神魔戦記 第百六十三章

                      「怒涛ニシテ傲然ナル狂宴(]U)」

 

 

 

 

 

 ――08:44――

 

 近付いていることがわかる。はっきりと、感じることが出来る。

 臆するでなく、慌てるでなく、ただ悠然と歩くその少女……月島瑠璃子は兄へ近付いていることを精神感応によって認識していた。

 だが拓也は瑠璃子のことを認識できていない。

 いかに戦闘で広範囲に精神感応を展開しているとはいえ、愛しの妹である瑠璃子をSランクの精神感応所持者の拓也が探知出来ないわけがない。

 では、何故……?

「お兄ちゃん……」

 彼女はいつもの色のない瞳を月島拓也がいる方向に向けて、

「……終わりが、近いよ」

 ゆっくりと囁いた。

 

 

 ――08:46――

 

「――!!」

 拳をぶち込んだ。

 郁乃は確かに障壁の破砕音を聞いたし、右拳にも肉を打つ手応えがあった。

 障壁突破に(まじな)いを使いすぎて右手がオーバーヒートし、攻撃系の(まじな)いを追加出来なかったのは認めよう。

 しかし、だからと言って……!

「吹っ飛ぶどころか……少しも動かないってどういうことよ……?」

 右腕は間違いなくルーシーの腹に沈んでいる。身体をくの字に折り曲げているし、口元からは微かに血もこぼれている。

 が、それだけだった。

 足は床から離れてないし、一ミリたりとも動いていない。

「……誇るが良い、うー。肉体的に『痛み』を感じたのは数十年振りだし、それ以上にこの結界を真正面から打ち破られたのは数百年振りだ」

 不敵に微笑むルーシーにガシッと右手を掴まれた。

「しまっ――」

 ルーシーに攻撃が効かなかったことに気を取られて足を止めたことが隙となった。

 物凄い力で右手を引かれ、踏ん張りきれずに体勢を崩す。そこへルーシーの左手が伸びる。

「礼は尽くす。とりあえず受け取っておけ」

 ガラ空きの鳩尾に下から抉りこむようにして拳がぶち込まれた。

 だが対物理においてはほぼ無敵に等しい現状の郁乃に、その程度の打撃は通用しない。

 しかし、それをわかった上で繰り出して来る攻撃というのに嫌な予感を抱いた郁乃はすぐさま飛び退こうとする。が、

「!?」

 足が動かないことに気がついた。

 どれだけ動かそうとしてもピクリとも動かない。しかも足だけではない。腕も……そして、次の瞬間には視力までもが消え失せた。

 四肢は動かず、眼も見えず、何も出来ない。その状況にある事柄を連想し、血の気が引いた郁乃は声を荒げた。

「何を……したの!?」

 それは怒りというわけではなく、むしろ脅えを孕んだ叫び。対するルーシーはやはり抑揚のない声で、

「うーは物理・魔力の外的な耐性はかなり高そうだったのでな。中から攻撃させてもらった」

 いわゆる、とどこか自慢げに前置きし、

「精神干渉というものだ。るーは戦闘能力に劣る分、こういったことは得意なのだ」

「精神干渉……まさか!?」

「もう気付いているだろう? るーの行った精神干渉は『記憶再現』だ。うーの現状は、うーが最も辛かった頃の身体の記憶を再現している」

「っ……!?」

 あぁそうだ。気付かぬわけがない。

 腕も足も使いものにならなくなり、眼さえ潰れたあの頃……動くことも叶わず、ただただ光のない暗闇の中で死という恐怖が襲いかかって来たあの瞬間。

 小牧郁乃が人間の身体でなくなったあの時。その記憶だ。

「あ、ああああああああああああああああああああああ!?」

 心が捩れる。

 既に乗り越えた過去が、トラウマという形で郁乃の精神を蝕んでいく。

 戦争。そう、戦争だ。まだ力も知識もなく病弱だった郁乃は、戦火から逃れることが出来ず、巻き込まれ重傷になった。

 眼が潰れた。何も見えない恐怖。見えないのに、耳には人々の悲鳴と破壊、蹂躙、殺戮の音がただただ耳に流れ込んでいく。

 逃げたくなった。一時でも早くここから逃げ出したい。にも関わらず手は切断され、足は爆発で吹き飛び、動くこともままならない。

 無造作に命が消え行く戦場で、何も見えず、しかも逃げられないという恐怖がわかるだろうか?

 だがそれは過去の話。多くの偶然はあれど、そこから這い上がり戦う力も得た自分はもうあの時のようにはならない、と。

 ――そう、思っていたのに……!?

 恐怖に身が竦んだ。暗い。怖い。痛みすら記憶再現され、心が黒く塗り潰される。

「乗り越えたつもりでも、それは心の奥底で封じただけに過ぎないことも多くある。うーの場合はまさにそれなのだろうな」

 ルーシーは身動きの取れなくなった郁乃の手を再度掴み上げ、

「どうか乗り越えてくれよ、うー。その心のトラウマを乗り越えてもう一度るーの前に立ち塞がってくれ。だから――今日はこれまでだ」

 放り投げた。

 その先には祐一たちが捕らえれている漆黒の球体。激突するかと思いきや、郁乃の身体はまるで水に沈み込むかのように球体へ吸収された。

 閉じ込められている祐一たちには視覚的にも聴覚的にも、また魔力的な意味でも外の情報を捉えることが出来ない。

 もちろん郁乃が戦っていることも知らないので郁美たちは突如郁乃が現れたように見えて驚いたが、二度目の光景である祐一には何が起こったのか理解できた。

「郁乃!? お前まで――!?」

 だがその言葉は途中で切れた。すぐに異変を察したのだ。

 郁乃は目を開けているが焦点が合っておらず、手足をだらりと伸ばした状態で受身も取らず無造作に倒れたのだ。

「郁乃!?」

『精神的に最も辛い記憶を再現させている。処置が出来るならすると良い。まぁ無駄だと思うが』

 聞こえてきた声に咄嗟に反応したのは芹香だった。彼女は魔本を左手に抱えたまま、右手を郁乃の胸に当て、何かしらを唱えている。

 処置が出来るのか出来ないのかわからない。だが祐一と郁美は郁乃を芹香に託し、ルーシーの声に耳を向けた。

『褒めてやると良い。そこの女はるーの防御壁を一瞬とはいえ打ち砕いた。現状の世界でここまで出来るやつはそういない』

「貴様……!」

『相沢祐一以外の連中も随分増えてしまったが、まぁトラブルはつきものだしな。精々転移先で離れないように、手でも繋いで離さぬことだ」

「!」

 空間が歪むのを祐一たちは察知し、その意味するところを理解した。

 強制空間転送が始まる。

「俺たちをどこへ送るつもりだ!」

『秘密の方が楽しめるだろう? だがそこはうーたちでもそう楽には勝てない敵がいる。気をつけるが良い、

 うー。力を元に戻しては欲しいが、死なれたら困るのは事実なのだから。

 最後に一つ、残念なお知らせをしよう、うー。おそらく戻ってくる頃には、うーたちの仲間は数人消えているだろう』

「なっ……!?」

『一応言っておくが、それをするのはるーたちペンタグラムではない。敵対勢力など多く存在することを忘れるな』

 嘲るような小さな笑みを音が響き、

『それが嫌なら早く戻ってくることだな、うー。そうすれば、消える仲間の数を少しは減らせるかもしれないぞ?』

 ズズズ、と不気味な鳴動が響き渡る。

 気付けば、周囲が靄掛かったように白くなっていた。近くにいるはずの郁美はぼんやりと、芹香たちの姿に至ってはまったく見えなくなってきている。

「全員、誰かの身体を掴め!」

 祐一は真琴を抱きかかえる手に力を込め、隣の郁美がギュッと腕を絡めてきた。

 祐一たちと接触を絶たれてしまった芹香もまた守るように郁乃を抱きしめた。

 手を離すな、とルーシーは言った。こんなことをして本当に転送先で逸れないのかどうかはわからないが、何もしないよりはマシだった。

「兄さん……」

「心配するな。仲間を信じよう」

 郁美に、そして自分にも、祐一は言い聞かせた。

 大丈夫だ。自分の仲間は皆強い。自分がいない間もどうにかしてくれるはず。そう信じることしか、いまの祐一に出来ることはなかった。

『では、さよならだ。うーたちにとって良い旅になるよう願っているよ』

 空間の歪みが最高潮に達し、

 

 その瞬間、三人の王と二人の戦士が姿を消した。

 

「あ……」

 呟いたのは、果たして誰だったか。

 甲板上にいる兵たちは皆、呆然とした面持ちで何もない空間を見つめていた。

 祐一たちは皆を信じると言った。だが――皆にとって、祐一たちの存在は彼らが思っていた以上に大きいものだった。

 祐一も、郁美も、芹香も。その圧倒的なカリスマで将や兵、民を従えてきた王なのだ。皆が慕い、尊び、敬う絶対的な王。

 しかし、だからこそ逆に……、

「――いざその王が消えてしまえば動きが止まってしまう、か。カリスマがありすぎるというのも困ったものだな」

 ルーシーが告げる通り、周囲にいる連中は皆ただただ呆然とするばかりで何もしようとはしなかった。否、出来なかった。

 王が倒せぬ相手にどう戦えば良い?

 王がいないのに何をどうすれば良い?

 彼らにとって王の存在が大きければ大きいほど、その消失ないし敗北というのは心の支えを打ち砕く行為に等しいのだろう。

「まぁ、ある意味ではこちらにとっても試練というわけだな」

 祐一たちがいなくとも、動くことが出来るのか。国家としての試練と言えようが、まぁそれは副産物だな、とルーシーは思う。

 ともあれ自分の任務はこれで終わりだ。これからどうなるかは自分の管轄外だし、それこそ知ったことではない。

 しかし、個人的につまらないことが一つある。

「……結局、うーは見ているだけでも何もしてこなかったな」

 そう言い残し、ルーシーもまた虚空へと消え去った。

 

 

 その光景を、終始上空から眺めている男がいた。

 ルーシーの最後の一言の送り主であり、そして事前にルーシーの気配に気付いた一人でもある。

 国崎往人だ。

 介入するタイミングはあったし、あの力の正体も薄々勘付いてもいた。しかし手を出さなかったのにはいくつか理由がある。

 まず、祐一を助けなくてはならない理由など微塵もなかったこと。同時に郁美や芹香も知ったことではない。

 そして、仮に力の正体が自分の思った通りなのだとしたら、ルーシーはあれでもまだ力を隠しているだろうことがわかっていたこと。

 最後に、もしそんな彼女を倒すとなれば方法は一つしかなく……しかしその方法をこんな大観衆の前で使用することは決して出来ないためだ。

「……ま、あいつらの力を見れただけでも僥倖か」

 そう呟いて、往人は地上に引き帰す。

 おそらく王が消えたことはこの戦闘が終わるまでは混乱回避のために伝達されることはないだろう。

 しかし戦闘終了後、状況が明るみになった際に、見てるだけで何もしなかったということがばれたらきっと神奈にどやされるだろうなぁ。それだけが往人の悩みだった。

 

 

 ――08:47――

 

 大地が爆発する。

 土砂を撒き散らし、地中から蔦や枝、蔓、木々がまるで触手のように蠢き、敵を貪らんと暴れ回る。

「あはははははは! どうしたどうした! あれだけ僕を倒すなどとほざいていたのに、僕にはまだ傷一つないぞ? ん? どうした? 早く来るがいい!」

 その中央で、まるで大仰な指揮者のように腕を振るう月島拓也は、耳に障る笑いでもって、逃げ回る五人の戦士を見つめている。

 対する朋也たちは、必死にアインナッシュの間隙を縫って拓也に攻撃を通そうとするが、

「駄目か……! 遠すぎる!」

 アインナッシュの規模が半端ではない。拓也に攻撃が近付く前に別のアインナッシュの一部にガードされてしまう。

 先程アインナッシュの森の中に潜入出来たことを過信したわけではない。だが、アインナッシュの攻撃性、速度、防御力、何もかもがあのときより遥かに高い。

 攻撃を一度でも受ければ生身の人間では終わりだろうし、群集密度の高い中央の拓也にはどうあっても近付けない。かと言って遠くから攻撃をしても届く前に防がれてしまう。

 それが現状、朋也たちが置かれている袋小路のような状況だった。

「鬼ごっこかい? 逃げ続けてるだけで勝敗がつくなんて、子供みたいなこと言わないだろうねぇ? んん〜?」

「そうですね。この戦いは、あなたの死でしか解決しないでしょう」

 茜が周囲に呼び出していた水を薄く圧縮し、円盤のようにして発射した。それは回転鋸のようにアインナッシュの木々を切断して拓也へ近付いていく。

 だが密集するアインナッシュは上下から円盤を串刺しにし、水分を一瞬で吸収して無効化した。

「くっ……」

「里村茜。あの時の水精憑きか。待っていろ。君も僕の忠実な下僕にしてあげよう」

「お断りですよ」

 アインナッシュは吸血鬼だが、それ以前に植物だ。水を操る茜にとってはあまり相性の良い相手ではない。

 逆に、この中で最もアインナッシュとの相性が良いのは、

「ええい、邪魔よ!!」

 数多の糸を繰り出し、迫り来る蔓や枝の一切合財を切り飛ばす折原みさおだ。

 蜘蛛である彼女は、単純な種族キャパシティでは互角。アインナッシュは二十七祖に名を連ねる死徒なので個々のキャパシティに差はあろうが、この戦場で最も戦闘能力が高いのは間違いなく彼女だろう。

 実際、みさおが最も拓也に近い場所にいる。アインナッシュの猛攻を糸で防ぎ後退せずにいるのだ。とはいえ近付けもしないわけだが。

「くそ、こうしている間にもたくさんの連中が戦ってるっつーのに……!」

 歯噛みする朋也もまた、攻め手に欠けている。

 手札は多いため、火、氷など植物に有効な手立てはあるが、アインナッシュとなると純粋な属性間の有利不利はあまり役に立たない。

 とはいえ朋也には祐一との戦いで再現可能になった『陰陽の剣』がある以上、敵の防御力に対しての悩みはない。

 問題があるとすれば、朋也の身体能力でアインナッシュを突っ切り拓也のところへ辿り着くのは不可能だということだろう。

 ……と、そうして戦う彼らを冷静に分析している男がいた。

 この戦場において最も戦闘能力の劣る純一。しかしそれを悔やんだりせず、ただひたすらに彼我の戦力状況を観察していたのだ。

 月島拓也自身の戦闘能力は未知数だが、脅威ではないだろう。問題のアインナッシュと、自分も含めた五人の力を考慮すれば……、

「突破は、難しくない」

 純一はアインナッシュの攻撃からこちらを守るように援護してくれているアイシアに視線を向け、

「アイシア。ちょっと無茶を通してもらうが、行けるか?」

「任せてよ。わたしは純一のサーヴァントなんだから!」 

 自分の身だけでなく純一も守っている分負担は相当だろうに、それでも笑みを見せてくれるアイシアにいまは甘える。

 無力を嘆くことはない。自分は自分の出来ることで、報いれば良いだけのこと!

『三人共、この念話は届いているか? 届いていれば一つ頷いてほしい』

 朋也、茜、みさおは一瞬驚いたような顔をしたものの、すぐに気を引き締めて首肯を返してくれた。

 頼もしい。そう思いつつ、純一は簡潔に一言、強い意志を持って告げた。

『俺にアインナッシュを突破してあのクソ野郎をぶっ飛ばす策がある。あんたらの命、俺に預けてくれないか?』

 

 

「つまらん。つまらんなぁ……」

 月島拓也はポケットに手を突っ込みならが、ただ漫然と戦闘を眺めていた。

 アインナッシュの力は強大だ。そんじょそこらの連中が勝てるようなら死徒二十七祖の肩書きがつく筈もない。

 そんな、本来はただ本能のままに吸血行動を取るだけのアインナッシュと意思疎通を可能とさせる高ランクの精神感応。

 無論アインナッシュに強制的な精神支配は効かないが、意思疎通が出来れば交渉は容易い。アインナッシュに多くの人間を提供する条件で忠実な配下としたのは自分でも上手い手だと思う。

 そう、この力さえあれば敵などいない。例え誰であろうとも……、

「この僕の邪魔は出来ないんだよ」

「さて、それはどうかな?」

「あ……?」

 思わぬ返答は視線の先。

 空を舞う魔女に守られている、鎖を携えた青年からだった。

 ハッ、と嘲るように息を吐き、

「何を言っているんだ無能の分際で。ただ見ているだけ、女に守られることしか出来ない屑が、僕に何を言う資格がある?」

「力がある者が正しいのか? 力ある者こそが全てだとても? 本気でそう思ってるんなら……救えないな、お前」

「なにぃ……?」

「お前の目的なんざ知らないし、知るつもりもない。が……これだけは言っておくぞ」

 純一は親指を地面に向けて、言う。

「なんだかんだ喚いちゃいるが、お前なんて大した力もない妄想好きのただの馬鹿野郎だ」

「――」

 月島拓也の顔が固まった。

 ――力もない、馬鹿、だと?

 だが数秒の後、今度は逆に身体が小刻みに震えだす。

 それは怒りだ。途方もない怒り。腹の底からせり上がる巨大な負の感情を、

「ほざくなよ何の力もない劣等の分際でぇぇぇ!」

 吼えて出した。

「もう良い! あぁ良いさ! わかったよ! そんなに死にたいんだな!? あぁ良いとも殺してやるよ! 死ね、死んでしまえ無能の劣等!

 お前の身体をめちゃめちゃに切り裂いてやる! 自分の発言を後悔しながら涙と汚物に呑み込まれて消えろ! アインナッシュゥゥゥゥゥゥ!!」

 刹那、先程よりも更に多くのアインナッシュの木々が純一目がけ殺到する。

 だが純一は怯まない。いや、むしろその口は笑みに釣り上がり、

「こんな軽い挑発で激情するなんて、やっぱ馬鹿だろ、お前?」

 銀閃が、迫る木々を切断した。

「!?」

 糸だ。数千、数万にも及ぶ糸が張り巡らされ、アインナッシュの根や蔦、蔓など全てを寄せ付けない。

 言わずもがな、蜘蛛、折原みさおである。

「ここから先は通行止め、ってね。わたしを抜くには、料金不足よ!」

 ズァ! と、大地が爆発し、地面を抉るように糸が飛びだして木々を両断していく。

 アインナッシュの木や蔓、枝なども相当だが、みさおの放つ糸もまた数では負けていない。

 攻撃にシフトすることこそ出来ないが、防御のみに専念すればアインナッシュの攻撃はみさおに届くことはないだろう。

「何をやっているアインナッシュ! とっととそこの男を食い殺せぇ!!」

 だが月島拓也にはそれがわからない。アインナッシュという強大な配下を持つが故に、敵の戦力を計ろうともしない。

 だからこそ、そこが隙にもなる。

 もっと考える頭があれば、看破まではいかずとも疑問には思ったはずだ。

 先程まで純一を守っていたアイシアがいないということに。

「多重魔術式、集中!」

 その声は背後から。

 危機感というものに欠けている拓也は、何事かと軽い動作で振り返る。

 そこに、多数の魔法陣を前面に集させたアイシアの姿があった。

「連結! 超高圧縮術式……!」

 アイシアが腕を振るい、拓也を指差す。その方向に魔法陣が一直線に並んだ。それはまるで何かを発射するレールだ。

 そしてもう一方の手に魔力を宿し、最前面の魔法陣に向かって手を振り下ろし、

「『断罪の業炎道(エルメキエスド・ゼロ)』!!」

 殴り飛ばした。

 魔法陣からアイシアの魔力で形成された炎の超魔術が奔る。

 それは前の魔法陣を通過し、そこから発生する超魔術を吸収、増大し、更に前の魔法陣を通過し、吸収……それを順々に繰り返し、より速く、強く、鋭くなっていく。

 全ての魔法陣を抜け切る頃には、もはや古代魔術の域にまで達する膨大な魔力と、雷属性もかくやという超高速の『断罪の業炎道』が発射された。

 一直線上にある木々や蔓、蔦を突っ切り、月島拓也へと迫っていく。

 先程のように密集していればガードもできようが、純一の挑発に乗りアインナッシュの力の大半をそちらに向けたために、威力がほとんど落ちていない。 

 これなら確かに拓也にまで攻撃が届くだろう。

「これが狙いか……!」

 事ここに至り、ようやく拓也は純一の狙いを察した。だが、

「無駄だ! 無駄だよ! その程度の攻撃で、僕を殺そうってのが甘いんだよぉぉぉ!」

 アインナッシュの防御を突き破り、砲火は一気に拓也を飲み込んだ。

 爆発、炎上。貫いた超魔術はようやくその姿を消し去っていく。直線状には炭となった木々と、左半身が根こそぎ消し飛んだ月島拓也の姿。

 だが、

「くは……ははは、あははははは!!」

 拓也の身体はすぐさま自己再生を開始した。

「あぁ、残念だ! 残念だがなぁ! 僕には普通の攻撃は通用しないんだよぉ! 香奈子の自己再生能力を封印の宝珠の力で移植したからねぇ!

 ハハハハハ! ほら見ろ、どんな作戦も圧倒的な力の前にはただのゴミ屑同然なんだよ!!」

 哄笑を上げる拓也を横目に、純一はポリポリと頭を掻いて、

「勝ち誇ってるところ悪いんだがな――」

 告げた。

 

「そんなのとっくに視えてた(、、、、)よ」

 

「あ?」

 疑問の声は、ドスッ、という音と重なった。

 何かを刃物が貫いたような音。何が、と思いふと下を見れば、

「……あ?」

 胸から、白でもあり黒でもある剣が生えていた。

「『陰陽の剣(インシュレイト・ブレード)』」

 気付けば、いつの間にか背後に岡崎朋也が立っていた。

 つまりこの魔術の剣は朋也が突き刺したものなのだろう。心臓を一突き。だが拓也は驚きもせず背後に顔を向ける。

「その程度でこの僕を殺せるとでも……ごふっ!」

 ビシャ、と吐血した。その光景を呆然と見て、そして拓也は目を見開いた。

「な、に……? 再生、しない、だ、と……!?」

「知らないだろうが、こいつは対消滅系でな。自己再生は通用しない」

「なっ……!?」

「そいつの言った通りだな。力に慢心しているから、こういうことになるんだよ」

 元々先程アイシアが放った超魔術は拓也を倒すためのものではなかった。

 あれは対消滅の力を扱える朋也を拓也の元へ辿りつかせるための、道を作るためのもの。

 アインナッシュに開いた穴を、茜の水で高速輸送された朋也がガラ空きの背後からトドメを刺す。これが純一の組み立てた策だった。

 剣を引き抜く。

 それが支えになっていたのだろう。もはや自分の力で立っていることも出来ない拓也は、そのまま一気に倒れ伏せた。

 治らない。治らない。治らない。

 どれだけ待っても、突き破られた心臓が治る気配がない……!

「ば、かなぁ……! ハッ、ハッ、かはっ! ……こ、こんな、こんなことがあってたまるかぁぁぁ!」

 封印の宝珠の力がまだ残っているのか、あるいは移植した自己再生がどうにか延命措置をしているのか。定かではないが、拓也はすぐに死にはしなかった。

 そうだ。まだ間に合う。アインナッシュの力で一度傷付けられた心臓を取りだせば良い。そうすれば再び自己再生が働いて死なずに済む。

 だが……そう念じても、何故かアインナッシュは動こうとしなかった。

「何をしているアインナッシュ……! 僕の言うことが聞けないのかぁ!?」

「……無駄だよ。お兄ちゃん」

「!?」

 透明な、声。

 その声の主を拓也が間違えるはずがない。

 身体を震わせながら首だけを動かして、見た。そこに、思ったとおりの人物の姿がある。

「る、瑠璃子ぉぉぉ!」

 月島瑠璃子。彼の最愛の妹にして、全ての想いの対象。

「は、ははは、や……やっと来てくれたんだね瑠璃子! ゴフッ、ほら、み、見てくれ! お前の……ためを思って創り、上げた、この理想郷を!」

「……」

「も、もう少しなんだ。……もう、少しで優しい……世界が出来るんだ。だ、から……なぁ、瑠璃子。頼むよ、お兄ちゃんを助けてくれよ。

 そうして……そうして二人で、世界を変えよう! さぁ、瑠璃子ぉ!」

 地面に這い蹲りながら、瑠璃子に向かって手を伸ばす。

 しかし、彼が正気だったならすぐに気付けただろう。

 アインナッシュに精神感応が届かないということは誰かに阻害されているということであり……そんなことが出来る者が誰なのか。

「……終わりにしよう」

「え……?」

 瑠璃子はどこか哀れみを宿した瞳で、兄を見下ろした。

「もう良いよ。お兄ちゃん。お兄ちゃんは……やりすぎた。……だから、もう終わり」

「それは……ど、どういう……」

 愕然と問う拓也に、瑠璃子は目を閉じて両手を抱き、一言告げた。

「私は、こんなの望んでなかったよ」

「――!?」

 崩れた。

 月島拓也の根本にあるはずの“何か”がいま、音を立てて脆くも崩れ去った。

「がふっ……瑠璃子……ぼ、くの……るり……ぼ、くは……お前の……た、め、に……世界を、変え――」

 何かの聞き間違いだと。そんなことあるはずないと。救いを求めるように更に手を伸ばす。

 そうだ。瑠璃子ならこの手を取ってくれる。また二人でずっと一緒に、二人だけの世界で生きていける。

 そう思っていた。そう確信していた。しかし、

「……」

 瑠璃子はその腕を取ることなく、拒絶するように視線を外した。

「――あ」

 月島拓也にとって月島瑠璃子とは兄妹という枠以上の存在で、何より大切な絶対の存在だった。

 そんな彼女による拒絶。それ即ち、

 

 彼にとっての、全否定。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 そうして月拓也は孤独のままに力尽きた。

 

 精神感応が、消えていく。

 

 

 ――08:49――

 

「……あ」

「え?」

 時谷と戦いを続けていた亜衣は、時谷が不意に動きを止めたのを見た。

 時谷は自分の両手を見下ろし、次いで「あー」とか唸りながら頭を掻いている。

 消えた殺気。その動作。まさか、と思う。もしかして、とも思う。潤みそうになる瞳を懸命抑え込み、おずおずと口を開く。

「時谷……さん?」

「あー、なんだ。……いらん世話をかけたな、亜衣」

「あ……!」

 理解した。

 精神支配が解けたのだ。

 ディトライクを落としてしまった。申し訳ないけど、いまだけは大目に見て欲しい。

 もはや亜衣は流れ出る涙を隠そうとせず、時谷に向かって一気に飛びついた。

「時谷さん、時谷さん、時谷さん……!!」

「ちょ、おい!? こら、抱きつくな! 亜衣!」

 聞く耳を持たない。亜衣は一層強く時谷の首に手を回し、

「駄目です! 心配させた罰なんですからぁ……! しばらくこのままです!」

「おいおい、マジかよ……」

 そう言われては強く出れないのか、時谷はやれやれと嘆息しつつ、安心させるように背中を軽く叩いた。

 

 時を同じくして、次々と精神支配をされていた者たちが意識を取り戻していく。

 皆助かったこと、助けられたことを喜び、そこかしこから笑いや歓喜の泣き声が聞こえてくる。

 これでこの戦いは終わり。

 誰もがそう思った。しかし……。

 

 

 ――08:50――

 

「それは……本当ですか?」

 司令室にいるささらは当惑の思いで聞き返した。

『このルヴァウルってやつの言うことが確かならな』

 通信相手は折原浩平だ。彼にもいつもの飄々とした感じがなく、どこか困惑しているようだ。

 それも当然。もしそれが本当ならば、自分たちは一つ大きな勘違いをしていたことになる。

「もう一度、確認しますよ」

 息を吐き、気持ちを整えて、

「キー四国を同時に攻めたあの事件。あの事件に……月島拓也は(、、、、、)関与してない(、、、、、、)のですね?」

『らしいな』

 浩平がルヴァウルから聞いた話では、拓也の隠れ家に一度鹿沼葉子が現れたという。

 そして彼女は拓也にこう言ったのだ。

『……あなたはやりすぎました。特にキー四国への同時攻撃などはその最たるものでしょう。

 あれはあのまま四国同士やり合わせていれば良かった。そうすれば今回のようにキーの国々が一時的にとはいえ手を組むこともなかったはず』

『同時攻撃〜? さて、なんのことやら』

 葉子は誤魔化しと思ったようだが、意識を保ったままシズクの中にいたルヴァウルは知っている。

 神耶たちがワン国境沿いの戦いで吸収されてから、シズクは一度も出陣して(、、、、)いない(、、、)

 つまり、あのとき四国に同時に攻めてきた連中はシズクではないということになる。

『俺たちは精神感応で操られているからイコールシズクの連中だと思い込んじまったわけだが……』

「ならば彼らは一体……?」

 誰なのか。

 

 

 

 ――08:51――

 

 終わった。

「あぁ、しんどい」

 大きく嘆息し、純一は座り込む。拓也が死んだためか、アインナッシュはほとんど動きを見せていない。

「お疲れ様、純一」

「アイシアもお疲れさん」

 パン! とハイタッチ。そして笑い合う。

「今回も助けられっぱなしだったな」

「でも最後は純一の作戦があったから勝てたんだよ?」

「そもそもアイシアたちの力がなかったら立てられなかった作戦さ」

「でもやっぱり純一は凄いよ!」

 臆面もなく言うアイシアに、純一の方が照れる。

「あ、そうだ。アイシア、お前一足先にさっきの人たち連れて戻っておけ。治療しないと」

 照れ隠し、というわけでもないが、後ろには拓也との戦いで傷付いたベナウィやクロウたちがいる。クロウはともかく、ベナウィは早急に治療した方が良いはずだ。

「ん、わかった」

 アイシアもそう思ったのだろう。笑顔で頷いてベナウィたちの方へ向かっていく。

 それを見送りながら、周囲を見渡す。朋也やみさおたちも戦闘が終わったことでのんびりとしたムードが漂っている。

 純一は何気なく瑠璃子を見た。

「お兄ちゃん……人を力で支配したって世界は変わらないよ」

 兄の死を前にして彼女は顔を俯かせていた。

 泣いているのか、と一瞬思ったが……違う。そうじゃない。月島瑠璃子はその時間違いなく、

「世界を変えたいのなら――」

 

 笑ったのだ。

 

「世界を、また(、、)壊さないと」

 

 刹那、世界の重圧が増した。

「んな……!?」

 一瞬重力系攻撃を受けたのか、と思った。何故なら朋也たちも自分と同じように苦しげに膝を折っているからだ。

 だがすぐにそうではないことを理解する。

 下。地面から生えた草が風に揺られている。普通に、何の影響もなく。

「ま、さか……」

 ここに集っているのは戦士ばかりだ。誰もがシズクと戦うためにここにやって来た者たち。つまり力を振るう者たちだ。

 しかし、だからこそ普通の人間より敏感な者がある。

 気配探知。

「まさか――!?」

 純一は本能的に上を見た。

 上空。アインナッシュの真上。エルシオン級艦隊三隻のほぼ真ん中に、それ(、、)はいた。

「ん〜、さっすがアタシの乙女座(ヴァルゴ)。仕事は完璧ねん♪ ……ま、魚座(パイシース)も上手くやったみたいだけどぉ?」

 全身に髑髏の装飾を盛り込んだ奇天烈な衣装を着た少女だ。

 それを見た瞬間、すぐに理解した。この力の発生源は間違いなく彼女からだと。

 重圧を感じる。これは術でもない、ただのプレッシャーだ。ただそこにいるだけ。それだけでここにいる全員を押し潰すほどの威圧感を放っている。

 ――駄目だ。

 ズキズキと魔眼が疼く。警告を促している。

 逃げろ。アレとは戦うな。いまのまま(、、、、、)ではアレには絶対に勝てない……!!

「あは。皆さま初めまして〜。えー、アタシはペンタグラム五使徒、序列W。『煉獄の落とし子』慧花と申しますー。

 ようやく準備が整いましたので、本日お集まりの皆々様に我らペンタグラムの名を知っていただこうと参上した次第にございます」

 さぁ、と前置きし、

「世界の終わりと始まりの、その序章を初めましょう」

 

 

 

 あとがき

 どうもこんにちは、神無月です。

 シズク編終了……と思いきや? って感じの終わり方になしました。

 んでもって祐一たちが退場。彼らがどこに飛ばされたのかは全世界編をお待ちください(何

 ペンタグラムも表舞台に出てきて、ようやく三大陸編も三分の二が終わった感じです。あぁそろそろ番外も進めないと……w

 では、今回はこの辺で。また次回にー。

 

 

 

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