神魔戦記 第九十一章
「堪える時」
「すいませんが――倒させていただきます」
もう迷わない、という強い思いと共に亜衣は振り返りその兵士たちを見据えた。
すると、最も前にいた――芳野祐介と名乗った男が慌てて立ち上がり、
「陛下! 本気ですか!?」
どうやら祐介はいままでの会話を全てただの脅しとでも考えていたらしい。
しかし和人はさも平然と、
「当たり前だろう? 何を言っているんだお前は」
「お言葉ですが陛下! 相手はまだ子供で――」
「子供だからなんだ。ホーリーフレイムで戦っていたというのなら立派な一人の兵だろう?
ならこういう状況もおかしくはない。……むしろ見た目で判断するお前の方が酷いと思うが?」
「ぐっ……」
確かに子供が兵であることはけっして珍しいことではない。
だが亜衣を弱いと決め付けて近衛騎士団をけしかける者の台詞としては説得力に欠けるだろう。
だがそこには行き当たらないのか、祐介は悩むように顔を俯かせている。
二人とも『子供だから弱い』と断定している点では同じだが、それをいたぶって楽しもうとする和人と、戦いたくないと思う祐介では意味が違う。
優しい人だ、と亜衣は思う。けれど、自分は自分で戦うことを決めた身だ。だからこそ、
「亜衣のことならご心配なく。本気で掛かってくれて結構ですよ」
「だが――」
と言いかけて祐介は言葉を切った。
亜衣の目を見て、それが本気であると悟ったのだろう。もう何を言っても無駄か、という諦めに近い表情で祐介は部下と共に距離を開けた。
戦闘を開始するための、距離。
「始めろ」
和人の無情な声が謁見の間に響く。
それを背中で聞き、亜衣は一つ深呼吸をし、
「では――行きます!」
床を蹴る。
だが魔力付与はない。というか神殺しを出している状況でなければできないわけだが。
その神殺しもまだ出さない。それは亜衣なりの作戦だった。
「……っ」
仕方ない、というように祐介をはじめ他の兵たちも剣を抜き始める。
だが、その誰もに本気で戦おうとしている者はいなかった。
魔力を欠片も感じない少女が魔力付与もしていない走りで、しかもなんの武器もなく突っ込んでくるのだ。
普通なら誰もこの少女が強いなんて思えないだろう。
……それこそ亜衣の狙い。
数が多く、そして相手がこちらを見くびっているのなら――その油断している間に出来る限り多くを叩く。
近付く。それでも相手はまだ剣を向けるか迷っていた。
さらに近付く。兵の持つ剣の届く間合いまであと一歩ということろで、
「――来なさい、ディトライク!」
掛け替えのない相棒を呼んだ。
「なっ!?」
空間を跳んで召喚される、神殺し、第七番・魔斧『ディトライク』。
出現の瞬間に魔力で足を一点強化。一足飛びで正面の相手――祐介に踊りかかろうとするが、
「!」
反応が早い。十人の中で唯一亜衣の行動にすぐさま動きを合わせてきた。
――これじゃ駄目だ!
このまま防がれたら相手に警戒のチャンスを与えてしまう。
だから亜衣は目前で足を踏み出し、祐介の目の前で方向転換した。……右側。対応しきれてない三人がいる。
魔力強化をディトライク一点強化に変更。厚みを増やし『斬る』ではなく『殴る』という状況にして、
「えぇい!」
ディトライクを一気に振り抜いた。
ゴッ、という打撃音と共に一人が横殴りに吹き飛ばされ、残り二人も巻き込まれて大きく右へ吹き飛んでいく。
だが止まらない。亜衣は着地するやすぐに強化を足に戻しその後ろにいた二人へ肉薄する。
だがさすがは近衛騎士団。その頃には既に油断が消えている。
亜衣を一人の敵と認識し、剣を向けてくるが、
――二人なら!
左の剣閃を踏み込んでかわす。そこで前身してくるとは思わなかったのか、右の兵士がわずかにたじろぐ。
が、その一瞬は亜衣にとっては十分すぎる間。振り上げるようにして顎を打ち抜き、意識を飛ばす。
そうして勢いそのままに身体を回転させ左の兵士を薙ぎ払った。
「これで……半分!」
だがもう油断は無い。驚きこそあれ、既に残る五人はしっかりと体勢を整えている。
……ここからが正念場だ。
「……なるほど。ホーリーフレイム三幹部殿の直属という話、どうやら侮っていたらしい」
祐介が声を落ち着けて言う。そうして一度頭を垂らし、
「失礼した。陛下の言うとおり俺は外見だけでお前を見下していたようだ。詫びよう」
正眼に剣を構え、
「……だから、ここからはお前のためにも手は抜かない!」
足を踏み込んだ。
「パターン二十三のG! いつもより数は少ないがいけるはずだ! 良いな!」
「「「「了解!」」」」
祐介の掛け声と同時、残りの四人も駆けてくる。
だがバラバラではない。統率された動きだ。
――何か来る!?
身構える亜衣に、祐介が肉薄する。しかし、
「――え!?」
祐介は何もせずに横を通り過ぎていった。何故、と思うその間に、
「はぁ!」
「!?」
左右から二人の兵が襲い掛かってくる。いつの間に、と前に回避しようとして、
「!」
しかし前にも兵が二人来ていた。そして後ろにはいま通り過ぎた祐介がいる。
祐介を囮にした包囲網。回避するコースが――ない。
どうする、という思考は刹那。どの道回避ができないなら、できることは一つしかない。それは、
「なら……こじ開けるまで!」
決断。ディトライクを振り上げ、床を思いっきり打ち砕いた。
「「!?」」
巻き上がる瓦礫と粉塵。誰もがめくらまし程度にしか考えない中で、不意に亜衣はディトライクに火の魔力を宿した。
一見意味の無い行動。だが――祐介はすぐさま亜衣の行動の意味に気が付いた。
「火? まさか……粉塵爆発!? 死ぬ気か!? 下が――」
しかし遅い。言い切る前に巻き上がった粉末に火が着火する。
次の瞬間、強烈な爆音が祐介の声を遮って轟いた。
「がぁ……ぐ!?」
いち早く亜衣の動きを悟っていた祐介は後ろに身体を投げたので軽傷ですんだが、周囲の兵は直撃だ。死んではいないようだが意識は完全にとんでいる。
しかしそれよりも亜衣だ。小規模の爆発とはいえど真ん中にいれば間違いなく死んだだろう。
……そうでなければおかしいのに、
「……そんな、馬鹿な!?」
雨宮亜衣は、ほんの少し服や肌を切っただけでそこに立っていた。
「けほ……。うぅ、爆発は防げてもそれで飛び散る破片だけはどうにもならないかぁ。耳もキーンとするし」
祐介は知らないが亜衣は魔力完全無効化の能力者。
それが粉塵爆発だとしてももとの火種が魔力により起こされたものであるならば、亜衣には通用しない。
とはいえ言うとおり飛び散る破片は身体に刺さるし爆音で頭はクラクラするのだが。
――う〜ん、粉塵爆発。ちょっと舐めてたかなぁ。
粉塵爆発は美咲に聞いたものだ。
料理の練習をしているときに砂糖を撒き散らした挙句に間違えて火をつけそうになったときに怒られたことがある。
それを思いついたのは偶然だったが……まさかこんなところで役に立つとは思いもしなかった。
帰ったら美咲さんに感謝しよう、と思いつつ亜衣はやや痛む身体を抑えて振り返り、祐介を見据えた。
ダメージは向こうの方が大きい。ならば、
「これで、決めます!」
爆音の影響で平衡感覚がやや不安定だが、どうにか亜衣は向かっていく。
そして平衡感覚が崩れているのは祐介も同じなのか、剣を構えようとしても体が傾いている。そこに、
「ふっ!」
「が!?」
どてっ腹に柄を叩き込んだ。
それで終わり。至近距離での爆発をその身に受けた祐介では、それだけのダメージですら意識を刈り取られるには十分すぎた。
身体から力が抜け、祐介が倒れていく。それを一瞥し、亜衣は視線だけを和人に向けて、言い放った。
「……これで満足ですか?」
一連の動きに唖然としていた和人はその言葉に目を覚ましたように身体を動かし、そして驚きから愉悦へとその表情を変えていった。
「はは……あははははは、なるほど! これは素晴らしい! いや、恐れ入った! さすがはエクレール殿直属だな! まさかこうなるとは!
ははは、嬉しい誤算だ! あぁ、良いとも! 君のことも歓迎しようじゃないか雨宮亜衣殿! あはははは!」
素晴らしい力を手に入れたと言わんばかりに笑う様に亜衣は眉を顰める。
……やはり、この男は生理的に受け付けない。改めてそう確信した。
「では、そうだな。まずは部屋をあてがわなくてはいかんな。おい誰か――」
「陛下。その前に一つお願いがあります」
そんな和人の言葉を遮ったのは、亜衣ではなくエクレールだった。
「ん? なんだ?」
「はい。小耳に挟んだことなのですけど、こちらにカノン軍の捕虜がいるそうで?」
ピクリと亜衣の身体が反応する。だがそれに気付かず和人は「あぁ〜」と天井を仰ぎ、
「確かにいるな。愚かにも一ノ瀬の魔力を封じた魔族が。いまはその解除のために拷問中なのだが……それがどうした?」
「いえ。わたくしもカノンに捕まった身ですので……。よろしければその捕虜で遊ばせて(いただければ、と」
ニヤリと。悪魔のように微笑むエクレールを見て、和人は面白そうに口元を歪め、
「ククク……。良いだろう、好きにすると良い。おい、案内してやれ」
近くに立つ兵にそう言って和人は袖へと下がっていった。
エクレールが和人や兵に気付かれないように目配せしてくる。
亜衣は確信した。エクレールは自分と時谷を引き合わせてくれるつもりなのだ。
「こちらです」
「どうも」
先導する兵についていくエクレールの背を慌てて追いかける。
……もうすぐ、時谷に会える。
今日は陽が強い。
城の廊下を歩いていても中庭側から入ってくる陽の光でやや暑いくらいだ。
そんな廊下を、しかし涼しい顔でクラナド軍騎士団長、坂上智代が歩いている。何かを考え込むようにして。
……そう、智代は疑問を感じていた。
というのも、カノン軍との戦に敗れ、その報告を王である和人にしたときのことだ。
智代はそれなりの罰を覚悟していた。和人はいつもは優しいがこと魔族が絡むと性格が豹変するところがある。
……の、はずなのに、
『まぁ、良い。いまはそれよりも重要な作戦がある。お前にも活躍してもらうからそれまで身体を休ませていろ』
ときた。
あの和人が、だ。魔族との戦いに負けたことを「それよりも」と表現したことが気になって仕方ない。
どうにもここ最近和人の様子が違う、と感じることが多い。
その理由こそわからないが……やはり朋也の言うとおり和人の中で何かが変わりつつあるのだろうか。それとも……。
「智代ちゃん?」
「ん?」
後ろから不意に掛けられた声は聞き慣れたものだった。
「ことみか」
振り向きつつ名を呼べば、ことみはいつもの柔らかい微笑みを持って智代を迎えてくれた。
そういえば遠征から帰ってきてからことみに会っていなかったな、と思い懸念だったことを聞くことにする。
「そういえば、魔力は回復したのか?」
だがことみは首を横に振り、
「……いろいろと試して白状を促しているみたいだけど、駄目みたい」
言葉を濁したな、と智代は俯いたことみを見た。
いろいろと試す、というのはつまり各種拷問を受けているということだろう。しかもそれが魔族なのだとすればそこに躊躇いなどないはずだ。
聞くだけで吐き気がするようなことを行っているに違いない。
敵であるとはいえそういうのは好きになれない。それはことみも同じだからそういう言い回しになったのだろう。だからこそ智代もそれに乗る。
「そうか。しかし魔力が残らないとなるといろいろと不便だろう?」
「日常生活には支障は無いの。でも研究とかできないのは残念」
そうか、と頷く。
クラナド軍としても魔術の最大戦力を失ったのは痛いことだろう。
椋がいなくなり、ことみが魔術の使用不可能となればクラナド軍の魔術戦力はあって無いようなものだ。
和人が言っていた、近々行うという作戦に支障は出ないのか――と、考えたところで視界に妙な人物が入ってきた。
智代の正面、こちらに向かってくる者たちがいる。それは兵に先導された、二人の少女だ。
拘束されていないところを見ると客人扱いなのだろう。が、この時期に客人とはいったいどういう待遇の者なのだろうか。
少なくとも身なりからどこぞの国の王族とか大臣とかそういったものではなさそうだ。
すれ違い様、先導する兵が智代とことみに敬礼をし、その後ろにいた二人の少女が軽く目礼してくる。
それに智代たちも目礼を返し、その背中を見送った。
「……あれは誰だ?」
「私もわからないの」
ふむ、と智代は腕を組む。
……どうも、このクラナドが何か変な方向に向かって進んでいるような、そんな不安が浮かんでは消えた。
「ここです」
兵に案内された場所は一見ただの部屋に見えた。
「……本当にここですの?」
それをエクレールも怪訝に思ったのだろう。
問うと、クラナド城はその立地条件上、地下を作れなかったらしい。
なので急遽通常の部屋の予定だった場所を牢や拷問施設に変更したのだという。
ふーん、と呟いたエクレールはその兵を見やり、
「いまもやってる最中ですの?」
「はっ。おそらくは」
その問答に亜衣は自らの身体が強張るのを自覚した。
自分がなにか踏み込んではいけない領域に足を踏み出そうとしているような錯覚すら感じる。
拷問。そんなことがまかり通る世界を異常だとも思うが、おそらくそんなことを口にしても時谷もエクレールもエゴだと切り捨てるだろう。
「ならその連中を追い出してくれませんこと? わたくしたち二人にやらせてほしいのですけれど」
「わかりました。ではしばらくお待ちください」
そう言って厳重に施錠された扉に鍵を差込み、扉を開けて兵が室内に入っていく。
扉が閉まるまでの一瞬の間……中から肉を切り裂くような音が聞こえてきた。
「っ……!」
「亜衣。あまり様子を乱さないように」
「……はい」
扉が閉まればもう音はしない。音を通さない文字魔術でも施されているのだろう。
だがその中では見るに耐えないような残酷な光景が広がっているはず。そして……それを受けているのが時谷だと思うだけで身体が震えてくる。
しかしエクレールの言うとおりここで取り乱せばここまでの行動が全て水の泡になる。
落ち着け落ち着け、と二度自分に言い聞かせ亜衣は自らの身体を抑え込んだ。
そうして一分もしないうちに数人の兵士がぞろぞろと出てくる。
……その服に、返り血を浴びて。
「お待たせしました。どうぞ」
「ありがとうございますわ。あぁ、そうそう。わたくしたちがやっている間は誰も入らないでくださいね。……邪魔されたら興ざめですもの」
エクレールの不気味な笑みに兵士たちが慌てて返事をして去っていく。数人は残って番をするようだ。
それを見てエクレールが目配せしてくる。行くぞ、という合図だ。
それに頷き、エクレールの後を追うようにしてその部屋へと足を踏み入れ、
「――――ッ!?」
扉が閉まるまで声を出さなかったのはむしろ褒められるべきことだろう。
……その部屋の中は、まさに地獄だった。
鼻につく異臭、部屋の至る壁に染み込んだ血、零れ落ちた肉片。
その中央に、死刑囚のように台に括りつけられた斉藤時谷の姿があった。
「と――時谷さんっ! 時谷さん!!」
気付けば足は勝手に踏み出し、血に濡れることもいとわず時谷に縋り付いていた。
「時谷さん、時谷さん、時谷さん……!」
「っ……この、声……まさか、亜衣か……?」
弱々しい声が帰ってくる。魔眼対策なのか、封印系の呪布で目隠しされた時谷の身体がわずかに動きを見せた。
「そうです、亜衣です!」
「なん、で……お前がここに?」
「助けに来たんです! 時谷さんを! あ、待っててください! いますぐここから――!」
ディトライクを召喚し、時谷を拘束している台を破壊しようとして、
「それは止めなさい、亜衣」
しかしそれをエクレールが制した。
亜衣は信じられない、というように目を見開き、
「そんな……、何故ですかエクレールさん!?」
「少しは落ち着きなさい、亜衣。あなたの気持ちもわからなくはないですが、仮にここでこの男を解放したとしてどうやって逃げ切る気ですの?」
「それは……!」
「ここは敵地のど真ん中。そこを傷付いた男を背負って逃げ切れるとでも? 無茶も休み休み言いなさいな。そんなのわたくしだって不可能ですわ」
確かに、エクレールの言う通りかもしれない。しかし亜衣はそれを納得したくない、と言うように首を横に振り、
「でも……! それじゃあなんのためにここまで来たのか……!」
拳を握り締める亜衣に、エクレールはお決まりの溜め息を吐き、
「相変わらず頭が回りませんわね。良いこと? わたくしたちがここにいればクラナドの内情がわかるというものですわ。
それにさっきあの王は言ったじゃなりませんか。『近々大規模な作戦がある』と。
大規模な作戦ともなれば兵は駆り出されるでしょう。城の警備だって薄くなる。……ほら、チャンスはそこにありますわ」
理に適っていることはわかっている。言うとおりだ。突くべきはその瞬間だろう。
だけど、それがいつになるかはわからない。
そしてその間にも、時谷はこのような目にあっているというのに……!
「わかってます! わかります! ……でも! それじゃあ時谷さんは――!」
「……いや、その女の言うとおりだ」
が、当の本人が亜衣の言葉を遮ってそんなことを口にした。
「助けに来てくれた……っつーのは、……いや、ホント感謝してるんだが。……ここで逃げることになれば……まさしく俺たちは殺されるぜ。
で、そういう好機が転がってるんなら……それを使わない手はねぇだろ」
「でも時谷さん……!」
「なに、大丈夫だよ……。俺ぁな、昔っからこういうのには慣れてんだ。……だからあと一ヶ月だろうが二ヶ月だろうが耐え切ってやるよ」
ボロボロになりながら、それでも時谷は安心させるような笑顔で言ってのけた。
「っ……」
そんな笑顔を見せられたら、もう何も言えない。
だってその笑顔は、間違いなく自分を気遣ってのものだから。
……ここで助けることは時谷のためではなく、自分のことしか考えてない馬鹿のすること。
そう言い聞かせ、亜衣はこぼれそうになる涙を堪えて、その服をグッと握り締めた。
「……待っていてくださいね。必ず、そのときは助けに来ますから」
「あぁ、待ってるよ」
もし時谷の腕が動いたなら、その身を抱きしめていただろう。
だがその形無き抱擁もエクレールによって遮られる。
「良い覚悟ですわね。さすがは魔族と言うべきかしら。……さて、亜衣。そういうことになったのであなたは下がって目を閉じて耳を塞ぎなさい」
「え……?」
「何を呆けた顔してますの。わたくしたちはこの男を仕返しに拷問に来た、ということになっていますのよ?
傷が増えていなければ訝しく思われてしまいますわ。なのでいくつか傷を作って戻りませんと」
さも平然とそんなことを言いつつ剣を抜くエクレールに、亜衣はあわてて庇うように両手を掲げる。
「ま、待ってください! それにしたって……!?」
「……いや、そういうことなら、その女の言葉の言うとおりだ。……助かるためだ、亜衣。お前は下がってろ」
「……っ」
やや口調が整ってきた時谷に言われ、仕方無しに亜衣は下がっていく。
確かに自分ではそんなことはできないだろう。嘘を貫き通すためとは言えど。
そうして耳を塞ぎ、早く終われと願うように目を強く閉じた。
それをなんとなく察したのか、時谷がやや声音を変えて口を開く。
「さっきから疑問に思ってたんだが……お前、その声、確か……あのときの……」
「お久しぶりですわね、お人好しの魔族さん」
時谷はその女があのとき、カノンにホーリーフレイムが攻めてきたときに戦ったエクレールだと気付いた。
いや、最初に声が聞こえたときからまさか、とは思っていたのだが。いやそれよりも、
「てめぇが……なんで亜衣と一緒にいやがる……」
さっきまでは話の流れでとりあえず後回しにしたが、亜衣が聞いていないとなれば聞かないわけにはいかない。
「さて、わたくしもよくわかりませんわ。流れ――とでも言うべきでしょうか」
飄々としながらも、しかしどこか感情を見せる声。
その声音に何かを感じ取ったのか、時谷は小さく笑みを浮かべ、
「――ははぁん、なるほど」
「なんですの?」
「あぁ、いや。……お前も毒気抜かれたクチか」
「……っ! そ、そんなんじゃないですわ!」
そんなエクレールの反応に時谷は苦笑し――そして小さく嘆息した。
「まぁ、いいさ。……ま、そういうことなら頼めるな」
「……何をですの? わたくし、あなたの頼みなんか叶える気はこれっぽっちもありませんわよ?」
「なぁに、大丈夫。お前ならやってくれるさ」
一拍。その間を置いて、時谷は言った。
「亜衣を、頼む」
「――」
思わず動きを止めるエクレール。それを知ってか知らずか、時谷は言葉を続ける。
「ここまで来たお前ならわかってんだろうが、あいつはまだ子供で。感情で先走るところがある。……まぁ上手く抑えてやってくれ。さっきみたいにな」
「……なんでそんなこと言えるんですの? わたくしがクラナドに取り入るためにあなた方を利用しているだけかもしれませんわよ?」
「かもしれねぇな。でも、もしそうなら亜衣はお前を信じちゃいねぇよ。……感覚で動く人間だからな。悪意のある人間には敏感だ、あいつ」
それは、どこまでも雨宮亜衣という少女を信頼した台詞だった。
思わずエクレールは亜衣を見る。隅でこれから行われることに対して悔しさに歯噛みし口から血を零している、その少女を。
恐れ、でななく怒り、で身を振るわせながら必死に耐えるその少女を。
そこで堪えているのは――エクレールの言葉を、そこに絶対のチャンスがあると信じきっているからこそ。
「俺のこたぁどうでも良い。……あいつの信頼を裏切るような真似だけはすんな」
魔族の男は言う。
そう、魔族だ。この男はエクレールが子供の頃からずっと憎み続けた魔族の男。
にも関わらず、いつの間にかこの男を救う片棒を担いでいた自分。
どうしてそんなことをしているのか? どうしてこんなことになったのか?
確か最初は途中まで共に行く、というだけだったはずなのに。いつの間にこんなことになったのか……。
「……あぁ、そうですわね」
そう、気付いていたではないか。
この少女は、目が離せないと。放っておけないと。
ようはそういうことだ。
……つまり、エクレールという少女は、雨宮亜衣のことを――。
「……歯を食いしばりなさい。なかなか強く行きますわよ」
「……まぁ、贅沢は言わねぇけどな。少しは手加減とか、無しか?」
「ありませんわ。……これはわたくし自身気付かなかった……いえ、気付きたくなかった心をさらけ出したあなたの罰だと知りなさい」
「おいおい……。それって私情が入っちゃいねぇか?」
「当然ですわよ。――ほら、さっさと行きますわよ。わたくしだってこんなの早く済ませたいのですわ」
「憎い魔族でもか?」
「……亜衣が苦しむでしょう?」
「――は、そうかい。よっしゃ、来い。思いっきりな」
「ええ。遠慮なく」
そうしてエクレールは躊躇いなく剣を振るう。その一撃一撃に怒りや悔しさを込めながら。
血肉飛び散るその中で、
「……あぁ、もう。損な役回りですわね」
と、エクレールは一人ごちた。
あとがき
はい、神無月です。
というわけで亜衣&エクレールクラナドに潜入成功。そして時谷との再会も成しました。
で。次回は再び視点がカノンに戻ります。
というわけでまた次回に。
あぁ、そうそう。次回顔見せ程度ですがリクキャラ出ますのでお楽しみに。