神魔戦記 第百六十一章
「怒涛ニシテ傲然ナル狂宴(])」
――08:32――
「オラァァァ!」
裂帛の咆哮と共に振り下ろされた豪腕が、地面を豪快に打ち砕いた。
だがそれは目標たる敵が回避した故の結果だった。本来その攻撃を受けるはずだった少女は既に離れた場所にいる。
舌打ちし、その男――斉藤時谷は拳を構え直した。
「いい加減本気で攻撃して来たらどうだよ? さっきから逃げてるばかりじゃねぇか。なぁ、亜衣?」
声を投げかけられた少女、雨宮亜衣は表情を変えずただディトライクを静かに構え直す。
「さっきも言いました。……わたしは時谷さんを殺したりしません。そして同時に、時谷さんにもこれ以上誰も殺させない」
「ほぉ。んじゃあどうするってんだ?」
「ここで、この戦いが終わるまでわたしに付き合ってもらいます」
亜衣はこれまでに多くの力を得た。
だが、その中に相手を行動停止に追い込む、あるいは動きを止めることのできる技や魔術は存在しない。
だから亜衣の出来ることはただ一つ、簡単なことでしかない。
それが……誰かが月島拓也を倒すまで、この場で時谷を足止めをすること。
「良いのか、それで」
「良いんです。わたし以上に頼れる人がたくさんいますから。だから……大丈夫」
カノンだけではない。腕を壊したことでリーフ連合の者たちとも多く知り合うことの出来た亜衣は、他にも頼れる者が多くいることを知っている。
だから大丈夫。誰かが必ず成し遂げてくれると信じている。
「んじゃあ、そっちは良いとして、だ。……お隣も本当に大丈夫なのかよ?」
「それは……!」
口篭った。
隣、とは右側、地の聖騎士来栖川綾香と深山雪見の戦い……ではない。
そちらは圧倒的に綾香が優勢だ。というより本気で戦っていればとっくに決着が着いていてもおかしくはない、という力量差だった。
ではなく、時谷の言う隣とは逆方向。亜衣がここに来た方向であり、つまりそれは――、
「佐祐理さん……! 鹿沼、葉子……!」
突如現れた仇敵による最悪の状況のことを指していた。
――08:33――
膠着状態は既に十分にもなろうとしていた。
「さぁ、ここで押し問答をする気はありません。速やかに渡しなさい。さもなければ、この人の脳髄がそこかしこに散らばることになりますが?」
こともなげに葉子は言う。右手は未だ佐祐理の頭を掴んでいるままだし、実際この女ならば容易く実行して見せるだろう。
だが……、
「駄目ですさくらさん! この人にそれを渡してはいけません!」
人質に等しい状況にある佐祐理は、それでもなお屈しはしなかった。
佐祐理だけではない。さくらもことみも、この状況を冷静に把握している。
彼女が渡せと告げている物は、さくらの持つ封印の宝珠。これがどのような効力を持つのか、それを詳しく知る者はいない。
しかしこれを求める葉子の態度からして、これがとてつもなく重要なものである、ということは容易に想像がついた。
そもそも彼女ほどの実力者であれば、人質など取らずともこっちを全滅させることだって出来たのだ。
実際彼女の出現に最初は気付かず、ほぼ不意打ちのように佐祐理を取られた。その時にこちらを一気に叩くことも出来たはず。
ならば何故人質を取るような真似をしたのか。犠牲を少なくしたかった? 否、そのような思考をする相手ではない。
だとすれば考えられる可能性はただ一つ。戦闘をすることで万に一つでもこのアイテムを見失う、あるいは壊れてしまうことを恐れたのだ(とはいえ、さくらはこれが生半可な攻撃で壊れるとは思っていないのでおそらく前者だろう、と当たりをつけている)。
つまり、彼女にとってこれはそれだけ重要なアイテムということになる。だからこそ、渡すべきか渡さざるべきかの選択は慎重を要した。
それに、
「……そもそも、これを渡したところで無事に解放してくれる保証もないしね」
「そこは信用してもらうしかありませんね」
「信用出来るの? あなたを」
「難しいとは思いますけどね。でも、同じくらい私がこの人を殺す可能性もあること、お忘れなきよう」
葉子から発せられる気配の密度が増した。
まずい、とさくらは思う。これ以上返答を先延ばしにしたら本当に佐祐理を殺されてしまう。そう悟る。
葉子は慎重だ。慎重だが、同じくらい焦っているらしいことも感じ取れた。おそらくこの場に長い間留まっていられない何か理由があるのだろう。
だからこそ、これ以上の時間稼ぎは危険。下手をすればこの場で三人とも……という可能性だって低くはない。
――渡すしかない? でも、それが結果的に悪いことにしかならないのは目に見えてるし……。
一番良いのは葉子を撃退することだが、それは難しい。
さくらは彼女のことをよく知らないが、感じ取れるプレッシャー、そしてことみからの念話によって相当の実力者であることはわかる。とはいえ、
――典型的な近接戦闘型。魔術師じゃないんなら、新しい力を使えばどうにか戦えるとは思うけど……。
新たな使い魔、そして義手に仕込まれた呪具。これらは特に魔術師が苦手とするインファイトで真価を発揮するものになっている。
長所を伸ばすのではなく弱点を補うことを選択したさくらは、故にこの相手でも隙を見出すことが出来れば戦うことも出来ると踏んでいる。
しかし、これはあくまで対迎撃であって、こちらから攻めるにはやや厳しい。佐祐理を殺されるより早く、というのはどう考えても無理だ。
「……もうわかっているとは思いますが、こちらにも時間がありません。あと十秒待ちます。それまでに渡さなければ……本当に、潰しますよ」
「っ……」
「十、九、八……」
カウントダウンが始まった。もはや猶予はない。
危険な賭けに出て佐祐理の身を犠牲にするわけにはいかない。カノンにとって彼女はなくてはならない存在なのだ。
――仕方ない、か。
もはやこれまで、とさくらは封印の宝珠を渡そうと腕を持ち上げ――、
――08:34――
「佐祐理……!」
舞は、親友の危機をただ見ていることしか出来なかった。
魔力による視力強化によって状況は見えているが、そこに駆けつけることはかなわない。
時谷に受けた石化により両足がもはや動かない。腿の動きで多少の歩行は可能だが、その速度は既に老人にさえ劣る。
駆けつけたい。駆けつけて親友を助け出したい。
気持ちは溢れるのに身動きが取れない自分の不甲斐なさに、もう何年も忘れていた涙さえ浮かぶ。
「誰、でも、良い……! 誰でも良いから、お願い、佐祐理を……佐祐理を助けて!!」
悲痛な叫びは、しかし誰にも届かない。
近くで戦う亜衣にも、綾香にも。仮に聞こえていたところで動けないし、もし向かったとしてももはや間に合うかどうかも疑わしい。
わかっている。わかってはいても、叫ばずにはいられなかった。
舞にとって佐祐理という存在はかけがえのない宝なのだ。
ただでさえ感情表現の苦手な自分を、ずっと傍で支え、そして共に歩んでくれた親友。誰に対しても自信を持って言える、お互いの柱。
幸せな時は一緒に笑って、悲しい時は一緒に泣いて、そうやって過ごして来た親友だ。そんな親友の危機に何一つ出来ない自分が恨めしい。
だから、そう、誰でも良い。彼女を救ってくれるなら悪魔だろうが怨霊だろうが構わない。だから、
「お願い!! 佐祐理を助けて!!」
涙ながらのその叫びに――、
『うん』
小さく、しかし力強い声が、
『大丈夫』
その救いに、応じた。
『ママ(は絶対に殺させない』
――08:35――
もはやこれまで、とさくらは封印の宝珠を渡そうと腕を持ち上げ――、
刹那、何処からか飛来した一条の光弾が、葉子の右手を寸分違わず撃ち抜いた。
「え……?」「な……?」
まったく予期せぬ出来事に、さくらだけでなく撃たれた葉子本人も唖然と呟いていた。だがその一撃による結果として、葉子の手は佐祐理の頭から離れた。
一瞬の間。そして次の瞬間にはそれぞれが一斉に動き出していた。
「離れて!!」
さくらの声に弾かれるように、佐祐理が前に身を投げ出す。逃がしはしないと葉子が、そしてそれを遮ろうとことみが詠唱を、更にはさくらが突っ込み、
「!」
しかしそれ誰より早く、再びどこからか放たれた光弾が葉子の足を貫いた。
これは流れ弾とかそういうものではなく、れっきとした、
「狙撃!? 私の気配探知範囲の外から……!?」
足を撃たれ体勢を崩した葉子の間合いから完璧に佐祐理は免れた。
「よし、ここからはボクの出番だね!」
そしてさくらが間合いに入る!
――08:36――
その狙撃手は、遥か彼方に存在していた。
小高い峰の上、戦線からやや離れたその場所で片膝を着き座る少女がいる。
その少女が手をかけているのは、地面に銃座を打ち込んでいる大きな金黒の銃。
スコープは存在しないが、少女の片目には虚空からアイサイトが出現していた。何か魔術的なものなのだろう。
その証拠に、少女が銃身から少し距離を取るとアイサイトが消失した。そうして身体から緊張という二文字を息ごと吐き出し、
「クラウ。スナイプモード解除」
『Aya Ma'am.』
狙撃手――リリスが相棒であるインテリジェントデバイス『クラウ・ソラス』にそう告げると、蒸気を排気しながら形状を変化させていく。
地面に杭のように打ち込まれた銃座は消失し、伸張していた砲身は従来の長さに戻る。
元来の姿に戻った『クラウ・ソラス』の触感を確認するようにグリップを二度握ると、リリスはゆっくりと立ち上がった。
『リリス……なの?』
舞の、どこか驚いたような声が頭に響いた。
「うん」
『……驚いた。狙撃もそうだけど、念話も』
この念話は舞によるものではない。パスを繋いでいるのはリリスの方だ。
元々リリスは魔術が使えなかったのだから舞の驚きも無理はない。そもそも彼女には属性もないし、魔術には不向きだ。だが、
「あかりに初歩的な魔術は教わったから」
トゥ・ハートで訓練をしていたとき。神岸あかりに念話、強化、簡易探知などといった役に立ちそうな簡単な魔術を教わった。
それに、それだけではない。
「銃の扱いは浩之に、狙撃の仕方は雅史に教わった」
このクラウのスナイプ・モードを引き出したのもあのときの訓練の賜物だ。
また今回、葉子を狙撃する際に頭や心臓を狙わなかったのも雅史の教えによるものだった。
彼はリリスに訓練の時にこう言った。
『もし敵が相当の手練であると判断し、かつ味方が近くにいるのなら、急所はなるべく狙わないほうが良い』
その理由は、
『強い人であればあるほど、自分の死には敏感なんだ。だからいくら超長距離からの狙撃でも、頭や心臓を狙った場合咄嗟に気付かれる可能性が高い。
だったら一撃必殺はこっちから避けて、なるべく相手の力を削ぐことに従事した方が良い。特に味方がいるのならなおさらね』
ということらしい。
リリスにはない考え方だったが、だからこそそれは成長の礎となり血肉となった。
一人で戦うためでなく、仲間と共に戦うための戦い方。だから、リリスはスナイプモードを解除した。
「あとはさくらに任せる。さくらならきっとなんとかしてくれるから」
混戦状態での狙撃は難しい。
リリスならば雅史から教え込まれた技術に加え魔眼の効果もあるのでその状態でも狙撃は出来るが、戦っている味方を驚かせたりといった邪魔になる可能性がある。だから、
「……他のエリアに行ってくる。押されているところをカバーするのがリリスたちの役目だから」
『……強くなったね、リリスは』
それは決してインテリジェントデバイスや戦闘技術のこと……だけではなく、精神的な意味合いで。
大事な佐祐理の危機に対して、自分ではなく仲間にその状況を委ねる……『仲間を信頼する』というその一点が、大きな成長の印だろう。
リリスは舞の言わんとしていることをそこまで明確には理解していなかったが、それでも小さく頷いて、
「もっと強くなるよ。皆と戦えるように。皆を守れるように」
念話を切った。
ここでの自分の仕事は終わった。だから、というようにリリスは走行機甲(で峰を駆け降りる。
ふと視界の先で、最終ラインを突破したシズク兵数十人を見つけた。
リリスは左手を掲げ、
「――魔力は刃と化す――」
呪(いを告げた。左手を丸々覆う篭手ほどの大きさになった呪具「慧輪」が輝き、刃が虚空に出現する。
だが数がこれまでと違う。そのナイフの数、五十本以上。
これまで一度に形成出来るのが十本程度だったはずだが、インテリジェントデバイスの同化による「慧輪」の強化、そしてあかりから教わった「魔力の繰り方」によってリリスは前とは比較にならないほどのナイフを生み出すことに成功していた。
そしてそれだけではない。
それぞれのナイフにはスフィアと呼ばれる環状魔法陣に覆われている。これはインテリジェントデバイスの補佐による威力を(飛び道具なら速度も)向上させる補佐魔術だ。
こちらにシズク兵が気付いた。だが遅い。リリスは指揮者のように腕を下ろした。
瞬間、スフィアから銃撃にも劣らぬ速度でナイフが射出され、一気にシズク兵たちに襲いかかった。
何か危険を本能で感じたのか、彼らでは珍しい回避行動を取ろうとする。だが所詮、無駄なことだ。
リリスには視えている。全員への――必中の軌跡が。
ナイフは一本たりとも外れず、全てがシズク兵たちに突き刺さった。ナイフにより魔力を吸われ身動きの取れなくなったシズク兵たちが次々と倒れていく。
殺傷能力の低い「慧輪」は、対シズク戦でかなりの戦果をあげていた。彼女が遊撃に選ばれたのはこの武器の性質もある。
リリスは倒れたシズク兵たちを一瞥すらせず、中央を突っ切りさらに先へ進んでいく。気配を探れば、また最終ラインを突破された箇所がある。そこを目指しながら、
「さくら、頑張って。リリスも頑張るから」
リリスは仲間を信じ、自分の戦場に駆けていく。
――08:37――
葉子は狙撃にも驚いたが、相対していた魔術師――さくらの動きにも驚いた。
この状況で魔術師がすべきことは、無論魔術。実際さくらよりやや後ろにいることみは術の詠唱を完了させこちらに腕を向けている。
にも関わらず、さくらは魔術師でありながら接近戦を選んだ。
自殺行為、ではない。特に追い込まれているわけでもない状況では命をかける特攻の意味合いもない。
とすれば本当に接近戦に心得があるか……あるいは何かの罠か、狙いがあるのか。
前者なら組しやすいが、後者であると若干面倒なことになる。
そう判断を下した葉子は佐祐理を取り逃がしたことをすぐに意識から放棄し、新たなる狙撃にも警戒した上で距離をとる選択をした。
「慎重だね。そういう相手ほどたちが悪い……!」
さくらの苦笑の後方、ことみから炎の超魔術が放たれる。
だが葉子は片手でいとも容易くそれを打ち払った。不可視の力を両手に展開した彼女にって、古代魔術未満の攻撃魔術は害になりはしない。
「さすが。でも!」
だがそれを見てもなお、さくらはこちらへの突進を止めなかった。
「『風の衣( 』、『熱の覇( 』!」
風の補助魔術による速度・物理防御増加、火の補助魔術による身体能力の全体強化をはかり、更に加速しながら突っ込んでくる。
確かに早い。早いが、
――隙だらけ。
葉子から見ればその身体はあまりに隙だらけ。多少は近接格闘の心得があるのかもしれないが、それは精々一般兵レベルだ。
どう見積もっても、あの雨宮亜衣の足元にすら及ばないだろう。
――罠の可能性もありますが、宝珠を持っているのはこの人。ならばこの人さえどうにかしてしまえば……。
威力を抑え、葉子は左手に不可視の力を展開する。あまり威力を高くしすぎて圧殺などしてしまえば宝珠がどこに飛んでしまうかわかったものではない。なので、
「頭だけを、的確に――潰す」
足を止め、突っ込んでくるさくらに左手を繰り出す。カウンターパンチのように繰り出される拳は刹那の間にさくらの頭に迫り、
ニヤリ、と。さくらが口の端を持ち上げた。
「自己認識時間、倍加」
さくらの眼が紅色に染まる。
瞬間、さくらの世界が停滞した。
音が消え、風が消え、全てが消え失せた。そう錯覚するような停止した世界。
だが……違う。世界が止まったわけではない。世界はいまでも普通に動いている。そうではなく、
――視える。ボクには時の境目が視える……!
さくらが行ったこと。それは時間停止などといった魔法ではなく、もっと単純なこと。
文字通り、自己が認識する時間を倍速化しただけ。それによりさくらには世界がいま超低速に見えているのだ。
とはいえ、さくら自身が速くなったわけではない。超低速には自分の体の挙動も含まれており、腕を動かそうとしてもその動きは微々たるものでしかなく、あくまで『認識』のみが早くなっただけに過ぎない(よって呼吸、果ては心臓の動きまで停滞しているので常に違和感が付き纏う)。
簡単に言えば、人は死にゆく寸前全てがスロー再生しているように見えるという。それは脳の処理速度が通常より圧倒的に早くなっていることから来ているが、さくらの現状はまさにそれに近い。
だがこの時間操作はさほど有用な術ではない。
あくまで倍加するのは認識のみ。口も動かせないので魔術高速詠唱なども不可。身体も同様なので緊急回避、緊急防御などにも向かない。
その上継続には莫大な集中力を要するし、解除後は激しい頭痛にさいなまれる副作用すらある。
切り捨てるように言ってしまえば、役立たずな“時間操作”なのだ。
……が、どんなものも使いようである。
さくらはゆっくりと迫る葉子の左手に対し自分の右手を差し出した。のろのろと動く互いの手を、さくらは感覚を澄ましながら見つめている。
何も認識とは、思考や視覚だけのことを指す単語ではない。聴覚、嗅覚、味覚、そして……。
――触覚も、ね!
さくらは右手に『何かが触れた』のを感じた。
葉子の腕にはまだ触れていない。つまり――それが葉子の「不可視の力」の領域だ。
さくらは最初から葉子の力の範囲、その大きさを探るためにこの時間制御を展開したのだ。
――さて。ここからが……新生芳野さくらの見せどころだね!
さくらは意識を集中し……認識時間倍加を、切った。
現実が認識に追いついた途端、葉子の左腕が繰り出す破壊と、魔眼の使用による頭痛の二つの痛みに襲われるが、さくらはそれを振り払う。
さくらの右腕は義手。しかも郁乃が製作した呪具で強固さは折り紙つき。どれほどの威力であろうと数秒は持つ。
だからさくらは腕が壊れるよりも早く、その呪(いを叫んだ。
「――破壊は逆転する――!」
次の瞬間、さくらの右腕ではなく――葉子の左腕が、捻じれるように破壊された。
「んな……!?」
痛みに、というより何が起きたかわからぬ驚きに葉子が瞠目した。
破壊は逆転する。
郁乃が仕込んだ呪(いの一つだ。
受けた攻撃をそのまま対象に返す……と言えば高性能で反則的な呪具に聞こえるが、決してそんな生易しいものではない。
まず一つに、基本的に接近戦でのみしか効果が発揮されない。これはカウンターではなくあくまで『生じた破壊力を逆転させる』呪具である。
なので魔術なりの飛び道具に扱った場合、それは反射されるのではなく逆転して消滅に向かうことになる。まぁ打ち消しには使えるが、攻撃に転用は出来ない。
よってこれを攻撃として扱うのであれば、接近戦、つまり相手の身体が直接破壊力を生み出している場合のみに限定されるのだ。
更にもう一つ。この効果は呪具に攻撃が届いて初めて発動可能となる。まぁ認識するのは呪具なので一度攻撃を受ける必要があるのは当然のことだが、ここで単純な問題点が生じる。
要するに『呪具が壊れない程度』の威力に限られる、ということにだ。
効果は大きいが、これらの制約がある以上万能とは言えず、郁乃自身滅多に使わない呪(いの一つである。
しかしさくらはこれを選んだ。自分なら上手く扱えると踏んだのだ。
それが先程の「認識時間の倍加」だ。呪具が壊れるほどの攻撃力であったとて、触れた『認識』が一瞬で出来ればタイムラグが生じず、破損確率が大幅に減ると考えたのだ。
「よし」
一手目は成功。だがまだ終わりではない。
「うたまる!」
「にゃん!」
さくらの右肩に使い魔のうたまるが召喚される。その瞬間、さくらを圧迫していた頭痛が消失した。
魔力パスを経由して、過剰暴走している魔力をうたまるが引き受けてくれたのだ。
そうして思考をクリアにしたさくらは、瞬時に次の一手に出るため、更に踏み込んだ。
「っ!」
攻撃しても二の舞になると踏んだ葉子が大きく後ろへ跳ぶ。それを見てさくらは、
「はりまお!」
「あん!」
もう一匹の新たなる使い魔、はりまおを左肩に召喚した。
「パス接続! はりまお、計算お願い!」
「あんあん!」
「んー、おっけー! さすがはりまお! 早いね!」
一瞬で何かが行われたらしい。さくらは葉子が飛び退いた場所を紅の眼――『時空の魔眼』で睨みつけ、
「空間座標決定(、修正時間決定(、構築(……遡ること十九分前(……!」
葉子が違和感を感じるより早く、
「限定再生!!」
さくらの魔眼がかつてないほどの輝きを見せた瞬間、もはや何度目かもわからない驚愕を葉子は味わった。
何もない空間から強烈な打撃を叩きこまれ、大きく吹き飛ばされたのだ。
「が、はっ!?」
攻撃の予兆もなく、しかもさくらがいた正面からではなく見当違いの方向からの打撃に防御すらままならず、葉子はわけもわからないまま直撃した。
倒れるようなへまはせずきちんと着地こそしたものの、身体の芯を打ち抜くほどの一撃に膝が言うことを聞かず思わず片膝を着く。
「ぐっ……! い、一体、何が……!?」
「自分の手の内をバラすと思うかなぁ?」
にこりと笑ってみせるさくらは、しかしその実肩で息をするほどに疲弊していた。
無理もない。彼女が行ったことはそれだけ無茶なものなのだから。
さくらがしたことは……一定空間内の時間を巻き戻し、指定時間のみを一瞬再生させるという荒業。
つまりいまの場合であれば、葉子のいた空間のだけ十九分巻き戻し、その当時の事象のみ再現したのである。
そう。十九分前そこでは――坂本河南子が智代を庇い攻撃を受け、そして香奈子に『豪破絶空』を叩きつけていた。
再現されたのは河南子の一撃。葉子が受けた謎の一撃の正体は、これである。
先程の認識時間の倍加とは比較にならないほどの時間操作。さくらが現段階で行使出来る時間操作では最も規模の大きいものだが、
――けど、これだっていつでも使えるような代物じゃない。
これは多くの条件が重なってようやく成り立つ手法だ。
第一に、空間座標や修正時間の綿密な計算を必要とする。
さくらの能力では広大な空間の時間を操作することは困難だ。魔力も、技術も、魔眼の操作も足りていない。
つまり「ここからここまで」という空間の区分けが必須となる。だがこれは人間なんて比にならぬ頭脳を持つ使い魔「はりまお」に移譲することでクリアした。
計算は全てはりまおに任せ、その解をパスで受け取る。この方式にすることで、さくらはこの大規模な工程をまるまるカットすることに成功した。
他にもう一つ、過去、その該当空間において攻撃的なことがあったか否かという重大な条件もあるが、今回ばかりは特に問題にはならない。
一定空間の時間を戻し、過去に行われた攻撃を再発動するとなれば、過去、その場で攻撃が行われていることが必須条件だ。
本来であればそこまで葉子を誘き出すか、追い込める必要もあったが、ここは先程まで香奈子とさくらたちが激戦を繰り広げていた場所だ。
むしろ『攻撃が行われていない空間』を探すことの方が難しいほどに、この一帯は攻撃に満ち溢れている。
そういう意味では実に都合が良かった。そのエリアで激しい戦闘が行われていれば行われていただけ、この能力は真価を発揮するのだから。
……とはいえ、自分ではなく一定空間に働きかけ時間を操作するということ自体魔眼の負荷も魔力の消費も激しい。
なのでさくらはいいまも目眩がひどく、気を抜けば座り込んでしまいそうなほどな眼の疼きに耐えている。しかしさくらは余裕と言わんばかりに胸を張り、
「どうする? その怪我でまだこれ以上ボクたちと戦うの?」
「っ……」
葉子は悔しげに唇を噛んだが、それは一瞬でしかなかった。葉子はすぐにいつもの無表情に戻り、ゆっくりと立ち上がると、
「――良いでしょう。タイムリミットも迫っていますし、この場は退きます。宝珠も最低限ロウ・エターナルの連中に渡らなければそれで良いので」
「ロウ・エターナル……?」
「それまで、その宝珠はあなたに預けておきます。その間はもちろん使ってくださっても構いません。
魔術師……いえ、突飛な能力は奇術師に近いですか。あなたなら使いこなせるかもしれませんしね」
葉子の背後に穴が開く。
それが空間を行き来するためのものだろう。さくらたちは追撃する構えは取らなかった。退くのなら退くで構わない。
しかし葉子はその亀裂に入る直前に何かを思い出したように立ち止り、
「あぁそうだ。私を二度も撃退したカノンに敬意を表して……一つだけ情報を差し上げましょう」
「情報?」
「あの人が来るまで、おそらく十分から十五分……。その間にここから避難することをお勧めします。でないと、おそらく巻き込まれてしまうでしょうから」
「巻き込まれる……? 何に!? あの人って!?」
「一つだけ、と言いましたよ。それでは……宝珠、預けておきますから」
「待――!」
制止の声も届かず(というより無視して)葉子は虚空に姿を消した。
当面の危機を回避して安堵するさくらたちだったが、
「巻き込まれる……って、何のことでしょうね?」
「……わからない」
佐祐理の当然の疑問は、さくらをはじめ誰にも答えられるわけがない。
「とりあえず、統括してる久寿川さんのところに報告して……その後は念のため防衛ラインを下げておこうか」
葉子のことを一から十まで信用しているわけではないが、葉子が時間を気にしていた理由を考えれば楽観視は出来ないだろう。
そうして三人は数体残っている魔導人形を率いて戦線から後退した。
香奈子、葉子と立て続けの強敵との戦いで疲労困憊だ。やれやれ、と溜息を吐き……その中で、ふとさくらは思い出したことがあった。
「……そういえばあの狙撃って誰だったんだろう?」
――08:39――
祐一は真琴を抱えながらエルシオンの甲板に着地した。
来る間に多少の妨害はあったものの、それも勢いは落ちている。地上では月島拓也も発見されたようだし、流れはこちらに傾いているのだろう、と考える。
「おかえり」
小走りにやって来て出迎えてくれたのは郁乃だった。服こそ多少汚れてしまっているが、その身には傷らしい傷はなさそうだった。
「あぁ、ただいま。霧島聖はどうだ?」
「ちゃんと無事……じゃないかもしれないけど、捕まえた。いまは牢に幽閉してある」
「そうか。何よりだ」
「その子も連れていく?」
「いや、こいつは俺が自分で連れていくよ。覚醒もしばらく解除しておきたいしな」
祐一はエルシオン(というよりユーノ)の結界を超えたところで既に覚醒を解除している。
解除した瞬間こそどっと疲労が押し寄せてきたが、いつも降りかかる巨大な眠気はいまのところなさそうだった。
「わかったわ」
「ただその前にちょっと郁美に聞きたいことがあるんだけどな」
周囲を見渡すまでもない。圧倒的な魔力量を誇る立川郁美――しかも戦闘態勢――は例え目を瞑っていたところでその存在感を消しさることは出来ない。
なので郁美がどこにいるか探す必要もなく、祐一は真琴を抱えたまま妹分の女王に近付いた。
「郁美」
「祐一兄さん。お戻りになりましたか」
隙なく空を見上げていた郁美が、ほんの少し緊張を崩して微笑んだ。
「あぁ。無事うちの軍のやつは確保した」
「それは何よりです。他の方々も捕獲したという報が続々届いているようですよ」
「そうか。それは……あぁ、一安心だ」
一番気がかりだった、カノンの仲間たち。
まだ全員が助かったわけではないが、それでも安心している自分を祐一は感じていた。
だがそう安堵していられる余裕もない。祐一は表情を変え、本題に入ることにした。
「で、だ。一つ気になっていたことがあるんだが……」
「はい。なんでしょう?」
「郁美。特に変わったことはないか?」
「変わったこと、ですか? いえ、特に……」
「そうか。いやな、何か……この船内から妙な気配……というより魔力? いや、存在感、みたいなのを感じるんだが……お前はどうだ?」
「――やってみます」
祐一の顔から何かを読み取ったのか、すぐさま顔を戦士のそれに切り替えた郁美がブレイハートを両手で構え、そっと瞼を閉じる。
祈るようにして……ざっと十秒ほど。郁美は瞼を開くと、
「……はい。こうして集中してみて、ようやく気付きました。何とも言えないような違和感を持った誰かが、いますね」
しかも、と続け、
「既に甲板に出てきていて、その上徐々にこっちに向かって来ている」
顔が不覚、と物語っていた。しかしここは郁美の探知を掻い潜っていた相手の力を認めるべきかもしれない。
「まさか味方……ということはないよな」
「ええ、おそらく違うでしょうね。魔力というか気配が希薄で不気味ですが、お世辞にも友好的なものではないでしょう」
二人頷き合い、ある方向を見つめた。
気配の移動からして、おそらく数分もしないうちに正体不明の何者かはここにやって来るだろう。
そんな二人の態度に気付いた郁乃や、他の場所で対空防御を行っていた芹香もまた何かに気付いたのか、祐一たちの視線を追う。
そして……、
「……なるほど。やはりここまで接近すれば気付く者も増えてくるか。まぁそうだろうな。むしろそうでなくては困る」
無造作に、何の警戒もなしに現れたのは、桃色の髪をした少女だった。
祐一はその少女に集中しつつ、周囲の面子の様子を軽く見渡す。特に何の反応もないことが、誰の顔見知りでもないことを表していた。
「あなたは何者ですか? 返答次第では容赦はしませんが」
郁美がブレイハートを構えつつ訊く。少女はその眠たげな瞳で一瞥だけすると、失笑するように俯き、
「味方ではないとわかっているなら、既に答えは出ているものと判断するが?」
「……そうですね。ならば――」
「あぁ、まぁ慌てるな。その前に紹介をさせてくれ」
紹介? と眉根を顰める郁美の先、少女は突然緩慢な動作で両手を上げた。そうして少女は大きく口を開き、
「るー」
わけもわからないことを言った。
「これは挨拶だ。そしてるーの紹介をしよう。るーの名は、ルーシー」
名を告げた瞬間、彼女の右腕、二の腕の部分で何かが発光した。それは魚のような形の紋様だった。
「ペンタグラム五使徒序列Uが配下、十二星座・魚座のルーシー・マリア・ミソラだ」
「ペンタグラム……?」
「るーに与えられた使命はただ一つ」
ルーシーは不気味なほどの笑みを浮かべて、
「相沢祐一。うーを――ここから消すことだ」
そう告げた。
あとがき
どうも、神無月です。
えー……そうですね。今回はちょっと反省点があります。説明口調が多かったなぁ、ってところなんですけどね。
というのもまぁ新技・新能力のお披露目の場合、特にその効果・効力・使用方法・使用基準といった点を出来る限りわかりやすく書く必要があるんですが……、今回は(特にさくらが)新技多すぎて大半がそういった説明文になってしまった感があります。
説明は必要だとは思うんですが、出来うる限り少なくはしたい。でも中途半端に情報を削ったら誤認されてしまうのではないか……そんなことを考えながら結局ずるずると長くなってしまったような気がします。あぁ、文才が欲しい。
さて、反省はその辺にしておきまして。やはり今回のメインは葉子VSさくらたちでしょうかね。
さくらは得意の魔術を伸ばすのではなく、魔術師が苦手とするインファイトにも対応出来る道を選びました。ネギまのネギくんに近いかもしれませんね。
特にまだ時空の魔眼を掌握しきれておらず、大規模な時間空間支配や人体にまで時間操作の影響を及ぼすことが出来ない以上は活かせる道が近接戦しかなかった、っていうところが大きいんですけどね。
そんなわけでさくらの義手に仕込まれている呪いも基本的にそういったものに絞られており、かつ直接的攻撃力を持つものではなく絡み手として使うようなものが多かったりします。なのでこれからの彼女の戦闘スタイルはゴリ押し力技タイプではなく杏や祐一たちのような技巧派になるのかなぁ。どうだろw
んで、いよいよ表舞台に介入してきましたペンタグラム。まぁ十二星座の人なんですけれども。るーこことルーシーさんでございます。
本当はルーシーの時は言語もっとしっかりしてるんですけどね。そこはそれ、るーこの時のキャラも好きなので、神無月のルーシーは若干混在しております。
すんませんがご了承くださいませw
おっと、長いよあとがき! この辺にしておきましょうねw
ではシズク編終了までおそらくあと2回。お付き合いくださいませー。