神魔戦記 第八十五章

                  「憎しみと悲しみの再会」

 

 

 

 

 

 バサリと翼が戦慄く。

 魔族の象徴たる漆黒の翼。

 神族の象徴たる純白の翼。

 その両方を持つ男が半魔半神がいま、圧倒的な圧力を持ってそこにいる。

 誰も近付けない。近付こうと思えない。

 まさに桁違い。裏葉がどう、とか白穂がどう、とかそういう次元ではない。

「これが……カノン王……」

 裏葉ですらその気配に呑まれている。

 二人の魔力を足してもなお届かない。そう確信させるだけの力を持って、その男はそこに君臨していた。

 相沢祐一。

 カノンの、王。

「助けに来たぞ、遠野美凪」

 周囲の動きを恐怖で塗り固めるほどの魔力を溢れ出しながら、しかしその声音はとても優しいものだった。

「相沢、さん……」

 はたと、そこで初めて美凪は気付いた。

 いま自分が祐一に抱えられている、という事実を。

「あ……」

 男にここまで接近される、ということが初めてのこと。

 そんなことを考えている状況ではないとわかりつつも、意識してしまったせいか顔が赤くなっていく。

「えと……あの、相沢さん。どうして、その――」

 助けに来てくれたのか、と。

 しかし祐一はその先を勘違いして、

「いや、駆けつけてみれば固有結界が張られていてな。

 入れないから全力の『陰陽の剣(インシュレイト・ブレード)』で切断しようと思ったんだが……。その前に消えてな。

 それでお前が落ちてくるから空中でキャッチしたわけだ。……動けるか?」

 えっと、と美凪はなんて答えようか迷った。

 そもそも聞きたいことはそんなことじゃなかったんだが……それともこの王にとってそれは理由にもならないことなのだろうか。

 だから美凪は微笑を浮かべ、

「……すいませんが、魔力が空っぽで動けそうにありません。……相沢さんこそ、その状態大丈夫なんですか……?」

「あまり大丈夫じゃないな。まぁ一分くらいで解けば気だるさだけでどうにでもなる。

 それに今回はお前を助ければそれで終わりだ。無理にエアの相手をする必要もない」

 現在、祐一の覚醒は七分から十分の間持続できる。日によってムラがある、というのがなかなか難点だが伸びていることは良しとすべきだろう。

 加えて一、二分程度で覚醒を解けば意識を落とすまでには至らないということも把握している。

 ……とはいえ強烈な頭痛などもあるので長期戦で使用できないのは変わりない。

 前回のエアとの戦いも頭痛を伴ったままに戦い抜くことはできなかっただろう。今回は逃げるだけなので話は別だが。

「――だからといって……逃がすと思っているのか、カノン!」

 真上から声。

 霧島聖が、怒りの形相でブラッディセイバーを振り上げてやって来ていた。

 祐一を見つけたことで先の戦闘での悔しさが爆発したのだろう。恐怖心を怒りに変えて、聖は一直線に祐一に向かってくる。

 が、その祐一は無造作に聖を見やり、

「お前か。さくらを倒したのは」

「カノン王、ここで終わらせる!」

 振り下ろされるブラッディセイバー。だがそれは、

「……なっ!?」

 なんと祐一の背から生える翼に受け止められた。

「俺の翼は血の高ぶりに反応して形成されるマナの純結晶だ。……原初の呪具とはいえ、半分ほどの効力しか持たないものじゃ貫けないぞ」

 言いつつ、祐一はふらりと指を聖に向けた。聖が目を見開く中、

「『覇王の黒竜(アルディアス・アルブラスト)』」

 無詠唱で放たれた闇の上級魔術が聖を直撃した。

「がはっ!?」

 ブラッディセイバーを盾に戻す余裕すらない。頭に血が上っていたこと、そして驚き、それらが聖の身を拘束していたからだ。

 しかしその代償はあまりに大きい。

 覚醒状態の祐一による至近距離での上級魔術。直撃した聖は絶命こそしなかったものの気を失い墜落していく。

「聖さん!?」

 落ちていく聖を白穂が追っていく。その隙に祐一は地面に降りようとして、

「逃がしてはなりません!」

 裏葉の言葉にそれまで固まっていた兵士たちが動き始めた。

「ちっ、そう簡単にはいかないか」

 早く覚醒を解かなければ負担も大きい。向かってくる兵士たちを迎撃しようと手をかざすが、

「祐一は早く戻って!」

 下から闇の矢と弾丸がその兵士たちを撃ち落していく。

 鈴菜とリリスだ。

 だから任せて言われる通り下がる。それを追うように二人の攻撃を抜けてきた兵士がやって来るが、

「えーい!」

「行かせません!」

 入れ替わるように祐一の両隣から突撃していくあゆとヘリオンがそれらを切り裂いていった。

「これは、まずいですね……」

 その様子を見て、裏葉は呟く。

 美凪の固有結界により体力と魔力を奪われた兵士たちの動きは鈍い。カノン側は少ないが、圧倒的に押されている。

 このままでは逃げられると判断した裏葉が大規模魔術を放とうと呪文詠唱を開始しようとするが、

「させないわよ!」

「!?」

 炎の翼を纏った真琴が詠唱を邪魔するように裏葉へ踊りかかる。

「く……、『月からの射手(レイ)』!」

 詠唱をキャンセルされ、無詠唱による魔術で迎撃する。しかし、

「こんなもので真琴を止められると思わないことね!」

 炎の爪が踊る。

 あろうことか真琴は回避するでなく、それらを全弾叩き切った。

「なんて密度の爪でしょう……!」

「真琴を倒したいなら、もっと強くて速いのじゃないとね」

 そしてその間に祐一は地面へと着地し、覚醒を解いた。

「っ……」

 頭痛が祐一を襲う。だが覚醒時間は一分にも満たない。大丈夫だ、と祐一はしっかり地を踏みしめた。

 そこに慌てて美汐が祐一の身体を支えるようにやって来る。

「主様、大丈夫ですか?」

「俺のことは良い。撤退の準備は良いか、美汐」

「もう少々お待ちください。アゼナ連峰を一気に越えるとなると……」

 美汐の空間跳躍の距離は『溜め』の時間に比例する。

 戦闘中などの空間跳躍は溜め無しで行うのでせいぜいが五メートル程度、無理をしても十メートルほど。

 だが時間を掛ければその分遠くに移動できるようになる。ここまで来たときもそうして二回の跳躍でやって来た。

 追撃を考えれば出切る限りの距離を一回で跳びたい。

「アゼナ連峰を越える距離で良い。あとどれくらいだ」

「一分は必要ありません」

「よし」

 いまの美汐は無防備だ。祐一はこのまま美汐のサポートに徹することにする。

 一分に満たないとはいえ覚醒を使った後の自分はあまり動けない。戦線に出ても皆の足手纏いになるだろう。

 ……とはいえ、あまりその意味もなさそうだが。

「……エア軍の動きが鈍いな」

 美凪により軍勢は千強という程度にまで減少しているが、それにしても動きが鈍い。真琴たちで十分に応戦できるくらいだ。

 祐一の覚醒による恐怖、というのもあるだろうがそれだけではない。

 美凪のあの固有結界。おそらくあれの効果だろうとアタリを付ける。……が、いまはそんなことはどうでも良い。

 重要なのは現状相手が弱っているということだけだ。それだけでいまは十分。

 ヘリオン、あゆ、鈴菜、リリスの四人の攻撃に兵士はこちらに近寄れない。裏葉もまた真琴の攻撃を凌ぐだけで手一杯のようだ。

 そしてその間にも、こちらの準備は整っていく。

「……主様、いけます」

 よし、と頷き祐一は前で迎撃している仲間たちを見た。

「退くぞ! 戻れ!」

 祐一の声に反応し皆がエアを牽制しつつ下がってくる。しかし、

「逃がしません!」

 聖を抱えた白穂が、こちらに手をかざしているのが見えた。だが、

「させません! ダークインパクト!」

 それを見たヘリオンが即座に神剣魔術を唱え『失望』を大地に突き刺した。

 すると白穂の足元から闇の衝撃波が生まれる。

「っ!?」

 回避するために体勢を崩してしまい、魔力が霧散してしまった。

 好機。

「よし、いまのうちだ! 退く――」

 ぞ、と言いかけて祐一は思わず目を見開いた。

 物凄い速さで真っ直ぐ近付いてくる気配。これは、

「まさか……!?」

 と、その気配の方向に目を向けた瞬間、その方向から一条の光の矢が奔ってきた。

「!?」

 即座に障壁を展開し、その矢を防ぐ。だがその矢には特殊な何かが込められているのか、障壁が破壊される。

 相殺された魔力の残滓を感じ取り、気付く。

「この魔力……気配、やはり……!」

 見る先。

 そこに弓を構え――こちらを憎しみに満ちた眼光で見下ろす一人の神族の少女がいた。それは、

「神尾……二葉!?」

「相沢……祐一ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

 二葉は自らの腿にある布飾りに手を触れた。

「―――魔力は矢と化す―――!」

 紡がれる(まじな)い。それは、

「リリスの慧輪と似たような呪具……!?」

「……死になさい、相沢祐一!」

 矢が放たれる。魔力による加速がついているのか、魔術では考えられない速度でやって来る。

 障壁を張ってもあの(まじな)いの前では突破されるかもしれない。だからと祐一は剣を抜き、

「どいて、祐一!」

 しかしその後ろから対を成すような闇の矢が放たれた。

「鈴菜!?」

「いまはそんなことしてる場合じゃないでしょ! あの子とどんな関係か知らないけど、いまは逃げることが先決よ!」

 鈴菜と二葉の、闇の矢と光の矢が激突し相殺し合う。

 それを見た二葉がすぐさま第二射を射ようとするが、それよりも早く鈴菜の方が動いていた。

連黒射!」

 瞬時に複数の矢を形成しそれを一気に放つ。その数十五本。しかも二葉同様、魔力によるブーストが掛かっていてとてつもなく速い。

「く……!」

 二葉は複数の矢の形成が出来ないのか向かってくる矢を睨みつけるだけで――、

 しかし真横から割り込んできた人物によって闇の矢は全て掻き消された。

「そんな!?」

「……!」

 鈴菜はその光景に瞠目し、そして祐一はその人物を見て顔を強張らせた。

 神族の中でも一際大きい双翼を広がせるその少女。その腰まで靡く黒髪も、どこかずれたその衣装も悲しいまでに懐かしい。

 そして手に持つのは神尾家に受け継がれし聖剣『タテノミタマノツルギ』。

 ……その少女の名は、

「……神奈」

「祐一……」

 視線が交錯する。

 幼少の頃共に遊んだ友人がいま、

 エアの女王。カノンの王。……互いに敵国の統一者として、相対していた。

 訪れる心境はただ複雑。いろいろな想いが去来するが、

「「……」」

 二人はそれ以上何も語らず、互いに踵を返した。

「美汐、跳ぶぞ」

「御意」

「させないと言いました!」

 それを阻止せんと二葉が矢を構え弦を引き絞るが、それを神奈が片手で制した。

「神奈姉様!?」

「もう止せ。どの道間に合わぬ」

 その言葉を肯定するように、祐一たちの姿がかき消えた。

 空間跳躍。その事実に一瞬驚き、そして逃がしたことに悔しさを覚え、そして怒りを込めて神奈を睨んだ。だが、

「神奈姉様! どうし――て……」

 怒鳴る声も途中で勢いを失くす。

 だって、長い間一緒にいた二葉ですら、見たことが無い表情を神奈はしていた。

 無。

 どこまでも何も見えない、無表情。

「……戻るぞ」

「姉……様?」

「裏葉、兵を纏めろ。白穂は佳乃に戻れ。聖を運ぶならば佳乃の方が都合が良いだろうからの」

「しかし、美凪さまはどうするのですか?」

「気配はアゼナ連峰の向こうだ。どの道、道中では追いつかんし、追いつく頃には既にあやつらはカノンじゃろう。

 ……それとも裏葉。この疲弊した部隊を引き連れてカノンに挑むか?」

「いえ……」

「ならば戻る他なかろう」

「「……御意」」

 それだけを言い残し神奈は飛翔し戻っていく。

 見る者が見ればいつも通りの神奈に見えるかもしれない。

 けれど……二葉にはどこか、その背中が泣いているように見えた。

「……ああもう」

 わけがわからない。

 神奈のことも。……そして、自分のことも。

 渇望した憎き相手、相沢祐一。

 最後に会ったのはずっと昔、幼少の頃だったが、それでもはっきりとそれが相沢祐一であるとわかった。

 怒りが燃え上がった。憎しみが膨れ上がった。負の感情に流されるままに矢を射た。

 なのに。

 なのにあのとき、逃げられるとき。

 不覚にも思ってしまったのだ。

 また(、、)いなくなるのか、と。

 怒りも憎しみも確かに存在するのに、しかし胸にはそれだけでなく――。

「――っ!」

 それ以上考えてはいけない。それ以上考えたら自分は駄目になる。

 そう思ったから、思考はシャットアウトした。

「相沢、祐一。次会うときは、必ず……!」

 弓を握り締める。

 そして二葉は祐一たちがいなくなった方向を睨み付けた。

 

 

 

「アゼナ連峰、越えました」

「気配もないです。なんとか逃げられましたね、祐一さ――ま?」

 空間跳躍でアゼナ連峰を越えた祐一たち。周囲に気配が無いことを確認し安堵したヘリオンは祐一に向き直り……そこで気付いた。

 祐一の表情が、ない。

 何を考えているかわからない、それは無に彩られていた。

「あの……祐一様?」

「ヘリオンさん」

 そんなヘリオンに美汐がゆっくり首を振る。

 さっきの一連の言葉の押収で何かを感じ取ったのだろう。美汐はゆっくりと祐一から離れここからカノンまで跳ぶための溜めに入る。

 そんな美汐を察して鈴菜や真琴もまた離れる。

 だが一人、リリスだけがわけがわからず首を傾げた。

「パパ?」

「えと、リリスさん。私たちもあっちに行きましょう」

「どうして?」

「え、えーと、えと……その、えーとなんと言いますかぁ〜」

「……パパといる」

「あぁわわわ、り、リリスさんお願いですからこっちに来てください。祐一様のためですから!」

 わたわたと慌てるヘリオンに半ば引きずられるようにしてリリスも離れていった。

 しかし祐一はそんなことにすら気付かない。だが、そんな祐一にただ一人近付いていく者がいた。

「……大丈夫?」

 声に振り向けば、心配そうな表情でこちらを見つめるあゆがいた。

「……あぁ、大丈夫だ。魔力を使いすぎただけだろう。いまは眠ってるだけだ」

 腕の中にいる美凪は瞼を閉じぐっすりと眠ってしまっている。覚醒後の祐一のようなものだろうか。それとも単に張っていた気が抜けただけか。

 しかしあゆはゆっくりと首を横に振った。

「ううん、ボクが言ってるのは祐一くんのことだよ。……二葉ちゃんと神奈さん、いたもんね」

 その二つの名に思わず身体がピクリと反応する。そんな反応にあゆは苦笑し、

「ボクたちがエアを離れて以来だから……やっぱり十年振りくらいかな」

「……だな」

 あゆは祐一の仲間の中でも一番共にいた年月が長い。

 その分……一番祐一の心境を察することができるのだろう。

 あゆは僅かに目を伏せ、

「……二葉ちゃん、怒ってたね」

「あぁ。……おそらく憎んでいるとは思っていたんだがな。だがそれも仕方ないだろう」

「うん、わかってる。でも……悲しいね。きっと神奈さんも同じ気持ちだったんだろうね」

 あゆは祐一と二葉の関係を知る数少ない者の一人だ。そしてあの後の出来事。その顛末も知っている。

 だからこそ、あゆは言った。悲しい、と。

 きっと祐一は思っていてもそんなことを口にはしないだろうから。代弁というのはおこがましいが、それでも言わなければならない。

 祐一は弱さを見せない。

 それはエアを抜け、カノンで父親と母親を殺されてから、ずっとだ。強くならなくてはならないという一種の強迫観念に追いやられて。

 強くならなければ誰も守れない。

 強くならなければ誰も救えない。

 強くなかったから迫害された。

 強くなかったから殺された。

 強くなければ復讐できない。

 強くなければ示せない。

 そうした後悔と懺悔と憎悪の念で祐一は剣を振っていた。

 いまでこそその憎悪こそ変わったが、根本的な部分は変わるまい。祐一は王になり、なおさら弱さを見せられる立場になくなった。

 けれどあゆは知っている。

 ずっと共にいたからこそ、わかる。

 祐一は決して強くない。どこまでも威風堂々としていてどんなことがあろうとも冷静沈着に見えるが、そうであろうと努力した結果にすぎない。

 王であっても半魔半神であっても、祐一だって弱さがないはずがない。

 だからこそ、その弱さを自分が受け持とう、と決めた。

 遠い昔、祐一が心の底から泣いた、そしてそれを見ていることしかできなかったあの時に。

「……ね、祐一くん」

 あゆはそっと祐一の袖を握る。

「確かにね、あの時はああするしかなかったと思うんだよ、ボクも。ああでもしなければきっと二葉ちゃんは……。

 でもね、いまならどうにかなるかもしれないよ。二葉ちゃんももう大人だし、誠意を持って伝えればわかってくれるかもしれない」

「……あゆ。だがそれは――」

「虫の良い話だ、って言いたいんだよね、祐一くんは。うん、確かにそうかもしれない。

 でもね、祐一くんだけじゃなくて、ボクも悲しいんだよ。ううん、ボクだけじゃない。

 祐一くんと二葉ちゃんが戦うのは、観鈴ちゃんだって神奈さんだって悲しがるはずだよ」

 実際二葉が祐一を攻撃したとき、神奈は悲しそうな表情をしていた。

 ――神奈さんの悲しみの意味は多分それだけじゃないだろうけど、でも。

「だから祐一くん。諦めないで。確かにエアは敵だけど、やれることだってあるはずだよ。それは神奈さんに対してもそうだけど……」

「――」

 神奈と戦わずに済む、というのはほぼ絶望的だろう。

 なんと言っても祐一はカノンの王で神奈はエアの女王。敵対する国の長であるのなら、それだけは回避しようがない。

 それを直視しなければならなかったのがさっきの場面。だからこそ、祐一も神奈も互いを見やることしかできなかった。

 頭では理解できていても、実際敵として戦場で出会うのは初めてだったのだから。

「……悲しいよね、戦いって」

 呟く。握った袖を更に強く握って、

「どうして、こうなるのかな……?」

 二葉も、神奈も。

 あゆからすれば大事な親友だ。

 しかし互いに背負う者があり、戦わなくてはならない理由もわかっている。

 自分たちが間違っているとは思わない。けれど、

「やりきれないよ……」

 すると、ぽん、と。不意に頭に温かみが灯った。

 見上げるまでもない。それは、祐一の手。

「ありがとうな、あゆ」

「祐一くん……?」

「お前が弱音を吐いてくれるから、俺は俺でいられる。……お前がいなければ、きっといまの俺はいないだろう」

「そんな! そんなことは――!?」

「正直なところだよ。……いままでも助けてもらってたのに、礼の一つも言っていなかったしな。すまない。ありがとう」

「うぐぅ……」

 そうはっきりと言われるとどう言っていいかわからなくなってしまう。頬を赤くして俯くあゆに、祐一は笑って言った。

「そうだな。戦争だからって、過ぎたことだからって諦めるのは俺の悪い癖だな。

 ……出来る限り最善の選択が出来るように頑張ろう。今回のことも、これからのことも。……手伝ってくれるか?」

 前向きな言葉。

 祐一はいつだってそうして自分で壁を乗り越えてしまうけれど。

 でも、

「――うん」

 あゆは頷いた。

「もちろん手伝うよ。一緒についていく」

 それは、ずっと昔に、決めたこと。

「どんな困難があっても、悲しみがあっても、辛いことがあっても、ボクはずっと祐一くんの味方」

 そうで在りたいと望んだ。祐一が弱かったときから、強くなってからも。

「だから祐一くん。祐一くんは前だけを見て、前を突き進んでよ」

 隣にいれなくても良い。ただ後ろにいられるだけで構わない。

 ずっと共にいたいと望み、そして自分には祐一を支えられる役目がある。

 正の道を祐一が進む。そのために負の道を省みないと言うのなら、

「祐一くんの背中はボクが守るよ。だから……安心して進んで」

 それを自分が担う。

 負の感情は全て自分が引き受ける。祐一が内に溜めようとする感情(モノ)から祐一を襲う感情(モノ)まで。

 一切合財を引き受ける。

 それだけが、自分に出来る唯一のことであり、そして――自分にしか出来ないことだと自信を持って言えるから。

「頑張ろう、祐一くん」

 エアのことも。神奈や二葉のことも。それ以外のことも。

 悩むべきことは多々あれど、それでも前へ進む祐一を支えるのだ。

「……あぁ、そうだな」

 祐一が微笑んで、頷いた。

「頼りにしてるさ、あゆ」

「うん、任せてよ!」

 祐一がもう一度あゆの頭を撫で、そして美汐の方に足を運ぶ。

 その背中を見て、再び誓った。

 全てを良い結果にすることなど出来ないだろうけど、それが少しでも良い未来に繋がるように。

 祐一の背中を支えよう。後ろから、ずっと。

「――二葉ちゃん、神奈さん。ボク、負けないよ」

 そして祐一の背中を追いかけた。

 思いを馳せたのは――ずっと昔、祐一と観鈴と神奈と二葉と……そして自分。五人で遊んだあの――夕暮れ。

 

 

 

 あとがき

 えー、どもども神無月です。

 というわけで美凪救出作戦は無事完了というわけです。

 でもってちょっとあゆにスポットが当たりました。

 あゆが祐一の傍にいる理由。その想い。少しでも伝われば、と思います。あゆの台詞もちゃんと使えたしw

 さて、次回は再びちょこっと時間が戻ります。

 祐一たちが美凪を救出に向かっている間に起きた、ちょっとした騒動です。

 お楽しみに。

 

 

 

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