神魔戦記 第百六十九章

                        「抗戦。なれど……」

 

 

 

 

 

 ――08:13――

 

「こっからは私、霧雨魔理沙が相手をしてやるぜ!」

 その少女の宣言に、戦場の空気は一変した。

 美汐以外のカノン兵は既にやられ、その美汐も満身創痍。宏と水夏の二人なら、数分の間に決着が着いたことだろう。

 だがそこに、どちらの陣営においても予想外の人物が現れる。

 霧雨魔理沙と鈴仙・優曇華院・イナバ。先頃カノンから出て行ったはずの異世界人。それがカノンに助力してくれるという。

 そのこと自体は喜ぶべきことで、事実美汐も二人がいなければ先程の水夏の一撃で絶命していただろう。

 だが……。

「……もうお気付きとは思いますが、あの相手は共に相当の実力者。命を賭けなければいけない相手です。カノンとはほとんど縁もないあなた方がそれだけのことをする必要性はないのでは?」

「知った顔が死んじまうってのは、それだけで悲しいもんだぜ。それを回避する術があるなら、何とかしようってのが人情じゃないか?」

 あっけらかんとそう応えたのは魔理沙だ。彼女は水夏たちに注意を配りながらも、わずかに美汐を振り返り、

「ま、そこでジッとしてろよ。要はあいつらを倒しちまえばハッピーエンドなんだろ?」

「……出来ると言うのですか?」

「出来なくても出来るって言うのが私のポリシーだぜ」

 自信満々に親指を立てる魔理沙に、美汐に肩を貸している鈴仙がはぁ、と溜め息を吐く。

「……魔理沙。それは自分がいい加減な性格です、って言ってるようなものなんだけど」

「まぁまぁ気にするな。お前は私のサポートをしてくれ。お前こそカノンに肩入れする必要はないだろ?」

「ちょっと、舐めないでよね。私は人間じゃないけど、それでも一宿一飯の恩義には報いるわよ。私も戦うわ」

「へぇ。んじゃまぁ期待させてもらおうかな」

「期待してちょうだい。……一人で立てる?」

「え、えぇ、大丈夫です」

 鈴仙に手を離され、よろめきながらも美汐は自分の足で立つ。

 宏から少し離れたせいか、魔力の吸収速度が随分と落ちた。これなら回復速度と同等くらいだ。どうにか立ち回ることも可能だろう。

 一息吐き、緩んだ心を引き締め直しながら、美汐は二人に向けて口を開く。

「勝てるなら勝てるに越したことはありませんが、最低限一時間……いえ、三十分でも時間を稼げれば構いません」

「まぁ時間稼ぎってんなら私の得意分野だけど……どうする魔理沙?」

「んなまどろっこしいことしてられないぜ。それに、時間を稼ごうなんて戦い方は結局保守的になってやられるのがオチだ」

「うぐ……」

 何故か鈴仙が呻いた。

「やっぱ最初から勝つ! くらいの意気込みでやらなくちゃ意味はない。というわけで勝利条件はあの二人を倒すことだ」

「はいはい。じゃあそうしましょう。えーと……」

 魔理沙の言葉に頷いた鈴仙が、美汐に視線を向けて何かを言いよどむ。聡い美汐はそれが名前のことだろうとすぐに察した。

「私は天野美汐です。現在は暫定的にカノンの総指揮官をしています」

「そ。私は鈴仙・優曇華院・イナバ。鈴仙って呼んで。で、天野。あなたはまだ戦える?」

「問題ありません――と言いたいところですが、完全ではありません。申し訳ありませんが、サポート程度しか出来ないかと」

「いえ、問題ないわ。自分で自分の状況をきちんと把握出来ている人の方が肩を並べる上では動きやすいものよ。特に軍隊ではね」

「軍隊経験が?」

「あー……まぁその話はまたいずれ。それよりほら、敵の方、痺れを切らしてきたみたいよ?」

 鈴仙が指差す方向を見れば、魔理沙たちの登場に警戒していた宏たちが攻撃の姿勢に移ろうとしているところだった。

「あの二人……」

 宏はその二人を見たことがあった。そう、あのダ・カーポ侵攻戦の最後の時だ。

 ことり女王と一緒にいた連中の二人だったと思う。とすればそれは、あの写真の事実であった何よりの証拠だろう。

 その宏が、魔理沙と、そして鈴仙へ順に視線を向ける。

「……無駄だと思うが一応言っておく。おれたちは無駄な殺生をしない。引き下がってくれるなら、手は出さないが……どうだ?」

「その台詞、そのまま返すぜ」

「……そうか。二度目はないからな」

 嘆息し、宏は片手を上げ……そして振り下ろした。

「新たな邪魔者も……消し飛ばせタケミカヅチ!!」

 宏の号令に応じるように、タケミカヅチから圧倒的な雷の放流が魔理沙たち目掛けて放たれる。

 だが次の瞬間、三人はあっさりという言葉が相応しいほどの挙動で回避を成し遂げた。

「なに!?」

 雷属性は従来の属性の中では最速を誇る。しかもその力はタケミカヅチという神獣によって強化されたものだ。

 美汐は空間跳躍の使い手。元々回避能力に関してはカノン軍でもトップクラスだが、それと同じレベルで対処出来るとは、美汐自身も驚いた。

 彼らは知らない。彼女たちの住む世界においては、この程度の攻撃速度は日常茶飯事的に応酬されるものだということを。

「んじゃまぁ、行きますか」

 屋根から跳躍した魔理沙は、片手に持つ箒に空中で跨り、空中で一気に加速した。

 そのまま宏に向かって突っ込んでいく。

 だが宏は回避行動を取らない。自分には結界師としての強固な防御があるし、何より近付けば近付くほど不利なのは相手なのだ。

 魔力吸収能力があればそれはまさしく死地に自ら赴くようなもの――、

「な、んだ……?!」

 ――の、はずなのに、魔力吸収能力が上手く働かない。

 宏は妹のちとせと違い、昔からこの能力のコントロールは上手かった。これまでだって自分が狙った相手からしか吸収はせず、逆を言えば狙った相手には魔力吸収で失敗したことはなかった。

 だが、この時宏は初めて吸収に失敗していた。

 能力の矛先は間違いなく二人に向けられている。長年、それこそ生まれてからずっと使い続けた能力。間違うはずがない。

 そう、おかしいのはコントロールではなく……相手側、この突然現れた二人の方だ。何かがあって、能力が上手く動作していない。

 ――混乱する宏には知る由もないことだが、二人から魔力を吸収で出来ない原因というのはひとえに『魔力』の違いだった。

 宏たち『魔力吸収』能力者はほぼ無自覚にこの世界の『魔力』というものを識別して、それを吸収している。

 だが異世界からやって来た魔理沙たちは、似てこそすれ、この世界とは違う『魔力』を持つ存在だ。

 つまり種類が違うのだ。『魔力吸収』能力そのものが、魔理沙たちの『魔力』を『魔力』と認識出来ていない。

 故に吸収が出来ない。そして仮に吸収出来たところで、質の違う魔力を身体に取り込めば不調をきたすのはほぼ間違いなかった。

 だからこそ吸収出来ない。どれだけ近付かれようと、意識を向けようと、これまで宏の力として他を圧倒してきた一つの能力が、この二人には一切通用しないという事実がそこにはあった。

 そしてその混乱は――速度が支配するこの戦場においては、あまりに致命的な隙だった。

「宏くん!!」

「!?」

 水夏の声にようやく我に返った宏だが、魔理沙は既にショートレンジに入ってきている。

「速い……! だが!」

 宏は即座に結界を組んだ。どれだけ相手が速かろうと、攻撃が届かなければ意味がない。これまで彼を彼たらしめた三重の戦術だ。

 例えその一つが無効化されたとしても、未だその鉄壁の戦術は崩れない。

「防御が自慢かい? 悪いが、なら私との相性は良くないな」

 魔理沙が口元を釣り上げ、そして符を取り出し、宣言する。

彗星『ブレイジングスター』!!」

 突如強力な魔力を纏った魔理沙の突撃。宏の防御結界がその力を阻むが、

「ぐ、ぅ……!」

 宏は激突した瞬間に察した。このままじゃ数秒と持たずに突破されると。

 宏は魔理沙を見知ってはいたが、ダ・カーポのときは風子の独断攻撃によって距離を離さざるを得ず、誰がどんな能力を持っているかは知らなかった。

 だがこの一撃を見て悟る。あの時、ことり女王の一行が空間跳躍で逃げる間際に放たれた尋常ならざる魔力の極光。

 あれを放った者こそが、この人物であると。

「タケミカヅチ!!」

 結界に魔力を上乗せしてもおそらく時間稼ぎしか出来ない。そう判断した宏はタケミカヅチを呼び戻し、背後から魔理沙を攻撃させようとする。

 しかし、

「させません!」

 空間跳躍で躍り出た美汐の一撃が、タケミカヅチの腹へ突き刺さった。

 速度に定評のある雷属性の神獣とはいえ、超短距離においては空間跳躍は速度という壁を突破する。

 美汐以外ならタケミカヅチの独断でも回避できただろうが、指揮者たる宏がこの状況で空間跳躍による攻撃を防げと命令するのは無理があろう。

 とはいえ、秋子が示した通り美汐の弱点は攻撃力不足。この程度でタケミカヅチがどうこうなるはずもない。

 だがそれで良いのだ。美汐がしたかったのは時間稼ぎ。そしてタケミカヅチの動きが止まったその一瞬が、勝敗を決する。

「ぶち抜くぜ!!」

 その通りになった。

 魔力を纏った魔理沙の突撃に耐え切れず宏の結界は破砕され、その直撃を受けた。

「ぐあぁぁ!?」 

 高速で突っ切る魔理沙に大きく跳ね飛ばされた宏は、そのまま地面を何度もバウンドし、民家に激突し、その壁を突き破ったところでようやく動きを止めた。

「宏くん!?」

 水夏は宏の声で、ようやく宏が結界を突き破られたのだと理解した。

 ……何故なら彼女には見えていない。

 宏に魔理沙が突っ込んだところまでは見えていたが、それ以降はまるで透明になったかのように宏たちの姿を視認出来ない。気配さえもあやふやなのだ。

 無論、そんなことが出来るのはこの場においてただ一人。

「あなたの波長は狂わせた。悪いけど、邪魔はさせないわ」

 鈴仙・優曇華院・イナバの瞳が怪しく輝く。

 狂気の瞳に見据えられたが最後。五感どころか気配感知さえ意味を失う。

 あの風子にさえ効いた能力を、水夏が看破出来ようはずもない。

 ……そう、水夏は。

「お嬢。こやつら、相当の実力者だ。加減していて勝てる相手ではない。このままではあやつも……」

「わかってる! ……出来ることならこんなことしたくなかったけど、仕方ない」

「では――」

「うん。アルキメデス。一緒に戦おう。ここから先は、全力だよ」

「承った。ならば我が力、存分に振るって見せようぞ」

 水夏が胸に抱く黒猫の人形。その瞳が――真っ直ぐ鈴仙を見た。

「まず何よりも貴様が邪魔だな。失せよ!」

「なっ――!?」

 アルキメデスの目が光った。そう感じた瞬間、鈴仙は白き閃光に飲み込まれて、一気に吹っ飛ばされた。

「くっ……!」

 直撃、ではない。光った瞬間に鈴仙は結界を展開しつつ射線を読んで回避行動に移っていた。

 しかし予想以上の速度と破壊力に、結界は容易く破壊され、回避自体も遅れていた。その結果、鈴仙の左腕が炎に炙られたように真っ黒に染まった。

「っ……狂気の瞳が効いてない? いや、そもそもあの人形みたいなやつに視覚があるかどうかも定かじゃないか……!」

 狂気の瞳はこの世界で言うところの魔眼のそれに近い。相手がこちらの瞳を見ることで効果を発揮する石化や魅了の魔眼と同タイプのものだ。

 これらの場合最も最悪なケースは相手が『視覚を持たない』場合だ。そういう相手には魔眼の効果はほぼないに等しい。

 とはいえ、本来であれば視覚のない相手など戦闘では有利なことこの上ないのだが、世界には盲目でありながらも第一線で活躍するみさきのような存在もいる。そう安心出来るものではない。

 そしてアルキメデスもまたそういった相手だった。いや、むしろあれが本当に人形であるのならば、視覚というものそのものがないに違いない。

 とすれば、鈴仙にとっては面倒な相手だ。とはいえ、

「この瞳だけが私の力ではないけどね!」

 無事だった手で銃を構える。例えアルキメデスに狂気が通じなくても、その主たる水夏には効果を発揮している。ならばすべきことはただ一つ。

「さっさとあなたを倒してしまえば終わりということよ! ――幻惑『花冠視線( クラウンヴィジョン)!」

 スペルカードの発動。

 この世界に来た当時はマナの不一致によって上手く発動しなかった彼女たちの切り札は、ようやく使用可能になりつつあった。 

 とはいえまだ万全ではない。先程の魔理沙とて、従来の力を発揮できていればあそこまで拮抗もせずに結界を破砕していたに違いない。

 そして鈴仙もまた同様。スペルカード発動時の負担が軽い。それはつまり威力も弾幕も常のそれより劣ることと同義。

 しかしこの世界ではあまりない攻撃方法のうえ、鈴仙の狂気つき。並の者では対処出来るものではない。

 ……あくまで並の者ならば、だが。

「お嬢! 数多の攻撃が迫ってくるぞ。結界を貼るか?」

「ううん。そのまま素通しで。ボクなら大丈夫だから」

 断言する水夏には鈴仙が見えていない。気配も感じとれてない。

 だがそれでも戦う術がないわけではない。彼女には彼女なりの戦い方があるのだ。

 目を瞑る。いらぬ情報を与える五感も全て意識から外す。ただの暗闇の中で、意識だけを引き伸ばす。

 鈴仙が放った弾幕が水夏に殺到する寸前――、

「――見つけた」

 黒色に輝くギメッシュナーの鎌が振るわれ、漆黒の斬撃となって空を斬る。

 その斬撃は弾幕を切り裂き、突き進む。その直線上には驚愕の表情を浮かべる鈴仙がいて――、

「危ない!」

 その一閃が鈴仙を断ち切る寸前、空間跳躍で現れた美汐に助けられ、更に遠方に跳躍して事なきを得た。

「気をつけてください。彼女もまたウォーターサマーの最精鋭なのですから」

「え、えぇ、ごめんなさい。正直助かったわ。でもどうして私の居場所が……」

「恐らくは攻撃の機を読んだのでしょう。あなたの攻撃が来る方向、そこに必ずあなたがいると考えて」

 美汐の言うとおりだった。

 五感は消えたが、水夏には蓄積してきた戦闘経験というものがある。

 どのタイミングで、相手がどう攻撃してくるのか。さすがに戦闘予測と言えるほどの領域ではないが、どういう立ち居振る舞いをすれば相手がどのような心理からどの方向から攻撃してくるかをある程度絞ることくらいは出来る。

 その上で水夏は鈴仙に攻撃をさせた。視覚が、方向感覚が崩れていようとも、実際に感じる敵意と、攻撃という実体を感じ取れれば、それで敵の動きは掴める。

「……外した、かな」

 無論、いまだ狂気の瞳に捕らわれている水夏には自分の放った斬撃の結果はわからない。とはいえ、

「うむ。あの空間跳躍を使う少女によってかわされてしまったよ」

 アルキメデスはその結果がきちんと見えていた。

 人形であり、その目には目としての機能がないにも関わらず、では彼はどのようにして視覚情報を得ているというのだろうか?

「そっか。即席にしては随分バランスの取れたパーティーだね。……宏くんのことも心配だし、ここは手早く決めちゃおうか」

「お嬢がそう決めたのなら我輩は何も言わぬ。存分にやると良い」

「うん」

 刹那、水夏の気配の密度が大きく膨れ上がった。

「これは……」

 思わず美汐が呻く。

 実感したのだ。これだけの圧力を持つ気配の持ち主ならば、先程までの戦いなどほんの遊び程度のものだったに違いないと。

 それだけ先程と桁が違う。そのプレッシャーの上昇は、どこか祐一の『覚醒』にも近いものを感じさせる。

「ギメッシュナー。……第三形態の第二に移行」

Ok. Standby

 第三形態の第二。火力重視の形態への変形から、水夏のやろうとしていることはもはや明らかだった。

「視界も気配探知も効かないなら……周囲一帯根こそぎ攻撃すれば良い。アルキメデス。宏くんの防御だけお願い」

「心得た」

 ゴゴゴ、と地鳴りが響き渡る。

 地震が起きたわけではない。水夏の昂る魔力に大地が悲鳴を上げているのだ。

 濃密な闇が水夏の身から立ち上る。巨大過ぎる魔力が身体から漏れだすのはよく見る光景だが、水夏のそれはあまりに『濃』すぎる。

 美汐は魔族。そしてカノン軍にも多くの魔族が存在するが、あれだけ濃密な『闇』は滅多にない。

 危険だ。魔力もそうだが、あの闇を受けてはいけない。本能で美汐はそう悟った。

「二人とも、私の傍に!」

 まだ時間を稼ぎ始めて十分そこそこしか経っていない。

 魔理沙も鈴仙もその言葉にすぐさま応じた。二人も嫌な予感を感じ取ったのだろう。

 すぐさま水夏から距離を離し美汐の元へ駆け寄る。

 一瞬だけ、ここから逃げることに躊躇を感じた。時間を稼ぎ始めて、まだそんなに経っていない。目標の時間まではまだ随分とある。

 カノン兵の多くの命を賭して、それでもここまでしか出来ない自分の無力さが恨めしいが、その悔いはいまは放り捨てる。

「早く!!」

 魔理沙、鈴仙の両名が美汐の元へ辿り着いた。

「私の身体のどこかに触れていてください。それで私の空間跳躍でここから離脱します!」

「良いのか? 時間稼げてないが……」

「良くはありません。が――」

 一度区切り、そして二人と一瞬だけ顔を合わせてから、

「……あなたたちはここで死ぬべき人ではない。そう思っただけです」

 直感と言えばそれだけだ。

 何となく。何となくこの二人は……遠からぬうちに、自分の主人たる祐一にとって大きな力となるのではないかと、そんなことを考えた。

 だからこそここで死なせるわけにはいかない。故に、

「一旦離脱します!!」

 告げて、美汐は二人を伴い空間跳躍でこの場を離脱した。

 

 

 

 ――08:22――

 

 そしてそのことはアルキメデスにも見えていて。

「お嬢! 奴ら、ここから離脱したぞ!」

「……そっか」

 アルキメデスの言葉を聞き、水夏は術式を解除した。

 空間を軋ませるほどに溢れていた魔力が、まるで嘘のように霧散していく。

 戦う敵がいないのなら無駄に魔力を消費する必要もない。カノンは相当手強い相手のようだから、なおのこと。

「それよりも……宏くん!」

 鈴仙がいなくなったことで五感を取り戻した水夏は、慌てて宏の元へと駆けよっていく。

 どうにか立ちあがろうとしていた宏の肩を押さえ、屈みこんでその無事に安堵した。

「駄目、まだ動かない方が良いよ宏くん! ……でも、良かった生きてて」

「水夏……。すまない、おれが足を引っ張っちまった」

「ううん、そんなことない。あの人たちが強かっただけだよ」

「確かにな……。ダ・カーポとは違うってわけだ。つ……!」

「ひ、宏くん! わ、酷い怪我……。ここは一旦退いて身体を休めよう?」

 防御結界によって致命傷までは避けたが、魔理沙の一撃は宏に大きなダメージを与えていた。

 魔族ではなく純粋な宏にとって、治療を施さなければまずいくらいのレベルのものだ。だが、

「……そういうわけにもいかないさ」

「宏くん!」

「さっきも言っただろ? 今後のためにも、他家にばかりあまり良いところを持っていかれるわけにはいかないんだ。だから――」

 稲葉家の今後を見据えるが故に、ここで自分たちだけ退場なんてことになるわけにはいかない。

 戦果をきちんと示し、柾木や水瀬家と肩を並べるだけの力を維持しなくてはいけない。それが稲葉家当主としての宏の責任なのだから。

 そう語る宏を見て、それでもなお水夏は宏の肩に触れ、立ちあがろうとする彼の身を押しとどめた。

「うん、宏くんの言いたいことはわかる。……でも、だからこそ、もっと自分の身を案じてよ。宏くんは当主なんだよ?

 君が死んじゃったら、それこそ稲葉家はどうするの? どうなっちゃうの?」

「それは……」

「いまが頑張らなくちゃいけない時機だってのはわかってる。でも、それだけに目を奪われないで。お願いだから……」

「水夏……」

「それに、戦果ならボクがきちんと手に入れて来るよ。宏くんの分までボクが頑張るから。だから――!」

 不意に、クスリと宏が笑ったのを水夏は見た。

「宏……くん?」

「あぁいや、悪い。なんて言うか……本当におれは、お前に助けられてばかりだな、って思ってさ。少し情けなく思った」

「な、情けないなんてそんなこと! ボクがこうしてここに生きてるのは宏くんのおかげ! ボクが笑えるようになったのは宏くんのおかげ!

 ボクこそ、ボクの方こそ宏くんに助けられてばっかりだったんだよ。だから……いまはボクが宏くんを助けたいんだ。だから頼ってよ、ボクのこと」

「頼りにしてるさ。頼りにしすぎてて……ちょっとカッコ悪いけどな」

「ううん。そんなことない。必要な時に頼られる、頼ってくれるっていうのは、凄く嬉しいことなんだよ?」

 ギメッシュナーを傍らに置き、宏の手をそっと両手で握りしめる。

 頑なで、意志の強いこの人に、どうか自分の想いが届きますようにと念じながら。

「お願い、宏くん」

「……」

 しばらく沈黙が続き、そして「はぁ〜」と大きな嘆息が宏の口から聞こえてきた。

 一瞬俯き、そして再度顔を上げた宏の顔には……苦笑と、そして絶対の信頼が見えた。

「わかった。水夏、お前に託す」

「うん。任せてよ。ね? アルキメデス」

「うむ。お前はしっかりと休んでおれ。お嬢に心配などかけるでない」

「あはは、了解。それじゃあちょっと休ませてもらうわ」

 そうして、後方で待機していた稲葉家の兵に連れられて宏は王都城門付近まで後退した。

 それを見送った水夏は、

「……よし」

 頷き、傍らに置いたままのギメッシュナーを再度手に取り、自分の意思を確かめるように二度、三度と柄を握り、

「行こうか。ボクたちの戦場へ」

 人ならざる仲間を連れ、水夏は王城へと駆け抜けた。

 

 

 

 ――08:24――

 

 美汐たちが王城に戻った時、都民の避難は七割から八割を終えていた。

 エーテルジャンプの順番を待つ列にもそれほどの混乱は見られない。美汐たちが必死に攻撃を食い止めていたおかげで、被害がこちらにまで及んでいないのが大きいのだろう。

 とはいえ、良和の攻撃による巨大な閃光と爆音は聞こえており、都民たちには少なからずの不安は心に植えつけられていた。

 本来ならそれだけでも混乱を巻き起こす引き金になってもおかしくない。

 にも関わらず都民が粛々と順番を待つその姿こそ、カノンのこれまでの行動が彼らの信頼を勝ち得てきたという証拠に他ならない。

 そのこと自体はとても嬉しく思うが……だからこそ、こうして彼らを逃がすしかない不甲斐なさを感じてしまう。

「美汐さん! よくぞご無事で!」

 王城まで空間跳躍で戻ってきた美汐たちを出迎えてくれたのは有紀寧だった。

 都民がいまなお混乱せずにいるもう一つの要因。最後まで民と共にあると宣言した彼女の存在こそが、大きな力となっているのだろう。

「帰還しました。大した時間稼ぎも出来ずに戻り、挙句多くの部下も死なせてしまい……面目次第もございません」

「……そうですか。皆が……」

 常に王城にいる有紀寧にとっては、軍の中には見知った顔も多くいる。そんな彼らの顔をわずか思い浮かべ黙祷すると、美汐に向き直った。

「ともあれ、あなたが無事で何よりでした。あと、そちらの方々は……」

「ええ。霧雨魔理沙さんと鈴仙・優曇華院・イナバさんです。彼女たちがいなければ私もここに戻ってくることはなかったでしょう」

「そうですか……。カノン国代表としてお礼を言わせていただきます。ありがとうございました」

「あぁいや、気にするな。こっちも前に一度世話になった身だしな。このくらいは当然のことだぜ」

「このくらい、って言えるほどの些事じゃなかったけどね」

 苦笑する鈴仙の腕は、まだ水夏の攻撃を受けて黒ずんでいる。それを見た有紀寧が王城の奥を指差し、

「怪我をされているんですね……。ではどうぞ奥に。数人ではありますが、治療術師を待機させています。そちらで治療を行ってください」

「ありがとう。好意はありがたく受けさせてもらうわ」

「霧雨さんもどうぞ。怪我がなくとも、食糧や水分も多少ありますので」

「お、そいつは助かるぜ」

 そうして魔理沙と鈴仙は連れだって王城の奥へと去っていった。

 その背中を見送り、有紀寧は美汐に視線を向ける。

「あのような縁もない方々を巻き込んでさえ、逃げることしか出来ない……歯痒いですね」

「すいません。私たちが無力なばかりに……」

「いえ、そんなことはありません。命を賭けてまで民を守ろうとしたあなた方に落ち度などあろうはずもありません。ただ、あまりにもタイミングが悪かった……」

 さやかやことりを受け入れた祐一を非難するつもりはない。

 シズクに対して一斉攻勢を仕掛けるという六ヶ国の決定ももちろん賛成していた。

 しかし、その二つが重なったことこそがカノンの悲運だった。

 ……とはいえ、悔いなどはない。そのどちらもが祐一の決定であり、かつ自分も同じ思いだったものなのだから。

 その二つによって起きた出来事に後悔はない。あるのはただ無力感。

 王都を守れなかったこと、民を逃がすことしか出来ないこと、そして兵らに死地へ向かわせることしか出来ないこと。その全て。

 その無力感を有紀寧は否定しない。否定せず受け入れ、しかしそれらに押しつぶされるだけのようにはならないと、強く誓っていた。

 この戦場は現在進行形で進んでいる。ここで思考を放棄するのは即ちただの敗北だ。だが敗北するにも負け方というものがある。

 次に繋がる負け方を。せめて意地でそこだけは通させてもらおう。

「美汐さん。これからのことですが……」

「そうですね。とりあえず陛下に連絡を取ってみます。

 時間を考えればあちらも今頃は戦闘の真っ最中でしょうが、王都カノンを放棄することや、民をクラナドに移したことは言っておかなければいけないでしょう」

「……繋がりますか?」

「こればかりは試してみないとなんとも。距離的には問題ありませんが、出れるかどうかが問題ですね……」

 そう言って連絡水晶を取り出した美汐は、そこにゆっくりと魔力を通す。

 魔力に反応し発光する連絡水晶。接続は出来ているようだ、と安堵した瞬間だ。

 突如連絡水晶の発光が消えた。淡くゆっくりとではなく、文字通り一瞬でだ。

「これは……」

「何があったのですか?」

「魔力が通じません。強引に魔力ラインを引きちぎられたか、あるいは陛下の持つ連絡水晶が破壊されたか……。

 とはいえ、どちらにしろ状況は芳しくないと言えるでしょう。陛下とは連絡が取れません」

「……そうですか」

 俯く有紀寧。

「有紀寧王妃様。民の避難もあと少しです。王妃様もお早く避難を――」

「いえ、わたしは最後の一人が避難を終えるまでここに残ります」

「ですがあなたの身に何かあれば……!」

「国の責任を負わずに何が王妃ですか」

「!?」

「経緯はどうあれ、わたしはいまはカノンの王妃。クラナドの民も、カノンの民も、同じく愛しています。だからこそ……ここで逃げるわけにはいきません」

 強き想いは顔に出る。そして固い決意を秘めた顔を、美汐はこれまで何度も見てきた。だからこそ、それを曲げることは出来ないことも理解しており、

「……わかりました。では民の誘導をお願いします。私も治療を行い次第、敵の迎撃に移りますが、以降は水際での防衛になると思います。

 王城への被害はもちろんのこと、戦火がここまで及ばないとも限りません。……最善の注意を払ってください」

「もちろんです」

 頷く有紀寧に、美汐もまた頷き返した。

 そして丁度そのタイミングで、良和側の迎撃に出ていたカノンの兵たちが戻ってきた。先頭にいるのは高町なのはだ。

「有紀寧王妃様!」

「なのはちゃん!」

 数は……すくない。残っている数から考えて、なのはの護衛に残ったわずかな兵だけだろう。明日美と共に出向いた前線の兵は皆やられたに違いない。

 そして明日美もまたグッタリしており、そして何故かそこに同様の渚とちとせの姿もあった。

「何故この二人が……」

「お二人も協力してくれたんです。あのウォーターサマーの人たちをどうにか食い止められたのは、このお二人がいてくれたからなんですよ」

「そう……ですか」

 知らぬうちに、誰かがこの国のために戦ってくれている。

 そんな場合じゃないとわかっていながら、涙が出そうになった。これがカノン。自分が守らなくてはならない、大きな存在なのだと。

「……防衛、ご苦労さまでした。もう十分です。なのはちゃんはそちらの方々を引きつれて、一足先にクラナドへ向かってください」

「え!? そ、そんな! わたしはまだ戦えます! 王都の人たちだってまだこんなに残ってるのに……!」

「万が一、都民の避難が間に合わずエーテル・ジャンプ装置も奪われてしまった場合、クラナド側に戦力が何もないのはあまりにもまずいです。

 そんなことさせるつもりは微塵もありませんが、最悪の事態は常に想定しておかなければなりません。そしてその役目を……あなたたちにして欲しいのです」

「王妃様……」

「民間協力者のなのはちゃんや、それでさえない彼女たちに国の大事を託すなど、本来あってはならないことなのですが……お願いします」

 頭を下げる。その態度に、なのはは両手を振りつつ大いに慌てた。

「そ、そんな! 頭を上げてください王妃様! わ、わたしなんて大した力もないですし、でも、この国が大好きで、皆のことも大好きですから、頑張ります!」

「では……」

「本当はここに残って戦いたいですけど……でも、王妃様がそこまで言うなら、わかりました。わたしは明日美さんたちを連れて一足先にクラナドへ向かいます」

 でも、と一歩近付いて、

「一足先に、です。……王妃様も、美汐さんも、他の皆さんも……絶対、絶対クラナドへ来てくださいね。わたし、待ってますから」

「……はい」

 頷きながら、有紀寧はすぐ傍まで来たなのはの頭にそっと手を置く。

 屈んでようやく同じになる目線。このような小さな少女にまで戦いを強いている自分に、しかし信頼を置いてくれることを何より嬉しいと思いつつ、

「必ず約束します。後でまた……お会いしましょう」

 頭を撫でつけ、そして染み渡るようにゆっくりと囁いた。

 くすぐったそうに目を瞑るなのはの目尻に、光に反射する何かが見えた気がした。

「必ず……必ずですからね」

 

 

 

 こうして美汐たち、そして明日美たちはどうにかウォーターサマー先遣部隊の足止めに成功する。

 人的被害は明らかにカノンの方が大きいが、民間人の避難ももう終わりが見え始めているのが彼らが戦って得た何よりの結果だろう。

 しかし、まだ足りない。全員を逃すにはあと少し時間を稼がなくてはならない。

 とはいえカノン軍はもはや慢心相違。残った将らも消耗激しく、ウォーターサマーと対等に戦えるかと言えば絶望的と言うしかない。

 ……だが、だからと言って諦めるわけにもいかないのだ。

 散っていった兵のためにも、そして自分たちを信じて留守を任せた王と仲間のためにも……。

 

 そして、最後の攻防が始まる。

 

 

 

 あとがき

 はい、どうもお久しぶりです。神無月です。

 夏コミでバタバタしててまた更新が遅れました。うーむ、気をつけないと……。

 とりあえずプロットを直して、終盤ちょっとだけ短くなった……と思います。多分。

 もうちょっとコンスタントにやっていきたいですね。うん。

 さて今回は稲葉家の二強VS魔理沙・鈴仙・美汐でございました。

 とりあえず宏は幻想郷の方々、特に火力重視の魔理沙(次点で妖夢やパチュリー)とは相性が悪い。

 魔力吸収効かない、タケミカヅチかわされる、結界壊されるの三拍子。三重策も全部突き破られてはただの人間ですからねぇ。彼。

 まぁその分他を圧倒するのが水夏なわけですけれども。ぶっちゃけ風子さえいなければウォーターサマーで最強ですからねこの子。

 風子がおかしいんです。あの子だけが特別規格外なだけなんですw

 まぁそんなわけでどうにかこうにか時間稼ぎは終了。

 いよいよ主要メンバーのカノン脱出となります。もうそろそろ時間軸が合流しますのでもうしばしお待ちあれ〜。

 

 

 

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