神魔戦記 第百六十七章
「侵攻、止まらず」
――07:40――
ウォーターサマーの精鋭部隊が徐々に王都に近付いてきている。
王都の民は順次元クラナド領の王都にして現カノンの第二首都クラナドに転移され、その数がそろそろ半分になろうかというところだった。
とはいえ、まだ半分。つまり完全退避まで一時間前後はある。
つまり、もはやすぐそこにまで迫るウォーターサマーの精鋭を撃退、最悪でも一時間近く足止めをしなくては民に被害が出ることになる。
「……」
マリーシアは祈るように握る両手に、更にギュッと力を込めた。
怖い。怖くて、逃げ出したい。
敵が来ることが怖いのではない。敵が来ることによって、死んでいく命を感じ取ってしまうことが怖いのだ。
消えていく気配は後を絶たず、その中にはこの城の中で良くしてくれた兵士の人たちものもあった。
知った人が死んでいく。酷くあっさりと、片手間のように。
こんなことを後何度、感じ取らなくてはいけないんだろう? それがどうして私なんだろう?
そう思わずにはいられなかった。全ての不条理を呪いたかった。
……マリーシアの心はもう酷く擦り切れていた。何度も何度も、何千何万という命の消失を感じ取って。
あるいは祐一や名雪、一弥などの親しい者たちが近くにいて支えてくれていたのなら少しは違ったのかもしれない。
けれどいまは一人。思考は巡れば巡るだけ底へと沈み、際限なく感情は削れていく。
もう止めたいと思った。これまでの魔術的訓練で、翼の力をある程度御しきれるようになったマリーシアは、能力を弱める術も心得ていた。
翼の特性なのか、完全に能力を消すことは出来ないが、それでも弱めればこれ以上他者の死を感じなくてすむ。
こんなに悲しい気持ちにならなくてすむ。
「……もう、良いよね?」
私、頑張ったよね? だからもうこれ以上私がこんなことしなくても良いよね?
そう自分に言い聞かせるように心の中で自問自答し、能力の効力を最小限にまで抑えようとして――、
「……泣いて、いるの?」
背後から、不意にそんな言葉が耳に届いた。
気配はもちろん、感じていた。マリーシアが気付かないわけがない。しかし戦場に意識を向けていたマリーシアは身近な気配についてほとんど無視していた。
この気配も、そう。更に言えば、マリーシアはその気配の主と話したことなどほとんどなく、ただここから避難する一人だと思っていた。
しかしその相手は何故か立ち止まり、部屋に入ってきてマリーシアをその透明な瞳で真っ直ぐに見つめていた。
プリムラ。
確かそのような名前の少女だった。
「泣いてるの?」
もう一度言葉が来た。そこでようやく、自分の頬を雫が伝っていることに気付いた。
マリーシアは慌てて涙を拭い、ぎこちない笑顔で語りかける。
「……何でもないですよ。何でも。そ、それよりもここは危ないですよ? 早く地下に行ってエーテルジャンプ装置で避難を――」
しかし言葉が終わるより早くプリムラが動いた。
地下へと続く廊下がある後ろに、ではなく。マリーシアしかいない部屋に、前へと。
「え……?」
驚くマリーシアを他所に、とことこと小さな動きで近付くプリムラ。その足はマリーシアの目の前に立ってようやく止まった。
「あの……?」
訝しむマリーシア。しばらくジッとマリーシアを見つめていたプリムラはおもむろに手を伸ばし、どういうわけかマリーシアの頭をそっと撫で始めた。
「は、え……?」
「……前、祐一が同じようなことをしてくれた。それで少し元気になれたと思うから。だから……」
無表情ではあった。しかしその瞳の奥にある、感情の揺らぎのようなものをマリーシアは見た。
「……そっか。励ましてくれるんですね」
小柄なマリーシアよりも更に小さいプリムラが、足を伸ばしながら、たどたどしく頭を撫で続けてくれている。
泣いている自分を見て、逃げることを後回しにして、励ましてくれる。
自分を見てくれている。
とても簡単なことが、いまのマリーシアにとってはとても大切なものに思えた。
こんな子までもが、自分に出来ることをやろうと頑張っている。なら自分はどうだろう?
そもそもカノンに残り、祐一たちと一緒にここにいたのは、誰かに命令されたわけでもなく自分の意思だったはずではないのか。
誰かを救えるならと、この力をそのために使えるならと、亜衣やリリスたちと一緒に頑張ったのではなかったのか。
「――」
そうだ。死を延々見続けていることで揺らいでしまっていた。見ていることしか出来ないと錯覚してしまっていた。
そう、不条理は続くのだ。この世界は優しくなんて出来ていない。だから、だからこそ自分もやれることをやろうと決めた。
見ることで、感じることで、相手の動きを察知し、事前に守れる命を守る。戦場で人を救うことは出来なくても、それが出来るのは自分だけだ。
ならば、ここはきっと――マリーシアにとっての『戦場』だ。
「……うん」
挫けそうになっていた心の『芯』が、スッと身体に突き立った気がした。
自分には自分の出来ることがある。少なくともそれで守れる命があるのなら、嘆く前にすべきことがあるはずだった。
「そうですよね。皆」
遠い異国で仲間を救うために戦うカノンの皆を思う。いまここに敵を通さんと立ち向かう皆を思う。
なら自分も――戦おう。
「ありがとう、プリムラちゃん。もう大丈夫ですから」
「……うん」
頭から離れた手をマリーシアは取って、その小さな手をギュッと握り締める。
「本当に、ありがとう」
あなたのおかげで大事なことを再認識できた。そのことを心から感謝する。そして、
「プリムラちゃんは私が絶対に逃がしてあげますから」
「……(こくん)」
手を繋ぎ、マリーシアはプリムラを連れて走り出す。
その足取りは、目的を得た戦士のそれだった。
――07:43――
二部隊に分かれたカノン軍王都守備部隊は、それぞれの敵の進路を妨害するような形で布陣していた。
敵は少数。しかし一人一人の質の差が段違いだ。正直どれだけ数がいても勝てるとは思えない。
それが美汐の判断だった。
つまりこれ迎撃のためではなく、単なる足止め……時間稼ぎのための布陣。要するに、死地へ赴けと言っているに等しいものだった。
しかしそれでもなお恐怖に陥らず、ただ敵の到来を待ち続ける兵らの胸中には、祐一たちの存在があった。
時間を稼げば。そうすれば主力が戻ってくる。それまでの辛抱だ、と。
……だが、そんなもの不可能に近いということは誰しもわかっていたのだ。
いくらトゥ・ハートの最新鋭艦を用いた六ヵ国の合同作戦とはいえ、あのシズクがそう簡単に敗北することはないだろう。
即ち、この場、この戦場において……王たちが間に合う可能性はゼロに等しかった。
そんな絶望を、叶わぬ希望でどうにか誤魔化し、自己暗示のように心を奮い立たせんとする兵を、一体誰が責められよう?
――かけがえのない兵を、王は手にしました。
死の恐怖と戦いながらなお前を見据える兵らを見て、美汐は感慨深い思いになる。そして同時に……慙愧の念も。
こんな志を持った兵をむざむざと死地へ追いやる自分の不甲斐なさを呪いながら、しかしなお自分の職務を真っ当するため、手に持つ槍に力を込めた。
美汐率いるのは甲部隊。反対側から来る敵もいるため、美汐は残存兵力を二分したのだ。
というよりそうするしかなかった。どちらか一方の侵入を許してしまえば、それで全てが終わる。敵主力人が一人でも王都内に入ってしまえばそれだけで民は瞬く間にその命を狩り取られてしまうだろう。
絶対防衛時間は一時間。
おそらく美汐の生涯でもっとも長い一時間が幕を開けようとしていた。
――07:46――
美汐率いる甲部隊とは反対方向に展開された乙部隊。
こちらの部隊長はなんと霧羽明日美が任されていた。
大抜擢、というよりはむしろ他に出来る者がいなかった、という方が正しいだろう。
ヒミカたちスピリットは小隊規模ならともかくこれだけの数を率いたことはないし、なのはに至っては統率経験皆無のうえそもそも民間協力者だ。
その点明日美はダ・カーポでは軍師をやっており、回数こそ少ないが大軍規模の指揮もしたことがある。
問題点があるとすればカノン軍の兵が明日美の指揮に慣れていないということか。
とはいえ、やらねばならない。どれだけ勝率が低かろうと、運用が難しかろうと。
それは流浪の身である自分たちを拾ってくれたカノンへの恩義でもあり、巻き込んでしまった贖罪でもあるが、何よりも強い思いはただ一つ。
今度こそ国の民を守ってみせる。
罪滅ぼしのためじゃない。ましてやカノンの民を代わりに守ることで無かったことにしようとしているわけでもない。
ただもう二度と、大切な者たちを目の前で失っていくようなことをしたくないのだ。
「わたしの手に、作戦に皆の命が掛かってる。……もう、もう二度とあんな思いはしたくないから……!」
痛いほどに手を握り締める。
だがその痛覚で頭は冴え渡り、冷静な軍師としての視野を広げていく。
しかし渦巻く感情を殺すでなく高ぶらせ、常の彼女らしからぬ強く大きな声で告げた。
「お願いです、皆さん。わたしを信じてください。力を貸してください。必ず……この国の民を守ります! だから一緒に、頑張りましょう!」
「はい! 一緒に頑張りましょう!」
真っ先に答えたのは、レイジングハートを抱えたなのはだった。
民間協力者である彼女は戦いを強制されたりはしていない。にも関わらず、この絶望的状況の中で戦うことを選んだ。
このような少女が戦うために踏みとどまっているのに、どうして自分たちが逃げられようか?
そんな意思を明確にするかのごとく、兵らもまた無言ながらに力強く頷いた。
「……皆さん」
余所者である自分に力を貸してくれる存在に、不意に涙が出そうになる。
しかしそれをこらえて明日美は告げる。
「行きましょう」
文字通り、命懸けの時間稼ぎが始まる。
――07:52――
「結界か。くだらんな」
王都カノンを取り囲む城門と、それに付随して半円形に展開される結界を見上げ、柾木良和は嘆息した。
一国の王都としてはなかなかの強度を誇るのだろう。ダ・カーポのものよりは遥かに強そうだ。
だが、それは所詮比較すればの話。良和にとってみればどんぐりの背比べにも等しい。
無造作とも呼べる動作で拳を振り上げる。鬼の魔手が禍々しく膨れ上がり、そして一息の間に振り下ろされる。
物理的に城壁が、魔術的に結界が、たったの一撃で砕かれた。
「突っ込むぞ。邪魔する者は速やかに排除しろ」
二重の破砕音を周囲に轟かせながら、良和は緩やかに一歩を踏み出す。
――07:54――
宏は結界の破壊音を確かに聞いた。
別方面から良和たちが突入を開始したのだろう。ならば遅れるわけにはいかない。
ダ・カーポからカノン侵攻に至るまでの戦果の大半は柾木家、特に風子によるところが大きい。
別に戦果になど興味はないが、全てが終わったあと柾木家に大きい顔をされても困るのだ。
どういうわけかわからないが白河家が抜けた以上、ウォーターサマーのバランスはより悪くなるに違いない。
そんな中で、人間族である稲葉が水瀬や柾木と対等にあるためには、ここらで大きな戦果をあげておく必要があるのだ。
この戦いが終わってもウォーターサマーでの生活は続く。自分の一族及び統べる多くの民を守るため、宏には『結果』が必要だった。
「……水夏。気配はどうだ?」
「やっぱり少ないね。住民の避難も開始してるみたい。人の気配がお城に集中してるし」
「そうか」
そこだけはホッとした。宏は他の二家と違って、なるべくなら関係のない殺生はしたくないし、無駄な戦闘は避けたいと考えている。
必要な戦であるならば躊躇はしないが、力のない一般人を踏みにじるような、そんな真似だけはしたくなかった。
「ま、勝手なエゴだけどな」
「? 何か言った?」
「いや、なんでもない。……俺たちもそろそろ行こう。良いとこ全部取られるわけにもいかないしな」
「了解」
「よし。……タケミカヅチ!」
宏の足元で魔法陣が展開し、数多の雷撃を迸らせながら巨大な神獣が召還される。
空間を軋ませながら青き巨体を震わせる『タケミカヅチ』。見る者を圧倒する最強種に告げるべき命令はただ一言。
「壊せ」
巨大な雷を纏った神速の拳が、いともたやすく城壁をぶち抜いた。いや、むしろ消し飛ばした。
そうとしか表現出来ないほど一帯を完膚なきまでに抉り飛ばし、進路を阻む物がなくなった前方を見据え、宏は厳かに告げる。
「行くぞ。手早く済ませちまおうぜ」
水夏ら数名の仲間を伴い、宏たちはカノン城へ走り出した。
――07:59――
伊吹公子は王都内に入った瞬間、何か違和感を感じた。
敵の戦力が予想以上に少ないことは既に気付いている。おそらく例のシズクとの戦いに主力を出してしまっているのだろう。
だがそれとは別にして、よくわからぬ違和感が先ほどから拭えない。違和感……不安、でも良い。何か胸騒ぎがするのだ。
自分たちの優位は変わらない。主力がいない以上王都は遠からずウォーターサマーの手に落ちることだろう。
にも関わらず、何を不安に思うことがあるのだろうか……?
「公子。何をボーっとしている」
「あ、すいません」
「行くぞ。邪魔する者は全員殺せ」
良和はさも当たり前のようにそう告げる。公子以外の数名の精鋭もまた、それを当然の如く受け入れていた。
そうして良和たちは人気のなくなった町並みを王城に向けて進んでいく。
「……人の気配がしませんね」
この一帯の避難は既に終えているらしい。それは逆を言えばカノン側は防衛しきれないと既に悟っていたということになる。
王都を放棄したのだろうか? 否、そうであるならば……。
「待ち伏せなど、するはずもありませんか」
公子の言葉を肯定するかのように、建物の影から十数人のカノン兵たちが踊りかかってきた。
数にしてはこちらの二倍程度。しかし一人一人の力の差はそんなレベルの話ではなかった。
「……くだらん」
吐き捨てるような呟きと同時、良和の右手が動いた。
豪腕一閃。
吹っ飛ぶのではなく、抉り取られる。あまりに威力の高すぎる一撃は、鎧も人体も関わらず木っ端微塵にしてしまう。
腕の一振りで、襲い掛かる兵は一人残らず絶命していた。
格が違いすぎる。次元が違いすぎて、公子が同情を禁じえないほどだ。が、良和が苛立っているのは相手が弱いからではない。そうではなく、
「こんな雑魚を小出しにして、カノンは何を企んでいる?」
後方。王都の城門側から、更に十数名の兵が突っ込んできていた。
おそらくは回り込んだのだろう。先程の兵が存命ならば挟み撃ちの形になっただろうが、それももはや叶わぬこと。
にも関わらず兵の顔に策を崩されたような不安はなく、まさしく命がけの様相で挑んでくる。
そして気配は左右からも近付いてきていた。姿はまだ見えないが、時間差を置いて来るような距離感だった。
普通に考えれば、戦力の小出しは愚の骨頂だろう。それだけ各個撃破されやすく、戦力の無意味な低下に繋がる愚策と言えよう。
だがそれは通常の戦闘であれば、だ。……あまりにかけ離れた戦力。一気に攻めても敗れるのが見えている戦いで、では何をすることが最善か?
考えれば、その答えは明確だった。
「これは時間稼ぎでしょう。おそらく民を避難させ、態勢を立て直すための」
どの道一瞬で敗北するならば、大勢ではなく少数で攻め、その場に縛り付けてしまえば良いという作戦。まさに兵の命を消費する死に物狂いの時間稼ぎだ。
――あるいは、時間を稼げば状況を覆せるような何かを持っているのかもしれない。
公子は、先ほど感じていた不安がもしかしたらこれを指しているのではないかとも考え、良和に先を急ぐことを進言する。
しかし良和は首を縦に振りはしなかった。
「僕がこんな雑魚に背中を見せられるわけがないだろ? 取るに足らん相手とはいえ、そんなものは僕のプライドが許さない」
「しかし……」
「くどいよ」
ここまで言われては、もはや公子にかける言葉はなかった。何を言ったところで意思を変えたりはしないだろう。
良和の悪いところとも言える。その過剰なほどの自信とプライド。それはあるいは、風子という自分さえ凌駕する存在が常に傍にいたことから起こった歪みなのかもしれない。
「……では私が様子を見てまいります。先に進むことを許可してはいただけないでしょうか」
「ふむ。……まぁ、それくらいなら良いだろう。目標の連中を見つけたら速やかに殺せ。邪魔する者も殺せ。白河の魔女はお前じゃ荷が重いだろうが、それ以外ならなんとかなるだろう?」
「御意」
頷いて、公子はすぐさま跳んだ。斥力を応用し、民家の屋根へ着地、更に跳躍して一気に王城へと向かう。
確かに『白河の魔女』たる白河さやかが立ち塞がったならば、公子では対処が出来ないだろう。接近出来ればあるいは、とも思うがそれ自体がほぼ不可能に近いのでは話にならない。
……と、この段階で公子は一つの思い違いをしていた。
自分より強い者がいることなど百も承知している公子だが、それでもなお自分の力を過大評価している節はあったのだ。
風子が生まれるまでは伊吹最強と呼ばれた故か。カノン戦力の中に自分と対等以上に戦える者がいるということをまるで考えていなかった。
とはいえ接敵し、相手の気配や雰囲気を前にすればその認識も改まっただろう。
だが、戦闘というのは必ずしも目の前に敵が現れてから始まるものではないのだ。
「?」
最初に感じたのは、誰かに見られているような視線。
結論から言えば――ここで何の反応も出来なかった時点で公子の敗北は決定していた。
「――!?」
ゴッ!! という音は、一拍遅れて耳に届いた。
襲い来る熱と衝撃。気付いた時には、公子は強烈な魔力放射の一撃を受け、空中に投げ出されていた。
「な、に……?」
防御する暇さえない、完全なる直撃。攻撃を受けたいまでさえ、どこから攻撃されたかわからない。気配も感じ取れない。
超アウトレンジからの長距離狙撃だと理解したのは、自身の意識が落ちる寸前だった。
――08:04――
「ふぅ」
高町なのはは、照射状態のレイジングハートを軽く下げると、安堵の溜め息を吐いた。
「何とかなったみたいだね」
『No problem』
「うん。良かった」
足元に魔法陣を展開したなのはは、戦場より大分離れた王城防衛用の物見櫓に立っていた。
魔力の繰り方、魔術の展開などを勉強したなのはは、その才能を砲撃方面に伸ばしてきていた。
特に佐祐理に教えてもらった超長距離魔術の適正・応用は素晴らしく、その最大射程はいまやその佐祐理さえ凌ぐほどになっている。
精度は完璧。威力はまだまだだがそれでも伸びしろは十二分にある。
発展途上でありながらなおこのレベル。末恐ろしいとは彼女のためにあるような言葉だった。
だが、その成功を喜ぶことはしなかった。
「で気は抜けないよね。……こうしているいまも、皆必死に戦ってるんだもん」
あの戦場ではいまもなお人間の命が容易く消えているのだろう。それを思うと、駆けつけてどうにか止めたい衝動に駆られる。
だが、駄目だ、自分があそこに行っても無駄死にするだけ。なのはのいまの実力では良和らには遠く及ばない。
故になのはの役目は攻撃も、気配感知さえままならぬ距離からの長距離攻撃。それこそが明日美の用意したなのはのポジションだった。
自分がもっと強ければ、と思う。そうならもっともっとたくさんの人を守って命を救うことだって出来たかもしれないのに。
だがここで自分が一時の感情でこのポジションを放棄してしまえば、いま以上に無駄な命が消費されてしまうこともまたわかっていた。
自分の力不足を嘆き、消え行く命に歯噛みながらもなお、高町なのははいま自分に出来る一生懸命を成そうとしていた。
幼くとも、その考えに至り自分を制御出来るなのはは間違いなく立派な戦士だった。
――08:05――
千里の魔眼でその様子を見ていた霧羽明日美は自分の策がどうにか上手く行っていることを認識し、緊張の汗を拭った。
目的は時間稼ぎ。そのために明日美が提示した策は、兵らの命を消耗するまさしく決死の時間稼ぎだった。
どの道、全員で掛かったところで瞬く間に殺されてしまうだろう。ならば小出しにして時間稼ぎに徹する、という無情な策だ。
にも関わらず、否を唱える兵は誰もいなかった。強いて言えばなのはが反対を示したが、それを宥めたのも明日美ではなく捨石にされた兵たち自身だった。
それだけ彼らはカノンを愛し、カノンの民を守りたいと願っているのだろう。そして仮に今回は敗れ王都が落ちたとしても、遠くない未来に王とその仲間たちが必ずや奪還してくれると信じている。だからこそ命を張って戦いに挑むことが出来る。
だとすれば、その決意に応えられるよう最大限知略を巡らせるのが自らの務め。
良和の性格はダ・カーポで戦った時点でおおよそ把握していた。彼ならばこんな風におちょくるような戦法を無視は出来るはずがない。柾木家臣下の者もおおよそ同じだろう。
しかし公子のように、何人かは良和より先行してこの包囲網を無視して進むだろうことも読んでいた。
そもそもこれは包囲網にすらなっていない。無視しようとすればいくらでも無視できる包囲に、全員が付き合うとは思えない。
だからこそそこでなのはの出番だった。
部隊から離れた単体ないし少数の敵を、なのはが長距離狙撃で迎撃する。数が多く混戦ならば出来ない芸当だが、この策はそれを完全にクリアしていた。
柾木陣営で三番の実力を誇る公子は無力化した。良和も当分はこちらの策に付き合うだろう。
時間稼ぎはなった。後は、
「……どうか出来るだけ早く、民が避難してくれることを祈るしかない……」
しかし明日美はたった一つ、そして大きな見落としをしていた。
「お前か。こんな策を考えたやつは」
「!?」
すぐ近くから聞こえてくる声に、慌てて魔眼を解除する。遠くの景色は消えていき、従来の視野に感覚が戻っていく。
「なっ――」
すると前方、堂々とした足取りで男が――柾木良和が、ゆっくりとこちらに近付いていた。
何故だ。何故ここにいる? その心中の驚愕を察してかあるいは偶然か。良和は肩をすくめながら何でもないことのように言う。
「なるほど確かに時間稼ぎならお前の策は正しいよ。僕の性格も把握してるようだ。間違いない。あぁ、間違いないが――目論見が甘かったな」
ハッと思い至り気配を探る。
……ない。どこにも、味方の兵士たちの気配が感じられない。
まさか、と思う。一箇所に集まっていたのならともかく、いくらなんでも各方面に散っていた兵を全員殺すには時間が早すぎるはずだ、と。
だが……それは明日美の物差しだ。
「お前は鬼の力をまだ甘くみている。僕たちをきちんと足止めしておきたいんなら……十倍はないと話にならないよ」
ザッ、という音と同時、良和の後方に数人の影が着地した。
柾木家の連中だろう。その腕は皆血まみれになっているが、自身の傷ではなく……返り血。
それが全ての結果だった。
これがウォーターサマー。これが柾木家。
ダ・カーポで遠目に見ていただけでは把握しきれなかった、純然たる力の差……。
「君の策には付き合った。これ以上は付き合う気はない。……ここで無様に死んで行け」
無造作に近い動きで腕が振るわれる。周囲を飛ぶ虫を払うような動作だが、鬼の魔手はそんな動作でさえ人の命を容易く奪う。
明日美の能力は霧。使い様によっては物理攻撃を透過させることも出来る。
しかし、時間がなかった。準備動作に入る余裕さえない。自分はこの戦意の欠片もない無造作な一撃で消し飛ばされるのだろう。
そう思った瞬間、去来したのは恐怖ではなく悔恨だった。また何も成せぬままで、そして死んでいく。その事実に、現実に、悔しさが止まらなかった。
「……みんな、ごめんなさい」
瞼を閉じて、涙を流す。もう何も見たくはなかった。
何かを砕く音がこだました。けたたましく轟音が響き、衝撃波が土砂を巻き上げ強烈な風となって空間を打つ。
……だが果たして、人は死んでなおこのような感覚を得ることが出来るだろうか?
恐る恐る、目を開ける。
その動作自体が、物語っている。生きていた。いまなお、霧羽明日美はこの場に立っている。
しかし、何故……?
答えは、すぐ目の前にあった。
「ご無事ですか?」
「え……?」
見覚えのない少女の背中が見えた。
小柄で、ともすれば明日美よりも小さいかもしれない少女。しかしその少女は明日美を庇うように前に、そして無傷で立っていた。
振るわれた良和の魔手は、どういったわけかその少女を避けるように地面を砕いていた。それだけだ。
外した? 否、そうでないことは良和の不可解そうな顔を見ればわかる。
「……お前、いま何をした?」
怒気を意識して抑えているかのような、冷えた声だった。それに対し、少女は若干怯みながらも毅然とした表情で、
「言う必要は、ないと思います。そ、それと退いてくださればこれ以上何もしません。ですからどうか――」
「死ね」
聞き終える間もなく、良和の右腕が豪快に振り抜かれた。
今回は先程明日美を狙ったときとは違う。明確な殺意を持った、必殺を意図した一撃だ。偶然で外れるなどということはありえない。しかし、
「――“蒼き鳥”」
砲弾染みた豪撃は、しかしまるで自ら避けるかのように、少女の身体から逸れて後方の建物を砕くのみに終わった。
明日美は見た。
少女の腕に灯る蒼き光。それはさながら鳥の羽のような柔らかさに満ちているかのようだった。
そして光に覆われる手はゆっくりと動き、高速で迫る良和の腕をいとも容易くいなした。
そう、いなしたのだ。最初からその軌道に向けられていたかのように、強引ではなく無理にでもなく、緩やかに流れるように鬼の攻撃を捌いてのけた。
「僕の一撃を捌いた……だと? ……お前、何者だ?」
鬼たちが、ここで初めて警戒の色を見せ始めた。
良和の加減抜きの攻撃を受け流した少女は、その視線に怯まぬようにと一歩前に進み、そして宣言するように告げた。
「――古河渚、です」
揺れながらも強き視線が前を見据え、足を震わせながらもしっかりと地面に突き立たせ、
「この国に命を救われた者です。だから……これ以上、この国の人を傷付けさせはしません」
古河渚は自らの意思で戦場という舞台に上った。
――08:09――
古河渚の介入というアクシデントこそあったが、結果的には良和らの時間稼ぎに成功している明日美たちに対し、稲葉家側の侵攻を止める美汐たちは……。
「ぐ、ああ……!?」
圧倒的な苦戦を強いられていた。
というのも、稲葉の当主宏は良和と違い冷静な上に無駄な殺生を好まない。どれだけ兵を配置したとしても回避出来るレベルならスルーされてしまうのだ。
よって彼らを止めるには、足を止められるだけの戦力を一気に投入するという柾木家とは正反対の策を取るしかない。……のだが、
「タケミカヅチ!」
宏の宣言を受け、彼の使い魔たるタケミカヅチが咆哮を上げ、強烈な雷撃を周囲一帯に迸らせる。それを回避出来る者はほとんどいない。
ただでさえ速度においては最強と言われる雷属性。そのうえ宏の特異体質『魔力吸収』により近くにいればいるだけ動きが鈍くなるというおまけつきだ。
それらをどうにか乗り越えて宏に接近出来たとしても、自身高位の結界師であるかの結界は、並大抵の攻撃では傷一つ負わせることは出来ない。
更に言えば、敵は宏だけではない。
「どいて。邪魔するんならボクは君たちを殺さなくちゃいけなくなる。だから……これ以上前に立ちふさがらないで」
神殺しを所持する魔族、水夏。その速度は舞にさえ匹敵し、技量は一弥に勝るほど。そのうえ佐祐理クラスの魔力まで持っていると来た。
正直一人相手でも厳しいというのに、この二人をこの戦力で止めようということ自体が間違いだと美汐は痛感していた。
ウォーターサマーの主力は皆秋子と同等かそれ以上の使い手だ。
精神論や根性論でどうにもならぬ明確な差がそこにはあった。止められない。自分たちだけでは、どうあっても。
「お前が隊長だな。つまりお前を倒せば……こいつらも、大人しくなるだろ!」
「くっ……!?」
タケミカヅチが巨体をものともせぬ速度で美汐に迫る。
タケミカヅチは神獣。しかも雷の化身だ。雷と同化出来るこの獣にとって、物理的な速度の制約など皆無に等しい。
文字通り雷となった拳が美汐を殴打する。
バチィ!! と放電する音と同時、美汐は大きくすっ飛ばされた。地面を二度バウンドし、そのまま家屋に激突、壁をぶち抜いてようやく止まった。
「ぐ……ぅ……油断、しましたね」
攻撃自体はどうにか槍でガードしたが、雷のダメージが槍越しに効いている。
本来であれば空間跳躍で攻撃を回避するところだが、足止めのためにと宏の近くで戦い続けたのがまずかった。
魔力吸収能力でじわりじわりと魔力を吸い取られた美汐は、いまや咄嗟に空間跳躍が出来るほど力に余裕がなくなっていた。
事前に意識してからの跳躍ならともかく、戦闘での反射的な空間跳躍はかなり厳しいだろう。まさに絶体絶命と言えた。
槍を杖代わりにして、どうにか立ちあがる。だが次の瞬間、その首元に刃を突きつけられていた。
いつの間にか背後に回り込み、背中合わせのようにしながらも鎌の刃を当ててくる、水夏だ。
「もう終わりにしようよ。君たちの負け。ね? 降参してよ降参。そしたら、ボクたちでどうにか君たちだけでも守ってあげるからさ」
稲葉家は他のウォーターサマーと違う、とは聞いていた。まだ理解がある、とも。なるほど確かにその通りらしい。敵にも温情を向ける辺り特にそう思う。
だが……彼女たちはわかっていない。
「このような状況で命乞いをするような者が、そもそもこの戦力差で戦いを挑むとお思いですか? もしそう思っていたならば、あなたの頭はよほど不出来のようですね」
「……命が惜しくないの?」
「違いますね。命より惜しむべきものが多いというだけのことですよ」
消失する。
空間跳躍で一気に水夏の正面に回った美汐が槍を振るい首を狙う。だがその動きを予期していたように柄で受けた水夏はギメッシュナーを回転させ、槍を弾く。
鎌と槍では間合いはほぼ同一だ。水夏はそのまま一歩を踏み出して、懐に潜り込みながら身体を落とし、アッパー気味に刃を振り上げる。
弾かれた槍を手元に戻しては間に合わぬと悟った美汐は一旦槍を手放し、身体を半回転させその振り上げを回避。ステップを刻むように半歩下がり、一回転しながら空中で槍を掴み、その勢いのままに振り下ろした。
ガード。受けた水夏は押し込むように前と突撃し、美汐共々鎌を振り抜いた。壁に激突するかというところで空間跳躍。美汐が家屋の外に出る。
それを追撃するかのような光の斬撃が放たれた。一瞬の間にギメッシュナーを第二形態にした水夏の攻撃は、しかし美汐の連続跳躍によって回避された。
流れるような斬り合いだが、間合いを離した双方の様子は対象的だった。
神殺しの第二形態を解放し更に魔力が充足し始めた水夏と、小規模の連続空間跳躍で疲労が蓄積し疲労困憊な美汐。
このまま戦えばどちらが勝つかなど、誰の目にも明らかだろう。
しかし水夏はもう一度降参を促すようなことはしなかった。美汐の顔を見て、無理だと諦めたのだろう。そっと構える。
「……もう加減はしない。そもそも、僕は宏くんと違って加減とか出来ないんだ。死神だからね」
だから、
「次で終わりにするよ」
それはまさしく神速だった。
美汐の空間跳躍もかくやという瞬く間の間に肉薄し、半秒も待たずにギメッシュナーの光の刃は美汐を切断する。
美汐は何の反応も出来ず、ただ立ったまま光の斬撃にその身体を分かたれた。
「!?」
……はずだった、のに。
「え……なに!?」
驚愕の声は、水夏から。
何故なら手応えが微塵もなかった。文字通り空を切ったに等しい。
しかし何故? 見違えることなんてあろうはずがない。その上気配も確かにそこにあったはずなのに……!
「答えは簡単。あなたは私の狂気に支配されている。だから目測を誤る。間違った像を認識する。つまりはそういうことね」
不意の、第三者の声。それに反応するよりも早く、高速で飛来する何かに水夏はその身を跳ね飛ばされた。
「お嬢!」
「だ、大丈夫ありがとう! でも……いまの、なに!?」
水夏よりもいち早く察知したアルキメデスが張った結界でどうにか直撃を免れた水夏が慌てて周囲を見渡す。
するとやや高めの家屋の屋根。そこに三つの人影を発見した。
一人は先程まで戦っていた美汐だ。が、他二人は見たことのない顔だった。
並び立つのは美汐に肩を貸している、兎の耳のようなものを生やした少女と……そしておそらく先程水夏を跳ね飛ばしたであろう、箒を携えた白黒の少女。
「あなたたち……何故?」
驚愕は美汐も同様。何故なら彼女たちは、ここを出て行ったはずなのに。
「いやぁ、そういえばこの世界の金を持ってないことに出てから気付いてさ。ほんのちょっと工面してもらおうかと戻ってみたらなんかドンパチしてたんで」
「とりあえず助けた方が良いのかな、とね。大丈夫だった?」
ええ、と頷く。いやむしろあまりの急展開にそれくらいしか言葉が出なかった、という方が正しいか。
そんな美汐を見て気が済んだのか、白黒の少女が水夏へ視線を転じる。
「何だかよくわからねぇが……私の勘が告げてるぜ。お前たちが悪人に違いない」
理論も理屈もまったくない言い分だった。しかしそれは実際のところ的を得ていて、彼女もまた理解不能なまでに自分の言に自信を持っているようだった。
とんがり帽子の鍔を指で上げ、どこか男らしくもあるにこやかな笑みを浮かべ、
「こっからは私、霧雨魔理沙が相手をしてやるぜ!」
ここに、新たな強者が舞台に上る。
あとがき
はい、どうも神無月です。
いよいよ私も社会人ですよ。SS書き始めた時は気ままな大学生だったというのに……時間が経つのは早すぎるぜ(汗
それはさておき、本編はいよいよ撤退戦の佳境に入っていきます。
そして本格参戦した渚、魔理沙。一時間という時間を彼女たちは守ることが出来るのか?
そして彼女たち自身の行く末は? そんな感じでお楽しみくだされば幸い。
ではでは、今回はこの辺で〜。