神魔戦記 第百六十二章

                      「怒涛ニシテ傲然ナル狂宴(]T)」

 

 

 

 

 

 ――08:40――

 

「相沢祐一。うーを――ここから消すことだ」

 ルーシー・マリア・ミソラと名乗った少女は、歌うようにそんなことを告げた。

 誰もがその言葉の意味を考える中で、真っ先に動いたのは郁美だった。

「消す……とはどういう意味ですかね? 殺す、という表現を敢えて使わないあたり、故意だと思うんですが?」

「相沢祐一。うーは知っているか?」

 ルーシーは郁美の質問を軽く無視して、祐一を見る。

 いや。そもそも彼女はこの場に現れてからほとんど祐一しか見ていない。彼女にとって祐一以外は眼中にないということなのだろうか?

 郁美がブレイハートを強く握るのを見て、まだ動くなと祐一は目で制止した。

「――っ」

 腕から力を抜く郁美。それを見てから、祐一はルーシーと名乗る少女を真正面から見据えた。

 敵対する者だということはわかった。殺気は感じないが、不気味な威圧感はいまもなお身体に重く圧し掛かっている。

 だが……祐一はこの少女のことをまったく知らない。ペンタグラム、という組織らしい名も聞いたことはない。

 故に、まずは情報収集。

「知っている……とは何をだ? そもそも俺はお前のことさえ知らないんだがな」

「当然だ。うーがるーのことを知るはずはない。何せこれが初対面なのだから。……しかし」

 ルーシーはどこか嘲るように薄く笑い、

「るーたちペンタグラムの構成員は皆うーのことを知っているぞ。何故ならうーは重要な“鍵”だからな」

「鍵……?」

「話を戻そう。うーは知っているか? いや、気付いているか、の方が正しいか」

「だから何をだ」

「うー自身の、その力のことだ」

 力。それはつまり身に宿す光と闇、対となるこの力のことだろうか。

「うーの言葉を借りるなら『覚醒』、だったか? 対消滅の力を利用して能力を高める術」

「……それがどうした?」

「うーはこれまで数多くの強者と戦ってきた。ホーリーフレイムの総帥ジャンヌや、エアの女王神尾神奈などなど」

 どうやら「ペンタグラムという組織が祐一のことを知っている」という言葉は過剰表現でもなんでもないらしい。

 カノンがホーリーフレイムやエアと争ったことは世界的にも有名だろうが、個人的にジャンヌらと激突したことを知る者はそう多くない。少なくとも別大陸まではそこまで詳しく流れないだろう。

「そして、うーは度重なる激戦を潜り抜けた。……そのおかげで『覚醒』の解放時間は延び、底上げされる力も上昇している。そうだな?」

「……あぁ、そうだ」

「そこで質問だ。まさかうーは……それら現象が、創作物語のような土壇場での馬鹿力的な都合の良い能力の上昇だと、思ってはいないだろうな?」

 待て、と祐一は思った。

 この少女は何を言っている……?

「……まさかその反応は図星か? うーは頭の回転が良い、と聞いていたが予想外に馬鹿だったようだな。いや、それとも敢えて気付かぬ振りをしていたか?」

「何を、言っている?」

「簡単な話だ。世界は、そんなに優しく出来ていない。死にそうになったから、能力が上がるなどというご都合主義は存在しない」

 やけに動悸が激しい。その先を聞いてはならない、と何かが祐一を駆り立てる。

 だがそんな祐一の心情を知ってか知らずか……、

「根本から違うんだよ」

 ルーシーは軽やかに言う。

「うーは常時覚醒(、、、、)している(、、、、)のが本来の姿なのだ。その力は封印されているだけにすぎず、しかし死を目前にすると生存本能が一時的に封印を上回り力を取り戻しているだけにすぎない」

「な……んだと?」

 祐一は、ただ呆然と呟いた。

 だが頭の片隅で冷静な部分が告げる。この少女の言うとおりだ、と。

 何故その考え方に至らなかった? これまでの状況を省みるに、彼女の言っていることの方がよっぽど現実的ではないか、と。

 しかし、「いや待て」と別の部分の自分が待ったをかけた。

「……それはおかしい。俺は子供の頃そんな力はなかったはずだ。そもそも常時あの状態であったなら、すぐにエアでも気付かれて――」

「封印した理由の一つにそれもあったのだろうな。うーが普通の神族として暮らしていけるように、と」

 一つ、と彼女は言った。つまりルーシーの言うことが仮に真実であるのならば、

 ――他にどんな理由がある?

 そんな祐一の考えを読んだのか、ルーシーは軽く頷くような動作を見せ、

「更に、うーのその力の強大さを誰かが悟り、成長する前に葬りさられるというようなことを避けたかったというのが一点。

 また、逆に強大すぎるが故にうーがその力に飲み込まれたり自滅したりすることがないように、との配慮も一点」

 計三つ。しかし、そこで終わりではない、と彼女の目が語っていた。

「そして最後にもう一つ。……これは正直言えば、うーにとっては間接的な意味でしかない」

「間接的?」

「そう。これは前者三つのようにうーのためを思った理由ではなく……うーの両親が自分たちのために行った理由なのだ」

 だが、とルーシーは前置きし、目を伏せると、

「これは、言えない」

「……何故だ」

「るーたちの目的もそこにあるからだ。故に、その理由を明かしてしまうということはるーたちの目的を明かすことと同じ。だから言わない。言えない」

 ルーシーが瞼を開ける。その視線に、祐一は何故か全身に怖気のようなものが奔るのを自覚した。

「さて……前提となる情報はここで終わりだ。こちらにとっても必要なことであったとは言え、うーにとってもなかなか有益な話ではなかったか?」

 祐一は答えない。確かに祐一にとって有益ではあったが、彼女がこれからすることが不利益であろうことは容易に想像がつくからだ。

 消す、という言葉に友好的なものを見出せという方が無理がある。

「るーは悲しいぞ、うー。感謝の一言でもあっておかしくないと思うが?」

「一面的には礼を言いたい気持ちもなくはないが……お前が来たのはそんな理由じゃないんだろう? 回り道は良い、本題を言え」

「余裕のない男は嫌われるぞ? うー。……いや、一国の王であり二人の后を持つうーには説得力のない言葉だったかな」

「あなた、真面目に……!?」

 郁美がその態度に苛立ちをぶつけようとし、しかしその言葉はルーシーの手の動きで遮られた。

 ただ「待て」というように手の平を突きつけただけ。しかし郁美は自分の命を握り締められたかのような錯覚に陥り、喉が一瞬で干上がった。

 精神干渉? あるいは巨大な殺気? 否、どちらでもない。これは……。

 ――圧倒的な力量差を感じてしまった、私自身の恐怖……!

 簡単に言えば、身が竦んだ。全身が告げている。退け、さもなくば死ぬぞ、と。

 だが何より恐ろしいのは、先程までは漠然とした不安しか感じていなかったこと。つまりルーシーは自分の実力を感じさせないほど隠匿性を持つということになる。

 こんな人物がずっとこの船に乗っていたのかと思い、今更ながらにゾッとした。

 そのルーシーは動きの止まった郁美にやはり一瞥すらせず、ただ祐一を正面に見据ていた。

「まぁこちらもあまり時間を掛けられない理由もあるので、そうだな。そろそろ本題としようか、うー」

 祐一は郁美を一瞥し、そして自分を落ち着かせるように小さく、それでいて深く息を吐き、正面を向く。

「お前は俺を消す、と言ったな。それはつまり――」

「最初にそこの女が言っていた通りだ。殺すという意味ではない。というより、むしろうーにいま死なれては困る立場にるーたちはいる」

 これでハッキリした、と祐一は考える。彼女たちがここに来て、しようとしていることは読めた。それはつまり、

「俺がされているという封印を、解きたいんだな? お前たちは」

「ご明察。なるほど、やはり頭は回るようだな。馬鹿と言ったことは訂正しておこう」

 祐一に死なれては困る、と言い、前提情報として自分の力が封印されている、という話を必要とするのであれば導き出される答えは一つしかない。

 しかしその目的まではわからない。しかし、

「目的は……聞いても答えないんだろうな」

「その通りだ。というより、そこまでの情報開示の権利をるーは持ち合わせていない」

 逆に考えればこれまでの話は全て開示して良い、いや、むしろ伝えろという命令だったのだろう。

 自分に真理を明かすことで封印の解放を促進するつもりなのだろうが、では消すというのは一体どういうことなのか?

 ……その答えはすぐにやってきた。

「するべき話は終わった。故にるーは職務を全うさせてもらおう」

 無造作な動きで両手を掲げる。それに郁美や芹香が反応するが、それよりも早くルーシーは口を開き、

「るー」

 覇気もなければ敵意もない、無論殺気などもありはしない。ただ呟いただけのような力の抜ける言葉は、しかし、如実な変化をもたらした。

「なんだ……!?」

 驚愕の声は祐一。

 ルーシーが呟いた瞬間、祐一の世界が白と黒のモノクロになり、グニャグニャと視界が歪み始めたのだ。

 目の前にいたルーシーはおろか、近くにいたはずの郁美や郁乃、芹香たちの姿も気配も確認できない。わかるのは未だ腕に抱く真琴の姿のみだ。

 一瞬祐一は何らかの精神干渉か、あるいは何かしらの空間結界かと考えた。あるいは固有結界か、とも。

 だがそうではない。祐一から離れた面々にはそれがどういうことなのかすぐにわかった。何故なら、

「なに、あれ……!?」

 祐一がモノクロの球体に閉じ込められたのが見えていたからだ。

 白と黒のマーブル模様で歪んで見えるが、そこには確かに真琴を抱えたままの祐一がいる。

「それは……強制転位魔術だ!」

 そう叫んだのはエルシオンの結界を維持しているユーノだった。

「強制転位!? 間違いないのですか!?」

「初めて見るタイプだから規模はわからないけど、術式の流れから見て転位魔術なのは間違いない!」

 ユーノの部族は元々そういった援護・補助系の魔術に特化した部族だ。逆を言えばその類の魔術であれば魔力の流れなどでおおよその効果を読み取れる。

 即ちルーシーの言う「ここから消えてもらう」というのは、

「……カノン王を、ここではないどこかへ飛ばすということ……!」

「っ――すぐにこの術を解きなさい! さもなくば撃ちます!」

 ブレイハートに魔力を宿し、郁美はルーシーを睨み付ける。

 だが、人間族最強の魔力を持つ郁美の純然たる敵意をぶつけられているにも関わらず、ルーシーの表情にはほんの少しの変化もなかった。

「この!」

 郁美が、そして合わせるように反対側から芹香が闇の上級魔術を連射する。

 上級魔術と侮るなかれ。彼女たちのそれはもはや一撃一撃がそこらの魔術師の超魔術クラスに匹敵する威力だ。しかし、

「無駄だよ」

 それらは全てルーシーに届く直前に見えない壁に激突したかのように爆発、霧散した。

「結界……!? そんな、魔力の発露がまったく感じられないのに!」

「当然だ。これは魔力を使用した防壁ではないからな」

 くっ、と呻きながら郁美の頭は冷静に計算していた。

 いま放った魔術で破壊出来ない防御結界。もちろん郁美たちの奥の手である古代魔術を行使すれば貫くことも容易だろう。

 だがここはエルシオンの甲板なのだ。こんなところで二人の大規模破壊魔術を使えばどうなるか。子供でもわかる結論だ。故にそれは使えない。

 つまりこの場でこの相手を倒すことは不可能。ならばすべきことは一つしかない。

「芹香さん!」

「ん……!」

 同じ結論に達した二人は頷き合い、祐一の元へ駆け寄る。そしてそのマーブル色に薄く輝く球体に近付くと、躊躇なく手を当て、

「『解放者の悪手(エクスプレジョン・レリーズ)』!」

「ほう」

 ルーシーから感嘆にも似た呟きが漏れた。

 解放者の悪手。それは既に編みこまれた術式を解析し、消去する闇属性上級魔術だ。

 それは日頃和樹が行っていることに近い。しかし彼の場合はその頭脳と知識、魔術センスがあって成り立つ独自のスキルだ。彼は相手の術式を解析するのではなく、「おそらくこう編んでいるんだろう」という知識と経験により術式を読むことで、それを打ち消している。

 だがこの術はそうではない。対象の術に「接触」することで魔力から魔術式を読み込み解析することが出来る。故に時間はかかるが和樹ほどの知識を持たずとも同様のことが出来る。

 しかもこの二人は魔術センスだけで言えば和樹にも近いものがある。その解析速度もまた、常識のレベルを超えていた。

「解析率……40、50、60%……! 待っていてくださいね、祐一兄さん!」

「ふむ。まずいかな。このままでは打ち消されてしまいそうだ」

 だがルーシーに慌てた様子は微塵もない。

「仕方ない。予定外だが……るー!」

「「!?」」

 ルーシーが再び両手を上げた瞬間、祐一を囲んでいた球体が巨大化し、そのまま郁美と芹香さえも飲み込んだ。

「郁美!? それに芹香女王も……!?」

 外界が見えない祐一からすれば二人が突然この白黒の世界に現れたように見える。

 そんな祐一の反応を見て、郁美たちはすぐに自分たちの状況を悟った。

「私たちまで取り込まれた……!?」

 手をかざしてみるが、壁らしきものには触れない。中と外とでは距離などが一致していない。だとすると、

「空間を……捻じ曲げられているんでしょうか?」

「……違い、ます。……多分、これは私たちがそう感じているだけで、実際の大きさは外も中も変わらないはず」

 ぼそぼそと小さな声で芹香。二人の反応からおおよその状況を察したらしい祐一はわずかに考え込み、

「つまり……広く見えているだけで実際はすぐ目の前に境目が存在する、ということか?」

 こくん、と芹香が頷く。

 だとすれば、郁美や芹香が扱う次元崩壊系魔術は使用できない。空間規模がせいぜい三人を取り囲む程度のままならば、結界を破壊した時点で一緒にエルシオンにまで大打撃を与えてしまう。

 とすると適任なのは、

「俺だな」

 言って、祐一は右手に『陰陽の剣』を展開した。三者の中で、唯一大規模ではない特殊攻撃系の魔術を持つのが祐一である。

「はぁぁ!」

 そのまま縦に一閃。

 ただの虚空を切ったように見えたが、しっかり『何かを切断した』手応えがあった。

 線が奔り、そこからうっすらと外界……エルシオンの甲板が見えた。

 が、

『残念だが、逃げられないな』

 空間の中に反響するように聞こえたルーシーの声と同時、その線は消えうせた。

 何故、という思いは三人にはなかった。あるのはただ、やはりか、という諦観。

 対消滅などによる攻撃を防ぐ手段は、基本同格の攻撃でなければ不可能だ。しかし……祐一の『陰陽の剣』など瞬間的な、かつ極一部にのみ影響を及ぼす攻撃においては、他に回避手段がある。

 再構築だ。

 放出系魔術ならば不可能だが、ある程度継続する具現化系、結界系の場合は破壊された部分を放棄して再構築してしまえばその時点で対消滅などの影響からは逃れられる。

 それはそう、あの太田香奈子が対消滅で切断された腕や足をもぎ、再生させたことと同じことだ。

 それが嫌ならば、一撃で全てを破壊するしかないわけだが、もちろんエルシオンの上でそのようなことが出来るはずがない。即ち、

「……もはや手がない、か」

『素直にここらで諦めてくれることを期待するぞ、うーたちよ。別にるーたちに殺す意思はない。それだけは保障しよう』

 外部からの声は全く聞こえないにも関わらず、ルーシーの声がハッキリと耳に届いた。

 この結界は彼女が作りだしたもの。それくらいのことが出来たところで不思議はない。故に郁美は落ちつけ、と心中で自分に言い聞かせつつ、

「ユーノさんが言っていました。これは長距離空間転送に似た術式である、と。だとして……貴女は何故祐一兄さんにそんな術を?」

『先程も言ったぞ、うー。そこのるーには強くなってほしい……いや、強くなってもらわなくては困るのだ』

 しかし、と声のトーンを低くしつつ、

『相沢祐一の周囲には能力的に高い連中が多く集まりすぎた。これでは危機的状況に陥ることも少なくなり、封印は一向に弱まることもないだろう。

 事実この戦いにおいても相沢祐一は最前線ではなくこの場にとどまっている。これではるーたちの目的が達成されないのだ』

 相沢祐一は一国の王となり、多くの仲間が出来た。

 しかしそれ故に強敵は祐一が戦わずとも対処されてしまう。それでは意味がない。故にこそ、

「ここから消す。うーの仲間がいない、頼れるのは自分のみという環境で、力を元に戻してもらうために」

 白黒の球体に閉じ込められた三人に、ルーシーは言う。

 彼女の言葉は中にも聞こえているが、それは念話というわけではなく、ただ普通の喋りをルーシーのもののみ遮断していないだけ。

 だから彼女の言葉は甲板にいる他の面子にも聞こえているのだ。

 しかし誰も何も言わない。

 否、言えない。

 ルーシーの放つ強大な気配に誰もが身を竦ませている。

 立ちたいのに立ち上がれない。攻撃したいのに攻撃出来ない。本能が告げているのだ。何もするな、そうでなければ死ぬぞ、と。

 気を失っている連中もいるが、そちらの方がまだ救いがある。なまじ力があり意識を保てる連中は常時身にぶつけられる気配の重さに精神がおかしくなりそうだった。

 誰もが動けず、事の経緯を見ていることしか出来ない中で、

「さっきから聞いてればゴチャゴチャとうるさい女ね、あんた」

 一人、平然と歩みを進めてくる少女がいた。

 それは祐一の近くにいて、しかしとある考えからいまのいままで様子を見ていた者。

「……? うーは何だ?」

「あたしの名前は小牧郁乃。一応……そこの王様の仲間よ」

 既に異動手続きは終えている。身分的にはカノン王国預かりでおかしくないはずだ、と郁乃は思う。

 まぁ心情的にはそれはあくまで目的に至るための通過点の一つでしかないわけだが、それをここで言う必要もない。

 言うべきことはただ一つ。

「悪いけど、好き勝手はさせないわ。そいつは返してもらうから」

「なら、どうする?」

「決まってるじゃない」

 術式を解除する方法は大きく分けて二つ。術式そのものを破壊するか……術を構築している術者を倒す。

 だからこそ、この時を待った。郁美たちで終えられるならそれで良い。そうでなければ自分が動く。そう決めて。

「あんたを叩く! それで終わりよ!」

 グッと腰を落とし甲板を蹴った。高速で迫る郁乃を一瞥し、しかし慌てる様子もなくルーシーは、

「なら、急いだ方が良いぞ、うー。あの術は特殊なので構築から始動まで五分、跳躍距離によってプラス数分掛かる。時間はあるが、決して多くはないぞ?」

「ご忠告痛み入るわね。お礼はこの一撃でどうかしたら? ――せえええええい!!」

 裂帛の気合と共に郁乃の拳が放たれる。だがそれはルーシーに届く少し前に、やはり見えない壁のようなものに阻まれた。

「無駄だ、うー。るーの防護は硬い。これを突破したければ、対消滅か空間切断か……そのくらいの攻撃でなければな」

「何を決め付けてくれてんのよ。あたしの限界を勝手に見限らないでよね」

 バチバチと結界と拳の激突部が火花を散らせる中、郁乃が不敵に微笑んだ。訝しげにルーシーは眉を顰め、

「何か策があると?」

「ないわね」

 ハッキリと言った。だが言葉には続きがあった。

「なんせあたしはそれほど頭良くないから。いろいろ考えはするけど、基本的に多思考だし、考えが纏まることの方が稀なのよね。

 つまり一つの結論にたどり着かないというか、不安なんかマイナス面を考えてしまうから。でもね、一つだけハッキリしてることがある」

「それは?」

 問う。

 郁乃は大きく息を吸い、ぶつけるように大声で、

「あたしが……相沢祐一を好きだということよ!!」

 その瞬間だけ。

 ルーシーの気配と迫力に身動きが取れなかった各国の連中が、状況を忘れて唖然とした。

 羞恥も、不安も、激情も、ない。ただただ真っ直ぐ、ただ一つの結論を胸を張って叫んだ郁乃は、薄い笑みを顔に乗せ、

「ここまで力押しで来たわ! これから折角近くにいれると思ってたのに、その矢先に遠くになんて行かせてたまるか! だから――」

 拳を一度引く。防壁を突破することを諦めたわけではないことが、握り直す拳から明かだった。

「あたしは、策も何もなしに、力押しであんたをぶち破るッ!!」

 呼気一拍。しかと足を踏み、腰をひねり、大きく振りかぶって、

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 拳を振るった。

 だが、やはりルーシーの防壁に阻まれ、それは先と同じ結果しか生み出さない。しかし、そんなことは郁乃だって百も承知だった。

 だから……ここからが本番だ。

「――拘束は解き放たれる――!」

 瞬間、郁乃の右腕が拳から肩に至るまで一瞬で真紅に発光した。

 それは(まじな)いに応じて反応したものだろう。言葉から察するに、リミッター的なものを外したとルーシーは考える。

 しかし気になるのは、その発光が服やアクセサリーではなく、腕自体ということ。ならばそれはただの腕ではなく

「それは……義手か!?」

「当たらずとも遠からず、ね! そもそもあたしの身体は生身である(、、、、、)部分の方が(、、、、、)少ないのよ(、、、、、)!」

「魔導人形だとでも? しかし魂の波動はきちんと――」

「違うわね。あたしは魔導人形でもなければ魔導生命体でもない」

 昔、まだリーフが三国連合となっていなかった頃、郁乃は身体が弱かった。

 生まれつきの障害を抱え、ろくに足を動かすことも出来なければ、視覚や触覚といった面さえ他者より弱かった。

 もちろん、呪具の権威と呼ばれるのもまだまだ先の話。当時の郁乃はただただ自分の身の惰弱さを諦観し、半ば生を放棄していた。

 そしてあるとき……大怪我をした。生死にかかわる程の大きな怪我だ。

 死んでも良いと思った。心が折れて、諦めかけた。

 しかし、その淵から救い出してくれたのは姉の愛佳だ。姉が、自分の心も身体も地獄の底から救いあげてくれた。

「そう、この身体は……!」

 呪具開発者として後に名を轟かす愛佳が創り、呪具改良者として後に名を轟かす郁乃が自身で磨き上げた最高傑作。それこそが――!

「『不屈の呪装(あたしのからだ)』よ!!」

 キィィィィィン! と痛いほどに耳を震わす高音は郁乃の右腕から。

 真紅の発光がより強く、より鮮やかに浮かび上がる。そして再度、

「――守る物に意味はない――!」

 そして更に、告げる!

「――×(かける)、二百ぅ!!」

 刹那、それまで全く微動だにしなかったルーシーの防壁に、罅が奔った。

「な、に……?」

 思わず、というようにルーシーは呻く。

 彼女は……否、おそらく世界の誰もがこんな呪具の使い方を知るまい。

 呪具に刻まれた(まじな)いは、込められた魔力量に多少は左右されども基本的には刻まれた分の効果しか発揮できない。

 もしその効果を高めたければ同じ(まじな)いを重ね掛けすれば良いのだが、言うほど簡単なことではない。

 (まじな)いを刻むには相応の器が必要で、複数の(まじな)いを刻むには大きな器を用意するしかない。

 ……だが、(まじな)い自体を小さくし、効率化を図ることこそ郁乃の真骨頂。

 更に言えば、魔力回路と連結した身体そのものが呪具である郁乃は、器という点でも最高峰。

 ならこの二つを合わせればどうなるか?

「我が身は呪具。『不屈の呪装(あたしのからだ)』には数千万の(まじな)いが刻みこまれているのよ!」

 防護の(まじな)いを重ね掛けしているので、滅多な攻撃は通用しない。

 足や背には飛行の(まじな)いが刻まれてるし、眼にさえ攻撃系から補助系、更には干渉無効系の(まじな)いが刻みこまれている。

 ありとあらゆる(まじな)いが郁乃の身体には刻まれており、その全てが数百からの重ね掛けをされている。

 故に彼女は特例。

 彼女は世界最高峰の呪具製作者であると同時、世界最強の呪具であり、かつ世界最大の呪具でもある。

 それこそが小牧郁乃。

 諦めて死にかけ、しかし救いから諦めを捨て、ただ真っ直ぐに恋を貫く一人の少女……!

「二百でも無理なんてどんだけ硬いのよ! ええい、良いわ。ならもう一発……」

「予定変更だ。うーは少々危険だと判断する」

 ルーシーが左手を掲げた。掌の先は真っ直ぐに郁乃に向けられており、

「るー」

 気の抜けた声と共に、超圧縮された魔力弾が連射された。

 魔術を修める者ならばわかったはずだ。あの一撃一撃が超魔術すら凌駕する魔力が込められているものなのだと。

 しかし郁乃は逃げない。最初の二発を左手で払い、片手では無理だと攻撃を一時中断して両手で更に三発払った。しかもそれがエルシオンに被害を与えないよう自分より上方に逸れるように考えながらだ。

 だが六発目から厳しくなった。連射間隔が短く、捌ききれなくなり、八発目を肩に受けた。それにより体勢が崩れ、九、十と続いて数発を直撃する。

 腕を、足を、肩を、頭を、首を、背を、腰を、膝を、指を、拳を。連射は止まらず、郁乃の身体はまるで下手くそなマリオネットのように不気味に踊りながら後方に吹っ飛ぶ。

 エルシオンの甲板上からも弾き飛ばされ、ようやく連射が止まった。空中に投げ出された郁乃は、しかし、

「いったいわね!!」

 ほぼ無傷だった。

 空中でくるりと一回転し制止する。空中機動の(まじな)いだろう。そして連射を受けたと思しき場所は服こそ破けているものの、郁乃の右腕同様肌が赤く発光している以外傷らしい傷はまるでなかった。

 対魔力拡散、対魔力減少、硬度倍加、衝撃緩和、熱吸収、瞬間冷却、自己再生……ありとあらゆる(まじな)いが発動し、郁乃はあれだけの魔力攻撃の直撃を耐えきった。

 ルーシーは瞬き三回。そうして小さく息を吐くと、

「……ふむ。まさかノーマークでうーみたいな化け物がいたとはな。正直驚きだ」

「自分の事は棚上げ? あんたの方がよっぽど化け物じゃないの」

「だがうーは、るーとの戦いの前にリミッターを解除するような言葉を告げたな? つまり現状のその戦闘力……長時間使用しては何か不都合があると見るが?」

 郁乃は舌打ちした。 気付かぬはずがないか、と。

 現状の郁乃の戦闘力は半端なものではない。したことはないが、この状態ならトゥ・ハート三強とだって互角以上に渡り合う自信もある。

 攻撃能力もさることながら、何より異常なのはその防御能力。

 リミッター解除状態ならば対消滅などの特殊付与がない限り古代魔術の直撃ですら防ぎ切るだろう。物理攻撃ならさやかのミョルニルさえ凌ぐかもしれない。

 だがそれは郁乃の身体に刻まれた(まじな)いをフルに使用している状態であるからこそ、である。 

 郁乃の(まじな)いは数千万にも上る。それはありとあらゆる状況に対処出来る手数の多さを表すが、所詮彼女の脳は人のそれ。

 故に、一つ一つ使おうとすると取捨選択という隙が生まれる。

 郁乃は知らないが、それは岡崎朋也と似たような弱点と言える。その回避手段として、郁乃は一つの強引な答えに帰結した。

 つまり手札が多くて選択に困るのならば……使えるものは最初から全て使ってしまえ、という答えだ。

 故にリミッターを解除した状態の郁乃は、常時展開型、特に防御系はフル稼働になっており、攻撃に専念出来る。

 ……が、もちろんそんな使用方法をしていれば魔力がいずれ枯渇する。回復量より使う魔力量の方が圧倒的に上回っているのだから無理はない。

 故に、時間制限はおよそ三十分と少し。しかも強大な攻撃を受ければ受けるほど、強大な力を使えば使うほど、その時間は加速する。つまり、

 ――大きいのたくさん食らいすぎたわね。 あとどれくらい持つ? ……十五分はきついかも。

 ならば、

「その間に決着を着けるわ!」

 大気を蹴る。

 膝が赤く発光する。空中浮遊、空中機動、空中制御、大気調整、風圧緩和などもろもろの(まじな)いが発動しているのだ。

 生み出される動きは超高速機動。初速などすっ飛ばし最初からトップギアで空中からルーシーに迫る。

「るー」

 ルーシーが両手を広げた。この数分で、あれが彼女なりのアクションの宣言であることは理解した。何かが来る。

「!」

 気付けば、郁乃の周囲に先程の魔弾が浮かび上がり並走していた。

「自分の近くからじゃなく、敵の近くでも構築可能なんて……厄介な技ね。地味だけど」

「仕方あるまい。るーは本来隠密型。ペンタグラム十二星座の中でも戦闘能力で言えば下から二番目なのだから」

 ふざけている。これだけの魔力を行使しながら下から二番目とはどれだけイカレた連中なんだ、と。しかしそれが本当なのだとしたら、

「あんたたち……えーと、ペンタグラム? は、ともかく相沢祐一を狙っているのよね?」

「殺しはしないがな」

「さっき『いま死なれては困る』と言ったわね? つまり……目標が達成された場合には『死んでも困らない』……そういうことよね?」

 とすれば、

「もしあんたの発言が本当なんだとしたら……あいつと一緒にいるためには、下から二番目くらいのあなたに手間取ってはいられない」

 これからペンタグラムと名乗る連中が相沢祐一の周囲を動き回るのだろう。

 この少女だけでも十分に化け物だと思う。思うが、自分の言った通りこんなところで負けていてはその先更なる敵が出てきたときどうしようもなくなる。だから、

「あいつに何があって、あなたたちが何をしようとしているのかは関係ない。あたしはあたしの目的のために――あんたをここで倒す!」

 加速し、囲んでいる魔弾に自分から突撃する。殺到されて全弾喰らうより、自分から突っ込んで一部の攻撃を受けた方がダメージは少ない。

 だからそのまま加速、加速、加速。吹っ飛ばされた距離を一瞬で肉薄し、魔弾が追い付く前に拳を握る。

 ルーシーが手を掲げる。更に魔弾を放つつもりなのだろう。だがそれよりも早くぶん殴れば良いだけの話だ。

 右手がより一層輝きを増す。どれほどで結界を貫通出来るかわからない。チャンスがもう一度来るかもわからない。だから、

「最初から、余力を考えず全力で……ぶち抜くわッ!!」

 ぶち込んだ。

 結界に拳が衝突した瞬間に、叫ぶ!

「――守る物に意味はない――!」

 呼応した右腕が燃え上がるように赤く輝き、郁乃どころかエルシオンの甲板を照らし上げた瞬間、

 

×(かける)、二万――――――!!!!」

 

 バリバリバリン! と三重の破砕音が鳴り響き、防壁を貫いた郁乃の拳が勢いそのままにルーシーの腹に直撃した。

 

 

 

 ――08:43――

 

 爆発の蓮華が咲いた。

 傍から見ていると、それはまるで花火のようだな、と場違いな感想を抱くほど、連続で、そして数多くの爆発が咲き誇った。

 その中央にいた者にはひとたまりもあるまい。否、むしろ原型を留めているかすら疑わしい。

 しかし舞う粉塵の向こう、ゆらりと動く影があった。

 少女だ。獣の耳を持つ半獣人系の顔立ちをした少女は、きちんと生きていた。

 生きていたが、もはや虫の息だった。身体中ズタボロだった。それでもなお少女は敵に立ち向かおうと挙動を見せたが、

「もう止めとけ。俺の勝ちだぜ、お譲ちゃん」

 男の声と同時、意識を刈り取る爆発が一撃、少女の背中で巻き起こり、ガクッと、膝から崩れ落ちるようにして倒れこんだ。

 そのままピクリとも動かない。

 恐る恐る近付いた男――折原浩平は、ようやく動かなくなった相手、緋皇宮神耶を前に、大きな溜息を吐いた。

「終わったー。あー、まさかレベルの高い自己再生持ちとは思わなかったぜー。おかげですげー時間かかった……つか、どんだけやってたんだ俺?」

「二時間弱、かな?」

「うへー」

 声を返したのは、彼の背後に控えた長森瑞佳だ。彼女に疲労の色は感じられない。

 とはいえ何もしていなかったわけではない。確かに戦闘にこそ参加していないが、神耶と戦闘中の浩平に代わり迫って来る他のシズク兵に対し部隊指揮をしていたのは彼女だ。

 彼女は元来指揮者の能力が高いし、兵の練度もワンが中心だったので高かった。

 おかげでα-1部隊はシズク軍の動きが既に止まって来ている現状でさえ、損耗率5パーセント以下という驚異的な生存率を見せていた。

「お疲れ様。自己再生に回る力が魔力回復量を追い抜いたみたいだね」

「あぁ。怪我も相当大きいし眠ってくれて助かった。……ま、本能無視でさっきまで動き回ってたが、これ以上は物理的に無理だろ」

 見てくれは悲惨な姿だ。四肢は砕け、身体のあらゆる部位が内部から爆破されている。

 しかしそれでもなお自己再生Aタイプ相当の彼女の身体は既に修復を開始していた。この傷なら一時間もあれば完治するに違いない。

「とりあえず捕縛しておくね。また目覚めて瀕死のまま暴れられるのもなんだし」

「だなぁ。それはともかく、戦況はどうなってる?」

「んー、地上は防衛戦にシフトしたから被害数は随分減ってるみたい。後は皆が耐えてくれてる間に、誰かが月島拓也を倒せば万事解決、かな」

「空は?」

「空も強力な個人戦力は軒並み撃破。後はこっちも月島拓也を倒すまで我慢すれば解決、だけど……」

「だけど、どした?」

「なんだろ。さっきから妙に変な感覚を受けるんだよ。船の方から。浩平は何か感じない?」

「んー?」

 見上げる。

 空に浮かぶ巨大な船が三隻。あれに乗って来たにも関わらずこうして見上げていると非現実的な感じがして、笑えてくる。しかし、肝心の気配とやらは、

「……わり。これっぽっちも感じないわ」

「そっか」

「つか存在概念が半分しかない俺は気配探知とかかなりボロボロになってるからほんの少しでも隠されると感じにくくてな〜。昔の俺ならわかったかもしれんが」

「そっか……。ごめんね?」

「別に謝る必要はねぇ。ま、空のことは空に任せようぜ。他所様の心配をするのは自分の心配が全部片付いてからだ」

 頷いた瑞佳が兵から捕縛用の縄を受け取り、神耶の傍に膝を着く。浩平もそれに習い、その隣に「よっこらせ」とオヤジ臭い動作で地面に座り込み、

『あ。少々お待ち下さい』

 突如の見知らぬ声に浩平は背後に盛大に倒れこんだ。

 ガバっと起き上がること二秒。左右を二度ほど確認してからやや慌てた口調で、

「な、なんだ!? 誰が喋ってるんだ!?」

『下です下』

「し、た……?」

 そっと下を見る。

 そこにあるのは倒れた神耶の他には、彼女が攻撃に使っていた棺しか……。

 待て。棺?

『そうです。この中に私はいます』

「うぉー!? ビビった! 超ビビったー!?」

「浩平、驚きすぎだよ」

「お前は相変わらずニコニコ冷静だな……」

『あー、話を進めてもよろしいですかね?』

「あ、どうぞどうぞ」

 聞けばルヴァウルと名乗る彼(彼女?)は、神耶の使い魔のようなものであるらしい。しかし対魔力の高いルヴァウルは主の神耶と違い精神感応を受けなかった。

 なのでシズク軍の中で息をひそめ、拓也を殺すチャンスを窺っていたらしいが……。

「そういうチャンスはなかった、と」

『いえ。チャンスはあったんですがね。頭を吹き飛ばされても蘇生するという異常な自己再生能力があったので手を出しても無駄と判断したのですよ』

「なんだそりゃあ?」

「初耳だね。司令室に情報送った方が良いかも」

「おう。じゃあ長森頼むわ」

『あ、その前にもう一つ。気になる話を聞いたもので、それもお伝えしておきましょう』

「気になる話……?」

 そうしてルヴァウルが語った情報が、

「……オイオイ。なんだ、そりゃ?」

 更に混乱を招くことになる。

 

 

 

 あとがき

 どうもこんにちは、神無月です。

 今回は祐一のことにスポットが当たったわけですが……郁乃との戦闘の方がインパクト強くなってしまった気がするなーw

 とりあえず、郁乃はハッキリ言って強いです。彼女の体の件まぁこれまでもチラチラ触れてたので、原作知ってればおおよそ予想はついたかもしれませんね。

 彼女の場合は相性の良し悪しがハッキリしていて、相性の良い相手なら能力数値的に3倍くらいの相手にも勝てる可能性は十分あります。

 郁乃の過去についても軽く触れましたが、またいずれしっかりと描写する時が来るかと思います。そのときにでも。

 んでもって次回はシズク編の最終回……になるかなぁw 今回ちょっと延びちゃったからなー。出来るだけあと一回で終わらせたいところですが。

 ではではー。

 

 

 

 戻る