神魔戦記 番外章

                  「新たな聖騎士」

 

 

 

 

 

 ……白。

 世界が白に包まれている。

 一面の雪景色。他には何も存在しない。

 どうして雪が止まぬのか。

 ……それは、怒りの印なのか。はたまた悲しみの涙なのか。

「……なんて、考えるのは滑稽か」

 自嘲するように息を吐き、少女は曇ったままの空を見つめる。

「終わってしまったことはもうどうしようもない。過去は過去だ。抗いようもない。……特に我々は」

 だが、と少女は自らの腕を握り締める。

「例えもうあの人たちではなかったとしても……それでも償うことが出来るのであれば、私は……」

 その先の言葉を、少女は紡がなかった。

 口を開き、言いそうになりながらも、続きは言葉にならなかった。

 誰が聞いているわけでもない。なのにその先を言えないのは……言ってしまえば、抑えていた気持ちが瓦解するとでも、思ったのだろうか?

「……本当に、滑稽だな。私は」

 再度その単語を自らに科し、少女――橘芽衣子は小さく微笑みながらゆっくりと踵を返した。

 さくさく、と雪を踏む音が耳を打つ。

 しかしその顔は……いまにも泣きだしそうでもあった。

 

 

 

「どっこいしょ! ……ふぅ」

 ドス、という重い音と共に水がなみなみ入った容器が雪に沈む。

 それを抱えていた青年はうー、とかあー、とか呻きながら肩をぐるぐると回して溜め息を吐いた。

「ったく、いつものこととはいえ……つぐみさんも人使い荒いよなぁ〜。水収集の呪具があるこのご時世に、わざわざ山まで水汲みに行けだなんて」

 文句と一緒に容器をトン、と蹴る。だが軽く蹴ったくらいで倒れるような重量でもなく、微々たる変化もありはしなかった。

 まぁそれも容器の大きさを見れば当然。どう考えても並の風呂場の浴槽くらいの大きさはある。

 いくら魔力で身体強化しているとはいえ、こんなものを山からこっち、ひたすら持って歩いてくれば疲れないわけがない。

 ただ、今日はいつにも増して疲労がきつい。どうにも身体が重いのだ。

 風邪でも引いたか、あるいはこれまでの疲労が積もりに積もった結果か……。

「俺も普通の神族みたいに長い時間空を飛べれば楽なんだろうけどなぁ……」

 そう言って青年は自分の背から生える白い翼を見る。

 神族特有の純白の翼。しかし彼の身長から考えて、その翼はあまりに小さかった。

 彼は別に空を飛べないわけではない。ただ翼が小さいせいか長時間の飛行が行えないのだ。

 いや、長時間なんて生温い。ぶっちゃけて言ってしまえば連続飛行時間はせいぜい五分、踏ん張っても十分という悲しいほどの短さであった。

 そんな彼がこんな大重量の水なんかを持って飛んだ日には、一分と持たず墜落するのが関の山だろう。

「これも人間族の血が混じってるせいなのかね〜」

 彼は純血の神族ではない。祖母に人間族を持つ、クォーターなのである。

 とはいえ別にそれを恨んだことは一度もない。いまの発言も愚痴というよりは「そうだったのかな?」という純粋な疑問である。

 ……スノウという国はこの世界で最も強く神族至上主義を主張する国である。その中では神族の血筋であるとはいえ、異種族の血が混じっていることは決して良くは見られない。

 彼もご多分に漏れずこれまでの人生でいろいろ辛い目にあっては来たが……それでも彼は祖母を恨んだりはしなかった。

 それは彼が通常より暢気で優しい性格である……ということもあったが、それ以上に祖母が好きだったからだ。

 だからかもしれない。彼がいま、こうしてこの場所で働いているのは。

「さて、と。あともうちょっとだし、休憩もこれくらいにしてとっとと運んじまうか」

 パン、と軽く顔を叩き気合を入れる。そしてもう一度容器を抱えようと地面に膝を下ろしたとき、その声が聞こえてきた。

「……ーん」

「ん?」

「か……ちゃーん」

「この間延びした声は……まさか?」

 徐々に大きくなってくる……というより近付いてくる声に彼は心当たりがある。

 後ろから迫ってくるその声に嫌な予感を覚えながら彼は振り返って、

「か〜な〜た〜……ちゃ――――んっ!」

 バッ!! と逆光を受けながら勢いよく飛び掛ってくる影を見た。そして彼の反応は素早かった。

 躊躇もせずに右に避けたのだ。

「えう?」

 影は突然前から消えた青年に首を傾げながら、

「えうー!?」

 止まれるわけもなく「ぼすっ!」と勢いよく雪積もる地面に埋まった。

 受け止めるという選択肢を最初から度外視したとしか思えない、迷いのない完全な回避だった。

「さてと」

 そして何事もなかったかのように容器を持ち上げとっとと歩く青年。雪に埋まってまるで動かない人物のことは完璧にスルーだった。

「えうー!!」

 どばっ!! と埋もれた雪を撒き散らしながら起き上がったのは、少女だった。

 白を基調とした服と帽子をした神族の少女。青年とは違い体躯相応の……いや、むしろ大きい翼をぶんぶん振り回して雪を払いながら少女は立ち上がった。

「酷いよ彼方ちゃん! 避けるなんて酷い〜!」

「おぉ、誰かと思えば澄乃だったのか」

 彼方と呼ばれた青年――出雲彼方は今気付いたとばかりに首だけを振り向かせ驚いたような表情を見せる。

 対して少女――雪月澄乃は「ぷー」と頬を膨らませ、腕を振り回しながら抗議する。

「えうー、澄乃だもーん! 澄乃だから受け止めてよ〜!」

「あぁ、すまない。暗殺者でも襲い掛かってきたのかと思って咄嗟にかわしてしまったんだ。恨むのならこの俺の超反応を恨んでくれ」

「えうー、彼方ちゃんに暗殺者なんて来るわけないよ〜!」

「わからんぞー? 実は俺には隠された能力があって、それが不意に覚醒することを恐れた誰かがだな――」

「でもでも! 彼方ちゃんはわたしが澄乃だってこと、わかってたもん〜!」

「いや気付かなかった」

「気付いてたも〜ん!」

 む、と彼方が動きを止める。

 澄乃の目尻に光るものがあった。

 泣きそうになっている。そろそろ潮時だった。

「わかったわかった、俺が悪かった。だからこの程度で泣くな」

「えぅ、泣いてなんかないもん」

「涙、溜まってるぞ?」

「えぅ、見間違いだもん〜」

 とか言いつつ袖でごしごし目尻を拭っている。澄乃からすれば証拠隠滅なのだろう。

 やれやれ、と苦笑しながら彼方は再び歩を進めた。それに気付いた澄乃が慌てて小走りに追いかけてくる。

「彼方ちゃんは時々凄くいじわるだよ……」

「そうか?」

「そうだよー。この前だってわたしのあんまん食べちゃうし……」

「まぁそれはともかく、俺に何か用か?」

 物凄い話題の逸らし方である。普通ならここまでの強引な話題転換に誰も引っかからないのだろうが、

「えう? 用がないと会いに来ちゃ駄目なの?」

 澄乃という少女はそれに引っかかってしまう稀有な存在だった。

 彼方はもちろんそのことを知っていた上で話題を変えたのだ。……まぁ、実際重要な話でもあるのだが。

「まぁあんまりよろしくはないな」

「なんで?」

「なんでって……あのな、澄乃。お前は分家筋とはいえ雪月王家の者なんだぞ?」

 駄目じゃない、と言ってやりたいのは山々だったがそうもいかないのが現実なのである。

 彼女、雪月澄乃はその姓の通り、このスノウを統治する雪月王家縁の者なのだから。

「そんなお前が、だ。俺みたいな半端者に会ってるとなれば王家も良い顔はしないだろ?」

 何か行事でもない限りは王城にも入れない分家筋ではあるが、それでも雪月の名は大きい。

 そんな彼女が、人の血が混じった男と仲が良いとなれば王家が良い顔をするわけがないだろう。

 彼方は我が身に被害が及ぶことを恐れているわけではない。雪月の中で澄乃が浮くことを案じて言っているのだ。

 ……だが、その当の本人は怒ったように頬を膨らませると、ぎゅーっと彼方の頬をつねった。

「いたたたたたた!?」

「えぅ! 彼方ちゃん、そういうこと言っちゃ嫌だよ!」

「いや、でもすみ――ってだからイタイイタイ!」

 澄乃は優しい女の子だ。

 神族至上主義に凝り固まった雪月の生まれでありながら、種族による差別を最も嫌う。

 いまも彼方が自らの事を『半端者』と称したことに怒り、こういった行動に出ているのだ。

 そういう澄乃だからこそ、厄介ごとに巻き込まれて欲しくないのだが……まぁ、仕方ないのかもな、と彼方は思う。

 だからこそ、澄乃なのだろうし。

「ごめんごめん、悪かったって」

「えぅー……もうそういうこと言っちゃ嫌だよ?」

「わかったわかった。もう言わないって」

「ホントに?」

「あぁ、本当に」

「……うん。なら許すよ〜」

 にっこり微笑む澄乃に、かなわないな、と彼方は笑った。

「でもでも、用がないわけじゃないんだよ?」

「ん? そうなのか?」

「えぅ〜。今日はわたしがお昼を持ってきたんだよ〜」

 ピクリ、と彼方の眉が顰められる。

「……まさかあんまんじゃないだろうな?」

「あんまんは命の源だよ?」

「小首傾げられてもあんまんは昼飯にはならんっ! このあんまんマニアめ!」

「えうー」

 この澄乃という少女。無類のあんまん好きなのである。それも黙っていれば朝昼晩三食全部あんまんでも笑顔で食べるほどの。

 正直、その感覚はわからない。

「あんまん、美味しいよ?」

「美味しくないとは言わないけどな。でも昼飯にはならん」

 えぅー、としょんぼりする澄乃。少し可哀相かとも思うが、ここで頷いてしまえば昼飯は本当に山と重ねられたあんまんになるのは必定なので何も言いはしない。

 これが正しい選択なのだ、と心の中で頷いた瞬間だ。

「かーなーたー!」

 いきなり頭上から彼方を呼ぶ声が聞こえたと思った瞬間、ズシンと腕に重みが増した。

 なんだ、と上を見れば、抱える容器の上に小柄な少女が乗りかかっていた。

 その少女は彼方にとって見知った相手であった。

「おかえりなのだ、彼方!」

「……旭、重い」

「む! ボクは重かったりしないのだー! それは彼方の勘違いなのだー!」

「ええいやかましい! ともかく降りろ!」

「ふみっ!?」

 容器を揺らし、少女をどかす。言うとおりそれほど重くなかったのか、ぽーんと少女は軽く吹っ飛んだ。

 しかし少女は空中で回転し体勢を立て直すと、綺麗に着地した。身軽な少女だ。

 だがその少女、日和川旭は眉を吊り上げて吼える。

「酷いのだ彼方ー!」

「そうだよ酷いよ彼方ちゃーん!」

「どうして澄乃までまた言ってくるんだ!?」

 あともう少しで仕事場まで辿り着くというのに、これではいっこうに先に進まない。

 彼方は疲れたように大きく溜め息を吐き、

「もう良い。俺は行くぞ」

「あ、待ってよ彼方ちゃーん」

「わ、置いていくななのだー!」

 でも結局パタパタとくっついてくる二人が可愛くて、苦笑いしてしまうのだった。

 

 

 

 出雲彼方は龍神村と呼ばれる場所の、「龍神天守閣」という温泉宿に勤めている。

 ここは内地の者というより、むしろ旅人や商人、あるいは傭兵といった面々に向けた宿である。

 基本的に神族至上主義であるスノウとはいえ、財政的に考えて旅人の落とす外貨を無視は出来ないのだ。

 よって人間族が立ち入りを禁じられているのは王都スノウだけであり、他の街や村は通行だけなら可能なのである。

 ……とはいえ、だ。スノウ王国はアザーズ大陸で最も北に位置する国だ。その中でもこの龍神村は最北端に近い。

 王都スノウは山を挟んで向かい側だし、ウインド王国やキャンバス王国に渡りたいのならまったくの逆方向ということもあってか、客の出入りは限りなく少ない。

 管理は彼方の従姉――こっちは純血の神族――である佐伯つぐみが行っているので詳しいことは知らないが、よく経営が成り立っているものだ、と感心する。

 ちなみに本日この宿に泊まっている客は三組。少ないように聞こえるかもしれないが、これでも日頃に比べれば十分大盛況である。

 ……まぁそのうち一組は行き倒れのところを助けたので厳密には『客』ではないのだが……。

「あー、終わったー!」

 というわけで、ようやく自分にあてがわれた部屋に戻り彼方は一仕事終えたとばかりに盛大に身を投げた。

 水は厨房近くの宿裏手に既に運んだ。基本的に彼方は客との接待ではなくこういった裏方の力仕事がメインだ。そういう観点で言えばもう半分以上の仕事は終わったと言っても過言ではなかった。

「お疲れ様だよ〜」

「お疲れ様なのだー」

「はいはい。ありがとう二人とも」

 大の字になって寝転ぶ彼方の左右に澄乃と旭がにこにこ顔で座っている。

 ……正直、圧迫感が凄くて出来ることならどっちかに寄って欲しいというのが本音なのだが、疲れてそれさえ言う気にならなかった。

「ねぇ彼方ちゃん」

 澄乃がやっぱりにこにこ顔で呼ぶ。

 なんか無性に嫌な予感を彼方は覚えた。

「……なんだ?」

「お仕事はもう終わり?」

「まぁとりあえずはな」

「だったら――」

「だったら遊びに行くのだー!」

 いきなりガバーッ! と旭が抱きついてきた。

 いや、飛び掛ってきたのでボディプレスと表現した方が良いかもしれない。彼方は油断していてモロに腹を直撃し、うぇ、と漏らした。

 そうして咳き込みながら、

「ちょ、ちょっと待て! 俺は疲れてるんだ! もう少し休憩させてくれ……!」

 だがそれを拒否する言葉は澄乃でもなく旭でもなく別のところからやって来た。

「遊ぶのじゃー! かーなーたー!」

「ええい、今日はどいつもこいつも大声で俺を呼びやがって! 何かのいやがらせか!」

 スパーン! と勢いよく開かれた襖の奥から、旭よりももっと小柄な一人の少女が現れた。

 おそらく立ち上がれば彼方の腰くらいまでしかないだろう。まさに子供、という背をした桃色の髪の少女は、何故か怒髪天を衝くような形相で駆け寄ってくると、

「とう!」

 旭の上から彼方にダイブした。

「うぉ!?」

「ふみー!?」

「ちょ、桜花! マジ重い……!」

「そなたが悪いのじゃ! わらわを置いて一人で出かけるから!」

「だからそういう仕事なのこれは!」

 ジタバタと二人の上でもがく少女は名を若生桜花という。

 見た目どおりの子供なのだが、どういうわけか家もなく一人で暮らしていたので見かねた彼方たちがこの宿で預かっているのだ。

「遊ぶのじゃ遊ぶのじゃ、わらわも遊ぶのじゃー!」

 お転婆っぷりでは旭さえ凌ぎ、手に余るのだが……不思議とそれが苦痛ではないのは何故だろうか。

 まるで自分の子供のような、そんな錯覚さえ覚えてしまう。

 ほとほと甘いなぁ。自分でそう思いながら、

「それじゃあどこかに遊びに行くか」

 結局根負けしたように、そう呟いていた。

 三人の少女の笑顔を見て、まぁ仕方ないよな、と諦めた。

 

 

 

 外に出よう、ということになって四人で宿の廊下を歩く。

 土地が有り余ってるせいか、客足の少ない宿にしては結構な大きさであり、この先を曲がれば大きな庭に出る。

 まぁその庭も草や伸び続けた木であまり綺麗ではないのだが。

 どうしても万年雪が積もっているのでどうにかしようという気にならないのだ。そのうち手入れはしようと思っているのだが……。

「わ、彼方ちゃん。見て見て」

「ん? おぉ!?」

 澄乃の指差す先を見て、彼方は思わず我が目を疑った。

 庭が……綺麗になっている。

 ひたすらに伸びていた枝なども切り揃えられ、昨日までとはまるで別の光景のように目の前に広がっていた。

 しかし、誰がこんなことをしたのだろう? 断言するがつぐみは決してこのような作業はしないはずだ。

「あ、出雲さん」

 答えは、意外な人物からやって来た。

 声のした方向に視線を向ければ、庭の隅で作業をしている人物を発見した。それは、

「妖夢さん?」

「こんにちは」

「これ、全部妖夢さんが……?」

「ええ。一宿一飯のご恩もありますしこの程度のことはしないと。そもそも私庭師ですし」

 魂魄妖夢。彼女はそういう名前らしい。

 彼方が数日前に行き倒れているところを発見した二人組の一人だ。

 芽衣子に診せた後、単なる空腹と判断された二人に飯と宿を提供したのはある意味当然の成り行きと言えるだろう。つぐみも快諾してくれた。

 それから数日、順調に回復はしていたがまさかここまでしてくれるとは思わなかった。

「ありがとう。ホント、助かるよ」

「いえいえ。助けてもらったのはこっちですから。それと、私のことは妖夢で良いですよ」

「じゃあ俺も彼方で良いよ」

「わかりました。では彼方さんと」

 にこりと微笑む妖夢。静かに笑う、というタイプは彼方の周囲にいなかったせいか、妙に見惚れてしまった。

 で、いきなり澄乃につねられ旭に横腹を殴られ桜花に尻を蹴りつけられた。

「俺が何をした!?」

「「「ふん!」」」

 そんな彼方たちを見て妖夢が笑う。

「で……あなたも何かした方が良いのでは?」

 妖夢が視線を向けたのは、庭に面した一室だ。障子戸の開いた先、一人の少女がコタツに足を入れテーブルにぐてーっと身を投げ出していた。

 紫の髪と胡乱気な眼をした少女……妖夢と同じく行き倒れていた一人、パチュリー=ノーレッジは読んでいた本から全く視線を動かさずに答える。

「寒いのは苦手なのよ」

「……これだから引きこもりは」

「私は知識担当。あなたは労働担当。人それぞれよ。頑張ってね、小間使い」

「私は小間使いじゃない!」

 今度はこっちが笑う番だった。

「それじゃ、俺たちは行くよ」

「あ、はい。また」

 恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる妖夢に別れを告げ、廊下を進む。

 澄乃はともかく旭や桜花の「まだ遊びに行かないのか」的な黒い視線にいよいよ耐えられなくなってきたからだ。

 しかし、こういうときに限って思い通りに進まないのが世の常である。

「あ、これからおでかけッスか?」

「え?」

 気付けば、正面に二人組の少女たちが立っていた。どうやら温泉に入ってきたところのようで、浴衣を着ていた。

 その二人はいまこの宿に泊まっている三組のうちの一組だ。名前は確か……、

「吉岡チエッス! 『よっち』って呼んで欲しいッス!」

「……山田ミチルだ。仲の良い人は『ちゃる』と呼ぶ。よろしく、出雲さん」

「え?」

「やー出雲さん、なんか視線が宙を彷徨ってたッスから。あたしたちの名前忘れてるんじゃないかー、って」

「……正解だったみたいだけど」

「あ、あはは……ごめんね」

「気にしてないッスよ♪」

 にこやかに言うチエ――もとい、よっち。天真爛漫を人にしたらこうなるんじゃないか、ってくらいの元気な少女である。

 その隣にいるミチル……ちゃるは正反対の物静かなタイプのようだが決して無口というわけではない。単純に大人しいだけなのだろう。

 彼女らはトゥ・ハート王国から転々といろいろな国を渡り歩く傭兵なのだという。

 スノウには依頼を受けに来たというより骨休めに来たと言っていた。まぁスノウ王国で人間族や獣人族が雇われることなどまずないから当然といえば当然だろう。

 それにしても……と彼方は二人を見やる。

 温泉帰りのせいか妙に色っぽい。二人は客観的に見ても可愛い女の子だし、特によっちは巨乳と言って差し支えない胸をお持ちの人だ。

 浴衣からほんの少し覗くその谷間に思わず視線が行ってしまう。

「やるな、よっち。出雲さんをそのおっぱいで釘付けだ」

「え!? あ、いや!?」

「えー、いやッスよ〜出雲さんったらー」

 全然恥ずかしくなさそうに笑顔でパンパンと彼方の腕を叩くよっち。どうやらこういった視線などには慣れっこのようだ。

 怒られずにすんで一安心、と胸を撫で下ろして、

「それじゃああたしたちは部屋に戻るッスね、出雲さん。頑張ってくださいッス!」

「うん。後ろの子たちはとてもご機嫌斜め。……早急に対処した方が良い」

「……え?」

 では、と横を通り過ぎていくよっちとちゃる。……だが彼方はその背を見送ることは出来なかった。

 本能が告げているのだ。振り向くな。振り向いたらそこに鬼がいる、と。

「そ、それじゃあ遊びに行くかー!」

 誤魔化すように大声で言ってみたが、それで誤魔化せるほど世界は甘くない。

 とりあえず三分間ボコボコに殴られた。

 

 

 

「す、凄く痛いです……」

 ようやく宿の外に出てきた彼方一行。

 外は寒いのに身体は妙に熱かった。主に痛みで。

「ふん、だ。大きなおっぱいが大好きな彼方ちゃんが悪いんだよっ!」

「だからそれは違うんだって! こう、悲しい男の習性というかなんというかだな……」

「えぅ……。わ、わたしだってそのうち……」

 と、自分の胸を触り呟く澄乃。

「え、なんか言ったか澄乃?」

「えぅっ!? な、ななな、なんでもないよ〜!?」

 わたわたと手を振る澄乃。その顔がどことなく赤いのは気のせいだろうか……?

「そんなことよりとっとと遊びに行くのだー!」

「そうじゃそうじゃー!」

 だが澄乃に何かを言う前に両手をそれぞれ旭と桜花に引っ張られた。この二人のご機嫌もまだ直ったとは言いづらい。

「わかったわかった」

 こりゃ相当こき使われるなぁ、なんて思いながら引っ張られるがままに足を踏み出したのだが、

「?」

 不意に旭と桜花の歩が止まった。どうしたのだろう、と視線を前に向けて……その意味を悟った。

 そこに、まるでこちらの進路を阻むかのように十人程度の男たちが立っていたのだ。

 だが神族ではない。気配は人間族のそれだ。

 いや、気配を感じ取らずともこの人物たちの正体はすぐにわかっただろう。その服装を見ればわからない者たちなどいまい。

 だが、意図はわからない。その彼らがどうしてこんな辺鄙な村に足を運んだのだろうか?

「何か用ですか?」

 単刀直入に訊ねた。するとそのうちの一人が二歩ほど前に出て、小さく会釈をしてきた。

「お初にお目にかかる。貴方が出雲彼方様でよろしいですかな?」

「え、あ、はい。そうですけど……?」

 顔を上げた初老の男は、厳かな声で告げた。

「我々は貴方を迎えに来たのです」

「俺を……? どういうことですか?」

 まるで意味がわからない。

 唯一スノウ王国の中において住むこと許された人間族である彼らだが、その性質上神族と関わることは滅多にないはずなのに。

 だが彼らは、彼方の予想外の言葉を口にする。

「我ら……氷の正教会の神官一同が我らが仰ぐ神“氷の神(ザイファ)”に代わり告げます」

 氷の正教会の神官衣を纏った全ての者が頭を垂らし、

「出雲彼方様。――貴方を新たな氷の聖騎士として迎える事を」

「……は?」

 間の抜けた言葉が口から漏れた。

 当たり前だ。言っている意味がわからない。

 新たな聖騎士が現れるということは、即ちどこかで以前の聖騎士が死んだということなのだろう。別にそれは良い。

 だが属性神とは人間族に力を与えた存在だ。別の神の系譜たる神族にはなんら関係のない話のはず。

 それが、だ。いくら人間族の血を少し引いているとはいえ――龍神の系譜の彼方が、“氷の神(ザイファ)”の聖騎士?

 ありえないにもほどがある。

「我々も初めてのケースで驚いておりますよ、聖騎士殿」

 当惑する彼方に、代表らしきその初老の男が言う。

「まさか……純血の人間族以外の者が聖騎士になろうとは」

「ま、間違いってことは……?」

「身体が熱く、そして重くはありませんか? 新たな力が宿る証として、そういった現象が見られるはずですが」

 ハッとする。

 疲労が溜まっただけと思い込んでいた体の重み。

 さっき澄乃たちに殴られたからと思い込んでいた体の熱。

 まさか、これら全てが……?

 彼方はそっと手を掲げた。確かに、いままで感じたことのない『何か』が身体の中にあるような気がする。

 そっと、その『何か』を使ってみる。

 すると、魔力を利用せずいきなり手の平に氷の結晶が出現した。

 マナから魔力を介さずの直接具現化。間違いない、この力は……。

「聖騎士の、力……」

「彼方ちゃん……」

 澄乃の心配そうな声に、彼方は言葉を返すことが出来なかった。

 望むと望まざるとに関わらず、聖騎士というのは誕生する。

 世界に六人。例え息絶えたとしてもその瞬間に新たな該当者が現れる、決して空くことのない聖騎士という名の六つの椅子。

 そこにいま、史上初の――神族でありながら聖騎士となった一人の男が、自らの意志とは別に座ることになる。

 出雲彼方。

 それが新たな氷の聖騎士の名であった。

 

 

 

 気配を『隠者』の力で消しながら、芽衣子はその光景を眺めていた。

 ここに来た目的は大したことではない。澄乃や彼方とまた話をするなり遊ぶなりしようと思っていただけだ。

 この場面に出くわしたのは、ただの偶然でしかない。

 ならば何故わざわざ気配を消して盗み見るようなことをしているのか。

 咄嗟の、反射染みた行動で、自分でもよく意味はわからないが……おそらく、笑うしかなかったからだろう。

「彼方さんが聖騎士……?」

 フッと芽衣子は口元を吊り上げ、

「まったく……。どこまでも神に好かれやすい方だな」

 皮肉げに呟いて、その場を後にした。

 胸中は……どこまでも複雑だった。

 

 

 

 新たな氷の聖騎士に出雲彼方が選ばれた。

 その報はすぐにスノウ王家にも伝えられた。

「……そうか」

 スノウの国王はその報せを聞き、苦虫を潰したような表情で呟いた。

「また出雲彼方、か。……まったく、どこまでも目障りな男だ」

 本人は決して知らないが、彼方は秘密裏にスノウ王家にマークされていた。

 彼には王家にとって邪魔である複数の要因があるからだ。

 まず一つ。彼が持つ聖剣『菊花』は龍神を起源とするスノウの神族において絶大な力を誇るということ。

 二つ目。直系王家より巨大な力を持って生まれた分家筋の澄乃と仲が良いということ。

 三つ目。彼が人間族の血を宿しており、しかもその人間族がかの有名なあの家系(、、、、)の人間であること。

 それだけでも面倒だというのに、今度は氷の聖騎士と来た。

 ……もはやこれだけの要因が揃って、何も対処せずにはいられない。

 これまではある人物(、、、、)に手を出すなと釘を刺されていたが、もうこれ以上放置はしておけなかった。

「腹の中にある毒は、早いうちに取り除かなくてはなるまい」

 王は手を叩き、一人の者を呼び寄せた。

 やって来たのは一人の少女だった。神族ではない。人間族でもない。この場にそぐわぬ気配の持ち主。それは――魔族の気配。

「出雲彼方と雪月澄乃――両名と、またそれに関わった人物を全て殺せ。委細は全てお前に任せる」

「御意」

 恭しく頷いた少女は、立ち上がり踵を返す。

「うむ。期待しておるぞ……」

 その背に、王は嘲笑を覗かせながら告げた。

「巳間晴香」

 少女――晴香はそれには何も答えずにその場を後にした。

 

 

 

 あとがき

 ってなわけで、どうも神無月です。

 番外章、三回も順序入れ替わってすいません。やっぱ聖騎士絡んでるしこっちの方が話し先かなぁ、と思って先に書いてしまいました。

 さて、今回いろんな人が登場しましたね。予想外の登場人物も多かったのではないでしょうか?

 スノウは全世界編で最も活発に動く国になるかと思われます。スノウ王国の動向に注目していてください。

 ではまた〜。

 

 

 

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