神魔戦記 第百八十一章
「再び少女は立ち上がる」
時折、これが夢だと自分でわかる夢を見ることがある。
いままさに、彼女はそんな状態にあった。
見たこともない荒れ果てた場所。草木の一本さえ見当たらない荒野の中で、これまた見たこともない人物たちが争っている。
数は三対二。人数で言えば小規模なものだが、どちらもこの世のものとは思えぬ力を行使していた。
青年を筆頭とし、付き従うように二人の少女が追走する形の三人組の方がどうやら劣勢らしい。
その三人とて一つの攻撃がそれこそ街一つ消し飛ばしてしまうほどの威力を秘めた攻撃を五月雨のように連発していたが、それでもなお対峙する白髪の青年と少女の二人組に致命打を与えられていなかった。
だが一方的なのかというとそういうわけでもないようで、その二人組にしても表情に余裕は見受けられなかった。
三人組の力がわずかに及ばない。この戦いはそういう状況らしい。
そして三人組の奮戦も空しく、状況を変えられないままに戦いは決着を迎える。
三人組側の少女二人が崩れ落ちる。まだ力尽きたわけではないが、その様相は明らかに風前の灯だった。
唯一残った青年が、そんな二人に顔だけを振り向かせ何事かを呟いた。
チリッ、と胸に痛みが走る。
言葉は聞こえない。けれど何故か、悔しそうでいて、けれど満足そうな青年の顔がやけに心を疼かせた。
少女二人が手を伸ばしながら何かを叫んでいる。だが青年は最後に一度だけ微笑むと、その叫びを振り切るようにして走りだした。未だほぼ無傷の二人に向かって。
無謀な特攻だ。少女二人はおそらくやめろと叫んでいるのだろう。だけど青年は止まらない。もはやそれしか道は残されていないと言わんばかりに向かっていく。
もちろん奇跡なんか起きない。青年は二人組の集中攻撃を受け、それでもなお戦い抜いたが、それも数分程度でしかなかった。
彼が纏っていた鎧が砕け散り、光となって空へ昇ると、いくつかに分かたれて消えて行った。
……見たこともない光景のはずなのに、それこそがこの青年の死を意味しているのだと理解していた。
「――――!!」
二人の少女が揃って泣き叫ぶ。
最愛の彼が死んでしまうというのに、地面に這いつくばっていることしか出来ない自分の無力さと情けなさと悔しさで気が狂いそうになる。
けれど二人の慟哭の先、いままさに果てようとしている青年の表情はむしろ晴れやかだった。
「……世界を救うことは出来なかったけど、死ぬ間際まで二人と一緒にいれたことを、僕はとても嬉しく思う」
いままで聞こえなかったはずの声が、唐突に、しかも鮮明に響いてきた。
その声を、言葉を聞いて、大きく揺さぶられるこの感情は何だろうか?
「結局約束は守れなかったけど……でも組織を裏切ってまで僕と一緒にいてくれたこと、凄く嬉しかった。
そんな二人を残して逝くのは心残りだけど……でも大丈夫。僕の意志は僕の命が……神殺しが、継いでくれるから」
違う。そんなことどうでも良い。そんな言葉はいらない。
ただ生きて欲しかった。そして共にいて欲しかった。そのためだけに二人は揃って組織を抜けたのだから。
死ぬことよりも、彼が消えてしまうことが恐ろしかった。
本当なら世界のための戦いなんか止めて、三人で逃げてしまいたかった。
だけど彼がこの戦いを望んだから。彼がこの死を受け入れていたから。
……止めることなんて、出来なかった。
「ごめんね……ありがとう」
青年の姿が光の粒子となって消えて行く。明確なまでの別れ。
もはや涙で視界はぐしゃぐしゃで、喉も涸れ潰れて声も出せない。身体もろくに動かず、しばらくすれば自分たちも彼同様の結末を迎えるとわかっていながらなお認めたくなかった。
そんな状況でありながら、けれど青年の声だけはしっかりと耳に届く。
「さようなら――」
その『さよなら』の後にかすれて聞こえたのはきっと自分たちの名前で。
「――――!!」
少女たちの叫びも虚しく、その輝きは虚空の彼方へ消え去った。
散り逝く最後の最後まで、彼は笑顔のままだった。
――あぁ、そうだった。
これは夢だ。決して見たこともない光景。一つの戦いの終末にして、一つの世界の終焉。
けれどこの光景を、この一戦を、あの青年の声を、何もかもを記憶している。
魂が覚えている。
例え幾度転生し、頭脳という記憶領域から何もかもが末梢されたとしても……魂だけは、何時までだって記憶している。
――起きなくちゃ。
こんなところで眠ってなんかいられない。ましてや死んでしまうなどもっての外。
例え世界が異なり、自分もあの頃とは身体も何もかもが違ったとしても、この魂に焼きついた記憶がある限り、成さねばならないものがある。
それを思い出した以上、こんなところであんな相手に敗れるなんて許されない。
だから――目を覚ませ!
リディアはその光景を到底信じることは出来なかった。
彼女の知る限りにおいて、シャルが明確に敗れたことはない。いや、そもそもダメージを受けたことさえまずない。
飄々として、小悪魔的で、腹黒く、しかし仲間思いで、不器用な優しさを持つ、絶対不敗の圧倒者。
リディアたちにとってシャルとはそういう存在だったのだ。
だが――目の前の現実は、それが単なる思い込みなのだと突きつけるようなものだった。
「人間にしてはなかなかだったが……まぁ、所詮はこの程度だろうな」
鼻で哂う男、柾木良和がひょいと槍を持ち上げる。その先に串刺しとなった少女を持ち上げるように。
貫かれた箇所はとても槍によるものだとは思えないほどで、傷というより穴と形容する方が正しいだろう。
胸の辺りを突き抜け、腕がくっついているのが不思議なレベル。見るからに致命傷。
それこそが、リディアたちが信頼していたシャルの無残な姿だった。
「……」
何かを言いたいのに、干乾びたように言葉は出てくれない。
だが、
「フン」
「!?」
良和が無造作に槍を振るう。無造作に、とはいえ鬼の膂力によるその一振りは容易くシャルの身体を彼方へと投げ飛ばした。
もう用済みの死体を投げ捨てるように。
「テ――メェ!!」
それを見て、ようやく身体を縛っていた鎖は千切れ飛んだ。
「リディア! 冷静になって!」
おそらく隣のルミエもほぼ同じ状況だろう。だが感情よりも先に理性が勝る辺り、さすがとしか言いようがない。
だがリディアとて、激情に身を任せているわけではない。
「あたしがあいつを引きつける! だからルミエはその間にシャルの治療をしてくれ!」
「! ……いまの私の装備じゃあんな怪我到底治しきれないわ」
「いまの、ってことは?」
「……工房に戻れば、大規模治療用の呪具の試作型がある。上手く動いてくれるかどうかはわからないけど、希望はある。ここからなら往復で五分ってとこね」
「オーケー。だったらその五分はあたしが作ってやる。頼むぜルミエ」
「……死ぬ気じゃないでしょうね」
「ハッ、まさか」
ルミエは頭が良いから、きっととっくに気付いている。
リディアにはシャル同様の弱点がある。
リディアの特殊属性『金属』は極めて優秀だ。特に鎧や武器を持つ者に対しては遠隔の形状変化で即座に相手を討つことも出来る。
例え強力な結界を持つ相手であろうと、結界の内側にさえ作用する彼女の力に大概の相手は無力とも言える。
……だがそれは金属による攻撃が通じる相手ならばの話。
金属を刃に変化させようが針に変化させようが、それを通さぬ強固な肉体を持つ相手に対してリディアは成す術を持たない。
つまりシャル同様、リディアもまた尋常ならざる防御能力の前には無力なのだ。
しかし……倒せぬことが、そのままイコール敗北になるわけではない。
「時間稼ぎくらいなら余裕だ。だから行けルミエ。あたしたちに――いや、これからのカノンに、シャルは絶対に必要な存在だ。こんなところで死なせるわけにはいかねぇのさ」
「……わかった」
おそらく他にも言いたい言葉はあったのだろう。だがそれを全部飲み込み、ルミエはただ頷いてすぐさま走り去って行った。
リディアの言葉を信じるからこそ。
「さて、次の相手は君かな?」
「あぁ。あたしだ」
「そうか」
良和は軽く頷き、
「――なら死ね」
腕を振り払った。
たったそれだけのことで、地面が割れ、風圧が刃となり建物を切り裂く。
「ちぃ!」
リディアは咄嗟に横へ飛び回避すると、すぐさま能力を行使する。
「街中なら金属は豊富にある……後は使いようだ!」
彼女の意思に従い、瓦礫の中から金属たちが溢れ出す。液体のように蠢くそれらは、即座に良和の足元へ密集すると、立ち上り、その身を覆うように雪崩れ込む。
刃のように研ぎ澄ませても効果はない。なら金属そのもので覆って挟み潰す……などと上手くはいかないだろうが、それでもその身を覆う檻にはなるはずだ。
「これで動きを封じたつもりか?」
だがそれさえも甘い目論見だったらしい。
込めるだけの魔力を込めて強化した金属は、まるで紙のように容易く破り開けられた。
「化け物だな、本当に……!」
だが手を止めるわけにはいかない。何せリディアにはこの力しかないのだから。
「形状変化!!」
リディアの意思に反応し、至るところから金属が沸き立つ。鞭のようにしなる幾条もの金属はそのまま良和の手足に絡まって動きを止めんとする。
だがそれも秒さえ持たない。ただ歩を進める。そんな無造作な動きでいとも容易く引きちぎられる。
「くそ……!」
「芸がないな。せめてさっきの女くらい派手で多様なら受ける価値もあったわけだが……興ざめだ。さっさと死ね」
良和が走る。リディアに対し原初の呪具を使う気がないのか、槍はとっくに消え失せており、無手の拳を構えている。
嘗められている。だがそれを憤ることはない。こちらの目的は時間稼ぎなのだから。とはいえ、
「くそ!」
金属の壁を何層も立てその一撃を防ごうとする。無論一枚一枚魔力で強化した防壁だ。攻撃力特化の火の超魔術でも十発近くは耐えきるレベル。
しかしその防壁群があっさりと拳一つで粉砕される。なんて出鱈目、と叫びたくなるがそんなことを口にする余裕さえない。
彼我の実力差は歴然。相性の差も明白。時間稼ぎに徹したとしても、そう長くは持たないだろう。
――だけど。
「退くわけにはいかねぇ……! 」
「さっきの女を救うため、か? どうせもう助からんだろうが、そのために自らの命を捨てると言うのかい?」
「死ぬつもりだって微塵もねぇ!」
もし命を差し出すことでシャルやルミエが救われるのだとすれが、リディアは喜んでその命を差し出すだろう。
だが、そんなことはしない。もしリディアの命と引き換えに救われたのだとしても、当の二人がそれを喜ばないことはわかっているから。
「救うし、死なない! 絶対に三人揃って生き延びるんだよ!」
「ならこんなところに来なければ良かっただろう。君の言葉は支離滅裂だ」
「違うね! 最終目的はちゃんと一つなんだよ!」
それは、
「仲間全員で笑って生きていくために戦ってんだよぉぉ!」
「友のため仲間のため、か。あぁ美しいな。だが世界はね、そんな綺麗事だけじゃないんだよ」
迫る腕をギリギリかわす。だがそれはあくまでフェイクだったのか、避けた方向には勢いをつけた足があった。
「ぐっ……!」
錫杖で受け止めるも、鬼の蹴りがその程度で防ぎ切れるわけがない。身体は吹っ飛び地面を数回バウンドする。
「どんな美辞麗句も圧倒的な暴力の前には無力。力こそが全て。そう、だから君たち人間族は生まれながらにして弱者なのだ。弱者故に絵空事に縋る」
だが倒れてなどいられない。すぐに起き上がらなければ、良和は悠々と距離を詰めている。
「けど僕は違う。鬼は違う。圧倒的強者! それ故に何でも出来る。どうとでも出来る! どれだけ崇高な目的も、尊い存在も、拳一つでどうとでも出来る!
ハハッ、これが差だ! いい加減わかれよ人間! 君たちは僕ら強者にただ従うことでしか生きていけない家畜同然の存在なのだと!」
「ふざ……けろぉぉぉぉ!!」
地面に拳を打ち付け、ありったけの魔力を動員し金属を操作する。まるで巨大な蛇のように立ち上ったそれを、良和へ差し向ける。
しかし通じない。その進みを阻むことさえ出来ない。渾身の一撃は、良和の力みすら感じられない拳一発で粉砕される。
「終わりだ」
「っ!」
崩れた姿勢、蝕む痛み、不可避の角度から迫る鬼の魔手にリディアは成す術を持たず、
ザン、と肉を断ち切る音が響き渡った。
「なっ」
「えっ」
だが、続く声は哄笑でも断末魔でもなく、双方揃って驚愕。
さもありなん。この場、この状況でリディアではなく良和の腕が切り裂かれるなど、どちらとて考えてもいなかったのだから。
「っ!」
驚愕の停止から復帰したのはやはり良和の方が早かった。
切った相手が誰でどこにいるかを探る。いまのいままで気付かなかったが、リディアとの間に赤い服の少女が一振りの大剣を追撃のために振り上げんとしている。
「そう何度も奇襲が上手くいくと思うな!」
下から迫る剣閃を、もう一方の手で殴り弾く。剣諸共きりもみしながら吹き飛ぶが、その人物は空中で上手く立て直し華麗に着地したてのけた。
その小柄な人間が誰か、良和もリディアも知っている。
服はボロボロ、特に脇腹の辺りは血で酷いことになっている。リボンが千切れたのか長い髪を垂らす少女は無論、
「シャル!」
「やれやれまったく。リディアはわたしがいないと駄目ですね〜。たまにはゆっくり休ませてもらいたいものですが」
顔も青く、息を荒くしながらも常と同じアルカイックスマイルを浮かべるシャルロッテ=アナバリアがそこにいた。
「フン。殺したと思っていたが、人間にしては存外にしぶといね。油断していたとはいえ、瀕死の状況で僕の腕を斬り飛ばすとは。なかなかのものだと褒めてあげよう」
リディア相手だからと『鬼の衣』を纏っていなかったのが原因だ。
だが決して致命的なものではない。良和の自己再生能力は分類的にAクラス。少々の時間があれば腕一本くらいすぐに再生するのだから。
それくらいはシャルとてわかっている。だが、それでも彼女は笑みを崩さない。
「それはそれはありがとうございます。ですがご安心を。腕なんか前座です前座」
「ほう? なら本命は?」
「決まってるじゃありませんか。鬼退治っていうのは、鬼を倒さなきゃ終わらないんですから」
「ククク……立っているのもやっとという様相でよくぞ吠える。良いだろう、相手をしてあげるよ死にぞこない。今度は確実に、その肢体切り裂いて駆除してあげよう」
「どうぞご自由に。夢を見るのは勝手ですから」
「口の減らないやつだ。ただまぁここまで強がれる人間というのも稀有だな。面白い、その態度、どこまで貫き通せるか、見せてもらおうか!」
ドッ、と地面を抉り良和が跳ぶ。腕が一本であるとはいえ、決して楽観視出来る相手ではない。
それに良和ほどの魔族であれば時間を掛ければ腕もすぐに再生してしまうはずだ。どう見ても満身創痍のシャルでどうこう出来る相手ではない。だから、
「シャル! あたしも加勢を――」
「大丈夫ですよリディア。わたしを信じてください」
「なっ――」
降り落ちる剛腕を受け止めるような愚は犯さず、瞬時に後方へ跳躍したシャルは、視線だけをリディアに向けながら、
「既にわかってると思いますが、この相手にリディアは相性が悪すぎます。であれば援護は意味を成さないでしょう」
「馬鹿! 相性悪いってんあらお前だって同じだろうが!」
「まぁ認めざるをえませんが、大丈夫です。わたしには策がありますので」
策って何だ、と言い掛けて、慌てて口を閉じた。敵が目の前にいる中で答えられる内容ではないし、そもそも悠長なお喋りを許してくれるような生半可な相手ではない。
だがリディアにはわからなかった。シャルにそんな策が本当にあるんだろうか、と。
「策? この僕を倒すための? 面白い。見せてもらおうか!」
それは良和も同様だったようだ。ハッタリないし挑発と受け取ったようで、愉快下に口元を歪めながらシャルへ追い迫る。
そもそも本当に策があるのなら、何故致命傷を受ける前に使わなかったのか。
タイミングが悪かった? 咄嗟に閃いた? だがその策があったとして、瀕死の身体で成せるものなのか。
不安はある。疑念はある。だが実際リディアには良和をどうする手段を持たず、援護さえも出来ない。下手に介入してシャルの足を引っ張るようなことがあれば本末転倒にもほどがある。
だから、悔しくて血が出るほど手を握りしめながら、
「任せた。やっちまえ、シャル!」
一切合財を『信頼』の二文字で上書きし、激励の言葉を送った。
「まったくリディアは熱血なんですから」
曲がったことが大嫌いで、見てないようでいて皆に気を配れる数年来の仲間。
だが、もちろんシャルはそんなリディアが好きなのだ。そして信頼出来るから、託せるから、『猫の手』のリーダーを彼女に任せている。
「そんなリディアにああ言われたんじゃ、勝つにしてもスマートにやらないといけませんね」
「やれるのかい? 君に?」
迫る良和の鋭利な爪が空を薙ぐ。身を屈んでかわせば、その衝撃で背後の民家がた小枝のようにへし折られる。
重傷を負っているシャルの場合、あれさえ防御しきれるかどうか定かではない。どんな攻撃も受けたら終わりだと思うしかない。
続く攻撃もかわし、いなし、捌く。防ぐにしても受け流すことを主軸とし、決してまともに受けないことを心掛けながら、後退していく。
「僕を倒すと言っておきながらさっきから逃げの一手かい? 口から出まかせは良くないなぁ」
「だったらさっさと終わらせれば良いじゃないですか。ほら、私はここですよ?」
「……あんまり図に乗るなよ?」
より鋭く、より苛烈に魔手が振るわれる。だが直撃はおろか、その衝撃波さえシャルは見事に回避し続ける。
もちろんこれは良和が現在片腕を失っているから成り立っている状況だ。攻撃頻度が半分に減っているからこそシャルはかわし続けられる。
しかしただかわすだけでは意味がない。そして時間稼ぎはむしろシャルを追い詰める形になる。
これほどの激しい動きをさせられれば、ただでさえ深い傷のシャルは加速度的に体力を消耗していく。逆に良和は疲労が溜まることもなく、むしろ腕が再生してしまう。
即ち時間を掛けることは百害あって一利なし、なのだ。
無論、そんなことシャルは百も承知だ。そもそもこれは決して時間稼ぎでも、ましてや打つ手がないから逃げ回っているわけでもない。
「……そろそろですか」
ちらりと背後を見やれば、予定通りの施設へと近付きつつあった。
シャルの立てた策。その始まりとして、まずここに良和を誘い出す必要があった。
力押しだけで勝てる相手ではない。無論、生半可な策でも突破出来ない。
だが勝機はある。シャルにはまだ、切っていない手札があるのだから。
「ん?」
これまで虫のように跳び回っていた相手が足を止めたのを見て、良和も一旦攻撃を止めた。
息は切れ切れだが、表情は死んでない。逃げるのを諦めたというわけではないだろう。にも関わらず足を止めたということは、
「なるほど。誘い込まれたか」
どうやら先程口にしていた『策』とやら、出まかせではないようだ。とはいえ、
「こんなところに連れてきて何が出来る? まさかこんな場所にこの僕を打倒し得る武器でもあるのかい?」
このシャルと呼ばれていた少女。良和は決して過小評価はしていない。
人間にしては間違いなく上位に入るだろう。呪具のエキスパートで手数が豊富な上、身体的にも精神的にも優秀だ。
が、いかんせん火力がない。数多持つ呪具の中で唯一良和に傷を付けられそうなのは先程から使用している原初の呪具『アルビカルト』だけだ。
だがそれも良和の真骨頂たる『鬼の衣』の前では脅威にならず、更に言えば二本一対の大剣はうち一本を破壊済み。より脅威度は下がる。
無論それは相手も承知だろう。だとすれば唯一の勝機は火力不足を補うこと。つまり新たな武器を得る他にない。
……はずだが、
「まさか。そんな大層なものここにはありませんよ。何せここは学校ですからね」
「学校?」
「この国の次代を担う子供たちに教育を施す施設です。もちろん戦闘技術に類するものもありますからある程度の武器はありますが、ここにあるのは並の兵士の装備にさえ劣る物が大半ですよ」
「だとすればわからんな。君は何故こんな場所に僕を誘い込んだ?」
「すぐにわかりますよ。……すぐにね」
笑みを浮かべ腰を落とすシャル。跳躍の前動作。また逃げる気か、と思ったのだが、
「む」
事もあろうに、こちらへ突っ込んできたのだ。
破れかぶれの特攻? いや、そんな愚かな行動を取るタイプじゃないことくらいはわかっている。ならば一体何を考えている?
考えを巡らせようとして……しかし良和はすぐさまそれを放棄した。
「どんな策さえ正面から打ち破る。僕は鬼の長なのだから」
どんな手を使おうと知ったことじゃない。立ちはだかるなら、邪魔をするなら潰すためだ。
両者が激しくせめぎ合う。
シャルはまるで羽でも生えているかのように軽やかかつ素早く空中を動き回り良和の剛腕を一振りとて受けぬままに大剣の攻撃をヒットさせていく。
だが当然『鬼の衣』を纏った良和に攻撃は通らない。左腕はリディアが相手だと『鬼の衣』を解除していた際のもので、そうでなければ現状のシャルに良和に傷を負わせることさえ難しい。
しかし、それでもなお良和はシャルを殺すことは出来なかった。
どれだけ腕を振るおうと、シャルは身軽な動きでかわし続ける。腕が一本とはいえ、そう易々とかわせるような速度ではないのだが、それでもやはり当たらない。
それは素直に賞讃すべきものだろう。だがやはりこの攻防に意味はない。シャルはハイリスクノーリターンの戦闘を続けている。
長引けば有利なのは良和で、不利なのはシャルだということくらい、誰の目にも明らかだ。
――しかし、もちろんそんな勝利を良和は望まない。
上位種としての絶対的な勝利。かろうじての勝利など、良和のプライドが許さなかった。
「何を出し惜しみしているが知らないが、僕も暇じゃない。さっさと終わらせてもらおうか!」
そうして良和は現在の彼の奥の手とも言える原初の呪具『ディンガルディン』を召喚する。
同じ原初の呪具である『アルビカルト』を破壊しシャルさえも貫いた槍。その呪いは『あらゆる力を集束させる』というもの。
この効果に鬼の力が重なれば、いかなものとて耐えきれない。事実、良和はこれで王都の三分の一を消し飛ばしたのだから。
シンプルかつ強力無比な効力だが、反面欠点もある。
仮にこの槍に全力を込めて呪いを発動したとしよう。その一撃は確かに尋常ならざる破壊力を発揮する。
だが使用者はそこで崩れ落ちるだろう。
全ては集束する。まさしく文字通りだ。
それは使用者が望んだ力をいとも容易く集約してしまう。力の加減を間違えて全力を込めてしまえば、立っていることはおろか指一本さえ動かないほどに力を吸い取られてしまう。
もしもそこに『命』さえ掛けてしまえば……この槍はそれさえも容易く燃料としその呪いを発揮するだろう。
これはそういう武器だ。圧倒的な攻撃力を授ける代わりに、繊細な力の操作を要求するピーキーな武器。
だが、だからこそ良和はこの武器を気に入っていた。扱いにくい武器だからこそ所有者を選び、自分だからこそ自在に操れるのだと自負する。
「ほら!」
鬼としての力をわずかに集約させ振るわれた槍は、凶悪なまでの衝撃波で大地を割る。
「っ!」
直撃こそ回避したシャルだが、紙一重の回避なとどこの一撃の前にはほとんど無意味だ。呆気なく衝撃波に巻き込まれ壁へ叩きつけられる。
「がはっ!」
負傷が祟ってろくに受け身も取れなかったのだろう。背中から壁にめり込んだシャルは苦しそうに息を吐き、そのままずるずると崩れ落ちた。
「他愛ない。少し力を使えばこの程度か」
槍を下ろしながらゆっくりと近付いていく。それを察知してシャルは未だ持ったままの大剣を投擲した。
「ふん」
無造作に弾き飛ばす。槍に弾かれた大剣は彼方の地面に突き刺さる。
「愚かな女だね。唯一僕に傷をつけられるかもしれない武器を自ら手放すとは。……いや、もうそんな思考さえ及ばないか」
表情は髪に隠れて見えない。が、あの絵にかいたような笑みは崩れ去っていることだろう。
何とか立ちあがろうと手に力を込めているが、震えるだけで起き上がらない。身体が既に限界を示していた。
「……やれやれ。過小評価はすまいと思っていたけど、まさか過大評価だったとは。あれだけの大言を吐いておいてその結果がこれではね。面白くないのを通り越して不愉快だ」
目の前に立つ。槍を下ろせば確実に死ぬ距離にも関わらず、未だ立ち上がることさえ出来ない始末。
その様はまさしく死に際の虫そのもの。見るに堪えない醜悪なものだ。
だからもはや良和は何の言葉を投げかけることもなく、シャルの頭へ槍を振り下ろした。
もはや決した戦い。
ただのゴミ掃除。
そう認識していた良和は、
ガシッ、と、素早い動作で矛先を掴んだシャルを見て、思わず目を見張った。
「なに、お前……」
引き抜こうとしても、その手は離れない。この力は決して死にぞこないのそれではない。
「いやぁ、まんまと引っ掛かってくれましたねぇ。若干賭けな部分もあったんですけど、こうも読み通りに動いてくれるとは……単純なお方のようで」
「なんだ――っ!?」
なんだと、という言葉は最後まで紡がれることはなかった。何故なら持っていた『ディンガルディン』が突如発光し、拒絶するように良和の手を弾き飛ばしたからだ。
突然の事態に動きを止めてしまった良和は、見た。
崩れた髪から覗く、猛禽のように鋭く、そして爛々と燃える瞳を――。
「――全ては集束する――」
「!?」
指先だけの動作で槍を引っ繰り返したシャルが柄を持ち、起き上がる動きと合わせて槍を突き上げる。
奇抜な動きと言えばそうだが、それはそれ。決して力を込められるような動きでも構えでもない。だが、その矛先はこれまで良和を守り抜いた『鬼の衣』をいとも容易く貫いた。
「なん……だと……?」
驚愕に瞠目する良和の顔を見て、しかし驚きたいのはこちらの方だ、とシャルは嘆息する。
「これだけの動揺と、このタイミング、この速度での一撃で、それでもなお心臓を外すとは。さすがの反応速度と言わせてもらいましょう。そのムカつくまでの自信、口だけではなかったようで」
「う……おぉぉぉぉ!」
吼えた良和が腕を振るうが、もちろんそんなものに当たらない。首だけを動かし回避したシャルは二撃目が来るより先に距離を離した。『ディンガルディン』を良和の胸に刺したままで。
良和は多少よろけながらも『ディンガルディン』を抜こうと柄に触れる。だが先程同様に腕は弾かれ、触れることもままならない。
「何が……何がどうなっている!? おかしいだろう!」
「はて、何のことでしょう?」
「何もかもだ! まずどうしてお前そこまで平然としている!? 傷はどうした!?」
「傷? あぁ、最初にあなたに刺された脇腹のことですか。見ます?」
おどけたようにシャルは言うと、血でガチガチになった部分を破り捨て肌を晒す。すると案の定良和の目が見開かれた。
まぁ無理もない。何故なら脇腹に傷などもうないのだから。
「……馬鹿な」
「まぁぶっちゃけ危うく死に掛けましたけどね。いまはほら、ご覧のとおりですよ」
「だとすると……自己再生? あれだけの傷をこの短期間で回復するとなれば最低でもAクラス……それをただの人間が!?」
「ええ、まぁそういうことです。最初こそまだ再生しきってなかったですが、中盤以降のあの弱ったような態度は演技でした。なかなか真に迫っていたでしょう?」
「ならこれはどういうことだ!」
良和は自らの胸に刺さったままの『ディンガルディン』に視線を落とし、
「これはまさしく拒絶反応だ! 原初の呪具は所有者にしか扱えない。所有者以外が触れようとした時に起きる反応が拒絶反応だ。
だが何故だ! 所有者の交代は死んだときだけのはず! にも関わらず俺が拒絶され、お前は『ディンガルディン』の呪いを使用した! どんな出鱈目を使った!?」
「出鱈目……ですか。ま、あながち間違っちゃいませんよ。あなたの言っていることは実に正しいです。わたしが例外中の例外だっただけ」
「例外中の、例外……?」
「まぁわたし自身さっきまで忘れてた事実なんですけどね、ええ。そういう意味じゃあなたには感謝すべきでしょうか?」
などと笑いながら、シャルは先程と同様に肩部分の袖も破り捨てた。
先程衝撃波を思いっきり受けたとは思えない綺麗な肌。だがそこに薄らと浮かび上がるものがある。
それは――、
「星座のマーク……? ッ、まさか!?」
「これだけで気付くとは存外に博識ですねぇ。ですがまぁ礼もあります。冥土の土産ということで、改めて名乗っておきましょう」
肩に浮かび上がる紋様は良和の言うとおり星座を意味する記号。いわば呪いの聖痕とでも言うべきか。
ともあれ、これの意味することはただ一つ。
「わたしはペンタグラム五使徒序列Tの元配下、十二星座・牡羊座を冠された……乃亜。そしてその転生体――シャルロッテ=アナバリアです」
「乃亜だと……!? そうか、だから……!?
「はい。創作者権限で刻まれた所有者の記録を上書きしました」
失っていた記憶。思い出してみればなんてことはない。
原初の呪具の扱いが上手くて当然なのだ。何せ――そもそも自分はそれらの生みの親だったのだから。
だが散々求めてきた過去の記憶がこんな形で蘇るとは。そう苦笑しつつ、シャルは未だ驚愕しきったままの良和へ視線を向ける。
「とはいっても所詮は転生体であって本人ではありません。魂にさえ刻まれている聖痕は残ったままですが、乃亜としての記憶や知識は大分欠落しています。
新しく原初の呪具を作ったりするのは難しいかもしれませんが……ま、所有権の上書きくらいなら造作もありません」
「くっ……!」
これで状況は一変した。
負傷しているのは良和のみ。良和が奥の手とさえ言っていた武器は既に彼の手中にはなく、挙句にそれを横取りされて絶対的なアドバンテージであった『鬼の衣』さえ貫かれた。
とはいえ『ディンガルディン』は良和に刺さったままであり、『鬼の衣』も結界とは似て非なるものなので一度破られたからといって壊れるものではなく、いまなお効果は発揮している。
シャルが良和を打倒するためには『ディンガルディン』を使用する必要があるが、そのためには回収するために近付く必要がある。
再召喚すれば良いようにも思えるが、これは『鬼の衣』の魔力が邪魔をして出来ない。良和が『ディンガルディン』を抜いてどこかに落とせばそれも出来るが、あらゆる意味でそれはない。
シャルの勝機は、近付いて再度『ディンガルディン』の一撃を今度こそ頭なり心臓なりの急所に叩き込むこと。
良和の勝機は、近付いてきたシャルに『ディンガルディン』を使わせずその拳で頭なり心臓なりの急所を貫くこと。
条件は対等だ。良和からすればたかが人間相手に対等という状況でさえ腸が煮えくり返るところだろうが、怒りで自制が効かぬほど馬鹿なわけではない。
勝負は次の接近で決まる。
「さぁ行きますよ」
それがわかっていながら、しかし何の躊躇も決意も感じさせず、シャルは勢いよく地を蹴った。
速い。そのスピードは先程までの――つまり負傷していると思わせるための――ものとは一線を画している。
否、最初に良和と相対していた時よりもなお速い。
力を抑えていた、わけではない。自分でも知らなかった力の扱い方を思い出した。それがそのスピードの正体だ。
「もう勝った気でいるつもりか……!」
驚きこそあれ、良和も既に全力の構えだった。予想を超える速度にもすぐに適応し、拳を放つタイミングを正確に推し量る。
既にそこに慢心や油断はない。彼は自信家ではあるが、相手が相応の相手であれば全力を出すことを厭わないし、場合によっては戦いを避けるタイプだ。でなければ風子を前にして今頃生きてはいないだろう。
そして良和の判断において現状のシャルは『逃げるほどではないが全力を出さなければ勝てない相手』に分類されている、ということになる。
ウォーターサマーの連中がそれを知れば我が目を疑うことだろうが、そんなことシャルは知る由もなく、ただただ決戦のために距離を詰める。
勝敗を決める交錯まで既に一秒を切った距離。そして互いに勝利を呼び込む唯一の一手のために動き出そうとして、
良和の目の前からシャルの姿が忽然と消え去った。
「なっ――」
いままさにカウンターを叩き込もうとした良和の動きが止まる。彼の驚きは既に何度目であろうか?
だがシャルがどこに行ったのか。良和は半秒もしないうちに察知し、視線を真上へ転じる。
案の定、そこにシャルの姿はあった。良和に接近するその直前に、大きく跳躍をしたのだろう。
それはわかる。だが、わからない。
何故跳躍する必要があったのか。シャルが良和を打倒するためには『ディンガルディン』を使う他にないはずだ。つまりは接近は必須。
その考えがあったからこそ、跳躍するという選択肢がなかった良和は一瞬シャルの姿を見失った。
何かの策か、と警戒する良和に、空へ身を投げたシャルはただただ笑みを浮かべる。
「これで終わりですよ」
「? 貴様何を言って――」
「――接触は爆発を巻き起こす――」
ふわり、と彼女のスカートから幾多もの爆弾が落とされる。
だが良和はそれを理解出来ない。どれだけの爆弾を使ったところで、良和に傷一つ負わせることが出来ないのはシャルとてわかっているはずだ。
しかしそんな良和の疑念を他所に、シャルは次々と地上へ向けて呪具を放つ。
衝撃を轟かせるもの、風を起こすもの、斬撃を放つもの、熱を生むもの。しかしそんなもの良和には通じない。何をする必要もなく、彼の『鬼の衣』に遮断される。
時間稼ぎ? 目くらまし? 理解が及ばぬ良和だったが、彼女が次々と呟く呪いの中で、一つだけ聞き逃せないものがあった。それが、
「――全ては連鎖する――」
「!?」
本来聞こえるはずのない、『ディンガルディン』と同じ原初の呪具『アルビカルト』の呪いだ。
その呪いに反応するように、ありとあらゆる現象が連鎖反応を起こし良和へ襲い掛かる。無論、これでどうにもならないことは先刻の戦いで証明済みだ。
だが良和には嫌な予感があった。そもそも、その呪いが発動することがおかしい。
何故なら『アルビカルト』は二対の大剣だ。どうやら片方だけでも呪いは発動できるようだが一本は破壊し、残る一本も先程の投擲を弾き飛ばし遥か彼方だ。いくら原初の呪具でもあの距離では呪いを発動出来ないはず。
ならば何故この呪いが動いている? その疑念を察したらしいシャルが種明かしをする。
「簡単な話です。先程あなたも投げた大剣。あれは『アルビカルト』ではないんですよ」
「偽物、だと!?」
「本物は、ほら、そこに」
シャルの視線を追えば、確かに『アルビカルト』が地面に突き立っていた。位置的に先程シャルが跳躍した地点のわずかに後ろ。
おそらく良和がすぐに自分の位置を察知し頭上を仰ぐことも計算ずくで刺しておいたのだろう。
「そもそも学校まであなたを誘い込んだ理由は二つ。一つはこれから行う技が周囲へ及ぼす被害を最小限にするために広い敷地が必要だったこと。そしてもう一つは、囮となる大剣を確保するため」
良和は知らないだろうが、この学園には入り口に程近い場所に大剣が突き刺さっていた。
シャルも人伝に聞いただけの話だが、その大剣の所有者は祐一たちと共に旧カノン王国と戦った名もなき傭兵のものらしい。
激戦の中で姿を消したかの人物が死んだのかどこかへ去ったのか、それは知らないが、学園に通う子供たちをまるで守るかのように突き立てられた大剣をシャルはもちろん王国の人間はほとんど知っていた。
だからそれを利用させてもらった。おかげで良和は翻弄され、後手に回っている。『ディンガルディン』ばかりに気を取られた良和は、既にシャルの掌の上だった。
「あなたはわたしが『ディンガルディン』を使用しなければ勝機はないと思っていたようですし、それはもちろん間違いありません。……が、あなたは『ディンガルディン』の力を完全に理解していません」
「なんだと……?」
「所有者の力を『集束』して威力を高める。ええ、それも正しい使用法です。……が、それは所詮使い方の一つでしかありません。そしてわたしが好んで使う方法は――これです」
シャルは手を中空へ掲げ、
「――全ては集束する――」
パチン、と指を鳴らした。
唱えられた呪いに反応し、『ディンガルディン』が輝きを増す。その刹那、
「――!?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ、と重々しい鳴動が耳を打つ。
その「全ては集束する」という呪い。良和は自らの力を集束させて使っていた。だが、だとすれば現在、この状況で集束する「全て」とは何を指すのか?
「ま、さ、か……!」
音が、空気が、重い圧力が徐々に、加速度的に増していく。
近付いてくる。否、集まってくる。この槍に、『ディンガルディン』に、集束していく「全て」とは――、
「『アルビカルト』が爆発や衝撃といった力を「全て連鎖」させていたんですよ? であれば同種の『ディンガルディン』が「全て集束」させるものなんて――わかりきったことでしょう?」
何故、良和に『ディンガルディン』を刺さったままにしておいたのか?
何故、良和に通用もしない呪具を連発していたのか?
何故、良和に効かないことがわかっていた『アルビカルト』をわざわざ囮を使ってまで隠し続けたのか?
――その謎の答えが、文字通り集束して現れた。
「呪具連携――破壊の集束点」
爆発が、斬撃が、衝撃が、暴風が、熱波が、ありとあらゆる『力』が広がりながら渦を巻き一点へ集束していく。
本来『アルビカルト』によって連鎖された力は、外へ外へと拡散していく。それ故に広範囲の戦いをシャルは得意としていた。
だが『ディンガルディン』がそれら一切合財をたった一点へと集束させていく。あらゆる力が『連鎖』し膨れ上がり、それが今度は一気に『集束』されていくその光景。
「水滴で石は壊せません。が、時間を掛ければ穴を空けることは出来ますし、それが集まり激しい水流ともなれば石など容易く断ち切ることが出来ます」
そう、つまりは、
「増えただけでは通じずとも、集めただけでは届かずとも、それらが合わされば元の力の何十倍にだって膨れ上がるのです。あなたご自慢の防壁も何の意味も成しませんよ?」
「う、お、おおおおお!?」
一つ一つならピクリとも揺るがないだろう『鬼の衣』が容易く剥げ落ちていく。
もちろん再生も間に合わない。良和を中心として渦巻くその集束点にかかる圧力は、とっくに古代魔術すら凌駕している。
何故なら『連鎖』と『集束』の繰り返し。膨れ上がる力が止めどなく集束していくというのは、倍々ではなく累乗の勢いで威力が増していく無限ループだ。
対象が滅びぬ限り繰り返される果てのない穴。まさしく全てを吸い込むブラックホールだ。
「僕が、この僕が……こんなところで、人間如きに……!」
「あなたも馬鹿ですね〜」
着地したシャルは、どこまでもふざけた調子で言う。
「あなたは確かに強いでしょう。人より上位種であることは事実ですし、別に否定はしませんよ。
ですが、言わせて貰うなら――上の位置にいる者が、ずっとそのままでいられるなんて本気で考えていたんですかね?」
「な……に!?」
「上にいる者は下を見ないかもしれません。所詮下なのですから。ですが逆はどうでしょう? 下にいる者がずっとその立ち位置に甘んじていると? ありえませんよ、そんなこと」
ガリガリガリ、と良和の身体が加速度的に増していく力の奔流に削り取られていく。防御能力において他を寄せ付けぬ鬼の力が、もはや拮抗すら出来ていない。
だが無理もない。対消滅などの三大属性を除外し、既存の『破壊』という一点だけで計るのであれば、それは間違いなく極限の域に到達している。
しかしそれは決して驚くことではない。
「わたしは知っています。あなたのように自分たちが上位種だからと人を容易く殺してきた連中を。……そしてわたしはそんな連中を打倒するためにこれを創ったんです」
そも、原初の呪具はかの神殺し同様、人が神と戦うために創られた武装。即ち、神さえ屠れる力を持っていて当然なのだ。
シャルロッテ=アナバリアは乃亜の転生体だ。そして乃亜とは第二星界時代を生きた人間である。更に言えば第二星界時代は人と神が争っていた時代だ。
「下にいる人間は、下にいるからこそ考えるのです。工夫をするんです。でも上はずっとそのまま。自らの優位性にあぐらをかき見下すことしかしない。……特にあなたはその典型」
クスリ、とシャルは笑みを浮かべた。蔑むような――笑みを。
「ハッキリ言いましょう。あなたの敗因は、人間を甘く見過ぎたその傲慢さですよ」
「ぐ、が、ああああ!?」
光が徐々に集束していく。それはまるで奈落へと引きずり込む地獄の門がゆっくりと閉じていくかのようだ。
連鎖され、更に一点に集められたその強大な力は、良和の防御能力を持ってしても耐え切れず、また振りほどけない。集束する力が厚すぎて逃れることも出来ない。
なまじ防御能力と再生能力が高すぎるから即死出来ないという悲惨な状況だが、
シャルはゆっくりと踵を返した。もはや最後まで見るまでもないとばかりに。だが、すぐには歩き出さなかった。
「あぁ、そうそう。最後に一言だけ。最初、あなたはわたしに言いましたね? たかが人間風情が鬼に勝てると思ってるのか、と。……折角なのでこう返してあげましょう」
横顔だけを向け、怜悧な笑みを浮かべて――告げる。
「長い時を神と戦ってきたわたしに、たかが鬼風情が勝てるなんて思わないことですね」
「……ッ!!」
絶叫だけを残し、光が閉じきった。
後には……何も残らない。
あとがき
どうも、神無月です。随分とお久しぶりになってしまいました……。8月以降仕事がやばくてorz
亀の如き速度での更新となっていますが、読んでくださる方がいる限りは書き続けます!
さて今回は順番的におおよそ予想通りでしょうかね。シャルVS良和です。
そしていよいよシャルの正体というか過去がわずかながらに明らかに。
一応『記憶がない』『最初から原初の呪具を持っていた』『呪具の扱いが上手い』などちらほらと複線はあったんですが、さすがに気付く人は少なかったのではなかろうか。
でも実は容姿の段階で乃亜の伏線があったりするわけですが、これに関してはまだわからないと思うんで追々。
まぁ転生体とはいえ第二星界時代でその名を轟かせた頃とは能力的に雲泥の差なんですけれども。
何故そんなに能力下がってしまったのかは転生魔法が咄嗟のものかつ妨害を受けたためですが、その辺の話もいずれ出てくることでしょう。
さて、シャルの話はこの辺にしておいて良和さん。ウォーターサマーでは間違いなく悪役の顔だったでしょう。
某水星並に拍手で最期を心待ちにされていた方もいるようですが、まぁ大方の予想通りな結果だったでしょうかね……w
ただ彼の性格というか思考は、若干ねじまげられた末のものです。何故そうなったかは次回語られるでしょう。
というわけでもうおわかりかと思いますが、次回は往人VSシュン+αになります。
ホント、出来ることなら月一更新くらいはキープしたいんだけどなぁ、と思っている神無月でした。
ではでは。