神魔戦記 第百六十八章
「魔族七大名家・古川」
――08:11――
「――古河渚、です。この国に命を救われた者です。だから……これ以上、この国の人を傷付けさせはしません」
迫力があるとは言えなかった。恐怖を与えるというよりむしろ自身が恐怖で気絶してしまいそうな雰囲気さえある。
しかし少女はその場に自らの足で立ち、 良和らの前に立ちはだかった。
本来であれば、そんなものは蛮勇も良いところだろう。容赦などするはずもない良和の一撃でその身体は文字通り粉微塵になる。
「死ね」
それを証明するかのように良和は有無を言わさず渚へ拳をぶち込んだ。
もちろん本気ではないが、加減もしていない。容易く結界さえ破壊する、彼の常の一撃だ。
「――“蒼き鳥”」
だが……先程同様渚にその拳は届かなかった。
明らかに目で追えるレベルではない良和の拳を、ゆっくりと動いているようにしか見えない渚の手が捌く。
触れられただけに見えるのに、拳は軌道を変えて空を切る。
偶然などではない。明らかに何かしらの効力を持って、良和の攻撃が無効化されている。
それは危機に陥っていた明日美も、そして良和の配下らも驚きを禁じえない光景だった。特に良和の実力を知っている者ならばなおのことだ。
しかし攻撃を防がれている良和自身は驚きというよりも何かを探るような表情で渚を見下ろしていた。
「その力はまさか……」
チラリと自分の部下へ視線を向ける。
その意図を悟ったのだろう、配下たちが一斉に散って渚目掛け殺到する。その数、五人。二手に分かれ、うち三人が渚に肉薄する。
「はぁ!」
一人は爪で足を、もう一人は拳で頭を狙う。やや離れた位置から槍で心臓を狙う三人目。
だが爪は渚の左手でいなされ、拳は右手で受け流され、そして流れるような動作で最後の槍を両手で上へと押し流された。
だが攻撃はそこで終わらない。三人はそれぞれの攻撃を当てるためコンビネーションで攻めるが、そのどれもが渚の身体に傷をつけることはない。
まるで舞いだ。渚の動きは洗練された舞踏のような華麗さでありながら、的確に相手の攻撃を流しきっている。
「どけ!」
そこで声が上がった。良和の配下である五人のうち二人だ。どうやらその二人は鬼でありながら魔術を得手としている者たちらしい。
「これなら……どうだ!」
二人から強烈な闇魔術が放たれる。しかも威力ではなく命中重視の魔術。弾道が複数に分かたれ、四方から渚へと襲い掛かる。
それを見て渚と戦っていた三人が散開するが、渚は飛来する魔術を見てもなお慌てる素振りを見せず、
「――“朱き花”」
全ての魔術が渚の手の一振りで霧散した。
打ち消されのでもなく、相殺されたわけでもない。
いつの間にか渚の身体から溢れている朱い光に触れた瞬間、まるで効力を失ったかのように文字通り消失したのだ。
「すご……」
どういう理屈によるものかはわからない。明日美は感嘆の声を上げるしかなかった。
ただ一つわかったことがあるとするならば……一体どんな攻撃であればその身に届くのか、まったく見当がつかないということだろう。
それは相手も感じ取ったのだろう。どう攻め込めば良いかわからないため、いつの間にか攻撃の手を止めていた。
硬直する双方。数秒か数分か、最初に動いたのは良和だった。
「……貴様、さっき『ふるかわ』と名乗ったな」
良和はその姓にどこか聞き覚えがあった。
それを確かめるべく部下を戦わせ、そして一連の攻防を通してようやく思い至った。
「お前、あの魔族七大名家・古川の生き残りか。滅んだと聞いていたが……驚きだ」
しかし真に驚くべきはそこではない。良和は目を細め、渚を見据える。
「だが、どういうことだ? 確かにお前からは魔族の気配も感じるが……むしろ人の気配の方が強い。半魔人か?」
「いえ、『先祖還り』という特殊な例らしいです。私のお父さんもお母さんも、人間族ですから」
「はは、なるほど。だから討伐を潜り抜けられたわけか。あの吸血鬼の女王も人間族の間に潜んだわずかな血脈だけは見抜けなかったわけだ」
魔族七大名家・古川が死徒の姫、アルトルージュの一派に根絶やしにされた、というのは魔族に限らず人間族の間でも有名な話だ。
純血、混血関係なし。完膚なきまでに殲滅されたという話だったが……実際、古川が扱う特殊体術を扱っているのだ。否定する材料はない。
「魔族七大名家・古川。芹沢と同じく生まれながらに特殊な体術を行使するらしいな。僕も文献で読んだ程度だが……貴様のはまさしくそれだ」
古川の血筋はある特殊な体術を持つ。
だが芹沢の『刹歩』とは異なり、皆が皆共通のものではない。
生まれながらにして四つ。『色』と『物』の名を組み合わせた体術を持つという。渚で言えば先程行使した『蒼き鳥』や『朱き花』がまさにそれだ。
それは個人個人で異なり、中には重なる場合もあるらしい。
しかし一番の特徴は、それだけ体術が多岐に渡っているにも関わらずそのほぼ全てが『受身』であるということだろう。
防御、回避、相殺、牽制、拘束、補助、治療。そういった攻撃に直結しない体術ばかりを持つのが古川という家系だった。
そう。そんな彼らは、本来どこかを攻めたり滅ぼしたりなどといった侵略行為とは無縁な存在だったのだ。
にも関わらず、遥か昔事件は起きた。古川主動で起きた大きな事件は、吸血鬼と蜘蛛によって文字通り力尽くで捻じ伏せられた。
では何故彼女たちが出てくるまで古川を止め切れなかったのか?
答えは簡単。数多くの協力者がいたのだ。
攻撃や侵略行為を協力者に任せ、古川家は迎撃に出てくる者たちをその体術を持って完全に封殺した。
どのような攻撃も古川を突破することはなく、その間に古川の協力者たちが敵を倒し侵略を進めていく。
古川の助力を得られれば数十倍の数の敵も、数十倍の強さを持つ敵も恐るるに足らず。
そういった認識が当時は根強かったのだ。事実、魔族七大名家の中でも、こと戦闘からの生存率に限って言えば古川は抜きん出ている。
――そう、一時期までは。
「……だが君たちは決して無敵というわけではない。そうであれば古川家が滅ぶことなどなく、そしてアルトルージュがああも大きな顔をしていまい」
どうあれ彼ら古川家は滅ぼされた。それが結果であり、覆らぬ過去。だとするならば、
「穴はある。それをじっくりと見定めるのも悪くはないな」
ククッ、と指を一本ずつ内に曲げ、見せびらかすように拳を握る。
ここまでろくな敵もおらず、良和は不満を抱いていた。
彼の心理的に言えば弱者を一方的に虐殺するのも一興だが、どんなことであれワンパターンとは飽きるもの。
嗜虐的嗜好を好む彼にとって、魔族七大名家の先祖還りというのは大層な餌と言えるのだろう。
対する渚は、圧し掛かる鬼――良和のプレッシャーに身をすくませまいと足を踏ん張りながら、敢えて宣言した。
「や、やれるものなら……やってみればどうですか?」
挑発。しかし声も震えていては迫力も何もない。
良和はただ「ハッ」と吐き捨てるように笑い、一足飛びに渚との距離を詰めた。
「!?」
「つまらない挑発だけど……乗ってあげよう。精々、捌いて見せろ」
目視出来ぬほどの速度で迫る良和。渚の視力もまたそれを捉えきれていなかったが、『先祖還り』として古川の力を持つその身体だけは確実に対応していた。
大気を切り裂き迫る鬼の拳を、蒼い光に包まれた手が受け流す。
だが今度は一撃で終わらない。踏み込み、更に踏み込み、一撃必殺の連打が放たれる。
どれだけ強大な一撃も捌かれてしまう。無効化されてしまう。ならば捌ききれない程の量、ないし速度であればどうか? その考えに帰結するのはさもありなん。
故に良和は手を止めない。どれだけ捌かれようとも、一撃直撃すれば即終了なのだから。
そんな台風――否、暴風の中心で、しかし渚は退かず揺るがず応酬する。
魔力が定着し、きちんと操作が出来るようになれば『先祖還り』として魔族に等しい身体能力を得ることも出来るだろう。しかし回復してまだ間もない渚の身体は、未だ人間族のそれだ。
動体視力は良和の攻撃を既に追いきれておらず、かするだけでも命にかかわる。
だがそれでもなお、渚は良和の攻撃を全て捌ききっていた。
いわばそれは本能。古川の血に刻まれた、魔族七大名家としての業。
しかしそれだけでは足りない。それだけでこれらの死の暴風雨を防ぎきっているわけがない。
「わ、私は……私は、恩があるんです。ここに、カノンに……!」
先祖還りとして、魔族の気配を内包する自分を受け止めてくれた。
クラナドで疎外されていた朋也を受け入れてくれた。
両親を助けてくれた。
そのうえ、自分の身体さえも救ってくれた。
そしてそんな自分を我が事のように喜んでくれる人たちがいて、祝ってくれる友も出来た。
街に出れば笑顔に溢れ、活気に富み、種族など関係なしに平和に暮らす人たちがたくさんいて。
そんなこの国が、この街が、大好きになりそうだったのに。
「だから、だから私は――」
数えきれぬ恩がある。言いきれない感謝がある。
だから退けない。退かない。救われた命を、今度は救うために使うことに何の躊躇いが必要だろうか?
怖い。あぁ怖い。それは否定しようもない事実。しかしその恐怖さえ上回る、熱い律動。心の底から生まれる、素直で純真な一つの想い。
守りたい。救いたい。今度は自分が、その役目を担うのだと。
「逃げません!!」
渚が鬼でも上位の能力を持つ良和と激突しいまなお攻撃を防ぎきっているのは、まさにその精神力だ。
どこかで挫ければ、あるいは逃げようとすれば、いかに古川の血が流れているとはいえ身体の動きが鈍りその魔手によって殺されているに違いない。
古川の能力が遺憾なく発揮されている根底にあるのは、紛れもない精神論。たった一つの強固な気持ち。
故に、止まらないし終わらない。良和の攻撃も、渚の防御も、ただただ激しく交錯しながらも互いに一歩も退かない。
時間稼ぎという一点で言えば、この勝負は間違いなく渚の勝ちだ。既に良和たちがここに来てから十分近い時間が経過している。しかし……。
「くっ……!」
攻撃する側は良いだろう。だが防ぐ側は魔力も精神力も体力もどんどん擦り減っていくのが当たり前。
どれだけの気持ちで挑んでいようと、身体が本調子でなければいずれ限界はおとずれる。いわば足りない力を気持ちで補っているにすぎないのだから。
「そろそろ限界が近いようだな、古川の。なに、誇れよ。君は僕をこの場に足止めした。お前たちの狙いが時間稼ぎというのはわかってる。ならこの戦いはある意味でお前たちの勝ちと言えるだろうさ。なら何も思い残すこともないだろう?」
だから、
「もうそろそろ死んでしまえ。受けるしか能のないつまらん女が!」
ここにきて、更に速度が増す。拳の弾幕が渚に乱れ撃ちに襲いかかる。
「っ……!」
膨大な魔力は、まだある。しかし限界まで引き絞っていた気力がもう持たない。本能のみで動いていた身体も、過剰な動きで疲労がピークだ。
この攻撃密度ではおそらく持って二、三分。どこかで一手動きを間違えれば、そこで渚の命は幕を閉じるだろう。
――しかし、渚の顔に恐怖はなく。
「……あなたは、間違ってます」
「なに……?」
「確かに私の役目は時間稼ぎ。でも、それは皆を守りたいから、犠牲になってでもあなたをここに縛りつけるためのものなんかじゃ、ないです」
渚の目は、擦り減るあらゆる力に苦痛を孕んでいたが、それよりも強い色が滲み出ていた。
良和はその目を、色を、知っている。それは――勝利を信じて突き進む戦士の目だ。
「私たち(は……あなたに勝つためにここに来たんですから!」
ガクン、と。不意に良和の膝から力が抜けた。
「なっ……?」
もちそんその程度で崩れ落ちる良和ではないが、気付けばおかしいほどの疲労感が身体に蓄積していた。
確かに加減抜きで攻撃を続けてはいたが、その程度でなくなるようなチャチな体力ではない。
訝しく思いわずかに後ろを見やれば、良和の部下たちも同様なのか肩で息をする者、耐えきれず膝を着く者までいる始末だ。
一瞬渚に何かされたのかと考えたが、良和はすぐにその考えを否定した。そしてすぐさま別の可能性を考える。
この状況とこの症状。良和は知っている。それは魔力を急激に失くした場合に起こるものだ。が、そんなに魔力を食う行動を自分たちは取っていない。
だとすれば、答えは単純。自分ではなく他者から何かしらの介入を受け、魔力を吸収されているということ。
そして良和には『魔力吸収』という特異な能力を持つ人物を二人知っている。一人は稲葉宏。そしてもう一人は……。
「――お前か。稲葉ちとせ!」
「――」
もはや隠れる必要もない、とばかりに少女――稲葉ちとせは渚の後方に姿を現した。
本来建物に隠れていた程度で気付かぬ良和ではない。
が、古川の先祖還りである強大な魔力を持つ渚が現れ、それに興味を持ってしまった時点で知覚が疎かになってしまった。
更に言えばちとせは魔力吸収の特異体質者。俗に『気配』と言われるものがその魔力によるものなのだから、その力を持つ者の気配が感じ取りにくいのは当然とも言えよう。
例えるならば、殊更小さな木を、生い茂る森の中に隠すようなもの。だからこそ良和はそこにちとせがいることに気付くことが出来なかった。
「はっ、なるほど。白河さやかがここにいると聞いてもしやと思ってたが、お前もこっちに来ていたか」
戦争に反対していたし、さやかとは仲も良かった。宏は妹を過剰なまでに信頼しているからそんな考えには行き着かなかったのだろうが、良和はその可能性を少なからず考えていた。
「だが良いのか? 僕に手を出すということはお前の兄が裏切り者扱いされるということだぞ? そんなこともわからないお前じゃないだろう」
「ええ、わかってます」
ちとせは、良和の知る頃の大人しい顔ではなく、決意を秘めた戦士の顔で返答する。
「でも、それ以上にあなたたちがお兄ちゃんを戦力として重要視していることも知ってます。
わたしがここにいることを利用するなら、お兄ちゃんを裏切り者扱いするんじゃなくて、わたしを殺して、その犯人をカノンになすりつける手段を取るはず」
違いますか? という視線を投げかけられ、良和は思わず笑みを浮かべた。
もちろん、そうなるだろう。
稲葉宏は強い。もちろん敵に回したところで殺すことは難しくないが、風子のアンバランスさを考えれば使える戦力は多いに越したことはない。
だとすればちとせの言うとおり、ここでちとせを葬ってしまった方が宏の枷を取るという意味でも一石二鳥となり都合が良い。
「ククク……頭は回るようだな。だがお前が僕を殺せるのか? 戦争に反対し、魔力吸収で人を殺すことを躊躇うほどの甘いガキが、この僕を」
「殺します」
良和が瞠目してしまうほどの即答だった。
「あなたは勘違いをしている。わたしは確かに自分のために誰かを殺すことなんてしたくないし、戦争なんてものもしたくない。でも……」
ちとせが渚の横に並んだ。肩で息をする渚の背中をそっと支えると、渚が微笑み、ちとせも応じるように微笑んだ。
そして再び良和を見る。
「わたしの恩人……ううん、親友を傷付けたり、そしてお兄ちゃんを利用するような相手になんて容赦はしてあげない」
そういえば、と良和は思う。
ちとせは魔力の枯渇が酷くて歩くことさえままならなかったはず。それが歩いて、そして立ってそこにいるという事実。
何があったのかは知るつもりもないが、ともかくちとせが快復したのだろうとは思っていた。
そしてじわじわと魔力が吸収されていく感覚からするに、魔力吸収能力に関してコントロールが出来るようになったことも理解出来る。
だが……こうして真正面から向き合ったときの、肌を焼くような威圧感は何だ?
「あなたは生きてちゃいけない人だ。だからここで――」
ちとせの瞳が良和を捉える。
その視線にあるのは紛れもない敵意。人を殺すことを躊躇するような、生易しい相手ではないということを良和は感覚で悟った。
「死んでもらいます」
刹那、巨大な魔法陣がちとせの足元に出現した。
真紅の魔法陣からは狂おしいほどの炎が舞い上がり、誰も近付かせまいとしているかのようだった。
「魔法陣、だと……。まさか!?」
稲葉宏を知っている者なら予想出来るだろう。彼の力は魔力吸収の特異体質と結界師としての術。そして召喚し使役する神の獣、タケミカヅチ。
その妹であるちとせが巨大な魔法陣を形成したのであれば、導き出される答えなど一つしかありえない。
「来て。そして力を貸して。わたしの――ヒノカグツチ!!」
爆炎と共に、魔法陣から一羽の巨大な鳥が現れた。
その全身を真紅の炎で形成した、文字通りの火の鳥。だがその言葉は届かない。そんな陳腐な単語では到底この神獣を表現しきれない。
燃え盛る翼は荘厳、靡く鬣は美麗、輝く蒼眼は鋭く気高く、発する気配は濃密にして強大、そのうえ神々しい。
神獣ヒノカグツチ。これが、
「これが……お前の、力か!」
この時、この戦場において初めて良和は心の底から驚愕した。
ちとせはその性格と信念からこれまで全力はおろか戦うことさえなく、その実力は誰も知らぬものだった。おそらく宏とて同じだろう。
否、そもそもちとせ本人からして自分の本気など知りもしないはずだ。彼女はこれまで戦闘という行為そのものを忌避していたのだから。
しかし滲み出る気配や、あまりに強力な魔力吸収能力から、宏以上の才能を秘めているだろうことは予想していた。が、これは予想を超越していた。
断言しよう。このヒノカグツチ。その力、明らかに宏の使役するタケミカヅチを凌駕している。
同じ神獣の位に属するとはいえ、感じる威圧感が比較にならない。
宏以上の魔力吸収能力に加え、使役する神獣もまた宏以上。もはや間違いない。
稲葉ちとせという少女が、稲葉家最強の存在なのだということは。
「全て、全て――燃やし尽くして! ヒノカグツチ!!」
「――――――!!」
ちとせの要求に、ヒノカグツチは甲高い呼応を上げる。広げられた翼から舞い散る火の粉の一つにしても膨大な魔力が込められている。
そのヒノカグツチが舞い上がり、そして次の瞬間滑空して一気に突撃を慣行した。
「ぬ、おおお!!」
良和は身体に圧し掛かる疲労感を払いのけ、跳躍してその突撃を回避する。しかし後方にいた良和の部下らは間に合わずヒノカグツチの身体に飲み込まれた。
断末魔さえ燃やし尽くし、灰さえも残さない。鬼の防御力など歯牙にもかけぬ圧倒的な炎を持ってヒノカグツチは疾駆する。
おそらく良和であってもヒノカグツチの身体に包み込まれては無事ではすまない。一瞬で灰になることはないだろうが、果たして一分も持つかどうか疑問だ。
だとするならば、術者自身を倒すのが定石。宏もそうだが、生半可な結界師レベルの術で鬼である良和の一撃を防げはしない。
「ならば、お前が死ね!!」
良和は建物の側面を蹴り、急降下しながら拳を握りしめる。これまでのことを考えれば、結界師としての能力もちとせの方が上なのかもしれない。
だが壊す。そんな結界構わずちとせごと殴り潰す。躊躇など欠片も入りこまぬ決定のままに、その拳は打ち込まれた。
しかし、彼は一つ重大なことを忘れていた。
「“蒼き鳥”!」
「なっ!?」
必殺の拳が、飛びこんできた渚によって弾かれる。
対象を見失った拳は地面を砕くだけで終わり、良和自身の身体もまた急激な軌道変更に流され後方に吹っ飛ぶ。
「ちぃ……ッ!」
すぐに立ちあがろうとし、しかし膝が震えて立ちあがるのに数秒を要した。間違いなく、魔力が減少しているためだ。
だが、だとするならば何故隣に立つ渚に影響がないのか。
そんな良和の思考を察したのか、ちとせは言う。
「わたしが何のために時間を掛けたと思ってるんですか? 渚ちゃんに頼んで時間稼ぎをしてもらったのは、魔力吸収の対象をあなたたちだけに絞るためです」
元々『魔力吸収』体質はそういうものだ。宏は常にそうやって水夏やちとせから魔力を吸わないようにコントロールだってしている。
ちとせが制御不能になっていたのは経験不足と身体の魔力欲求からくる本能だ。それらが一切なくなったいま、コントロールが出来て不思議などありはしない。
さすがにすぐとまでは行かなかったが、だからこそその時間稼ぎを渚が買って出たのだ。
渚はちとせの準備を待つために時間稼ぎをした。
ちとせは渚を信じて全神経を魔力吸収につぎ込んだ。
その理由、問うべくもない。彼女ら二人の目指す道はただ一つ。
ここで――良和を倒す。
ちとせが魔力吸収で敵の能力を奪い、ヒノカグツチという圧倒的な使い魔で攻撃する。相手がどれだけ強い攻撃を振るおうと渚が全てを捌ききる。
そのタッグは、まさに強大な剣と盾。
元来古川家の戦い方とはこういうもの。渚は知る由もないことだが、血に刻まれた本能はその戦闘スタイルさえ呼び起こしたのだろうか。
対する良和は、
「ククク……ハーッハッハッハッハッ!!」
気でも触れたかのように、哄笑を上げていた。
「面白い! 実に面白い! まさか、まさかまさかまさかこうも何度も強い敵と出会えようとはな!」
瞬間、良和の周囲の気配が一辺した。
凝縮していく。何が、はわからないが……良和の身体から溢れていた気配の密度が凝縮していくような感覚を受けた。
すると徐々に良和の身体から赤い湯気のようなものが立ち上る。それは渚の『朱き花』に似た現象であるが、比べてこちらの方が毒々しい輝きがある。
良和の『鬼の衣』だ。彼の本気の証でもあるが、その雰囲気は怒りも殺意もなく、ただ清々しいまでに狂喜だった。
「認めよう。あぁ認めてやる。お前たちは強い。ここまで大した敵もいなくてつまらなかったんだが……あぁ、実に良い。君らは実に相応しい」
「――っ、ちとせちゃん!」
この時、渚は嫌な予感を覚えた。
しかしちとせはその言葉が聞こえていなかった。自分の兄、宏を誑かし利用する良和をこの場で倒すことだけに意識を費やしていたがために。
「ヒノカグツチ!!」
ヒノカグツチが再度上空を旋回、そして狙いを定めて良和の元へ急落下していく。いかに『鬼の衣』があるとはいえ直撃すれば命はない。
しかし良和は今回は回避する素振りを見せなかった。
その変わりというように、彼の右手には先程までなかったはずの槍のようなものが握られていた。
「この僕の新しい力の実験には相応しすぎる相手だ」
二人は知らないが、それはダ・カーポの芳野家を滅ぼした時に良和が得た原初の呪具だ。
カチ、という槍を構える音がする。両手ではなく片手。上に構え後ろに捻るその様は、投擲目的のものだろう。
「――」
小声で良和が何かを言った。声が小さすぎてその言葉は誰にも聞き遂げられなかったが、その一言、つまりは呪いが引き金になったのは誰もが理解した。
「「「!?」」」
相対するちとせと渚、そして三者の攻防を見ていることしかできなかった明日美それぞれが息を呑んだ。
これまで感じ取ったことのない邪悪にして凶悪な波動がその槍に凄まじい速度で集約していく。
渚の嫌な予感はまさしくこれだったのだろう。事ここに至り、三者全員が同じ考えを抱いた。
まずい。あの攻撃を受けてはいけない、と。
「さぁ、誇れ。死の手向けにこの一撃をくれてやる。その目に焼き付け、記憶に刻め――!!」
そして放たれる、原初の呪具による一撃。
だがそれは視認も出来ず、体感も出来ず――、
その時、王都カノンの三分の一が黒い閃光と共に消し飛んだ。
――08:22――
クレーター状に削り取られた大地の中央。未だに黒い光を帯電するかのようにバチバチと鳴らす槍が突き刺さっている。
それを『鬼の衣』を解除した良和は抜き取り、そして軽く周囲を見渡した。
見える範囲には何も残っていない。無論、先程まで相対していた連中も。
だが、
「……逃げたか。まさかこの一撃さえ受け流すとは思いもしなかったがな」
良和は確かに見た。
漆黒の紫電に包まれ閃光と化しヒノカグツチさえ貫いた一撃。しかしちとせの前に立ち塞がった渚が光速で迫る槍を受け流し威力を後方へ逸らしたことを。
爆発の余波こそ受けているだろうが、渚の防御能力に加えてちとせの結界師の力があれば死んでいるということもないだろう。
今頃は爆心地から大きく離れ逃げ延びているに違いない。
だが良和はそれを追撃しようとは思わなかった。
初めて撃ったこの槍の一撃……。『鬼神黒雷』とでも名付けようか。ちとせの魔力吸収もあり、この技を使用した後の疲労感が半端ではなく動きにくいというのも一点。
しかしそれよりも大きな理由としては……いま殺すには惜しいと思った。
それはアリスを打倒した時にも思ったこと。そしてそのアリスもいまや……。
彼は槍を肩に担ぎ、地べたに腰を下ろしながら、口元を歪め、
「稲葉ちとせ、古河渚か。……良いな。あいつらも同様僕の下僕にするのも悪くない」
誰に聞こえることもなく、そんなことを呟いた。
――08:23――
「はぁ、はぁ、はぁ……」
渚、ちとせ、明日美の三人は良和の読み通りあの爆心地から離れ逃げ延びていた。
しかし無事とは言えない。ちとせは使い魔であるヒノカグツチと大きくリンクしていたのか、ヒノカグツチを強制収容した後ぐったりと気絶してしまっていた。
口元からは血を流しているし、いまなお顔は青いままだ。
そして明日美も渚たちと離れていたせいで爆発の余波をかなり受けていた。左半身のダメージは特に酷い。すぐに処置をしなければ命にさえ関わるだろう。
その二人を抱えて逃げたのは渚だ。体術を使用する一族のためか、魔力による身体強化は学んだわけでもないのに使い方を把握していた。
だから抱えることにも、移動にも問題はない。魔力だって元々の量が潤沢なため影響はない。ないのだが、
「うっ、……は、ぁ……」
精神的な疲労がピークを越えていた。
初めての戦闘。模擬戦も練習もなしに命がけの、しかも鬼でも上位とされる良和との戦いだったのだ。
しかも受ければ一撃で死ぬという攻撃に十分近くも曝され、最後には良和のあの槍の投擲を受け流し更には爆風から二人を守りもした。
どうにか命からがら抜けだし、『戦闘』という緊張状態から脱した渚は二人を守れた安堵感も重なって足元がおぼつかない程にふらふらしていた。
それでもなお良和の追撃を考えがむしゃらに走ってきたが、良和の気配が動かない、追ってこないことを察してついに倒れ込んでしまった。
「駄目……こんなところで、倒れちゃ……」
手に力を込め、どうにか半身を起こす。難を逃れたとはいえ、二人とも負傷しているのだ。こんなところで意識を失うわけにはいかない。
追撃の心配が消えたのなら、次に必要なのは治療。そして最終的には城へ撤退する。
「とりあえず、生きて……全ては、それから……」
渚は身体を引きずるようにして二人に近付き、両手をそれぞれ二人の胸元に添えた。そして、
「“白き風”」
渚を中心に、優しげな風がふわりと巻き起こる。白い光に照らされて輝く風が渚の腕から徐々に二人の身体へと流れ、緩やかに撫でていく。
すると明日美の怪我がみるみる小さくなっていき、ちとせの顔色もどんどんと赤みを取り戻していく。
渚が持つ古川の体術、三つめ。『白き風』は自分、あるいは他者へ施す治癒術だ。魔術ではないため魔力減衰系の装飾をしている者でもダイレクトに治療が届く。
数分と待たぬ間に二人の容体は安定した。荒い息遣いも緩やかな寝息へと変化している。
これで身体の心配はないだろう。後は二人を連れて城へと避難すれば良いのだが……。
「っ……」
身体が言うことを聞かず、再度倒れ込んでしまう。
腕を動かすことさえもう出来ない。急激な眠気が襲いかかり、抗おうにも瞼は既に閉じかかっている。
「だ、め……。皆を、助け、ない、と……」
しかし気持ちに反比例するように眠気が強くなっていく。もはや自分が起きているのかどうかさえあやふやになっていた。
そこへ、
「大丈夫ですかっ!?」
声は頭上から。
最後の力を振り絞って上を見れば、白い服に身を包んだ少女がこちらを心配そうに見下ろしていた。
渚は彼女を知っている。確かカノンの高町なのはだ。民間人でありながら協力者として城にも足を運んでいて、何度か会ったことがある。
実力もかなりのものであるらしい。そんな彼女が来てくれたのだ、もう自分だけが頑張る必要もないだろう。
「大丈夫、です……。でも、凄く疲れちゃって……だから、ごめんなさい。二人を……お願いします」
「――! ――!?」
なのはが何かを言っているが、既に渚の耳には届かなかった。
いまはただ休もう。きっともう大丈夫だから。
そう思った瞬間、渚の意識は底へと沈んていった。
あとがき
どうもこんばんは、神無月でございます。
最近月一更新が定着してきた感じの神魔ですね。この調子だとホント終わるの何年後になるだろうw
まぁ全世界編とかそれ以降をちょろーっと短くするつもりでやっていきたいと思います。もちろん完結目指してね。
で。今回は渚&ちとせVS良和でございました。サブタイからもわかる通り渚大活躍の回でしたね。
ただまぁ前々から作中で述べられていたように古川の能力は攻撃には向いていません。防御系ないし補助系ばかりなので。
まぁ水瀬と違うのは攻撃と防御のみではなく、治療や補助の能力もあり多岐に渡る上、魔術じゃないので半減や無効化能力者にも通じる点でしょうかね。
さて次回は魔理沙やうどんげVS宏サイド。時間はちょっと巻き戻ります。
それではまた!