頭を下げた。

 それは先程のような頼み込むためのものではなく……感謝の意としてのものだった。

「私の話は以上です。……それで、相沢さんの聞きたいこととは……?」

「あぁ」

 さて、と祐一は手近な木に寄りかかる。

 話は切り替わる。ここまでは美凪のための話だったが……ここからは自分のための話だ。

「……およそ二ヶ月前だ。お前とは俺が王になる前に一度戦ったな」

「……はい」

 ずっと、あのときから気になっていたことがあった。それは、

「あのとき、お前は言ったな。『あなたと私は似た存在』だ、と。そして、俺のことは父から聞いた、と」

 視線を向ける。

「美凪。お前は一体何を知っている?」

 問うと、美凪はわずかに目を逸らす。

「……やはり、知りたいですか」

 無言で頷く祐一を、美凪は悲しそうな目で見た。だがそれも一瞬。すぐにいつもの無表情に戻り、美凪は空を仰ぎ見る。

「……それを語るには、まず私の生い立ちを説明しなくてはなりません」

 そうなのか? と、問うたりはしない。

 美凪がそう言うからにはそれは必須事項なのだろう。だから黙って聞くことにする。

「……遠野という一族は、ムーンプリンセスとエアに二分されていることはご存知ですか?」

 頷く。

 もともと遠野というのは遥か昔、鬼と交わった人間族の一族だと文献で読んだことがある。

 それがどうして分裂し、片方が神族の家系となったかまでは知らないが、元を正せばそこに行き着くことは知っている。つまり、

「お前の身体にも鬼の血が流れている、ということはなんとなく想像していた。そうなんだろう?」

「はい」

 美凪は一拍を置き、自らの身を抱くように腕を回して、

「……そうして昔に分かたれた遠野は、互いにどちらが本筋であるか……などと意味の無い言い争いをしていました。

 そして……私の父は、その権力を取り戻すために力を求めたのです。そしてその方法は――」

 美凪がゆっくり祐一を見る。そして、

「光と闇の、複合体」

「!?」

 予想外のことに、思考に空白が生まれた。

 光と闇の複合体。

 それは、祐一と同じ……。

「……私の父は、鬼の血を宿した神族。そして父は――私を生むためだけに、母を吸血鬼に咬ませたのです」

「ま、さか……」

「そうです。……母は、死徒化した神族です」

 絶句する。そんな祐一を一瞥しつつ、美凪はどこか自嘲めいた口調で、

「……ですから私は神族同士の間に生まれながらにして、鬼と吸血鬼という四大魔貴族のうちの二つの血を宿したのです」

 なるほど、ようやく理解した。

 美凪が「似ている」と言った理由。それは光と闇の力を同時にその身に宿している、という意味なのだろう。

 祐一と違うのは、両親はもともと神族であり、その中に魔の血が流れていた、ということ。

 祐一のように魔族と神族の間に生まれたわけではないので、多少は安定しているのだろう。いや、衝動などのことを考えれば、

「力を発動しなければほとんど神族と変わらない、ということか」

「……そうです。私の場合は紅赤朱や固有結界を発動して初めて魔の力が動き出します。……感覚的には逆転する、といったところでしょうか」

 通常の状態であれば気配は完璧に神族のものだ。

 だが紅赤朱や固有結界、自己再生は鬼や吸血鬼の力を利用したもの。それらを使えば自ずと気配は神族のものではなく魔族へと変わっていく。

 だから美凪は先天的に『使い分ける』ことで祐一のような不安定な存在にはならなかった、ということなのだろう。

 ……だが、美凪の話はそこで終わりではなかった。

「――ですが、似ていると言った理由はこれだけじゃありません」

 なに、と美凪を凝視する。

 その美凪はやや言いにくそうにしながらも、決心したように振り仰ぎ、

「……相沢さんのお父さんとお母さん――相沢慎也さんと神尾時子さんを巡り合せたのは、私の父なんです」

「なっ――!?」

 それは、あまりに衝撃的な言葉だった。

 目を見開く祐一の前で、美凪は出来る限りというように淡々と語る。

「……ムーンプリンセス側の遠野の当主が秋葉さんのお父様になってからは、どちらかが本家だという争いは不毛だということで終結しました。

 ……父は……ショックだったんでしょう。私を生んでまで求めたものが、不毛の一言で切り捨てられたから……。

 だから壊れたんです。父は。……父の目的は摩り替わってしまった。

 何かを得るために力を求めるのではなく……ただ純粋に力を求めるようになってしまったんです。

 ……そして、自分の存在だけでは限界を感じた父は、他者を利用することに決めました。

 方法は変わらない、光と闇の複合体。……けれど、そのそれぞれが最高の血であれば至高の一品が生まれると、夢想したんです……。

 そこで考え付いたのが――魔族七大名家の相沢と、神族四大名家の神尾との混血……」

 一度そこで区切り大きく深呼吸して、続ける。

「もともと第三師団の隊長だった私の父は王家とも直接の繋がりがありました。

 ……当時の神尾王家の王女は三人いて、郁子さま、晴子さま、そして時子さまがおられました。

 そして三女だからか、時子さまの警備なんてあってないようなものだったそうです。それを利用して、父は時子さまをよく外に連れ出したそうです。

 更に、鬼の血を宿していたことを利用して魔族にも取り入って……相沢慎也さんにも近付きました。

 そうして二人と交友を築いた父は……頃合を見て二人を出会わせました」

「……」

「……いまにして思えば、時子さまを選んだことすら計算だったのかもしれません。

 時子さんは王家の者ではありましたが、三女ということでほぼ無用の長物として扱われていたそうです。

 誰にも相手にされず、かといって外にも出してもらえず。寂しさと孤独を常に感じていた時子さま。

 そして相沢慎也さんは魔族でありながらどの種族に対しても分け隔てなく接し、俗に聞く魔族特有の攻撃性もほぼ皆無だと聞いています。

 優しく、強く、そして親身であった相沢慎也さんに、時子さんはすぐに恋をしたそうです。……全てが父の目論見だと知らずに」

 ざわめくように葉が揺れる。

 風に乗って舞い散る葉を、美凪はどこか悲しげに見つめながら、

「……あとは、自分の手を離れても勝手に転がるように進んでいった、と父は言っていました。

 相沢慎也さんも、時子さんも。互いが互いを想い、許されざる恋だと知りながらもそれでも――互いを求めてしまった。

 そうして子供を身篭った時は――それはもうエアは大騒ぎだったそうです。……父は大喜びだったそうですが」

 大騒ぎにもなるだろう。

 相手もいないはずの王女が外で子供を作った、ともなれば王家の名に泥を塗るようなものだ。

「そうして、時子さまは王家を追放されました。……ですが、時子さまはそれで良かったのでしょうね。

 名前を偽り、カノンに近いルドロの街に移り住み、子供を生み、そして相沢慎也さんと時々出会い、順風満帆に過ごしていたようです。

 ……そこから先は、相沢さんももう……ご存知ですね?」

「……あぁ」

 重く頷く。

 覚えている。エアの、ルドロの街に住んでいたことを。そこで両親が死んでしまったあゆを母が引き取ったことを。

 そして時子の姉である郁子が子を生んで、隠れて王都に足を伸ばし従兄妹である神奈や観鈴と出会い、遊んだこともあった。

 あのときは、自分の存在が忌み嫌われるものであるとは知らなかった。

 翼がないことも、極稀にそういう者が生まれることもあるとかで、特に貶されることもなかった。

 幸せだった。

 父は滅多に出会えなかったが、それでも友がいて、遊び、帰る家があって、家族がいた。

 その当たり前のことがとても幸せに満ち溢れていたものだった、といまでもはっきりと言えた。

 けれど、それを壊したのは、自分。

 ――そう、俺が壊した。

 あのときから、祐一やあゆ、神奈や観鈴、そして二葉との関係は崩れだした。

 その原因は、紛れもなく、自分自身……!

 と、不意に握り締めていた拳に温かなものが触れた。

 それは、美凪の手。

「――ご自分を責めないでください」

「知っているんだな、あのときのことも」

「……はい。全て……聞かされましたから」

「そう、か。だからお前は覚醒のことも、神奈や観鈴とのことも、全て知っていたんだな……」

「…………はい」

 血が出るほどに握り締められた拳を、美凪の手が覆う。

「むしろ謝るべきは……こちらです。……あなたたちを巻き込んだのは、間違いなく私の父の狂気でした。申し訳……ありません」

 似ている、というのはつまり『遠野が力を求めて生み出された存在』、という箇所なのだろう、とやや回転の鈍い頭で考えた。

 確かにそうなれば自分が生まれたのは、魔族と神族の、闇と光を背負って生まれてきたのは美凪の父のせいとなるだろう。

 自らの存在を恨んだこと、確かにあった。どうしてこんな形で生まれてきたのか、と自らを呪ったこともある。

 ……だが、

「謝らなくて良い」

「……え?」

「確かにお前の父のせいで俺は光と闇の属性を併せ持つ、という存在としてどの種族からも蔑まれて生きてきた。

 ……だが、だからこそいまここに俺はいる」

 そう。

 もし美凪の父がいなければ相沢慎也と神尾時子が出会うことなどなかっただろう。

 慎也も時子も己の城の中でただ暮らしていたはずだ。

 そして出会わなければ、自分や妹が生まれてくることもなかった。

「……自分の生まれを恨んだこともある。呪ったこともある。だけど……あのとき、子供の頃に感じた、幸せという気持ちは嘘じゃない。

 気高くも雄々しい父と、優しく温かい母を、俺は確かに愛していた。あゆと出会えたことも、神奈や観鈴に出会えたことも、幸せだった。

 ――そしてその先の苦しみがなければ、俺はこの場所に……王という位置に立って全種族共存を謳ったりはしていなかっただろう。

 多くの仲間に出会い、共に戦い、その尊さを知り、そして支えてくれる妻を持つこともなかっただろう。それに……」

 祐一は美凪を見て、

「……こうして、お前と話すこともなかっただろう」

「……相沢、さん」

「だから謝るな美凪。お前が悪いことじゃないし、……お前の父がいなければ俺はここにいなかった」

 その肩に手を置き、染み込ませるように言葉を紡ぐ。

「過去や境遇はどうあれ――俺はいまの俺を誇りに思っているし、いまを大切にしてる。そして――俺の居場所はここにある」

 過去があって現在がある。

 楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、辛かったことも。全てが全て自分を構成してきたものだ。

 例え生涯の半分以上が辛いことであったとしても、いまの自分を誇れるならそれで良い、と祐一は思う。だから、

「お前もそうあれ。お前がお前だったからこそ、お前の部下は共にいるのだと」

「……はい」

 頷き、美凪はゆっくりと瞼を開いて――笑った。

「もう一度、改めて誓いましょう。……私は、私を慕ってくれる部下たちと――そして、あなたのために剣を抜き、戦います」

 そして、と続け、

「……あなたのように、いつかは過去の痛みもひっくるめて前を見られるような人になりたいと、望みます」

「なれるさ。お前なら」

 言って、祐一もまた笑った。

「ありがとう、美凪。全てを語ってくれて」

「いえ……。私も、いろいろと気付かされたことがありましたから」

 父と母の馴れ初め。それを聞けただけでも祐一には十分だった。

 例えそれが仕組まれたことであったとしても、

 ……あの父と母は、間違いなく互いを愛し、そうして生まれたのが自分であると、再認識できたのだから。

「……戻るか。雑務を香里に押し付けっぱなしでな。そろそろ帰らないと燃やされかねない」

「そうですか。では急いで――」

 戻りましょう、と言いかけて、

「……あー、真剣な話は終わったか?」

 あまりに唐突に、そんな声が響き渡った。

 祐一と美凪は弾かれるように、すぐさま迎撃できるな体勢に切り替えて周囲に感覚を研ぎ澄ませる。

 ……だが、気配がしない。

 訝しく思っていると、不意に、まるで虚空から現れるようにして二人の目の前に一人の男が出現した。

「あぁ、いやすまない。盗み聞きする気はなかったんだが……あ〜、どうにもタイミングがなくてな。わりぃわりぃ」

 ポリポリ、と。本当にバツの悪そうに頬を掻く男。その男からは、確かに気配を感じる。

 魔力無効化、気配遮断の類ではない。

 なら空間跳躍か、とも思うがどうにも違う気がする。どういった術で現れたのかを模索する祐一の横で、美凪はただ驚きの表情を浮かべていた。

「あなたは……!?」

「お、久しぶりだな。遠野美凪」

 どうやら美凪はその人物を知っているらしい。

 敵ではないのだろうか、とも思うが油断は出来ない。いつでも攻撃できるように体勢を取りつつ、聞く。

「お前……何者だ?」

 警戒心をむき出しにしての問いに、しかし男は偶然再会した友人に接するときのような態度で軽く手を上げ、

「おう、初めまして……って言うべきだろうな。俺は折原浩平。とりあえずワンの王なんかやってる。よろしく」

 そんなことを言い放った。

 

 

 

 あとがき

 ……うーん、すっかり長くなってしまった(汗

 と、いうわけでこんにちは神無月です。

 えー、いや長いですね。長くなってしまいました。というのもプロットではリクキャラのなのはの出番なんかありませんでしたからねぇ。

 まぁ今回はちょっといろいろなお話を盛り込んだせいで長くなってしまったわけでもありますが。

 というわけで一つ目。エターナル・アセリアの新技術導入のお話。まぁ『永遠のアセリア』やった人ならおおよそ見当はつくでしょうw

 二つ目。さくらの呪具解除の一見。まぁルミエの肩書きを見てもしかしたら、と思った方もいたと思いますが、残念。まだでした。

 で、三つ目。なのは登場。ちなみに学園の生徒に才能ある人物がいる、というのは最初からなのは用の伏線でした。

 もしなのはが出てこなくてもそのままスルーしても良いくらいにあっさりと入れたんで大丈夫でしょうw

 彼女の再登場はもうしばらく先ですが、キー大陸編中にまだ出番はあります。

 で、四つ目。本題。美凪との会話。美凪が正式に祐一の部下になる、という話と祐一出生の秘密。

 美凪が祐一に詳しかった理由、神奈や観鈴と親しかった理由、おわかりになったでしょうかw

 カノン王国編で出した伏線も消化できて満足です。……って、あとがきも長くなっちゃったよ!?w

 と、いうことで今回はこの辺で。

 次回は――まぁタイトルからわかりますね?w

 

 

 

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