神魔戦記 第百七十七章

                      「魔族七大名家・水瀬」

 

 

 

 

 

 水瀬同士の戦いとは、小夜のような特例は別として、いかに相手を衰弱させるかの戦いと言っても過言ではない。

 水瀬の基本技である『琉落の夜』は本来一撃必殺だが、耐性の関係で水瀬には効きにくい。とはいえ体力を削ることは出来るので、先の結論に行き着くわけである。

 そしていま名雪が相対する母、秋子は基本に忠実な『水瀬』の血筋と言える。

 それ故に真正面から戦えば勝てる見込みはほぼない。何故なら名雪は魔力量も少なく、秋子のような大規模・多数展開攻撃は出来ないのだから。

 とすれば勝機はどこにあるか? ……そんなものは決まっている。小夜が秋子に勝ったように、基本ではなく例外で、正道ではなく邪道で戦うしかない。

 以前、地下迷宮で戦った時はそんな方法はなかった。だがいまは違う。伊月と理絵から教わった知識と編み出した技があり、故にどうにかなるかもしれない。

 いや……どうにかするのだ。

「……戦える」

 弱気になるな。強く、高く、鋭く勝機を見いだせ。

 新たな技は『隠者の夜』を含めて三つ。この三つを持って、母を越える。

 今日こそ、絶対に。だから!

「ふぅ……。よし」

 やる気、決意、不安、焦燥……。熱くなるもの、冷たくなるもの、全てをその息で吐き出し、そして剣を抜いた。

 すべきことは唯一つ。

「勝つよ!」

 

 

 名雪と秋子。対峙する二人の距離はまだかなりあるが、秋子からすればそれは既に必殺の間合いである。即座に空間を指定して攻撃出来る秋子にとっては視覚範囲全てが射程圏内なのだ。

 もちろんそんなことは名雪も知っているはずだ。だから抜刀した後、こちらをかく乱するように飛びかかって来るかと思ったが……予想外に動きはなかった。

「来ないのかしら名雪? あなたも愚かではないのだから、この距離を維持する無意味さくらい承知しているでしょう? それとも今更になって怖気付いたかしら?」

 しかし名雪は何も言わず、そして動きもしない。表情もまた、秋子が言うように怖気付いているようでもなかった。

 恐怖もなく、焦りもなく、不安もない。『自分は戦える』と信じている目。

 秋子はそんな視線を娘に向けられること自体が気に食わない。故に、

「そう。聞き分けがないのなら仕方ありませんね。早々に終わらせるとしましょう」

 手を掲げ、

琉落( るらく)( よ)

 パチン、と指を鳴らす。

 すると名雪を覆うように漆黒の球体が出現し、そして一瞬で内部を凍結。数秒と待たずに割れるとその場所に残るのはただ凍り砕けた塵のみだ。

 ……などと、普段なら当たり前の光景も、いまこの状況においてはあまりにおかしいものだった。

「……」

 秋子が浮かべる表情は侮蔑でも愉悦でもなく、疑惑。

 水瀬に限らずそうだが、大概の特殊属性を持つ家系は、自らの属性に少なからず抵抗を持つことが多い。

 水瀬もまた同様であり、実際過去にカノンの地下迷宮で戦った際には、名雪は秋子の『琉落の夜』を数発受けてなお耐えていたのだ。

 それが一撃で塵になるなど考えられない。しかし実際秋子には名雪の姿どころか気配さえも感じ取れなかった。

 となれば、行き着く答えは一つ。

「……なるほど。名雪、あなたもようやく水瀬の本質に触れたということなのですね。出来損ないのあなたには到達出来ない境地だと思っていましたが、そこは褒めてあげましょう」

 水瀬の本質。それは『不通』という属性をいかに自分の扱いやすい形へと利用、行使出来るかどうかということだ。

 小夜は外部へ溢れる刹那の破壊を、伊月はより強固として至上の盾へと昇華させた。水瀬は水瀬でも、その進化は人それぞれなのだ。

 もちろん、その長い歴史の中で体系化、最も多くの者が歩んできたのが秋子の道であり、故にこそ基本なのである。

 だが名雪が選んだ進化はまったく違う道であり、それは――。

「!」

 振動と当時、熱が来た。

 ゆっくりと秋子が視線を落とせば、自らの胸を背後から剣が貫いており、しかもその一撃は確実に心臓を直撃していた。

「……なるほど」

 口元から血をこぼし、背後を見やる。何もない空間から剣の刀身だけが現れていた。

「『不通』により作りだす球体を極限まで小さくし、それを自らの周囲に撒くことで姿も声も気配さえ遮断する。……あなたが手に入れた道は『粒子化』ということなのね」

 頷き、しかし秋子は口元を釣り上げ、

「けれどまさか……この程度で私を超えるなどと言っていたわけではないでしょうね」

 首だけを振り向かせた秋子の目は鋭く、不可視のままの名雪を捉えた。

琉落( るらく)( よ)

 自分ごと覆うような『琉落の夜』の展開。名雪は剣を抜くこと間に合わずと察して手放したのか、剣だけが虚空から這い出ずるように現れた。

 しかし手応えからして名雪自身は回避を間に合わせたらしい。そのまま離れられてしまえば秋子にはもうどこにいるのかわからなくなるが、

「なかなか面白いとは思うわ。特に今回のような少数精鋭による侵入作戦などでは重宝する力でしょうね。

 戦闘においても相手が相手であれば有用な手段の一つでしょうが……私相手では力不足と言うしかない」

 刺さったままの剣が『琉落の夜』の効果によって砕け散る。そしてすぐさま秋子の傷が修復を開始した。

 元々水瀬の能力は最高峰の防御力を持っている上に、秋子の再生能力もAクラスである。秋子を討ち取るのであれば祐一や小夜のように防御を突破できるような強力な攻撃力が必要になる。

 だが名雪にそれはない。名雪の発展はむしろ応用性、操作力に重きを置いたものだ。相手を選べば確かに有力であろうが、秋子相手となればそれは何の障害にもなりはしない。

 そして逆に、秋子にとって名雪を制することは容易かった。

「姿が見えなくとも、気配を感じ取れずとも、近くにいるのがわかっているなら簡単な話」

 つまりは、

「逃げ切れない範囲を一気に攻撃してしまえば良いだけのこと」

 余裕の笑みを浮かべ、秋子は指を鳴らした。

砕城( はじょう)( よ)

 全てを凍てつかせる夜が世界を浸食する。

 広範囲殲滅技。水瀬の初代が扱い猛威をふるった攻撃が、名雪の身に襲いかかる。

「ぐぅ……!」

 周囲一帯を根こそぎ攻撃する『砕城の夜』にとって、たかが“姿をくらませるだけの能力”など何の意味もないのだ。

 無論、粒子とはいえ『不通』である名雪の『隠者の夜』はそれだけでもそれなりの防御性能を持っている。

 だが粒子として散布してしまっている以上完全防御は出来ず、空間攻撃などの大規模なものを防ぐだけの力はもちろん持たない。

 名雪の『隠者の夜』がより強い力に噛み砕かれ、破壊されるのと同時に名雪の姿もあらわとなった。

 秋子は慈悲めいた笑みをその顔に貼り付けながら、哀れむように言う。

「小手先の技術は大したものと褒めてあげましょう。でもそれで私に勝つなどと……少々夢を見すぎではないかしら?」

「……」

 名雪は何も答えない。いや、答えられないのか。

 秋子の『砕城の夜』を減衰させたとはいえ食らったのだ。水瀬の抵抗力と合わせたとしても軽いダメージとは言い難い。事実、名雪の翼や腕や足は凍傷のように真っ赤になっている。

 傍から見れば、力の差は歴然であろう。身体能力、魔力、特殊属性を操る術、どれにおいても名雪が秋子に勝る点はない。

 結界構築能力、というただ一点こそが名雪の強みであるが、その一つだけで状況をひっくりかえせるとは到底思えない。

 故に、俯き荒い息をしている死にぞこないから目を離し、秋子は離れた場所でこちらの戦いを傍観している浩一に視線を向けた。

「助けなくて良いのですか。このまま戦ったところで勝敗など目に見えていますよ? まぁ味方を見殺しにするというのなら敢えて止めもしませんけど」

「……確かにお前は強い。水瀬秋子。祐一の父親が亡くなった後、何年もこのカノンの魔族の頂点に君臨していただけはある。俺だってそう簡単に勝てるとは思えない。……だが」

「だが、なんです?」

「その自信こそ、お前の最大の欠点だな。高みを目指し我武者羅に前へ進もうとする水瀬と大きく違う点だ」

「フフッ……仲間への信頼、ですか。美しいですね。しかしこの状況を見てなおそんな言葉が吐けるのなら、それはむしろ無情と言えましょう。越えることの出来ぬ壁にむざむざ突撃して玉砕しろ、と。そう言っているんですからね」

「越えられない壁……か」

 なるほど、と秋子でさえ拍子抜けするほどあっさりと浩一は頷いた。その上で浩一は視線を秋子から外し、その背後へと向けて、

「……だ、そうだ。水瀬、越えられぬ壁に対し、じゃあお前はどうする?」

「まぁ越えられないんだったら……壊してでも前に進むしかないよね」

「!?」

 その軽い声を聞き、弾かれるようにして振り返る。

 どういうわけか、先程まで満身創痍だったはずの名雪が何食わぬ顔で立ち上がっていた。

 やせ我慢、などではない。明らかに秋子が与えた傷やダメージが消えていた。しかし先程の名雪が幻術などではないのは、破損している鎧や服からわかる。

 治療薬にしても早すぎる。……目を離したすきに何かがあったのだ。考えもつかぬ何かが。

「……気配遮断の次は不可思議な回復。まるで奇術師のようね、名雪」

「奇術大いに結構だよ。種がわからないうちは翻弄出来るもん。って言っても隠し続ける気なんてないけど」

 名雪は外套を払い、腰に手をやる。その動作で初めて気付くことがあった。

 腰のベルトに、剣とは別に七つ、球状のカプセルのようなものが装着されていた。何かの魔術的な道具だろうか。

「ふっ!」

 羽を広げ、腰を落とし、裂帛の気合と共に名雪が地を蹴る。ただ真っ直ぐに突っ込んでくる名雪にはおそらく何かしらの策があるのだろう。

 しかし秋子は警戒しなかった。例え名雪がどれだけの策を弄そうと、いかな技を得ようとも、自分に敵うはずがないという考えが消えないが故に。

 そんな自信に溢れた秋子の視線の先で、名雪が腰からカプセルを二つ取り外し、それを投げてきた。

 攻撃か妨害か。だがどのような効果であろうと関係ない。その二つを『琉落の夜』で消失させてしまえばそれで終わりだからだ。

「愚かね、名雪」

 パチン、と指を鳴らす。投げ込まれたカプセルを寸分違わず『琉落の夜』が覆い、次の瞬間に破砕した。

 法具だろうが呪具だろうが関係ない。存在概念がやたらと強固なものでもない限り、いかなるものもただ凍てつき散るだけだ。

 ――だが、その光景を見てなお名雪は前へ進む動きを止めはしなかった。

「いっけぇぇぇ!!」

 名雪の叫びに秋子が怪訝に眉を顰めた瞬間だ。

 バリン、と。秋子の『琉落の夜』の突き破って一本の剣が飛び出した。

「なっ――」

 飛来する剣に対し咄嗟に『遮鏡の夜』を構築する。それは長年の戦いで培われた条件反射だった。

 だが反射の行動故にそれはミスだった。そもそも『琉落の夜』をあっさりと破り現れた剣が、『遮鏡の夜』で止まるはずもなく――破砕音と共に容易く突き破ってきた剣は、そのまま秋子の右腕を斬り飛ばした。

「な、に……!?」

 横を通過する剣を秋子は間近で見た。白と黒がせめぎ合うような剣。そう、それはまるで光と闇によって象られたようで――。

「ま、さか……」

 疼く記憶。秋子の疑念を証明するように、剣は霧散して消えた。在り得ざる状況を修正するかのように。

 ……間違いない。『不通』を紙のように突き破り、しかも斬られた部分の再生が始まる気配がないことから考えて、これは間違いなく特殊攻撃の一つ、対消滅。

 あの憎き相沢祐一の力だ。だが、

「名雪、あなたが何故!」

「言ったよ。隠すつもりなんかない、って」

 再度名雪がカプセルを取り出す。警戒する秋子だが、名雪は今度は投げようとはせずその場でカプセルを砕いた。

 現れたものを見て、秋子は瞠目する。何故ならそれは、

「『不通』……?」

「小手先も、馬鹿に出来ないでしょ?」

 続いて『不通』もまた砕けるようにして消えた。名雪が結界の構築を解いたのだろう。その瞬間、どういうわけか風属性の魔力が名雪を包み込み、その速度を一気に増加させた。

 風属性の速度強化魔術だと認識するも、その現象が何故ここで起きるのかがわからない。そして何を行動するよりも肉薄する名雪の方が早かった。

 スペアの剣か。新たに抜刀した名雪の強烈な視線がぶつかる。防御を、という思考はもう遅かった。

「せいっ!」

 立て続けの予想外の出来ごとに完全に出遅れた秋子は『遮鏡の夜』を展開することさえ出来ず肉薄を許し、放たれた一閃は残った秋子の左腕を切断した。

 もちろんこちらは対消滅ではないので再生は可能だ。が、もはやそんな考えは頭になかった。

「対消滅に風属性魔術!? 一体これは……!?」

「『隠者の夜』はわかってもこれはわからないか。何でも一人で出来て、一撃で敵を倒せるお母さんじゃ無理ないかな。でもとっても単純な話なんだよ」

 横を駆け抜け、やや距離を離した名雪は剣を鞘に戻し、振り返りながら言う。

「『不通』は文字通りいかなるものも通さない。だからこその強固な防御であり、攻撃に使えば檻となる。

 でもね、こういう捉え方も出来るんだよ。……何も通さないっていうことは、それは『保存』にだって適してるって」

 光、熱、空気、マナ、……大気中にあるありとあらゆるものによって存在は常に流動する。どれだけ密閉性の高い容器に入れようと、お湯は時間が経てば水となる。それは徐々に熱エネルギーが外へ漏れてしまうからだ。

 だが完全に外界と遮断出来る術があれば、お湯はお湯のままでいられる。そう、常に最初の状態を維持出来るのだ。

 そこまで考え至り、ようやく秋子はこの現象の解を見つけた。それは、

「まさか……他者の魔術を、結界の中に保存したというの……?」

「そうだよ、お母さん。これがわたしの新しい技の一つ。『友箱(ゆうしょう)()』。仲間の力をそのまま保存する力。

 ……まぁそのためにはこの小型の結界を保存してからずっと維持しなくちゃいけないから常に魔力を微量だけど消費し続けるって欠点はあるよ。

 でもいまみたいにわたしじゃ出来ないことが出来るようになる。攻撃、補助、治療……これに保存できる力なら、何だって」

 つまり『琉落の夜』を受けてすぐ傷が回復していたのもこれなのだろう。治療魔術を保存してそれを利用したに違いない。

 本来『不通』の力は絶大で、攻撃にしろ防御にしろそれ単独で十分な力を持っている。だからこそ秋子を含め歴代の水瀬は『他者の力を保存する』などという発想は欠片も思い浮かばなかった。

 いや、思い浮かんだところでそもそも実現させることも出来なかっただろう。いくら手の平に乗るサイズとはいえ、複数の結界を長期維持、しかも座標に固定しないなどという細かすぎる結界操作、やろうと思っても出来るものではない。

 それは中途半端な力しか持たず、それ故に仲間と共に戦うという境遇であった名雪だからこそ到達した技と言えよう。

「……けれど、いかに『不通』とはいえ対消滅の力まで保存は出来ないはず! 内部から砕けて終わりでしょう!」

「一個に纏めるなら、ね。でもわたしは二つ投げたでしょ? それぞれ光と闇、融合直前のものを保存してあるからね。あとは同じタイミングで結界を解除すれば完成」

 もちろん対消滅の完成はシビアだ。いかに同じ人間の同等の魔力であろうと、わずかでもタイミングがずれれば片方の比重が大きくなり霧散してしまうだろう。

 だがそのシビアなタイミングさえ、名雪の結界操作能力はクリアする。

「……フフ、認めましょう名雪。あなたは強くなった。この技も大したものよ。限られた力の中でよくぞこれまで工夫したものだと思うわ」

 なるほど確かに脅威である。種がわかったとはいえ、あのカプセルの中に誰のどんな魔術が入っているかわからない以上、明確な対策は取れない。

 更に迎撃しようにも、カプセルの中身自体が『不通』で囲まれているためそう簡単に破壊出来ない。例え秋子の『琉落の夜』であっても、だ。

 秋子は驚きと共にその有用性を認めた。認めたうえで……告げる。

「……けれど、それでも私には勝てない」

 何故なら、

「そのカプセルには限界がある。それはそうよね、それだけの細かいコントロールで何個も維持出来るわけがない。

 最初の七個……いえ、その前の治療を含めて八個が限界かしら? そして残りは四個。ならそれにさえ気を付けていれば問題はない。

 防御を突破される危険性があるというなら、かわせば良いだけの話ですものね」

 秋子は『不通』という属性に自信を持つが故に相手の攻撃を受けようとしてしまう癖がある。過去の敗北も概ねそこに起因し、故に秋子は初めて相対する相手を侮らぬよう心掛けるようになった。

 だが昔から知る名雪だからこそ、再度その悪い癖が出てしまった。なまじ過去を知るが故にその時の実力が名雪の全てだと決め付けたからこその痛手であった。

 しかしここからは違う。

 秋子は認めた。名雪が成長し強くなったということを。だからこそもはや手加減はない。あの『友箱の夜』が投げられれば速やかに回避するし、腕の再生が済めば全力で攻撃し屠ると決めた。

「行くわよ、名雪。ここからは全力であなたを……殺す」

 魔力の密度が跳ね上がる。先程までの比ではない。地下迷宮で祐一と戦ったときさえも凌駕する圧倒的な放流。

 カノン水瀬において歴代でも五指に入ると謳われた秋子の全力が、世界を軋ませた。

 油断と慢心という心の隙を奇策で突いていた名雪だが、それらを捨てた秋子に対しては取り得る手段を持ち合わせていない。

「……ようやく本気なんだね、お母さん」

「私を本気にしたというその事実だけでも、あなたは胸を張って良いわよ名雪」

「あはは、お母さんに褒められたのなんてどれくらいぶりだろう。嬉しいけど……ちょっと残念かな」

「? 何が残念なのかしら」

 だって、と名雪はどこか寂しげな表情を浮かべ、

「結局最後まで本気のお母さんと戦うことは出来なかったから」

「……?」

 秋子は一瞬何を言っているのか理解出来なかった。

 これから本気で相手をする、と秋子は言った。だが名雪は秋子の本気と戦うことはなかった、と告げた。

 名雪が戦いを放棄した? 違う。それでは戦うことはなかった、という言葉は当てはまらない。

 何故ならそれは過去形の物言い。加えて、既に剣を収めている名雪の示す結果は――既に勝敗は決したと言わんばかりではなかろうか?

「――っ!」

 秋子の身を、これまで感じたことのない冷たい予感が過ぎった。

 自分は何か、致命的な見落としをしてはいないか……?

「いや、そんなはずはない……。私が、私が名雪相手に遅れを取るなど……!」

 そう口にするも、動揺は消えはしなかった。ただ動かず、もはや戦意さえ感じさせぬ名雪の姿が更に嫌な予感を増大させていく。

 秋子はそれを振り払うように力を行使しようとした。腕の再生はまだだが、視線だけでも『砕城の夜』は構築出来る。細かいコントロールは出来ないが、魔力に物を言わせて強大な一撃を叩きこめば良い。

 と、『不通』を発動しようとして――固まった。

 否、動けなかった。

 身体の奥底を、強く握り掴まれた感覚。

「準備は整った」

 動きを止めた秋子に、名雪はただ静かに語りかける。

「少し考えればわかったはずだよ、お母さん。再生能力の高いお母さんに、どうしてわたしが剣で挑んだのか。そしてわざわざ技の種を明かしたのか」

 剣で攻撃したのは我武者羅だったからなどではない。

 ――それが必要な攻撃だっただけのこと。

 技の種を明かしたのは自慢をしたかったわけではない。

 ――時間を稼ぎたかっただけなのだ。

 既に材料は出揃っていた。剣による攻撃。時間稼ぎ。そして名雪が成す力は『粒子化』と『保存』、そして『座標固定なしでの長期維持』。更に『完璧な同時解除』。

 ようやく、ようやく秋子も理解した。

 ――もう、とっくに決着は着いていたのだということに。

「剣で攻撃した傷口から『粒子化』した『不通』を侵入させる。相手の身体に入ってもわたしなら『座標固定せずに長期維持』出来るから、あとは血流に乗って特定の場所まで辿り着くのを待てば良い。そして一気に『同時解除』。『保存』してあった……わたしの血が、お母さんの体に展開される」

 本来、空間を指定する魔術であっても相手の体内で発動することは不可能である。座標の指定自体は問題ないが、自分の魔力が相手の身体を覆う魔力や魔力を多分に含めた血液によって阻害されるからだ。

 ……だがその魔力を多分に含む自分の血が相手の体内にあるのなら、それをトリガーに魔術を行使することは……難しいが出来ないこともない。

 まして、粒子化や長期維持といった微細なコントロールを得意とする者ならば――容易とさえ言えるだろう。

 これこそが名雪の編み出した技、最後の一つ。

 一つしか展開できずとも、巨大に展開できずとも、必殺足りえる一撃を成す、水瀬名雪の集大成。

「わたしの勝ちだよ、お母さん」

 パチン、と指を鳴らす。

「『赤月( せきげつ)( よ)』」

 瞬間、秋子の体内で発動した『不通』がその心臓を包囲、一瞬で塵と化した。

「――」

 秋子の身体がぐらりと揺れ、膝が崩れ、そのままゆっくりと倒れていく。

 明確な勝敗が、そこにはあった。

 

 

 

 秋子は意識が薄れつつも、まだ生きていた。

 高位の魔族は心臓の機能を無くしたところですぐに死ぬことはない。とはいえ心臓をまるまる消された以上、再生は間に合わないだろう。

 秋子は苦笑した。見事な一撃だったと素直に思う。その勝利への貪欲さが、きっとこの結果に繋がっているのだろう。

 ――秋子は名雪が好きではなかった。

 唯一愛し、誰よりも憧れた人はよりにもよって神族と一緒になり、半魔半神という忌まわしき子を産んだ。

 だが秋子は当時自らの父に相沢との子を成すように強く言われていた。いや、もはやそれは命令であった。

 無論、それが祐一の父、慎也であれば秋子とて何も文句はなかったが、神族の娘と一緒になり、ましてや子を成した、というのは魔族側からしても容易に認められるものではなく、もちろん秋子の父も良しとしなかった。

 そこで白羽の矢が立ったのが慎也の兄弟である。命令されるままやむなく契りを結び、そして生まれた子が名雪だったのだ。

 だが好きでもない男との間に生まれた子を誰が好きになれるだろうか?

 それでも名雪がある程度の力を持っていればまだ救いはあった。しかし名雪の才能は水瀬の中でも極めて低く、父親にも用なしの孫だと罵られた。

 命令されたから嫌々作った子供を役立たずと言われた秋子の心中は……言葉で言い尽せぬほどの怨嗟に染まった。

 もちろん父親は殺した。形ばかりの夫も殺した。それが大きな問題にならなかったのは、例のホーリーフレイム強襲t時期が被り、父親の死も一緒くたにされたためだ。

 だがそれを幸運とは呼べなかった。慎也もその一戦で亡くなってしまったからだ。

 何もかもが上手くいかない。大事なところに限って自分の思った通りになった試しがなかった。

 祐一と戦い敗北したこともそう。

 そしていま……名雪に敗北したことも。

 だが、

「……侮っていた娘に敗れたというのに、何故かしら。悔しさが微塵もないのは……」

 それはきっと……名雪が強くなったから、なのだろう。

 もはや、父に役立たずと罵られた名雪はいない。自分さえ乗り越えるほど成長した名雪を見て、秋子はここに至ってようやく一つの感情を知った。

 胸に去来するこの嬉しさ。それはきっと……我が子の成長を喜ぶ母、という気持ちなのだろう。

 今更何を、とも思う。だが晴れやかだった。ざまあ見ろ、とあの父親に言ってやりたい。そんな風に思って……そんな自分に、小さく笑った。

「……名雪、いる?」

「うん。いるよ」

 いつの間にか、すぐ近くに名雪が立っていた。その表情に勝者の喜びはない。

「……強くなったわね」

「ありがとう。でもお母さんが最初から本気だったら、きっとわたしは……」

「どうあれ、勝ったのは名雪。それが全てよ」

 確かに最初から秋子が全力であったなら、結果は容易に覆っていただろう。

 だが侮った結果がこれであるとするなら、それは結局自分もあの憎き父と同じだったというだけのこと。

 だからもう、良いのだ。

「名雪。私のようになっては駄目よ……と、言わなくても大丈夫でしょうけど」

「お母さん……」

「祐一さんのことも、ね。どうやら私たち水瀬は好きな相手と添い遂げられない運命のようだから……だからといって自棄になっては駄目よ」

「……うん。わかった。気を付けるよ」

 意識が遠のいてきた。さすがにもう限界らしい。

 名雪にはもう何も言うことはない。いや、言う資格さえ本来ならないのだ。

 だが……こうして娘に看取られながら大好きな人との思い出があるこのカノンの地で最期を迎えられるというのは、なかなか気の利く終わり方と言えるかもしれない。

 視界が白くなり、世界が消えて行く。自分が終わると言う実感がこみ上げてくる。

 だが秋子に恐怖はなかった。むしろ終わったという安堵感さえあった。

 あぁ、ようやくあの人に会いにいける。

 そして会ったらこう言おう。

 あなたの子も、私の子も、とても強くなっていましたよ、と――。

 

 

 

 名雪は母親の最後を看取った。

 最後の最後まで罵倒され憎まれて終わるかと思っていたが、予想外に今際は晴れやかな態度だった。そして初めて母親らしいことも言われた。

 この結果を望んでいたのは自分だ。絶対に勝つと決めていた。油断出来る相手ではなく、全力で挑み、勝利した。

 ……なのに、

「最後の最後で……ずるいよ、お母さん」

 涙が溢れるのは、どうしてだろうか。

 絶対に交わらぬと思っていた母と……ほんの一瞬でも通じ合うことが出来たからだろうか?

「水瀬」

 浩一の声が背後から届く。しかし振り返れずにいると、

「……俺は先に他の戦場に行っている。落ち着いたら来い」

「……わかった。ありがと」

 すぐさま浩一の気配が遠のいていく。気を遣ってくれたくれたのだろう。

 自分もすぐに皆の手伝いに行かなければいけない。しかし溢れる気持ちを押し留められず、名雪はその場で泣いた。

「お母さん……ばいばい……」

 少しだけ。短いわずかな時間だけ……泣いた。

 それが、すれ違い続けた母娘の終着点だった。

 

 

 

 あとがき

 どうもこんばんは、神無月です。

 今回は水瀬家の争い、秋子VS名雪でした。

 シズク編で言っていた名雪の『三つの技』も全部出尽くし、秋子を油断したままの状態で撃破に成功。

 ……某慢心王みたいな展開ですが、実際秋子も最初から全力出してれば名雪に負ける要素ほとんどないんですよね。

 名雪の一番の欠点は火力不足です。決着も火力を必要としない体内攻撃でしたが、これも結局『剣で刺す』という過程が必要な以上全力で防御してれば名雪は突破出来ないわけで。

 まぁそんなとこ含めて秋子だと、娘である名雪は知った上で策を練ったのですから名雪の勝利であることに間違いないのですけどね。

 名雪は作中でもあったように奇術師のような存在です。その制御能力を生かし誰もが思いつかないような使用法で戦うという奇をてらう術者。

 その初見殺しっぷりは浩平に通ずるものがあるかもしれません。まぁ浩平以上に見破られてしまえば簡単に対策取られてしまいますが。

 個人的に、さやかや郁乃のようなパワー特化型よりも、名雪は杏のように元からある力を工夫して強く“見せる”ような戦い方の方が書いてて楽しかったりしますw

 名雪にはこれからも頑張ってもらいたいですね。

 さて次回はさやかVS小夜再び、です。一部他の戦いもちらっと出ますが。

 ってなわけで、それでは〜。

 

 

 

 戻る