神魔戦記 第百六十章

                      「怒涛ニシテ傲然ナル狂宴(\)」

 

 

 

 

 

 ――08:24――

 

「殺す! 皆、皆、殺してやるぅぅぅ!!」

 叫びは炎を撒き散らし、数多の火の粉を尾として沢渡真琴が空を割く。

 音速さえ突破しているであろうその速度は、縮地などの技術ではない、純粋なる力技。故にただ『進む』という行動でさえ爆風を生み出す凶器となる。

 対する祐一はその進行方向を的確に読み、その直線上から速やかに退避する。

 切り結ぶことは避けていた。『マージ』は元々対消滅の威力上昇、消費魔力低減、コントロール補佐などを目的とした剣だ。元々ぶつかりあう目的で創られたものではないから、外からの衝撃による耐久性はあまり過剰に信じないほうが良い。

 それでも『陰陽の剣』を上乗せ展開していれば話は別だが――、

「そんなことをしては真琴の腕ごと切断してしまうからな」

 どうしようもなくなればそれもやむなしとも思うが、出来ることならあまり怪我をさせず抑えたい。だが……祐一には若干の不安材料があった。

「覚醒を始めてそろそろ一時間……。ここからは未知の領域だな」

 ジャンヌ、神奈らとの戦いを経て延びてきている覚醒限界は出発前に確認した段階で一時間。朋也と戦ったときよりも更に伸びてはいる。

 そのときは四十五分くらいで身体が軋み始めていたが、しかしいま、一時間まで残り数分という段階になっても特にそれらしい変調は感じられない。

 これまでの経験から考えてこの調子ならまだ覚醒は続けられる。つまりまた限界時間が延びているということだ。……無論その予兆がなければこうも余裕で戦っていたりはしないが。

 もちろんこの状況でそれはプラス材料だが、かと言って油断は出来ない。出来ることなら早めに決着を着けるべきだ。しかし、

「逃げるなぁぁぁ!」

 旋回し再びこちらに突っ込んでくる真琴に対し、祐一は無詠唱で上級魔術を放つ。しかし放たれた光は真琴の爪の一振りであっさりと打ち消される。

 ……そう、問題は予想以上に真琴が強いことにある。

 倒すだけなら簡単だ。『陰陽の剣』であの爪や剣ごと斬れば良い。あるいは規模を縮小した『光と闇の二重奏』で撃ち抜いても良い。

 だが目的は真琴を抑えることにある。となると対消滅は使えない。が、それ以外の攻撃方法では真琴の纏う炎を打ち破れないのだ。

 当初は真琴の魔力切れを待つかとも考えたが、既に数十分過ぎたがその兆候は見られない。下手をすると魔力の過剰消費で真琴の身体さえ危うくなる可能性もある。

 どうにかあの炎の威力なり出力が落ちてくれればやりようはいくらでもある。誰かの手を借りることも考えたが、皆周囲の敵への対処で忙しい。

 それに……真琴は、自分の手で救いたいとも思っていた。

「懐かしいな、真琴。その誰も彼もを敵とみなすような視線……まるでお前と初めて会ったときみたいだ」

 迫る炎の爪を、祐一は空中で身体を一回転、背で形成する光の翼でいなし、後ろへと飛んでいく真琴に苦笑を見せる。

「人間族のトラップ魔術にはまったお前は、自力で脱出したものの体中傷だらけの満身創痍だったな。そして近付いた俺にお前はそんな目で殴りかかってきた」

 返事はない。真琴はただただ我武者羅に、祐一を殺そうと突っ込んでくる。

 そのとき、ふと祐一はあるものを感じ取り、下、地上を見下ろした。

「妖狐の家族に裏切られ、人間族に騙されたお前は何も信じることが出来ず、全てを敵と認識していたな」

 真琴が炎の爪を剣へと変え、大きく振りかぶる。上昇し、急降下と共にその剣を振り下ろす。だが祐一は今度は回避せず。『マージ』を上へ振り上げ、

「『陰陽の砦(インシュレイト・フォート)』」

 対消滅の障壁でその一撃を防御、その上で自ら障壁を破壊する。その衝撃に後退する真琴を追撃し、

「『覇王の黒竜(アルディアス・アルブラスト)』!」

 至近距離で闇の上級魔術を放つ。もちろん真琴は咄嗟にガードするが、勢いだけは殺しきれず吹っ飛ばされる。

 とはいえダメージはない。故に真琴は体勢を立て直し、祐一に切りかかろうとして、

「……!?」

 ガクン、と。身体の力が抜けるような感覚を得た。

「やっぱりお前は真琴だよ。お前はあのときから何も変わらない」

 祐一はそんな真琴を冷ややかに見下ろし、

「あのときも言ったはずだ。もっと周囲をよく見てみろ、と。そうやって憎しみばかりにとらわれるから、人間族の罠なんかに引っかかるんだ、と。

 ……そしていま、またお前は俺の罠に引っかかった。普段のお前なら絶対に気付いていただろうにな」

 真琴の背から噴出している炎の翼が揺らめき、見る見るその規模を小さくしていく。手に形成している炎の剣もまた、いまではナイフほどの大きさしかない。

 精神感応に犯され、理性ではなく本能のままに動く真琴には何が起こっているのかまったく見当がつかない。

「気付かないか?」

 祐一は指を一つ立て、

「お前が炎の形成に利用している火のマナが……ここ一帯から消失していることに」

 そう、祐一が先ほど感じた感覚は……大気中のマナ濃度の変化だ。火のマナが急速に減少したのである。

 おそらくこんな芸当が出来るのは火の聖騎士である香里だろう。どんな強敵と当たったかはわからないが、祐一はこれを利用した。

 真琴を火のマナが最も薄いポイントに誘導し、出力を低下させる。そうすれば真琴は攻撃力と防御力を低下させ、その上飛行能力さえ失うことになる。

「ゆ、う、い、ち……!」

「まだまだだな、真琴。力任せじゃ俺はやられないぞ?」

 思い通りに動けなくて歯噛みする真琴に、祐一は敢えて笑みを見せる。そして悠々と接近し真琴の顔に手を当て、

「『寝沈む湖(スリープ・フォール)』」

 真琴の身体から力が抜け、炎が霧散し意識が落ちる。

 闇魔術の一つで、対象の意識を強制的に落とす魔術だ。

 対象の魔力抵抗が高いと効果は期待できない上、相手に触れないと効果がない魔術だが、祐一は覚醒中。真琴くらいならどうにかなる。

 翼も消え落ちそうになる真琴の身体を抱き止め、その頭を祐一は小さく撫でた。

「というわけで、今回も俺の勝ちだ。次は正気になってから出直して来い」

 そういえば、と祐一は思う。あのときもこうやって真琴を抱きとめていたな、と。とはいえあのときはまだ人化が下手で妖狐の姿だったが。 

 と、あまり懐かしんでいる余裕はない。一旦船に戻って真琴を置いてこよう……と思い、そこで胸元にある連絡水晶が輝きを放っていることに気がついた。

 それはカノンに残っている美汐と繋がっている水晶だ。向こうで何かがあったのだろうか?

 取り出し通信を可能にしようとした瞬間、輝きが消えた。美汐が魔力を切ったようだ。だからこちらから折り返し連絡をしようとして――、

「……これは」

 自分の考え違いに気がついた。

 こちらから魔力を通しても何も反応しない。……つまり美汐が魔力を切ったわけではなく、連絡水晶が無効化されているのだ。

 感覚を研ぎ澄ませばようやくわかる程度の違和感が、いつの間にか存在していた。

「……この島を取り囲むように薄い結界のようなものが張られている。何者かが魔力通信を遮断しているのか?」

 だが、通信を遮断するためだけにしては規模が大きすぎるし、シズクがこんなことをする理由もわからない。

 祐一は瞼を閉じ、精神を集中させる。この結界を張った人物が必ずどこかにいる。これだけ大規模な結界だ、そうそう離れられるはずがない。それを探し出す。

「――」

 魔力は千差万別、人によって違いがある。結界に使われている魔力と比較すれば、自ずと誰が術者なのかはわかるのだが……。

「妙だな」

 いた。相手は頭上……つまり船の方向にいることになる。

 だが奇妙なのは、これだけ結界を構築する者にしては感じ取れる魔力が微々たるものであること。そして仮に敵だとした場合、あまりに動きがないことだ。

 そして何より妙なのは、違和感。言葉では表せぬ不吉な何かが感じられるのだ。

 敵であれば、船上にいる郁美や芹香たちが攻撃をするはず。回避なり防御なりなにかしらの動きがあって良いはずなのだが……。

「ならば内部犯、という可能性もあるが……考えていても始まらないか」

 どの道真琴を船まで連れて行かなくてはならない。ならば、

「行ってみるしかなさそうだな」

 翼をはためかせ、上昇する。

 その最中、頭の片隅に一抹の嫌な予感を感じながら……。

 

 

 

 ――08:26――

 

「これで……最後だ!」

 魔導人形の懐に滑り込んだ朋也が起き上がりざまに剣を振り上げ、その身体を真っ二つに両断した。

 崩れ落ちる魔導人形を後ろに、朋也は嘆息しながら剣を鞘に収める。

「さすがに疲れるな、これは」

 周囲を見渡せば、魔導人形であったものの残骸がそこかしこに点在している。その大半が朋也の手によるものだ。

 近くに美凪の姿も晴子の姿もない。というのも……、

「――終わりました」

「お?」

 声は背後から。

 振り返れば、何もない虚空からまるで溶け出すようにして美凪の姿が現れたところだった。

 そして同時、前方から何かが倒れるような音も。

「が、ぐ……!」

 地面に倒れ伏せているのは神尾晴子。特に目立った怪我などはないが、息も絶え絶えの満身創痍で意識も落ちようとしていた。

「……私の固有結界で体力と魔力を限界ギリギリまで吸い取りました。理性や本能でどうこうできるレベルではないので、動くことももう出来ないでしょう」

「噂には聞いてたが、あんたの固有結界はえげつないな」

「ですがこうして手傷を負わせずに無力化するには良い能力だと思います」

「ま、確かに」

 頷きつつ朋也は晴子に近付き、魔術で拘束する。例え意識を取り戻してもこれで暴れたりはできないだろう。

「これからどうしましょう」

「月島が見つかったらしい」

「本当ですか?」

 朋也は頷く。美凪が固有結界に入っている間の連絡だったので美凪は知らないのだ。

「とはいえこの人をこのままにもしておけない。あんたはこの人を連れて戦線から下がってくれ。月島のところには俺が行く」

 偶然だが、朋也たちが進んでいた方向がちょうど月島拓也が発見された方角なのだ。距離ももうそれほどない。走れば数分で着くだろう。

 それに連絡が来るまでもなく、気配に敏感な朋也は月島拓也が放ったであろう精神感応の『波』を察知していた。

 他の者はどうかわからないが、朋也には精神感応による精神的干渉を感覚的に捉えることが出来た。

 あれは力の波だ。能力者を中心にして放たれる波。それが精神感応。自らの波が強ければ精神感応の波を寄せ付けず、逆に弱ければたやすく波にさらわれてしまう。

 だが、それはつまり一度精神感応を発動すれば逆探知も容易だということになる。

 おそらく拓也もその辺りを理解しているからこそ、発見されるまで大々的に精神感応を発動しなかったに違いない。案外慎重だな、と朋也は考える。

「しかし一人では危険では……」

「他の連中もすぐ到着するだろ。それにヤツが外円周上にいたのは計算外、おそらく接触した部隊は精神感応を受けてしまっていると考えたほうが良い。

 なら俺の方が良い。俺の売りは手数の多さだし、どんな敵が相手だろうと対処出来るさ」

 美凪は一瞬だけ逡巡したものの、晴子を一瞥し、ゆっくり頷いた。

「……わかりました。どうかお気をつけて」

「ああ、任せておけ」

 晴子を抱え美凪は離脱していく。彼女は飛行は出来ないため、事前に決めてある待機場所に向かうことになるだろう。

「さて……ん?」

 これから拓也のところに向かおう、としたところで奇妙な感覚を覚えた。

 一人になって初めて気付くほどの微かな違和感。ともすれば見逃してしまいその感覚を、朋也は必死に手繰り寄せる。

「……上、か?」

 それはおそらく上……エルシオン級がある上空の方だ。

 何が、とハッキリ言えないような違和感がそこにある。まるでそこにあるべきものがないような、不可解な感覚……。

 だがふと見上げてみると、船の方に向かっていく祐一の姿が見えた。

「あいつがいれば大丈夫か。俺は俺の出来ることをしよう」

 他にも船上には郁美や芹香といった尋常ではない連中がゴロゴロいる。そうそうの相手や事件ではどうこうはなるまい。

 そう結論付けて、朋也はその違和感を意識から外し走り出した。

 

 

 

 ――08:29――

 

 ほぼ時を同じくして、朋也と同じような感覚を覚えた者がいた。

「ん……?」

「どうした往人」

 アインナッシュに降下してから南に向かっていた往人と神奈。彼らは月島拓也発見の報を受け反転、北を目指していたのだが……。

「神奈。お前は感じないか?」

「何をだ」

「上だ。上から……上手く説明出来ないが、奇妙な気配がする」

「……? 特に何も感じぬが」

 神奈が何も感じないということは錯覚か……とも思ったが、やはりその違和感はいまなお続いている。

 あるいは、誘っているのだろうか? 自分を。

「……神奈。悪いが俺は一度上へ戻る。この気配、かなり気になる」

「……わかった。月島拓也のところには余が一人で行こう」

「あまり無茶するなよ? お前はエアの女王なんだからな」

「フン。お主に言われるまでもなく承知しておるわ。良いからとっとと行け」

 しっしっ、と手で追い払い神奈はとっとと先に行ってしまった。

 苦笑しつつその背を見送ってから、往人は上を見つめる。

「……行くか」

 何か不吉なものを感じながら、国崎往人は空を上る。

 

 

 

 ――08:30――

 

 そこは、目を背けたくなるほどの惨状だった。

 一人の男が血塗れで立っている。身体には剣や矢が数本刺さったままであり、息も絶え絶え。 

 むしろまだ立っていることが奇跡としか思えないほどの満身創痍でありながら、しかし彼の目は死んでいなかった。

「粘るねぇ、なかなか。まぁ見世物としてはこの方が楽しいから僕は嬉しいけど」

 その様子をただ見つめている男……月島拓也は口元を歪めながら、

「でもこのままじゃ本当に死んじゃうよ? とっとと反撃したらどうだい?」

「……」

 血塗れの男――ベナウィは、無言のまま拓也に槍の穂先を向ける。左手がもう動かないのか、右手だけで構えた槍の穂先は細かく震えていた。

「あなたを倒せばそれで終わりです」

「ならやってみると良い。ほら」

 挑発するように腕を広げる拓也。それは明らかに隙だらけで、ベナウィほどの武人なら距離をつめて殺すまでに一分もかかるまい。

 だから、ベナウィは地を蹴った。

 倒れた自分の愛馬の横を通り過ぎ、一気に加速する。まだ拓也は動かない。もはや必殺の間合いだった。

 しかし、その穂先は甲高い金属音と共に横から出てきた剣によって止められた。

「……っ」

「すいやせん……大将!」

 それはベナウィが最も信頼を寄せる部下、クロウだ。

 しかしその彼が何故か拓也を守るようにベナウィの攻撃を防いでいる。その理由は、

「僕を倒すんだろう? 僕を倒すんなら、まず君の部下を皆殺しにするところから始めないと……ねぇ?」

 途端、周囲から一斉にベナウィの部下たちが襲い掛かってきた。

 精神感応。

 拓也はベナウィ以外の全員を精神感応で操り、戦わせていたのだ。しかも敢えて意識を残したままで。

「ベナウィ様! 我々のことはどうか構わず、月島拓也を倒してください!」

「ベナウィ様に刃を向けるなど……! いっそ殺してください!」

 部下の悲鳴にも似た言葉、そして同時に繰り出される剣や槍の攻撃。だがベナウィはそれをあしらうだけで一向に反撃しようとはしなかった。

 だがいかにベナウィとて四方八方から来る攻撃を全て捌き切ることは出来ない。無慈悲なまでに繰り出される攻撃の雨は、確実にその身を削っていく。

「大将! 俺らのことは気にせず、この野郎をぶちのめしてくだせぇ!」

「……クロウ。仮に逆の立場で、あなたに同じことが出来ますか?」

「ぬ、ぐ……!」

 おそらく、出来ない。クロウにとってベナウィという人物は忠義を尽くすに足る最高の上司である。

 何かきちんとした理由があるのならともかく、ただ敵に操られているだけ、という状況で剣を向けることなど出来はしないだろう。

 歯噛みする。だがそれで精神感応が消えるわけもない。精神的な痛みはむしろベナウィよりもベナウィに攻撃させられているクロウたちの方が大きかった。

 いっそ自分で自分を殺せればどれほど良いか。そう思えてしまうほどに……。

「ぐっ……!?」

 背後から突きだされた剣がベナウィの左腿を貫いた。膝を崩し、ベナウィの動きが止まる。

「大将!」

「……すいません、クロウ。皆も。……私には、あなたたちを救えるだけの力はなかった」

 殺到する部下たち。自制は効かない。止まらない。止まってくれない。剣が、槍が、矢が、敬愛する上司に向けられる。

「ちきしょう! 誰か、誰でも良い! 俺を、俺たちを、止めてくれ……!」

 剣を振り上げ、クロウは叫んだ。

 誰でも良い。この状況をどうにか出来るなら、誰であろうと構わない。自分たちはどうでも良い。ベナウィだけは助けて欲しい、と。

 クロウだけではない。ベナウィの部下全員が同じ想いで奇跡を求めた。その心の叫びは、

 

「――捕縛は成立する――!」

 

 ――聞き遂げられた。

 突如上空から現れた鎖は一瞬でベナウィを捕縛し、剣や槍が殺到する前にその身を空へと引き上げていた。

「ふぅ、危ない危ない。間一髪」

 声は上から。ベナウィがゆっくりと視線を上げると、空を飛ぶ少女に抱かれた青年が、小さく笑っていた。

「大丈夫……じゃ、なさそうだけど、とりあえず生きてるよな? あぁ、良かった」

「君は……?」

「朝倉純一。お隣のα36部隊を任されてた者だよ。とにかく間に合って良かった。後は俺たちに任せておいてくれ。アイシア」

「うん」

 純一を抱える少女、アイシアがクロウたちからやや距離を取って着地する。純一はトゥルーメアーの捕縛を解除し、ベナウィをそっと地面に横たえた。

「あんたはそこでジッとしていてくれ。出来る事ならもっと遠くに避難させてやりたが、そうもいかないみたいだし」

「待って、ください。あそこにいるのは私の部下で――」

「大丈夫」

 ベナウィの言葉を遮った純一は首だけを彼に向け、

「誰一人死なせやしないさ。俺たちが守る、必ずな。だろ、アイシア?」

「うん、もちろん!」

 何を根拠に、という考えは浮かばなかった。ベナウィはその二人の自信に溢れた笑みを見て、それこそ根拠もなく信じてしまえたのだから。

「……クロウたちを、頼みます」

「あぁ、任された」

 スッとベナウィの瞼が閉じられる。死んだわけではなく、ただ意識が落ちただけだ。

 さて、と前置きして純一とアイシアは再び向き直る。その前方には数千近い兵。皆、ウタワレルモノの者たちなのだろう。

 そしてその後ろ、まるで王の如く――否、当人は間違いなく王として――座して余興を見守る男がいる。

「お前が月島拓也か」

「そうだが……。まったく、折角の余興が台無しだ。どうしてくれるんだい? 君たち程度の命じゃ弁償できないよ?」

「なるほど。……聞いてた以上の下種野郎みたいで安心した」

「んん?」

「俺はさ、戦いなんか好きじゃないし。出来る事なら寝て食って……のんびり過ごしたいと思う人間だけど――」

 トゥルーメアーを握りしめ、

「お前だけは、許せない。人の意思を捻じ曲げて、道具のように使い捨てるお前は……絶対に!」

「ククク……ハハハハハハ! そうか、許せないか! ならば――お前も使い捨ててやるよ!」

 拓也を中心に、莫大な精神感応の波が発される。

 目に見えるものでもなければ、魔力的な感知も出来ない不可視の精神攻撃が純一とアイシアにも降り注ぎ、

「……ん?」

 しかし手応えはなかった。

「残念だが、俺にもアイシアにも精神感応は効かないぜ」

 サーヴァント、アイシアの対魔力は人のそれを超越しているし、それに純一は……どういうわけかわからないが『夢現の魔眼』が精神感応を打ち消していた。

 さくらが言っていた。夢現の魔眼の能力は詳しく明らかにされていないが、明確になっていることがいくつかある、と。

 そしてそのうちの一つに、『状態異常のオールキャンセル』というものがあるらしい。

 毒、感電、麻痺……そういった初歩的なものだけでなく、呪術、病、幻惑も効かず、果ては石化や精神感応さえ無効化するらしい。

 所持者の動きを束縛するありとあらゆる異常を受け付けない。それが明らかにされている数少ない『夢現の魔眼』の能力の一つだった。

 しかし美春だけはどうなるかまったくわからなかったので、ここには連れてきていない。美春が敵に回る可能性を考慮するなら、最初から連れてこない方が無難だろうとの判断だ。

 だがその分戦力は低下している。純一自身の戦闘力などたかが知れているし、ここで頼りになるのはアイシアだけだ。だから純一は言う。

「アイシア。あいつを倒せば全てが終わる。でもその前にここの人たちをどうにかしないと辿りつけない。……どうにか出来るか?」

 隣に立つ、相棒たるサーヴァントに訊ねる。するとアイシアは何故かちっちっち、と指を振り、

「純一。言葉が違うよ」

 ん、と手の平を上に向け、差し出される。最初まるで意味がわからなかったが、彼女の顔を見てようやく得心が言った。

 待っているのだ、彼女は。純一の信頼の言葉を。

「じゃあアイシア、改めて言う。……この状況を、どうにかして来い!」

「りょーかい!」

 元気良く頷いたアイシアは腰を落とすと、風の魔力を纏い、一気に地を蹴った。

 クロウたちに向かって一直線に低空飛行するアイシア。もちろん彼らはそれを迎え撃とうと武器を構え、

「多重次元魔術式、展開!」

 次の瞬間、その一人一人の足元に魔法陣が出現した。

「『戒める風の糸(シルフ・バインド)』!」

 中級風系束縛魔術。継続時間はそう長くないが束縛力の強い対単一束縛魔術だ。

 それをアイシアは多重次元魔術式を使い人数分発動させたのだ。膨大な魔力量と特殊術式に物を言わせたゴリ押し力技である。

 しかしこれでアイシアの行く手を遮る者はいない。

「月島拓也! あなたはここで倒します!」

 多重魔術式が更に展開する。数は十。そのそれぞれに火の魔力が集束し、

「『断罪の業火道(エルメキエスド・ゼロ)』!」

 超魔術が一斉に放たれた。

 月島拓也には防御する術はない。彼には魔術的才能は欠片もないし、そもそも魔力がさほどない。超魔術、しかも十発も止められるはずがない。

 これで終わりだ。そう思ったが、

「!」

 ズキン、と。純一の眼球が疼いた。

「バカだねぇ。この僕が奥の手を何も用意しないと思ったかい?」

 拓也の歪んだ笑みの直後、地面をぶち抜き現れた何かによって超魔術は全て遮られた。

「!?」

「何で僕が中心じゃなくこんな外側にいると思ってるんだい? 決まってるだろう、彼の力を最大限活用するためさ」

 拓也を守るように現れたのは数多の蔦、蔓、枝……。植物と思しきそれらは、まるで守護者のように拓也の周囲を覆っていた。

「これは……腑海林アインナッシュ……!」

「君たちが中心地を爆撃することはわかっていた。確かに中心地は根からやられて活動不能になったけれど、でも彼を殺すには至らない。

 いや、彼を完璧に殺しきるなんて魔法使いでだって難しい。だから僕はここにいる。避難したのではなく、ここの方が安全だから……ね」

 蠢く植物の群れ。その動きは先程突入した時よりもはるかに猛々しく、激しい。

 ……どうやら突入の際のアインナッシュの迎撃は本気ではなかったようだ。それも全てこの時、相手を油断させるためのものだったのかもしれない。

「さて、どうする? これからアインナッシュは君を攻撃する。もちろん攻撃をかわしても良いけど……そうなると後ろで束縛されている人間は皆血を吸われて終わってしまうね?」

「!? あなたは、どこまで……!」

 状況が逆転した。クロウたちが敵としてだけではなく、人質にもなってしまった。

 空も飛べるアイシアにとってアインナッシュの攻撃を掻い潜るのは問題ないが、言うとおり逃げればクロウたちが餌食になってしまうだろう。

 ――どうする、どうすれば良い……!?

「ハハ、考えてる時間はないと思うけどね!」

 瞬間、地面が爆発した。

 アイシアの足元から数百にも及ぶ蔦や枝が噴き出し、アイシアを捕食しようと群がる。

「しま……!?」

 目の前の木々に気を取られていたアイシアは咄嗟に反応出来ない。そもそも魔術とはそうすぐに構築出来るものではないのだ。

 いかな無詠唱、無言発動であろうと魔力を収束し術式を編むという工程は必要不可欠。不意をつかれ、しかもこの距離では対処のしようがない。

「アイシア!」

「純一!」

大丈夫だ(、、、、)そのまま(、、、、)ジッとしてろ(、、、、、、)!」

「え……?」

 どういうことかわからない。わからないが、アイシアは純一を信じ動きを止めた。

 アイシアを飲み込もうとアインナッシュの蔓が全体を覆い、

 

「そうはさせないよ!!」

 

 煌めく銀糸によって、全ては一瞬で両断された。

 拘束から解除されたアイシアが速やかに純一のいるところまで後退する中、月島拓也は小さく舌打ちし後ろを振り返る。

「また邪魔者かい? ……まったく次から次へと、面白くないねぇ」

 気だるげに呟く拓也が視線を向ける先には、三つの人影があった。

「お生憎さま。あんたを楽しませるために生きてるわけじゃないからねぇ〜」

 陽の光を反射して輝く糸を腕から出しているのは、折原みさお。

「ここが年貢の納め時ですよ」

 その隣で傘を差しているのが里村茜。そして、

「もう逃げられないぞ」

 つい先程この二人と合流した岡崎朋也である。

 その三人……特に茜を凝視した拓也は薄く笑い、

「なるほど。蜘蛛に精霊憑きに魔眼所持者か。そんじょそこらの兵士数万を相手に回すより厄介だろうねぇ」

 だが、と我が身を守る蔓に触れ、

「君たちにアインナッシュを倒せるかな? 僕を殺すということは、即ちアインナッシュを滅ぼすことと同義と思って良い。さぁ、そんな大それたことが君たちに出来るのかな?」

「ふん、それしか方法がないって言うんなら――」

「やって見せるだけだ」

「ええ」

 みさおの背に爪が、朋也が魔眼を完全開放し、茜の周囲に水が踊りだす。

 もちろんアイシアもこれに参戦するため魔力を滾らせる。意識は拓也に向けたまま、アイシアは横にいる純一に声をかけた。

「ありがと、純一。純一にはあの人たちが来ることが視えていたんだね」

 もはや純一の魔眼に未来予知に似た能力があるのは間違いない。だからこそアイシアはあの時純一の言葉を素直に受け止められた。信じられた。

 純一の言う事なら間違いない、と。そう思えたのだ。

「純一……?」

 だが純一からの返答がない。どうしたのかと横を向けば、何故か彼は上空を凝視していた。

「どうしたの、純一?」

「いや……上から、嫌な感覚を感じて……」

「上から……って、純一! いまはこの月島拓也に集中しないとだよ!」

「あ、あぁ、そうだな」

 アイシアに諭され、純一も拓也に視線を向ける。

 ……が、それでもなお眼球がズキズキと疼いていた。

 純一は最初、てっきりアインナッシュの登場に反応したのだと思っていた。だがアインナッシュが出て来てからも痛みは治まらず、むしろ増す勢いだ。

 そして感覚を研ぎ澄ましてみれば、それは前方ではなく上空から。

 純一は知らぬことだが、それは祐一、往人、朋也が感じたものと同じであり、その上で彼ら以上に鋭敏に感じとっていた。

 何か、はわからない。だがひどく不快で、そして不吉な感じがするのだ。拓也や、アインナッシュ以上に。

 しかし、と首を振る。船の方には自分などより強い連中がたくさんいる。きっとその人たちが気付いて何とかしてくれるに違いない。そう思うことにした。

 実際、拓也をここで倒すことがこの戦の最優先事項。ならばいまはそれに集中するべき、というアイシアの言葉はもっともであり、純一もそう思う。

 気持ちを入れ替えよう。纏わりつく上からの悪寒を意識から外し、トゥルーメアーを構えた。

 五対一。この戦を左右する戦いが、幕を開けようとしていた。

 

 

 

 ――08:31―― 

 

 その人物は誰にも悟られず、誰にも見つからないままエルシオンの中に潜入していた。

「……ふむ。こちらに気付いたのは四人か。四人しかいないと嘆くべきか、四人もいると喜ぶべきか……難しいところだな」

 彼女は別にどこに隠れているわけでもない。ただ堂々と歩いている。

 しかし誰も気付かない。仮に誰かが通ってもその人物に気付くどころかぶつかることさえなく通り過ぎていく。

 音も、気配も、何も感じさせない。それは名雪の『隠者の夜』と同じ効果にしてそれ以上の隠匿性を発揮していた。

 しかしそれでもなお滲み出るものがある。鋭敏な者にはうっすらと感じ取れるかもしれない、というレベルのごくわずかな『違和感』。

 それに気付いたのが、

「相沢祐一、国崎往人、岡崎朋也、朝倉純一……。要注意リストに名前が二人載っているな。他の二人も書き足しておこう」

 手帳のようなものに何かを書くとすぐさまポケットにしまいこみ、

「さて……ではそろそろ動くとしよう。ターゲットもこっちに近付いて来ているようだしな」

 歩きだす。堂々と、ただ優雅なまでに。

「全てはこの世界を真の姿へ導くために……」

 甲板へと続く階段を上る。

 桃色の髪を揺らし、どこか胡乱にも見える目をそっと上げ、

「相沢祐一を――」

 最後の一言は、開かれた扉の向こうから響く戦場の音にかき消された。

 

 

 

 あとがき

 お待たせしました! というわけでどうも神無月です。

 いよいよシズク編終盤です。拓也の元に集った朋也や純一たち。そして謎の人物の確認に向かう祐一と往人。今回の焦点はもちろんココ。

 まだ細かいバトルがちょこちょこ残ってますが、そこを踏まえつつ……んー、もう一話くらい延びるかもしれない(汗

 まぁ何はともあれ、皆さん危惧している「今年でシズク編終わるのか……?」はさすがにない、と言っておきますw

 では今回はこの辺で! あでゅー!

 

 

 

 戻る