神魔戦記 第百六十六章

                       「徹底抗戦」

 

 

 

 

 

  ――06:19――

 

 パチン、と水瀬秋子の指が鳴る。

琉落( るらく)( よ)

 瞬間、美汐を覆うようにして漆黒の球体が出現する。

 不通の闇に包まれたが最後。何者も逃れることはかなわず、ただ凍りつき塵となって消えるより他にない。

 漆黒の球体が消失した後には何も残されていなかった。天野美汐という存在はこの世から消えたのだと誰もが思うだろう。

 ……そう、普通ならば。

「!」

 秋子の横に不意に影が出現する。

遮鏡( しゃきょう)( よ)」 

 慌てることなく秋子が展開した防御結界に何かが激突する音が周囲にこだました。

 横を見ることもなく、秋子は不敵に微笑む。

「……どうやら平和ボケしてはなさそうですね、美汐」

「ええ。こちらもいろいろと忙しい日々を送っていたものですから」

 他でもない。それは美汐の槍による突きだった。

 槍を押し込み、その反動で後ろへ跳ぶ美汐。その身体に外傷はなく、覇気は未だに衰えていない。

 いわゆる、無傷。先のままの姿で天野美汐はそこに存在していた。

 水瀬の力を知る者であれば、何故と困惑もしよう。しかし秋子は最初からあの一撃で美汐を殺せるなどとは思っていなかった。何故ならば……、

「秋子様。あなたでは私は殺せません。私とあなたでは……能力の相性が悪すぎる」

 そう。水瀬が司るは『不通』の闇。『琉落の夜』はその『不通』によって対象を覆う攻撃だ。規格外の攻撃でも受けなければ内部から破壊することは困難。故に必殺。

 ……だが、美汐にはその不通の闇を破壊せずに脱出する術がある。

 空間跳躍。天野の一族の代名詞とも呼べる特殊能力は、不通の闇という特異性を無効化する。

「秋子様。あなたが私を配下にしたのは私が使えるということ以上に、そういう意図もあったのではないですか?」

 倒せぬ相手を敵に回す者がどこにいるだろうか? ならば自分の仲間に、あるいは配下に組み込んでしまえば良い。当然の話と言えよう。

 秋子は誤魔化す気もないのか、軽く頷いて見せた。

「ええ、そうですよ。私とあなたは相性が悪い。私にあなたは殺せない。だからこそあなたを私の配下にした。ええ、その通りです。認めましょう」

 ですが、と目を細め、

「それはあなたにも言えることでしょう美汐? あなたの特異性は所詮はその空間跳躍一点のみ。

 攻撃力においては時谷にさえ劣るあなたに私の不通の闇を突破出来るとは思えませんけどね?」

「……」

 それもまた事実であった。

 先と同じ理論だ。美汐には秋子を倒せない。ならば仲間になるのが最も効率の良い選択である。つまりはそういうこと。だからこそ、

「私はいまとても気分が良いのです。カノンに、この大地を再び踏みしめ、そして王都へ攻め立てる……。あのときの夢が、いま別の形で叶おうとしている。

 ですからいまの一撃は不問として言ってあげましょう。美汐。もう一度私の下へ戻りなさい。あなたの力、私が有用に使ってあげましょう」

「……」

 慈悲深ささえ感じられる笑顔と共に、秋子はそっと手を差し出した。

 その手を見つめる美汐。その美汐をカノン軍の者たちがただじっと見つめていた。

 現状のカノンの戦力はたかが知れている。常識的に考えれば、ここでこの手を取った方が生き長らえることは可能だろう。

 美汐は瞼を閉じ、大きく息を吐いて……。

「生憎ですが、その言葉は聞けませんね」

 馬鹿馬鹿しい、と一蹴した。

「――」

「私を最も有用に扱えるのは我が真の主……相沢祐一王ただ一人。虎の威を借りて大きな顔をするあなた程度に、私の力は御しきれないでしょう」

「……なんですって?」

「聞こえなかったのですか? 私はこう言ったのですよ」

 槍を回し、そして構え、彼女らしからぬ不敵な笑みを持って堂々と告げた。

「あなたは我が主より数段劣る、と」

「……そう、ですか。ええ、わかりました。そういうことならもはや何も言いません」

 秋子の顔から一切の表情が消えた。そしてリセットされたその末に現れた表情は――静かなる怒り。

「――ここで仲間共々死んでしまいなさい」

 秋子の指がパチン、と鳴る。

 刹那広がる巨大な漆黒。周囲一帯を根こそぎ覆い尽くすほどの闇は、巨大な魔物の顎のようで。

「全軍、退避! すぐさまこの領域より離脱します!」

「ははん! 逃がすとでも思ってるのかしら!」

「!?」

 秋子の背後、そこから新たな少女が出現する。

 美汐は見たことのない相手だ。が、秋子とどこか似た気配を感じ取り、事前情報を照らし合わせて相手の正体をすぐさま看破した。

「水瀬、小夜……!」

「あははははは! 御名答! でもさ、だからどうするって……話よねぇ!!」

 小夜の両手に拳大の漆黒の球体。

 美汐は知っている。ウォーターサマーから亡命してきた者たちから小夜の力は聞いている。

 秋子とはまったく異なる、特殊な力の使い方をするという彼女の力は……結界突破型の直線攻撃。

貫焔( かえん)( よ)!」 

 拳の不通が割れ、あらゆる方角へレーザーのような炎が迸る。だがそれはまさしくあらゆる方向だ。カノン軍のいない方向にまで及んでいる。

 何を、と美汐が訝しんだ……その時だ。小夜がニヤリと口元を歪め、

「――力は捻じ曲がる――」

 突然、『貫焔の夜』がその軌道を直角に捻じ曲げた。

「なっ!?」

 そして全てが秋子の領域より離脱を図るカノン兵に釣瓶撃のように降り注ぎ、進路を妨害、あるいはそのまま串刺しにして命を狩りとっていく。

 美汐の聞いた情報とは違う攻撃方法だ。だがそれが小夜自身の力でないことはいまの呪いを聞けばわかることだった。

「良いわ! 良いわねこの呪具! あたしにピッタリ! あはははは!」

 水瀬小夜がダ・カーポの芳野家で手に入れた原初の呪具。名を『イロタロス』。刻まれた呪いは『力は捻じ曲がる』。

 一ノ瀬ことみの持つ特殊能力『魔力屈折化』を呪具化したものに近いが、その効力は明らかにこちらの方が上だった。

 飛び回る。跳ね回る。曲がり、屈折し、直角に、緩やかに、緩慢に、捻じれに捻じれて破壊の炎は不規則な軌道で対象を追い詰める。

 ただでさえ防御不可、回避さえ厳しい攻撃がその複雑な軌道を持ってより技としての完成度を昇華させていた。

 美汐の空間跳躍を持ってどうにか回避が間に合うほどの攻撃を、一般兵がどうこう出来るはずもない。

 捌くなど論外。防御も不可能。かわしきれず、逃げ切れず、そうしている間に秋子の闇は完成し、逃げ場さえ消え失せた。

「さ、秋子」

「ええ」

 ならば待つのは一つの結果。

破城( はじょう)( よ)」 

 断末魔さえ上げる余裕はない。閉じた不通の闇に飲み込まれた者はただ漆黒にその身を喰らわれ、凍りつき、何を想う暇さえなく砕け散った。

「くっ……!」

 領域内にいて逃げ切ったのは、空間跳躍で後退した美汐ただ一人だ。

 前衛に出ていた兵はいまの一撃で全員消滅。残っているのは明日美含めた後衛部隊のみ。

「逃げるだけですか? それでどう我々の足を止めると言うのです?」

 激突、というレベルの話ではない。攻撃さえする暇なく壊滅したこちらの兵に対し、ウォーターサマー側は秋子と小夜の二人しか攻撃をしていないのだ。

 あまりに一方的すぎる。水瀬秋子が対多に優れていると知ってはいたが、ここまで圧倒的だとは思いもしなかった。

 そして状況は更に悪化の一途を辿る。

「天野さん!」

 軍師として追従した明日美の切羽詰まったような声が美汐の耳に届いた。

「『千里眼』で見ました! 稲葉家と柾木家の少数の主力だけがエフィランズを迂回する形で王都に……!」

「何ですって!?」

 迂闊だった。力に物を言わせた直進行動しか取らないと踏んでいたが、まさかここで陽動という手段を取るとは思いもしなかった。

 明日美は明日美で最重要である風子の監視に意識を割きすぎたために両家の動きに気付くのが遅れてしまった。

 ただ救いは伊吹風子にあれ以降大きな動きがないということか。水瀬家の後ろで何をするでもなくジッとしていることだけは間違いなく確認できた。

 とはいえ、風子なしにしても稲葉家と柾木家共に屈強だ。兵はまだ王都の方が多いとはいえ、指揮官なしに対処出来る相手ではない。

 どうする、と悩む美汐に兵士の一人が歩み寄った。その男はこの部隊においては最も位の高い男であり、覚悟を灯した瞳で美汐を見た。

「天野隊長! どうかここは我らに任せて先に王都へお戻りください!」

「! な、何を言っているんですか!」

「陽動とはいえ、ここに敵の大半が残っているのは事実! 時間稼ぎにはなりましょう! ですからどうぞ、王都を……民をお守りください!」

 美汐は敵軍……その先頭に立つ二人、秋子と小夜を一瞥した。

 両者に浮かぶのは冷たい笑み。こちらを露ほども脅威と思わぬ、自らを絶対強者と信じて疑わぬ自信の体現。

 だがそれは何も間違っていない。レベルが違う。格が違う。彼らがどう足掻いたところで傷一つつけられぬだろうし、仮に命がけで時間稼ぎに走ってもどれほども持つまい。

 ならば武器を捨て投降するか?

 否だ。彼女たちはその下げた頭を足で踏み潰し、結局結果は変わるまい。

 ならば逃亡?

 それも否だ。彼女たちの先程の攻撃を見ればわかる。背中を見せれば最後。漆黒に捕われて塵と消えるだけだろう。

 もはや袋小路だ。彼女たちを前にした時点で結果はもはや一つに過ぎず、違うのは過程でしかあり得ない。

 ……なれば、美汐の取るべき最良の手段は一つしかありえなかった。

「……わかりました。時間稼ぎをお願いします」

「はっ!」

 死刑宣告のような言葉を、しかし兵らはしかと受け入れいた。もはや言うべきこともないと暗に告げる姿勢に、しかし美汐は意味がないとわかりながらも呟いた。

「すいません。私の力不足であなたたちに重荷を背負わせてしまいました。恨むなら私を恨んでください」

「何を仰るのですか、天野隊長」

 前へ、前へ、死地へと近付きながらなお恐怖を見せぬ兵は告げる。

「我らは民のために自ら戦うのです。我らが王と同じように、あなたと同じように……実力はどうあれ、この意志だけは誰にも負けぬと自負しております」

 告げる。

「そうですよ。何故あなたを恨む必要があるのですか隊長?」

 告げる。

「ああ、もしも恨むことがあるとすれば……それは隊長が隊長としての責務を果たせなかった、ただその時だけです」

 告げる。

「だから、さぁ――」

「行ってください隊長。間に合わなかった、など……聞きたくもありませんからね」

 告げられた言葉の数々が、胸に突き刺さった。

 何を想えば良いのか、何を言えば良いのかわからない。しかし、彼らに報いるために何をすべきかはあまりにはっきりとしていた。

 故に、言うべきはたった一つの約束。

「……はい。民には指一本触れさせません」

 力強い言葉に、兵は強く地を蹴った。二人の魔族に、敵わぬと知りながらなお突撃する命がけの特攻。

 それに逆行するように美汐は空間跳躍で後ろへ跳んだ。明日美の横へ着地し、その手を取る。

「王都へ戻ります! 手を離さないでください!」

「……わかりました」

 明日美は何かを言おうとして、しかしその言葉を呑み込み頷いた。

 決定したのも、動いたのもそれぞれの意思。余所者である明日美がどうこう言うことではなく……ましてや決意に泥を塗るような行動は取りたくなかった。

 また守れなかったという想いも去来するが、しかし滲み出そうになる涙を堪えて明日美は言う。

「戻りましょう! 皆さんを守らなくては!」

 美汐は頷き、そして二人はこの場より離脱する。

 残されたのはカノンの兵と、そして水瀬家一派。咆哮し突撃してくる兵を前に、小夜と秋子の両名はただ緩やかに、嘲るように、微笑んだ。

 バカなことを、と。

 

 

 

 ――06:30――

 

 王都カノンではエーテル・ジャンプ装置でのクラナド避難が既に始まっていた。

 しかしヨーティアも言っていたが、一度に跳ばせる人数はそう多くない。王都民全員を避難させるにはおそらく二時間程度はかかるだろう。

「慌てないでください! 順番を守って慌てずに装置へ進んでください!」

 まずは子供を最優先に、次いで女性と老人を。若い男は最後となるが中には兵に志願する者もいて、かなり慌ただしいものとなっている。

 避難誘導が早かったため混乱こそ少ないものの、それでも予定通りの時間で避難が完了するかと問われれば首を傾げざるを得ない状況だった。

 王城に殺到する民を上から見下ろして、有紀寧はギュッと両手を握った。

 大丈夫、絶対に逃がしきる。あの人のいない間に、王都の民に被害は絶対に出させない……。

「マリーシアさん、状況はどうですか?」

「……」

 有紀寧の横にはマリーシアがいた。しかし彼女の瞳はどこか虚ろで、身体も小刻みに震えてしまっている。

 先のシズクの軍勢(と有紀寧は思っている)がキー四国に攻めてきたときの影響で、マリーシアの精神はどこか不安定なものになってしまった。

 本来の彼女ならウォーターサマーの襲撃にももっと早く気付けたはずだ。……しかしそれを攻めることは出来ない。

 そもそもマリーシアは軍属ではない民間協力者扱い。

 そのうえあまりにもマリーシアの心は優しすぎる。多くの人の死を感知出来てしまう能力の使用を求めるのは酷だった。

 返事がないのも仕方なしと思い、有紀寧は追及はしなかった。だがその数秒後、まるで弾かれるようにしてマリーシアが顔を上げた。

 その反応に何かがあったのだと悟る。だが有紀寧は詰め寄ったりはせず、ただ静かにマリーシアの肩に手を置いて、安心させるように微笑みながら、問うた。

「……教えてください。何かあったんですね?」

「……は、はい」

 マリーシアは身を震わせ、目の縁に涙を浮かべながら、それでもなおギュッと両手を握り堪えるようにして、

「え、エフィランズに展開していた兵士の皆さんのけ、気配が……消え、ました」

「……そうですか」

 敵の到達時間を考えれば、戦闘時間は十数分しか経っていない。そこまで戦力の違いがあるということか。

「美汐さんたちは?」

「ぶ、無事みたいです。気配は一瞬消えたけど、どんどんこっちに向かってきてるので空間跳躍で戻ってきてるんじゃないか、と……あと……」

「あと?」

「凄く、怖い気配が……エフィランズを迂回する形で近付いてきてます。数は少ないけど……とても、大きい気配……」

「到着までどれくらいかかりそうかわかりますか?」

「た、多分……一時間ちょっとくらいじゃないかと……」

 一時間。駄目だ、上手く行っても民の半分しか避難が完了していない。そんな状態で王都の中に敵の侵入を許すわけにはいかない。

 しかも数が少ない上に強力な気配ということは、間違いなくウォーターサマーの主力級。一人で数万を蹴散らすという規格外の連中に違いない。

 時間稼ぎが必要だった。

「……とりあえずは美汐さんの到着を待つしかないですか」

 自分一人では何もできない不甲斐なさに有紀寧は血が出るほど拳を握りしめた……。

 

 

 

 ――06:33――

 

 エフィランズを迂回して進軍するのは稲葉家。とはいえそれは宏、水夏を筆頭にごく少数の構成だ。十人といない。

 反対側からは同じく柾木家も良和や公子といった少数精鋭が迂回して王都を目指している。

 ウォーターサマー側からすればここまでは計画通り。推移は好調と言って良いだろう。

 だが、だからこそ先導する宏には懸念が残る。

「それにしても……手薄だな。あまりに戦力が少なすぎる」

 沿岸部でも、エフィランズでもそうだ。民の避難こそ速やかだが、配備されてる兵や将の戦力が想定より幾分も低い。

 あの神族大国エアとさえ激突し押し返したという新生カノンにしてはあまりに弱すぎるのではないだろうか?

 ……そう。ウォーターサマーの軍勢は知らない。現在カノンの大半の戦力が対シズクとの決戦に向かっていることを。

 カノン側からすれば最悪のタイミングは、しかし狙ったわけでもなんでもなく、ただの偶然による悪夢でしかなかった。

「水夏はどう思う?」

「うーん……ボクもよくわかんない。でも大きな気配を持ってる人はそんなにいないみたい。っていうかさやかさんたちの気配も全然しないけど」

「……カノンって確かいまリーフや他のキーの国と一緒にあれこれやってるんだよな。もしかしてそれが今日に重なったか……?」

「だとしたら凄い偶然だねぇ」

「ああ。攻める分にはこちらとしてもやりやすいが……とはいえ、白河さやかやダ・カーポの王女が確認出来ないと面倒だ。くそ、タイミングの悪い」

 宏の言うとおり、『間が悪い』という意味ではウォーターサマー側も変わらない。

 彼らの目的はあくまで白河ことりと白河さやかの二人だ。秋子や風子にはまた違った目的があるらしいが、それはただの私怨に過ぎない。

 彼女ら二名を捕らえる、あるいは殺す。それがここに乗りこんできた目的。だがそれが達成出来ないならば、例え王都を落としたとしても成功とは言えないだろう。

「面倒なことになっちまったな……」

 宏は毒吐き、せめてどちらか一人でもいてくれれば良い、と真っすぐ王都へ突き進む。

 

 

 

 ――06:36――

 

 美汐は明日美を連れて王都まで戻ってきていた。空間跳躍による長距離移動だ、敵はまだまだ当分来ないだろう。

 王都の入り口付近に着地した二人は、既に近辺の家がもぬけの空であることを察した。どうやら避難は着実に進んでいるようだ。

 ……とはいえ、遠方から喧騒が聞こえる。まだまだ時間は足りないのだろう。

「天野さん、まずはお城に戻りましょう。状況を纏めないと……」

「ええ、そうですね。もう一度跳びます」

 秒を挟み、すぐにその姿は虚空へ消える。そして二度、三度と繰り返し最後に出現したのはカノン王城の女王の部屋だった。

「美汐さん!」

 虚空に出現した美汐たちに、待っていたらしい有紀寧がすぐさま駆けつけてくる。対して美汐は頭を下げ、

「再び前置きもなしに部屋へ入ってしまったこと、お許しください」

「そんなことは構いません! それよりも――」

「はい。状況は極めて危険です。敵が来るのもそう遠くないことでしょう。避難状況は?」

「……まだまだです。全員を避難させるにはおそらく二時間程度はかかると思います」

「二時間……」

 隣の明日美が消えるような声で呟いた。

 この場にいる誰もが思っていることだろう。足りない。時間があまりに足りなすぎる、と。

 足りないものはどう埋めれば良いのか? 単純な話だ。

「時間を稼ぐしかありませんね」

 美汐の言葉に、誰も反対はしない。それしか道はないのだ。問題は……その時間稼ぎさえ難しいということか。

「まずは全戦力を集めましょう。王都出入口を守る者以外を全て王城外の広場に召集します。そしてその全てを半分に分け、来る敵の二部隊にそれぞれ当てましょう」

 幸いにも、囮となった水瀬家他、ウォーターサマーの兵たちは未だエフィランズだ。

 先行している少数精鋭ならともかく、こちらの大軍が到着するのは普通に進軍すれば三時間、急いだとしても二時間程は掛かるに違いない。それならばこちらはある程度度外視出来る。

 即ち対処すべきは先行している部隊のみ。これさえ足止め出来れば、民の避難は間に合わせることが出来るはずだ。

 有紀寧が頷き、

「わかりました。では兵の招集は私がしておきます。美汐さんと霧羽さんは作戦の立案を」

「「御意」」

「マリーシアさん、すいませんが敵の行動を見ててくれますか?」

「あ……はい」

「皆で王都を……いえ、カノン王国の民を、守りましょう」

 

 

 

 ――06:48――

 

 古河渚と稲葉ちとせの二人は、突然の避難誘導に驚きを隠せなかった。

 二人は互いのリハビリも兼ねて城下町を探索していたのだが、その途中でいきなり王城への避難誘導が始まった。

 聞いた話によればどうやら南の方角からサーカス大陸のウォーターサマーが攻めてきているらしい。

 最初は反応の鈍かった王都民も、エフィランズや更に南の集落や村からの避難民も王都入りしたことでようやく事の大きさを理解したのか、現在の王城付近は大混雑となっていた。

 一度城に戻ろうとした渚たちでさえ、完全に近付けない状況となっている。

「どうしましょう……」

 渚は隣に立つちとせに問い掛けるが、ちとせの表情は渚を見てはいなかった。

 彼女が見ているのは南の方角。ウォーターサマーが来たというその方角に向けられた瞳は、憂いの色を帯びていた。

「ちとせちゃん……」

 当然だろう。元々ちとせはウォーターサマーの人間だ。複雑な思いが去来しているに違いない。

 だがちとせは一転、突如何かを決意したかのような力のある表情を浮かべると、渚に向き直って、

「渚ちゃん、ごめんなさい。わたしはここまで」

「え? ど、どうしたんですかいきなり」

「わたし……行く。お兄ちゃんたちを止めてくるよ。こんな戦いおかしいって、説得してくる!」

 ダ・カーポと戦うと言った時、結局止められなかった。

 華子が死んだからと言ってダ・カーポに復讐をした宏。しかしそれでまた悲しみに暮れた人たちがたくさんいる。数人はここで見たりもした。

 そして今回はこのカノンにまで攻めてきたという。それは何故? もしもそれに自分の存在が関係しているのなら、それを否定しなくてはいけない。

 いまなら。そう、いまならきっと……。

 と、意気込むちとせの手を、不意に温かなものが包み込んだ。

「え……?」

 それは渚の手だった。

 彼女はちとせの手を取り、誰をも安心させるような温かな笑顔で言った。

「私も一緒に行きます」

 その言葉は、ちとせを驚愕させるには十分すぎるものだった。

「え……ど、どうして!?」

「私にとってちとせちゃんは命の恩人です。返しても返しきれないくらいの恩があります。だから一人でなんて行かせられませんし、行かせません」

 だって、

「ちとせちゃんは大事なお友達ですから」

「――!?」

 ドクン、と胸が疼いた。

「でも……とても危険だよ!? お兄ちゃんならともかく、もし他の人だったりしたら……!」

「だからこそ、行くんです。大丈夫です、いまの私ならちとせちゃんを守るくらいのことは出来ると思いますから……」

 握りしめてくる渚の手から、その決意が伝わってくる。

 ちとせはまだ渚との付き合いはそう長くないが、ここ数日一緒に過ごしてきて、いくつかわかったことがある。

 そのうちの一つが、古河渚という少女が以外と頑固だと言うこと。それが重要なことであればあるほど、彼女は自ら決めたことを違えたりすることはない。

 それに何より……『友達』だと、言ってくれたことが凄く嬉しくて。

「……わかった」

 だからこの手を離したくないと、思ってしまった。

「一緒に来てくれる? 渚ちゃん」

「うん。一緒に行きましょう、ちとせちゃん」

 頷き合う。

 そして二人の少女は手を繋いだまま、走りだした。

 

 

 

 ――06:51――

 

 王城外の広場に、現カノンのほぼ全戦力が集結した。

 兵はおよそ七千弱。しかし将は限りなくいないに等しく、個人戦力として期待できる能力者も数える程度にしかいなかった。

 エターナル・アセリアからヨーティアの護衛として来ていたヒミカ、ハリオンのスピリット二名と、民間協力者扱いの高町なのは。そして軍師霧羽明日美くらいだろう。

 だが彼女らであっても、もしウォーターサマーの主力が皆秋子と同格だとすれば、対等に戦えるとは到底思えない。

 ……しかし、並の兵では束になっても敵わないのはもはや自明。だとすれば結局すべきことなど決まっていた。

 美汐は集う兵らを見渡して、

「……これより約一時間後、敵の先行部隊が王都にやって来ます。数は少ないですがその力はまさしく強大。私でさえ一対一で危ういというレベルの連中です」

 兵がざわつく。遊撃部隊長天野美汐の実力は彼らこそがわかっている。その美汐でさえ敵わないかもしれない連中が迫って来ているという事実。

「しかし……案ずることはありません」

 その事実が混乱や恐怖へと変化する前に、美汐の透き通った声が響き渡った。

「既に民の避難は始まっています。例え王都を落とされようと、民さえ無事ならいかようにもやり直しは効きます。故に勝とうとする必要はありません。

 いまはただ、堪える時です。民の避難を終えれば、あとは我らも同じく撤退します。そして我らが王の帰還を待つのです」

 我らが王。カノンの王、相沢祐一。彼の存在は、カノンの民や兵にとって大きな意味を持つ。

「王と心強い仲間たちが戻ってきたときこそが反撃の時。ですから皆さん、いまこの苦境をどうか乗り切りましょう。絶望を待つのではなく、希望を待つために」

 槍を掲げ、高らかに告げた。

「我らが王のため、そして民を守るため――全身全霊を持って戦うのです!!」

「「「「オオオォォォォォォォォォ!!!!」」」」 

 美汐の鼓舞が、兵の中にあった恐怖心を取り払った。

 そう。いま無意味に勝つ必要はない。勝とうとするより、守ることこそこの戦いの意義なのだ。

 そうであっても厳しいのは間違いないが、やり通さねばならぬ。それがここを任された自分の責務なのだから。

「……」

 ポケットに入っている連絡水晶を取り出した。連絡すべきかせずべきか。

 迷い、しかし美汐は決別するかのように握りしめ、再びポケットの中へと押し戻した。

 時間的に考えて、既にシズクとの戦いは始まっている頃合いだ。こちらの連絡で祐一の邪魔をしたくはなかった。

 あちらとて死地に違いはない。下手にこちらの状況を教えて気を逸らせるわけにはいかないのだ。

 成すべきことを成す。全てはそれからであるべきだろう。

 決意を新たに、美汐は一歩前に出る。

「ではこれより作戦をお伝えします」

 

 

 

 あとがき

 あい、どうも神無月です。

 というわけでウォーターサマー侵攻。カノン大ピンチ、ってところですね。

 大体シズク編と時間を照らし合わせて見てもらえると面白いかもしれませんw

 というかそのためだけに時間表示してるわけですが……w

 とりあえず次回かその次くらいには間章書いちゃいたいところですねー。さてどうなるか。

 ではでは〜。

 

 

 

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