神魔戦記 第八十四章

                   「天星埋葬・紅(後編)」

 

 

 

 

 

「これは――!?」

 神奈たちが戦闘の気配を感じて正門にまで辿り着いた頃には、既にそれは終わっていた。

「遅かったか……!」

 そこはまさに激戦の跡だった。

 多くの神族の死体と、それに紛れて第四部隊の者と思われる死体も転がっている。

 特に第四部隊所属と思われる者の死体は凄惨だ。槍や矢、魔術の直撃を何度も受けた痕跡がある。

「何度も何度も立ち上がってきたんだ。……本当に、いままでで最も後味の悪い勝利だよ」

「柳也!?」

 死屍累々の中、座り込んでいる柳也がいた。

 地に突き刺された刀からは血が未だ零れ落ちている。

 柳也自体に大きな怪我はないようだ。それに安堵し……しかし一瞬の後キッと睨むと、

「うつけが! 何故このようなことになる!? お主であればこの程度の騒動死人など出さず――!」

「こいつらは遠野美凪を守るために剣を抜いたんだ! 殺さずとも拷問が待っていただろう。

 それに……俺はお前の母親と約束したんだ。お前を守ると。……だから手を抜くわけにはいかなかった」

「柳也……」

 神奈とてわかっている。

 こうなってしまった以上美凪を庇えば自らの位が危うくなることくらい。しかし、

「……どうして、かようなことになるのじゃ」

 どうしてこういう結果にならなければならない、と神奈は歯噛みした。

「……神奈姉様」

 だが、そんな神奈に二葉が落ち着いた声音でその肩を叩いた。

「まだ諦めるには早いです。確かにここは既に終わってしまいましたが……、ですがまだ美凪さん自身は生きています。

 感じませんか? このどこまでも率直で――そして温かくも恐ろしい気配を」

「……これは」

 遠く。アゼナ連峰の方向で美凪が戦っている。

 全力全開。エア王国で神奈の次に強いとまで言われるほどの美凪が、本気で、誰かを守るために。

「二葉! お前……!」

「柳也さま、諦めください。……神奈姉様の性格、あなたなら一番わかっていらっしゃるでしょう?」

「っ……!」

 顔を顰める柳也に、二葉は苦笑を洩らし、

「姉様は、友人を見捨てるようなお方ではありません」

「二葉……」

「行きましょう、姉様。姉様にはいろいろと言いたいことがあるんですけど、それは後回しにします。……さぁ、早く」

「……うむ」

「神奈!」

「柳也どの(、、)。お主はここの兵士を束ね戻るが良い」

「だが、神奈!」

怪我をしていては(、、、、、、、、)仕方あるまい(、、、、、、)。お主は下がれ」

「!?」

 確かに返り血を浴びた状況では、怪我をしているように見えなくもない。

 戦場に立つ人間ならすぐわかるだろうが、それこそほとんど戦場に出た経験のない者であれば欺くことは出来よう。

 その意図を悟った柳也はやれやれ、とこぼし、

「……どうなっても知らないからな」

「ふっ、余を舐めるでないぞ、うつけ」

「仰せのままに」

 神奈が飛翔する。

 その広く大きい翼をはためかせ、神奈は前を見た。

「……待っておれよ、美凪!」

 

 

 

「――はっ、はっ、はっ!」

 息も絶え絶えに、男は走る。

 アゼナ連峰は既に越え、王都カノンは見え始めている。

 ここまで三十分弱。獣人族とのハーフであるとは言え、山を越えた上でこの距離を三十分以下で走破するとは誰も想像できまい。

 男とてもはや限界は迎えている。気を抜けば足はもつれそうだし、一度止まればもう走りだすこともできないだろう。

 しかし止まらない。後ろでは自分たちの隊長である美凪が命を掛けて戦ってくれている。

 そしてその隊長に自分はミチルを託された。

 だからこそ止まらない。この腕にある重さがあればこそ、止まるわけにはいかなかった。

 そしてカノンに辿り着く。運の良いことに、結界は張られていなかった。

 男は知らないことだが、恋が破壊した大規模結界は修復までに一日は要するもので、故にまだ結界は王都を覆っていなかったのだ。

 問題は門番だが、

「考えてられるか!」

 門は以前の戦闘の影響かわずかに空いている。時間もない。ならば、

「ん……なんだ?」

「おい、貴様止まれ!」

 自分の存在に気付き武器を構える門番を無視して、門を潜り抜けた。

「なっ……!?」

 まさか脇目も振らず侵入するとは思わなかったのだろう。門番たちは数秒固まったまま、そして思い出したように鐘を鳴らした。

「賊だー! 賊が侵入したぞー!」

 掻き鳴らされる警報。しかし知ったことではない。

 自分のすべきことは出来るだけ早く相沢王に今回の一件を話すことだ。

 隊長が信じた相手であるならば、どうにかしてくれるに違いない。

 その一心で、男はさらに足に魔力を加えた。既に体力も魔力も限界に来ているが、根性と気合で踏ん張った。

 城門には警報のために兵がうじゃうじゃしている。あんなところに突っ込めば捕まらないにしても大きな時間ロスになるだろう。だから、

「おおおおお!」

 大きく地を蹴った。

 見える二階の窓。そこに全力で跳んで身体を滑り込ませる……!

「っ!」

 ミチルを傷付けないようしっかりと抱え込み、背中から窓に激突する。

 ガシャーン、という破砕音と破片を撒き散らし、背中を廊下に大きく打ちつけながらもどうにか侵入を果たす。

「はっ、はっ、はっ……」

 すぐに走り出す。足はガタガタだが、このまま倒れこむわけにはいかない。

 自分は気配察知に疎かったが、偶然というか近場に特殊な気配を感じた。

 神族と魔族が混ざったような不可思議な気配。

 間違いない、この気配こそあの相沢祐一王だ。

「止まれ! 侵入者!」

 そこにぞろぞろと兵士たちがやって来るが、

「こっちに攻撃する気なんてない! 通してくれ!」

 しかし、はいそうですかと通してくれるわけもない。

 歯を食いしばり悲鳴を上げる身体を酷使してその間をすり抜ける。

 そして気配のするであろう扉が見えた。それを守る兵に悪いとは思ったが

「頼む! どいてくれ……時間が無いんだ!」

 扉ごと蹴りで吹っ飛ばす。吹き飛んだ扉に身体を滑り込ませ、男は見た。

 二人の少女に挟まれる形で座る、威風堂々とした男の姿を。

 間違いない。

 この男こそカノン王、相沢祐一だ。

「貴様、ここがどこか知っての狼藉か!?」

「無礼は承知の上! だが時間が無いのだ!」

 その前に立つ兵士が剣を抜くのを見ても足は止まらなかった。

「貴様――」

「良い。下がれ」

 それを見て向かってこようとする兵士を遮る声があった。

 そして変わるように前に出てくる者。

 相沢、祐一。

「ですが、陛下……!」

「構わん。下がれ」

「は、はっ……」

 兵を下げ、相沢祐一が相対する。

 その態度で、言葉で、……なんとなく、美凪の信じた理由がわかった気がした。

 辿り着いた。ならばすることはただ一つ。切れる息をどうにか押さえ、跪き、口を開いた。

「数々のご無礼、ご容赦ください! 私は元・エア王国軍第四部隊の者です。この度は緊急のお願いがありまして、こうしてやって参りました……!」

 先を促す言葉に男は祐一を見上げた。切望する思いで、言う。

「この方と、そして……どうか我らが隊長を――遠野美凪隊長を、お救いくださいッ!!」

「……なに?」

 眉が傾く。しかしそこに拒絶の色は見えない。

 だから口を止めない。自分の出来ることは状況を詳しく、しかし簡潔に素早く説明することだ。

「この方……ミチルさんは遠野隊長が最も愛するお方です。ですが、この方が今日……エア兵の慰み者にされました」

「!」

 祐一の視線がミチルに注がれる。

「ミチルさんだけではありません。前々から第四部隊の女はエア兵の慰み者になってきました」

 歯噛みし、

「それを知った遠野隊長はその兵士たちを殺してしまったのです。そして、エアを抜ける決意をなさいました。

 ……そしていま、共に逃げた我々をカノンに辿り着かせるため単身、追撃部隊を足止めしております」

 全力疾走から急に止まった影響か。意識が飛びそうになる。

 だが唇を噛み、その痛みで無理やり意識を持続させる。

「……どうかお助けください! 我らが隊長を! そして仲間たちを、どうか、どうか……!」

 懇願するように頭を床にこすりつけた。

 もう頼るべき相手が他にいなかった。だからこそ、だからこそ……。

「……場所はどこだ」

「え……?」

 思わず見上げる。その先で、相沢祐一はただ真っ直ぐにこちらを見下ろしていた。

「遠野美凪が足止めしている場所はどこかと聞いている」

「……アゼナ連峰の、エア側ふもと、です……」

「追撃部隊の規模は?」

「およそ二千と隊長が……」

「そうか、わかった。……ご苦労だったな」

 ポン、と叩かれる肩。

 それは、どこまでもこちらを安心させてくれるような、温かさに満ち溢れていた。

 祐一は、確かに言った。

「任せろ。遠野美凪は、絶対に助ける」

 あぁ、良かった、と。

 やはり隊長の信頼は確かなものだったのだと。安堵した途端気が抜けて……男の意識はゆっくりと落ちた。

 

 

 

 祐一はゆっくりと倒れこむ男を見て、思う。

「遠野美凪……。随分と部下に愛されているようじゃないか」

 そして、気持ちを切り替える。

 託された想い。それを受け取ったからには、やるべきことはただ一つだった。

「あゆ、お前はすぐに城ないし王都の警護に就いている者に報告を。第四部隊の者には手を出すな、と」

「う、うんわかった!」

「お前はこの者たちを治療室に運べ」

「はっ!」

 あゆが翼をはためかせ部屋を出て行き、兵士たちが男とスピリットの少女を抱え上げていく。

 それを見送って祐一は懐から連絡水晶を取り出し魔力を込めた。その相手はもちろん、

「美汐、緊急だ。すぐに城門まで来い」

『どうなされたんですか?』

「用件は後で話す。あとヘリオン、真琴、鈴菜、リリスも呼んでおいてくれ。出来る限り早くだ。あゆはこっちで捕まえる」

『――御意』

 口調から急いでいることがわかったのだろう。理由を聞かず美汐の声が消える。

 この辺りはさすがというべきか。とはいえ悠長に構えている余裕はない。自らも急がねば。

「やっぱり、ユーイチは甘いわね」

 だが、そんな祐一を止める声があった。

 イリヤだ。

「さっきはサイトウとかいう奴を助けには行かないって言っておいて、今回は助けるの?」

「時谷はクラナドに捕まっている。だが遠野美凪はアゼナ連峰だろう? 敵のテリトリーでなければ助ける隙だって十分にある。

 それにこっちもあっちも戦闘したばっかりだ。カノンにまで攻めて来ようとは思わないだろう」

 はぁ、とイリヤはどこか呆れたような表情で、

「エアって敵対国でしょう? そこの人間を助けるために動くなんて、ユーイチってよっぽどのお人好しなのね」

 祐一は振り返り、

「遠野美凪は俺と同じように蔑まれて生きてきた。そんなあいつが誰かに助けを求めてる。……同じ境遇だったからこそ、俺はその声に応じたい。

 その差し出された手を、取ってやりたいのさ」

 祐一は知っている。誰にも見下され、蔑まれ、嘲りの笑みを浮かべられて生きていくことの辛さを。

 誰かに助けを求めたかった。助けて欲しかった。そう思っていたこともハッキリ覚えている。

 ……だからこそ、それが出来る位置に自分がいるのなら、助けたいと、そう思った。

「……それが貴方の望み?」

 気付けばイリヤの表情は一人の魔術師の顔になっていた。

 知人としてではなく、一人の人間として問われている。

 そうわかったからこそ、祐一は真剣に首を――横に振った。

「俺の望みじゃない。……俺の願い、だ」

 踵を返す。

 その答えにイリヤがどう思ったかはわからない。だがいまは、何より急がねばならない。

 遠野美凪を、助けるために。

 

 

 

 そこは、黒と赤の世界だった。

「これは……」

 聖たちが周囲を見やる。

 そこにはなにもなかった。大地も無い。空も無い。

 ただあるのは無限に広がるような黒。そして遠くに浮かぶ、赤き星々。

 これが、

「……これが私の固有結界」

 声に振り向けば、聖のすぐ目の前に美凪がいた。

「なっ……!?」

 馬鹿な、と聖は慌てて距離を取る。

 美凪は翼が使えない。だから飛んでいる自分と同じ高さに、ましてや目の前にやってくるなど……と、そこでようやく異変に気付いた。

「……こ、これは」

 後ろに下がっているつもりが、美凪が下に下がっていく。……いや、下がっているように見える(、、、)

 つまり……自分が、上に移動しているということであり、それは、

「まさか――」

「はい。この結界の中では、上下左右前後の概念がありません。逆を言えば、思えばそれが全て上下左右前後なんです」

 飛べないはずの美凪が、真っ直ぐこちらに飛んでくる。

 放たれる居合いの一撃をブラッディセイバーで受け止め、聖は歯噛みする。

 よくよく周囲を見てみれば、エアの兵士たちがそれぞれグルグルと意味の無い方向へ飛んでいくのが見て取れる。

 だがそれは決してそうしたくてしているわけではない。

 本人たちからすれば前に飛んでいるつもりなのだろう。

 だが、上下、左右、前後。方向という概念が消えたこの空間では真っ直ぐ飛ぶということさえ難しい。

 さらにそれを生かせば、術者である美凪は飛行能力を持たずして飛行能力を持つ相手と同じステージで戦うことが出来る。

「この結界の中ならば、アドバンテージは無しですよ、聖さん」

「ふ、たかがその程度の影響で勝った気など……笑わせる!」

 そうして血を刃として斬りつけようとして、

「!?」

 ガクンと、不意に力が抜けた。

「な――」

 んだ、と疑問を口にするより先に、戦場で研ぎ澄まされた感覚が危機を告げた。

「――血は盾となる――!」

 咄嗟に血の盾を展開し、その一閃を受け止めるが、

「その程度の盾では、受け止め切れませんよ」

「な……にぃ!?」

 血の盾が、美凪の『炎上』の力で溶けていく。

 馬鹿な、と聖は驚愕した。魔力を最も通す媒体である血で作られた防壁が破られるなど、信じられなかった。

 しかも『炎上』の規模が上がっているような気さえする。

 そのまま目にも止まらぬ銀光が二撃、三撃、四撃と続くと、耐え切れず血の盾が破砕した。

「うぉぉ!?」

 衝撃に激しく吹っ飛ばされながらも、翼をはためかせてどうにか制動をかけた。

 上下のなくなった概念下。美凪と上下逆転した聖はただ困惑するように、

「……なんだ、力が……抜けていく……?」

 だがそんな聖に追い討ちをかけるように美凪が迫る。

「っ!?」

「お姉ちゃん!」

「聖さま!」

 佳乃と裏葉から光の魔術が放たれる。

 共に上級魔術。しかもその二人の魔術となれば威力もかなりのはずだ。

 だが、美凪はなんでもないことのようにそれらを切り払った。

 それどころとか身体を翻し一瞬で裏葉に肉薄する。

「――っ!?」

 速い。自分たちは動くだけで手一杯だというのに、美凪は『方向が無い』という概念を上手く使いこなしている。

 それも当然。なぜならここは遠野美凪の世界……!

「はぁ!」

 一瞬で五閃。秒にも満たない間にそれだけの赤が舞う。

「っ!」

 裏葉は瞬時に自らの魔力を最大限に使用し障壁を展開。その攻撃を防御する。

 さすがは裏葉というべきだろう。あの一瞬でこれだけの強度を誇る障壁を張れる者など世界でもそうはいまい。

 ……が、その障壁も持たない。聖の血の盾すら破砕した攻撃はたかが障壁など容易く打ち破る。

「うっ!?」 

「裏葉さん!」

 四発持っただけでもたいしたものだろう。四撃目で障壁は木っ端微塵に砕け散り、五撃目が裏葉の脇腹を切り裂いていた。

「……!」

 痛みが奔る。『炎上』を伴った斬撃は身を内側から焼くような激痛を感じさせる。

 だが裏葉は痛みに耐えながらもすぐさま反撃の魔術を放った。美凪の攻撃はあまりに速い。一瞬の隙が命取りになる。

 その魔術に美凪はわずかに下がり、

「『輝く乱れ星(トゥインクル・スターライツ)』!」

 その隙に佳乃が美凪を狙い撃つ。

 放たれる光の刃は一撃こそ中級魔術並というところだが、数は軽く二十を越える。

 これで美凪を倒せるとは佳乃も思わないが、足止めくらいは――、

「……え?」

 できない。

 確かに一瞬で二十もの居合いはできない。が、一閃の度に撒き散らされる『炎上』がそのことごとくを打ち払っていく。

 しかしそれだけの時間を使い、ようやく他の兵士たちが美凪に到達できた。

 兵士たちが恐怖を飲み込み美凪に襲い掛かる。

 明らかに強いと思える敵にも立ち向かえるのは、ひとえに神族としてのプライド。

『半端者なんかに』

 だが、そんなプライドは無意味であると言わんばかりに美凪は兵士たちを切り払っていった。

「お姉ちゃん!」

 その隙に佳乃が聖に駆け寄った。反撃に出ようとする聖を制止するように手を出し、美凪を睨みつけ、

「お姉ちゃん、この空間の中であまり動かない方が良いよ」

「なに……?」

「この結界……っていうか、あの遠くに見える周囲の赤いお星様。あれにね、体力と魔力を吸い取られてる」

「なっ……!?」

「その通りですよ、聖さん」

 裏葉もどこか疲弊した表情で横にやってきた。

 傷は深そうだが、裏葉は治療魔術を扱える。現にいまも自らに治療魔術を施しながらそこにいる。

「先程、力が抜けたでございしょう? ……あれは、急激な体力と魔力の低下によるものです」

「なっ……」

「そうです」

 そんな三人を、周囲の兵を叩き伏せた美凪はゆっくりと見据え、

「……私の固有結界に直接的な能力はありません。……ですが、ここは私の世界。全て、私の都合の良いような世界が展開されるんです」

 美凪が『冥ノ剣』を上――聖たちからすれば下に掲げた。

 居合いではないやり方に眉をかしげた瞬間、その剣先に膨大な炎が圧縮された。

「「「!?」」」

「……いけ!」

 剣先が聖たちに向けられる。すると、いままでの比ではないほどの規模の『炎上』が三人へ襲い掛かった。

「このぉ……!」

「駄目です、回避を!」

 慌てて結界を張ろうとする佳乃を制するように裏葉の声。

 反射的に三人はそれぞれ散って回避する。するとその後ろでグルグルと動いていた兵士たちが突如現れた炎に慌てて防壁を展開するが、

「!」

 そんなものまるでないかのように、結界まで燃やし尽くしてその炎は十数人の兵士を飲み込んでいった。

「どうやらこの世界、大きく三つの能力を秘めているようですね……」

 裏葉が美凪に注意を配りながら、そんなことを言った。

「三つ?」

「はい。一つは方向概念の消去。そしてもう一つは体力、魔力の磨耗。そして最後に、あの炎の威力増加……」

 そう、裏葉の言うことは正しい。

 美凪の固有結界はその三つの能力を有している。

 ここは炎により形成された星を数多含んだ無限の宇宙。

 どこまでも広がる世界に方向などという概念は無く、灼熱の星を含んだ宇宙はそれだけで存在する者の体力と魔力を奪っていく。

 そしてここが炎により作られた世界であるならば――美凪の『炎上』の威力が上がるのもまた道理。

 これぞ遠野美凪の固有結界、“天星埋葬・紅(クリムゾン・ギャラクシア)”。

 ……炎の力をその身に宿し、夜空の星々に自由を夢見た拘束されし少女の心象世界。

 紅に染まる、天の星により生きながらにして埋葬される生き地獄。

『苦しいことがあれば夜空を仰ぎ見ると良い。どのような悩みも、あの星々の海が吸い取ってくれる』

 美凪は思い出す。

 自分を遠野の末裔として鍛え上げようとして愛情の欠片も見せなかった父親の、唯一の、気紛れのような『父』の言葉。

 思いを馳せた夜空。何度も見上げた星の輝き。

 自らの境遇と力と能力を嘆きながらも、こんな自分を生んだ父親を憎みながらも訓練を受けた。

 母親だってあの人は愛情を持ってはいなかった。ただ美凪を生むための道具としか見ていなかった。

 妹になるかもしれない存在をお腹に秘めたまま、母親は死んだ。

 しかし、思えば子供の頃に既に父親は越えていた。

 訓練が嫌なら反抗する事だって出来たし、憎ければ殺すことだって出来ただろう。

 けれどそれをしなかったのは、

 夜空を見上げ続けたのは、

 ――結局のところ、遠野美凪は本当は父親が好きだった、ということなのだろう。

 だからこの心象世界は、夜空のような宇宙を象る。

 自らの矛盾に悩む葛藤と、他人に対する憎しみと、蔑まれ生きてきた悲しみが、この星の海には染み込んでいる。

 炎の星々はそれらの感情を吸い取り燃え盛り、それを鎮火させんと力を吸い尽くす。そして迷い生きてきた具現のように方向を見失う。

 ……遠野美凪はこの世界が好きではなかった。

 固有結界とは自らの心象世界。自分の内面の黒さや醜さを見つめ、過去を直視し、それでありながら頼らなければいけないという自己矛盾。

 だけど、それでも美凪はこの世界を創り出した。

 理由は単純。

 どんなものであっても、偽ろうとしても、忘れようとしても、これは遠野美凪自身である。

 だからただ――自分の全てを掛けて誰かを守ろうと思っただけにすぎない。

「……私は、私です」

 だからこそ、この世界ならば遠野美凪は屈強だ。

 エア兵二千を単身で食い止める。

 それは既にこの世界に取り込まれた時点で夢物語では無くなった。

 なんとか苦労して美凪に辿り着く兵もいるにはいるが、無駄だ。

 集団ではなく個別に掛かってくる兵など、遠野美凪の敵ではない。成す術なく、駆逐されている。

 神速の居合いで切断され、『炎上』の炎で燃やし尽くされ、中には彷徨うままに体力が限界を迎え息絶えて中空に漂う者まで出始めた。

 これが遠野美凪の全力。

 神奈を除けばエア王国最強とすら言われる、力を求めし遠野の末裔。

「この世界の中でなら――わたくしたちは、確実に負けましょう」

 どこまでも魔術に富んだ裏葉だからこそ、この圧倒的な差を理解した。

「そんな〜、どうにもならないの……?」

 他の兵士たちが美凪に挑みかかり、返り討ちにあっていくのを見ながら佳乃が絶望的な声を上げる。しかし、

「いえ」

 裏葉は首を横に振った。

「確かにこの世界の中では敗北は必須。……しかし、ならばこの世界から抜ければ良いだけの話です」

「方法があるのか?」

「あります。というより、方法はそれしかないでしょう」

 そして裏葉は語る。この状況を打破する方法を。

 それを聞いた聖と佳乃がやや驚いた表情で裏葉を見る。

「いや、しかし……」

「佳乃さんにも大きく負担を掛けるでしょうし、絶対の保障はありませんが、これ以外に有効な手段はないでしょう」

「あたしなら大丈夫だよ! お姉ちゃん!」

「……やむをえまい。その方向で行こう。ボーっとしている余裕もないしな」

 こうしているだけで体力、魔力共に削られていくのだ。早く決着を着けなければ危ないのはこちらだ。

 だから三人は前を見た。

 兵士に対して猛威を振るう美凪を見て、裏葉が佳乃を見やる。

「佳乃さん、お願いします」

「わかった! 任せて!」

 佳乃が右手のバンダナに手を掛ける。

「!?」

 それが見えた美凪が慌てるのが見えた。

 それこそこれが有効打である証。そうとわかり、佳乃はゆっくりとバンダナを紐解いていく。

「遠野さんは強いね。でも……だからこそ、あたしも全開だよ」

 解かれるバンダナ。それには封印術式が刻まれており、

「後は任せるよ、白穂さん」

 瞬間、佳乃の魔力が激しく膨れ上がった。

「封印を、解き放ったのですか……!?」

 佳乃の身体が変化する。

 その短く切り揃えられた髪が腰まで伸び、その色までが青から艶やかな黒へと変化していく。

 圧倒的な魔力の放流。その余波に思わず美凪は顔を顰めた。

 そしてスッと、佳乃の瞼が開かれる。

 いや、それはもう既に佳乃ではない。身体的特徴だけでなく、気配からして既に別人になっていた。

「お久しぶりです、白穂さま」

「裏葉さま……。お久しぶりでございます」

 声こそ変わっていないが、口調まで変化していた。

 そう、その少女はもう佳乃ではない。それは『白穂』と呼ばれる――佳乃の内に眠るもう一つの魂である。

 二重魂。

 一般にそう呼ばれる者たちがいる。

 それは読んで文字の如くであり、一つの身体に二つの魂が宿った者のことを指す。

 ごく稀に生まれることが確認されており、過去にも何人かそういうケースが生まれたことがある。

 二重魂の特徴は、まったく異なる存在が身に二つ存在する、ということだ。

 表層に出てくる魂が入れ替われば、気配や属性だけに限らず肉体的特長まで変化する例もあるらしい。

 そして佳乃の身体にもまた、『佳乃』と『白穂』という二人の魂が存在する。

 二重魂の者はその二つの存在が「上手く共存」するか「対立」するかで半々に分かれる。そして佳乃たちは前者だ。

「佳乃さんと変わるのも久々ですが……なにかあったのですか?」

「白穂さま。周りをご覧ください」

「これは……固有結界、ですか。それに……この感覚、なかなか妙ですね」

 佳乃は格闘のスペシャリストであり、魔術と使い魔との連携を得意とするのに対し、白穂は典型的な魔術師タイプである。

 すぐに固有結界だと看破し、その能力にも気づき始めている辺りさすがというべきか。

 エア王国で一、二を誇る魔術師裏葉。

 そしてそのもう一人こそ……この白穂である。

「はい。ですからわたくしと白穂さまの魔術でこの固有結界を内部から破壊します。

 ……美凪さまも随分とお疲れの様子。この様子なら世界の存在概念も大分緩まっていましょう」

「なるほど、そういうことですか。……わかりました」

「っ!?」

 やはり気付かれていた、と美凪は歯噛みする。

 固有結界。世界を己が心象世界に塗り潰す空想具現化の亜種ともされる禁呪。

 だが、無論世界そのものを変質させるという能力が魔力を膨大に食わないはずがない。

 実は既に美凪の魔力は半分以下になっている。

 固有結界に加え『炎上』まで使用しているのだ。最中の強さはまさに最強だが、リスクがないわけではない。

 そんな使用をしていれば、十分も持たず魔力は空になるだろう。

 慣れていればまた違ったのかもしれないが、いままで忌み嫌ってきた力だ。が、それをいまとやかく言っても仕方ない。

 ……魔術に詳しい裏葉がいたのはまさに運が悪いとしか言いようがない。

「ですが……させません!」

 美凪が飛ぶ。

 だからと言って手を拱いて見ているつもりはない。

 裏葉の言うとおり、間違いなくこの中にいる限り美凪は最強だ。ならば何かをされる前に、ここで全てを決める。

『炎上』を刀に乗せてその一閃を裏葉と白穂に見舞おうとして、

「それはこちらの台詞だ!」

「!?」

 しかしその一撃は聖の血の盾に遮られる。

「くっ……!」

「裏葉さんの言うとおりだな。……先程よりも力が落ちているぞ!」

 血の盾が、崩れない。

 それでも押しているのは美凪だが、先の一撃に比べれば見た目に威力が落ちている。

「悪いが魔術が完成するまで付き合ってもらうぞ!」

「っ――!」

「――血は刃となる――!」

 盾が血に戻り一瞬の後に剣となり美凪を襲う。

 これを一撃でも受ければ致命傷だと美凪は知っている。それを居合いで全て弾き返すが、そこを狙ったようにエア兵が群がってくる。

「!?」

 焦りが隙を生んだ。一瞬で二刀の居合いが周囲を奔るが、全員を倒すには至らない。

「っ……!」

 三人の槍が美凪の右肩、左脇腹、右太腿に突き刺さる。

 痛みを無視しその三人を切り払うが、

「『血濡れの白き死神』の前で血を流すのは、自殺行為だぞ!」

 液状に変化したブラッディセイバーが襲い掛かる。あの血が傷口から侵入すればそこでおしまいだ。

「この……!」

 刀を振り上げ『炎上』による壁を作り上げる。それに血が阻まれている間に美凪は距離を取り、身体に突き刺さった槍を引き抜いた。

「……」

 切り傷でないのが救いか。この程度の傷ならば数分もすれ(、、、、、)ば治るだろう(、、、、、、)

「自己再生か……。やはりお前は敵に回すと厄介だな、遠野。個人的にはずっと味方でいて欲しかったが……」

「……」

「しかしこうなっては仕方ないのだろうな。……さよならだ、遠野」

 バッと聖が下がる。その行動の意味するところを悟り、美凪は目を見開いて裏葉と白穂を見た。

 詠唱はなかった。だが二人の身体をいま尋常ではない魔力が凝縮されているのがわかる。

 あれは――古代魔術。

「っ!?」

 裏葉だけならまだしも、あの白穂の魔力を込められた古代魔術も一緒となればこんな崩れかけの固有結界は軽く吹き飛ばされるだろう。

 白穂。魔力量だけならばエア王国で神奈に次ぐだけの量を内包する者。

 だからなんの処置もなしに佳乃の内側にいると、佳乃の身体を蝕んでしまう白穂。

 白穂として表に出るときは魔術回路からして変わるので問題ないが、佳乃の魔術回路では白穂の滲み出る余波ですら耐え切れない。

 だからこそ、佳乃が佳乃でいる間は完全に白穂の能力をシャットアウトしている。そのバンダナはそういった特殊な術式加工がされていた。

 ……つまり、白穂の魔力はそれだけ強大ということ。

「くっ……!」

 美凪は奔る。だが間に合わない。

 聖が下がったということはつまりそういうことだ。だが、ここで固有結界を失えば、

 ――もう足止めする術がない……!

 二度発現させるような魔力など持ち合わせてはいない。だからこれを壊されたらそれでもう手詰まり。

「私は……私は皆を、守るんです……!」

 一閃。止めるために全力で『炎上』をその二人に放つ。だがそれが裏葉と白穂に到達するよりわずかに早く、

 

「「裁きの聖十字(グランド・クロス)”!!」」

 

 光系古代魔術で最強と言われている魔術が、『炎上』共々美凪の“天星埋葬・紅(クリムゾン・ギャラクシア)”を内側から吹き飛ばした。

「――――ッ!?」

 固有結界が消し飛び、世界が元に還る。

「――はっ」

 息が漏れた。

 方向の概念が戻った世界で、中空に浮かんでいた美凪は重力に引っ張られるように墜落していく。

 もう動けない。

 魔力は最後の『炎上』により空になってしまった。その証拠に紅赤朱も解けている。

 もう……動けない。

「終わりだ、遠野美凪!」

 直上、真っ直ぐブラッディセイバーを構えて落ちてくる聖の姿が見える。

 しかしどうすることもできない。

 昔から嫌ってきた能力を受け入れ、二つ同時に発動させた代償か。身体は自らの意思を全く受け付けなかった。

 回避どころか迎撃もできない。あの剣に串刺しにされ、内側から血の刃に散らされるのだろう。

 そして死ぬ。

「っ……」

 結局、こうなるのか。

 ミチルと平和に過ごしたい。それは叶わぬ夢なのか。

 ……皆をカノンに送り届けられただけで、満足するべきだったのか。

 ――嫌。

 そう、嫌だ。

 こんなところで死にたくない。

 まだまだミチルと一緒にいたいのだ。約束したのだ、共にいると。

 だから、だから――、

「……私は……私は……死にたくない!」

 ガキィン! と。

「なっ……!?」

 激突する剣と剣の音がした。そして聖の驚愕の声。

「間一髪、だな」

「……え?」

 気付けば、温かさがそこにはあった。

 誰かの腕の中にいる。

 そうして目を見開けば、

「助けに来たぞ、遠野美凪」

 そこにいたのは……漆黒と純白の翼を背中で揺らし、金色の眼を宿した、

「相沢、さん……」

 圧倒的な力を撒き散らす半魔半神の王、相沢祐一だった。

 

 

 

 あとがき

 ほい、どうもどうも神無月です。

 美凪、固有結界突破されてしまいました。佳乃――もとい白穂大活躍。いや、裏葉かな?

 さて、祐一たち合流です。ですが……あれですね? 実はいまここに向かっている人たちがいますよね?w

 そんなこんなで次回も荒れますよ〜。

 というわけで、また次回〜。

 

 

 

 戻る