神魔戦記 第七十五章

                    「エアの力(Y)」

 

 

 

 

 

「いくよー!」

 宣言と同時、両手を振り上げるさくら。

 その先にはとんでもない魔力が集約し始め、

「!」

「『落千なる砲火(ブラストチャリオット)』!」

 数多の炎が舞い降りる。

 その数は通常の『落千なる砲火』の比ではない。それだけ込められた魔力の規模が違うというわけだが、

「さすがに芳野の末裔なだけはある、ということか……!」

 大地を行く者よりも空を駆ける者の方が回避スペースが多いのは道理。聖は軽やかにその炎の雨を回避していく。

「まだまだ! 『大いなる風渦(エディ・ストーム)』!」

「風!? 二神信仰者か……!」

 上級魔術を立て続けに、しかも無詠唱で放つとは……。それだけでも驚愕ものだと言うのに、加えて二神信仰者とは。

 さくらから放たれる圧縮された風の渦。巻き込まれればズタズタに身を引き裂かれ、空中で霧散することになるだろう。

 しかし聖はほぼ不可視に近い風の魔術をすんなりと回避した。

 空を飛ぶ者は風に敏感だ。たとえ目で捉えられなくとも、それを体で感じ取り回避することは容易い。

 ――だが、

「!」

 気付けば、目の前にさくらの姿。

 魔術に気をとられすぎて接近を許したのか。そう目を見開く前でさくらはにこりと微笑むと無造作に手を腹に当て、

「『凄絶なる灰の矛(グレイダスランス)』」

 灼熱の槍が零距離で直撃した。

 確かな手応えだとさくらは頷く。零距離で結界も無しに受けたのだ。無事でないはずがない。

 そう思ったことこそが――油断。だから気付かない。聖の口元が、釣り上がっている事を。

「――血は刃となる――」

「!」

 不気味に耳に届いた声に、さくらは直感のまま身体を大きく傾けた。

 刹那の間にわずかな痛みが走る。突如奔った赤い斬撃はさくらの右の二の腕をかすった。

 それがなにかを確認するよりも早く、さくらは聖から大きく距離を取る。

「ちっ。まさかあの間合いでかわされるとは、な」

 呟く聖の手には、先程まで無かったはずの剣が握られていた。

 刀身から柄までを完全に赤に染めた、無骨なまでに歪んだ剣。それは、

「呪具『ブラッディセイバー』……。私の奥の手だ」

 その剣に不気味な何かを感じ取ったさくらはすぐさま対処をする。

「『凄絶なる灰の矛(グレイダスランス)』!」

 再び無詠唱での一撃。一直線に突き奔る炎の槍に、しかし聖は避ける素振りを見せず、

「――血は盾となる――」

 その(まじな)いが詠まれた瞬間、剣の形をしていた『ブラッディセイバー』は形を崩し一瞬液体のような状態になると、すぐさま聖の前に盾と形成される。

 激突。しかし炎の槍は血でできたその盾を打ち破ることはかなわなかった。

「……!」

「血はどのような媒体よりも己の魔力を宿すもの。それが結晶化したこの盾を打ち破りたいのなら、超魔術でも撃つのだな」

 しかし、と聖は続け、

「やらせはせんが」

 つ、と聖の視線がわずかに横に移動する。その先には、先程の一閃によりかすったさくらの傷がある。

「私には『血濡れの白き死神』という二つ名がある。それはもちろんこの呪具を持っていることに由来するが、それだけではない」

 一拍。その間を置き、

「私と対峙する相手は必ず死を迎えるからだ」

 勝利を確信したように、告げた。

「――血は刃となる――」

 (まじな)いが詠まれたというのに、聖の前に出現している盾に変化は無い。

 しかし、それは当たり前だ。なぜなら(まじな)いの矛先はこの盾ではなく――、

「っ……!?」

 ……さくらの体内に流し込められた方なのだから。

 声にならない悲鳴を上げるさくら。その内側から逃げるように外へ、無数の剣が突き破る。

 これぞ呪具『ブラッディセイバー』の真髄。

 二撃必殺の殺人呪具。『乃亜』が作り出した原初の呪具の一つ。

 血により結晶化された刃は敵を斬りつけると同時、自動でその数割を血に戻し敵の傷口から体内へ侵入する。

 そして侵入した血は血管を通り敵の体内を巡り、心臓にまで到達。そこで再び刃となれば……まさに必殺となる。

 これこそ霧島聖を『血濡れの白き死神』たらしめる呪具。これを受け生き延びた者は、聖の宣告どおり一人もいない。

 ――そう、いままで(、、、、)は。

「馬……鹿な!」

 その呟きは、だが聖のものだった。

 さくらの体内に確かに『ブラッディセイバー』は侵入した。告げた (まじな)いそれは反応し、剣となり突き破った。

 だが、体中ではない。とある一箇所のみ、それは起きた。

 それは……右腕。

 そう、それは――さくらが『ブラッディセイバー』の一撃を受けた箇所。

「ありえん! 攻撃を受けてから二分程度は経過したはずだ! 心臓まで血が巡ってもおかしくないはず……!?」

 そこで、気付く。

 右腕を失い、顔を青に染めながらも笑みを浮かべているさくらを見て、

「……貴様、まさか魔力で強引に血の流れを止めていたとでも言うのか!? こうなることを見越して!?」

「あはは、まぁ……そういうことだね」

 肉薄し『凄絶なる灰の矛』を叩き込んだあのときに聞こえてきた(まじな)い。

 あれを聞いた瞬間、さくらはなんとなくこの呪具の効果に気付いた。

 だからすぐに対処(、、)をした。魔力により血液の流れを止め、被害を最小限に食い止めたのだ。

 しかし――、

「くぅ……」

 身体がふらつく。無理も無い。数分とは言え身体の血液循環を完全に停止していたのだ。

 下手をすればその行為で死ぬかもしれないという瀬戸際。いまさくらの顔が青い理由は、ダメージよりむしろこちらの方が大きいだろう。

 戦況はどう考えても聖優勢。

 このまま戦えば腕を失い強引な手段をとった反動で動きの鈍いさくらが負けるのは必須。

 ……しかし、このまま剣で突き刺す、なんていう行動を聖は取らなかった。

「――盾は血となる――!」

 展開中だった盾をただの血に戻し、聖はそのおよそ半分をさくらにぶちかました。

 するとその血はまるで生きているかのように蠢き、さくらの右腕から体内へと侵入していく。

「さぁ、選ばせてやろう!」

 聖は小振りになったブラッディセイバーの剣先をさくらに向け、言い放つ。

「ブラッディセイバーに身を食い破られるか、あるいは自ら血の流れを止め苦しく死んでいくか、どっちだ!?」

 確かにこのままではどの道死ぬだろう。

 血を巡らせばブラッディセイバーはさくらの体内を循環し、剣となってさくらの身体を突き破る。

 かと言って血を止めていては、各器官が正常動作せずこれも死を迎えることになるだろう。

 どちらにしろ待つのは死。その状況下で、しかしさくらは笑みを浮かべた。

「ごめん。どっちもイヤ」

「なっ……!?」

 言うと同時、さくらはいきなり大地へ向かって加速した。

 なにをするつもりだ、と目を見開く聖の先でさくらは笑みを絶やさずに、

「この勝負は……悔しいけどあなたの勝ち。でも、ボクはこんなところで死ぬわけにはいかないんだ」

 そして、叫んだ。

「美咲ちゃん!!」

「はい!」

 その下、美咲と呼ばれた少女がなにかの魔術を完成させて待機している。

 その少女は確か氷の魔術を扱っていたはずで――、

「まさか……!?」

「お察しの通りだよ、霧島聖。このままじゃ助からないのなら、助かるまでひたすら寝て待てば良い話。

 ま、あなたの呪具ごと眠りにつくのはボクのちょっとした抗いだと思ってよね」

 そう言って、さくらは残った左手で目尻を下げ、べーっと舌を突き出した。

 ……さくらは内部のブラッディセイバーが剣となり右手を串刺しにしたその時に、既に念話で美咲にその指示を出していた。

 こうなることも予測済み。まぁ、予測できたところで負けだという事実に変わりはないわけだが……。

 ――まだまだだなぁ、ボクも。

 確かに聖の持つ呪具はある意味で反則級の武器だ。だが、それを負けの理由だと認めてしまえば、自分はそこまでの存在だ。

 それはつまり永遠神剣や神殺し、強力な概念武装に呪具……それらを持っている相手にはなにをしても勝てないと認めること。

 だからさくらは違うと断言する。この負けは自分の実力不足なのだと。

 ――おばあちゃんならこんな武器を持つ相手でも笑顔のままに勝っちゃいそうだもんな〜。

 実際そうなる気がする。

 だからこれは自分がまだまだだということ。その代償は右腕一本と高く着いたけれど、

「死ぬよりはまし、ってね」

「『断絶の六水晶(エグズィスト・クリスタル)』!」

 美咲の言葉と共にさくらの身体を氷の魔力が包み込んでいく。

 自分が助かる道は三つ。

 呪具使用者がその意思で解除する、あるいは霊的医術による摘出、そして最後に呪具のエキスパートによる強制解除。

 そのどれかができるようになるまで封印は解かないように、と美咲には言付けてある。

 仲間たちはきっと大丈夫。自分がいなくても何とかできる連中だ。

 だから、いまはほんの少し長めの反省会をしよう。

 薄れる意識の中でそう思考したさくらは……次の瞬間氷柱に身を包まれた。

「……くそっ!」

 自分が殺し損ねたという事実、そして呪具の半分も道連れにされたこと。

 氷柱となったさくらを見下ろしながら、しかし聖の胸中に浮かんだ感情は悔しさ以外の何物でもなかった。

 

 

 

 二条の剣閃が大気を斬る。

 もはや視認すら不可能かと思われるその光の如き斬撃。だが、目標となる二人はその攻撃をしっかりと受け止めた。

 それは祐一とヘリオン。二人は背中合わせに立ち、左右から次々と来るその攻撃を弾き返していた。

「見えるか、ヘリオン?」

「はい、どうにか。祐一様は?」

「ギリギリ、だな。正直あまり自信は無い」

「ゆ、祐一様〜!」

 そんな会話をしながらも、しかし二人は美凪から繰り出される攻撃をちゃんと凌ぎきっている。

 それを周囲の兵士たちはただ唖然と見るだけ。

 それだけその光景は異常だった。

 無表情のまま不可視の領域に到達している二刀の居合いを連続で繰り出す美凪も。

 口では苦しいことを言いつつも、会話をしながらその迫り来る刃を受け止める祐一とヘリオンも。

 そのどちらもが異常。近付いては巻き込まれると両軍の兵が近付かないその領域で、

「――しかし、妙だな。遠野美凪」

 まるで世間話でも語りかけるように祐一は言葉を紡いだ。

「……なにがでしょう?」

 祐一が平然とした表情で語りかけるなら、聞き返す美凪もまた平然。

 激突音響かせるその光景にあるまじき状況でありながら、当事者たちはさもそれが当然であるかのように会話を進めていく。

「なぜお前は本気を出さない? 固有結界、紅赤朱、また他のなにか……。お前にはそれだけの隠し種がありながらどれもを使おうとしない。

 それが、俺からすれば不思議でならないんだ。それを使えば戦いが早く終わるかもしれないにもかかわらず、だ」

 横のヘリオンはなにを言い出すのか、といった感じに驚きの表情を浮かべている。

 ヘリオンは美凪の本気と言うものは知らないが、この状態ですら二人で抑えてどうにか、というレベルなのだ。本気など出されたらどうなるか。

 だが祐一の言葉は聞きようによってはまるで本気を出してみろと急かしているようにも聞こえる。

 この状況で何故、という思いがあるが……頭のキレる祐一のことだ、なにか考えがあるはず、と言葉を飲み込んだ。

「……本気を出したくないから、です」

 やはり表情を崩さず答える美凪。すると祐一がわずかに苦笑し、

「出せない、ではなくて出したくない……か。やはりそういうことか」

「……」

「固有結界はともかくとしても、紅赤朱というのは本来異種族……特に魔族と交わった血族に起こる特殊能力。

 それを考えるとお前の身体にもわずかであっても魔族の血が流れているはずだ。

 俺だって少しの間はエアにいた身だ。それを容認できるほどエアの懐が広くないことは知っている。

 だからお前はその力を使わないんだろう? その力を使うことは即ち……自分が神族ではないと認めるようなものだからな」

 剣戟が止む。

 それは即ち美凪が攻撃を止めたということであり……、

「……だったらどうだと言うのですか?」

 静かな問い。表情こそ変わったようには見えないが、その言葉に込められた色は先程までとは異なっていた。

 それを感じ取ったのか、祐一は無造作に一歩を近付き、手を伸ばして一言。

「俺たちと共に来い、遠野美凪」

「「!?」」

 驚愕は美凪とヘリオンと同時。

 しかしそんな二人を見ながらも祐一は更に一歩を刻み、

「いままで何度も虐げられてきたはずだ。……観鈴からも聞いた。お前が纏める第四部隊は神族でない者たちが集められた部隊なんだろう?

 ……そうして一箇所に集められていることこそ、ただの使い捨てとしか考えられていない証拠だ。

 いまのエアは多種族との共存なんか認めない。だが、俺たちはそれを認めさせるために戦っている。……遠野美凪、お前はどうなんだ?」

「私……?」

「そうだ。お前には仲の良いスピリットがいて――そして部隊の皆が好きなんだろう?」

「それも神尾――観鈴さんが……?」

「あぁ。あいつは言ってたよ。部隊の皆を見るときのお前の顔はどこまでも優しくて……悲しそうだった、と」

 近付くその距離は既に手を伸ばせば届くほど、

 祐一は手を差し出したまま、そこに立つ。

「俺の手を取れ、遠野美凪。お前の願いは……俺たちと同じはずだ」

 その手を見下ろし、美凪は思う。

 これまでのエアでの人生を。

 蔑まれ、憎まれ、後ろ指さされ、見下され。純粋な神族でないこと、飛べない翼を持つこと、それら全てを笑われて。

 そうしながらもなお、エアで生きたのはそこに仲間がいたからだ。

 皆、自分と同じように見下されるような者たち。けれど、皆が皆良い心根の者たちばかりで。

 そして……みちる。愛しい愛しい、自らが望んだその存在。

 たとえどれだけ罵られようと、皆がいれば生きていける、ただの駒だとわかっても戦っていける。そう思った。

 そしていま。

 同じ境遇を経てもなお、こうして誓いを立て目標へ進み、真っ直ぐにこちらを見る一人の王がいる。

 生まれてからこれまで、ずっと似たような経験をしてきたにも関わらず、二人の現在の立ち位置はこれほどまでに違う。

「これが……あなたが自らの人生で辿り着いた答えですか?」

「俺一人じゃない。何度も遠回りして、そして多くの仲間に支えられて……いま俺はここに立っている」

 淀みの無い、どこまでも強く鮮明なその言葉。

 ……そもそも今回、こうしてこの場に同行することを神奈に申し出たのもこの答えを聞くためだった。

 全種族に対する復讐ではなく、一国の王となった祐一。

 その心変わりがどういうわけか、その真意を聞きたくてここまでやって来た。

 その答えを聞いたいま、 正直に“羨ましい”と思った。

 こう思えるだけの強さが自分にもあったなら……と。そうすれば自分もその横に立つことができたのだろうか。

 差し出される手を、握り返したい衝動に駆られる。けれど……。

「すいません」

「!」

「祐一様!」

 美凪は拒絶の意思表示として一閃を繰り出した。

 慌てて祐一の前に入り込んできたヘリオンがその一刀を受け止める。

 その後ろに立つ祐一を見据え、美凪はどこか口惜しげに、

「……私は、観鈴さんの言うとおり第四部隊の皆が大好きです。……だからこそ、あなたの手を取るわけにはいかない。

 いま皆はエアにいるんです。私は彼女たちを……みちるを置いていく、なんてことはできません。

 それに……純粋な神族でもない私を、混成部隊とはいえ隊長に据え、そしていままで何度も助けられた神奈女王に恩を返さなくては、私は……」

「そうか」

 祐一のどこか悲しそうな表情。

「なら……互いの想う物のためにも、剣を交えるしかないな」

「はい」

 ヘリオンと美凪の剣戟が一際響き、両者が互いに距離を取る。

 しかしその隙を縫うように祐一が駆け、

「はぁ!」

 剣を振るう。

 美凪のスピードならこれは容易く受け止められる一撃。しかしこれを受け、その隙にヘリオンが第二撃を叩き込めば隙が出来るかもしれない。

 そういう布石の一撃――だったはずなのだが、

「なっ!?」

 その一閃は美凪の肩口から腰にかけて斜めに切り裂いていた。

 もともと布石のための一撃だったせいか一撃で絶命するほどのものではないが、決して安心できるほどの傷でもない。

 しかし、その向こうで美凪は表情を変えた。

 いままでの無表情ではなく……笑みという形に、だ。

「くっ……この傷ではしばらくはろくに戦闘もできませんね。今回は退かせていただきます」

「遠野美凪、お前……!」

「……観鈴王女……いえ、観鈴王妃、と呼んだ方が良いでしょうか。彼女をどうぞ、よろしくお願いします。

 あの方の無事もまた、神奈女王の意思ですから……」

 そう言い残し、美凪は早々に後退を決め込んだ。

「祐一様。あの人は……」

 去っていくその様を見つめていた祐一の横にヘリオンが並ぶ。尻すぼみに消えていくその言葉の先を、しかし言うなというように首を横に振り、

「俺たちはいま、他にすべきことがある。そうだろう?」

「――はい」

 美凪の一件は後回しだ。

 その言外に込められた意味を読み取り、ヘリオンは頷くと同時に上空へと飛翔していった。超上空部隊の迎撃に戻るのだろう。

 祐一もまた他の部隊の援護に回るためその場を後にした。

 

 

 

 あとがき

 どーもー、神無月です。

 というわけでさくらVS聖、祐一&ヘリオンVS美凪をお届けしました。

 さくらの敗北、そして美凪の後退。これでとりあえずこっちの戦場は一段落。

 次回は再びお城の方へ視点が戻ります。

 エアの力はおそらくあと三話。お付き合いくださいね。

 

 

 

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