神魔戦記 第八十三章

                   「天星埋葬・紅(前編)」

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 白塗りの広い部屋に、その溜め息はどこまでも浸透していった。

 そこはエア王城の最奥、女王陛下の自室。

 そこで巨大な双翼を広げ、緩やかに椅子に座り込んでいる者こそこのエア王国の女王、神尾神奈である。

 溜め息の理由はつい先刻行われた報告会。

 大臣連中の言いっぷりには嘆息を禁じえない。

 神族こそ最高の種族、という考え方が定着してしまっている典型的な神族で、魔族を舐めるにもほどがある。

 そもそも神族と魔族は互いに争いあってきた種族。だがどちらも潰えていないということは結局いつの戦争でも勝敗は着かなかったということ。

 にも関わらず魔族相手に「勝って当然」と思う神経が知れなかった。

 言うだけは勝手、というやつか。今代の大臣はほとんどの者が戦場に出た経験が無いのでなおさらだろう。

 神族こそ最高、という価値観が全てを見下してしまう。スノウ王国にも言えることだが、神族国家はこの傾向がとても強い。

 あまりにその思考が強ければいずれ足元をを掬われるということすら気付いていないだろう。

「このままでカノンに勝てるのかの」

 祐一と出会ったのは子供のときだけだが、不思議と惹きつけられた。それは観鈴も同じだったが。

 祐一は『半魔半神』という肩書きがあるから誰からも敬遠されるが、その本質を知れば誰もが惹かれていくだろう。そんな魅力が彼にはある。

 そしていま、美凪の言葉からかの国にはそうして祐一を慕う面々が集まっていることが伺える。

 兵力の多さに慢心し相手を見下すエアと。

 兵力が少ないからこそ慎重になり絆も深いカノン。

「……正直、あまり勝てる気はせぬなぁ」

 重い溜め息が口を突く。だがこればかりはすぐに直るものではない。とするならば――、

「やはりクラナド提案のあの作戦、飲むしかないか……?」

 突拍子もなく一見自殺行為に近い作戦だが、よくよく考えれば確かに上手い作戦だ。

 上手く運べばカノンだけでなくワンも殲滅することができる作戦。

 クラナドはワンがカノンに着こうが着くまいが最初から攻めるつもりであるらしい。

 ただ……これも問題がある。それは大臣連中がたかがクラナドの作戦など、とこれまた見下していることだ。

「見下すことしかできんのか、あやつらは」

 それが生粋の神族の性分であるのなら、救いようがない。

 だが、だからと負けるわけにはいかないのも事実。神奈は国民を預かる一国の女王なのだから……。

 と、不意にこの部屋に近付く気配を感じた。知った気配だ。

 いずれ来るだろうとは思っていたが……、大方戦場から帰ってきた連中からいろいろ聞いた帰りだろう。

「ノックはいらぬ。入るが良い」

 扉の前に立つ相手に言い放つ。すると小さな返事が返ってきて、扉がゆっくり開かれた。

「失礼します、女王陛下」

 入ってきたのは鋭い目をした少女だ。

 神奈直属の近衛兵の戦闘服を着込み、神族の証である純白の翼を背に持つ少女。

 名を神尾二葉。

 神奈、そして観鈴の妹である。

「やはり二葉か……。堅苦しい言い回しは良い。ここには余とお主しかおらぬのだからな」

「……わかりました」

 二葉は後ろで一本に束ねた金髪を揺らしながらゆっくりと室内に足を踏み入れ、近すぎず遠すぎず、という微妙な位置で立ち止まる。

 ――これがいまの余と二葉の距離か。

 仕方ないのかもしれないが、と思いつつ神奈は二葉を正面から見据えた。

「で、何用じゃ?」

「神奈姉様ならわかっていることと思いましたが」

 無論、何を言いたいかはわかっている。わかっていて、敢えてとぼけてみた。

 だが二葉の表情は冗談など受け付けぬと語っている。

 はぁ、とこれ見よがしに溜め息を吐き……しかしもう限界なのだろうな、と本題に触れた。

「祐一のことか」

「はい」

 やれやれ、と額に手を当てる神奈。そんな神奈を二葉は無感情な瞳で見つめ、

「今回出向いた方々に聞きました。……相沢祐一、出てきていたようですね」

「出るであろうな。なんせあ奴はカノンの王なのだから」

「……どうして私を行かせてくれなかったのです?」

 声に怒気が込められる。

「私があの人を恨んでいること……姉様だって知っているでしょう?」

「知っているとも」

「なら!」

「だからこそ、出したくないのじゃ」

「何故ですか!? カノンと戦うことを決めたのなら、あの人を殺す覚悟を決めたのでしょう!?

 ……なら誰が殺しても同じじゃありませんか。私でも良いじゃないですか!」

「ならぬ! 他の誰であろうと、お主だけには祐一は殺させぬ!」

「どうして!? 私は――あの人に復讐をする一心でここまで生きてきたのに……ッ!」

 だからこそだ、と言いかけて……それは噤んだ。

 それを言ってしまえば二葉の過去に足を踏み入れることになる。

 二葉が祐一を憎む理由となる過去。それは神奈も知ってるが、だからといって再び踏み込んで良い領域ではないだろう。

 それに二葉は神奈が知った理由を知らない。そしてその真実も。

 ――歯痒いな。

 言ってやりたい衝動に何度駆られたことか。だが言ったところで信じはしないだろう。

 だからこそ、神奈は理由を告げずに二葉を先の戦場に出さなかった。

 祐一を倒すことは辞さない。だが、どうしても祐一と二葉には戦って欲しくなかった。

 個人的な感情であることはわかっている。だがこれだけはどうしても通したかった。

「……二葉」

 怒りと悔しさに顔を俯かせてしまった二葉になんと声を掛けようかと迷って――、

「「!?」」

 不意に強烈な気配が城内を支配した。

 身体を突き奔る威圧感。神族の血が警告を促すほどの凶悪なまでの魔の波動。それは、

「この気配、まさか……」

「馬鹿な……! 美凪っ!?」

 二葉がその正体に気付くより先に神奈は翼をはためかせ廊下に飛び出した。

「神奈姉様!?」

「二葉! お主も来い!」

「っ……、は、はい!」

 慌てたように二葉が後ろに着くが、神奈の意識は既に別のところにあった。

 美凪のあの気配。

 いままで感じたこともないほどに魔の力を感じた。

 あれが噂に聞く『反転衝動』というものだろうか。わからないが、ともかく美凪に何か起こったということだけは理解できた。

 あれほどの圧力。気配察知が鋭敏なものならすぐに美凪だと気付いたはずだ。

 そして気付いたからには……どんな行動を取るか。考えたくもない。

「早まるでないぞ、美凪……!」

 

 

 

 

 そんなことがあったとも知らず、美凪は一大決心をしていた。

「私は――エアを抜けます」

 その台詞を聞いて、誰もがすぐには動けなかった。

 誰がその言葉を素直に受け取れようか。

 彼らだからこそわかる。遠野美凪は心の底から神奈を慕い、忠誠を誓っていたのだ。

 だが、いまそれを捨てた。捨てて、選んだのだ。

 ミチルを。そして、第四部隊の仲間を。

「……一緒に行きたい人は一緒に行きましょう。家族がいる人もいますから行けない人もいるでしょうが……」

 数人が顔を俯かせる。家族がいる以上それを捨てて美凪と共に国を出ることはできないだろう。

 いやそれよりも、

「隊長! エアを抜けて……いったいどこに行くつもりなんですか!?」

 その問いに美凪は一拍の間を置いて、

「――カノン」

 そこにいる皆が驚きに目を見開く。当然の反応だが、

「……この目で見てきました。全種族の共存を謳う国。……どうやら偽りではないようです」

 その言葉を聞いて、誰もが複雑な表情を浮かべた。

 全種族が共存する国。

 それは、この第四部隊の面々においては理想郷だ。

 そんなところに住めるのなら住みたい。だが……はたしてカノンは受け入れてくるだろうか。

 いままで剣を向けてきた、自分たちを。

 エアを抜け、カノンに受け入れられなければもう自分たちの向かい先はない。不安を感じないわけがないが、

「――大丈夫です」

 遠野美凪は、言い切った。

『俺の手を取れ、遠野美凪。お前の願いは……俺たちと同じはずだ』

 あのときの祐一の顔は、信用できるものだった。

 もしもミチルや第四部隊の懸案事項がなければおそらくあのとき差し出された手を美凪は握り返していただろう。

 だからこそ、大丈夫だと言える。

「大丈夫です」

「隊長……」

 第四部隊の面々は皆が皆美凪を信頼している。

 その美凪が信頼するのなら――それを信用しても良いと思えるほどに。

「……わかりました。行きましょう、カノンへ」

「全種族共存国。そんなところに住んでみたいですしね」

「皆……」

 口々に賛成の声を上げてくれる皆を見て、美凪はようやく笑みを浮かべられた。

「……ありがとう」

 そうして美凪に着いていく者、残る者とに分かれる。

「残る人たちは、しばらくしたら私たちがエアを裏切り国を抜けたということを上に報告してください」

「そんな……!」

「そうでもしなければ……あなたたちが危ないんです」

 国を抜けた者の元部下。しかも第四部隊となればそれだけで死刑になるかもしれないのだ。

 美凪とは無関係だ、ということをアピールしておかなければ確実に潰されるだろう。

「良いですね?」

「でも……」

 美凪は後方、城の方を向き、

「お願いします。……紅赤朱の影響でしょうか、城の方が少し騒がしいです。気配察知に鋭い人ならわかってしまったでしょう。

 どの道いずれ気付かれます。ならあなたたちの生きる糧にしてください」

 そこで言葉を切り……そして笑顔で向き直った。

「いままでありがとう。……そしてあなたたちを残して去っていくことにになって、ごめんなさい」

「いえ、そんな!」

「我々こそ隊長に着いていけずにすいません……」

 家族がいる者たちは残らざるを得ない。家族もまた、神族に疎まれている者が多い。守りたい、という気持ちは美凪と同じだろう。

 だからこそ無理は言えない。いや、彼らを残して去っていくことに罪悪感すら感じる。

 ……胸で眠るミチルを見た。

 けれど、けれどもうこれ以上ここにはいれない。もう二度と、ミチルにこんな思いはさせたくなかった。

 だから断ち切るように顔を上げ、美凪は別れを告げた。

「さようなら」

「隊長も、どうぞご無事で」

「……あっちで幸せに暮らしてください」

 良い部下を持った。そう思いながら美凪は共に行く者たちと背を向けた。

「……行きましょう」

 急がなくてはならない。

 いずれ美凪たちが国を抜けたことがばれて、追っ手の部隊がやって来るはずだ。

 翼を持たない美凪たちがカノンに向かうためにはアゼナ連峰を足で横断しなくてはならない。

 飛行能力を持つ神族兵に追いかけられれば半分以下の時間で追いつかれるだろう。

 だからできる限り早く動かなければ皆の負担になる。

「各員散開。王都入り口にて各自集合。……良いですね」

「「「「「はっ!」」」」」

 散っていく。獣人族やエルフのハーフもいるので純粋な移動速度なら美凪より速い者もいる。

 この大勢で動けばすぐにばれる。ならそれぞれで動いた方が効率は良い。

「ミチル……」

 胸に抱くミチルを一瞬見下ろし、美凪は走り出した。

 

 

 

「あれは……」

 神奈たちが気配の出現した場所に辿り着く頃には、既に人だかりができていた。

 兵士たち、ではない。城に勤める非戦闘員だ。

「どうした、何があったのじゃ!」

「え、神奈女王陛下!?」

 慌てて跪こうとする者たちを片手で制し、神奈はその場所へと足を踏み入れた。

 第四部隊詰め所へと伸びる通路の手前。そこに神奈ですら知らなかった地下の部屋があった。

 そしてそこは、

「む……」

 神奈でさえ顔を顰めるような異臭を放つ惨劇の後になっていた。後ろに続いた二葉もまた苦々しい表情を浮かべている。

「……何があったかわかる者はおるか?」

「あ、はい。えと、裏葉様と数名の大臣様、兵士がやって来まして。で、ここを見て裏葉様が『遠野さんの気配が残っています』と……」

「それを大臣連中が聞いたのか?」

「はい。それで神族に手を出すとは、と激怒した大臣様方が戻っていったのが数十分前で……」

 神奈は思わず舌打ちする。裏葉と大臣たちがいたのは治療関係の会議かなにかだったのだろうが、間が悪いとしか言いようがない。

 裏葉はエア王国の中で一、二を争う魔術師だ。ここに残された美凪の気配も簡単に看破できただろう。

 だがここでの惨状が美凪のせいだとわかれば、あの大臣連中のことだ。美凪の討伐に踏み出すに違いない。

「神奈姉様。美凪さんは――」

「美凪は理由もなしにこのようなことをする人間ではない。……それに、余にはおおよその見当がつく」

 血に混じって僅かに感じるこの鼻につく匂い……。そしてここが第四詰め所の近くであることを考えれば、ここで何が行われていたかは想像に難くない。

「行くぞ、二葉」

「どちらに?」

「決まっている」

 急がなければならない。

 取り返しの着かない状況になる前に……。

 

 

 

 その十分ほど前。

「さて、どうしたものかな……」

 城門に集結した集団の中で先頭に立つ男が誰に聞こえることのないほどの声量で呟いた。

「どうしたものか、と申されましても柳也さま。こうなってしまってはもうどうしようもないと思いますよ?」

「裏葉。気配を消して来るなと何度も言っているだろう」

 申し訳ありません、と笑顔で小さく頭を下げる女性、第一部隊長である裏葉に対しその男――第一師団長である柳也は大きく嘆息した。

「美凪が裏切った、か。……大方のところ、悪いのはその兵士たちだろう?」

「はい。わたくしもそう思いますが、あの方々は美凪さまを毛嫌いしておりましたから。この機に乗じて、というところなのでしょう」

 裏葉が悲しそうな表情で俯く。柳也もそんなところだろうと内心頷いた。

 今回柳也たちに届いた大臣連中からの伝令はこうだ。

『裏切り者の遠野美凪、またそれに着いて行った者の駆除』

 抹殺でも殺害でもなく『駆除』ときたものだ。神族こそ最高と信じる大臣連中からすれば美凪は害虫と同じようなもの、というところだろうか。

 しかしそんな相手に全員ではないとはいえ第一師団、第一部隊。さらには編成すら完了していない第三師団、第三部隊を追撃部隊として使うというのがなんともらしい。

 遠野美凪のことを嘲っておきながら、その力にとても恐れている。いや、恐れているからこその裏返しか。

「しかし、急なことで兵も集まらなかったな。いや、二千三百程も集まれば十分ではあるが」

「気配の移動からして美凪さまに着いていった面々はおよそ百名弱。分散して正門を抜けたようです」

「門番の気配は?」

「……消えていません。美凪さまらしいですね」

 自分たちの勝手で出て行くのだから、門番には危害を加えない、か。確かになんとも美凪らしい、と柳也は思う。

 だが、もしも自分たちが追撃に出るのなら美凪とて容赦はするまい。そうでなければ逃げる意味もないだろう。

 とはいえ、建前を別にして本心だけで言えばむしろ柳也は美凪の逃亡を応援したかった。

 というよりむしろよくいままで耐えてきたと褒めてやりたい気分だ。……しかし、

「上の命令となれば仕方ない。俺もやはり軍人か」

「神奈さまが悲しがられるでしょうね……」

 だろうな、と返した。

 神奈は美凪にいろいろ手を掛けていた。だがそれは決して同情心やそういう類のものではない。

 理由は実に単純。神奈が美凪を好きだったからだ。

「しかし兵士を殺した、という名分がある上に大臣全員の意思となれば、いくら神奈でもすぐには取り消しできないだろう。結局間に合わない」

「……ですね。そしてあまりわたくしたちが時間を掛ければそれだけ神奈さまの首を絞めてしまう結果にもなります」

 神族の兵を殺した、神族ではない兵を女王である神奈が庇ったとなれば今度こそ王位を剥奪されてもおかしくない。

 神奈を慕う兵士は多くいるが、大臣派だって決して少なくはない。下手なことをすれば二分してしまう結果にもなるだろう。

 そして柳也、裏葉は共に神奈派と言われている。ここで自分たちが故意に出撃を遅らせたりした日には神奈に責任が飛び火するに違いない。

 厄介なことだな、と思いつつ柳也は第三師団の方を見た。

 目が合った聖と佳乃が頷きを返す。準備はできているようだ。

「――では、行こう」

 翼をはためかせ、飛翔する。

 戦いたくない相手を、殺すために。

 

 

 

 残留を決めた第四部隊はそれを見た。

 美凪たちを追うために羽ばたく、二千に届く兵の群れを。

「そんな……!? いくらなんでも発覚が早すぎる!?」

「誰か言ったの!?」

「いえ、そんなはずは……」

 彼らは知らない。偶然にも事件場所の近くに大臣と――そして気配感知に鋭い裏葉がいたことを。

 当初の予定ではしばらくして第四部隊の面々が上に報告する、ということだったが……これでは意味が無いだろう。

「――」

 唐突に、一人の男が走り出した。それを見た他の女が慌てて、

「ちょ、ちょっとどこ行くの!?」

「決まってるだろ! あいつらを正門で迎撃して足止めするんだよ!」

「なっ!? 正気!?」

「わかってるよ! これが愚かな行動だってことくらい! でも、これじゃすぐに隊長たちに追いつかれちまう!

 それに事が既に発覚しちまった以上俺たちにも何がしかの処罰は下されるはずだ! それを待つ位なら、俺は……!」

 そう言い残して男は走り去る。

 それを見送った他の兵士たちは困惑したように互いを見やり――しかしすぐに笑みを浮かべて頷きあった。

 

 

 

 裏葉の見解では美凪があの場を去って一時間は経ってないという。

 第四部隊は足が速い連中が多いのでしばらくは追いつけないだろうが、それもアゼナ連峰で止まる。

 どれだけ足が速くても、山岳部を越えるには時間が掛かる。飛んでいける自分たちは必ずそこで美凪たちに追いつけるだろう。

 それほど時間の掛からないうちにこの一件は幕を閉じるだろう……と考えて、

「!」

 不意に殺気を感じ柳也は身体を横にずらす。するとその場所を矢が通り過ぎていき一人の兵士に突き刺さり墜落していった。

「何者!?」

 眼下、弓を構えている男がいる。

 気配からその男は神族とエルフのハーフであることがわかった。即ち、

「第四部隊の者か!」

「ここから先には行かせない! 絶対に……!」

 残っていたのか、という疑問を浮かべるのと同時、魔力の込められた矢が放たれる。なかなか鋭い。しかし、

「隊長を庇うか。その心意気や良し! ……だがっ!」

 鏃が身を裂こうかという瞬間、銀閃が矢を斬り落とした。

「!?」

「この程度の攻撃で、俺を倒せると思うなよ!」

 柳也が疾駆する。重力を利用し空から急降下していく。

「くっ……!」

 慌てて男が第二射を放つが、甘い。集中しきれていない矢などそうそう当たるものではない。

 刀を翻す。

 手加減して生かすこともできる。だが生粋の神族に攻撃したということになれば、その後の拷問は辛いなんて生易しいレベルではあるまい。

 だからこそ、殺す。それを優しさだと言い張るつもりはないが、それでも相手を想い柳也は加減をしない。

「すまんが……散れ!」

 その一撃が男の心臓を突き刺そうという瞬間、

 ガキィ! と。

 両脇から現れた別の者の剣によって遮られた。

「むっ!?」

 そしてまた現れた別の者が魔術を放ってくる。それを回避するため柳也は一度上空に上がった。

 その下で弓を持った男は一瞬唖然とし、そしてすぐに怒り出す。

「お前たち、何やってんだよ……!」

「っていうか、あなた一人で足止めなんかできると思ってたわけ?」

「いや、それは――」

「そうそう。全く、お前は考えなしで困る」

 ぞろぞろと。現れたのは三十人程度の兵士。どれもこれも純粋な神族ではなく、何かしらの種族との混血だ。

 即ち、第四部隊。

「だけど、お前たちは家族が……」

「それはあなたも同じでしょう? それにさっきあなたが言ったんじゃない。このままじゃどの道処罰が下るって」

「そ。だから他の奴らにな、家族を引き連れて別ルートからカノンに向かうように言ってある。大丈夫だ」

「お前たち……」

「だからここは踏ん張りどころよ? 私たちが足止めする理由が一つから二つに増えたんだから」

「――あぁ、そうだな!」

 二千以上の軍勢を、しかしその三十人は恐れの見えない表情で見上げた。

 恐怖がないわけでは、無論ない。どうあれこの先待ち構えている結果は変わらないだろうことを誰もがわかっている。

 しかし、それでも譲れないものがあるからこそ彼らは絶対の意思を持って二千の軍勢を直視できた。

 闘争心はある。挫けない。理由が二つもあるのなら、戦えると誰もが心を決めていた。

「……」

 それを見下ろす柳也の表情の方がむしろ追い込められているようだった。

 相手の数は三十程度。やろうと思えば柳也一人でもどうにかなる規模だ。

 ……だが、これだけの意思を持つ相手を、大儀のない自分が下すのかと思うと精神的な恐怖で手が震えそうになる。

 しかし――と柳也は大きく息を吸い込み気持ちを整えた。

「お前たちに守る者がいるように、俺たちもまた同じことなんだ」

 そう、自分たちが手を抜けばそのツケが神奈に回る。それだけは避けねばならない。

 もしあの大臣連中の誰かが王位を引き継ぐようなことがあればエアの未来は真っ暗だ。だからこそ、柳也は剣を構えた。

「……第一師団の半数はここに残り、あの者たちを討伐する。第一部隊、第三師団、第三部隊は先に行け」

「は? ですが隊長、あの程度の数に我々が残る必要など――」

「たわけ。全てを投げ打って戦いに挑む者ほど怖い相手はいない。……慢心するな。下手をすれば、お前が奴らに食われるぞ」

 意見する部下を言葉で押さえ、柳也は隣の裏葉を見た。

 裏葉は全てわかっているかのように頷き、

「……行きます。聖さま、佳乃さま」

「「了解」」

「行かせるかよ!」

 およそ五百を残し、他の部隊が進軍を再開する。それを見て取った男が矢を構えるが、

「ふん!」

「ぐあぁ!?」

 それを放つ前に柳也の一刀に斬り捨てられた。

「「「!?」」」

「……お前たちの相手は俺たちだ」

 刀を振り血を払う。

 ……雑念は捨てる。

 敵は数こそ少ないが強大だ。故に本気を出す。

 それが礼儀だと、柳也は刀を構えた。

「十倍以上もの相手――できるものならしてみると良い!」

 第四部隊の面々が臆すること無く柳也に飛び掛った。それを、

「はぁ!」

 裂帛の気合と共に迎え入れる。

 

 

 

 美凪はハッとした表情で思わず立ち止まり後ろを振り返った。

 既に遠くに見える王都エア。

 そこで――戦いが起きている。気配や魔力の脈動でそれが感じ取れた。

 そしていまエアで戦いが行われるとしたら……一つしかありえない。

「どうして……」

「隊長!? 早く!」

 どうしてそんなことになったのか――美凪にはわからない。

 しかし、どうしてそんなことをしているのかは痛いほどにわかる。

 自分を守るためだ。

 ……自分は守られてばかりだ、と改めて美凪は思う。だから美凪はしっかりと振り返り、

「……私はここで追撃部隊を迎撃します。……皆さんは先に行ってください」

「隊長……!?」

「……追撃部隊の気配がこちらに向かってきています。規模は……二千弱。到達までおよそ二十分前後、というところでしょうか。

 このままではアゼナ連峰の中腹で追いつかれるでしょう。……足場の悪いところで捕まれば、結果は見えています。

 それに私と一緒に行くよりも、あなたたちがそれぞれで向かった方が早く辿り着けるでしょう。だから――」

「でも、隊長!」

「大丈夫です。すぐに私も追いつきますから……」

 抱えていたミチルをその男兵に預ける。

 獣人族とのハーフであるこの男が最も足が速い。おそらく一番最初にカノンに辿り着けるだろう。

「ミチルを……お願いします。そしてカノン王……相沢さんに報告を」

「隊長……」

「早く。……時間を稼ぐにしても限度がありますから。一時的に指揮権はあなたに譲渡します。……いけますね?」

「っ!」

 男は歯噛みし、グッとミチルをしっかりと抱え込むと、

「各員、全速離脱! カノンへ向かう!」

 後ろ髪引かれる思いで部下たちが疾駆する。彼らの足ならアゼナ連峰を越えるのに三十分も掛かるまい。

 カノンに辿り着くまでに早くて四十分。遅くとも一時間は掛からないだろう。

 ミチルは預けた。だから大丈夫。あとはそれだけの時間を稼げば良い。

 ……とはいえ、死ぬつもりは毛頭ない。

 ミチルに平和に生きて欲しい、という願いと同時に、ミチルと平和に過ごしていきたい、という願いもある。

 だから死なない。残った部下たちが削ってくれた追撃部隊。それはなんとしてもここで止めて……、

「……撃退します」

 それからおよそ三十分。

 空を覆おうかという規模の兵が見えてきた。

 三十分。嬉しい誤算だ。時間が掛かるに越したことはないのだ。

 そうして待ち構えていると、

「遠野……。まさか一人でこんなところにいるとはな」

 二千弱の兵が上空に展開する。美凪を警戒し皆が皆臨戦態勢を整う中、霧島聖が美凪を見下ろした。

「……はい。たとえ聖さんや佳乃さん……そして裏葉さんでもここから先には行かせませんよ?」

 すると聖は失笑……いや、苦笑に近い笑みを浮かべ、

「遠野。お前一人でどうなる。もう馬鹿な真似は止せ」

 その言葉には案に、いま降伏すれば口添えするくらいはできるぞ、と込められていた。

 その心遣いは素直に嬉しい。だが……部下を巻き込んだ以上、引き下がれない。いや――引き下がる気もない。

「馬鹿な真似、ですか……」

 確かにそう思えるでしょう、と美凪も内心頷く。だが、

「……いまは亡きムーン王国の天沢郁未女王、ご存知ですね?」

 唐突な話に誰もが訝しげに美凪を見下ろす。その下で美凪は淡々と、

「ムーン王国に攻め入るためエア王国軍は第一師団から第三師団、第一部隊から第三部隊までを全投入。総勢四万にも及ぶ兵で進軍しました。

 ……ですがこの軍勢は、たった一人の相手……天沢郁未女王に三時間もの足止めをくらい、しかもその半数を壊滅させられます」

「何が言いたい、遠野」

「その中には元女王、神奈様のお母様である郁子様や、霧島夫妻、そして私の父、それに柳也さんや裏葉さんまでいたにも関わらず、です。

 ……そしてそのときの戦いで郁子様、霧島さんのご両親、そして私の父も戦死しました。

 天沢郁未女王は自らの命と引き換えに数時間の時間稼ぎと、エアの兵士約二万を道連れにしたんです……」

「だから何が言いたい!」

「わかりませんか?」

 美凪は見上げる。純白の双翼を掲げ展開する二千近い軍勢を、しかし臆するどころか笑みすら浮かべて、

「……私は遠野。あの天沢郁未女王と同じ五大剣士の末裔。……ならばこれは決して馬鹿な真似ではありません。

 既にこれより悪い状況をどうにかしてしまった先人がいるのです。なら……私ができない理由はありません」

「戯言だな。確かにお前は強い。だが天沢郁未とは次元が違う。

 私と佳乃、そして裏葉さん、そして二千の兵を相手に勝てる保障など――」

「……そうでしょうか」

 美凪の髪がふわりと浮かぶ。

「確かに天沢郁未さんは強い人でした。けれど、それだけでエアの軍勢四万を足止めなんてできなかったはずです」

 何せ当時魔力量だけなら世界最強とまで呼ばれていた神尾郁子や、連係プレーをさせれば無敵と言われた霧島夫妻まで相手にしたのだ。

 しかし、それを下した。それは、

「……いまの私には、わかります。あの人は自分の後ろに絶対に守り通したいものがあった。だからあそこまで戦えた……」

 美凪が自らの剣――遠野に伝わる聖剣『冥ノ剣』の柄に手を添える。

 するとまるで美凪の身体から漏れ出すようにして炎が強く迸った。

「これは……まさか!?」

「……なら、私も出来るはずです。絶対に守りたいものが、この後ろにあるんですから……」

 美凪の髪が、踊る。赤く、紅く、朱く。

 夜闇を吹き飛ばすかのような紅蓮の光が双眸に灯り、美凪の気配が大きく膨れ上がっていく。

「紅赤朱か……!?」

「遠野さん、その力嫌ってたんじゃ!?」

 聖、佳乃の驚きの声に美凪は失笑に近い笑みをこぼした。

「……はい、嫌っていました。ですがそれは、魔の力を受け継いでいる証だということで嫌っていたわけじゃありません。

 私が純粋なる神族ではないからと――他の第四部隊の皆に迷惑を掛ける力だと思ったからこそ、嫌っていたんです……」

 燃え上がる、自らの能力を一瞥し、

「……ですが私はエアを抜けました。……神族でいることに拘る必要が無くなりました。

 ならこの力は――私の力は、隠す必要など無い、むしろ誇るべき……皆を守る力です」

 いままでは忌み嫌っていた力。神族として、ただ邪魔でしかなかった力。

 だがいまは違う。無理に神族という虚像の衣装を被る必要が無くなったいまならば、素直にこの力を受け止められる。

 何故なら、この力こそ皆を救う遠野美凪の力なのだから。

 故に、美凪は言った。

「覚悟してください。聖さん、佳乃さん、裏葉さん。全力の私は、私自身未知の存在です。

 だからこそ、掛かってくるのなら相応の覚悟を。……守るべき皆のために、手加減は一切しません」

 美凪を覆う炎がその決意に応じるように巻き上がる。

 美凪が心から自らの力を受け入れた影響か、紅赤朱の力は過去のどの時よりも鋭く、そして意のままに動かせる気がした。

「くっ……」

「これは……!」

 対する聖、裏葉たちは美凪が放つプレッシャーに思わず身を固めていた。

 いままで感じたことの無いほどの圧力を、美凪が発現している。まさかこれほどとは、と誰もが喉を下す中、

「……では、行きましょう。倒すためではなく、守るために、自らの限界まで」

 なに、と聖が美凪を凝視する……その先で、美凪は不意に瞼を閉じた。

 美凪は没頭していく。

 思考をクリアに。五感を全てシャットダウンする。外の情報は除外せねばならない。

 そして自らの内側を見出す。

 内側にある、世界。その自分を。

 外は関係ない。必要なのは――ただ己が心象世界のみ。

 

Burning(燃える), burning(燃える), red stars(紅き星々)

 

 それを聞いて、最初に理解したのは魔術に詳しい裏葉だった。

「古代語の呪文詠唱……? まさか、固有結界ですか!?」

「なに……!?」

 固有結界。

 術者の心象世界により世界を塗りつぶす禁呪。

 固有結界により展開される世界は、その術者の規律にのみ支配される。

 紅赤朱の上に固有結界の中にまで取り込まれれば、それこそ本当に美凪一人に全滅させられる可能性だって出てくる。

「させるな、止めろ!」

 だから聖は兵を引き連れてその詠唱を遮ろうと疾駆した。裏葉と佳乃も魔術で美凪を攻撃する。だが、

 

I yearn for the (焦がれる世界)world, stars were twinkling in the (広がる夜空)night sky.

 

 詠唱しながらも二筋の線が奔る。

 放たれる居合いは神速。紅赤朱の力による『炎上』も加えられたその一閃は、直撃でなくとも命を狩り取っていく。

「くそ……!」

 燃え盛る炎の前に接近が出来ない。その炎は紅赤朱の血による炎ならざる炎。

 たとえ水の魔術を使用しようが、消えはしない『炎上』の炎。

 故に魔術も通らない。美凪を守るように周囲を踊る炎が、全ての魔術を遮っていく。

 

It is a heat haze(全ては在って無く), everything is eaten by the (存在は炎に喰われていく)flame.

 The mind and the body are(我が身は焼かれ) burnt, it returns to the origin (星へと還る)in the star.

 

 空間が軋んだ。

 周囲の光景がぐにゃりと歪む。

 兵士たちがその不可思議な現象に浮き足立つ中で、

「固有結界が……完成します!」

 裏葉の叫びが轟いた瞬間、

 

Therefore, here(故に此処は)……, “Crimson Galaxia” (天に立ち昇る埋葬の墓).

 

 美凪を中心点に、一気に爆発するように闇が世界を覆った。

 

 

 

 あとがき

 どーもー、神無月です。

 いやぁ、長い(汗

 今回は切りどころを固有結界の発動まで、と決めていたせいか長くなってしまいました。う〜ん(汗

 えー、というわけでついに解禁。美凪の固有結界発動です。

 効果、能力などといった細かいものは後編にて。次回、美凪全力全開ですw

 さて、いよいよ次回で祐一たちの時間軸と重なります。

 ではでは。

 

 

 

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