神魔戦記 第百七十六章
「届け想いよ、謳歌を結べ」
氷上シュンは各地で起こったウォーターサマーとカノンの戦いをただ高みから見下ろしていた。
「さてこの戦い。どっちが勝つかな」
ニコニコと、いつものアルカイックスマイルそのままに、どうでもよさそうな口調で呟く。
彼はいま空に浮かんでいる。風の魔術かはたまた別の何かか。ともあれ目立ちそうなものだが、彼自身が気配完全遮断の能力を持つ上に、更に何かしらの術で姿さえ認識出来ない状態となっていた。
とはいえ、完全ではない。勘の良い者、例えば風子なら違和感を感じるだろうし、そうでなくても認識力の強い者、あるいは妨害系の術を無効化するような者であれば見つける事も出来るだろう。
それはそれで良いとシュンは考えていた。
本来は観察者であるが、名目上は水瀬の配下。そうなったらそうなったで戦うのも一興だと考えていた。
何故なら彼にとってこの地での戦いなど通過点でしかなく、殊更重要なものでもないのだ。遊び半分の意識であっても仕方ないと言えば仕方ない。
――だが無論、そんなものは相手にとっては関係のない話である。
「お」
突如、何の前触れもなくシュンのいた空間が爆発した。
「ピンポイントで空間攻撃か。完全にこっちを捉えているようだけど……さて」
爆煙が風にさらわれ、あらわになったシュンの姿はしかし傷一つありはしない。腰にある永遠神剣さえ抜いていない。
不気味なまでの余裕。対峙する者はシュンのその笑みを見るだけで何かしらの不安を抱くものだが、この相手は違う。
何故なら、既にその者は一つの感情で身体が満ち満ちていたからだ。
「お前だな。ウォーターサマーをけしかけてカノンに攻め込ませた奴は」
シュンの視線の先、そこに一人の男がいる。
背に神族の証である翼を生やし、棍棒を持っている。だが何より目を引くのは彼の頭上に浮かんでいる眼のついた漆黒の球体のようなものと、彼自身の人を射殺しそうな眼光だろう。
だがシュンはそんなことより気になることがあった。それはシュンに向けた先程の台詞。
「……僕がウォーターサマーをけしかけた? 初対面でいきなりわけのわからないことを言うね。僕は水瀬配下の魔族だよ。一国を動かすような存在じゃ――」
「そうやって裏で動きまわり、あたかも世界を自分たちの物のように都合よく動かすのがお前たちの手口だ。わかってるんだよ」
「……ふぅん。なるほどね」
シュンは一つ、二つと頷いて……そしてゆっくりと剣を抜いた。
「君はどうやら僕以外の誰かと会ったことがあるらしい。そして僕の『これ』に反応しているからこそそんなことを言うんだろう?」
これ。即ち彼の持つ永遠神剣。
「ちょっと興味が湧いて来たね。君、何者?」
「国崎往人だ」
堂々と名乗り、その男――往人は棍棒を手元で回転させながら構えた。
「言っておくが、俺はいまかなり苛立ってる」
「へぇ。どうしてかな? 八つ当たりされる側として聞いておきたいんだけど」
「八つ当たり? 何をわけわからんこと言ってやがる。この二つの怒りは間違いなくお前に向けたもんだ」
「それは?」
「一つは観鈴を泣かせた原因がお前にあること。そしてもう一つは――」
一際強くシュンを睨み、
「テメェみたいにヘラヘラ笑いながら人の人生を玩具のように扱う男が俺は大っ嫌いなんだよ!!」
高速展開した七つの人形を従えて、突撃した。
広間を数多の羽が漆黒に染める。
泣き叫ぶマリーシアを中心に荒れ狂う羽は、魔力的な感知に乏しい一弥でさえその一枚一枚に強大な力を感じさせた。
「これが……本当のマリーシアさんの能力……!」
マリーシアの力が完璧に目覚めたのは風子と戦った時だ。佐祐理たちが知らないのも当然なのである。
「もう……近付かないで……! 怖いことも痛いこともしないでぇ!」
マリーシアの悲痛な叫びと同時、漆黒の羽の大群が一気に襲いかかって来た。対して最も素早く動きを見せたのは佐祐理だった。
「トウカさん! 千堂さんは佐祐理が守りますから舞と一緒にマリーシアちゃんを止めてください!」
佐祐理が呆然とする一弥を引っ張り、傷付いた和樹の傍に立って結界を構築する。
「どれだけ耐えきれるかわかりません! 早く!」
「承知!」
頷きを返して、舞とトウカの二人が疾走した。豪雨のように落ちてくる羽を最低限の動きでかわし、切り払い、最短距離で駆け抜ける。
「凄い……」
その二人を見て、一弥は思わず呻いていた。
体術を極めんとした一弥だからこそわかる。あの二人の体捌きは一弥とは次元が違う。人が雨の中、一滴も当たらずにどうやって突っ切ることが出来るだろう?
だがこの二人はそれをほぼ完全に成し遂げている。精々いくつかの羽が身体にかすめているくらいだ。
「このまま一気に……!」
「突っ切るでござる!」
抜けた。
そしてそのままマリーシアを左右から挟み打つ。峰打ちで意識を刈り取ろうと抜刀し、
「いやぁ!」
だがその攻撃はマリーシアの拒絶の言葉と同時、翼そのものに防がれた。
「なっ――」
トウカ、舞それぞれの攻撃はマリーシアの死角である上に反射出来るスピードを超えている一撃だった。にも関わらず防がれたということは、
「あの翼……自動で迎撃まで出来るのか!?」
一弥の言葉を肯定するかのように漆黒の翼が大きく膨れ上がり、舞とトウカを打撃した。
二人ともその一撃こそどうにか剣で防いだが、そこで足を止めてしまったのがまずかった。すかさず羽の大群が二人に向かって殺到する。
「くっ……!」
「ぐぁ!?」
かろうじて直撃を避け続ける二人だが、あまりの量に攻撃へ移るタイミングを完全に見失ってしまったようだ。
和樹も傷が深く、佐祐理も防御で手一杯。もはや誰も近付くことさえ叶わず、このまま漆黒の羽による猛攻に晒され続けるしかなくなった。
マリーシアを助けることも出来ず、このまま仲間同士で自滅し合うだけ。
……そして自分はそれを見ていることしか出来ない。
「……くそ」
このまま成す術もなくじわじわと削り殺されるしかないのか。
自分に出来ることはないのか。
自問すると、冷静な自分が『ない』と断言していた。
体術・剣術において数枚上手の舞、そしてその舞と同等の動きを見せたトウカでさえいま手も足も出ない状況という中、未だシズクでの傷さえ治りきっていない自分に何が出来るというのか、と。
……けれど。
乱れ飛ぶ羽の雨の向こう、光も音もない世界で怯え泣いているマリーシアがいる。きっと自分などでは想像も出来ないような酷い仕打ちを受け続けたのだろう。
元々彼女の心は強い方ではなかった。
けれどそんなマリーシアがこれだけの力を、戦えるだけの力を手に入れたのはきっと……彼女自身がそんな『勝てると思えない』相手に挑んだ証ではないのか?
マリーシアは戦ったのだ。あんな小さな身体で。あんなか弱い心で。それでもなお、この国を守るために。
見ていたわけではない。にも関わらず、その光景がはっきりと思い浮かぶのは何故だろうか。
それはきっと彼女のこれまでを知っているから。彼女が努力し、戦いに涙し、傷付き、挫けてもなお前を見て、そして誰より平和を愛することを知っているから。
ならば?
「僕は……」
そう。
大事なのは『何が出来るか』ではない。
ただ一つ。『何がしたいのか』、それだけのはずだ!
「っ――!」
「一弥!?」
身体は勝手に佐祐理の結界の外へ足を踏み出していた。頭の片隅でその行動を愚行と断ずる自分もいた。だが、
「そういえば、以前こんなことを言われたな」
『私にとって一弥さんは、誰よりも英雄なんですよ?』
夜の王城で。マリーシアに言われた言葉。照れくさくて、でも嬉しかったことを覚えている。
英雄。そんな単語は自分に似つかわしくないことなんて重々承知している。
しかし、それでもマリーシアがそう言うのであれば、せめて彼女にとっての英雄でありたいと思う。
だから一弥は武器を取る。相棒たる呪具、烙印血華と共に、
「死なないし、殺させないし……死なせない!」
宣言して、突っ走った。
佐祐理や舞たちの制止の声を聞いた気がした。しかしいまの一弥はそれを認識出来ない。いま彼の五感は全てただ一点、マリーシアにのみ注がれていた。
「!」
ピクリとマリーシアの背の翼が揺れる。動き出した気配に気付いたのだろう。
そして中空を舞う羽の大群がその矛先を一弥へ向ける。
「――形は意思を成す――!」
一弥は烙印血華を二枚の盾へと変化させると、致命傷になるだろう場所だけに構えてひたすら真っ直ぐ突撃していく。
殺到する羽は守り切れぬ部分、肩や脇腹や足に突き刺さり切り裂いていくが、一弥は歯を食いしばって前進を止めない。
「来ないで……来ないでよぉ!!」
「この程度の攻撃で来るなって? バカを言うなよ。この程度、君が受けた痛みに比べればなんてことはない」
止まらぬ一弥に、羽の猛攻が強まる。盾で防ぐにしても量が多ければ衝撃も凄まじく、また足のダメージも蓄積して徐々に動きが鈍くなっていく。
だがそれでも一弥は決して足を止めはしなかった。じりじりと、遅くとも確実にその距離を詰めて行く。
「お願いだから来ないで……! 何もしないで!」
「怖いか? ……怖いよな。僕だってわかる」
何をされるかわからない恐怖。これからどうなるかわからない不安。
あぁ、痛いほどわかる。何故なら一弥もまた、シズクに自意識を奪われていたのだから。
「僕たちは弱い」
情けなくなるほどに。
「……でも、助け合えば大抵のことは乗り越えられる」
六ヶ国の力でシズクを打ち破ったように。
だから。
「マリーシア。君は僕が助ける」
だから!
「だから、止まるわけにはいかないんだ!!」
盾が決壊した。いかに元が呪具であるとはいえ、これだけの攻撃に晒され続けていれば無理もない。
しかし一弥の『烙印血華』は元々形を持たぬ武具。どれだけ細切れになろうとも、核が無事であり、そして所有者の魔力が途切れぬ限り破壊されることはない。
「――形は意思を成す――!」
砕け散った盾の破片がそれぞれ鎖となり、鎖鎌へ変化する。
「あぁぁぁぁ!」
マリーシアの咆哮。防御の手段を失った一弥にトドメを刺すかのように羽が密集し濁流のように振り落ちて、
「咆哮せよ! 『雷神の熾紅蓮トール・スマッシャー』!」
横合いから放たれた火と雷の複合魔術がその攻撃を遮った。
佐祐理だ。彼女もまた防御を捨て、一弥の援護に回ったのだ。
何故などと問うまでもない。
佐祐理の瞳が告げている。弟を信じフォローすることこそ姉の務めなのだと。
「行きなさい、一弥!!」
「あぁ!」
佐祐理の魔術により開いた道。そしてその一瞬の隙を、一弥は見逃しはしなかった。
鎖鎌をマリーシアに向けて投擲する。無論攻撃のためではない。鎖鎌は弧を描きマリーシアの周囲をぐるりと数周して、
「!」
その身体を縛り付けた。
「やっ……!」
マリーシアの翼が鳴動する。あれだけのマナ結晶だ、全開で抵抗されれば呪具とはいえ数秒しか持つまい。
だが……一弥にとってはその数秒で十分だった。
「おおお!」
渾身の力を込めて、一弥は鎖を引っ張った。身軽なマリーシアは容易く一弥の元へと引き寄せられ――、
その小さな身体を、抱き止めた。
「――ようやく捕まえた」
胸の中に収まる小さな身体を、一弥は優しく抱きしめた。
光が見えずとも、音が聞こえなくとも、この触れ合った体温は彼女へと伝わるはずだ。
だから優しく、でももう離さないとばかりに強く抱きしめる。暴走し、混乱している彼女の感情をゆっくりと解いていくように。
「あ……」
こぼれる小さな声。
飛び交っていた羽の動きが徐々に緩やかになり……そしてしばらく後、完全に停止した。
「……温かい。優しくて、懐かしい匂い……」
たどたどしく伸びる手を、一弥はそっと握った。
「……一弥さん、ですか?」
「あぁ」
耳の聞こえぬ彼女にわかるよう、頷くと同時にギュっと手を握る。するとマリーシアの瞳のふちからポロポロと涙がこぼれ始めた。
「ごめ、なさ……! わ、わた、わたし……!」
「大丈夫だ。誰も死んでないし殺されてもいない。謝ることなんて一つもないんだ」
マリーシアには聞こえていない。でも安心させるように、その身を抱く腕に力を込める。
それでもマリーシアの涙は止まらなかった。でも、それは彼女が正気を取り戻したという証明でもある。
剣を収めた舞とトウカが、そして負傷した佐祐理や和樹たちもまた笑みを浮かべる。
これで全て丸く収まったと。
――そう思った瞬間だった。
「あら。もう茶番はお終いですの?」
どこまでも軽薄で、どこまでも強大な声が響いた。
「ヒッ!」
マリーシアが短い悲鳴と共に身体を震わせる。他の者もまた突如現れた異様な気配に危険を察した。
声のした方に視線を向ければ、先程まで誰もいなかった場所に一人の少女が立っていた。
一言で言えば『白』だった。全身を真っ白な法衣で包みこみ、そして手にはその小柄な体躯からすれば異常なほどに長い錫杖を持っている。
浮かべている表情は笑み。だがその意味を額面通りに受け取る者はいないだろう。
怖い。
マリーシアだけではない。佐祐理やトウカ、舞でさえ、程度の差はあれどその感情が生まれるのを止めることは出来なかった。
「なかなか面白い見世物と思って、本命の目的の前に見させていただきましたけど……その結末は随分と陳腐でしたわね」
「……何が言いたい」
震えるマリーシアを抱きとめながら、一弥が睨む。
そんな視線もどこ吹く風とせせら笑う少女は、無造作に一歩踏み出す。
たったそれだけの行動で、まるで心臓を握りしめられるかのような圧迫感を受けた。
「物語としてならば、その少女が元仲間であるあなた方を殺し尽くし、心壊れた化け物となった方がよほど面白味がありましたわ。
そしてその巨大な悪を、それ以上の巨大な正義が叩き潰すのです。それこそが世界の理にして万物の秩序ですもの」
「何だ……何を言っている!?」
「心だの気持ちだの愛だのと。そのような不確かなものによる解決など、所詮幻でしかないということですわ」
歌うように告げ、まるで観衆に真理を説く宣教師のように、両手を広げ言う。
「圧倒的力による支配こそが秩序を生みだすのです。……と言ったところできっとあなたたちにはわからないのでしょうね」
まぁ良いでしょう、と小さく頷く。そして一弥たちを見渡し、
「この後本命の用事も控えているのですが……しかし、そうですね。偶然ではありますがもう一つ面白いものを見つけました。
もしかするかもしれませんし、ちょっと余興がてら試させてもらいましょうか」
どういうことだ、と問う事も出来なかった。途端、少女を中心にとんでもない魔力が爆発的に膨れ上がる。
溢れだす魔力の密度だけで言えば、覚醒した祐一さえ凌駕していた。
その事実に驚愕しつつも、冷静を保ち、攻撃、防御、どちらも一瞬で構築出来るよう注意しながら佐祐理は問うた。
「……あなたは何者です? あなたはウォーターサマーの一員なのですか?」
すると少女は心外だとばかりに苦笑し、
「わたくしはウォーターサマーに与する者ではありませんわ。むしろ彼らの敵と言って良いでしょう」
とはいえ、とこちらを見て、
「――それはあなた方にも同じことが言えますけれど、ね」
瞬間、左右で隙を窺っていた舞とトウカがおもむろに吹き飛んだ。
「なっ――」
絶句したのは果たして誰だったか。舞とトウカは勢いそのままに壁をぶち破り、外へ放り出されてしまう。
「舞! トウカさん!」
「お友達の心配をしている余裕がおありですの?」
「っ!」
声は真後ろから。佐祐理は振り向きざまに加減抜きの雷魔術を叩き込んだが……溢れ出る魔力に遮られ、その法衣にさえダメージは及ばなかった。
「これでおしまいですの? せめてもう少し出来るようになってもらわないと、ね」
シャラン、と錫杖が鳴る。
「加減はしてあげますわ。受け止めなさい」
「!?」
無造作に差し出された右手に集束する強大な魔力。
佐祐理が慌てて防御結界を張るのを待っていたかのようなタイミングで、その手から白い極光が放たれた。
「姉さん!!」
光が晴れた先、佐祐理は全身から煙を上げながらもどうにか生きていた。いや、生かされたと言った方が正しいだろう。
佐祐理が少しでも結界の構築に手を抜けば蒸発するという絶妙の力加減だった。
「うっ……」
急激な魔力の消費とこれまでのダメージで倒れる佐祐理を見て、一弥は思わず叫んだ。
「貴様……何が目的だ!」
ウォーターサマーではない。どちらかと言えば敵だという。しかしカノンにとっても敵であると言った。
つまりは第三勢力ということだが、しばらくシズクにいた一弥は現状のカノンを取り巻く状況を詳しく把握していないので相手の見当もつかない。
そしてこの敵は殺意も敵意もなく、ただ淡々と攻撃してくる。思惑がまるで見えてこない。
すると少女はしれっと、
「先程も言ったでしょう? これは余興だ、と」
呟く少女の足元、佐祐理に守られていた和樹が何かしらの攻撃をしようとしていたようだが、それを先に察した少女が錫杖を振るう。
バチィ! という感電したかのような音と共に和樹もまた声もなく倒れ伏せた。
「さて、これで邪魔者はいなくなりました、と」
これでもう、この場に戦える者は満身創痍の一弥しかいない。
「か、一弥さん……!」
視覚と聴覚を奪われ、気配探知しか出来ないマリーシアにとって、この敵の強大すぎる気配はそれだけで毒だろう。
ガタガタと震えが止まらぬマリーシアの頭をそっと撫でつけ、そしてその身を床に下ろす。
「一弥さん……? 駄目、駄目です! 戦っちゃいけない! その人は……あの子と同等の力を持ってる! 危険すぎます!」
あの子、というのが誰かはわからない。きっとここでマリーシアが相対した相手なのだろう。
むしろこれと同クラスの相手に立ち向かったというマリーシアをいますぐ褒めてやりたい。いまこうして目の前に立ち塞がるだけで意識が途切れそうなのだから。
「余興で僕たちを殺すのか」
「わたくし、あまり回りくどいことは好きじゃないんですけれど……時には自ら気付かなくてはいけないこともあると思いますわよ? そしてそれがいまなのです」
相変わらずわけがわからない言い回しをする。だが佐祐理や、その前の舞たちへの対応から察するに、確かにこちらを殺そうとする意思はないようだ。
ならその理由は? そして殺すつもりはないが敵対行動を取る目的は何だ?
わからない。わからないが、
「これ以上好き勝手はさせない……!」
烙印血華を槍に変化させ、地を蹴った。
勝てる、などとは思っていない。しかし止まっているわけにはいかなかった。
さっきもそう。いまだってそう。動かなければ始まらない。止まっていては進めない。どれだけ絶望的であっても、足掻き続ける。
そう、それは一欠けらの才能もないまま、それでもなお必死に鍛錬を続け壁を超えてきた、これまでの倉田一弥の生き方そのものなのだから。
だからこそ、それを曲げることは許されない。特にマリーシアの前では。
「おおおおおおお!」
身体を全て利用し、体重と重心と魔力と何もかもを乗せた渾身の一突き。
だがそれは少女から溢れるただの魔力の余波に遮られ、身体はおろかその法衣にさえ届かない。無論表情一つ揺るがない。
絶望的なまでの力の差。横に凪ごうと、袈裟斬りに振るおうと、どんな体術もその歴然とした差は埋まらない。
「……諦めねばいつか必ず願いは叶うと、あるいは何かが奇跡のように起きると、そう考えているわけではありませんわよね?」
少女の目は『不憫』の二文字を象っていた。
だが一弥は笑う。そんな目で見られるのはもう慣れてしまった。
「奇跡なんて信じない。僕は僕の力で、願いを掴み取るだけだ!」
「想いだけで全てが上手く行くのなら、世界はどれほど綺麗だったでしょう。ですがそれは理想論ですわ。結局最後は力が全てなのです」
「それでも僕は――!」
「付き合いきれませんわね」
軽く手を振るう。放たれた光は佐祐理に放たれたものの数分の一以下だったが、一弥にそれを防ぐ術はなく、大きなダメージを受け容易く吹っ飛ばされてしまう。
「がはぁ……!」
「一弥さん!」
マリーシアのすぐ傍にまで転がった一弥は、どうにか身体を立たせようとするものの手にも足にも力が入らない。
もはや烙印血華を落とさぬよう握るだけで精一杯だった。
「やれやれ。お膳立てをする、というのも骨が折れますわ。……こうなっては仕方ありませんわね」
少女が近付いてくる。だがその視線は一弥ではなく、マリーシアに向けられていた。
「何を……する気だ」
「いくら待っても状況が推移しませんので、仕方ないと判断しました。……その少女を殺すことにします」
「「!?」」
「まさかとは思いますが……わたくしが人を殺せぬような偽善者だなんて勘違いはしていませんわよね?」
薄く笑う少女を見て確信する。本気だと。
一弥の見る限り、そもそもこの少女は人の命を手にかけることを何とも思わない類の人間だろう。
いま誰も死んでないのは何かしらの理由があるにせよ彼女の気紛れのようなものでしかない。
殺すと言えば容易く殺す。相対しているこの少女は、そういうタイプの人間だ。
だが身体は動かない。
シズクでの戦い、マリーシアとの戦い、そしてこの少女との戦い。一弥は間違いなく限界を超えていた。どう考えても彼の身体の許容量をオーバーしている連戦だ。
「想いだけでは誰かを守ることなど出来やしませんわ」
少女が手を掲げる。
「誰かを殺すのも、誰かを守るのも、誰かを倒すのも、誰かを救うのも……感情というものの必要性を無視はしませんわ。しかし結局最後は力なのです。
何をするにも力がなければ始まらず、力がなければ終われない。それは揺るぎなき世界の真理。正しき現実なのです」
だから、さぁ、と少女はそこでようやく一弥を見た。
「力を求めなさい。声を大にして叫び、そして欲するのです。あなたにはそれをする意味があり、そしてそれをする資格があるのですから」
「資格……だと?」
「わたくしは大嫌いな言葉ですが、人はそれを――『英雄』と呼ぶのでしょうね」
ドクン、と心臓が跳ねた。
首だけを動かしてマリーシアを見る。
怯えた表情のマリーシア。目も耳も機能せず、莫大な気配を持つ少女がこんなに近くにいて失神してしまってもおかしくないのに、それでも彼女は一弥の傍から離れなかった。
肩の袖をギュッと強い力で掴み、離そうとしない。
それは恐怖による怯えか?
違う。
それはきっと、一弥を守ろうとしているのだろう。
あぁ、くそ。
恰好がつかない。どうしようもなく不格好で、男として情けないことこの上ない。
だが、どれだけ不格好であろうとも、どんな醜態をさらそうとも、譲りたくないものがある。
マリーシア。
彼女を救いたい。彼女を守りたい。
「マリーシア」
「一弥……さん」
「僕が絶対に君を守るから。だから……僕に君の命を預けてくれるかい?」
答えは一瞬だった。
「もちろんです」
そうか、と。頷いた。頷いて、笑った。これほど心強い言葉などありはしない。だから、息を吸い、そして、
「何でも良い……。どんな力だって構わない……。僕に力を寄越せ……」
――それは何故?
――目の前の敵を倒すため?
「何を聞いてたんだ。そうじゃない。僕が力を手にする理由、それはたった一つ」
――それは?
「僕がこの子の英雄で在り続けるためだ!!」
――成程。
「フフッ」
少女が笑い、手に集った光を落とす。魔力の極光が迸り、その灼熱にマリーシア共々身を焼かれ、
――その気持ち、そして我が鍵の心の高鳴り、共に受け入れよう。であれば我が名を呼ぶが良い。そして謳いあげろ英雄の歌を。我が名は――。
「永遠神剣……『第四位・謳歌』――――――ッ!!」
振り落ちた白き極光は、七色の色彩に断ち切られた。
「フフ、ようやく出てきましたわね」
少女が後退する。だがそれを逃がさぬと言わんばかりに人影が躍り出た。
誰、などと問うまでもない。倉田一弥である。
だが先程までの彼と違うところがいくつかある。まず身体の傷が全て塞がっていること。そして彼の持つ烙印血華が七色の光を帯びていることだ。
「『謳歌』の一弥が命じる! 聖なる意思よ、七色の輝きを宿し断罪の武装となれ! 謳いあげろ、英雄の歌を!」
烙印血華が剣の形へと変化し、そして七色の光が刀身に集い研ぎ澄まされ、
「おおおお……プリズムアーツ!!」
七色のオーラフォトンが少女の魔力壁に激突した。
だが今回はそれで終わらない。七色に輝くオーラフォトンが激しい光を撒き散らしながら少女の魔力を徐々に切断していく。そして、
「いっ……けえええええええええええええええええええええええええええええ!!」
「!」
断ち切った。
初めて少女がその錫杖を防御に回し、一弥の一撃を受け止める。
鬩ぎ合う二つの力。そしてそれは――同質の力。
「フフフ、素晴らしい。まさか『第四位』でありながらこれだけの力を秘めているとは……薄々そうではないかと思っていましたが、これは予想以上ですわ」
ガキィン! と互いの武器を弾き合い、両者は揃って距離を取る。今度は一弥も追撃を仕掛けようとはしなかった。
そんな一弥と、そして彼が持つ烙印血華……いや、永遠神剣『第四位・謳歌』を見て、少女は満足そうに頷いた。
「武器としての形を捨て、人の心に身を隠すとはなかなか洒落た真似をしますわね」
武器としての形を持たない永遠神剣。それがこの『謳歌』。
永遠神剣という『力』そのものの塊として封印されていた存在が、一弥の持つ呪具・烙印血華に収まる形で具現化している。つまりはそういうわけだが、
「……お前はマリーシアの心の中に『謳歌』があるのを知っていたのか」
「正しくは『気付いた』ですわね。何せわたくしの永遠神剣は第二位。四位がどれだけ上手くその身を隠そうと見抜けぬわけがありませんわ」
「……何故僕にこれを抜かせた」
「言ったでしょう? あなたにその資格があった。いいえ、正確にはあなたにしかその資格がなかった。
いかにわたくしの神剣が第二位であろうとも、その娘の中から強引に取りだすことは出来ない。であれば誰か資格ある者に抜かせれば良かったのです。
まぁどんな神剣かまではさすがにわからなかったのでちょっとしたくじ引き気分でしたけど……これは大当りだったようですわね。あるいはそれも第一位の欠片か」
クスクスと笑いながら告げる少女の言葉の意味を、一弥はわからない。
だが彼女がここまで回りくどく、そして手を抜きながらも一弥に『謳歌』を抜かせたのは彼女にとっても意味のあることだった、ということだけは理解した。
「ともあれ、余興としては十分以上に満足しましたわ。わたくしがここであなたたち相手にちょっかいを出す理由ももうなくなったわけですが……そちら、どうします?」
「僕からこの神剣を奪うつもりはないのか?」
「ええ。いずれ必要になるかもしれませんが、それはまだまだずっと先の話。それまではあなたが得た力として使い振るえば良いでしょう。
あ、礼があれば聞きますわよ?」
「礼なんて言うつもりは毛頭ない。姉さんや仲間をボロボロにされたんだからな」
「あら残念ですわね。でもその神剣の力なら治療も容易でしょう。そっちの子も、手早く治してあげれば良いでしょう」
それだけ言うと、少女は無造作に背を見せ、この場から去ろうとする。一瞬背後から斬りつけてやろうかとも思ったが、第四位という高位永遠神剣を持ったからこそ理解出来る。あの少女の持つ永遠神剣・第二位というのは規格外のものなのだと。
本当にここでの用件は一弥に神剣を抜かせるためだけだったのだろう。さっきも言った通り感謝の気持ちなどないが、一つだけ聞いておかねばならない。
「去る前に教えろ」
「それが人に物を頼む態度とは思えませんが……まぁ気分が良いので応じましょう。何か?」
「お前は何者だ?」
「あぁ、そういえば言いそびれていましたわね」
ポン、と手を打った少女がゆっくりと振り返る。
どこまでも人を馬鹿にしような、それでいて尊大さを感じさせる圧倒的なまでの存在感を醸し出しつつ、少女は法衣の裾をふわりと持ちあげ、優美に一礼した。
「わたくしの名はテムオリン。法皇テムオリン。その神剣を持ち、そしてこれからの戦を生き抜いたなら……また戦場で会うこともあるでしょう」
「その時は敵同士か」
「言ったではありませんか。いまだって敵のようなものなのです。ただ後回しにしているだけのことですわ。ですからその時を楽しみにしています。
もっともっと強くなって……そしてわたくしの前に強敵として立ちはだかることを、願っていますわ」
そうして微笑みながら、少女――テムオリンは姿を消した。彼女がこの国に来た目的とやらを果たすために。
「……」
何をしでかすつもりなのかわからない。だがそれが決してこの国に取ってプラスにならないだろうとわかってはいたが、いまは追う気にはならなかった。
大きく一つ、息を吐く。そして烙印血華……否、『第四位・謳歌』となった己が武器を軽く持ちあげ、
「とりあえず……これからよろしく、ってことで良いのか『謳歌』」
――無論。我が鍵を守るために、我が力を己が力として振るうことを許可しよう。
随分と尊大な性格のようだ。にしても、
「我が鍵……っていうのはマリーシアのことか? それは一体どういう……」
――説明はいつでも出来る。が、それより先になすべきことがお主にはあるのではないか?
「確かに」
頷いて、一弥は振り返る。そしてマリーシアの近くで屈むと、その頬をそっと撫でた。
「『謳歌』、お前の治療術でこの封印も一緒に解除出来るか?」
――問題ない。やれ。
「ああ」
神剣に力を込め、治療の力を発動する。
すると七色の光が鱗粉のようにマリーシアに降り注ぎ、そして深く傷付けられた目や耳をみるみる治していく。
この力は『謳歌』の言うとおり状態異常系の効果も打ち消すようで、和樹が懸念していた罠のような力も発動せず、そして、
「あ……」
瞳に光を取り戻したマリーシアをようやく見ることが出来た。
「マリーシア。僕の声が聞こえる?」
こくん、と頷く。
「僕の姿が見える?」
こくこく、と二度頷く。そしてその瞳からは再び涙がこぼれ落ちた。
「また泣く。マリーシアは泣き虫だなぁ」
「だ、だって! ……わ、わた、し……怖かった、です。とても痛かったし辛かったし悲しかった……!」
「あぁ、わかってる。頑張った。マリーシアは頑張った。君のおかげで救われた命だってきっとたくさんあった」
「一弥さん、わた、私……!」
「……あぁ。もう大丈夫だ」
「う、……う、うあああああああああ!!」
わんわんと号泣し抱きついてくるマリーシアを一弥は再度しっかりと抱き返した。ポンポン、と背を叩きながら、言う。
「遅れてごめん」
ぶんぶんと首を横に振るマリーシアを見て、良かったと、素直に思うことが出来た。
「マリーシア。いろいろと話したいこととかあるけどさ……でもいまここは戦場だ。いろんなところで仲間たちが戦ってる。だから……」
「……ぐす、はい。わかって、ます」
本当はまだ心細いんだろう。しかしそれでも身体を離し涙を拭ったマリーシアの表情は、これまで一弥が見たことがないとても強いものだった。
「助けに行きましょう。今度こそ勝って、そしてカノンを取り戻しましょう」
「あぁ」
力強いと、そう思う。
だからまずは……姉たちの治療をして、そして皆の援護に向かわなくては。
まだ戦いは始まったばかりなのだから。
あとがき
どうも、神無月です。
母が亡くなったりといろいろバタバタしてて随分と間が開いてしまいました。まぁおかげさまで私もどうにか心境的に落ちついたと思います。
それでも時たま感傷入ったりしますが、それも人として生きていればいつかは誰も通る道ですものね。強く、そして自分らしくいこうと思います。
さて、それでは本編の話を。
まずは大方の予想通りでしょうか? ウォーターサマー側で唯一残っていた敵キャラ、シュンの相手は単身カノンに乗り込んできた往人でございます。
シュンの力はまだ未知数ですが、そんな彼相手に往人がどう戦うのか。乞うご期待です。
そして一弥たちVSマリーシアと見せかけてのまさかのテムオリン登場です。ちなみに彼女自身言っていたように今回のこれは『余興』なので後でもう一度出てきます。彼女が何をしにカノンに来たのか、そのうち明らかになります。
んでもって予告でもありました永遠神剣『第四位・謳歌』登場です。さてこれの所有者が一弥であると予想していた人が果たしてどれほどいるでしょうか。
こちらとしては実はカノン王国編から決まってたことだったりします。途中で設定変わった連中もいるけど、そういう意味じゃ一弥くんは真っ直ぐ進んでるなぁ。
そんなわけで、今後彼の出番は増えていく傾向になるかと思います(予定通りいけばね!)。
一弥ファンの方々……がいるかどうかはわかないけど、お楽しみに。
そして次回は水瀬親子の対決です。
ではでは。