神魔戦記 第百八十章
「未来の誓い。その形」
「渚。皆の治療を頼む」
首肯し皆の元へ駆け寄っていく渚を一瞥し、朋也は空中に佇む死神へと向き直る。
あゆたちが揃って挑み、傷一つつけられない相手。感じる気配も相当なもので、生半可な相手ではないことくらい嫌でもわかる。しかし、
「それが俺の足を止める理由にはならない」
大切な者を守る。自分が持つ力はそのためのものだと信じている。だからこそ、仲間が傷付けるものを前に怯んだりはしない。してはいけない。
だから、さぁ、
「行くぞ！」
身を低くし、駆けだしながら、空中にいる敵――水夏に構成してあった『陰陽の剣』を投げつける。
相手も防げないのはとっくに理解している故に回避に移る。いくら貫通力が高かろうと所詮は剣一本。少し身体をずらすだけでかわすのは造作もない。
……の、はずだが、
「お嬢！」
「なるほど、上手いね」
剣の軌跡がまるで追尾してくるかのように突如切り替った。だが水夏もさるもので、すぐにその仕掛けを看破していた。
「柄の部分に光魔術の『操集の光糸』が絡まってる。あれで軌道を変化させてるわけだ」
勘違いされがちだが、『陰陽の剣』は、その全てが対消滅の力で構成されているわけではない。そもそもそうであれば、手に持つことなど不可能だ。
つまり、手に触れる柄の部分は対消滅の力を帯びていない。となれば、他の魔術を利用して操作をするといった芸当も可能になる。
祐一が使いそうな手であるが、これを考え付いたのは朋也自身だった。手札の多さを活かすため、ありとあらゆる方法を模索した彼の努力の一旦と言える攻撃だ。
「そう何度も軌跡を変えることは出来ないだろうけど、付き合わされるのも面倒だね。お願いして良い？」
「承知！ 『天の門』」
アルキメデスの目が光り、『天の門』が展開される。中空に出現した光の防御結界は魔力を遮断する。もちろん、朋也と『陰陽の剣』を繋ぐ魔力の糸も容易く。
これでもう軌道は変えられない。そう水夏が判断した瞬間、別方向から強大な魔力の波動を感知した。それは、
「
高速で迫りくる、雷の超魔術。
「ふん！ 我輩が『天の門』を一枚しか貼れぬと思ったか！」
だが光の壁がもう一枚出現し迫る雷を容易く遮った。そして攻撃が完全に無効化された先に……朋也の姿はなかった。
「なに……？」
「！ 上！」
気配を感知し、水夏は振り仰ぐ。上空、どのように移動したか定かではないが、朋也が剣を振りかぶりそこにいた。
どうやらいまの一撃はめくらましのためのものだったようだ。剣に込められる魔力は尋常なものではなく、
「おおおお！ 天地雷光陣 ！！」
光と闇の雷に包まれた一刀が振り下ろされる。水夏は咄嗟にギメッシュナーの刃でそれを受け止めたが、
「ギメッシュナーの刃が浸食される……？ これも対消滅みたいだね」
「いくら神殺しでも擬似とはいえ対消滅をそう長く受け止められないだろ！」
「そうだね。確かにそうだけど……これくらいでボクに勝てると思うのは、まだ少し甘いかな」
水夏がギメッシュナーを下げる。遮るものがなくなったために朋也の剣が水夏へ向かうが、少女はその刀身の横腹を柄の側面で弾き、わずかに身体を捻ることでギリギリで回避する。
朋也は逃がさじと横へ剣を振るうが、その刃が届くよりも前に水夏は大きく距離を取っていた。
そして反撃とばかりに漆黒の鎌を大きく振るう。魔力を帯びた斬撃はそのまま鋭い勢いで朋也へ奔るが、
「『天の門』！」
「ぬ、貴様我輩の術を……！」
その半透明の結界はいとも容易く水夏の斬撃を打ち消した。自分たちが信頼している技だからこそ、逆に使われた際の厄介さは尋常ではない。
更に朋也はそのまま落ちることなく、空中で停滞した。風の魔術か、あるいは他の何かか。ともあれ、
「これが『鏡界の魔眼』を持つ者との戦いか……。面倒なことこの上ないね」
「だったらとっととカノンから出て行け」
「無理なことを言うね。お互いすべきことがあるからこうしてここでぶつかってる。そうでしょう？」
だったらするべきことは一つだよ、と死神は微笑む。
「倒すよ。どれだけ厄介な相手でも、それが死神であるボクが成すべきことだから」
そのためにも、
「出し惜しみは止めるよ」
空気が変わる。空気が軋む。明らかな気配の変化に朋也が動き出そうとするが、
「残念。もう遅いよ」
瞬間、水夏と朋也の距離はゼロになっていた。
「“
「白き風！」
渚はすぐさまあゆの治療を開始した。
「こちらも手伝います！」
「お願いします！」
比較的ダメージが少なかったのだろう、意識を取り戻したハリオンが駆けつけすぐさま治癒系の神剣魔術を行使する。
あゆは重傷だった。
貫かれた腹の傷自体はそれほど大きなものではないが、何かしらの魔術か呪術でも掛けられているのか、治療術の二重掛けにも関わらず傷の治りが極めて遅い。
いまもなお流れ落ちる血液量を考えるに、この速度で傷口が塞がるのを待つのはかなりリスキーだ。下手をすれば間に合わない可能性もある。
「ハリオンさん、氷系の魔術とか使えませんか！？」
「す、すいません、私グリーンスピリットなので……」
「ですよね……」
氷系の術が使えれば、ひとまず傷口を凍らせて塞ぐという手段もあった。
より強引なら炎系の術で焼き塞ぐという手もあり、恋なら出来るかもしれないが、彼女もまた手傷を負っているうえにいまは気絶してしまっている。
治療の手を止めてまで彼女を起こす、という手は場合によっては悪手になりかねないため迂闊に選べない。
「どうすれば……！」
強いられる決断。迷っている時間はない。
だがそこへ更に渚の思考をかき乱す事態が訪れる。
「ぐあぁぁ！？」
「！ 朋也くん！？」
弾かれるように上を見れば、まさに水夏の怒涛の攻めに翻弄されている朋也の姿があった。
朋也はその能力から、距離を選ばず戦える利点がある。が、『効果を再現する』という特性上、その力は魔術などの方が多く、どちらかと言えば中、遠距離でこそ『鏡界の魔眼』は真価を発揮すると言って良い。
そして朋也自身は剣士であるため、近距離での戦いに慣れているし純粋な腕も一流だ。
となれば、普通であればどの距離でも戦えるオールラウンダーと言って差し支えない。
……しかし、水夏の前ではそれが成立しない。
水夏の近距離戦闘の腕は朋也のそれを圧倒している。その上武器は神殺し『ギメッシュナー』。生半可な防御では容易く貫かれてしまう。
とはいえ朋也はユーノや理絵など結界に長けた者たちの防御結界も再現出来るので、いかに神殺しといえどそう脅威にはなりえないはずなのだが、
「朋也くん、結界を使用させてもらえない……！」
結界も魔力行使術の一種。魔力を練り、術式に昇華させ、発動させるという当たり前のプロセスが必要になる。
だが朋也の『鏡界の魔眼』はあくまで記録された効果を再現させるものであるため、『魔力を練る』という一工程だけで済んでしまう分、技の出は早いはずなのだ。
にも関わらず、それを遮られていた。
もはや激流と言っても過言ではないほどの攻撃の嵐。魔力を練る、というその一工程さえ許さぬほどの怒涛の攻撃。
朋也が不慣れな空中戦というのもあろう。間隙を縫うようにアルキメデスの援護攻撃が入るのもあろう。だがそれを抜きにしても水夏の嵐のような攻撃は異常の一言に尽きた。
おそらくその原因は水夏の全身を覆っている黒い靄だろう。まず間違いなく自己強化系の魔術。しかもスピードに特化したタイプだ。
近距離における攻撃の出の速さ、という点で言えばカノン軍であれば遠野美凪が筆頭と言える。彼女の居合いは武芸に長ける者であろうとも初見で見切るのは難しい。防げるだけでもその相手は一流だろう。
しかし水夏のそれはいまや美凪の居合いさえ凌駕していた。
防御能力に特化する血筋であり、あの良和の攻撃をどうにか弾ききった渚でさえ目で追いきれぬほどの連撃。
むしろギリギリであろうと致命傷を避け続けている朋也をこそ褒めるべきだろう。普通なら一秒と待たずに細切れになっているに違いないのだから。
だがそれも時間の問題だ。水夏の表情には未だ余裕が見て取れるのに対し、朋也は苦悶。既に勘と反射だけで防いでいるような状況だ。
渚が割り込み防御に専念し、朋也に攻撃を任せればあるいは状況を逆転出来るかもしれない。
……だがいまここで渚が離れてしまえば、あゆの治療は間違いなく手遅れになってしまう。
せめてもう一人治療術士がいれば。せめて氷か炎を扱える者がいてくれれば！
だが現実はそんな『IF』を許してはくれない。
「っ、ぐあああ！？」
「朋也くん！！」
かろうじて防いでいた朋也ももはや限界が近い。既に裂傷も多く、あれら全てがあゆの傷と同様治療が効きにくいのであれば、危険域も間近だろう。
決断をしなくてはいけない。
大切な恋人と、大切な友人、どちらかを選ばなくてはいけない。
……否、『選ぶ』という言葉は卑怯だろう。渚の心の中では既にその二つで優先順位は出来てしまっている。
問題はただ一つ。
――友達を見捨てることが出来るのかどうかだ。
「わたし、わたしは……！」
涙を浮かべ、衝動のように放たれる言葉は、
「やっぱり、見捨てられない……！ 誰も、見捨てたくなんかありません！」
「けほっ……。あ、はは、優しいなぁ、渚さんは」
「！？」
この状況でそんな答えを返す人物など一人しかいない。それは、
「あゆさん！？」
「でも――」
傷は治り切っていない。けれど意識を取り戻したあゆは槍を杖代わりに立ち上がると、空を見上げ、
「それじゃあ駄目なときも、やっぱりあるんだよ」
強くなったと思っていた。
誰かを守るためには強くならなくてはいけない。
ようやく救えた渚のために。自分たちのために力を貸してくれたカノンのために。
だから修行もこなしたし、『鏡界の魔眼』を扱う訓練も随分と積んできた。
強くなったという自負はあった。並大抵の奴には負けないと思っていた。
……だが、世界にはそんな努力も才能も容易く跳ね除けてしまう強者が存在する。
この稲葉水夏という死神は、間違いなくそんな強者の一人だった。
あらゆる術も、攻撃も、防がれ、かわされ、いなされる。対してあちらの攻撃は一瞬でも気を抜けば一撃でこちらの命を狩り取るレベル。
「くそ……」
理不尽とも言える実力の差。明確なまでの壁。
「くそぉ！」
どれだけ悪態を吐こうとも現実は覆るはずもなく――、
「これで終わりだね」
その最後の一撃は、あまりにもあっさりと意識の間隙を突いてきた。
回避不能。防御不能。首元へ迫るその漆黒の刃にどうすることも出来ず、
「させないんだからぁぁぁぁぁぁ！！」
咄嗟に飛び込んできた人物が、必死の一撃を弾き飛ばしていた。
一瞬渚か、と思ったが違った。
弾いた武器は槍。肩まで届く髪と、何より背に生える純白の翼は、
「月宮！？」
治療が終わったのかと思った。だが腹から滲み出る血はいまなお止まっていないことに気付く。
ならばどうして、などと言う暇さえなく、
「立ちはだかるなら容赦はしない、って言ったよね」
水夏の容赦ない攻撃があゆに向けられる。
「やめ――」
朋也の制止の声も途中で掻き消える。
朋也でさえ防ぎきれないほどの攻撃を、負傷しているあゆが捌ききれるはずもなく――、
その一撃は、あゆの身体を上下二分に切り裂いた。
「――」
ピシャリ、と生暖かい液体が身体に付着する。
戦場に身を置く人間ならば、誰しもが見慣れた赤い液体。それの意味することを、目の前の光景を、一瞬しっかりと認識できず、しかしぐらりと崩れ落ちるその二つの塊を見て、
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ！！！！！！」
朋也の『鏡界の魔眼』が数多の魔術を連続瞬間再現し水夏へと五月雨のように放った。
「お嬢、さすがにこの数は！」
「わかってる！」
さしもの水夏も数が数のためか距離を離す。その隙に朋也は落下していくあゆの身体を二つとも受け止め、離脱。地上にいる渚たちの下へと瞬時に駆け寄った。
「渚！ ハリオン！ 治療を早く！ 切断部位があればまだ間に合う！ 二人と、その力を俺が再現すれば三人で――」
「でも傷の治りが遅くて……！」
「良いから早く！！」
「っ！ はい！」
あゆの身体を横たえ、再度渚とハリオンが治療に入る。朋也もまた二人の治療術を魔眼で見て、それを再現することで三重に治療を施していく。
これが普通の攻撃であれば、あるいは身体を二分されたとしても間に合ったかもしれない。だが……。
「何でだ、何でだよ……！ 何で傷が治らない！？」
渚の言う通り傷の治りは遅々として進まない。この状態で治療が進まないのであれば――あゆの行く末はもう誰の目にも明らかだった。
「……こほ。もう、良いよみんな。ボクは、もう……」
口から血をこぼしながら、焦点の合わぬ声であゆが呟く。だがそれを否定するように渚が必死に『白き風』を送りながら叫ぶ。
「駄目、駄目ですあゆさん！ 死んじゃ駄目！ あのとき言ってたじゃないですか、守るって！ 相沢さんのことを守るんだって目を輝かせて……！
だったらこんなところで死んじゃ駄目です！ 相沢さんはまだこれから……これから大変なんですから、支えてあげてくださいよ！」
わずかずつ、呪いを上回る速度で傷が再生していく。三人がどれほど必死かわかる光景だが……その速度ではどの道未来は変わらない。
しかしそれでも朋也も渚もハリオンも……誰もその術を緩めようとはしなかった。
「月宮ッ！」
「あゆさん！！」
「あゆちゃん……！」
「……」
あゆはそんな三人の声をどこか遠くに感じながら、遠い過去を思い出していた。
相沢祐一という少年との出会い。
神尾時子という女性との出会い。
この二人との出会いが、月宮あゆの人生を大きく変えた。
もしもあのときこの二人と出会っていなければ……自分は間違いなく野垂れ死んでいただろうという確信がある。
どれだけ感謝してもし足りない。
時子には言葉に表しきれないほどの恩義があるし、祐一とはいくつもの思い出がある。
その時子はもう死んでしまったけれど。その分祐一の力になろうと決意した。
時子の分だけ祐一を支えて、時には横に並び共に戦い、時には背中を守り、そして時には真正面から向き合おうと誓った。
……最近祐一は変わった、という人がいる。だがあゆはそうは思わなかった。
昔も現在も、そして未来もずっと変わらない。相沢祐一は、自分の見てきたままの相沢祐一だ。
誰より彼を知っている。誰より彼を見続けてきた。誰より彼を理解出来ているる自負があるし、誰より支えてきたという自信もある。
けれどそんな祐一を理解してくれる人がいまではたくさんいる。もう祐一は昔と違って、自分以外にも多くの仲間がいて、支えてくれる人たちがいる。
――ボクの役目は終わったのかな？
ふと、そんなことを思う。
あの日あのとき誓ったことを、自分は守れたのだろうか？ そしてここが終着点なのだろうか？
そんなことを考えていると、不意に目尻の辺りに違和感を感じた。
熱を帯びた雫がこぼれる。
これは……涙だろうか？
――あぁ、そっか。
ひどく緩慢な思考の中で、理解した。
自分はここで終わりたくないのだと。
例えもう自分の役目が終わっていたとしても……それでも最後まで、彼が死ぬそのときまでその生き様を近くで見続けたいと。
当然だ。それはきっと誰とて同じこと。
「……たい」
声を出すだけでも苦しい。ひゅうひゅうと耳障りな呼吸が止まらないし、一言口に出すだけでも命が削られる気がする。
でも。
それでも。
この言葉は、そんな理屈を度外視して口から漏れていた。
「生き、たい……よぉ！」
嗚咽と共に紡がれた言葉は、とても自然で、生きとし生ける者全ての根本衝動。
死にたくない。まだまだ祐一の傍にいたいから。
死にたくない。まだまだ仲間と共にいたいから。
「ゆ……う、いち、く……」
「死ぬな月宮！ お前は――お前にはまだやるべきことが残ってるだろう！？」
「お、かざ……き……くん……」
「死ぬんじゃねぇ！ あいつにはお前が必要なんだ！ 勝手に、それもあいつのいない間に死ぬなんて絶対に許さないぞ！！」
その必死の叫びが、嬉しいし心地いい。
最初に出会った時は敵だったはずの朋也が、いまではあゆや祐一のことを考えて怒ってさえくれる。
それも、あゆが皆と共に築き上げてきた結果の一つなのだろう。そしてきっと、この朋也は祐一の良き理解者となってこれから長い間支えてくれるに違いない。
だったら――、
「グラ、ン……ヴェー……ル……おね、がい……ボク……の、さい、ごの……願い……を……」
『――』
長年の相棒はまるであゆの行動を非難するかのように言葉を返してくれない。
でもそれが自分を想ってのことだとわかるから、あゆはただ「ごめんね」と心の中で囁いた。
そしてもはや力の感覚もなくなってきた腕をどうにか持ち上げて……グランヴェールを朋也の前に差し出した。
「……なんだよ、これ。どういうことだよ」
「お、ねが……。ボク……かわり、に……ゆうい、ち……く……の、助けに……」
「ふざけんな！ それはお前の責務だろう！？ 勝手に押し付けて楽になんてなる気じゃないだろうな！？」
「う、ぐぅ……おこら、れ、ちゃ……た」
「ッ……！ 笑ってんじゃねぇよ！ 俺は怒ってるんだ！」
「うん、ありがと……。でも、やっぱり何か、残し、た、から……。おねが、ボクの、意識が、あるうちに……！」
「っ、その言い方は……ずるいだろ……！」
もう握る力もないのだろう。あゆの手から離されたグランヴェールを朋也が寸でで受け止める。
バチィ！ と神殺しの拒絶反応が朋也の手を弾き飛ばそうとする。焼けるような痛みがあるはずだが、朋也は決してそれを手放そうとはしなかった。
「……ありが、と。おかざ……グランヴェール、も……」
「……あぁ」
これできっと大丈夫。そう思って……思い込んで、あゆは緩やかに息を吐いた。
「ごめ、んね……祐一、くん……さ、いごまで……一緒に……いら、れ、なく……て……」
悔いもある。
想いもある。
でも……現実はどこまでも不条理で、救い難いことなんて身を持って知っている。
だけど――どれだけ難しくても、一抹の希望……救いはあると、信じたい。
――ごめん、祐一くん。
――ボク、先に降りるね。
――最後まで一緒にいたかったけど、駄目みたい。
――でもしばらくこっちに来ちゃ嫌だよ？
もう何も感じない。朋也に握られた腕も、渚やハリオンの言葉も、何もかも。
思考さえ消え去った真っ白な世界の中で、最後の最後にあゆが感じたものは、
「おかあ、さん……」
既にいなくなったはずの、その温かさだった。
……握っていた腕から、力が抜けた。
魔力の気配も……感じられない。
「あゆさん！ 駄目、駄目ですよぉあゆさん！」
「あゆちゃん！ お願い、お願いだから……！」
渚もハリオンももう気付いている。気付いていながら、治療をやめようとしなかった。……出来なかった。
朋也はただ無言のままに手を離し、そっと横たえた。
手渡された神殺し……魔槍『グランヴェール』を握り締める。
最初に感じたあの痛みや重さはもうない。……まるで自分の手の延長であるかのような、そんな感覚があるばかり。
グランヴェールが主の変更を許諾した。
それが……月宮あゆの死という現実を、暗に示していた。
朋也はゆっくりとあゆの傍を離れ、未だ空中に漂う水夏の元へと足を進める。
「……俺はまだまだ無力だ。現にこうしていま、また大事なやつが俺の目の前で消えた」
二つの手で武器を持つのを止め、一方の手を空けたのは誰かを守れるようにという願いからだった。
だが、これが現実だ。
どれだけ悔しくて、どれだけ悲しくて、どれだけ無念だったか。彼女の気持ちを思えば、いたたまれなくなる。
「こんな自分が、自分で嫌になる！ でも……」
託された想いと力がある。それを放棄することだけは絶対にしたくない。
だから朋也は……自らに課した禁をここに解く。
右手で持っていたグランヴェールを正眼に構え、そしてそっと左手を柄に添え、しかと握りしめる。
「……今日から俺の左手は月宮あゆの想いのために使う」
両手で武器を持つ。それはつまり自分と、そしてあゆと共に戦うということ。だから、
「稲葉水夏！ お前だけはここで、この俺が倒すッ！！」
「……そう。出来るならそうしてみると良いよ」
対する水夏は儚げにも見える笑みを浮かべながらゆっくりとギメッシュナーを構え、
「ボクは『死神』。……言っておくけど、ボクに対峙して生き残った人は未だに一人もいないよ」
ウォーターサマーで戦ったときも、ダ・カーポで戦ったときも、ここカノンでさえそうだ。
水夏が戦った相手は、どれだけ強かろうとことごとく死んでいる。聖騎士だろうと、空間跳躍の使い手だろうと、神殺しの主であろうと関係なく。
故に『死神』。絶対的な死の権化。少女の闇は、いかなる者も喰らい尽くす。
だが――朋也は怯まない。
「だったら俺がそんな理を捻じ伏せる」
そう断じて踏み出さんとした朋也を、しかし彼にとって予想外の人物が袖を掴んで阻止した。
それは顔を俯かせた渚だった。
「渚……」
短い付き合いではあったが、あゆは間違いなく渚にとって友人だった。その死を目の当たりにして、あるいは自分を止めに来たのだろうか？
そんな懸念を、朋也は数秒後に反省することになる。
「何でもかんでも一人で背負うの、朋也くんの悪い癖です」
そう行って顔を上げた渚の表情は、死を恐れた弱々しさや不安など欠片も存在していなかった。あるのはただ強固なまでの戦意。
「朋也くん、一人で戦わないでください。わたしも隣にいますから」
逃げない。譲らない。戦って、そして勝つ。でもそれは――二人一緒に。
目は口ほどにものを言う、という言葉をいまほど実感したことはない。数秒前の自分の考えを心の中で詫びながら、朋也はしかと頷くと前へ向き直った。
「……わかった。渚、一緒に戦おう。そしてあいつを倒す！」
「はい！」
二人が並ぶ。
岡崎朋也と古河渚。
一人が二人に増えただけ。にも関わらず、その圧力は倍程度ではない。
なるほど、と水夏が頷く。どうやらこれは、
「我々同様、揃ってからが勝負ということか」
「そこで張り合うんだ」
クスリと笑うと、アルキメデスは当然だと言わんばかりに応じる。
「認めた相手なればこそ、譲れぬものというものもある」
「うん、そうだね」
互いが互いを信頼し合っていると初見でさえわかる。そんな二人を相手にするのは骨ではあろうが、
「譲れないものが、あるからね」
グッと腰を落とし、一気に疾走した。
空中から斜めに地上へ着地すると、地面を蹴って更に加速していく。身体から滲み出る黒き霧が尾を引き、さながらそれは漆黒の砲弾だ。
それを見て、受けて立つと言うように渚が朋也の前に躍り出た。
「死ぬよ？」
「死にませんし殺させません！ もうこれ以上、誰も！」
水夏の『漆黒の律動』は未だに持続している。肉薄も一瞬なら、繰り出される攻撃もまた一瞬だった。だが、
「“蒼き鳥”――！」
薄く青色に発光した渚の手がその一閃を確かに受け流した。
自らの実力に自信を持つ者ならばここで動揺し動きを止めたかもしれない。しかし水夏はそんな素振りを見せぬままにただただ攻撃を続ける。
もはや不可視の斬撃を、しかし渚はどうにか捌ききっていた。無論目で追えているわけではない。そもそも良和の攻撃でさえ追えなかった渚が、水夏の攻撃を見切れるわけがないのだ。
だからこれもやはり身体に流れる古川の血による反射に過ぎない。そしてそんな行動が長く続かないことくらい、良和との戦いで渚も知っている。
だがあの時といまは違うのだ。何せ渚の後ろには――、
「渚！」
誰よりも信頼し愛している朋也がいる！
ただ名を呼ばれただけで何を求められているのかを察した渚は、最後に大きく攻撃を受け流し水夏の勢いを挫くと、すぐさま斜め後方に跳躍し離脱する。
そしてその間隙を寸分違わぬタイミングで前に出た朋也の手には純白の輝きに包まれた魔槍があった。
「行くぞ、グランヴェール！ お前もあいつを想っていたんなら、その力を示してみろ！！」
グランヴェールが纏う輝きは純白。即ち光属性。
溢れる極光と、それに応じるように朋也の背に二対の光の翼が展開する。その光景、その技を水夏はついさっき目撃した。つまり、
「『鏡界の魔眼』、まさか神殺しを用いた技まで再現するの！？」
本来であれば不可能だ。特殊な武装を用いての直接攻撃系は再現することは出来ない。
しかしその理由は単純で、その特殊な武装を再現出来ないからである。
なら簡単な話、その特殊な武装が手元にあるのだとすれば？
その答えが、この一撃の全てだ。
「“
グランヴェールが慟哭するように光を爆発させる。
いまは亡き主人へ、光よ届けと奮い起つ。
「――
地を蹴って飛び立った朋也が光の放流を身に纏いながら突撃する。
大気を切り裂く魔力の圧力は確かに半端なものではない。しかしそれが再現である以上、あゆのそれと威力は変わらない。一度防いだ水夏にそれは何の脅威とも感じられなかった。
だがそれを朋也は知らない。だからこそ感情に流されて亡くなった者の技で弔おうと考えたのだろう。そう判断し、水夏はかわそうともせず、カウンター狙いで待ち構える。
しかし急速に迫る光の向こう、槍を構える朋也の顔を見て、
――本当に、そう？
疑問を覚えた。そして疑問を覚えてからは、水夏の頭は早かった。
そもそも魔力圧から考えて、この技とさっきあゆが使用した技は同威力だ。が、あの時のあゆはまさしく決死であり、おそらく後先考えずに全力を叩きこんできていたはずだ。
再現による威力の増減は不可能。そしてあゆの決死の一撃とまったく同じ威力の攻撃が出来るとすればそれは……、
「ボクに防がれたあの攻撃を見てたってことになる……！」
即ち、朋也はこれが防がれることを承知の上で来たことになる。なら少なくとも朋也にはそこから先の打開策があるということになる。
引くべきか、と、しかしそう考えたのは一瞬だった。何故なら、
「何が来ても変わらない。どんな敵も攻撃も、ボクは乗り越えてみせる。『死神』として、それが宏くんに出来るたった一つのことだから――！」
吼え、激突した。
両者の神殺しが、しかし相反する白と黒の光をせめぎ合わせる。
だがそれはどちらにも傾かない。朋也側は全力で“神をも穿つ光の魔槍”を行使しているが、先ほど同様それは水夏のただの魔力刃に受け止められてしまっている。
ここまでは良い。問題はここからだ。
「この程度で『死神』に勝てると思ったのかな」
「思ってねぇよ。俺だけじゃ勝てない。月宮の力を借りても勝てないだろう。渚の援護防御があっても苦しい。でもそれだけじゃないんだぜ、いまの俺には託されたもんがもう一つある」
「！」
言わんとしていることを水夏はすぐさま理解した。他の者なら何のことを言っているか理解出来なかっただろうが、水夏だからこそわかった。何故ならそれは、
「さっきの俺と違うとこ……あぁそうだ、俺には月宮から託された神殺し・魔槍『グランヴェール』がある！！」
同じ、神殺し所持者なのだから。
「『鏡界の魔眼』、再現行使を神殺し経由にセット……！」
例え神殺しを経由したとしても、あくまで再現である魔術の威力を増減は出来ない。
しかし魔術行使の苦手だったあゆは『グランヴェール』を用いることで処理の負担を減らし、『光羅』を多数発射したり誘導に用いていたりしていた。
要はそれと同じこと。『鏡界の魔眼』による再現の処理を、神殺しを経由することで負担を減らし、一人では成しえない数の一斉再現を果たす！
「空間連結、
その瞬間、水夏を包囲するように中空に数多の『陰陽の剣』が出現した。
しかもその柄の部分にはなのはが用いる空間からの
「これは――」
言い切る前に、
一瞬の接触であれば『対消滅』であろうと存在概念の高い神殺しなら受け切れる。数は多いが、水夏の技量を持ってすればギメッシュナーで全て切り払うことも可能だろう。
……だがそれは即ち、『神をも穿つ光の魔槍』の防御を捨てるということになる。いかに水夏と言えど、これの直撃を受ければひとたまりもない。
どちらも防ぎきるのは不可能であれば、取るべき手段はただ一つ。
「全力で離脱して、回避する！」
戦闘から逃げるためではなくあくまで攻撃から逃れるためではあったが、あの水夏が離脱を計るという時点で戦闘の流れは変わりつつあった。
水夏が『漆黒の律動』による速度強化に物を言わせてこの場から一旦離脱しようとするが、無論、ようやく手にしたイニシアチブ。あっさりと手放すつもりはない。
「させるかよ！」
ただ追いかけただけでは追いつかない。『神をも穿つ光の魔槍』による突進力はかなりのものだが、水夏のそれには遠く及ぶものではない。
しかし岡崎朋也なら、その差を埋めることは極めて容易だった。
「“
「なっ――！？」
朋也の身体を漆黒の霧が包み込み、その速度が水夏同様に加速される。
しかし同じ技を使っていても、朋也の方は『神をも穿つ光の魔槍』による突進効果も追加されているので、水夏以上のスピードで距離を再び狭めていく。
「神殺しの処理分散能力を使って、大規模な再現を同時に行ってるわけだ。神殺しを持って数分とは思えない順応性だね……！」
そして遂に、水夏を捉えた。
逃れきれないと悟った水夏がギメッシュナーで再び光の矛先を防御する。ガリガリと派手な擦過音が響き渡るが、やはりこれだけでは突破しえない。
だが立て続けに発射される『陰陽の剣』が水夏を追いつめる。柄で『神をも穿つ光の魔槍』を防ぎつつ、器用にギメッシュナーを振って弾き飛ばしていく技術はさすがとしか言いようがないが、そん曲芸染みた防御が長く続くわけもなく、
「くっ！」
何本目かもわからない『陰陽の剣』の一本が水夏の脇腹を引き裂いた。それにより腕の力が抜けたのだろう、ギメッシュナーの防御が崩れ、そして朋也はその瞬間を見逃さず、
「これで……終わりだぁぁぁぁぁ！！」
光の魔槍を叩きこんだ。
空を飛ぶことが出来ない渚は、地上でハラハラしながらその一撃を見届けた。
圧倒的な魔力の放流と爆発。目も開けていられないほどの極光は、しかしあゆの、そして朋也の『神をも穿つ光の魔槍』が直撃したことを示している。
――勝った？
半信半疑の中、光が晴れて濛々と立ち上がる爆煙から一つの影が墜落してくる。
……だがそれは水夏ではなかった。
「朋也くん！？」
見間違えるはずもない。身体から完全に力が抜けた状態で落ちているのは間違いなく朋也だった。
渚は慌てて走り出し、地上へ激突する寸前に彼の身体を受け止めることに成功する。だがその姿を見て、更に愕然とした。
「朋也くん！ 朋也くん！？」
腹を貫通していると思われる傷から、止めどなく血が流れ落ちていた。場所が場所だけに、渚は先程のあゆを思い出し血の気が失せていく。
「そんな、どうして……！？」
「……うん。凄かったよ。彼は間違いなくボクの戦ってきた相手の中でも五指に入るよ。でもね、それでもまだ――ボクには勝てない」
見上げる先、煙がゆっくりと晴れていく。姿を表したのは健在の水夏だった。
しかしその姿はわずかに変わっていた。
常に彼女の手にあったギメッシュナーが消えていた。その代わり両腕両足に見覚えのある金属パーツが装着されており、そして破れた胸元からはこれまた見覚えのあるクリスタルがめり込むようにして輝いていた。
「それは――」
「あぁ、見たことないんだ？」
水夏はそっと胸元に同化しているクリスタルに触れ、
「じゃあこれも知らないかな？ 神殺しっていうのは元々は一つで、その形は鎧だったってこと。そしていかなる武装にも変幻自在だった最強の防具にして武具。
それが本来の神殺し。だからこそ、現神殺しの第四段階……即ち最終形態は、こんな形になる」
「鎧……？」
「神殺し自体が所有者と同化すること。即ち疑似的な鎧だよね」
いまにして思えば、第三形態の段階で手に癒着しているような状態にあったのはこの前触れだったのだろう。
武器として独立するよりも、同化することであらゆる能力を押し上げる。それが神殺しの再最終形。元々は鎧であった神殺しの、当然の帰結と言えようか。
「第三形態第一よりも長期的には維持出来ないし、第三形態第二より瞬間出力は劣るけど、それでも総合力が上がるこの形態はやっぱり強いよ。特にボクにとっては――ね」
それなりにあったはずの距離が、瞬きの間に狭められていた。
「！？」
先程までも速かったが、いまのはそれより更に速い。空間跳躍と同等の速度だ。
「“蒼き鳥”――！」
朋也に向けて振るわれる漆黒の鎌を、咄嗟に割って入った渚が辛くも受け流した。
しかしそれはギメッシュナーではない。腕についた金属パーツから溢れた魔力がそのまま漆黒の鎌を形成している。ただの魔力による武具形成に見えるが、内包された力はまさしく神殺しそのものだった。
だがそれさえ計算済みだったのだろう。水夏は既に次の準備を済ませていた。
「力は同じでも、魔力によって形成したものだからね。こんなことも出来るよ？」
「っ、二本目……！？」
もう一方の手から現れる新たな漆黒の鎌。しかし見た目こそいま受け流したばかりのそれと同じに見えるが、感じられる魔力量と威圧感は桁違い。
「もう終わりにしよう」
戦いの経験が少ない渚でさえわかる、それこそが水夏の切り札にして必殺技。
「“
何の貯めも素振りもなく振り上げられると同時に奔る斬撃は、かつて聖騎士さえも仕留めた『空間切断』の一撃を更に強化したもの。
本来であれば水夏とてこの技には溜めを必要とする。だが彼女の特性と神殺しの最終形態というバックアップがその工程を著しく縮小したのである。
元々『空間切断』の特性を持つ以上、その威力は天蓋の領域にある。その上速度まで突き詰めてしまったのがこの技だ。
防御不可能の攻撃を秒も必要とせず放ち、更に回避不能までも付加する。これこそが死神たる水夏の真髄であった。
――だが、こと防御という点で言えば、古川家の血もまた常識から外れた位置にある。
「――あああああああああああああああ！！」
「え――」
この戦いで――否、水夏が過去行ってきた戦闘全てをひっくるめて、初めて彼女は心の底から驚愕した。
如何なる物をも断ち切るはずの漆黒の斬撃が、その軌道を曲げられた。
受け流されたのだ、と理解するのに水夏をして数秒掛かった。
「はぁ、はぁ、はぁ……！」
その偉業を成し遂げた渚は、しかし息も切れ切れの満身創痍で、しかも左手の肘から先が消失している。
何が起きたのか。一瞬のことではあったが水夏は確かに見ていた。
事もあろうに、渚は『漆黒の境界・瞬』を左手で掴みにかかったのだ。
渚が用いる各種防御は魔術ではない。魔力を扱っているとはいえ、あくまで体術というカテゴリに含まれる。
それはその防御方法が血に含まれた特殊な能力に依存しているからである。技を使用する際に薄く発光するそれこそが、いかなる攻撃も防ぎ流す、古川の血の力、言うなれば『血種防護』である。
だがいかに古川の『血種防護』を持ってしても、防御不可と謳われる三大属性は防げない。これは覆りようもない不変の原理であり現実だ。
しかし『血種防護』は文字通り血による異能。常識の範疇にないという点では同じだし、そもそも血なんてものは例え同じ血筋であろうとまったく同じであることなどあり得ない。
だからこそ古川の血筋は人によって違う技を得るわけだが、渚は『先祖還り』なのだ。衰退し古川ではなく古河となった後でさえその力を取り戻すほどに、その血は古川として洗練化されている。
その上、渚は良和の戦いからこちら、常にその血の訴えに助けられてきた。本能、直感という形で本来なら捌ききれないはずの攻撃を防ぎきって見せていた。
その血が今回も声高に訴えた。防御は出来ずとも、拮抗することは出来る、と。
だから渚は左手で“漆黒の境界・瞬”を掴んだ。掴むことが出来るということは、それこそが拮抗している証なのだ。
しかも防護を突破して傷付けられた手から流れ出た血が、更にその『血種防護』を強化する。
拮抗と言ってもそれは秒以下の話。だがそれを左手で掴むという荒業を用いて最大限長引かせ、得た秒の時間を用いて右手で押し流したのだ。
無論、掴んだ左手は犠牲となった。だが本来であれば背後の朋也共々死んでいたはずの一撃。防御不可能とされる『空間切断』を腕一つを犠牲にしたとはいえ防ぎ切った渚は、間違いなくこの世界でもトップクラスの防御能力の使い手と言えるだろう。
「……凄く驚いたよ。でも」
まさしく奇跡。いかなる賞讃を送ってもまだ足りぬ偉業ではあるが――それによってもたらされた結果は、結局のところたった数秒の延命でしかない。
元々魔力が豊富なうえに神殺しの完全なバックアップ下での技の行使は、水夏にさほどの負担も掛けるものではない。
やろうと思えば、まだ十回以上“漆黒の境界”を放つことも出来る。対する渚は左手を失くした上に限界を超えた行動の反動から身動きも取れぬ有様。立っているだけでやっとだろう。
それが現実。これが悲しいまでの実力の差。
「奇跡は二度も起きない」
ノータイムで放たれる『漆黒の境界・瞬』の第二撃。相手が限界であろうとも慢心しない水夏の容赦ない追撃だ。
そう、偉業は二度も起きない。血の反射反応さえもう起きないのか、迫る死に対し渚は腕を上げることさえままならない。
終わりだ。ここで岡崎朋也と古河渚は死ぬ。
「……駄目」
それは渚自身ハッキリと感じ取っていたが、
「駄目！」
言葉と共に、その認識を吐き捨てた。
まだまだこんなところで死ぬわけにはいかない。
いろいろな人に迷惑を掛け、助けてもらったうえでこの場に立っていることが出来る。その謝罪も恩返しも出来ぬままに死ぬことは許されない。
何より志半ばで散ってしまったあゆにも顔向けが出来ない。だから、
「死ねない、わたしたちは……こんなところで！」
渚らしからぬ激情が身を焦がした瞬間、
起きぬはずの、二度目の奇跡が起きた。
「「――！？」」
驚きは双方共に同じだった。
渚が再び攻撃を受け流した、わけではない。今回の奇跡はより明確に、そして信じられぬ光景をその場に具現した。
つまり――『漆黒の境界・瞬』が、相殺された。
それだけならば、決してあり得ない話ではない。
防御不可と言われる属性は三つもあり、その属性を得る技の使い手も世界を見渡せばそれなりに存在する。
最強の矛通しがぶつかれば、あとは込められた魔力量が物を言う純粋な力のせめぎ合いとなる。魔力量が等しければ、相殺という現象も起こり得るだろう。
だが、では誰がそれを成し遂げた？
考えられる可能性としては『鏡界の魔眼』を持つ朋也が水夏の『漆黒の境界・瞬』を再現して相殺した、というものだが魔力量的に無理があるし、そもそも朋也は瀕死の重傷で動けないはずだ。
となれば、全く別の新手が介入してきたと考えるのが筋だろう。
だが同時に、この現象は朋也以外に考えられないものでもあった。
何故なら相殺した相手の攻撃は『空間切断』――否、明らかに水夏の『漆黒の境界・瞬』そのものだったからだ。
その二点は矛盾している――わけではない。
馬鹿げたくらいの暴論、砂粒ほどの可能性の一つとして、全ての状況をひっくるめた解答は、ある。
つまり……朋也と同じく『鏡界の魔眼』を持ち、『漆黒の境界・瞬』を再現出来るほどの魔力量を持った新手がこの場に現れた、ということ。
あぁいかにも暴論。もはや奇跡という言葉さえ生温い。
そんな希少の中の希少の存在がいたとして、それがこの時、このタイミングで現れるなど考えるだけでも馬鹿馬鹿しい。
しかし――水夏は確かに感じていた。
空間切断同士がぶつかった余波で濛々と立ち上る砂煙の向こうに……さっきまでなかった気配があることを。
そして何より奇妙なのは、その気配の質だ。
砂煙が晴れて行く。するとやはり、さっきまでいなかった見知らぬ少女が渚を守るように立っていた。
「――これは驚きだね」
その姿を見て、思わず水夏は苦笑してしまう。
見たこともない少女だ。だがその姿から少女の正体を看破するのは容易かった。
普通ならありえない。だが水夏も知識だけは知っている。そう、いまタイプムーン大陸のフェイト王国で行われている一つの戦争のことを……。
「サーヴァント、ランサー。召喚の声に応じ参上しました」
「サー、ヴァント……？」
対する渚は、状況を水夏ほど飲み込めていなかった。
サーヴァント、という存在を使っての戦争、即ち聖杯戦争のことも、マスターと呼ばれる自分の立場のことも。
だけどただ一つ、自分とこの少女に魔力的なパスが繋がっていることは感覚的に理解していた。
だがいまの渚にはそんなことを疑問に思う余裕もなかった。
謎の少女は渚に背を見せている状態なので、顔まではわからない。だが彼女が持つ槍だけはしっかりと見え、それだけでも水夏と同種の驚きを胸に抱かせた。
ありえない。その槍がここにあることはありえないはずなのだ。
だから渚は問う。
「あなたは、一体……？」
その問いに対し、少女は顔だけを振り向かせる。その顔に苦笑を滲ませて。
「……特定のサーヴァントの召喚にはその英霊の触媒となるものが必要で、そうでなければマスターと何かしら縁があったり似ているタイプのサーヴァントが選ばれる、というのが通説ですけど……。
その全部を持っているんですから、私が召喚されるのも必然なのでしょうね」
言葉の意味はわからない。だがその横顔を見て驚き、更にその瞳を見て倍驚いた。
渚は驚きが続き過ぎて思考が止まってしまったが、対峙している水夏は既に答えに辿り着いていた。
砂粒ほどの確率の奇跡。その具現者。
現在過去未来、あらゆる時代から英霊を引き寄せる聖杯戦争、サーヴァントシステム。
なるほど、であるなばらこういうこともあるだろう。
「あなたが私のマスターというのも不思議な感覚ですけど……でも、素直に嬉しく思います」
イレギュラーの塊たる少女はそんな風に言って柔らかく微笑むと、表情を正し水夏へと視線を戻し、手慣れた様子で槍を回転させながら構えた。
少女の持つ槍は、世界に二つないはずの神殺し・魔槍『グランヴェール』。
少女の瞳は、希少中の希少である特例、水晶のような輝きを放つ『鏡界の魔眼』。
感じられる気配は人と魔の二種。
溢れるほどの強大な魔力と濃密な気配。
髪は後ろの渚と同色、頭のてっぺんで一束跳ねているのも同じ。
槍の構えは朋也と同じで、不屈の闘志は渚と同じ。
――これで彼女の正体がわからない方がどうかしている。
「なるほど、君は……」
「ええ、その通りです。これだけ揃ってる状況じゃ、いくら未来の英霊と言っても正体を隠しようがありませんね」
だったら、と少女は誇らしげに、そして高らかに告げる。
「私は新カノン王国『
渚から受け継いだ膨大な魔力と古川の血。
朋也から受け継いだ魔眼と神殺し。
とある未来で英霊にまで上り詰めた戦乙女。その名は、
「――岡崎汐」
残り一つの席を埋めた最後のサーヴァントは、これが聖杯戦争ではないことを理解しながらも戦意を漲らせる。
マスターを守るのがサーヴァントの使命。だがそれ以上に、
「どんな世界、どんな時代であろうと……母と父に仇なす相手に容赦はしません。ここからは私があなたの相手を務めましょう」
ここに、誰も予想しなかっただろう新たな戦いが幕を開く。
あとがき
どうもこんばんは、神無月です。
何だかんだで随分と間があいてしまって申し訳ありません。同人作業などもありましたが、ともかく仕事が忙しくて……。
あとちょっとキー学の方に力が入っちゃったことと、今回の話がべらぼうに長くなってしまったということも重なってこんなことにorz
あー、さてさて。今回は朋也＆渚VS水夏……だったわけですが、まぁ最後にちょっとした大どんでん返しがｗ
ひとまずそれは置いといて、朋也たちの戦いから振り返ってみましょう。
実は朋也と渚が力を合わせれば、通常の水夏とは対等に渡り合えるだけの力はあります。
ただあゆの治療のために最初から一緒に戦うことが出来なかったことと、一緒に戦えるようになった時には既に朋也が負傷してしまっていたというタイミングの悪さがここまで顕著な勝敗の差に繋がりました。
もちろん最初から共同で戦っていたとしても神殺し最終形態発動の水夏には分が悪いですが、それでもここまで一方的な展開にはならなかったでしょう。
けれどそんな彼女と真っ向から激突し得る存在、そう彼女です。未来の英霊岡崎汐の登場です！
なんせ朋也＆渚の良いとこどりハイブリッドですからね。英霊にもなろうってもんですよ。
そして汐が召喚されたことで全サーヴァントが召喚完了、聖杯戦争の火蓋も切って落とされる……はずなのですが、本土はそんな状況でもなく。あぁ、早くそっちも書かないといけませんね。
スペックだけでも相当ですが、汐の真価は表面上のものばかりではありません。次回こうご期待……と言いたいところですが、一旦場面は別の戦闘に移ります。
誰の戦いかは、次回のお楽しみということでｗ
ではでは！