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神魔戦記 間章 (八十八~八十九)
「プリムラ」
そこには、なにもなかった。
辺り一面真っ白。目が霞んでしまうほど、そこには何もありはしない。
いるのはただ自分のみ。
空虚な世界。不明瞭な日々。
自分はただここに座っているだけ。
膝を抱えてうずくまり、何をするでも無くここで呼ばれるのを待っている。
自分は作り出された存在。だから何も分からない。
どうすればいいのか。どうしなきゃいけないのか。……どうしたいのか。
自分のことすらわからない。
何故ならここには何もない。そして何も与えられなかった。
だからわからない。
こうしている自分はなんなのか。なんのためにいるのか。なにをすべきなのか。
……強いて言うのなら、そこにあるのはきっと『無』だった。
このまま何も変わること無く終わっていくのだろうか。……きっとそうなんだろう。
自分は何も知らず、何もできず、何も望ます、何も得ないまま終わっていくに違いない。
……そう、思っていた。
けど、
「ねぇ」
声が聞こえた。
何も無いはずのこの場所で、自分しかいないはずのこの場所で、確かにその声は聞こえてきたのだ。
綺麗な声だった。優しい声だった。楽しそうな声だった。
だから顔を上げた。すると、そこにいたのだ。
その人が。
青い髪と、青い瞳をした、綺麗な少女が。
「私はリコリス」
少女は言った。
「あなたは?」
問われたのが自分の名前だと気付くまでにたっぷり数十秒を用いた。
いままで名前なんて聞かれたことはなかったし、その名前に意味など持っていなかったが、それでも無意識に答えていた。
「……プリムラ」
「リムちゃんか~」
リコリス、と名乗った少女はそうして笑顔を浮かべた。
人の笑顔、というのを初めて見た。
それはどこまでも輝いていて――そしてやっぱり綺麗だった。
そうしてリコリスはゆっくりと近付いてきて、手を差し出してこう言ったのだ。
「よろしくね」
あぁ、と。
自分の中で世界が変わっていくのを自覚して……プリムラはその手を取った。
「ん……んん……」
景色が歪む。瞼を開けてみれば、視界に映ったのは自室の天井だった。
「……夢?」
そう、あれは夢だ。ずっと昔の、夢。
どうしてあんな夢を見たのだろう。
軽い倦怠感。ボーっとする頭の中で状況を整理してみようとするが――しかしこの疲れのせいか夢のせいか、思考はカラカラと空回りするばかり。
いや……少し熱でもあるのかもしれない。なんとなくそんな感じがしたので自分の額に手を伸ばそうとして、
「お、起きたか」
不意にそんな声が耳を振るわせた。
いままで気付かなかったが、ベッドの横に一人の人物が座っていた。それは、
「祐……一……?」
「あぁ」
相沢祐一。この国の国王。
どうしてそんな人がここにいるのだろう、と身を起こそうとして――、
「っ……」
「まだ起き上がるな。純粋な魔力の放出は身体に与える影響も大きい。……もう少し寝ておけ」
浮かべた頭をそっと抑えられ、そのままゆっくりとベッドに戻される。
大人しく従いながらも、プリムラは不思議そうに祐一を見た。
「……どうして」
「ん?」
「どうして……ここにいるの?」
「あぁ。心配だったからな」
「心、配……?」
不意に、
『リムちゃん! こんなところにいたんだ……。心配したよ。ほら、帰ろう?』
あの光景を、思い出した。
「……っ」
「どうした、どこか痛むのか?」
プリムラはその言葉に首を振り、視線から外れるように身体を背けた。
「……大丈夫」
「そうか。なら良かった」
そこで会話は切れる。
部屋に訪れる沈黙の中、しかし祐一はそこから一向に動く気配が無かった。
そのうちいなくなるだろう、とそのまま横になっていたが……十分ほど経っても祐一がいなくなることはなかった。
「……戻らないの?」
気になり、背を向けたまま声を掛ける。
「ん? あぁ、いまは戻ったところで特にすることがない。盗賊が侵入したらしいが一弥たちが撃退したらしいからな。
そいつらもいまは牢に入れたそうだし、話は明日だな」
「……暇人?」
「そうだな。まぁ暇とも言えるな」
苦笑する気配。しかしそこには別の何かがあるように感じた。
だがそれが何かがわかるほどプリムラは感情というものに長けていない。
だからどうして良いかわからずそのままでいると、
「あぁ、そうだ」
と、祐一が何かを思い出したように動くのがわかった。
椅子から立ち上がり部屋の角まで向かって――そしてまた戻ってくる。
「ほら、これ」
そして不意に目の前に差し出されたのは、
「……虎玉」
大事にしていた猫の人形、虎玉だ。
「大切なものなんだろう? いつも持っていたしな」
確かにそうだ。これは……、
「――」
……リコリスが自分にくれた、大切な人形。
しかし、往人が城に侵入してきたときに魔力の暴走でグシャグシャになってしまったはずなのに――、
「……直ってる」
ところどころほつれていたり綿が抜けていたりもしたが、それでも形はしっかり元に戻っていた。
むしろあの状態からよくここまで復元できたというレベルだ。
「美咲が直してくれたんだ。後で礼を言ってやれ。それと……これも」
そうしてもう一つ差し出される。
それは、
「…………猫?」
「新しい猫の人形だ。助けてもらったお礼ということで観鈴が買ってあげたい、ってな。
さっき城下で一緒に買ってきた。気に入るかどうかはわからないが――」
言葉が終わるより先にプリムラが虎玉と呼んだ人形と新しい猫の人形を一緒に受け取った。
新しいものは大きな白い猫の尻尾に黒い猫がしがみついているファンシーなもので、虎玉ともどこか似ていた。
その三匹の猫人形を、プリムラはギュッと握り締める。
「猫……」
いろいろな感情が浮かぶ。
それをどう表現して良いのかはわからないが、心が温かくなるような、そんな気分だった。
「猫~……」
そんなプリムラを見下ろしつつ、祐一もまた優しい笑顔を浮かべていた。
プリムラは気付かなかったが、祐一からはハッキリと見て取れた。
プリムラはそのとき、確かに笑っていた。
だからこそ――祐一は今が丁度良い時かもしれないと踏んだ。
「なぁ、プリムラ」
祐一はそうしてなんでもないことのようにあっさりと、
「お前は誰を待ってるんだ?」
そんなことを、口にした。
思わず振り返る先、祐一は部屋に取り付けられた窓から外を見て、
「稟からお前を預かってから、いつも疑問に思っていた。お前はいつも寂しそうな表情で遠くを見つめているからな……。
誰かを待っているんだろう? 迎えに来てくれるのを待っている。……だがそれは稟たちじゃない。なら誰だ?」
「どうして……」
――どうして、わかるの?
そう言おうとして、祐一の視線がこっちに戻っていることに気が付いた。
その、深く吸い込まれそうな黒い瞳を見て、思う。
「……見てて、くれたの?」
人形のことも、そう。
祐一は確かにこう言った。
『大切なものなんだろう? いつも持っていたしな』
見てていたのだ。ずっと、自分を。
何故、と思う。そんなことをする理由なんてあるとは思えない。いや、強いてあげるなら、
「……りんに、言われたから?」
稟に預かるように頼まれたから、だから見ていただけではないのか。
「それもある。だがそれだけじゃない」
「それだけじゃ……ない?」
あぁ、と頷き祐一は笑みを浮かべ、
「お前は俺の仲間で、家族みたいなものだしな」
「仲間……家族……?」
思わず唖然とするプリムラの頭を、祐一はそっと撫でる。
「そうだ。俺にとって仲間は皆家族みたいなものだ。俺を支えてくれて、そして俺も支えてやりたいと思う」
プリムラは、いままで生きてきた環境上、人の嘘を見破ることに長けている。
が、祐一からはそんなものは微塵も感じられなかった。
ただ本当に、心の底から祐一はそう思っているのだ。
「――」
「だからプリムラ。もしお前が何かを抱えているなら、それを俺に教えてくれないか? 俺が嫌なら俺じゃなくても構わない。
観鈴でも、有紀寧でも……美咲でも栞でもリリスでも誰でも良い。誰かに心の中をさらけ出してみると良い」
祐一はどこまでも優しい顔で、言った。
「それだけで、人は随分と救われるものだ」
俺もそうだったしな、と祐一は過去を想うようにやや遠くを見つめていた。
話をするだけで、救われる。
それは……そう、その通りなのかもしれない。
ただ空虚だったあのとき、リコリスと話をしていただけで自分は救われていたような気がする。
何も求めていなかったはずなのに、いつしかリコリスが来ることだけを楽しみにしていた。
何をしたわけじゃない。ただ、話をしていただけだというのに。
だから、そう。つまり――プリムラという存在は、リコリスという少女と話をして救われたのだ。
「リコリスを……待ってた……」
それは、ほぼ無意識に口を突いた言葉だった。
言ってしまってから、しまった、と思った。
理由はわからないけれど、口にしてしまえば零れ落ちてしまいそうな、そんな危機感があったのだ。
いなくなったリコリス。
けれどそのことを誰かに言ってしまったら、自分の中からすらも消えてしまいそうな気がして。
……だから、稟にすら言わなかったのに。
「リコリス、か。……やっぱりな」
けれど祐一は、何故か納得したように頷いた。
「……え」
「観鈴を助けてくれたときに、その名前を叫んだらしいな。有紀寧も、観鈴も、マリーシアも。全員覚えていたよ」
「あ……」
そういえばあのとき。
往人に連れて行かれる観鈴を見て、その姿をリコリスとダブらせてしまったのだ。
言い知れない感情。湧き出る記憶。
連れて行かれた恐怖が、連れて行かないでという願望に直結し、感情が爆発した。
あれはリコリスではないのに。リコリスは――もう、いないのに。
「……それで。リコリスとは誰か、と聞いても良いか?」
それだけは答えられない。……答えたくなかった。
リコリスのことを吐露すればするだけ、自分の中から抜けていくような感覚は、どうしても怖いのだ。
そんなプリムラを察したのか、祐一はゆっくりと席から立ち上がる。
「ま、いいさ。話したくないならそれでな。いつか話せるときにでも話してくれれば良い」
ポン、と軽く頭に手を乗せ、祐一は笑う。
「とにかく今日はもう休め。わかったな?」
「……うん」
よし、と頷いた祐一が外套を翻して部屋を後にしていった。
その後ろ姿を見送って、プリムラは天井を見上げた。
……もしかしたら、気を遣ってもらったのかもしれない。
このタイミング。祐一は何も言わなかったが、きっと自分がリコリスのことを考えているんだとわかって出て行ったに違いない。
暇だ、と言ったこともそう。稟を見ていてもそうだったが、王は基本的に『やることがない』なんてことはほとんどない。
特に、それが戦闘の直後ならなおさら。
だがそんなことを口にせず、顔に出さず、平然となんでもないことのように動くのが、その相沢祐一という人物なのだろう。
「……ねぇ、リコリスお姉ちゃん」
プリムラは直った虎玉を抱きしめ、
「……私は、どうしたいんだろう」
ここには、いろいろなものがある。
あそこで感じた『無』はどこにもない。
笑いがあって、温かさがあって、優しさがある。
ともすれば身体を預けてしまいたいほどの温もりが、ここにはある。
けれど、それをしてしまうことはリコリスを忘れ去るというような気がしてどうしてもその一歩を踏み出せない。
踏み出した方が良いのだろうか? 踏み出したいのか?
……わからない。わからないが、
「――」
新しくもらった猫の人形を手に取る。
白い猫の尻尾に小さな黒猫がしがみついた可愛らしい人形。
白玉と黒玉と名付けよう、と思いつつ虎玉と一緒に抱きしめた。
「……猫」
そのとき、確かに自分は感じたのだ。
リコリスと一緒にいたときしか感じなかった、『嬉しい』という感情を……。
あとがき
はい、ども神無月です。
えー、間章プリムラです。割かし短いです。でも本当なら間章はこれくらいでありたいなー、なんて思ったり。
難産でした。はい。プリムラ視点、というのがこれほどまでに難しいとは思いませんでした(汗
まぁともかく、プリムラのちょっとした心境の変化、ってところでしょうか。まだあそこまでは至りませんよ?w
稟と祐一にほとんど差異はない。違うことがあるとすれば、祐一はプリムラに近い、というところでしょうかね。
というわけで、えーと、次の間章は秋生さんかな?
ではまた。