神魔戦記 第八十一章

                    「これからの行く末。そして」

 

 

 

 

 

「やれやれ……。とりあえずどういう風にしろ、一段落はついたわけだな」

 巨大な円卓を中心に据えられた、それだけの空間。

 ここはカノン王国王城の作戦会議室。

 エア、クラナドとの両戦闘をどうにか潜り抜けた祐一たちは、ここに集まっていた。

 皆、同様に疲労の色がありありと浮かんでいる。平気そうなのは舞や神耶といった無表情組に……新しく参加した面々だけだろう。

「さて……」

 その新しい面々を踏まえた上での『これから』も重要な話であるが、まずは何より状況報告とその把握が先だろう。

「まずはエア側の報告を先にするとしよう。……美咲、さくらはどうなってる?」

「はい。エア王国軍、霧島聖さんの攻撃によって深手を負ったので『断絶の六水晶』によって封印を施しています。

 さくらさんが言うには体内に侵入した呪具を解除するためには三つの方法があるとのことですが――」

「呪具所持者による解除、あるいは霊的医術による摘出、または呪具エキスパートによる強制機能停止、だな」

 ふぅ、と祐一は嘆息する。さくらを治療する手立ては確かに三つもある。あるのだが、

「どれも無理、でしょうね」

 そう続けたのは杏だ。祐一も頷く。

「そもそも呪具所持者……霧島聖による解除はありえないし、霊的医術にしたってその権威はこの霧島聖。それに――」

「呪具のエキスパートといえばトゥ・ハート王国の小牧姉妹だろうが、トゥ・ハートに向かうにはエアを通るしかない。

 強引にシャッフルを経由して回り込む海路もあるにはあるが、協力を取り付けられるかどうかもわからない相手に対してそれだけの時間と兵を割く余裕もない……」

 結局さくらの件に関してはしばらくどうしようもない、ということになる。

 この状況下でさくらというカノン軍きっての魔術師がいなくなるのはかなりの痛手だが、だからと兵力を割けないのもまた事実だ。

 仕方ないと割り切るしかないだろう。

「名雪はどうだ?」

 美咲と交代するように栞が椅子から立ち上がる。その表情は……あまり良くはない。

「身体の傷は自己再生と治療魔術によって完治していますが……魔力の強引な使用による魔術回路のダメージが大きいようで……。

 魔力も不安定な上、未だ意識も戻りません」

 そうか、と祐一は椅子の背に体重を預ける。

 名雪が使った『破城の夜』という技は祐一も聞いたことだけはある。

 まだ父親が存命だった頃、この大陸で水瀬秋子をナンバー2たらしめていた、回避しようのない究極の対城技だという話だ。

 しかしあの水瀬秋子ですら多用しなかった、という時点でどれだけ高度な技かは伺えるというもの。

 祐一から見てもまだ水瀬の技を御しきれていない名雪が扱うには、あまりに荷が重すぎる技だったのだろう。

 だが、それを攻める気は無い。

 名雪は必死に戦った。そうするしかない相手だった……ということなのだろうから。

「で、クラナド側は……時谷か」

 その名を告げると、視界の中でピクリと動く者がいた。

 亜衣だ。

 先程からこの場に時谷がいないことに不安を覚えていたようだし、その反応も無理ないだろう。

「斉藤時谷は――」

「あいつは、捕まったわ。クラナドに」

 難しい表情で口を開こうとした美汐を遮り、杏が立ち上がった。

 その言葉に亜衣が目を見開くのを視界に納めつつ、祐一は杏に視線を向ける。

「本当なのか?」

「水菜の使い魔に確認してもらったから間違いはないはずよ」

 視線を向ける杏に頷き返す水菜。そうして杏は再び視線を戻し、

「まぁ、そうでなくても追撃部隊にことみがいなかったこととかを考えると間違いないとは思ってたけどね」

「なるほど。一ノ瀬ことみの魔力を封じることで自らの命すらも保障させたか。……土壇場での頭のキレはさすが、と言うべきか」

「問題はあいつをどうするか、よね。……どうする、祐一?」

 恐らく杏は祐一がどういう決断をするかわかってて聞いている。

 だが敢えて聞くのは、いまにも身を乗り出しそうにしている亜衣への配慮なのだろう。そういう細かい気配りは杏らしい。

 だが、祐一は亜衣の望むような答えは返せない。

「……時谷の件も後回しにする」

「そんな……、救出に行かないんですか!?」

 耐え切れず、という風に亜衣が長机を叩きながら立ち上がった。

 あまりに予想通り過ぎる反応に内心苦笑するが、どうにかわからせるためにと祐一は亜衣と視線を合わせた。

「良いか、亜衣。時谷はクラナドに捕まった。つまり時谷を救出に向かうということはクラナドに潜入するか決戦を挑むかの二択しかない。

 だが二国の攻撃により疲弊した状況では、そのどちらも成功率は極めて低い。下手をすれば、時谷共々やられる可能性もある」

「それは……でも!」

 亜衣も頭では理解できるのだろう。ただ納得ができないだけで。

 だから祐一からすればこう言う他になかった。

「わかってくれ」

「……っ!」

 亜衣は歯噛みし、会議室を飛び出していった。

「……良いんですか?」

「……仕方ないだろう。あいつは時谷に懐いてたからな」

 心配げな栞に、祐一はそう言う。

 軍属であるならば、この程度のことでうろたえるなと叱責するところだろうが、形式上は民間協力者。そうでなくても亜衣はまだ十三歳だ。

 堪えろ、というのもなかなか酷だろう。

「へぇ……。相変わらず甘いのね、ユーイチ?」

 と、イリヤが面白いものでも見たと言わんばかりの笑みでこっちを流し見ていることに気が付いた。

「イリヤ……」

 イリヤスフィール=フォン=アインツベルン。

 彼女は最奥の椅子に座り足をプラプラさせながら、何が楽しいのか笑ってこっちを見ている。

 祐一は彼女がこうして笑いながらここにいる理由がわからない。

 祐一としてはイリヤは自分を恨んでいるものだと思っていた。いや、実際あのときは恨んでいたはずだ。

 ならば何故……?

「ユーイチ。わたしのことは後回しで良いよ。だから話進めちゃって?」

 理由を聞こうと口を開いたのだが、先制されるように紡がれた言葉によって遮られてしまう。

 その瞳が『こんな場所で話すべきことじゃない』と言っていた。

 ……まぁ、いい。イリヤの件はこの話し合いが終わってからでも良いだろう。

 気を取り直し、話を元に戻すことにする。

「で、ワンの二人には今回エアとの戦いを援護してもらったわけだが」

 視線を転じる。

 そこには深山雪見と上月澪の二人が並んで座っている。

「扱いとしては民間協力者、ということで良いのか? その方がいろいろと便利だと思うが」

「そうね。そうしてくれると助かるわ」

『よろしくなの』

 二人はエアの手前亡命ということになっている。相手の偵察や潜入兵がいないとも限らないので、事実はともかく外面は飾らなければならない。

 それは二人ともわかっているのだろう。特に不満などなさそうだった。

 これはワンが同盟を決めるまでの間、ということなので時期が来れば再びワンに戻ることになる。民間協力者の位置づけが一番だろう。

「で、次は……結界を壊したという二人組か」

 雪見たちのさらに横、やはり二人並んで座る少女たちがいる。

 やや顔を俯かせているのが桜塚恋、こちらに笑顔を見せているのが鷺ノ宮藍というらしい。

 ――鷺ノ宮、か。

 その姓は、正直厄介だ。

 ……キャンバス王国、王家鷺ノ宮。

 その姓を持つ人間が、このカノンに一体何の用なのか。祐一にはそれがわからない。

「……浩一に聞いた話じゃ、お前たちは家族を助けるためにここに来た、ということだが……。どういうことか説明してもらえるか?」

「え……」

 その言葉に、恋が意外そうにこちらを見る。

「なんだ?」

「え、あ、だって……。咎めないの? 私たちのこと……」

 結界を壊したことを言っているのだろう。

 確かに結界が壊されたことによって往人の侵入を許し、城は半壊、守備兵も数十人とやられてしまっている。

 ……だが、

「お前を責めれば兵が生き返るのか?」

「え……?」

「それは違うだろう」

 一息。

「それに――お前たちはもう浩一に責められた。そして、反省したんだろう? なら俺がいま問いただすべきはそこじゃない」

 いまは同じことに時間を割く余裕は無い。だからこそ、

「少しでも申し訳ないという気持ちがあるのなら、これからの態度で示せ。そうでなければ死んでいった者たちも浮かばれない」

「あなたは……」

 既に過ぎた過去はなにをどうしたところで覆らない。

 かと言って何も言わない、というわけではない。相手にその事実を突きつけ、反省させなければ兵も無駄死にだ。

 しかし浩一に責められ、自分たちに非があることを認め、それに対し行動を見せたというのなら、そこはもう祐一がとやかく言うべき問題じゃない。

 王として祐一がすべきは、“これから”の対処だ。

「恋ちゃん。いまは陛下の言うとおりにすべきだと思いますわ」

「藍……。そう、そうね」

 藍の笑みに、恋もまた頷きを見せた。

 鷺ノ宮藍。さすがと言うべきか。場の流れで何が重要かを理解している。

 そうして恋は一度頷き、こちらに向き直った。

「私たちは……兄を探しているの」

「行方不明、ということか?」

 恋は頷き、

「うん。……いきなり出てったのよ、あいつ。『秩序』がどうのとか言い出して――」

「なんですって!?」

 ガタ、と椅子を揺らせて立ち上がったのは杏だ。

「それ……ホントなの!?」

「え、えぇ。本当よ」

 いきなり立ち上がった杏に驚きつつも返す恋。

 杏の視線が祐一に向けられる。それを視線だけで「待て」と答え、恋に向き直る。

「それがどうしてカノンに来ることになる?」

「それが――あるとき蜘蛛の比良坂初音って奴に会ってね」

「比良坂、初音だと……!?」

 今度は杏の正面でいままで無言を通していた浩一が驚愕に目を見開いていた。

 祐一はそんな浩一にわずかに眉を動かす。

 比良坂初音。それは魔族であれば誰しも知っている名前だろう。

 蜘蛛の女王、比良坂初音。現存する蜘蛛ではまさしく最強。いや、この世界の中でも最強の部類に入るに違いない。

 だが、そんな初音と浩一との接点を祐一は知らない。

 浩一の表情は怒りとも悔しさとも取れる、複雑な表情をしていた。

 自分たちが離れていた際に何かあったのだろうか、と祐一は推測した。

 と、そこで恋は何かを思い出したように手を打ち、

「そういえばあの蜘蛛、こんなことを言っていたわ。羽山の眷属に会ったら左腕の借りは必ず返すと伝えておいて、って」

「……!」

 ギリッ、と歯噛みする音がここまで聞こえてくる。

 両脇にいる鈴菜と水菜がそんな浩一を驚いたように見ている。……どうやら鈴菜たちもわからないらしい。

 初音と浩一は一体どういう関係なのか、と誰もが疑問に思う中で、代表して祐一がその疑問を口にした。

「浩一。比良坂初音とはなにか関係があるのか?」

「……あぁ、まぁな」

 浩一は吐き出すように言い、

「比良坂初音は、俺の父を殺した蜘蛛だ」

「「「!?」」」

 誰もがその言葉に息を呑む。

 そういえば祐一も、どうして浩一の父親が死んだのかは知らなかった。

 八岐の六位であり『静寂の狩人』とまで呼ばれた浩一の父がそう簡単に破られるはずはないと思っていたが……。確かにその相手が比良坂初音であるのなら納得も出来る。

「あいつ……。あいつがどうしたっていうんだ」

 浩一の静かな声音に恋はやや慌てたように、

「あ、うん。いまの私たちじゃ『秩序』に関わっている人間に勝てない、って。救い出せない、って。

 だから私、強くなる、って言ったの。そうしたらカノンに行け、って。そうすれば強くなれるって……」

 その言葉に、祐一は眉を顰めた。

 その言い方はまるで、カノンがこれから大きな戦いに巻き込まれることを既知しているかのような……。

「いや、知っているのか……?」

 何か、自分たちの与り知らぬところで、しかし自分たちを巻き込んだなにか大きな事柄が動いているような気がする。

 もしかしたら、その『秩序』も何か絡んでいるのかもしれない。

 だが、と祐一はその考えを打ち消す。

 もし仮にそうであったとしても、現状の自分たちが手を出してもどうにもならない問題だ。

 癪だが、いまは目の前の出来事にのみ集中するほかにない。余裕は無いのだから。

 つまり、と祐一はまとめに入る。

「つまりお前たちは俺たちに着く、と、そういうことなのか?」

「えっと……そうなるの?」

「そうなるのではないでしょうか」

 思わず隣の藍に聞いてしまう恋に笑みを返しながら、藍は頷く。

 それを見て祐一は椅子の背に体重を預けながら、

「……まぁ、『秩序』関連のことは我々も調べている。そっちの手助けもできなくはないだろう」

「本当!?」

「あぁ。……うちにも一人、その『秩序』関連で肉親が行方不明になった者がいるからな」

 祐一の視線の先には、杏。それを追った恋たちが、ようやくさっきの杏の行動について納得がいったのだろう。そっか、と恋は頷き、

「……あなたも同じ、だったんだ」

「ええ。ま、こっちは双子の妹だけどね。……だからあんたたちの無茶も、まぁなんとなく理解はできるわ」

「そっか、ありがと。……これからよろしく」

「待て。まだ問題は残ってる」

 握手をしようとする恋を、祐一が制す。

 そう、恋は良い。杏とほぼ同じ理由なのだから、ここに置くことになんら問題はない。

 だが問題は――、

「わたくし、ですわね」

 やはり笑顔のまま、藍が言う。

 そう、問題はこの鷺ノ宮藍だ。

 鷺ノ宮王家は王子、王女の数が多いことで有名だ。藍の歳を考えるに王位継承権はかなり低いだろう。が、そういう問題でもない。

 カノンがキャンバス王家の鷺ノ宮の姓を持つ者を配下に置く、ということ自体が問題なのだ。

 キャンバス王国は魔族批判派の国だ。その国の王家に連なる人間を配下にしたとなれば、下手をすると国家間抗争になりかねない。

 キャンバスはスノウ、チェリーブロッサムと同盟を組み、シャッフルを牽制している。逆を言えばシャッフルと同盟を組んでいる以上、直接攻めてくるということはまずないだろうが、それが絶対とは言いきれない。

 現状エア、クラナドと敵対している上にシズクも放っておけないという状況でこれ以上直接的な敵を増やしたくはない。

 どうしたものかと考え込む祐一に、しかし当人である藍はしれっととんでもないことを言ってのけた。

「大丈夫ですわ。むしろ私を部下に置けばキャンバスは身動き取れないと思いますし」

「なに?」

「お父様はなんだかんだ言って子供には甘いお方ですから。私の身を案じてカノンには手を出さなくなりますわ。

 むしろそうしておけばチェリーブロッサムにも牽制できるかもしれません。カノン、エターナルアセリアと同盟を組んでいらっしゃるのでしょう?」

 すごいことを言う。

 確かにキャンバスの王が藍を思い動くことを躊躇うような人物なら、逆に藍を配下に置くことで万が一のキャンバスの攻撃を未然に阻止できる。

 加えて、言うとおりキャンバスと同盟を組んでいるスノウやチェリーブロッサムにも牽制となる可能性もある。

 まぁ、あくまで同盟だからそれほどの期待はできないだろうが、エターナルアセリアの攻撃も緩和できるかもしれない。

 しかし……、

「よく俺たちがエターナルアセリアと同盟を組んでいるとわかったな」

 まだ公には発表していないことだ。それをどうして知っているのだろうか。

 すると藍はやはり笑みを浮かべたままに、

「陛下、先程シャッフルを経由した海路がどうこう、と仰っていましたわ。ということはカノンとシャッフルは同盟を組んでいるということ。

 とすれば、エターナルアセリアとも同盟を組んでいると考えるのが自然ですわ」

「ほぉ」

 思わず感心する。

 あれだけの言動からそこまで思考を広げるとは。この鷺ノ宮藍という少女、予想以上に頭がキレるようだ。

「……なるほど、わかった。ならお前たち二人はこれから俺たちの仲間になってもらう。軍属、ということでも良いのか?」

「私は構わないわ。もうキャンバス軍は抜けたし……贖罪もしたいし」

「私はいつでもどこでも恋ちゃんと共にいますわ」

「よし、ならそういうことにしておこう。香里、二人の配属はお前に任せる」

「御意」

 残る新顔はイリヤだが、イリヤとのことは皆の前で話すことではないだろう。

 イリヤも目でそう言っている。……イリヤとは会議が終わった後に話を聞くことにしよう。そうして頷き、

「よし。なら会議はとりあえずここで終わりだ。いまやるべきは戦力の立て直しと城の修復だな。

 部隊の立て直しは香里に一任する。城の修繕作業は美咲、頼めるな」

「「御意」」

 二人が頷き腰を上げるのと同時に、会議は終わりを迎えた。

 各々席を立ち作戦会議室を後にしていく。皆、各々が自分たちのできることを成そうと動いていく。

 しかしその中で一人、部屋を出ようとする者の流れに逆らって祐一の傍に来る者がいた。

 美汐だ。

「陛下……」

「なんだ」

「……あの、私は――」

「俺は、さっき言ったな」

 美汐の言葉を遮り祐一は言う。美汐の顔を見ず、ただ出口付近を見つめ、

「『申し訳ないという気持ちがあるのなら、これからの態度で示せ』と。……あれは別に恋にだけ言った言葉じゃない。この意味……わかるな?」

「――」

「天野の姓は完璧を誓う。だが、その完璧とは一度破られたくらいで終わってしまうほど脆いものなのか? 違うだろう?」

 美汐の視線を感じる。だが祐一は美汐の顔を見ない。

 いまは……見るべきではない。

 この天野美汐は、本来の天野美汐ではないのだから。

「お前は誰だ?」

「私は――天野美汐です」

「ならお前の成すべきことはなんだ?」

「陛下の命を、最善と思われる形で実行することです」

「ならばどうすれば良い?」

「……申し訳ありません」

 美汐は一度頭を下げ、しかし再び上がった表情には美汐らしい強さを込め、

「私、天野美汐は――私の最善を尽くします。この天野の姓に誓って」

「そうか。ならやってみろ」

 美汐は一つ呼吸を整えてから、しっかりとした口調で答えた。

「御意!」

 美汐は強く返事をしてその外套を翻し去っていった。

 どうやら吹っ切れたようだ、と祐一は安堵の息を吐く。

 美汐はカノン軍でも貴重な指揮官だ。自分の判断に自信が持てなくなっては指揮官として成り立たない。

 相手だって戦っているのだ。こちらの作戦が突破されることももちろんある。

 完璧主義者である美汐はそこで止まってしまったが、たとえ突破されたとしてもすぐさま思考を切り替えて新たな作戦を立案すれば良いのだ。

 美汐にはその辺が欠けていたが、怪我の功名とでもいうか……今回の件でそれも無くなっただろう。

「やっぱりユーイチって甘い。まぁ、らしいと言えばらしいけど」

 人気がなくなることを見計らったように、イリヤの声がこだました。

 だから、振り向く。その、どこまでも懐かしい少女の顔へ。

「イリヤ……」

「お久しぶり、とでも言った方が良い? そうね、ざっと……六年ってところかしら」

 イリヤは祐一を見て、そしてもう一人ここに残った者にも声を掛ける。

「アユも久しぶりね」

「イリヤさん……」

 あゆ。会議の間終止無言であった彼女が、その間ずっと眺めていた少女の名を呼ぶ。

 祐一、あゆ、イリヤ。

 六年前に出会ったあの頃の三人が、こうしてここに揃っていた。

「……本題に入ろう、イリヤ」

 いろいろと思うことはある。だがなによりも、まずはイリヤの真意を問うのが先だった。

「イリヤ。クラナドとの戦いに手を貸してくれたそうだな」

「ええ、見てられなくってね」

「……何故助けた? お前は俺を恨んでいたんじゃないのか?」

 六年前。イリヤと出会ったときのことを思い出す。

 あのとき。イリヤは確かに恨みを込めて祐一を睨みつていたはずだ。

「恨んでるわよ。それは変わらない」

 そう言いながらも、イリヤの笑顔は崩れない。

 でもね、と続け、

「同時に感謝もしてるの。今では」

「感謝?」

「そう、感謝。あのとき祐一がわたしを生かしてくれたから、わたしはこうしてここにいる。

 おかげでいろいろと知ることもできたわ。お兄ちゃんのこととか、ね」

 イリヤは椅子から立ち上がる。そうして祐一に近付くように歩を進め、

「だから、今回の件は恩返しなの。聖杯戦争もまだ始まる素振りを見せない。だからね、その間ユーイチに感謝の意を込めて恩返ししてあげる」

 イリヤが祐一のすぐ傍で立ち止まる。

 次の瞬間、妖艶とも言える笑みを浮かべ、

「でもね、感謝と憎悪は別々なの。それらは混じってプラスマイナスゼロになることはない。別々の感情としてそこにある。

 だからね? ユーイチ。わたしは恩を返し終わって、聖杯戦争が始まって勝ち抜いたら……そのときはユーイチ、あなたを殺しに来るわ」

「イリヤさん……」

「もちろんアユもよ?」

 クス、とイリヤは微笑み、

「生かされたことで得た痛み、苦しみ。それもまたあるものね。だからユーイチ、あなたを憎む気持ちに変わりはない。

 でも、先に憎しみを返しちゃったらユーイチ死んじゃうでしょ? 恩を返せないじゃない」

 無邪気な笑顔を浮かべ、踊るようにイリヤは言う。

「だから先に恩を返すの。そうすれば両方返せるしね」

「なるほどな。それがお前が俺たちに力を貸した理由か」

「うん。だからしばらくは――聖杯戦争が本格的に始まるまではここにいてあげる。心強いでしょ?」

 確かに心強くはある。

 イリヤは聖杯戦争のサーヴァント、バーサーカーを使役しているのだ。これほど強力な助っ人もいないだろう。だが、

「聖杯戦争が本格的に始まるまで、っていうのはそんなに時間が掛かるものなのか?」

 祐一の持つ知識では、サーヴァントが召喚され始めれば聖杯戦争の開始はすぐのはずだ。

 しかしイリヤは不満そうに首を振り、

「駄目ね。聖杯の管理者であるトオサカが聖杯戦争を起こす気まったくないもの。

 まぁ、吸血鬼たちが聖杯を狙っている状況で戦いにくいっていうのもわからなくはないけどね。

 だからトオサカは出来るだけ多くのサーヴァントのマスターと組んで、まずはムーンプリンセス撃破に持ち込むつもりみたい」

「ムーンプリンセスとの戦争に終止符を打ってから、安心して聖杯戦争を始めよう、ってことか。だがそれは――」

「そ。おそらくかなりの時間が掛かるわ。サーヴァントがいるとはいえ相手は吸血鬼。生半可な戦力じゃ太刀打ちできないもの。

 だ・か・ら、いまこうしてわたしがここに来てるんじゃない」

 なるほど。ならば話はわかる。

 フェイト王国は聖杯を横から掠め取られないようにするため、聖杯を狙うムーンプリンセス王国を撃退しようとする。

 そうなれば聖杯戦争はムーンプリンセスが滅びるまで延期、ということになるだろう。だが、

「遠坂の人間は本当にそんなことができると思っているのか?」

 もともとサーヴァントを召喚する人間は――例外もいるが概ね聖杯を望む者たちだ。

 確かに共通の敵がいるとはいえ、素直に従うだろうか。

 だがその辺りは興味ないのかイリヤは祐一の座る椅子にもたれかかり、

「さてね。ま、その辺はトオサカの手腕に期待、ってところかしら」

「こっちにいて良いのか? もしかしたらムーンプリンセスがサーヴァントを打ち破る可能性もあるんだぞ?」

「それならそれで構わないわ。それでもいろいろとやりようはあるもの」

 それ以上聖杯戦争について言うことはない、とでも言うようにイリヤは嘆息した。

「ともかく、しばらくはここにいてあげる。でもその後は――覚悟していてね」

「あぁ、わかった」

 祐一は頷き、

「お前を生かした俺の責任だろう。その感謝も、憎悪も、受け取るさ。だが、むざむざと殺されはしない。

 俺は俺のために、お前が敵になったとしても全力で戦うだけだ」

「それで良いわ。それでこそユーイチよ」

 それを見ていたあゆは、この二人の歪な関係に、しかし笑みを浮かべた。

 先のことはわからない。だが、いまはイリヤは味方であり、憎しみがありながらもそうして肩を並べていられるのだから、

 ――大丈夫、だよね。

 そう思い、あゆもまたここを出ようと思って踵を返したときに――それは起こった。

「ご、ご報告申し上げます!」

 突如慌てた様子の兵士が部屋に流れ込んできたのだ。

 その慌て振りに祐一はすぐさま思考を切り替える。そうして兵を見下ろし、

「どうした、なにがあった」

「はっ! 城内にエアの部隊と思しき者たちが侵入! 一気にここまで――」

 兵がそれを言い切るより早く、その背後で扉が一気に吹き飛んだ。

「頼む! どいてくれ……時間が無いんだ!」

 切羽詰ったような言葉と同時にカノン軍兵士たちの間をすり抜けてその男は走ってきた。

 速い。気配からして獣人族だろうか。しかしやや神族の気配も感じるから……ハーフか。

「貴様、ここがどこか知っての狼藉か!?」

「無礼は承知の上! だが時間が無いのだ!」

 報告に来ていた兵士が腰から剣を抜き放つが、それでも臆することなく男は駆け寄ってきた。

「ん?」

 そこで、気付いた。その男の腕に一人の少女が抱えられていることに。

 赤い髪を二つに結った、まだ幼い感じのその少女。気配は――スピリット。

 しかしその少女は……かなり衰弱していた。

「貴様――」

「良い。下がれ」

 斬りかかろうとする兵を止め、祐一は前へ出る。

「ですが、陛下……!」

「構わん。下がれ」

「は、はっ……」

 止めようとする兵にもう一度言い、下げさせる。

 そうして前に出た祐一に、その男は息を切らせつつも跪き頭を垂らした。

「数々のご無礼、ご容赦ください! 私は元・エア王国軍第四部隊の者です。この度は緊急のお願いがありまして、こうしてやって参りました……!」

 元、という単語に祐一の眉がわずかに動く。だがその焦りきった態度に、祐一は先を促した。

 すると男は顔を上げ、いまにも涙しそうな必死の声で叫んだ。

「この方と、そして……どうか我らが隊長を――遠野美凪隊長を、お救いくださいッ!!」

「……なに?」

 それは――再び波乱を呼ぶ台詞だった。

 

 

 

 あとがき

 はい、どうも神無月です。

 と、いうわけで今回はいままでの清算とそして今後の展開の幕間のようなものでした。

 えー、で次回は美凪の身に何が起こったのか、というところです。

 では、お楽しみに。

 

 

 

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