神魔戦記 第六十八章

                  「クラナドの力(後編)」

 

 

 

 

 

 四角い瞳孔を囲むような灰色の眼。

 見た者の動きを止める、異質の世界。それは、

「石化の魔眼、だと……!?」

 すぐにその正体を看破して瞼を閉じる智代。

 だが間に合わずそれを見て石化していく最前線の兵士たち。

 時谷はその、鈍くも美しい輝きを携え、

「……行くぜ!」

 地を蹴った。

 目指すは最後尾。その、一ノ瀬ことみとかいう魔術師がいるその場所だ。

「行かせるか!」

 攻撃は横から、智代のものだ。だがそれを時谷は楽々と回避する。

「なっ!?」

「はん! 瞼を閉じたくらいで魔眼が完全に効かないとでも思ってるのかよ。そんな薄皮一枚、魔眼の前じゃ時間稼ぎにしかならないぜ!」

 石化の魔眼による石化症状に、閉ざした視界。更には、先程受けた舞の攻撃による傷。

 この三つが重なり、いまや智代の剣の動きは舞と戦っていたときの半分にも届いていない。

 その程度の攻撃が、時谷に当たるはずもなく、

「とりあえずてめぇには用はねぇ。……どいてな!」

 攻撃直後、がら空きの腹部に魔力付与した拳の一撃を叩き込む。

「が!」

 直撃。鎧を破砕しながら大きく吹っ飛んでいく智代を、しかし時谷は一瞥もせず更に前へと駆けていく。

 ――残り五十秒!

 時間は正直ギリギリだ。故に止まっている暇などありはしない。

「オラオラァ! 石にされたくなけりゃあ、どきな!」

 その言葉に恐怖を抱いた兵士たちが、時谷から離れるようにして道を開けていく。 

 目の前で一瞬にして三十近い兵を石化され、更には軽く智代を退けた相手となれば、恐怖を抱くのも無理はない。

 それにいくら道を明けたからとはいえ時谷と視線が合う者も中にはいる。それらを全て石へと変化させながらも、時谷は走っていく。

 ――四十秒!

 そのとき、頭上を強烈な閃光が突き奔っていった。

 ことみが放った追撃の超魔術だろう。だが時谷は止まるどころか見上げすらしない。

 チャージの時間がなかったのだろうが、放たれた超魔術は一発分。その程度なら後ろの連中でどうにでもできる。

 時谷自身は気付いていないが……それを普通は『信頼』と呼ぶのだ。

 

 

 

 撤退していくカノン軍。

 その色は疲弊に包まれているが、皆逃げるために必死だ。

 出来る限り距離を稼ぐ。それが残していった時谷に対する一番の行いだと、誰もが知っているからだ。

 そんな部隊の上空、翼をはためかせる魔物の背に乗った杏が後ろのクラナド軍の様子を見やり、

「時谷は上手くやってるみたいね……」

 追撃が、来ない。つまりは本当に時谷一人でクラナド軍を抑えているということになる。 

 すごいわね、と改めて思う。

 その戦闘力もそうだが、度胸などの精神的な面も、だ。

 きっとその辺りが美汐と時谷が衝突する理由なんだろう、と杏は推測する。

 美汐は典型的な頭脳、理論派だ。それに対し時谷は真逆の精神、感覚派。考え方やソリが合わないのも無理もない。

 けれどどちらが正しいというわけではない。それはおそらく二人も理解しているのだろう。なんだかんだ言いつつ、互いを認め合っている節もある。

 その美汐はいまその理論を破壊され、かなり落ち込んでいる様子だが。……まぁ、無理もないか、とも思う。

 だが、その辺りの反省はせめてエフィランズに戻ってからすべきことだ。いまは撤退に集中した方が良いだろう――と、

「来た……!」

 視界の中、クラナド軍後方から上空に放たれた一筋の光がある。

 ことみの超魔術だ。射程的にはまだまだ十分。一定距離まで撃ち上がれば、そこから屈折してこちらへと飛んでくるだろう。

「超魔術、来るわよ!!」

 部隊に危機を知らせる。とはいえあれだけの規模の魔術を、魔術師のいないこの部隊でどう迎撃すれば良いのか杏でもわからない。

 だがそれに応えるように一人の人物が動きを見せた。青い髪を二つに結い、カノン王国軍騎士団のエンブレムを刻んだ鎧を身に着けた、

「あたしが対処するわ!」

 七瀬留美だ。

「水菜、空を飛べる使い魔であたしを上げて!」

 言葉に答えるように新たな鳥系の魔物が出現し、留美を抱えて空へと上がっていく。

 ほぼ同時、撃ち上げられた魔術が屈折を開始し、まっすぐこちらへと飛んできた。

「放して!」

 それを見て留美が叫び、応じるように魔物が足を放す。

 落ちていく留美。タイミングは、一直線に来る魔術の丁度真上の時で、

獅子王――」

 振り上げられる大剣。圧縮される魔力により赤に染め上がる刀身を一気に振り下ろし、

「――覇斬剣!!」

 魔力を込めた圧倒的な重力が、真下――超魔術へと降り注ぐ。

「潰れろぉぉぉ!」

 タイミングはドンピシャ。ことみの強力な魔力を帯びた炎の超魔術は、しかしそれ以上の魔力を帯びた重力の一撃に、カノン部隊へ到達する前に――叩き潰された。

 その威力、まさに圧巻。おそらく一撃の威力だけで言うのなら、舞ですらその領域には届かないだろう。

 響く歓声。消失し、余波で陥没した大地に着地した留美は、その大剣を肩に担ぎ、

「斉藤に応えるためにも……部隊には指一本触れさせない!」

 目指すべき“騎士”となった少女が、いまその本髄を果たさんと身構える。

 

 

 

 後方で突如発生した圧倒的な魔力の一撃に、放たれた超魔術が消失したのを時谷は感じた。

 だが、それだけだ。

 ただ前を行く。自分のするべきことはそれを喜ぶことではなく、成すべきことをすることなのだから。

 石となっていく兵士。中にはこちらへと向かってくる兵士もいるが、同時に四、五人掛かってこようが時谷にはどうでもいいレベルの話だ。

 殴り、蹴り、石像が邪魔ならそれを破壊して真っ直ぐに突き進んでいく。

 ――残り二十秒!

 まだクラナド部隊を抜けない。視界に映るのは兵、兵、兵ばかりだ。

 だが、感じる。魔力感知に疎い方である時谷でもはっきりわかる、他の者とは明らかに格の違う魔力を持つ人物に近付いているということ。

 相対の時は近い。万が一ための準備をしつつ、時谷はただ身を前に運んでいく。

 ――残り十秒!

 そして、

「!」

 視界が開いた。

 前方、わずかに離れた位置に少女がいる。……魔力でわかる。その少女こそ一ノ瀬ことみだ。

「あ……」

 こちらの顔――否、眼を見てことみの身体がビクリと揺れた。

 驚き、ではない。それはこちらの石化の魔眼に対する反応だ。

 しかし、石化の進行が遅い。やはり魔力抵抗が高いのだろう。魔力屈折化能力も関係しているのかもしれない。

 このままではことみを石化する前に魔眼の時間が切れるだろう。

 だが、動きを封じているだけで十分。その間に命を取ってしまえば良いだけのことだ。

「貰ったぜ、魔術師の嬢ちゃん!」

「!?」

 地を蹴る。その距離を一足飛びに詰め、心臓目掛け腕を突き出そうとして、

「させるかっ!!」

「がっ!?」

 声と同時に身体を突き抜ける衝撃。

 見下ろせば、腹部を見たことのある剣が貫いている。これは、先程吹き飛ばした、

「坂上、智代……!?」

「ふっ……後ろからならば、魔眼の心配もないからな!」

 追い討ちだと差し込まれる剣。 飛び散る鮮血は、ことみにすら降り掛かる。 

 だが、重要な器官は外している。命に別状はないことを悟る時谷。そのままことみに拳を振り下ろそうとするが、

「させるかと言った!」

 智代が陣ノ剣を横に振り払い、横へと放り投げられる。反動で吹き飛ばされる時谷は受身を取り、すぐさま体勢を立て直すが、

「ぐっ……!?」

 眼球に痛みが奔る。

 魔眼使用の限界だ。

 これ以上魔眼を使用すれば効力が自らに跳ね返り、石化しかねない。

 やむなく、魔眼を封印する。

「……どうやらその魔眼には制限時間があるようだな」

 いち早くその事実に気付いた智代。その言葉にことみ、そして他の兵がもう恐れるものはないと言わんばかりに時谷を取り囲んだ。

「よくやったがこれで終わりだ」

 智代が陣ノ剣を向け、宣告する。……しかし、

「ククク……」

「……?」

 傷口を押さえつつ笑みを浮かべる時谷。

 それを怪訝そうに見る智代の横で、ことみがハッとする。

 ……その笑みは、まだこの状況に絶望していないからだとわかったから。つまり、

「あの人、まだなにか手を持ってるの!」

「!?」

「ご名答。知らない相手の戦力を勝手に決め付けるのは良くねぇなぁ」

 囲まれる中で、時谷は顔を上げる。

「一つ問題だ。制限時間付きなんつー面倒な魔眼を、どうやって俺は押さえ付けてると思うよ?」

 笑みを見せると同時、そのまま手を交差させ、指が独特の動きをなぞる。

静寂へ導く螺旋の鎖。我が魔を通ず血の名において、その者の内なる魔を捕らえ沈ます鍵となれ

 呪文詠唱。

 しかし、どの属性のものとも違う詠唱文にことみは驚愕の表情を浮かべ、

「オリジナル魔術……、まさか特殊属性!?」

大当たり(ビンゴ)

 にやりと口元を崩し、

「『血束の鎖(ブラッディ・チェイン)』!」

 刹那、ことみの身体に付着した時谷の血が発光し始めた。

「なっ!?」

「血が着いたのは僥倖だったよ。どんな媒体よりも、己の魔力が込められた血以上の物はないからな……!」

 血が帯状に広がりながら螺旋を描き、ことみの身体を囲んでいく。そしてそれは次の瞬間ことみの身体に沈み込み……消えた。

「ことみ!?」

「……これは」

 ことみが服の袖を上げる。すると、手首から腕にかけて赤い鎖のような紋様が刻み込まれていた。

「……やられたの」

「どういうことだ? 命に別状はないのか……?」

「多分平気。でも、封じられた」

「封じられた……? なにを?」

「……魔力を」

「!」

 ことみは手を掲げ魔術を詠唱してみるが、何の反応もない。マナが集う感覚も、魔力を練り上げる感覚もない。

「あなたの特殊属性は……封印?」

「ご明察。……どうだ? 封印に特化した俺の最高度の封印魔術は」

「そんなもの……お前を倒して解除すれば良いだけのことだ!」

「待って!」

 時谷へ剣を繰り出そうとする智代をことみが止める。

 何故、という意味を込めて振り返る智代に、ことみはただ静かに首を横に振り、

「多分、その人を殺してもこの封印は解けないの」

「そんな……。魔術による状態異常は術者が死んだ場合に解除されるのではないのか?」

「通常は。でもよく考えて。太古のダンジョンや、遺跡なんかに行ったときによく封印された宝箱や扉なんかがあるでしょう?

 でも、その封印を施した魔術師さんたちがまだ生きてるなんてことはないの」

「あ……」

「それが指し示すとおり、強力な術者が掛けた封印なんかはその術者の死後も半永久的に残ることが多いの。

 ……ましてや、封印特化の属性を持つ人の封印魔術ならなおの事」

 そうしてことみは時谷を悔しそうな瞳で見て、

「……多分、この封印魔術はその人が解こうとしない限り永遠に解けない」

「逆を言えば、俺が死んじまえば永遠にあんたの封印は解けないってことだ」

 言うと、時谷はおちゃらけた風に手を上げ、

「自分で言うのもなんだがよ。俺は魔族の中では随分と落ちこぼれでなぁ。自己再生がめちゃめちゃ遅いんだわ。

 あー、……この傷じゃ放っておけば死んじまうなぁ。さて……どうする?」

「貴様……!」

「ま、……どうするかはあんたたちに任せるわ。魔眼の限界使用と、慣れない高度魔術の使用でこっちはいっぱいっぱいなんだ。

 ……わりぃけど、寝かせてもらう……ぜ……」

 そこで言葉を体現するかのよう時谷が倒れ伏した。

 腹の傷から地面へ、流血が続く。自己再生が遅いというのはどうやら本当らしいと察した智代は一瞬悩み、

「治療兵!」

「はっ!」

「……その魔族を治療しろ」

「は? いえ、しかし……」

「ことみは我が国の魔術戦闘の要だ。ここで失うわけにはいかん。……急げ! 絶対に死なせるな!」

「は、はっ!」

 慌てて時谷の治療に掛かる治療兵たち。それを見下ろし嘆息して、智代は剣を鞘に収めた。

「……やられたな」

「うん。この人一人に全てひっくり返されたの」

「……どうする、これから」

 ことみは考え込むように顎に手を添え、

「魔力を封じられた以上、私がいても足手纏いなの」

「戻るか?」

 ことみは首を横に振り、

「私と、あと数人でその人を連れて戻るの」

「そうだな。なんとかして解除方法を尋問するか解除させないとな」

 あるいは拷問という手にもなるかもしれないが、と智代は考えるがそこは敢えて言わないでおく。

 ことみも智代も、戦場で戦うのならまだしも拷問だけはどうにも好きになれないのだ。

 身動き取れない相手に手を出す、というのはどうにも人道に反している気がしてならない。……それが綺麗事だとはわかっているのだけれど。

 まぁ話を戻そう、と思いつつ智代はことみを見やり、

「では、私を含め残りのメンバーでカノンを追撃するのか?」

「うん。ひっくり返されたとは言っても私の攻撃は届いているから、あっちの疲弊はかなりのはずなの。……まぁ、それはこっちも同じだけど」

「……だな」

 石化になる直前だった者たちは魔眼の効果が消えると同時に元に戻っているが、完全石化してしまった者たちは戻る様子はない。

 石像と化してしまった者、そして最初の戦闘のときの被害を考えると、大雑把な判断だがおよそ五分の一程度の兵力は失われただろう。

 加えてことみが抜けるとなれば、実質戦力の低下はかなりのものと見て間違いない。

 とはいえ、戦力低下を考えるのなら、相手側の方が激しいだろうが。

「追撃するなら早いに越したことはない、か」

「こっちも休めないのは痛いけど、戦力比を考えれば相手に休む時間を与えない方が効率は良いの」

 そうだな、と智代は頷き、簡易の陣を作る事と小隊長に部隊戦力を把握させることを兵に伝えた。

 崩れ掛けた戦力を掌握し直し、兵たちの頭が冷えるのを待ち出撃しよう、と考えたからだ。

 その考えに賛同なのかことみは頷き、

「じゃあ、数人借りていくの」

「あぁ。捕虜用の手錠はつけておくが……油断はするなよ」

「うん、わかってるの。そっちも頑張ってね」

 治療された時谷を抱えた数人の兵士と共に、ことみはアストラス街道を引き返していく。ラドスまで戻れば、あとは馬車でもなんでもあるだろう。

「さて……」

 見送り、視線を戻した智代はカノン軍の去っていった方向――エフィランズの街の方を見て、

「ここからが正念場だな」

 杏、石化の魔眼でこちらをひっくり返した男、ことみの魔術を叩き潰した誰か。

 エアの対処に大部分の戦力を割いてなおこれだけの人材を持つカノン。

 ……正直、敵にしたくない、と――智代はそう感じてしまっていた。

 

 

 

 そんなクラナドの兵たちを真下に見ることの出来る、ノルアーズ山脈の頂。雪舞うその中で、

「あ〜ぁ」

 そんな軽い、女の声が響き渡る。

 出っ張った岩。それに積もる雪の上に、一人の少女が座っていた。

 透き通るような白い髪に、子供ながらに可愛いと綺麗を兼ね備えたような容姿。さながら雪の妖精とでも言えようか。

 そんな少女はそこから足をぷらぷらさせつつ、

「負けちゃった、カノン。ま、最後の方は結構頑張ったみたいだけど」

 山は白一色に染まっている。クラナドとカノンの国境沿いにある山脈であるが、ここはどちらかと言えばカノンの影響を受けるため一年中雪が降っている。

 その影響でかなり寒いはずなのだが、声の主はまるでそんな素振りを感じさせず、無邪気な口調で言葉は続く。

「クラナドは……どうやら追撃するみたいね。まぁ、カノンのダメージを見れば誰でもそうする……か」

 ふんふん、と自分の言葉に頷く少女。

 すると、よっ、と呟き少女は立ち上がる。更に固まった背をほぐすように、んー、と反らせると、

「さーてと、わたしはどうしよっかなー」

 クスクスと笑う。軽い足取りのままに、その純白の世界に足跡を残しながら、

「ま、ここでユーイチに恩を返しておくのも悪くはないかな?」

 少女は一人行く。踊るように、歌うように。

「さ、わたしたち(、、)も行くわよ」

 そこで不意に、ニコニコしていた表情が微妙に変化する。

 笑みは変わらず。……しかし、その笑みは天使のような柔らかなものではなく、むしろ悪魔のような冷たいものであり、 

「ユーイチに返さないといけないからね。恩と……恨みを」

 その赤き瞳が、純白の世界で爛々と輝いていた。

 

 

 

 あとがき

 あい、ども神無月です。

 ははは、一日で書き上げましたよ! 素晴らしい。こういう日も時にはあるんですね。

 さて、とりあえずクラナドとの戦闘はここで一旦止まります。

 次回はクラナド王国のお話ですかね。朋也と古河家、あと多分誰も思いつかないだろう人が出てきます。

 では、また。

 

 

 

 戻る