神魔戦記 第六十七章

                  「クラナドの力(中編)」

 

 

 

 

 

 剣戟が戦場を駆ける。

 闇夜に浮かぶ月光の下、山脈の谷間で二つの波が激突している。

 それはクラナド軍とカノン軍という波だ。

 波は、傍目にはややカノン軍側が優勢と見れる。それは強襲に成功したからだろう。

 ……と、そう誰もが思っている中で、しかしそうとは思えない人物が一人戦場を走っていた。

 それは巨大化させた大黒庵を抱えた藤林杏だ。

 ――どうも、おかしい。

 頭を過ぎるのは、ただ不安と警告ばかり。

 カノン側が押している。それはつまり……相手にこちらの作戦が気付かれなかったということだ。

 美汐が言っていたように、こればかりはわかっていたとしてもどうにもならない作戦ではある。だが、気構えくらいはできるはずだ。

 それが、押されている……? 事前に知っていればせめて均衡できるだろうに。

 だから杏は探していた。

 進軍してくるからには、必ず自分の知っている相手がいるはずだ。身近な存在で……階級の高い人間が。

「なっ?!」

「藤林隊長補佐!?」

 突っ切ろうとした人の波から、懐かしい呼び名が伝わってくる。

 クラナド軍近衛騎士団隊長補佐・藤林杏。それがクラナドにいたときの自分の肩書きだ。

 だがその名はとうの昔に捨てたこと。悪いわね、とは思いつつも大黒庵を握り締め、

「――邪魔よ、どきなさい!」

 一振りの元に吹き飛ばす。そうして開いた道を疾走し、

「!」

 そこで、見つけた。

 カノン軍の兵士数十名を同時に相手にして、なお圧倒的な強さを見せるその少女。それは、

「智代!」

 跳び込み、その人物へと大黒庵を振り下ろす。

 それを反射でしっかりと剣で受け止めた少女は杏を見つめ驚いた表情を浮かべ、

「杏……!?」

「お久しぶりね、智代」

 それは坂上智代。杏の一年後に軍に入隊した、一つ年下の後輩だ。とはいえ、自分なんかよりもはるかに優秀ではあったが。それに、

 ――先輩を敬わない後輩だったわね。 

「杏……。いきなり軍を退役してどこかに行方をくらました、とは聞いていたが……まさかカノンにいるとは」

「こっちもいろいろあったのよ。そういうあんたは相変わらず年上相手に敬語もなしなわけ?」

 すると智代は小さく笑みを浮かべ、

「……もはや敵であるあなたに使うべき敬語などない!」

 大黒庵ごと弾き飛ばされるが、空中で反転して着地。そのまま再度大黒庵を抱え上げにやりと笑い、

「はっ、上等よ!」

 疾駆する。そして激突する槌と剣。

「ふっ!」

「はぁっ!」

 激突すること数合、再び大きく切り結び、二人は互いの顔を近づける。

「この時間、この状況で攻めてきておいてこんな作戦に気付かないわけないわよね。何を隠しているのかしら……?」

「さて、自分で言うのもなんだが私はこの手の戦法はいささか苦手でね。まんまとやられてしまったよ。さすがは知将と名高い杏だな」

 すると杏は、はん、と捨てるように息を吐き、

「嘘ね。……ことみがいるんでしょ?」

「なんのことだ?」

 しれっと言う智代。それに対し杏はそう、と呟き、

「……あんたは騎士団の隊長。本来全体の指揮をすべきあんたが先陣を切って戦っている」

「……」

「まぁ、あり得ないわけじゃない。あんたが一番強いわけだし、こういう奇襲があったならあんたが前に出てくるのも頷けなくもない」

 でもね、と続け、

「あんたは味方の命を決して粗末に扱わない。奇襲という不利な状況になれば、あんたは躊躇わずに後退するはず。でも、それをしない。

 加えてクラナドの兵士、一見奇襲に怯んで徐々に押されているように見えるけど……下がり方が統率されてる。これもおかしいわね?

 それに魔術師団がいる。……椋が抜けた後に隊長職に就けるのなんて、彼女しかいないわ。

 だからあたしは断言する。あんたたちはここで奇襲されることを知っていて、怯んだフリをしているだけだって。

 そしてこの作戦を看破して、それを崩す作戦を立案したであろうことみがいることも!」

「……!」

「さぁ、言いなさい! あんたたちはいったい何を企んでいるの!?」

「仮にそうだとして、だ。杏……」

 グッと、腕に重みが伝わってくる。鍔迫り合いは、しかし徐々に杏が押されていく。

「私がそれを語るとでも思っているのか!」

 一際強い鉄の音を鳴らし、大黒庵共々弾き飛ばされる。

「ぐぅ……!?」

「相変わらずの頭の切れだな。だが……腕は私の方が上だ!」

 言葉を是とするかの如く、智代の持つ聖剣『陣ノ剣』が淡く発光する。それを天に掲げ、

「来たれ、雷!」

 集束する雷のマナ。それが一筋の雷光となり、剣へ振り落ちる。

 バチバチと帯電する剣を構え、地を蹴り、一突きのもとにそれを爆発させる。

雷神剣!」

 智代の魔力が込められた雷が一筋の閃光となり、杏へと突き奔った。

 雷神剣。雷属性の剣士においては極めてポピュラーな魔術剣技だろう。

 だがそれを繰り出すのはあの五大剣士の末裔、『天馬の坂上』である智代。その一撃が、そんじょそこらのものと威力が同じはずなどなく、

「うあぁぁぁ……!?」

 周囲のカノン兵すら巻き込み、雷光が直撃する。あまりの威力に思わず膝を突いてしまう杏。

 だが、意識があるだけたいしたものだろう。巻き込まれた兵士たちは既に気を失っているのだから。

 しかしそこで智代は止まったりしない。跳躍し、再び雷を込めた剣を振りかぶり、こちらへと襲い掛かってくる。

「終わりだ、杏! 悪いが――カノンにいる時点でこうなることも覚悟していただろう!」

「くっ……!」

 身体が痺れて動けない杏に、この一撃はかわせない。しかし、

「川澄流剣術、第六番――孔雀の閃!」

「!?」

 智代に向かって真紅の衝撃波が襲い掛かる。智代は瞬時の判断でそちらに剣をやり、

雷光閃!」

 赤と黄が激突する。二つの力はほぼ互角なのか、数秒の間鬩ぎ合い、そして同時に消滅した。

 着地する智代。その頃には杏との間に立ち塞がるように一人の少女がいて、それは、

「舞……」

 川澄舞。カノン軍最強の剣士だ。

 その舞は智代から視線を外さないまま後ろの杏に向かって、

「……杏は下がって。杏の実力じゃこの人には勝てない」

「あんたもそういうことよく平気で言うわね……」 

「?」

 配慮が無いというか……まぁ、実力で智代に勝てないということは杏自身自覚していることだが。

「まぁ、良いわ。ここはあんたに任せる。あたしはちょっとわかったことがあるから美汐に報告に行く」

「わかった」

 痺れが切れてきた杏は、わずかに身体を引きずるようにして下がっていく。

「いかせるか――っ!?」

 そうはさせまいと智代が追撃しようとするが、その行く手を阻むかのように一閃が来る。

 足を止めそれを受ければ、それはやはり舞であり、

「それはこっちの台詞……」

「くっ……」

 流れるような斬撃が来る。独特な軌跡を描くその斬撃をなんとかやり過ごしながら智代は、

「この無限に続くかのような剣筋は……川澄流!? あなたは、川澄舞か!」

「そういうあなたは……坂上智代?」

「知っているのか?」

「……キー大陸合同武術大会で見た覚えがある」

「……そうか。あなたも出ていたものな」

 剣を弾き、智代が一瞬の間にバックステップで距離を取る。それは丁度互いにとってギリギリ間合いから外れる距離。

 とはいえ、一歩を踏み出せば再び間合いとなるその距離で、智代は戦場で浮かべるには場違いな嬉しそうな笑みを浮かべ、

「あの時手合わせしたいと思っていた。まぁ、私が負けてしまってそれも叶わなかったが……そうか、それが果たせるわけだな」

「……」

「ここは戦場で、そんな気持ちを抱くのは良くないのだろうが……でも、それもまた仕方ないことだとは思わないか?」

 腰を落とす。先程よりも濃密になる気配。そこらの兵士なら、その気配に当てられれば思わず竦み上がりそうな圧力を醸し出しながら、

「五大剣士、『天馬の坂上』の末裔、坂上智代、参る」

「……五大剣士、『麒麟の川澄』……川澄舞。手加減は、しない」

 クラナドとカノン。両国最強の剣士がいま、

「おぉ……!」

「っ……!」

 激しい響音をかき鳴らし、ぶつかり合う。

 

 

 

 クラナド軍、最後尾。

 ノルアーズ山脈に挟まれた現状、後ろに位置する部隊は戦場に近付くことはできない。

 しかしそれを口惜しい……という風の表情を浮かべている者はどこにもいない。

 なぜならこれは全て想定の範囲内だからだ。

「良い調子なの」

 そう口にするのは、一ノ瀬ことみ。彼女はいま地面に描かれた魔法陣の上に立ち、ある作業の真っ最中だ。

 この魔法陣はこれといって特殊なものではない。

 魔術詠唱をわずかではあるが減少させてくれる魔法陣。固定位置から魔術を放つ場合……篭城戦などで多数ある種一般的な魔法陣だ。

 それの上に乗り、ことみはいま魔術を組み上げている。

「そしてその名を真に呼びし者はここにあり。其の力は絶対。いまこそここに、ガヴェウスに契り願うは断罪の裁き……」

 第四から第五小節へ。組み上げられているのは火属性の超魔術だ。

 あとは真名を告げれば魔術は完成し、紅蓮の炎と化すだろう。だがそこでことみは手袋に包まれた腕を掲げ、

「『圧縮』」

 ブン、という形容しがたい音をあげて魔術は球状に圧縮され、ことみの頭上にフワリと浮いた。

 ……よく見れば、同じような球体がことみの周囲に八個、今のを含め計九個浮遊している。

 これはことみが着けた手袋『コンプレッサー』の効果である。

 どれかと言えば概念武装に分類されるだろうか。自らが作り上げた魔術を一時的に『圧縮』して発動を遅延させる魔術道具。

 遅延時間は所有者の魔術コントロールに依存するが、そこは一ノ瀬ことみ。超魔術でも十分くらいは遅延可能だ。

「ふぅ……」

 さすがに超魔術九回の疲弊はかなりのもの。ことみは疲れの息を吐きつつ、魔力回復のポーションを飲みながら、

「伝令兵」

「はっ」

「お願い」

「御意」

 すると伝令兵と呼ばれた者が腕を掲げる。その手の中には小さな鐘があり、それに魔力を流し込んで一振り。

 チリ――ン。

 場違いなほど涼やかな音が戦場に響く。

 激しい剣戟、怒号や悲鳴すら轟く戦場を、しかしその鐘の音はかき消されることもなく隅々まで響き渡っていく。

 これもことみの両親が持ってきた魔術道具の一つだ。まぁ、欠点は一度使うのにかなりの魔力を使用することだが……。

「ご苦労様。もう下がって良いよ」

「は、はい……」

 伝令兵は息も絶え絶えに下がっていく。おそらく内包魔力の半分以上を使用してしまったのだろう。

「さて……」

 これで準備はほぼ完璧。あとは全てが整うまでにもう一つほど魔術を組み上げることができるだろう。

ガヴェウスの名において願う。雄々しき焔の太源よ、我が手に集いて力となれ

 再び詠唱を開始する。とりあえず十発もあれば十分だろう。そう思いながら……。

 

 

 

 チリ――ン。 

「……なに?」

 それを舞は確かに聞いた。様々な声や音が飛び交う戦場の中で、不思議なほどに鮮明に届く鐘の音。

「時間か」

 すると相対していた智代から戦意が消える。怪訝に眉を傾げる舞に、智代は剣を下げ、

「すまんがここまでにさせてもらう」

「……逃げる気?」

「はは、……戦いと戦争は違うということさ」

 こちらに気を配りながらも後退していく智代。周囲のクラナド兵もそれに続く。

「どういう、こと……?」

 そのあまりにあっさりとした撤退に、舞はなにか不安に近いものを感じるのであった。

 

 

 

 チリ――ン。 

 そんな風に耳に届いた鐘の音。その途端に後退していくクラナド兵。

 それを見て、美汐は一瞬だけ怪訝に思うものの、すぐさまこれを好機と取り槍を構え、全軍に指令を出した。

「追撃! このまま逃がしはしません!」

 オォォ、と雄叫びが夜空を揺るがす。

 

 

 

 チリ――ン。 

 その音は無論杏の耳にも届いていた。

 それと同時に後退していくクラナド軍。

「これは……」

 時は深夜。日の光の届かぬ領域は、魔族と魔物の力が底上げされる。かてて加えて、成功した奇襲。

 これだけの状況が揃っていて敵が逃げ出せば、誰でも追撃をはかるだろう。

 そうして、このまま追撃したならば……?

「――まさか」

 そこで気付く。

 ……これが狙いだったのだと。

「ちっ!」

 舌打ちしながら、最前線にいるであろう美汐の元へと駆ける。

 早くこのことを伝えなければ、取り返しのつかないことになる。

 息巻き追撃を開始していくカノン兵の流れに乗りながらその姿を探し、やはり最前線で美汐を見つけた。

「美汐!」

「杏さん?」

 あの一撃を受けた後の全力疾走により息は切れ切れだが、そんなことも言っていられない。時は一刻の猶予も無いのだ。

 杏は美汐の服を掴み、その反動で顔を上げ、

「いますぐ兵を下がらせて! 早く!」

「どういうことですか?」

「これは罠なのよ! 良いから早くっ!!」

「状況が飲み込めません。もっと冷静に」

 あぁもう、と怒りが込み上げる。美汐は良い意味でも悪い意味でも堅い人物だ。しっかりとした説明なくして兵を下がらせはしないだろう。

 説明している時間も惜しいのだが、うだうだ考えていても始まらない。

 よく聞きなさい、と強く前置きし、

「魔族の能力が強まる深夜。そこで成功した奇襲。ここで相手が下がれば、勢いに乗ったこちらは追撃をする。これこそあいつらの狙いなのよ」

「どういうことです……?」

「まだわからないの!? このまま私たちが先に進めばどうなるか!?」

 そこで初めて美汐の表情が変質する。

「まさか――」

「そうよ。このまま私たちが進めば、場所が入れ替わる。……ノルアーズ山脈に左右を挟まれるのは、私たちになる! 加えて前方はクラナド兵!」

 危機を告げるように、声を上ずらせ、

「追い込まれたのは、私たちの方よ!!」

 言った瞬間だ。

 クラナド部隊の後方から、強力な魔力を帯びた魔術――内包量から超魔術とわかるものが一気に十、空へと撃ち上がった。

「あれは……?」

 空に向かって放たれた意味不明な魔術に首を傾げる美汐に対し、杏はそれを青褪めた表情で見上げていた。動く唇は、

「やっぱり――ことみ、いたのね!?」

 杏はそこで我に返り、周囲のカノン兵全員に向けて、叫んだ。

「逃げなさい! 早くっ!!」

 だが、遅かった。

 空高くに撃ち上げられた十の超魔術は、いきなりその軌道を曲げ――上空からカノン部隊をぶち抜いた。

 

 

 

「うん、良い感じ」

 今し方、圧縮しておいた超魔術十発分を一気に発動させたことみが、うんうんと二度頷く。

 これぞ一ノ瀬ことみの醍醐味。『対軍鮮帝』の異名を冠することみの戦法。

 ……魔術は敵味方の区別をしない。まぁ、広範囲魔術で、その術者の魔力コントロールがずば抜けていれば話は別だが、数百、数千の中から敵だけを選別するなんていう芸当ができる魔術師はそうはいないだろう。

 故に本来、部隊戦闘の場合魔術師は味方を巻き込まないために最前線よりやや後方に配置されるのが基本だ。

 だが、ことみはそれに該当しない。なぜなら、彼女にはそれを打破する特殊能力がある。

 魔力屈折化。

 接近戦が苦手な魔術師が後方にいれない理由。前にいる味方を巻き込まないため。……なら前にいる味方を巻き込まないルートを取れるなら?

 それがことみの強みだ。強力な魔術を形成、それを上空に放ち、その特殊能力で文字通り『屈折』させれば良い。

 そうすれば味方には全く危害を加えず相手に多大なダメージを与えられ、ことみ自身も全く危険にさらされないと一石二鳥。

 これこそ『対軍鮮帝』と呼ばれる所以。

「さぁ、どんどん行くの!」

 再び編み込まれていく魔術。

 断言しよう。

 ……彼女がここにいる以上、相対した相手に勝ちはない。

 

 

 

 戦況は、一変した。

 突如降り注いだ超魔術。しかも両脇を山脈に、前方をクラナド軍に囲まれたカノン軍に逃げ道などあるはずなく、全て直撃する。

 そうして大多数の兵を失い混乱に陥るカノンの部隊を、転じてクラナド軍が先程までの後退が嘘のように攻めていく。

 ……いや、実際それは嘘だった。

 奇襲に引っかかったように見せたのも、それを受けて後退していったのも、全ては作戦。

 敵を陥れる『演技力』。

 魔術発動と後退の『タイミング』。

 そして、それまでの時間を稼ぐためにカノンを抑える『根性』。

 兵もあの状況で踏ん張れるはずである。なぜなら、その場を凌げば待っているのは絶対的な“勝利”なのだから。

 全て、……全てが一ノ瀬ことみの作戦通りだった。

 いまやカノンの部隊は掌握すらできず、混乱するままにクラナド軍へ駆逐されていくだけだ。

「くっ……!」

 それを歯噛みして感じ取る杏。大黒庵を握る腕は悔しさを表すように、血が流れていく。

 このままでは負ける。……否、全滅する。それを感じ取り、杏はこの状況を打破する案を一つ考え付いた。

「美汐! 相手の勢いは一番後ろにことみっていう固定砲台がいるという信頼と自信だわ! 彼女が倒れれば、勝つ……ことはできずとも逃げることくらいはできるはず!」

 しかし、横から答えは来ない。どうしたことかと顔を向ければ、美汐はただこの状況についていけず驚きに目を見開いているだけだ。

 カッとなる。いけないと理性は言うが、感情がそれを押しのけその胸倉を掴み上げた。

「な、あ……?」

「美汐! 何を呆けているの!? 部隊を全滅させるつもり!?」

「あ……」

「あなたはことみの手の上で踊らされた! 作戦で負けた! こうなったのはあなたの責任よ。でもね、それを後悔するのはいまじゃないわ!

 ……しゃきっとしなさい! いまはその分、残りの兵を生き残らせることだけを考えるべきでしょ!?」

「……そ、うですね」

 美汐の瞳に力が戻る。そうして前を向き、

「つまり、私が空間跳躍で敵軍の最後尾にいる一ノ瀬ことみを討てば良いのですね?」

「そういうことよ。いけるわね?」

 もちろんです、と美汐は言おうとした。しかし、口から紡がれた言葉は、

「かはっ……」

 そんな、何かに咽たような呟きだった。

 目を見開く杏。なぜなら目の前……美汐の腹部から剣が突き出ているからだ。

「最前線で作戦会議……とは余裕だな?」

「智代……!」

 ズブッ、と剣が抜かれる。崩れ落ちる美汐の身体。それを智代は見下ろし、

「完全に隙を突いたと思ったんだが……さすがだな。ギリギリで急所はかわされたか」

「くっ……!」

 杏が大黒庵で攻撃するがそれは簡単にいなされ、返しの剣撃がくる。

雷王翔流剣!」

 下から迫り上げの一撃。それを杏は柄で防御するが衝撃に身体が浮く。同時に智代も跳躍し身体を反転させて、振り下ろしが、雷を伴い落ちる。

「がっ……!?」

 込められた魔力量の多さに、もはや鎧に込められたアンチマジックなど意味を成さない。

 痺れと痛みで崩れ落ちる膝。それでも倒れないのは意地みたいなものだが、その頃には第二撃の振り上げが見えた。

「残念だが……終わりだ、杏」

 そこにかつての友の表情はなく、あるのは戦士の顔のみ。

 そういう奴よね、と思いながら……しかし杏は笑みを浮かべた。

「こちらこそ残念だわ。……だって、終わらないもの」

「!?」

「――大きくなる――」

 詠まれる(まじな)い。すると智代の足元が大きく揺らぎ、突然岩の棘が突き出した。

「地面を大きくしたのか!?」

「大きくなるにも逃げ場所は上しかない。そうすれば、自ずとそういう形になるってもんよ!」

 舌打ち一つしつつ跳躍する智代を見て、杏は呼ぶ。

「いまよ、舞! 留美!」

「!?」

 瞬間、左右から同時に舞と留美が飛び出した。

「はぁ!」

 先に攻撃したのは留美。反射の動きで智代はそれを受け止めるが、

「重い……!」

「当たり前よ。あたし、七瀬よ!!」

 その隙に舞が肉薄する。差し迫る一閃。

「!」

「おぉぉ!」

 それを智代は強引に身体を捻り直撃を回避した。

 着地する三人。しかし智代だけがわずかにたたらを踏み、

「くっ……」

 脇腹から流血。いまの舞の一撃は浅いとはいえ確かに届いていたようだ。

 そんな智代の前に、杏と美汐を庇うように舞と留美、そして水菜や時谷たちが並ぶ。そんな背中に守られながら杏は微笑み、

「悪いわね、智代。……あたしもこっちでいろいろとあってね、いまじゃ信頼する仲間がいるのよ」

「……なるほど。そうらしいな」

 だが、と智代は続け、

「どうする? 作戦はこちらの勝ち。戦況は完全に我々有利に進んでいる。ことみの第二波もすぐ来るだろう。それをお前たちはどう凌ぐ?」

「……」

 そう。たとえこの場で智代を倒せたとしても、それは勝ちにもなにもならない。むしろ智代一人にかまけていては、他の兵が全滅する。

 とはいえ、逃げ切るためにはことみをどうにかしなくてはならない。しかし空間跳躍ができる美汐もいまは戦闘不能だ。

 ――どうする!?

 案が何も見つからず歯噛みする杏の視界の中で、しかし動く影があった。それは、

「時谷……?」

 斉藤時谷だ。彼はそのまま舞と留美の前にまで進み、

「俺が殿を務める。てめぇらはエフィランズまで下がれ」

「ちょ……、無理よ! あんた一人でなんて!?」

「はん、七瀬、てめぇの定規で他人を測るんじゃねぇ。お前にはできなくても俺ならできる」

 むっ、としながらも押し黙る留美。それを見て時谷は肩越しに水菜を見て、

「空を飛べる使い魔はいるな?」

「(こくっ)」

「よし。怪我をしている奴らはそれで運んで、他の奴らは自力で下がらせろ、良いな?」

「待ちなさい!」

 そう叫んだのは杏でも、もちろん水菜でもない。震える手でなんとか身体を起こした美汐だ。

「あなた……死ぬ気ですか!?」

「馬鹿言えよ。俺は死ぬ気なんてさらさらねぇさ」

「ですが――」

「もうどうこう言ってる暇はねぇんだよ。それくらいお前にだってわかってるだろ? この結果はお前の落ち度だ、しっかりと受け取れ」

「……くっ!」

「天野の姓は主人に対し完璧を誓う、か。だがよぉ、一度その完璧がぶっ壊されたからってうだうだ言ってたらそれこそ全部無くなるぜ?

 失敗したんならしたですぐに思考を切り替えやがれ馬鹿野郎。いつまでも後悔してるから、んな目にあうんだ」

「……返す、言葉もありません」

「ならいまは退け。足手まといなんだよ、お前」

 それで話は終わりだ、とばかりに時谷は歩を踏み出す。

 だがそれを追うように美汐は声を上げ、

「ですが、この数を相手に一人でなどと……!」

「何度も言わせるな。……お前はいままで完璧であったかもしれねぇけどな、こちとらそんな上品な人生進んできちゃいねーのさ。

 こんぐらいの劣勢、両手じゃ足りないほど乗り越えてきてんだよ。だから断言してんだ、こんなことじゃ死なねぇ、ってな」

 時谷は智代の間合いギリギリにまで近付く。あと一歩を踏み込めば、全てが始まるだろう。

 そうして皆に背中を見せたまま、

「一分。その間だけはそのことみとか言う魔術師から魔術が飛んでくるかもしれない。それは自分たちでどうにかしてくれ」

「一分?」

 その時間に疑問を浮かべる留美の言葉に時谷は自信気に笑いながら、

「あぁ、そうさ。……一分後には、こいつらはそんなことしちゃいられねぇ状況になってるだろうよ」

 その宣言を聞いて、一番最初に動き出したのは――杏だった。

「水菜、あたしたちに使い魔をお願い。舞たちは魔術を警戒しながら全隊の後退を援護。あたしが空から指示を出す」

「杏さん!?」

「美汐、あんたいまは黙ってなさい。いまのあんたが何を言っても説得力が無いわ。……わかるわね?」

 項垂れる美汐。酷か、とも思うが、敗戦の将としての経験が無い以上、これ以降の指揮はさせない方が良い。

 天野美汐の指揮の力は言うまでもなく、また精神的な強さをも信頼の上で、いまは敢えて突き放すような言葉を用いた。

 ――きっと、あんたもそうなんでしょ?

 その背中に、言葉ではなく心中で問うたのは……きっと言葉にしても意味がないから。

 杏たちはそれぞれ互いに視線をくれ頷き合うと、最後に時谷の背中を見て、

「任せる。――死んだら殺すわよ?」

「そりゃすげぇな」

 水菜の意思に応じて鳥系の魔物が杏と美汐を担いでいく。それに伴い他の面々も下がっていくが、

「させん!」

 そうはさせまいと智代が地を蹴ろうとして……しかしその進路は一人の男に阻まれた。

「行かせねーっつーの」

 無論、それは時谷だ。

 仕方無しに足を止める智代。そのまま剣を構えながら、

「とはいえ、どうする? まさか本気で我々を一人で食い止められるとは思っていないだろう?」

 先程の言葉は仲間を逃がすための偽りのものだろう、と智代は思っている。

 そういう想いを持てる相手を討つのはしのびない、とは思いつつ戦争だと割り切って剣を握る手に力を込める。

 だが、智代の予想に反する答えが響いた。それは……笑いだ。

「……なにがおかしい?」

「いや、なに。……やっぱ誰も本気だとは思わねぇんだなぁ、と思ってな」

 ククク、と喉を鳴らす。

 笑みに揺れる時谷の表情を見て、智代は不気味ななにかを感じ取った。

 そこには一欠けらの絶望もなく……本当にただ自信満々に笑みを浮かべる男がいるのだから。

「宣言通り、一分だ」

「なに?」

 時谷から妙な波動を感じ思わず一歩下がる智代。その差を埋めるように一歩を踏み出す時谷は手を眼に掲げ、

「……一分で、クラナドという波を俺がぶっ壊してやる」

 どけられる手。

 その奥からは、見たものを石へと変貌させる異質の魔眼が獲物を求めて輝いていた。

 

 

 

 あとがき

 はい、神無月です。

 うーん、予定より若干長くなってしまいました。まったく何度同じことをすれば気が済むんでしょう、私は。反省。

 というわけで、カノン敗戦です。あとはどれだけの兵士を生き残らせたまま逃げられるか、という戦いになります。

 そこに一人残る時谷。彼の考えるクラナド打破の策とは? 次回をお楽しみに。

 

 

 

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